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郡山の話題

2019年1月12日 (土)

開運?郡山の絶景スポット5

 1月4日(金)放送の「めざましテレビスペシャル」で、日本全国の「開運スポットベスト30」を発表していた。我が福島県からは三島町にある只見線の河川橋のみが第6位に選ばれていた。ここは三島町の「道の駅」から山間の登山道を上った先にあり、「行くぜ東北!」を始め、多くのCMにも使われたし、旅行誌のグラビアやカレンダーにも使われるほどの絶景ポイントだ。
 そこで私は一案思いついた。このテーマを「郡山市の観光スポット」で当てはめたらどうなるのか?絶景スポットとまでは行かなくても、ため息が出るほどの珍スポットがあるのではないか?そんな発想でトップ5を私のなりに考えたので発表したい。

 1位 布引高原のひまわり畑と眼下に広がる磐梯山&猪苗代湖

 郡山市の南西の外れに布引高原がある。高原だけあって、小高い山の山頂に広がる台地だ。そこに8~9月に一斉に咲き誇る一面のひまわり畑。その頭上には風力発電の風車が並列して聳え立つ。そして眼下には猪苗代湖が広がり、その先には「宝の山」と詠われた「磐梯山」が佇む全景を拝むことが出来る。さらにはその湖面に、まるで鏡のようにその影を落とす様を眺められる。絶好のロケーションだ。
 私はぜひこの場所を「天空の楽園」と名付けたい。こんな絶景が我が街「郡山市」にあったことを心底嬉しく思う。

            Nunobiki

 2位 新緑の銚子ヶ滝

 日本の滝百選にも選ばれた。その形がお酒を注ぐお銚子に似ていることから付けられた。母成峠の手前、熱海町ふれあい牧場から右折し、山道を分け入ると、登山口にたどり着く。そこに車を駐車し、熊すずを鳴らしながら20分ほど林の木立の遊歩道を行くと、分岐点に出る。そこに据えられた急階段を15分ほど下りれば、深い新緑の中にその威容は姿を現す。周辺は滝と澤の音しか聞こえず、人影まばら。それほど秘境感が漂う山の中。
 紅葉時期も美しいが、ここはツキノワグマが頻繁に出現している森の中なので、十分な備えが必要だ。
 私は50歳を目前にしてここを初めて訪れたが、帰りの急斜面の崖のような場所に据えつけられた階段を上のに、心臓はバクバクできつかった想い出がある。そして滝下に15分ほど滞在したが、付近は誰一人おらず、もしこんな場所で熊に襲われたら誰も助けに来れないので、人知れず死んでいく恐怖に襲われたことを覚えている。
 

 3位 浄土松公園の奇岩「きのこ岩」

 トルコの世界遺産「カッパドキア」を彷彿させる、この世のものとは思えないほどの自然の造形美。残念ながら2011年の東日本大震災で一部が崩壊し、昔の面影はないし、周辺は立入禁止になり、周辺から眺めるだけとなった。
 ここをフィールドワークコースにしている少年自然の家が近くにあって、小学生時分、宿泊学習の際に、ここを同級生達と探検したことが思い出深い。

 4位 高屋敷稲荷神社の千本鳥居

 恥ずかしながら、長く郡山市に暮らす私でも、京都の伏見稲荷神社にも似た千本鳥居が参道を埋め尽くす神社が地元にあることを知らなかった。
 5年前にローカルテレビ番組の「ドミソラ」で紹介されて気づき、実際に訪れてみた。郡山の東部に南北に貫くように通っている「農免道路」。人気パン屋の「杜のくまさん」からほど近い場所にそれは建っている。道路の下にあるために、注意して見ないと気づかないで通り過ぎることが多く、だから私も知らなかったのだ。
 でも実際に訪れてみると、丘の上に建つ神社の本殿まで斜面を利用して、朱塗りの鮮やかな鳥居が所狭しと並んでいる。この鳥居は南側の参道だけでなく、東側にも設けられている。

 5位 ビッグアイから眺める郡山の夕景・夜景&駅前イルミネーション 

 2001年に落成した郡山市のラウンドマークビル「ビッグアイ」。地上24階で133mある。このビルは複合型で、MOLTIという名の商業施設、市民プラザという行政の市民窓口、そして高等学校が併設し、22階には展望ゾーンや宇宙体験が出来るテーマパークの「スペースパーク」や、最上階には丸い球体のプラネタリウムまで備えている。
 私のお気に入りはNゲージのジオラマだ。明治・大正・昭和・平成というように、時代ごとに駅舎や駅前の風景の変遷が模型で描かれているのだ。

 こおりやま光のページェント(郡山駅西口広場)

 この作品は、福島県郡山市のJR郡山駅西口広場のイルミネーションをHi-Vision映像で紹介するものです。郡山市は、福島県の中央部に位置し、県庁所在地の福島市が行政の中心とするならば経済産業の中心として経済県都と呼ばれ、米作を中心とする一次産業、大手の工場が多く進出している工業団地を中心とする二次産業、地の利を生かした三次産業など産業構造のバランスとれた地域で、行政人口で33万弱を擁する本県を代表する都市です。また、郡山市は、JR東北新幹線の東北の玄関駅としての郡山駅をはじめ、在来線では東北本線と磐越東、西線及び水郡線の分岐点、JH東北道と磐越道の接続点となっているなど交通・物流の要衝となっています。このJR郡山駅の乗車人員数は1万7、8千人/日と言われ、本県内の駅ではダントツ1位となっています。当イルミネーションは、「ビッグツリー ページェント フェスタ IN KORIYAMA」として同実行委員会が実施しているもので、LED21万個が樹木、施設などに飾られ幻想的な空間を作っており、行き交う人々の目を楽しませているようです。(菅野隆夫氏撮影)

 さて、本日は、「郡山の絶景スポット」というテーマでお送りしましたが、我が街「郡山」にも、探せばこのような魅力あふれる展望スポットがあるというのが嬉しい。
 郡山市民ならもちろん、県外の方も、出張のついでに、あるいは観光旅行の締めくくりにぜひ、ビッグアイに昇ることをお勧めしたい。

2018年12月27日 (木)

郡山市再開発への提案

 郡山市を見渡してみると、これまで郡山駅西口再開発には躍起になっていたが、それ以外の再開発は予算確保の関係もあって、工事の進捗があまり芳しくはない。郡山市民文化センターや開成山周辺のスポーツ施設(宝来屋総合体育館・ヨーク開成山スタジアム・ヒロセ陸上競技場・郡山しんきん開成山水泳場など)は慢性的な駐車場不足がありありだ。それに無駄に公園が多いのも気になる。開成山公園、麓山公園、21世紀記念公園、荒池公園、五百渕公園、酒蓋公園、香久池公園、芳山公園などが市街地に点在し、市民のオアシスとして憩いの場を提供しているが、あまりにも多すぎる感が否めない。

 そして郡山市民の再開発の最大の関心事は、旧農地試験場跡地と豊田浄水場跡地の活用方法だ。両者共に広大な土地を有し、それらを市民にどう還元するのかが懸念される。

 そこで私個人の希望を述べたい。

 まずは、現在の宝来屋郡山総合体育館は何度か改修工事をしているとは言え、老朽化が著しいため、解体せざるを得ない。そしてそこを思い切って市民駐車場にし、スポーツイベントでも県内外から多くの訪問客が利用できるようにする。内環状線に面しているため、アクセスも抜群だ。

Koriyamagym

 そして、「豊田浄水場」跡の広大な土地には、「福島ファイヤーボンズ」も本拠地として使用する巨大アリーナを建設する。大中小3つの体育館を設置し、コンサートも開けるような多目的アリーナ化を図る。さらにはテニスコートも10面程度整備し、テニスの大会も開催できるようにする。郡山は元から宿場町だっただけあり、「αー1」や「スターホテル」、「ホテルハマツ」などの宿泊施設が至近のため、中学や高校の体育大会をもっと誘致して開催できるようにする。

Toyoda

          Toyoda2

 そして、「郡山文化センター」を同じ敷地内に移築する。音楽都市を掲げる郡山市に相応しい大型ホールを完備する。この土地は、さくら通りからも至近であり、バスを始めとした交通網も充実しており、足の心配は無用だ。

 本音を言えば、私はこの場所に県庁を移転して欲しいと願っていた。しかし、いくら福島県の中央に位置し、高速交通体系が整っているとは言え、万が一移転が実現してしまえば、現在の福島市は閑散としてしまう。福島県警の本部庁舎も改築したばかり。すべてのインフラ整備が無駄になってしまう。したがって、福島市に喧嘩を売るようなものだし、県庁移転という絵空事は金輪際、考えないようにしたい。

 また、郡山市民でも知らないと思うが、実は21世紀記念公園が建っている場所は、当初の計画では国際会議も開けるような巨大コンベンションホールを完備した大型公共施設を建設する予定だった。しかし、震災があって、頓挫すると、防災面での利用が検討された。 
 したがって、その公園の地下には、災害時の備蓄倉庫となっている。もちろん、災害発生時の避難場所にも指定されている。

 話は変わるが、それにしても郡山市の税金は高い。子ども2人が就職し、親元を離れた今、扶養親族がいなくなり、所得税は12.5%も取られている。それが訳の分からない、くだらない施設建設のために、浪費されているのかと思うと実に腹立たしい。

 ボーナス時期には12万円も税金で持っていかれている。実に不愉快だ。市民の意見や要望に真摯に耳を傾け、本当に郡山市民が切望している施設を建設して欲しいし、中心市街地の一等地を皆が納得するような利用を考えるべきだと思う。

 続いて郡山北部の旧農業試験場跡地だが、せっかく「郡山富田駅」が平成29年4月に開業し、交通の便が良くなったのだから、ここを「学びの場」として市民が集う場所に活用して欲しい。
 自然体験学習できる場や、子供たちが安心して学び、遊べるような施設、そしてお年寄りも生涯学習の場として地域間交流ができるような場所に・・・。
 「カルチャースクール」をまとめて行う施設でもいい。例として陶芸教室、水彩画教室、尺八・大正琴教室、俳句短歌教室、書道教室、百人一首教室、ちぎり絵教室、絵手紙教室、手芸教室、そば打ち教室、ロッククライミング教室、スカッシュ教室などが想定できる。図書館の分室としても良い。学習用の冷房完備の個室を30以上完備すれば、夏の暑い盛りに受験生や学生は大助かりだ。
 本来、税金はこのようなものに使うべきだ。

Hisaihouse

 さて、震災前は33万人を越えていた郡山市の人口は、避難者も含めて1万人以上も県外に流出した。されど、平成最後の年の30年では、再び33万人を超えた。

 この先、魅力あふれる郡山、安心して暮らせる郡山市を築くために、再選を果たした品川市長の果たすべき役割は大きい。強いリーダーシップで、市街地の土地の有効活用を願う。そして市内の活性化に努めてほしいと願うばかりだ。
 

2018年12月18日 (火)

虎丸長者で消えたものたち

 郡山市民なら「虎丸長者」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。その昔、今の芳山公園がある付近に大豪邸を構えていた豪族だったようだ。以下、「郡山まちなか文化遺産」の史料抜粋し、それに纏わる伝説を振り返りたい。

 「虎丸長者」は郡山のあちこちに屋敷を構え、豪勢さを誇っていました。力持というところには米倉を造り、現在の郡山商工会館周辺にあった皿沼で下女が皿を洗っていたと伝えられています。
 また、堂前町にある如宝寺は虎丸長者が馬頭観音を安置し、堂字を建立したのが始まりとも言われ、「旭さし、夕日輝くところ、黄金千杯あり」という碑の存在から、埋蔵金があるのでは?と騒がれたこともあったとか。
 しかし、この虎丸長者伝説の舞台に、新たな史実が発見されました。
 それは、郡山駅から西、郡山商が工会議所から赤木小学校近辺の商店やビルが建ち並ぶ範囲に清水台遺跡が発見されました。この遺跡からは当時、寺院や役所などの貴重な建物にしか使われなかった土器や瓦が出土しています。
 したがって、この清水台遺跡は「郡衛」と呼ばれる役所跡で、ここを中心に栄えていったと考えられるようになりました。よって虎丸長者屋敷跡といわれた周辺は、実は安積地方の郡役所であったようです。

 さて、私がこの世に生を受け、大学生となり郷里を離れるまで過ごした19年間、この虎丸長者に暮らしていた。今思えば、郡山市内ではなんという市街地の一等地に住んでいたのだと逆に怖い気がする。
 そこで、私が知っている限りを駆使し、経験と記憶を頼って、この地区で今は無きものたちを列挙して懐かしんでみたい。

  1 インテリアダイイチ・・・長者交番の北側に聳えていた家具屋 隣りに職業訓練校?
  2 かっぱ寿司長者店・・・震災で柱が崩れ、あえなく解体され、更地に
  3 松本習字塾・・・私が小学生の頃に通っていた。ホンダウィングヨシダの奥にあった
  4 鍛冶屋・・・屋号は忘れたが、平成初期頃までバリバリの現役だった
  5 味の民芸長者店・・・うどん専門店 今は鉄火焼きの店に
  6 松美写真館(朝日町に移転)・・・MALLの北側にあった長屋の端
  7 澤田釣具店・・・ドコモの西側の四つ角にあった
  8 百軒長屋・・・現在真澄院という宗教施設がある場所にあった
  9 日東通運・・・百軒長屋の一角にあった 活版印刷所もあった
 10 まるせい文房具・・・芳山小の南側にあった サンドイッチまで売っていた 
 11 斎藤ピアノ教室・・・私が小3の頃に通わされていた
 12 日東紡績第二工場・・・今のMALLの前身で巨大紡績工場だった 寮も完備していた
 13 パラマウント工場・・・インテリアダイイチの北側にあった工場
 14 パラマウント社宅・・・工場のさらに北側にあった5階建てくらいの団地
 15 長者釣堀・・・芳山小の北西側にあった小さな釣堀 夏には臭いが酷かった
 16 今泉服飾専門学校・・・通称「五重塔校舎」。回廊で珍しい作りだった。
 17 郡山理美容学校(富久山へ移転)・・・さくら通りから1本北に入った密集地にあった
 18 虎丸卓球所・・・アップルハイツの北隣りにあった 急階段を上がった2階のフロア
 19 ザベリオ学園・幼稚園・・・昭和まであった私立学校 現在はホテルハマツ
 20 佐藤サイクル店・・・野替薬局ビルにあった小さな間口の自転車店 パンク修理

 21 北日本相互銀行・・・ハマツの西隣りの四つ角にあった小さな銀行 今は駐車場
 22 ジェイクビジネス専門学校・・・ハマツの西隣りのさくらNTビルにあった 幅が狭い
 23 日産生命・・・・ハマツの向い側にあった生命保険会社 ガラスケースの告知板
 24 朴ガソリンスタンド・・・ツルハ&ドコモがある場所に昭和まで存在したシェルのGS
 25 カメイガソリンスタンド・・・黎明の西隣りにあったGS 確か日石だった
 26 青木書店(黎明向かい)・・・面積の小さな本屋 店員が窃盗で逮捕され閉店
 27 東印菓子問屋・・・一本松の手前にあったお菓子の卸問屋 
 28 本田家具店・・・安積黎明高校の前にあった
 29 虎丸郵便局・・・今はオリックスレンタカーがある場所に昭和まであった郵便局
             強盗に入られ、犯人は細沼のマンションに逃げ込み、その後逮捕
 30 志乃や寿司・・・虎丸郵便局と佐藤生花店の隣りにあった老舗のすし屋
 31 安達屋商店・・・ドコモの真向かいの角にあった駄菓子屋 たぬきそばが絶品
 32 遠藤大工店・・・安達屋の隣りにあった大工店 今は駐車場
 33 滝根屋総合食品・・・今の「吉野家」にあった魚屋 裏には中塚荘というアパート
 34 斎藤オクトパシー治療院・・・酒屋さんの東隣りにあった 今はトランクルーム
 35 中塚荘・・・オレンジ色の2階建ての古いアパート
 36 宮川工業所・・・鉄工所のような建物 今はほっともっとの空き店舗
 37 松本電気商会・・・かつて夫婦2人でやっていた電気屋さん
 38 くるみ美容室・・・スワンクリーニングの西隣りにあった 
 39 山ノ井食品・・・かつては数学を習っていた先生の実家 今は個人の自宅
 40 国分理容所(移転) 裏に井戸があった



 41 佐久間畳店・・・おのざわの隣りにあった畳店 野球部の先輩の自宅だった
 42 お好み焼きおのざわ・・・小学生の頃、入り浸っていた駄菓子屋で玉子焼きが絶品
 43 昭文堂印章店・・・旧国分理容所があった東隣りの四つ角にあったハンコ屋
 44 白河納豆店 ・・・現在ソフトバンクにかつてあった納豆屋 同級生の家だった
 45 伊東パン・・・パラマウントの社宅の西隣りにあった 同級生の家でもあった
 46 青山製麺所・・・さくら通り沿い、今のツルハの駐車場にあった製麺所
 47 ボローニャのパン・・・以前はほっかほか亭だった。閉店後、死体が発見された 
 48 野替薬局・・・虎丸交差点に建っていた5階建ての高層店舗 震災で解体
 49 品田青果店・・・同級生の家
 50 おもちゃのまるさた・・・野替薬局の東隣りにあったおもちゃや
 51 会津屋履物店・・・野替薬局の隣りにあった雑居ビルにあった履物専門店
 52 常盤湯・・・野替ビルの北側にあった公衆浴場(銭湯)歴史ある佇まいだった
 53 橋本仏具店(移転)・・・同級生の家 二本松が本店 テレビCMもやっていた
 54 東京模型店・・・田宮模型などが売られていた 狭くて2坪くらいしかなかった
 55 新田精肉店・・・かつては日東紡績第二工場の東の四つ角にあった
 56 中華の漢陽楼・・・ウッドベルの隣りのマンションの1Fにあった中華料理屋
 57 ヨークベニマル虎丸店・・・今のツルハ&ドコモ 平成初期には小さなベニマル
 58 ヨークベニマル桜通り店・・・2階建てで1階は食料品、2階は衣料品売り場だった
 59 沼崎クリーニング店・・・野替ビルの真向かいにあったクリーニング店
 60 八百板正商店・・・今の真澄院がある一角にあった商店 議員さんも務めていた

 61 谷田部魚店・・・あさか開成高の手前にあった小学生の頃の後輩の家
 62 聖マリア園・・・あさか開成高の南東側にあった 今はマンションが建っている
 63 室塚医院・・・今はマンションが建つ 足利屋(旧斉藤酒店)の南隣り
 64 虎丸医院・・・私の幼少の頃のかかりつけ医 往診もしていた
 65 さわやか商事(本町に移転)・・かつては大東銀行があった
 66 スーパーマルエー・・・こじんまりとした魚屋専門のスーパーだった
 67 柴田ストア・・・新田精肉店の西側にあった個人経営のスーパー おつかいに行った
 68 カネボウ・・・黎明高校の東隣りにあった化粧品の支社
 69 トキワスーパー・・・ベニマルさくら通り店の真向かいにあったスーパー
 70 赤トリ井・・・トキワスーパーの東隣りにあったテーラー
 71 ブックオフさくら通り店(震災で閉店)・・・トキワスーパーの跡地利用 震災で閉店
 72 ほっともっと虎丸店・・・増子輝彦議員の事務所になっている
 73 増子文房具屋・・・ホテルハマツの斜め向かいにあった文房具店
 74 遊佐商店・・・増子文具店の隣りにあった燃料販売店
 75 本田輪業・・・野替ビルの1階にあった自転車屋
 76 東北文化風呂店・・・後輩の自宅 風呂釜専門店だった
 77 ラーメン鎌倉屋 ・・・小野薬局の東隣り、カトリック教会の南側の1階にあった
 78 小野薬局・・・病院と併設していた薬局
 79 小野内科胃腸科院・・・小学校の頃、伊調が弱く何度も通院した個人病院
 80 マルニ看板・・・芳山小学校の南側にあった看板屋さん



 81 藤田輪業・・・ホテルハマツの西側にあった自転車屋 パンク修理で世話になった
 82 文化堂印店・・・さくら通り沿いにあったハンコ屋
 83 万昭堂文具・・・さくら通り沿いには多くの文房具屋があった 小中高が近いから
 84 A電気(開成へ移転)・・・ビデオデッキを月賦購入した電気屋 
 85 高田青果店・・・虎丸交差点の角にあった
 86 フランスベッド・・・高田青果店が閉店後にベッドのショールームになった
 87 ふるやま書店・・・郡山二中に北側にあった本屋
 88 戸崎美容室・・・MALLの西側にあった細長い形状の美容室 着付けもやっていた
 89 カワイピアノ店・・・野替ビルの向かい側にあったピアノのショールーム
 90 池田美容室・・・同級生の実家 さくら通りから路地を入った場所にあった
 91 北日本石油虎丸給油所・・・ホテルハマツの向かい側にあったGS 今は駐車場
 92 ウッドベル・・・安達屋商店が建てたビルで2階にはオシャレな喫茶店があった
 93 あさか荘・・・ヒマラヤ山荘という登山グッズ店がある東側にあったアパート
 
 このさくら通りは、平成の初め頃までは市内の小学生が行う「鼓笛隊パレード」の√になっていた。どうして中止されたのかは定かではない。交通量の増加もあるかもしれないが、それならGW時期に行っている「郡山シティマラソン」も通行止めにして行っている。うねめ祭りは駅前大通りを封鎖して行っている。開成山の大花火大会もそうだが、小学生やその親が楽しみにしていたビッグイベントを意味なく終わらせてしまった・・・。

 さて、私が記憶を頼りに覚えている限り列記したが、これほど長者・虎丸地区は劇的に変貌を遂げたと言える。東京などの大都会からすれば、まだまだ田舎だが、それでも市内では一等地に入る場所で、私は育った。あしかけ20年間実家で過ごした私にとって、変わりゆく街並みを見るのは寂しい気がしてしまう。10代の頃、大学進学で郡山を離れる時に、この街並みを写真に撮り収めようと考えたことがあったが、実現しなかった。
 今、思えば、ここに何があったっけとならないように、つぶさに撮影し、保存しておけば良かったと後悔の念が絶えない。

 やはり故郷、特に自分が育った街の風景はいつまでもそこにあって欲しいと思える宝物のような気がしてならない。

2018年12月 6日 (木)

夜訪れると危険な「郡山最恐スポット」

 今日は、我が愛する街・郡山の負の遺産とも言うべき、ひとりで夜に絶対に訪れてはいけない危険極まりないスポットを取り上げたい。
 これは自己防衛や教訓といった観点から啓蒙としてお送りするもので、おふざけや冷やかし、怖いもの見たさで取り上げるものではないことを最初に断っておきたい。

 1 東山霊園

 言わずと知れた郡山市民の終の棲家。永遠の眠りにつく場所だ。近くには火葬場である「東山悠苑」も隣接している。かつて平成の初期まで「ROUND1」の向かい側にあった「薬師堂火葬場」で火葬していたが、平成3年に移転した。
 この霊園、広大な敷地に墓地が点在しているが、事務所のある西側に大きな陸上トラックと共に、グラウンドがあった。しかし、震災以降、ここに放射性物質を含む除染土を閉じ込めたフレコンバックが集積され、その数、1万以上の及んだ。ここだけでは足りず、この山を越えた北側にも山積みになって溜め込まれている。死んでも安眠できない状態が続いている。まるで「東京電力福島第一原子力発電所」の増設が続く汚染水タンクのようだ。

Higashiyama

 2 保土谷化学

 営業妨害するつもりはないし、ケチをつける気も毛頭ない。郡山市民でも若い世代は知らないだろうから敢えて記す。ここは、第二次世界大戦中に、化学兵器や物質の軍需工場になった。よって、米空軍の攻撃の標的となった。昭和20年4月12日、B-29の波状攻撃を受け、その空襲によって、工場内で働いていた多くの従業員が爆撃で死亡した。その数、実に204名。その中には、白河女子高校や郡山商業高校、安積高校、安積女子高校から学徒動員された女子生徒26名も犠牲になった。
 その慰霊碑はなぜか現地ではなく、市内堂前にある如宝寺に祭られている。

Hodogaya

 3 郡山駅前のビル群

 ここは一見すると安全そうだが、旧丸井、旧丸光、旧西武、さらには近くのア○ホテルでも投身自殺が起きた。またア○ィの7階の男子トイレでは、首吊り自殺があったし、駅前通り沿いにある郡山を代表する巨大ホテルの8階の一室でも自殺があったそうだ。
 また、旧丸井ビルを解体中に土中から白骨死体が出て来た。もしかすると戦争の爆撃で犠牲になられた方かもしれない。思わず背筋が冷たくなる思いだ。

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 4 御霊櫃峠

 名前からして霊体験に遭いそうな名称。ここは1990年頃まで、山頂までの峠道は未舗装のダートだった。それが平成に入って間もなく、細いくねくね道路ながらも一応は舗装され、峠越えをしやすくなった。
 そして、ここの山頂には、大きな鉄塔が建っている。そしてさらに300mほどの丘の上に上ると、かつてはパラグライダーやハンググライダーの発射場となっていた。ここから西側には猪苗代湖の眺望が広がり、日中は景観に恵まれ、ここを越える車も少なくは無かった。
 しかし、夜は超危険。真っ暗闇の中、車のライトだけが頼りで、しかもガードレールもなく、途中でスタックしたり、崖から転落したら最後。誰も助けに来ない。私は夜道で、道路を横切るハクビシンやイタチ、野ウサギ、たぬきを目撃したこともあった。野生の熊だっていることだろう。
 もしミラーに白い着物を着た血だらけの女性が映ったりしたら・・・。身の毛もよだつ話だ。

Goreibitsu

 5 麓山公園

 ここは私にとっては鬼門。小学生の頃、ここの土手を自転車で登ろうとして転倒し、自転車のスタンドで右脚の肉を抉られる大怪我を負ったし、彼女が出来て初めてのデートで失敗した因縁の場所だった。
 それはすべて小学生の頃に遭遇したあの出来事に起因している気がしてならない。小学生の頃、友達と麓山公園内でかくれんぼか何かの鬼ごっこをしていて、私はNHK郡山放送局の東側にある巨大な戦没者慰霊塔の入口の石段を下りた。その錠前がかかった鍵穴から中をのぞき込むと、数え切れないほどの位牌と共に骨壺が棚に整然と並べてあるのを見た。なんと罰当たりな・・・。そんな神聖な場所で図らずも鬼ごっことは・・・。英霊を侮辱する行為ではないのか。それ以来、この公園を訪れると、不吉な出来事ばかり起こるのだ。
 また、南側の丘の上に古めかしい神社がある。この近くの木で首吊り自殺をした方もいるそうだ。もう半世紀以上も前のことだが・・・。子ども心ながら、怖かった覚えがある。

Monument

 もしこんな場所に、肝試しなどで訪れたら、それは不気味で、1分たりとも同じ場所に立ち止まってなどはいられないだろう。恐怖体験は必至。

 また、公園では「酒蓋公園」、「開成山公園」、「逢瀬公園」、西部第二工業団地にある「待池公園」、更には「カルチャーパーク」も夜に訪れてはいけない。

 酒蓋、開成山では自殺が何件か発生し、逢瀬公園は東側駐車場で殺人事件、待池公園では溺死事故、カルチャーパークでは二度もジェットコースターに点検中の係員が巻き込まれて命を落とした。日中ならともかく、夜間には決して訪れるべからずだ。

 6 熱海フットボールセンター

 ここには磐梯グランドホテルと磐光パラダイスという巨大遊技場が立ち並んでいた。その後、倒産して以降、ここは長年更地となり、その跡地利用がとん挫したままだった。
 しかし、昨年、ここに人工芝のサッカー場を含むフットボールセンターが竣工し、オープンした。市民の健康や体力増進と聞けば、市の施設だし、良いことづくめだろうが、実はそうも言っていられない。

Banko

 磐梯グランドホテルが建っていた場所は、昭和44年の2月に、旧磐光ホテルで大火災が発生し、宿泊客ら31名が死亡する大惨事が起きた怨念漂う場所だったのだ。

 しかもこの場所、その事件を覆い隠す腹積もりか、付近にはその火災があった事実を示す石碑もないし、31人が亡くなった場所なのに、慰霊碑すらもない。
 このような場所にスポーツ施設を築き、地域活性化には良いだろうが、私は祟りで怪我人続出は免れないと思っている。不穏な事故が起きる前に、今からでも慰霊碑を建立し、お祀りしたほうがいいと思う。

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 7 河鹿荘

 ここもまた磐梯熱海温泉にある廃墟ホテル。全国的に有名な心霊スポットとして扱われており、廃墟マニアなどが訪ねるスポットとなっている。不可解なのは、倒産して営業を辞めてから40年経過するのに、未だに解体されず、幽霊ホテルのような雰囲気を醸している点だ。温泉街のメインストリート沿いにあって、これではイメージダウンだし、不気味極まりない佇まいのため近寄りがたい気持ちになってしまう。
 また、肝試しで入った人の共通話として、部屋には骨壺が置いてあるというのがある。どうやらこれは噂ではなく、事実のようだ。動画サイトにもその壺が映し出されてある。
 夏は玄関前に2mほどの雑草が生え、来訪者を拒むかのようなうっそうとした雰囲気だ。
 部屋のガラスはすべて割られ、外からも廊下が丸見え。早く取り壊して欲しい。

 下記の映像は閲覧注意です。クリックは自己責任でお願いします。

 この映像は動画サイトにアップされていたもので、私が撮影したものではありません。不法侵入には犯罪行為です。くれぐれもなさらないように・・・。

 8 開成・桑野・朝日地区

 ここは「大島てるの事故物件」サイトでもわかるように、人が奇怪な死を遂げる人が多く、事件事故多発危険地区。高層マンションが多いため投身自殺が相次いで発生したし、殺人事件もやたら多い。「高校生同士の殺人事件」、「某銀行駐車場での警備員射殺事件」、「住宅展示場での社員首吊り事件」、「ビリヤード場殺人」、「スーパー店長による店員殴打殺人」、そして「カラオケスナック殺人」も起きた土地柄だ。
 私はkの地域は開成山大神宮から東南に当たることから、私は「鬼門」であり、それが邪気を溜めると信じている。そう考えないと、つじつまが合わない。

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 9 駅前周辺廃病院地帯

 大町にあった「星総合病院」、中町にあった「太田綜合記念病院」、そして丸井の西側にあった「寿泉堂病院」。これらは郡山市を代表する巨大病院だ。私はこれを魔のトライアングルと呼んでいる。震災で倒壊し、傷みが激しいのに、なぜか三病院ともに解体されていない。大病院なのだから解体費用をケチっているわけではない。なぜか?これはここで亡くなった入院患者の死霊の祟りを恐れて解体できないのではないか?また病院だった以上、再利用も厳しい。まさか、室塚医院や本多記念病院のように跡地にマンションを建てたら、おぞましい霊体験が起きて、悪い評判が立ち、入居者は確保できないであろう。
 それに旧星総合病院の東向かいにある阿邪詞根神社も夜間に訪れてはいけないスポットだ。多くの患者を看取った大病院の目の前にあり、亡くなった方の霊が漂っている場所だ。もし冷やかし気分で行ったら祟られること間違いない。

Hoshi_hospital

10 猪苗代湖

 猪苗代湖はかつては透明度日本一を誇った。郡山市民のオアシスとして「安積疎水」が明治時代に完成後は、農業用水や飲料水として活用されている。
 この安積疎水は、一本の道として「日本遺産」に認定されているが、その命の源である「猪苗代湖」で命を落とした人がなんと多いことか。
 夏場はウィンドサーフィンやカヌー、ジェットスキーのメッカとなっているこの湖では、衝突事故が多発し、多くの方々が亡くなっている。また、入水自殺者も複数件報告されているし、志田浜や天神浜は湖水浴場が整備されているが、ここでの死亡事故もある。猪苗代湖は砂浜から20mほどまでは浅瀬だが、そこから急に深くなる。猛暑であっても、その深みから急激に水温が下がり、そこで心臓発作で命を落とすケースが多い。ましてバカンス気分で飲酒して湖に入ればその危険は増し、死神が近づく結果を招く。
 また猪苗代の大川で長雨による洪水が発生した際には土石流や鉄砲水で民家が押し流され、未だに行方不明者がいる。
 その水を郡山市民は飲んでいるという事実。もちろん長い経路を経て殺菌消毒もしているが、何か気分が良いものではない。

Jetski_accident


 さて、いろいろいと郡山のいわくつきのスポットを取り上げたが、どう感じたでしょうか。まだまだ他に気をつけたい場所は数多くある。死霊が招くのか、死亡事故が多発する交差点とか、昔は屠殺場だった場所に今は、安売りスーパーが立っているスポットとか、あるいはその貸店舗に店が入っても1年も持たずに倒産し、ころころ経営者が変わる店とか・・・。市内の小中学校の敷地内で事故死したり、自殺者がいたケースも5~6件は知っている。また、水死する者が多い阿武隈川の河原とか、飛び込み自殺がやたら多い踏切があるスポットなども市内にはある。
 郡山に半世紀以上暮らしている私には、こうした事件事故の情報や近寄ってはいけない危険個所は直感的に知っている。

 私は読者を恐怖のどん底に叩き落したい訳ではまったくない。知っていると知らないのとでは雲泥の差で、知らないうちにそういういわくつきの場所に足を踏み入れ、死霊に招かれてしまわないように、君子危うきに近寄らずで、端からそういうスポットには近づかないことが懸命だ。知らぬが仏という言葉があるが、あなたの霊感よりも死霊のパワーが勝っている場合には、あなたは間違いなく呼ばれてしまう。
 だから、そういうスポットが全国どこにでもあるように、この郡山にもあるということを知っていれば、自分から死に近づくこともないであろう。
 そいういう意味合いから今回の記事からは、教訓として受け止めてほしいと思う。

2018年12月 4日 (火)

郡山市PR動画

 わが街「郡山」は商業都市として栄えている。福島県の中央に位置し、交通の要衝で、人口は約33万人いる中核都市だ。しかし、出張のビジネスマンは多く、駅前のシティホテルは満室になることが多い割に、観光資源は乏しい。ゆえに観光目的で訪れる訪問者は少ない。そこでこの現状を打破しようと、郡山の魅力を余すことなく伝えたい。そんなPR動画が、郡山市が制作し、動画サイトにアップされている。

 郡山市政広報SNS動画「見ようよ!郡山篇」   

 郡山市SNS動画「食べようよ!郡山」編   

 郡山市観光PR映像2017ーLOOK編ー

 郡山市観光PR映像2017ーFEEL編ー   

 かつて新産業都市に指定され、工業と商業が融合し発展を続けた郡山は今、「楽都・郡山」と呼ばれるほど、音楽都市として文化が隆盛している。特に「合唱王国ふくしま」の中心的存在。
 自然と近代産業の宝庫。それが我が街郡山の魅力だ。 

 郡山市民の歌

 この市民の歌は「郡山広報無線」でも12時に流れている。

 最後に、私が思う郡山の観光スポット20を取り上げたい。

 1位 安積疎水・・・日本遺産に選定された。安積開拓のシンボル「一本の水路」
 2位 浄土松公園きのこ岩 奇岩がにょきにょきと聳える丘
 3位 県合同庁舎・・・細沼町にある歴史的建造物 昔ここで三島由紀夫の映画のロケ
 4位 布引高原の風車とひまわり畑・・・眼下に猪苗代湖と磐梯山の絶景コラボ
 5位 御霊櫃峠から見下ろす猪苗代湖
 6位 高柴でこ屋敷・・・張り子人形や三春駒を制作している
 7位 開成山公園の桜・・・広大な敷地で噴水もある
 8位 旧中山宿駅スイッチバック・・・急こう配でかつてはSLが登れずこういう形状に
 9位 郡山公会堂・・・世界遺産のゴルドバ聖堂そっくりの建造物
10位 銚子ヶ滝・・・お銚子の形をした滝 深い山間にあり、森林浴も楽しめる
11位 菅舩神社・・・市内西部の片平町河内地内にある神社
12位 麓山公園の滝・・・安積開拓の歴史の一端を感じ取れる
13位 大安場史跡古墳・・・市内東部の田村町にある巨大古墳
14位 ビッグアイスペースパーク・・・プラネタリュウムや宇宙体験ができる駅前施設
15位 開成館・・・安積開拓の歴史や郷土歴史資料館となっている
16位 安積山・・・日和田にある芭蕉も訪れた公園 句碑がある
17位 石莚ふれあい牧場・・・うさぎや馬などとふれあえる牧場
18位 安積歴史博物館・・・安積高校の旧校舎 かつてベストテンの中継があった
19位 田村神社・・・かつて松尾芭蕉が訪ねた名勝旧跡
20位 逢瀬公園・・・桜の名所 展望台からは郡山市街地を一望できる

 

2018年10月30日 (火)

郡山周辺バーチャル再現映像

 動画サイトを眺めていて、思わず唸る名人芸に出くわした。それは郡山駅周辺をコンピューターの「マインクラフト」でバーチャル的に忠実に再現した映像だ。
 論より証拠、実際に見てほしい。

 マインクラフトとは

 『Minecraft』(マインクラフト)は、Notch(マルクス・ペルソン)と彼が設立した会社・ Mojang ABの社員が開発したサンドボックスゲームである。サバイバル生活を楽しんだり、自由にブロックを配置し建築等を楽しむことができるコンピュータゲームである。
 2018年初頭の時点で、全てのプラットフォームでの販売が累計1億4400万本を突破した。

 地元民である私にとっては嬉しい。もしかして駅東側にあるWIZ系の専門学校生が製作したものなのか?ここまで細かく再現できるとは正直感服してしまった。

 では実際の郡山駅周辺の映像と比較してみよう。

 結構リアルに近い出来だ。細かい描写も完璧だ。では我が街・郡山をもっと深く知ってもらうために、「A列車で行こう」でCG化して再現した映像とテレビ東京で放送された「空から日本を見てみよう」の郡山市内の様子を掲載し、結びとしたい。

 この絵面も結構、良く仕上がっている。

 7年前、あれほどの震災があったとは思えないほど平静な生活を送っている。

2018年10月18日 (木)

今は無き郡山の建造物特集

 「郡山」は私が生まれ、現在まで居を構えている場所だ。大学時代と初任地の計8年を除き、46年間も住んでいるため、その変遷(街の変化)はすべて心得ていると言って過言ではない。しかも市内の中心地にあたるH山小学校、郡山N中出身なので、駅前は遊び場だったし、幼少の頃は、軍用道路(現うねめ通り)は砂利道、朝日町の市役所周辺は田んぼだらけだった。
 そんな昭和の長閑な風景だった頃から知っている。そこで今日は、私と同年代、あるいは先輩諸氏にとって懐かしいであろう昔の写真の中から、今はもう無い建物を一挙紹介したい。ぜひ当時を懐かしみ、コメントなどを頂けたら幸いです。

 1 ここはどこ?

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 麓山にある、郡山市民なら絶対に知っている風景だ。左に、オランダの世界遺産「ゴルドバ」を模して建てた「公会堂」、その奥には今は無き「市民会館」、その奥にNHK、右側には現在中央図書館がある場所だが、天文台を備えた「児童文化会館」が見える。下の写真が懐かしすぎる「児童文化会館」だ。昔、デパートの屋上や温泉街で見かけた古めかしいゲーム機があったし、渡り通路で繋がれた西側の平屋には図工室のような空間のある教室があった。

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 2 ここはどこ?

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 この画像がどこかわかる人は、昭20年代生まれの方に違いない。真ん中の建物は、昭和末期まで存在した「昭和シェル石油」のガソリンスタンドだ。とすればどこか?
 答えは、私が行きつけの酒屋さんの真向かいにかつてあった「朴」(ボーキ)のGSだ。さくら通り沿いの虎丸町と長者の境で、現在はドコモショップやツルハドラッグが立つ場所である。
 「SHELL」と書かれた後方にあるのは、かつて木造だった頃の「郡山二中」だ。
  
 3 これはどこ?

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 これはわかりやすいと思う。右の白い建物は、「郡山警察署」で、その左奥が「郡山消防署」だ。現在の「郡山署」は高度経済成長に伴い、交通量が増え、事故が多発していた国道4号線と49号線の交差点に移転したが、当時は「善導寺」南隣りの現在の「郡山消防署」に同居していた。新産業都市にあって、この規模ではかなり手狭になった。まして、当時の郡山市は「東北のシカゴ」と称されるほど「やくざ」が多かった。治安維持には移転する必要があったのだ。
 それにしても躍進著しかった広域郡山市をこんなちっぽけな警察署で守っていたのは・・・。

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 懐かしい旧消防庁舎の火の見櫓。その裏手にある学校は「金透小学校」だ。左端には今ではもう撤去された歩道橋が懐かしい。実はこの歩道橋、市内熱海町の国道49号線沿いにある「らーめん工房味噌屋」の向い側の資材置き場に放置されている。

 4 ここはどこ?

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 どうみても学校だが、ここがどこだかわかりますか?なんとここは市内中心部・虎丸町のさくら通り沿いにあった「ザベリオ小学校」だ。今はここに「ホテルハマツ」が聳え立っている。
 「ホテルハマツ」の開業が平成3年5月だったから、建設期間を含めれば、昭和末期まであったと思われる。その後、「ザベリオ学園」は市内西部の自衛隊の北側に移転したが、それまではこんな一等地に小学校と中等部、そして南東側には幼稚園まで備えた幼小中の一貫教育の先駆けとなる私学だった。

 5 ここはどこ?

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 これはわかりやすいだろう。この道路は「さくら通り」で、やはり清水台から虎丸町方面を撮影した絵面。「大友パン」の斜め向かいには、昭和の頃まで巨大な2階建てのスーパー「ヨークベニマルさくら通り店」が立っていた。1階が食料品売り場で、西側にあったエスカレーターを上がった2階では衣料品を販売していた。3階は商品倉庫と事務所があった。何を隠そう、一時期、ここで私がアルバイトをしていたので隠しようのない事実だ。
 この真向かいには知る人ぞ知る「トキワスーパー」があって、その東隣りには、紳士服専門の「赤トリ井」があった。その後、旧トキワスーパーは私の行きつけだった「ブックオフ」となったが、老朽化が激しい建造物だったせいか2011年の震災で崩壊し、取り壊された。

 平成に入った頃に、「ベニマル」は今の郡山二中の南側の、現在のツルハ&ドコモショップがある場所に移転したのだが、旧日東紡第二工場があった場所に「THE MALL郡山」が建設されるのに伴い、約2年ほどで閉店した。売り場が手狭だったことも理由のひとつだ。
 「ベニマルさくら通り店」があった場所は、現在は芳山公園」となっている。それにしても郡山市には市街地にやたら多くの公園がある。荒池、酒蓋、麓山、鐘堂、開成山、21世紀記念公園(旧日東紡第一工場跡)などだ。

 21世紀記念公園がある旧日東紡第一工場跡地は、地上20階建ての国際会議も可能な一大イベントホールを建設する計画があったのだが、それが途中で頓挫し、広大な公園と化した。おそらく老朽化した「合同庁舎」をそこに移転するつもりだったのかもしれない。
 
 また、「さくら通り」とは名ばかりで、昭和までは通り沿いに植えてある街路樹は「柳の木」だった。秋頃まで長い葉が垂れ下がり、視界を妨げ、鬱蒼としていた。

 さて、本日は郡山の中心市街地をメインに、昔あった懐かしい建物を紹介した。なぜなら、私の実家がやはり虎丸町にあって、40年前、どこに何があったまで詳しく知っている。ぜひ懐かしく思い出された方は、コメントをお寄せください。特にH山小、郡山N中出身の方は大歓迎です。
 また、今日紹介した画像は、ほんの一部ですので、機会があればまた当ブログにて紹介できればと思います。

 

 なお、この記事をお読みになり、懐かしいと思った方は、ぜひ昔のエピソードを添えてコメントをお願いします。普段は、当ブログではコメントを受け付けませんが、「郡山の話題」だけはコメントを募集したいと思います。

 

 

2018年6月16日 (土)

郡山でアレが無くなったワケ

 我が街・郡山市は不思議やなぞであふれている。昔は当たり前のように行われていたイベントなどが、急に取りやめになったとか、なぜ行政判断でそうしたのか理由がわからないことが多い。今日はそれを話題にしたいと思う。

 1 開成山の大花火大会

 昭和の時代は、夏の風物詩として郡山の花火大会と言えば「開成山の大花火大会」だった。毎年、うねめ祭りの2~3日前の7月31日に行われていた。
 しかし、平成8年頃に、急遽、この市民の楽しみは奪われた。その主な理由は、「住宅街に近い開成山での花火は安全上問題がある」とか、住宅街であるがゆえに「花火の音がうるさいと苦情が多かった」とか、そもそも「不景気で協賛金が集まらないからだ」などと当時は噂されていたものだ。
 たぶん3番目の理由が有力だと思う。そしてそれに替わるかのように、今、郡山の花火大会と言えば、富久山町と安積町のカルチャーパークで行われる花火大会だ。しかし、開成山の時分と比べて、規模は縮小しているし、交通の便も悪い。バイパスを走行中の車窓や新幹線から偶然見れてラッキーという印象でしかない。

 私は幼少の頃、間近で開成山の花火大会の光の輪と爆音の中で育ったので、あれがないと夏が来た気がしない。

Hanabi

 2 鼓笛隊パレード

 今でも福島市と会津若松市で行われているのに、郡山ではとうの昔に無くなった小学生の一大イベントが「鼓笛隊パレード」だ。県合同庁舎を起点とし、そこから演奏を始め、市内の各小学校が隊列を組んで、指揮者、バトン、トランペット隊、太鼓隊、ピアニカ、リコーダーなどを演奏しながらさくら通りを西に練り歩いた。途中、ホテルハマツ(かつてはザベリオ前)と長者(一本松)の資生堂があった地点に審査員席とテレビの中継所を設けた。そして内環状線を渡り、総合体育館前の駐車場まで演奏しながらパレードを行っていた。

Kotekitai


 このイベントも市民の楽しみだった。しかし、いつの間にか終了してしまった。そこでその質問を郡山市に行った時の回答を掲載したい。

 <回答内容>

 鼓笛パレードにつきましては、平成9年度に小学校長会の「鼓笛パレード検討委員会」において、週5日制の導入に向け授業時間の確保が難しくなったこと、さらには交通規制により交通渋滞等のさまざまな問題が生じることなどの理由から、平成11年度より実施を見合わせる決定をし、今日に至っています。
 現在、鼓笛隊を編成している学校では、運動会等において日頃の練習成果を披露したり、各地区の鼓笛パレードにおいて交通安全や防犯等のアピールを行ったりするなど、各学校が工夫しながら地域に根ざした活動を展開しており、子どもたちの活躍の場所を確保しているところです。
また、本市では、小・中学校合唱祭、合奏祭及び音楽学習発表会や各種コンクールの実施、一流の音楽家を招いて指導を受けながら他校と交流する「心のハーモニー学校音楽振興事業」の推進等を通して、子どもたちの音楽性・表現力の向上と発表の場の充実を図ることにより、「楽都郡山」を担う人材育成に努めております。

 私は、小学校の頃、あの頃に流行した「ビューティフルサンデー」と「錨を上げて」をトランペットで吹いて自宅近くを歩いたし、なんと私の演奏している姿が大アップでテレビ画面に映ってしまい、翌日学校で友達に冷やかされたものだ。親も子供の晴れ姿を楽しみにしていた恒例行事だったので、なんとか再開してもらいたいものだ。現に今でも会津若松市や福島市では伝統を守って毎年行っているのだから・・・。

 3 開成山公園にあった競馬場

 現在、市民のオアシスとなっている「開成山公園」。広大な敷地に桜並木の遊歩道や噴水も整備してある五十鈴湖、野外音楽堂、SL広場、ばら園などがあり、とにかく癒されるスポットだ。しかし、昭和30年代まで、ここが競馬場だったことを知る人は少なくなった。広大な湖(実際は池だが)の周囲を馬が走り、実際にレースも行われていたのだ。

 開催時期は1904年(明治37年)から1956年(昭和31年)までで、当時の安積郡桑野村に福島県産馬畜産組合連合会が開成山競馬場を建設した。当時は、1万頭規模の生産を行っていて、福島でも馬券を発売するようになると、数万人を集め、地方競馬としては全国屈指の賑わいを見せた。
 しかし、戦争によって事態は一変した。郡山競馬場と呼ばれたこの馬場も1939年(昭和14年)に軍馬資源保護法により、鍛錬馬競走が行われるようになり、戦後は1949年(昭和24年)には福島市に場所を移したことで、政府の要件を満たさなくなり、公認が得られないまま廃止に至った。

Kaiseizan_keiba

 4 市役所を朝日に移転した理由

 無くなった訳ではないが、市役所を細沼町の現・合同庁舎から朝日の現庁舎に移転した理由を挙げたい。
 今の市内朝日一丁目にある郡山市庁舎は、1968年(昭和43年)に新築された。それまでは細沼町にあった。現在、県の合同庁舎として使われている、石づくりの重厚かつ歴史的建造物だ。なぜ市街地中心部から、当時、田んぼしかなかった場所への移転を決めたのか。それは1965年(昭和40年)に郡山市旧市内と周辺集落とが大合併し、大郡山市が誕生した。マンモス市議会となり、旧庁舎では手狭になったことと、各部署の業務を推進する上で支障が出ると判断されたことによる。

 そして今、映画のロケにも使われた由緒ある造りの「県合同庁舎」が解体取り壊しの危機に見舞われている。なぜなら近く、ビッグパレット周辺への移転が計画されている。文化的価値やぜひ後世まで残してほしい。

Gouchou

 5 なぜ県庁を郡山に持ってこないのか

 福島県や福島市の成立経緯や地理的に県の中間部に位置していることなどから、県庁を郡山に移転しようという動きが近代より現在に至るまで県内に根強く残っている。これは明治18年の県議会において賛成37、反対16の大差でいったんは可決され、当時の県令である三島通庸から上申書が内務省へ提出されたが、不明瞭な経過を経て却下されたことが尾を引いている。県の北端である福島市に県庁及び国立大学、県立図書館、県立美術館、県立医大、附属病院などの公共施設が集中することから不便、不公平感を訴える県民の声が根強くあり、東日本大震災を経て現在でも会津地方及び県南・県中地方の自治体などから請願書が県へ提出されている。

 要は地理的に立地条件や交通アクセスが抜群の郡山市に県庁を移転してしまうと、人口でも県3位の福島市は人口が激減して廃れて何もなくなってしまうという危惧がある。

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 6 なぜ国家プロジェクトとして「安積疎水」建設が必要だったのか

 年間雨量が 1,200 mm にも満たない当地は、疏水が引かれる前は、阿武隈川に向かって傾斜して水利が悪い丘陵地帯であったこともあり、荒涼とした安積原野となっていた。安積原野を流れる五百川、藤田川、逢瀬川、笹原川などの河川は流域面積が小さく、安積原野にあるため池群も流入河川がなく干ばつの影響を受けやすく、広大な原野は牛馬の餌となる牧草を取る入会地しか用途がなかった。

 一方、明治維新の最中、各地で士族の反乱が起こり、その対策として安積原野開拓が脚光を浴びるようになる。そこで、1878年(明治11年)にオランダ人技師ファン・ドールンを現地に派遣し、猪苗代湖から安積野原野一帯の調査を行い、その調査の結果、安積疏水の開削を政府に決断させた。1879年(明治12年)、国直轄の農業水利事業第1号地区として着工され、日本海への流量を調整し水位を保持する十六橋水門、安積地方へ取水する山潟水門が建設され、隧道、架樋等、延85万人の労力と総工費40万7千円(現在約400億円)によって130kmに及ぶ水路工事が僅か3年で完成した。灌漑区域面積は約 9,000 ha と広大で、当地を一大穀倉地帯に変えた。 なお、郡山市は、平成の大合併により市域を広げた新潟市が誕生する前は、米穀生産量日本一の市であった。

 1898年(明治31年)には疏水に水力発電所が設置され、その電力を利用した製糸業が発達し、また、1908年(明治41年)からは飲用水としても利用して、当地の人口増加を支えた。

Asakasosui


 さて、郡山市は昭和の時代に新産業都市に制定、平成には中核としてして発展を続けている。人口は32万人を超えた。歴史と伝統に満ちているが、反面、50年近く住んだ私でさえも、なぞ多き街だ。長年、市の役職を歴任した私の祖父や、市の中心地に50年以上居を構えていた父が存命であれば、より詳しいことを聞けたと思うのだが、10年以上前に他界していて、それもかなわない。

Kooriyamasisyo

 詳しい事情を知っている方はコメントなどでお知らせください。

 最後に、私が好きな「郡山市民の歌」をどうぞ!

 郡山市民の歌は、市政30周年を記念し昭和29年に制定されました。歌詞は一般公募により募集し、多くの作品の中から内海久二氏の作品が選ばれ、作曲は福島市出身の作曲家・古関裕而氏に依頼をしました。

1 あけゆく安積野 希望の汽笛 
  あのひと この街 みなぎるちから

  ああ 奮い立つ 故郷は
  あこがれのせる若駒か
  すすめよ我らの 郡山


2 輝くあだたら ささやく瀬音
  あの鳥 この花 幸せ歌う

  ああ うるわしい 故郷は
  やさしい母のまなざしか
  育てよ我らの 郡山 


3 働く喜び 夕べの祈り  
  あの星 この窓 楽しいまどい

  ああ やすらかな 故郷は
  溢れる夢の ゆりかごか
  栄えよ我らの 郡山

2018年6月 6日 (水)

郡山のいわく付きの場所

 今回の記事は、「郡山市民を恐怖に陥れるつもりなど毛頭ない」ことを冒頭で断っておきたい。
 人口32万人を超える中核都市である我が郡山市は、私がこよなく愛する街であると同時に、50年以上前から街の移り変わりをつぶさに見て来た私としては、発展は目を見張るものがあるし、かつて「東北のシカゴ」と呼ばれるほどヤクザが多く治安が悪かった時代は消え去り、今では「楽都」としての地位を確保し、安心して暮らせる緑多き明るい街になった。

 そんな中、どこもそうだろうが、気をつけて貰いたいスポットというのもある。今日はマイナスイメージかもしれないが、大好きな街だからこそ、心を鬼にし、そんな曰く付きの場所を取り上げたい。ただし悪意はないのであしからず。
 5月29日(火)公開の「郡山ゴーストタウン?!」に続くマイナスイメージ記事だが、あまりめくじらを立てずにご覧ください。

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 1 血塗られた町?!

 国道49号線沿いに「桑野」という地区がある。平成に入ってその区域で立て続けに3件の殺人事件が発生した。しかも半径500m以内だ。ビリヤード場、スーパーマーケット、そしてカラオケスナックだ。
 また、バブルの頃、この一帯には高層マンションの建設ラッシュがあり、完成後、そこから投身自殺する事件が複数件起きた。郵便局至近のハウジングメーカーの展示場で幹部社員が自殺したり、なぜだか不審死や変死、孤独死、事故も多い土地柄だ。
 ここに暮らしている方には申し訳ないが、開成山大神宮から見て「北東」にあたり風水的にも良くない、つまり「鬼門」にあたるという。

 詳しくは「大島てるの事故物件」サイトをご覧ください。私の記事がホラ吹きなどでないことを理解してもらえると思う。下の火災のようなマークが事故物件だ。この図だけでも10件もあるのだ。

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 平成31年1月12日には、図の上のほうにある「並木」の産婦人科病院に併設する住宅で、ここの医院長が息子に首を絞められて殺害される事件が発生した。やはりこの界隈は、殺人が集中して起きる不思議スポットだ。

 ニュース記事 https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20190113/6050004035.html
 
 事件の概要  https://trend-usagi.com/inui-seigo-suspect/

 大島てるの事故物件 http://www.oshimaland.co.jp/?p=pdxb28w0

 事件現場は「福島放送」の交差点を挟んだ北東側

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 2 公園が危ない?!

 開成山公園、酒蓋公園、麓山公園など古くから郡山にある市民のオアシス的存在だが、そのいずれでも首吊り自殺があった。
 開成山公園は五十鈴湖の赤い橋の北側に藤棚とベンチがあるが、そこで2004年5月28日の早朝、元市議会議員の男性が死んでいるのを散歩中の人によって発見された。

Fujidana
 
 酒蓋公園は震災以降、異様に放射線が高いホットスポットとして全国的に有名となったが、実はそこのトイレなどでも複数回首吊り自殺があった。池でも溺死体が見つかっている。

 https://www.youtube.com/watch?v=7L4oDylW4Ys
 
 さらに麓山公園内の神社がある小高い場所でも、もう40年ほど前になるが、雑木林で首を吊った男性が発見された。ここは巨大な慰霊塔や動物の慰霊碑があるなど不気味で昼に訪れても鬱蒼として人影が少ない。
 私にとってここは鬼門中の鬼門で、小学生の頃、脚を5針縫う怪我を負ったし、彼女との初デートで失敗した場所でもある。ろくなことが無かった不運スポットだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=xRgdeu-jG4o

 そして市内西部の外れにある逢瀬公園でも怖い事件があった。東側の駐車場で、暴力団員が男性を集団で殴る蹴るなどして殺害した。

 詳細はコチラ

 また、市内西部の待池台は工業団地として有名だが、平成24年7月、その一角にある池で、夜中に釣りをしていた若者が酒を飲んで池に飛び込み、溺死する事件が起きている。

Machiikedai

 市民のオアシスであるべきはずの場所でこのようないわく付きの事件が起こっていることを知る市民は少ないと思う。

 加えて、公園ではないのだが、東山霊園も夜に訪れては危険な場所だ。昭和の頃は、ここで暴走族の集会が開かれたとよく聞くが、このような死者が安らかに眠る場所で、そのような罰当たりの行為をしたとは正気の沙汰ではない。今は、放射性物質や汚染土が市内各地からここに運ばれ、かつて400mトラックがあった運動場に、多数のフレコンバックが所狭しと山積みになっている。死んだ後も汚染物質に苛まれ、おちおち永眠もできない。 

Higashiyama

 ほかにもR49沿いの富田町にある親水公園で、去年、死んだ赤ちゃんが放置されているのが見つかった。
 郡山市内には大小数多くの公園があるのだが、こうした事件や事故が多いと、訪れるのを憚りたくなる。

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 3 磐梯熱海駅前周辺は大丈夫か?

 私が4歳の頃、真冬の2月に磐光パラダイスとその隣接するホテルで大火があった。宿泊客ら31名が焼死する大惨事となった。その後、磐梯グランドホテルが再建築され、長らく営業を続けてきたが、平成に入った頃に廃業となった。

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 その後、しばらく更地となっていたが、今年、なんと「ほっとあたみ」という熱海多目的交流施設として生まれかわった。水を差すようで心もとないが、地鎮祭はしていると思うが、かつて31名もの死者を出した場所に人工芝のサッカー場を建設。過去の火災事故を知る者としては、地縛霊の祟りで怪我人が続出しないことを祈るばかりだ。
 しかもここには、過去の大火災事故の事実を包み隠すように、慰霊塔も慰霊碑も何も建立されていない。地縛霊の祟りが起きないのが不思議でならない。

 火災のニュースはコチラ

 熱海小学校の北側にある「常圓寺」がその火災で焼け出された焼死者の遺体安置所となった。

 また、磐梯熱海温泉では、別のホテルでも2006年10月に、「日本JC全国会員大会」の会場として使われた際、その夜の宴席で、35歳の男が場を盛り上げようとして38歳の男性の頭髪にウォッカをかけた上に火をつけて焼き殺す事件が起きた。詳細はコチラ
 この事件では傷害致死事件として処理され、酒に酔ったおふざけとはいえ、実際に殺人を犯しておきながら、犯人は懲役2年6ケ月という軽すぎる判決で済まされた。故人とその遺族はたまったもんじゃない。

 さらに、今は廃墟と化している「河鹿荘」での骨壺事件は有名だし、磐梯熱海駅前にある、今は使用していない老舗温泉旅館では、肝試しに入った男性2人が、死体を発見する騒ぎが起きている。
 

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 4 郡山城の在り処は?そして・・・

 郡山市の北の方に若葉町というのがある。かつてコマツ醤油があった北下がりの坂道は夏に「鬼子母神祭り」という横断幕がかけられるが、そこは「法現寺」がある一帯なのだが、正しくは「如宝寺」関連の墓地だ。
 そこからうねめ通りを挟んだ向かい側(西ノ内一丁目地内)にかつて郡山城があったとされている。今は公園と隣接して老人介護施設になっているが、ここもいわく付きの場所だ。
 城があったということは、かつて伊達政宗率いる軍勢と逢瀬川を挟んでにらみ合いがあった。もちろん多少の合戦(郡山合戦)はあったろうから、死者も出ている。落ち武者の霊を目撃したという噂が止まない。証拠に乏しいが、開発工事の際に土塁跡などが出て来たことから、ここに史跡があったのは間違いないようだ。

 郡山城に関する記事はコチラ

 http://www.koriyama-bunkaisan.jp/story/story05.html

 http://atenzasports23z.blog.so-net.ne.jp/2008-11-10-1

 ここは合戦があったとすれば、多くの戦死者を出した土地柄である。しかし、郡山市は、ここを遺構とせず、民間会社に売却し、住宅の分譲地として販売することを決めた。こんないわくつきの場所にマイホームを持てたとしても、絶えず戦死者や落ち武者など心霊の影に怯えて暮らせるのだろうか?

 また、墓地がある西側の、現在、シ○ズストアがある辺りは元、パチンコ屋だったが、その50年ほど前までは「屠殺場」だったのをご存知だろうか?この周辺は砂利道だった軍用道路(現在のうねめ通り)まで豚の血で真っ赤に染まり、絶えず悪臭が漂う場所だった。この近くに昭和初期から住んでいる義父から聞いた話なので真実だ。

 5 憩いの遊園地で死亡事故が2件も発生

 郡山の西部、郡山南ICの近くにあるのがカルチャーパーク。郡山市民の憩いの場所で、遊園地や体育館・屋外プールなどのスポーツ施設が充実した場所だ。
 しかし、そんなオアシス的なスポットで、実はジェットコースターで2件の死亡事故が起きたことを知る人は少ない。
 2004年の8月と2012年9月の2回、共に同じ場所で点検中の作業員が無人走行して来たコースターに挟まって命を落としている。保守点検中にもかかわらず、出発ボタンを押した人的ミスによる事故だった。

 新聞記事はコチラ   
 https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0802M_Y2A900C1CC1000/

 https://www.youtube.com/watch?v=IGm6Gev6Tic

Jetcoaster_accident

 蛇足だが、ここで犠牲になった社員は「福島県中央メンテナンス協同組合」から派遣されたのだが、ここの会社の所在は、やはり市内の桑野二丁目だった。

 6 夜訪れたら怖すぎる場所

 大町の阿邪詞根(あさかね)神社

 そもそも神社やお寺は夜に訪れるものではない。国道4号線から50mしか離れていない場所にもかかわらず、ここは昼間でも高い木立に囲まれ、薄気味悪い場所だ。しかも、その西向かいにあった「星総合病院」が移転したため、現在でも廃墟のまま放置されており、一層不気味さを漂わせている心霊スポットと化した。肝試しにはうってつけだろうが、その病院では数千人規模で患者が亡くなっている筈だから、霊感の強い人は何かしらの霊を見ることは間違いない。

 詳しくは「神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識」のHPをどうぞ!

 http://www.komainu.org/fukusima/kooriyamasi/asakane/asakane.html

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 7 未解決殺人事件(mixiの記事をそのまま引用)

 2000年1月18日夕方、郡山市大槻町に住むアルバイトの山岸亜世美さん(17歳)の行方がわからなくなった。
 山岸さんは18日、友人に「知人男性と会う」と話していた。同日の夕方には家族に「知人に会う、ちょっと出かけてくる」などと言い残して、知人男性が運転する車で出かけた。その後帰宅しないため家族が25日に捜索願を出した。また友人には数日前には「10万円ほど必要だ」と話していた。
 行方不明になった翌日の1月19日、山岸さんがアルバイトしているスナック近くの郡山市片柳町の路上に携帯電話が落ちているのを通行人が見つけた。道路に投げつけられたように一部が破損していた。携帯電話を調べると18日夜以降の通話記録はなかった。携帯電話は山岸さんが未成年のため、知人男性が保証人になっていた。
 携帯電話は1月に発見されたあと、家族のもとに戻された。しかし2月に入って家族が福島県の三春町内で紛失。遺体発見後(後述)に警察が紛失したと思われる付近を捜索して再び発見されている。
(遺体発見)
 2000年4月3日午後4時ごろ、郡山市逢瀬町の大久保川で、首と両手足をロープで縛られて死んでいる山岸さんの遺体が渓流釣りにきた男性によって発見された。川幅は約5メートルで水深は約40センチ。水量は少なく、遺体が上流から流れてきた可能性は低いと見られ、発見場所で遺棄されたものとみられた。発見現場では争ったような形跡は見られなかった。
 現場は郡山市中心部から西の猪苗代湖に向かう途中の山間地。市道の行き止まり付近で、周辺に民家は少ない。若いアベックが乗った車が夜に入り込んだりする場所だった。1月中旬まではこの場所へも車が入れたが、2月上旬の大雪で通行が出来なくなり3月下旬ごろまでは通れなくなっていた。発見2日前に渓流釣りが解禁されてイワナを釣る人たちが入ったことで発見につながったと見られる ・・・・・。
 遺体は額に鈍器で殴られたようなあとがあり、体の数か所を殴られるなど暴行を受けたあとがあった。解剖の結果、死因は首を絞められたことによる窒息死であることがわかった。死後約2か月と推定された。
 両手両足を縛った紐は、ホームセンターなどで購入できる「インシュロック」と呼ばれる特殊なものが使われていた。この紐は合成樹脂製で、電線を束ねるときなどに使われている。幅5ミリ、厚さは1ミリ程度の平らなひも状のもので、階段状の切り込みが入っている。片方の端の穴に、もう一方の端を差し込んで使用するが、ストッパーが階段状の切り込みとかみ合うようになっており、締める方向にしか動かない。一端締めてしまうと人の力ではなかなかはずせないという。
 山岸さんは外出時にはスカートをはいていたが、発見されたときには青色のジャンパーに水色のズボンを身につけ、厚底ブーツを履いていた。財布が残されていたが中に入っていた現金は残されていた。
(山岸さんとは)
 山岸さんは市内中学を卒業後、専門学校に通っていたが「働きたい」として自主退学。人材派遣会社に登録してアルバイトとして同市内のスナックや旅館などで接客業をしていた。中学校の同級生は1月17日に食事をしたときは変わった様子はなかったと話している。髪を染めて厚底ブーツを履いていた。コンビニにタクシーで乗り付けて羽振りが良かったという印象を周りに与えている。知人らによると行方不明になる前年の秋ごろから年上の男性と交際していたという。明るくて人なつっこい性格。中学校時代はソフトボール部に所属していた。
(捜査)
 自宅に数か月前から無言電話が相次いだことがあった。同じ頃男性の声で山岸さんを中傷する電話もあった。事件前年の秋には自宅の電話番号を変更したという。
 山岸さんの広い交友関係で犯行可能性のある対象者が広がり、捜査を難しくしている。仕事柄、携帯の電話番号登録数も数百件と多く、そのほとんどが匿名だったことも交友関係の捜査を難しくさせた。
 遺体を縛った特殊な紐は地元のホームセンターでは一か月に30本ほどしか販売されないもので、購入者の特定なども行われたが犯人の絞り込みにつながるような結果は出ていない。

 この記事は、もう事件発生から18年も経っているのに、一向に解決されず、風化されるのを危惧して掲載した次第だ。一日も早く犯人が捕まってくれることを願うばかりだ。

 8 郡山の怖い道路事情

 郡山市は国道4号線と国道49号線が交差している。4とか49は「人の死」を連想させ、縁起が悪い番号とされている。福島県内には、ほかに福島市には国道13号線もあるし、阿武隈山系を貫くように国道349号線が走っている。ここまで福島に不吉な数字の国道が走っているのは何か因縁でもあるのだろうか。偶然にしては集まりすぎている。
 私が生まれた昭和30年代後期は、国道4号線がようやく舗装された頃だったが、昭和40年代の「モータリゼーション」の発達によって、高度経済成長と相まって、急激に交通量が増えた。よって主要国道が交差するその周辺は、交通事故が頻発した。
 よって昭和47年にその交差点の南西側に警察署を移転した。それまでは、郡山警察署は今の消防署の北隣りに隣接していた。当時、新産業都市に指定された割に、小さな庁舎だった。交通戦争に対処するため、そしてヤクザ対策も早急課題であったことから、手狭になったため、移転したようだ。
 こういうことを考えてしまうと、怖くてハンドルを握れなくなるが、郡山の国道・県道・市道・バイパスなどでは毎年、交通死亡事故が複数件発生している。そこは予期せぬ死に陥り、成仏できない霊がさまようスポットでもある。
 私などは、「死亡事故発生現場」という看板が出ていたり、路上の花束、それからかつて死亡事故が起きた場所を通過する際には、必ず合掌している。
 近年、国道での自殺行為が発生した事案を紹介したい。

 2017年7月5日、国道4号線あさか野バイパス付近で血だらけの女性が倒れているのが発見されました。高架橋から飛び降り自殺をして車にはねられたそうです。

 その模様はこちらのサイトをどうぞ!http://nakayoshi-togi.com/post/567

 亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

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 今日の記事は、やや怖くて郡山市にとってはマイナスイメージになる。しかし、予め知っていれば、「君子危うきに近寄らず」ではないが、近寄らないだろうし、ある意味「覚悟」というものができる。

 変に恐怖心を煽るつもりはないが、郡山にある注意すべきスポットを知り、安心して暮らせるようにしていただきたい一心でしたためたまでだ。

2018年5月29日 (火)

郡山ゴーストタウン?!

 タイトルだけを見れば、我が街・郡山は過疎化が進み、ゴーストタウン化しているような印象を与えるかもしれないが、決してそうではない。ではなにゆえこのようなマイナスイメージのテーマで記事をしたためるのか?

 それは郡山の中心市街地のみならず、市内北西部に位置する「磐梯熱海温泉街」でさえ、もう使われなくなった店舗や廃業した旅館が廃墟化している。解体費用も膨大に嵩むことから、醜くもそのままの姿で放置されている現状を危惧してのことにほかならない。

 ではさっそくタイトルに掲げた内容を実証したい。

 1 太田記念病院(中町)

 歴史は古く、明治28年に郡山市の中町に医院を開設。昭和32年に、今廃墟として残されている病院の建物が竣工した。
 1989年9月、太田西ノ内病院へ移設。1989年10月熱海総合病院を太田熱海病院に改称。2009年3月閉院。(廃墟検索地図の記事より)

 ここは私が幼少期から中町にあった郡山一巨大な大病院。子どもの頃は、救急指定だったこともあり、「ここに運ばれれば死ぬ」という悪評まで立ったが、これがなければ郡山に巨大病院はなかった。太田一族は、先祖代々、親戚までもが医師の家系で、市内各地で大小多くの病院経営を行っている。現在は太田西ノ内と太田熱海病院を展開している。
 歴史が古いだけに、移転するまでの42年の間に一体何人の患者がここで亡くなったのだろうか?死者のさまよえる魂が浮遊しているかもしれない。ここを解体し、いったん更地にして再開発しても何かしらの非科学的な現象が起きるかもしれない。
 まして郡山にあった「室塚医院」(虎丸町)や「本多記念病院」(並木)のように、解体後、マンションにするのだけは勘弁して欲しい。怖くてそんなマンションには住めない。

Otakinen

 なお、念のためだ群馬県にある太田総合病院とは全く関係が無い。

 2 星綜合病院(大町)

 郡山市大町2丁目に病院があったが、建物の老朽化が進んでいたため、2011年1月に新築移転の認可が行われた。その後、同年3月11日の東北地方太平洋沖地震で建物が大きく被災している。現在も解体はされておらず、当時のまま残されているが、地震の影響で、渡り通路が空中でぶら下がったまま朽ちている。敷地内はバリケードで囲まれているため、落下物の犠牲になることはないが、巨大な渡り通路が落下するのも時間の問題だ。

 新病院はかつて福交ゴルフガーデンの打ちっぱなし場があった跡地に建てられた。土木工事で化学薬品が大量に検出され、一時工事がストップした。
 となりがアミューズメントパーク「ラウンド1」で、東部幹線道路を挟んだ東側は昔、火葬場だった場所。よくこの場所に巨大病院を建設したものだ。
 名前の通り、上空からこの大病院を見ると、「星形」をしている。大町の時には高層ビルが2棟あったが、5階建てだが、低く感じる。
 各フロアともに明るく、開かれた病院という印象が強い。
 ちなみに、ここの星北斗理事長は、何を隠そう、私の中学校の1つ上の先輩だ。何度も話したことがある。全校生を前にして、「電子レンジ」の仕組みを説明し、マイクロウェーブ波の特性について解説するほど頭が良かった記憶がある。
 また、私の2人の子どもはここの産婦人科で誕生したし、耳鼻科によく診察券を取りに行ったものだ。

Hoshisougou

 3 寿泉堂病院(大町)

 私はここで診療を受けたことがあるし、母親が25年前に「一過性脳虚血」で入院した際に、何度も見舞いに訪れた。駅前の市街地にど~んと構え、昔ながらの古い佇まいを見せていた。後から増築したかのような迷路のような作りだった。

 しかし、その後、第2うすいの南側に高層病院として生まれ変わった。ここが怖いには、1階~6階までが病院で、そこから上層階がマンションで居住可能な点。一見、同じビル内に総合病院があるのは、病気の際ありがたく感じるが、病院というところは、大勢の患者が命を落とす場所でもある。その同じ建物内に住めるのだろうか?そしてここは救急指定病院になっており、夜中だろうが何だろうが、救急車のサイレン音がけたたましく、安眠妨害も甚だしいはずだ。
 駅前に建ったロイネットホテルやアパホテルからこの廃墟が丸見えで、宿泊客は、どういう気持ちでこの病院を見ているのだろうか?マイナスイメージは否めない。

Jyusendou

 この3大病院廃墟については「Webログ郡山」に詳しく書かれています。

 http://weblogkoriyama.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

 郡山には他にも「南東北病院」という巨大病院が存在している。福島正徳先生が来て脳腫瘍の鍵穴手術をするので有名だったが、最近は、院内感染で死者を出し、悪い評判が立った。ここには廃墟はない。富久山~八山田界隈に次々と病棟を増設し、さらに巨大化している。

 他にも病院だった場所は、並木の「本多記念病院」や郡山警察署斜め向かいの「福島中央病院」(図景)、「旧国立郡山病院」(希望ヶ丘)、「保科医院」(細沼)などがあるし、泌尿器科系の斗星堂病院(清水台)もあった。

Hondamemorial

 4 うすい百貨店女子寮(多田野町)

 今から30年以上も前まで使われていた老舗百貨店「うすい」の女子寮。なんと中心市街地から15kmも離れた多田野町の田舎に建てられた。まるでうら若き女性達を隔離しているかのようで、三森峠に向かう手前の辺鄙な場所にある。学校のような作りだが、投じはここで集団生活を送っていたのかと考えるとおぞましい限りだ。周辺には墓地があるし、街灯も店などもない。夜中に怖くて外出などできない。
 中に入ったことがないので、内部は不明だが、不心得な人が不法に入り込んで内部を撮影したようだ。外観もそうだが寮というよりもまるで学校といった佇まいだ。

Usui3
Usui2

 5 河鹿荘(熱海町)

 ここも30年以上も前に廃業した老舗ホテル。奥行きが無く、今で言う「アパホテル」のような造り。夏場は雑草がぼうぼうで、足を踏み入れるのを憚りたい朽ち果てた状態。客室の窓は割れ、浮浪者が入り込んで生活していそうな佇まい。一時期、肝試しや廃墟マニアが入り込んで、骨壷を発見したという噂があったが、それは真実だった。
 私は怖くて足を踏み入れたことは無い。というより、不法侵入で逮捕されるのが関の山。

 6 磐梯熱海駅前の閉店したスーパー

 今から20年くらい前、まだ営業していた時に、店で買い物した経験がある。昔ながらの地元密着の良心的な店だった。今は建物自体は残っているが、物寂しい有様だ。この近くの元湯温泉旧館も廃屋になっているが、そこで肝試しをしていた男2人が、遺体を発見して騒然となったのを新聞記事で読んだ。

 いつのまにか撤退や廃業して規模縮小や無くなった店

 ワークマン・・・今は大槻町、安積町荒井、富久山町、小原田の4店舗のみ

 コメリ・・・富久山町、守山、希望が丘の3店舗 かつては7~8店舗あった

 ビバホーム・・・今では針生と桑野のみ かつては安積、喜久田、横塚にもあった

 カンセキ・・・ホームセンターだが、かつては新さくら通りの堤と亀田にもあった。しかし、
        ビバ、カインズ、ケイヨーD2、ジョイフル山新、ダイユー8などホームセンター
        激戦区の郡山にあって、あえなく撤退した。

 リオンドール(旧ライオンドー)・・・会津が本拠の大型スーパーだが、今や郡山市内には
        西田町に一店舗あるのみ かつては備前舘や新さくら通りにもあった。

 スキーショップ・・・ビクトリア(朝日)・アルペン(桜木)

 味の民芸・・・かつては長者や安積町荒井にあった。福島県からは完全撤退

 サンショー・・・イゲタストアから名称を変えて事業拡大したスーパー。東部幹線沿いの今
         や「ペップキッズ郡山」がある

 半田屋・・・東部幹線の横塚にあった仙台が本社のセルフ型レストラン。私の行きつけだ
       ったが、1年ほど前に撤退した。

 何か栄枯盛衰を感じてしまう。流行り廃りが著しい現代において、市民に愛され残る店と、切り捨てられる運命だった店や建物。この差はあまりにも激しい。

 ひとつ気がかりは、そうした店舗で働いていた従業員はどうなったのだろうか?解雇されて、仕事を失ったのか。それとも配置転換で別の店へ異動になったのか・・・。

 

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