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郡山の話題

2020年9月25日 (金)

郡山の企業・学校の創設日一覧

 中央からの流入ではなく、郡山市に根差した企業や学校がある。私は、市街地の中心部で生まれ育ち、かれこれ半世紀近く郡山市に暮しているため、郡山に関する記事を書く時は、思い入れも一入だ。

 昔あった店が閉店したり、街の風景が変わっていくのを見ると居た堪れない。今日は、タイトルの通り、郡山にある、あるいはかつてあった企業(店)や学校がいつからあるのか、その創業日や開業日、開校日をランダムに列記したい。何かの参考にしていただけたら幸いです。

 <企業・会社・店舗等>

 ヨークベニマル 1947年6月12日(創業73年)

 大東銀行 1942年8月18日(創業78年)

 うすい百貨店 1662年(創業468年 物産問屋)設立は1970年(50年)

 津野呉服店(津野デパート) (1969年創業ー1987年廃業)

 郡山信用金庫 1924年3月8日 (創業96年)

 福島県商工信用組合 1954年10月1日(創業66年)

 小田原屋 1933年(創業87年)

 宝来屋 1906年(明治39年)(創業114年)

 コマツ醤油 2004年に神明町の工場を喜久田町に移転創業

   ゼビオ(サンキョウ)1973年7月5日(創業47年)

 柏屋 1952年(設立68年) 創業は1852年(168年) 

 三万石 1962年(設立52年)創業は1946年(74年)※かつては「三万石不二屋」の屋号だった。

 フルーツショップAOKI(青木商店)1924年(創業96年)設立は1950年

 幸楽苑 1970年11月11日(創業50年)

 笹の川酒造 1765年(創業255年)

 佐藤酒造店 1710年(創業310年) 藤乃井

 大友パン 1924年(大正13年 創業96年)

 西部自動車学校 1963年5月29日(創業57年)

 郡山自動車学校 設立年不明

 中央総合自動車学校 1956年(創業64年)

 富久山自動車学校 1964年8月26日(創業56年)

 昭和ドライバーズカレッジ(昭和自動車学校)1950年(創業70年)

 ホテルハマツ 1991年(創業29年) 濱津衣裳店・はまつ典礼は1953年設立(創業67年)

 西条タクシー 1967年2月18日(創業53年)

 郡山タクシー 1955年10月28日(創業65年)

 クラブタクシー(クラブ自動車)1918年8月(創業102年)

 郡山眼鏡院 設立年不明(創業48年)

 よしだや 設立年不明 (創業40年)

 やまのい 設立年不明

 テアトル郡山 1954年開館(創業66年)

   福島中央テレビ 1969年5月開局(創業51年)

 福島放送 1981年開局(創業39年)

 <病院>

 太田綜合病院 1895年開院(創業125年)

 寿泉堂病院 1887年8月20日開院(創業133年)

 星総合病院 1967年開院(創業53年)

 総合南東北病院 1981年12月1日開院(創業39年)

 土屋医院 1965年10月1日開院(創業55年) 現在は七ツ池から山崎へ移転し「土屋病院」に

 坪井病院 1977年開院(創業43年)

 針生ヶ丘病院 1933年開院(創業87年)

 今泉西病院 1982年開院(創業38年)

 桑野協立病院 1974年開院(創業46年) 当初は桑野眼科診療所として開設)

 日東病院 1937年3月開院(創業83年)

 国立郡山病院 1945年12月開院→2004年に国立療養所福島病院との統合で閉院

 <学校>(小中学校は除く) 

 郡山女子大学 1966年開校 (創立54年)

 奥羽大学(東北歯科大学)1972年開校(創立48年)1988年に東北歯科大学から奥羽大学に名称変更

   日本大学工学部 1928年開校→1947年に工学部を郡山市に移転

 安積高校 1884年開校(創立136年)

 安積黎明高校(安積女子高校)1911年開校(創立109年)→2001年、男女共学化により現在の校名に変更

 郡山商業高校 1920年4月1日開校(創立100年)

 郡山東高校(郡山女子高校) 1923年4月1日開校(創立97年)→1998年男女共学化により郡山東高校に変更

   郡山高校 1977年4月1日開校(創立43年)

 あさか開成高校 1996年4月1日開校(創立24年)

 郡山北工業高校(郡山工業・郡山西高)1977年4月1日開校(創立43年)

 日大東北高校 1951年4月15日開校(創立69年)

 帝京安積高校(安積商業高校)1961年開校(創立59年)1988年に帝京安積高校に変更 

 郡山女子大附属高校 1957年4月1日開校(創立63年)

 尚志高校(日本女子工業高校) 1964年4月1日開校(創立56年)1990年から尚志高校と名称変更

   郡山理容学校 創立年不明

 郡山美容専門学校 1978年開校

 郡山ヘアメイクカレッジ 1996年に愛宕町に移転して創立

 日本調理技術専門学校 1992年開校(創立28年)

 太田看護専門学校 1958年開校(創立62年)

 ポラリス保健看護学院 1977年9月開院 (創立43年)

 郡山看護専門学校 1912年開校 (創立108年)

 東北歯科専門学校 1965年4月開校(創立55年)

 今泉女子専門学校 1920年開校 (創立100年)

 <公共施設>

 ビッグパレットふくしま 1998年10月設立(22年)

 総合体育館 1973年設立(47年)

 郡山市民文化センター 1984年11月設立 (36年)

 郡山市中央図書館 1944年に開館(76年)→現行館は1981年3月20日に竣工(39年)

 開成山球場 1952年10月1日開場 (68年)

 郡山市陸上競技場 開場年不明

 郡山市公会堂 1924年設置(96年)

 ユラックス熱海 1989年10月開館(創立31年)

 さて、我が街・郡山市に根差した企業なり、学校などが一体いつからあるのか、という疑問解決に少しは役立つ情報をお送りできたように思います。

 ここで宣伝をひとつ。これまで5年に1回の割合で出版&発売されている、郡山の昔の街並みを撮影した写真集がある。そこには、市民から提供された懐かしい写真を解説入りで多数配置して再現した写真集で、これまでに5~6冊程度販売された。今年、久し振りに限定1,500冊で新刊が発売されることとなった。

「写真が語る郡山・田村の100年」 

これまで9月8日と24日の折り込みチラシで宣伝されたが、そこには初めて目にする新しい写真が掲載されていた。その一部を宣伝に協力する意味で、2枚だけ紹介したい。

  1 「第2うすゐ」の屋上遊園地&プラネタリュウム

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 昭和30年代の写真という説明があるため、「丸伊」を買い取って再オープンした当初くらいに撮影されたもののようだ。うすいの向かい側にあった「トミヤ」には屋上に小さな観覧車があったが、まさか私が生まれる直前に、このような怖すぎる遊具が設置されていたとは・・・。もっと驚いたのは、プラネタリュウムまであったなんて・・・。二度びっくり。私が母親に連れられて「うすい」に行き始めたのが6歳くらい。昭和45年頃だ。だからこの写真のような遊具はもう撤去されていたと思う。私が知っているのは「第2うすい」の屋上は、外には出られず、フロアの5分の1くらいの屋内スペースに10円玉を入れると前後に揺れ動く自動車とか動物型の乗り物遊具しかなかった。この写真にあるほどの巨大な電動遊具はなかった。それに吊り下げ式の回転カプセルなど、鎖が切れそうで怖すぎる!この角度から判断して「トミヤ」の屋上から撮影されたと思われる。

 2 「津野百貨店」(デパート)

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 呉服店だった「津野」。それが百貨店化した頃の写真。ここまで大きく鮮明に撮影した「津野」の写真は初めて見た。この津野は、建物の内部も外壁も異質で、外壁は銀色のパネルのようなもので覆われていた。あまり窓が無く、採光は困難だった。それに建物自体が狭く、8階建ての割には、ひとつのフロアが複雑な作りだった。ここは洋服や着物、反物専門店だったので、特別な用事がある時以外は訪れることはなかった。
 中学生の学生服の取り扱い店になっていたので、私はここで「富士ヨット」学生服を購入した覚えがある。よって訪れる客は40歳代以上のご婦人ばかりで、地味な印象がある。
 ところで、この津野百貨店の創始者の津野嘉七氏は郡山市街地一円に土地を持つ、大地主だった。そこのお嬢様が私の姉の同級生で、とても仲が良かった。やはり純和風の日本美人だった。駅前大通りと4号国道の交差点(北東側)にあったため、一等地の目立つ存在だった。「津野デパート」が解体された記憶はないが、その後、「ホテル第一イン」となり、現在は大町眼科を併設する「クラウンヒルズホテル」になっている。百貨店のロゴマークが変わっていた。どう読むのか未だにわからない。

 他にも私が長年探し求めていた、かつて安積町にあった「郡山レジャーセンター」の前身、「郡山ヘルスセンター」の建物の全貌を撮り収めた貴重な画像も収蔵されている。やはり、郡山市のオールドファン必見の珠玉の一冊に仕上がっている。ぜひご予約下さい。

 この写真集は、1,500冊限定販売のため、市内の書店で予約を受け付けています。10月中旬に販売開始となるのでご予約はお早めに。私も知らなかった「郡山日活」や映画館「みどり座」などのオールドファンが泣いて喜ぶ写真も満載です。もしかして幼い頃の自分自身が写っている可能性もあり!

 写真は全部で600枚も掲載。A4サイズ280ページ 価格は9,990円(税込み)です。ぜひ購入し、昔の街並みを懐かしんでみませんか?

 最後に、郡山市役所が監修した「届け!みんなのエール」の動画映像をご覧ください。新型コロナから市民を救うために命がけで治療にあたっている医療従事者への感謝のメッセージが込められている。

  郡山市で生まれ育ったことを誇りに思える、そんな動画だと思う。この名曲を作ったGReeeeNはメンバーの出身地は違えど郡山のこの地で出会った。こんなに素敵な曲をこの世に送ってくれたことに感謝して今日の記事の結びとしたい。  

2020年9月18日 (金)

改良求む!郡山市内の危険交差点(さくら通り以北)

 今年8月28日付で「郡山市北部エリアの違反多発スポット」という記事を掲載した際に指摘したが、我が愛する郡山市には交通違反が多発するスポットがある。と同時に、そこは交通事故が頻繁に起きる場所でもある。私は郡山警察署管内の郡山市の南部である安積町方面に行く機会はほぼゼロなので、存じ上げないが、北部エリアは自らが居を構える地域なので、また、毎朝通勤で通る道であるがゆえに、危険個所を熟知しているつもりだ。そこで今回は、交通事故が起きやすい物理的欠陥のある交差点を指摘したい。市の道路管理課の方は、ぜひ今回の指摘を重視してほしい。ぜひ改良を求む!

1 労働福祉会館の南東側の交差点

 ここは優先道路が逆である。交通量が多く、道幅が広い東西道路側に一時停止「止まれ」があり、カトリック教会から21世紀公園まで通じる交通量が少ない南北の道路が優先になっている。しかも南北側からの通行車両が狭い道路にも関わらず、かなりのスピードでこの交差点に進入し、通過して行く。道幅が広くて左方優先側が一時停止という、危険極まりないワースト交差点だ。(地図をクリックすれば拡大できます)

Hosonumamachi

 私は上の地図の右から左に走って来て問題の十字路で何度もヒヤッとしたことがある。ちゃんと一時停止したのに、横から相当なスピードでこの交差点を横切って行く。いつ衝突事故が起こっても不思議ではない。

2 悪魔の交差点と呼ばれる市役所(旧庁舎)北西側十字路

 ここは信号がなく、一時停止の点滅もない、さくら通りから右左折し、本庁舎と西庁舎を結ぶ渡り通路の下を潜った直後の十字路交差点が問題の場所。この付近の住民は幾度となく車同士がぶつかる衝突音を聞いたことだろう。それくらい昼夜を問わず頻繁に交通事故が多発している地帯だ。それは動画サイトにも映像付きで紹介されるほど危険な交差点となっている。

Asahimachi

3 朝日町双葉町役場支所東側の十字路

 内環状線沿いの「ネッツトヨタ郡山」の南側の信号のある交差点を西に入り、次の十字路が問題の危険交差点。いびつな見通しの悪い交差点になっていて、斜めからぶつかるオフセット事故の名所と化している。ここは南北側が優先で、東西方向に一時停止の標識に加え赤い点滅の簡易信号が設けられているのだが、一時停止の車が停止線を越えてオーバーランしたところに南北方向の車が突っ込む構図。やはり朝日町と桑野界隈は、開成山大神宮の北東側にあたる鬼門のため、自殺や殺人で人が亡くなったり、事故が多かったり、人に危害が加わる区域になってしまう。

Asahimachi2

4 南東北病院北東側の旧4号線の交差点

 ここは朝夕を中心に交通量が多く、しばし右折待ちの車で長蛇の列を成す地点。しかも富久山町福原方面から対向して来る車両が坂道を登ってくるため、対向車がなかなか見えづらいことで有名。車が来ないと思って、交差点に右折して進入すると、突然対向車が現れる。何度もヒヤッとした記憶がある。それに赤信号に変わっているのに、無理やり右折して行こうとする車が多く、危険度MAXだ。

 この南東北病院の界隈は危険スポットが数多くある。北側の十字路交差点も信号が無く、看護師や患者が数多く歩いていて、車も横断歩道で停車しないことが多いため、車対歩行者、車対自転車の接触事故が多く発生する。それに巨大病院の北道路がメインのアクセス道路になるため、真冬は雪がなかなか解けず、凍結したりアイスバーン、ミラーバーンになって止まらない。追突事故も多い。ここを西から東の旧4号線に抜ける400mほどの直進道路を走行する際には時速30キロを厳守し、飛び出してくる車、歩行者、自転車には十分な注意とブレーキ操作の事前準備が必要だ。 

Minamitohoku

 5 長者町芳山小学校の北西側交差点

 ここは毎回注意する場所。私の母校である「芳山小」と「安積黎明高校」の間を縫うように通る狭い一方通行路。その交差点がとにかく死角が多く見づらい。昔釣り堀があった場所で、今でも南西側に同級生の写真館がある十字路。南北道路が優先で、一時停止は「二中」から「芳山小」の北側を通行する側にある。しかし、それを知らないドライバーは桃見台方面から南北に連なる側にも一時停止があるものと思い、右側から車が来ているのに、一時停止した直後に、交差点に突入して来る。そこで側面衝突が起きるのだ。

Cyojiya  

 6 旧星総合病院西側の旧4号線の交差点

 ここは清水台方面から坂を下って来て4号線を横断する車が危険。ここの青信号が極端に短い。にもかかわら交通量があって、赤信号待ちが長いために結構な車列ができる。毎回7~8台。しかし、青信号に変わっても10秒程度ですぐに黄色→赤に変わってしまうために、もたついている車がいれば3~4台しか通過できない。信号無視して無理やり渡ろうとする輩もいて、事故る確率が高くなる危険交差点だ。どうしてこんなに短いのか逆に疑問だが、ここは駅方面から来た車が夕方などは渋滞するため、できるだけ右折する側の信号を長く取っているように思える。

Omachi

 この地図で指摘した交差点よりひとつ北側の「うねめ通り」に折れる赤木交差点で、つい数日前にひき逃げ事件が発生した。逃げた運転手はその後逮捕されたが、この界隈は交通量がおおいせいか事故多発地帯となっている。駅東側の星総合病院の南向かいにあったパチンコ「niraku」が閉店し、この大町(赤木)交差点の南東の角(旧パチンコガイア)に移転したため、パチンコ客の車が入出庫するため、車の流れがだいぶ変わったので、注意が必要になった。

 さて、本日は「さくら通り」から北側を中心に特に危険だと思える交差点を列挙した。今すぐ改良してほしいと願う。死亡事故が発生する前に。

 本日指摘した交差点はほんの一握りで、挙げたらキリがない。危険個所は先回りしても排除するのが行政や警察の仕事。重大事故が起きる前にその芽は摘み取って欲しいと願う。
 特に、小学生の通学路になっている場所で、規制速度を遥かに超えたスピードで飛ばす輩がなんと多いことか。いわき市出身のタレントの武田玲奈が「秋の交通安全運動」を前に、横断歩道に人がいる場合、停車して道を譲らないと道路交通法違反で処罰される内容のCMに出演し、交通法規遵守を訴えている。知らなかった人が多いかもしれないが、これはれっきとした違反なのだ。

「横断歩行者妨害等違反」

 横断歩道は歩行者優先で、停止を怠ると違反点数は2点(酒気帯びの場合は14点/25点)で反則金は普通車の場合は9,000円

 では、歩行者が横断歩道を渡ろうとしているのに停車しないで通過したために白バイに検挙された動画をどうぞ!

 悪質だったり、横断歩道を横断中の歩行者を撥ねたりする事故を起こした場合、3か月以下の懲役または5万円以下の罰金という、通常より重い罰則なのだ。反則金で済まず、赤切符で一発免停。しかも前科がつく事態となることを肝に銘じて歩行者の動向に注視して貰いたい。

Hokouyabougai

 警察も本気です!この秋は「歩行者横断妨害」を徹底的に取り締まる方針です。4年前に比べ、検挙数は倍以上です。

Keisatutoukei

 歩行者が横断歩道で横断待ちをしている時、福島県の車の停止率は極めて低く、全国が17.1%なのに、福島県は8.7%足らずと止まる率は半分程度だ。全国38位でワースト9位。確かに思い当たる節は有る。どちらが優先なのか理解していないドライバーがなんと多いことか。ちなみに1位の長野県は60%以上が停車して道を譲ってくれる。この差はどこから生まれ、何を意味するのか?心にゆとりや余裕がある証拠だ。

 私は毎朝、駅近くの立体Pに駐車し、仕事場のオフィスビルに行くのに道路を横断するが、歩行者を見つけると、減速するどころか「どけどけ」と言わんばかりに逆にアクセルを踏み込んで歩行者を蹴散らそうとスピードアップして突っ込んでくるドライバーがいる。今度、スマホで動画撮影して「YouTube」に上げてやろうかと思えるほど、酷い輩がいる。郡山市民の法規範遵守の意識も地に落ちたものだ。

 以前、奥羽大学の横断歩道で、歩行者が待っていたので止まったのだが、歩行者が横断を始めているのに、対向車が突っ込んで来て、危うく横断中のおばあさんを撥ね飛ばすところだった。
 また、別の日は、同じく一時停止して歩行者に道を譲ったら、後続の車がイエローラインを逆走し、私の車を追い越しにかかり、横断中の母娘とぶつかりそうになったこともあった。無知がゆえに、歩行者よりも図体がでかい車が優先だと勘違いしている輩がいかに多いことか。事故ってから後悔しても遅い。人を死に至らしめたら、一生「償い」という重い十字架を背負うことになり、平穏な生活は奪いとられることを十分認識すべきだと思う。

 特に、重点的に取り締まりをやって欲しいのが、病院や小中学校の前の横断歩道だ。

 ① 奥羽大学前の横断歩道
 ② 太田西ノ内病院の間の横断歩道
 ③ 総合南東北病院北側の横断歩道(二箇所あり)
 ④ 行健小学校前の横断歩道
 ⑤ 神明通り、咲田のコンビニ前の横断歩道
 ⑥ 若葉町咲田橋の横断歩道 

 たぶん1時間で5~6台は検挙されると思う。特に小中学生の登校時間に合わせて取り締まれば一網打尽だ。歩行者横断妨害は立派な違反であることを知らしめるいい機会だと思う。9月21日からの「秋の交通安全運動」でぜひ実施してほしい。


 ちなみに私は動画サイトで、時々、交通死亡事故の映像やドライブレコーダーの事故映像を見て戒めにしているし、またどういうケースで事故が起きるのか、日々勉強している。幸い、私は学生時代に自動二輪(バイク)を運転していたため、普通のドライバーよりも命を守るとっさの判断力が備わっていると自負しているし、交通ルールにも注意を払っている。運転中はいかなるケースをも想定し、それに対応できる準備と心構えをとっている。見通しの悪い十字路や丁字路を走行する際は、たとえ優先道路だったとしても通過する際にアクセルペダルから足を離し、ブレーキペダルの上に右足を置き換え、いつ車や人が飛び出しても即座にブレーキを踏めるよう準備している。

 また、停車中のバスの右側を通過する際には、バスの右先端部の下に目を配り、人影が無いか見極めながら通行している。また、当然ながら、交差点を左折する際には、巻き込み確認を欠かさないし、すれ違う車の状況でこの先の道路状況を知る手立てにしている。例えば、対向車がワイパーをつけたままだと、進行方向先は天気が崩れるとか、対向車線側の道路が濡れて来たらこの先は雨とか、そういう具合だ。常に先読みする姿勢が事故を未然に回避する対策になることを是非、知った上で実践して欲しい。

 「注意一秒ケガ一生」なる交通標語がかつて存在したが、ちょっとした油断が加害者にも被害者にもなり得る。取り返しのつかない事故を起こす前に、もう一度自分の運転マナーなどを見直す契機にしてほしい。

2020年9月 9日 (水)

郡山周辺にある「マル珍な造形物」

 本日の記事は倫理上「閲覧注意」事項が含まれております。すべて自己責任でお願いします。

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 郡山やその周辺地域には、まだまだ見知らぬ物がたくさん存在している。学生時代と初任の勤務地以外、郡山に足掛け46年間も暮らす私ですら、知らない情報や事象が数多く存在する。
 私の拙いブログを愛好して下さっている「hebtame」さんからコメントで怪情報をお寄せいただき、さっそく日曜出勤の代休だった9月8日(火)にその謎の造形物を取材に出向いた。何もわざわざ私の〇〇回目の誕生日に行く必要などなかったのだが、ブログネタになるし、せっかく貴重な情報をいただいたので、あまりうるかして置きたくなかった。

 では、今回は少しエッチ?な造形物になるが、その謎に迫りたい。その情報によれば、問題の石像があるという場所は、郡山から西南西の方角に20kmほど行った県道67号(中野須賀川)線の「ローレルバレイカントリークラブ」から湖南方面へ川沿いに行ったところにあり、県道沿いではなく、脇道に入った場所に鎮座しているというのだ。迷うかもしれないが、実際に自分の目で確かめたかった。

 そのルートというのは、羽鳥湖経由で下郷方面に抜けたり、20代の頃は「羽鳥湖スキー場」に行くときに通っただけの、いわば通過点だったので、まさかゴルフ場の周辺に、そのような卑猥な石像があるなどとは思わなかった。

 実際に「ドスケベ」と思われようが、本当にそんな得体の知れぬものが存在しているのか、単なる好奇心だけが私を突き動かしていた。

 では、当日の顛末記だが、実は、この日は4時間しか寝ていない極度の睡眠不足だった。理由はたった1匹の蚊だった。23時半頃、就寝したが、夜中1時半頃から全身5〜6ヶ所を刺され、痒くて仕方なかった。かゆみ止めを塗り、何とか蚊を仕留めたが、今度は2時過ぎから隣りの家の夫婦が大声で言い争っていて、その怒鳴り声がうるさくておちおち寝ていられなかった。気を紛らそうとiPhoneでブログ記事を書いていたら4時になっていた。

 その後、ウトウトしたものの、6時前に起床したら、持病のギックリ腰の症状が再発し、体調面で不安があった。なのにそれでも強行。

 朝8時過ぎ、いつもの「Big」で食料を調達した後、通勤ラッシュを避けて朝9時過ぎに出発し、問題の場所に向かった。以下時系列で記載。

 <9/8 (火)くもり/晴れ>

 9:04自宅発 4号バイパスを南下し、9:11、オーバーパスを下った先の交差点から柴宮方面へ斜めに折れ、田んぼの中の一本道を1kmほど南に走った。カカシロード  カルチャーパークの東側で郡山南ICに向かう道路に合流。あとはひたすら長沼方面である西に向かって突き進むだけ。

 9:19郡山南IC前通過。左折して三穂田温泉前。田舎道は交通量が少ない。だからスピードには注意した。どこで取り締まりをやっているかわからない。カエルの石像が道すがら置かれてあった。 

 9:28 東部郡山CC-9:30フクロウの像が。この辺りは石像パラダイス?きれいな白方小の横を通過。右折し、信号のある十字路を左折。

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 9:34 丁字路を右折して県道67へ 
 9:35ローレルバレイCC入口 幻の大滝へ4.5kmの分岐点。ゆっくり進む。貯水タンク2つ。山道へ。対向車来ない。クマ出そう。青空。

 行き過ぎた?と思って、通行止めの道でバックしてUターン。来る途中、その手前の右側に見かけた、半円状の側道(脇道)に古い木造の朽ち果てたバス停のような小屋発見。

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 9:40着 25.3km(道に迷わなければ片道21.5km)

 県道の路肩にとめて、歩いて30秒。密かな問題のスポットに到着。「網取り不動」と刻まれた石碑があった。ここがどんな場所なのかも知れず、写メを撮りまくった。情報の通り、そこにあったのは、まさしく男女の性器を象った石像。かつて全国の温泉場に付き物だった「秘宝館」に出て来そうな代物。西田町高柴の「デコ屋敷」にも「性信仰玩具道六館」というのがあるが、そこにも多数のこうした男女の性器をモチーフにした展示物があったが。それにしてもなぜこのような卑猥なものがこんな場所に?これは県道沿いの人目につきやすい場所にあったなら、「子どもの教育に悪いから移動しろ」とかクレームが数多く寄せられ、嫌でも撤去の憂き目に遭いそうだ。

 人目につかない奥にあるから周囲は誰もいない。その在り処を示す標識も何もない。やっぱり不気味。設置した目的もわかりづらい。

 周辺は、2年前の夏に、周防市で行方不明になった藤本よしきちゃんがスーパーボランティアの尾畑春夫さんに発見されたような沢。後ろは急斜面の崖。薄暗く、気味が悪い場所になぜか「男根と割れ目」という取り合わせ・・・。幅員1.5mくらいの落ち葉に覆われ、濡れた側道しかそこにたどり着くルートはない。周りは木立で鬱蒼。なぜこんな場所に・・・。絶対に県道からは見えないので見過ごしそう。車もめったに通らない。ひと目に触れにくい脇道だからこそ、存在できるし、逆に捜索し甲斐があるというものだ。実際、その画像をここで掲載して良いものかどうか悩んだが、せっかくの情報だったので、敢えて公開します。

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 これを見た時に、若かりし頃、同じ須賀川の地で初めて目にした「ゴジラの卵」と「ゴジラの足跡」にも似た衝撃を受けた。しかし、これはどう見ても自然の造形物ではなく、人の手によって故意に築かれたものだ。作者の意図は不明だが、一体誰が何の目的でこのような怪しすぎる石像を建造したのだろうか?よっぽどの「好き者」か「芸術に酔いしれる俗者(変わり者)」でないと、こんなオブジェは製作できない。もちろん、作者が誰かなどと突き止めようもなかった。隣りに建つ石碑には「家庭円満」「健康増進」なる文言が刻まれてあったので、「子宝祈願」を含めた願掛けや信仰のような意味合いから建立されてあるように思えた。男根の両脇にはちゃんと袋が2つ寄り添っていた(笑)。

 しかし、現地を訪れてみると、目の保養というより、変わりダネという感じしかなかった。何より、いくらネタ探しとはいえ、いい年こいたおっさんが、片道25km、30分以上もかかる、このような山奥の場所を目指して車を走らせ、「現地でいやらしい石像を前に写メを撮っている自分って何なのか?」と自問自答した時に、情けない感情を抱いたのは言うまでもない。まさに「マル珍(チン)」の話題だった。

 しかもヤバイのは、周辺は今にもクマが出そうな山林。もしクマに襲われて、そんな場所で命を落とし、遺体で発見されたりでもしたら一大事だ。
 「哀れ中年男性、欲情の果てに男女の性器像の前で孤独死!」なる見出しで新聞の一面を飾り、末代までの恥さらしとなるところだった。身内は恥ずかしくて葬式も挙げてくれなかっただろう。
 
 何せこの日、家内にも内緒でこの場所を訪れていたのだから、「なぜそんな場所で主人が発見されたのか?」と疑問に思うだろうし、事実を受け入れられず、どうしても信じることが出来ずに「絶対に主人である筈がない!人違いです!」と訴えるだろう。

 でも投稿してくださった「hebtame」さんの情報に報いることが出来て何よりだった。

 時間があれば、自尊心を取り戻すのに、今が旬で盛りの「布引高原のひまわり畑」を見物に行きたかったが、実際には給油ランプが点灯しそうだったために、弾丸往復となってしまった。

 ここで異変が・・・。一度も異常を来したことがないナビが突如狂う。触れていないのに勝手に地図をスクロール。ヤバい。AV(ラジオやテレビ・CD)も切り替え不能に・・・。何かの祟りか?

  9:46現地発ーカントリークラブから2kmの地点にある。信号のある丁字路を左折して県道29へ。ジェットコースターのようなアップダウン道路。

10:00 南ICへー柴宮経由ー10:08バイパスに乗り、10:14帰宅 ナビ動作受け付けず、ロックかかった状態に 往復48.1km

 仕方なしに、10時14分には自宅に戻った。本音を言えば、7月に胆石の開腹手術をして入院加療し、退院して2か月近く経つが、まだ傷痕がキリキリ痛むなど、体調が本調子には程遠く、ロングドライブも正直避けたかった。 

 帰宅後、ナビいじるが、解決しない。ネッツへTEL 13時予約 ナビのロック解除に2,300円だと+オイル交換。バカな・・・。自分でいじったのが原因でロックしたんじゃない。機械が勝手に動いているだけ。どこか長押しで直る筈。とんだ誕生日となってしまった・・・。

 PCでブログ編集 撮影したデジカメの画像がピンボケ・・・。絶対におかしい。あのスポットに何か怨念めいたものがあるに違いない。

 以前、須賀川の女祈祷師による信者殴打殺人事件の現場を取材に行った時も、一度も壊れたことが無い「SANDISK」のSDカードがぶっ壊れた。それと同じような強い怨念を感じた。

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 ところで、私がそっち系で発見した自然の造形物では、岩壁に張り付くようにある「男根」の形をした巨大な奇岩が最たるものだ。それは磐梯熱海ICから北に700mほど行った高速の高架橋と交差した先にある広い路側帯(右側の墓標や石碑のようなものがいくつか並んで置かれてある場所)に駐車し、その北東側の山壁を見上げた場所にある。高さ20mくらいの場所にあり、どう見ても「男根の形をした自然の造形物」だ。しかも巨大で長さ7~8mくらいはありそう。まさに「巨根」で、女性が喜びそうだ。「拝むと子宝に恵まれる?」かもしれない珍スポットだ。もしかすると「都市伝説」のように謎が謎呼ぶ穴場としてSNSなどで脚光を浴びるかもしれない。それが下の画像。

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 画像ではわかりづらいが、実際に見ると、角度によっては本当に男のイチモツで、ちゃんと裏スジまである。女性は顔を赤らめて見上げるに違いない。まさに「チン座(鎮座)」している。
 これは10年ほど前に、たまたま私が見つけたもので、もしかすると、誰もそのその存在に気付いていないかもしれない。今から8~9年くらい前に、旧ブログで取り上げて、「私も行ってみた」という方も、もしかするといるかもしれない。現状を見る限り、これは人工物などでは断じてない。
 でもここまでリアルだと、ひょっとしてモザイク処理しないと放送禁止ならぬ掲載禁止なのでは?

 いずれにせよ、郡山市とその近郊にはまだまだ未知のものがうずもれているということだ。

 追記

 1時間ほど経ってエンジンをかけたら、ナビは何事もなかったかのように、元どおりに直っていた。その界隈だけ、ナビが狂うとしたらやはり何らかの見えざる力が働いていたのかもしれない。

2020年8月28日 (金)

郡山市北部エリアの違反多発スポット

 福島県警交通課や郡山北警察署にぜひ取り締まりをお願いしたい場所がある。私は通勤で八山田界隈から駅前に車で通っているが、違反車が蔓延っている場所、それに通勤以外でも毎回、平然と違反が行われている集中スポットがあるのを危惧している。いつ重大事故が起きても不思議ではない。

 ぜひ警察関係者は参考にしていただきたいし、ドライバーの方は、注意喚起としてご覧ください。

 1 歩行者横断妨害が多い(信号機のない横断歩道で歩行者がいるのに停止せず通過)

 ①奥羽大学前の歩行者用横断歩道(郵便ポストがある正面入り口)

 ②太田西ノ内病院前の横断歩道(渡り通路の真下の横断歩道)

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 ③行健中学校前の横断歩道

   ④総合南東北病院北側の通りにある横断歩道

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   ⑤若葉町咲田橋南側にある会計事務所前の横断歩道

  この5か所は局地と言ってよい。歩行が横断しようと待っているのに、ドライバーは気づいているのに一時停止しないで、何食わぬ顔で素通りして行く車がなんと多いことか。酷い輩になると、「どけどけ」と言わんばかりに敢えてアクセルを踏み込んで、歩行者を蹴散らすように飛ばして向かってくる無法者もいる。10年以上前、私が徒歩で内環状線とさくら通りの信号機付きの交差点にある横断歩道を青信号で渡っていた時、左折して来たおばあさん運転の車がノーブレーキで向かってきたため、撥ね飛ばされそうになったことがある。明らかに車の前方不注意で、停止する余裕すらなかったのか、あるいは端から自動車優先とでも思い込んでいたのかはわからないが、たまたま交通整理に当たっていた警官が警笛を鳴らし、その車を制止し、私を優先的に通行させてくれた経緯があった。

 しかしながら、これは立派な違反で、東京など首都圏では所轄や交通機動隊の白バイやPC、覆面が待ち伏せして違反者にはバッチバッチ切符を切る。違反点数は2点で、違反金は普通車の場合、9,000円になる。

 どんな場合でも弱者優先で、韓国や中国で横行しているような自らぶつかって来る「当たり屋」は別として、横断歩道を渡っている歩行者を撥ねたら100対0で運転者が過失責任を負うことになる。まして小学生や足の不自由な高齢者にぶつかりでもしたら、刑事罰、行政処分、民事の損害賠償など多くの多くの罰則が加害者に降りかかることを忘れてはいけない。

 おそらく、今までお咎めが無くやり過ごして来たドライバーは、ただ単に「運が良かった」などと思っていると、習慣的に同じ違反を繰り返している筈なので、長い目で見れば、いずれ取り返しのつかない事故を引き起こす。これまではヒヤリで済んでいたことも、やがては大きなしっぺ返しを食らい、「運が悪かった」では済まない事態を招くことになる。ハンドルを持つ以上は心して運転すべし。

 2 信号無視が横行する道路

 ①インター線沿いの富田庭球場前の交差点

 ここはとにかく信号無視が多発する場所。特に、郡山インターから市街地方面に向かってくる車が圧倒的に多い。信号が赤に切り替わって右折の矢印が出ていても、平気で直進して突っ切っていく。たぶん5回の信号で2~3台は信号無視して通過していく。ここの信号をやり過ごしたところで、その100m先のバイパス高架橋下の赤信号で引っかかるのだから、無視すれば捕まるリスクは高くなるだけ。何の得もない。
下の画像で左右に走っているのが郡山インター線。左奥の木立が「富田庭球場」の敷地。「ほっともっと」を左に折れればバイパス高架橋下の交差点。

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 ②旧4号線(ボウルアピア~イオンフェスタの交差点)

 交差点によく白バイが待機している。ということは違反が多い。特にイオンフェスタへの入口の交差点や「ホテル万松」前の押しボタン式信号機に待ち構えている。しかし、信号無視は後を絶たない。この信号を通過できても、すぐその先のデニーズの信号機が連動して赤になるので、信号無視したリスクの方が遥かに高い。

 ③富田中学校の坂の下のクリニックが集中する交差点

 しょっちゅうパトカーや白バイの甲高いサイレン音が聞こえる。信号無視や携帯使用などが主な違反だろう。ここも右折するのに赤信号になってから無理やり曲がって行く車がいる。しかも斜めに曲がって上り坂に向かうので、下って来て右折しようとする車と接触しそうになる場面を何度も目にした。実際にこの丁字交差点で起きる事故は年間複数件ある。だから警察車両が張り込んでいるのだろうが。

 3 高齢者が無理やり横断して車にはねられる道路

 ① 美術館通りの横塚のベニマル前

 ② 富久山ベニマル~総合南東北病院前の国道288号線(旧4号線)

 ③ 喜久田町安子ヶ島の国道49号線付近

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 過去何度も当ブログで取り上げて指摘した箇所。

①は今は無き「郡山薬師堂火葬場」との関連を指摘した。

②は信号機付きの横断歩道が少ない箇所で、高齢者が無理やり道路を横断しようとして車に撥ねられるケースが多い。こうした歩行者を前方に見かければ、減速するものだが、最近のドライバーは、わざと速度を上げて「どこ横断してんだこの野郎」的な乱暴な運転をする輩が多い。

③も同じ理由だが、旧磐梯ドライブインから添田自工、磐梯熱海へ向かうジェットコースター道路周辺は、50キロ制限から60キロ制限に切り替わるため、スピードアップした車が、横断する歩行者に気づくのに遅れ、撥ね飛ばす事故例が多い。

 4 一時停止違反が多発するスポット(踏切を含む)

 ① 備前舘の「トライアル富田店」の内環状線を挟んだ向かい側の細い十字路での死亡事故が複数件発生している。備前舘公園がある北東側の四つ角だ。そこは見通しが悪く、内環状線から富田橋角の大昇楼を左折し、川沿いからショートカットして来る車と、トライアル側から来た車が、一旦停止の標識があるのに左右確認を怠り、いきなり交差点に入り、頭を出し、ぶつかりそうになる車が多い。私自身も細心の注意を払ってここを通るが、何度もヒヤッとした経験がある。だからたまにパトカーが待ち伏せして事故や違反に目を光らせている。

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 ② 富田中学校付近(ここも信号のない横断歩道がある。その近辺は一時停止の標識が多く、今は閉店した「みのる屋」の脇道に白バイがよく待機し、獲物を狙っている。それくらい急な車の飛び出しが多い箇所だ。

 ③ 踏切の一時停止違反は、奥羽大学~久保田変電所の区間にある磐越西線と交差する踏切。ここは朝夕、そして踏切待ちが長いため、渋滞が発生しやすいスポットとなっている。よって少しでも早く通過したい車が、一時停止を怠り、ノンストップで通行する。

 ④ ヤマダ電機郡山北本店の南西側にある東原踏切もまた違反が多い箇所だ。この南側は住宅団地になっており、交通量が多い。しかも踏切を渡って、すぐ右折し、ヤマダ電機の南側を迂回して、バイパス側や安積街道出て行こうとする車が多く、踏切内で立ち往生を避けようと、対向車が来ないタイミングを見計らって、一時停止をしないで早く通過したいという心理が働く。だから違反が多くなる。 

 指定場所一時停止違反は普通車の場合、違反点数が2点、反則金は7,000円にもなる。一時停止などはほんの数秒だ。たいして変わらない。たとえ急いでいても、渋滞にハマればまったく変わらない。たぶん一時停止違反で検挙された経験がある人は、それが日常的に繰り返し行っている人で、たまたま運が悪く捕まったという訳ではない。違反が多い箇所というのは事故に遭遇する確率も増すということだ。 

 5 イエローカット(進路変更違反・通行区分違反)が多いスポット

 ① 旧国道(奥羽街道)の逢瀬川に架かる「安積橋」

 これは朝の通勤ラッシュ時に多く見られる。私は7時頃、道路が渋滞する前に駅前の駐車場にとめるが、少し遅れると駅方面に向かって長い車列が出来る。橋の上は追い越しはみ出し禁止のイエローライン。そこを対向車が来ないと見るや、気の短いドライバーが、反対車線にはみ出して逆走して右折レーンに入っていく。それも前の車がそれをやると、後続車も焦るのか、同じ違反で付いて行こうとする。もしここに警官が張り込んでいたら、朝の1時間で3〜4件は検挙となるだろう。

 ちなみにこれは「進路変更禁止違反」あるいは「通行区分違反」は違反点数1点、普通車の反則金は6,000円となっている。6千円あったら何が出来たかと考えれば、少しぐらい信号を待つだけのゆとりが生まれると思うのだが。

 しかもこの交差点は、ROUND1方面からうねめ通りに抜ける途中にあり、安積橋に右折する車も、10台中8台は橋の上のイエローラインの上を斜めに曲がって行く。もし右折待ちの車が、停止線を越えて止まっていたら、接触は必至。この交差点はドライバーの日頃の癖や運転マナーがモロにわかる場所だ。

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 ② 喜久田街道(正式には安積街道)の郡山北署菊田駐在所東隣の交差点から喜久田小学校東側を通って県道296&357号線の丁字路まで

 ここはイエローカットよりも追い越し禁止違反が多い。「紅葉マーク」や「赤ちゃんが乗っています」のプレートを提げた車を見るや、ノロノロ運転と判断し、端から追い越しをするつもりの輩を見かける。たいてい目にするのは大概はアルファード、プリウスなどだ。これらを見ると、たいてい何かをやらかす臭いを漂わせている。

 6 速度超過違反が多いスポット

 ①あさかのバイパス 
 ②東北自動車道
 ③郡山南IC周辺(コスモス通り・インター通り)
 ④農免道路(西田町~田村町)

 これは取り締まりは行う場所が多いのは当たり前だが、春や秋の交通安全運動期間や交通死亡事故多発警報が発令されていたり、死亡事故が発生した場所の周辺でも実施される。郡山市周辺は主に早朝や夕刻に行われるケースが多い。都心や北海道で見られる移動型オービスや光電式、レーダー搭載パトカーによる照射型はまだ見たことが無いが、バイパスや高速道路ではよく覆面や白バイを見かける。もちろん追尾型の取り締まりで、合流地点やパーキングエリアに潜んでいて、違反者を見つけると側道から猛加速で違反者に追いつき、計測する。
 一般道では普通車の場合、15km/h未満で1点で9,000円、20km/h未満だと1点で12,000円、25km/h未満では2点で15,000円、30km/h未満では3点で18,000円で、30km/hを超えると一発免停で6点で刑事罰となり反則金ではなく、罰金となってしまい、前科がつくことになる。
 もし酒気帯び運転で速度超過して追突などで他者を死に至らしめた場合、「過失運転致死」で、間違いなく市原交通刑務所で服役を強いられるだろう。

 ところで、深夜に速度取り締まりを行うのは国道49号線の田村町。守山の手前に大善寺という地名があるが、私は10年以上前に深夜0時過ぎ、海釣りに向かう途中、ほぼ交通量ゼロの状況で18キロオーバーで青切符を切られた。そこの交番がサイン会場だった。たまたまレーダー探知機に不具合があって、電源が入らなかった時に運悪く一斉をやっていた。それにしても歩行者も誰もいない深夜の時間帯で何の意味があるのかとその時は相当訝って警官に詰め寄ったことがあった。50キロ制限で深夜に70キロ未満で走っていて捕まるのも釈然としない。もっと飛ばしている奴らを検挙してほしいものだ。37年間所有している普通免許で、後にも先にも違反で切符を切られたのはこれ一回限りだ。もちろん現在は「優良運転者講習」対象だ。

 「可動式(移動式)オービス出没中!」

  いよいよ福島県にも導入され、郡山市八山田地区の国道288号線(旧国道4号線)で見かけるようになった。場所は総合南東北病院からボウルアピアの間の上下線。早朝と夕方、夜間に設置されていることが多い。その場で検挙ではなく、後日自宅に検察庁からの召喚状が届いてビックリする。告知用の看板が出ていたら、法定速度まで減速すべし。このオービスが光ったら、まず免停は免れないと思った方がいい。

Movable-obisSouthtohoku  

 7 あおり運転が多いスポット

 ① 奥羽大学前~喜久田中先の丁字路交差点までの喜久田街道沿い(正しくは安積街道という)
 ② 国道49号線(喜久田トライアル~磐梯熱海温泉入口までの片側一車線)

 ③ 安積街道の行徳小学校入口の丁字路から通称ボルゾイ通りを東に行き、冨久山ベニマルの南側を抜けて日吉神社とALSOKのある交差点までの時速30キロ制限の住宅街の通り。

 私は10年以上前からドライブレコーダーを搭載し、去年から後方に「24時間全方位録画中」のステッカーを貼っている。結果、それに気づいた後続車が車間距離をとるようになったことは当ブログで紹介したが、次に考えているのは、「煽り運転・車間距離不保持は動画サイトにアップします」という表記をしたいと考えている。いわゆる「曝し」になるが、悪質運転は個人情報に当たらない範囲(ナンバーにモザイクなど)で、警告を発したいと考えている。実際に曝すかどうかはケースバイケースだが、それよりも北警察署が近いので、録画した映像を持ち込んだほうが早いかもしれない。その映像を見て、警察がどこまで煽り運転と判断するかは不明だが、一種の抑止力や予防にはなるだろう。

 ちなみに道路交通法改正により、「煽り運転」は一発免停になった。

 8 暴走バイク出没地域

 最近はバイク10台以上連ねて暴走行為をするケースは激減したが、それでも初夏~秋口にかけて、単独、あるいは2〜3台で爆音を轟かせて、迷惑運転を繰り広げる改造バイクが未だにいる。特に熱海の国道49号線から郡山インター線、そして4号バイパス(あさかのバイパス)を往復している。深夜だけでなく、夕刻から夜間にも出没する。社会に文句があるなら、正々堂々と戦えばいいのに、こういう方法でしかアピールできないのが悲しい。それに根性が無いのか夏にしか現れない。真冬に走れば性根が座っていると誰もが一目置くのに・・・。これでは情けないとしか映らない。

 さて、いろいろ書き綴ったが、現代人はコロナ禍の影響なのか、溜まったストレスを車の運転にぶつける人が多い気がする。


 私が感じる違反が多い普通車に乗っている方を取り上げたい。なおこれらは動画サイトにアップされている「運転マナーが悪い人が多い車のランキング」とほぼほぼ一致するもので、特定車種に対しての偏見や敵視などで取り上げるものではないことを予めお断りしておきたい。

 ① アルファード(運転席が高く、他の車を常に見下ろしているからか?金持ちなのだからゆとりを持った運転をしてもらいたい)兄弟車のベルファイアも同じ。

 ② プリウス  (プリウスはとにかく高齢者が多く、誤操作による事故が多い。→プリウスミサイルなどと形容されている)登録台数が多く目立つせいもあるが、運転マナーが悪いのは、たいていこの車だ。

 ③ ハイエース (商用車が多く、どこの都道府県でも乱暴運転が問題視されている)

 ④ ボクシー (この車も①と同じ理由)

 ⑤ 商用のライトバン (③と同じ理由で、早く現場に行きたいとか、会社に早く戻りたいという心理。店の看板を背負っているのに…)
 ⑥ アクア  (燃費の良さにかまけて飛ばしたり、軽快さにかまけて乱暴な運転をする人が多い。昔のスターレットもそうだった)

 ⑦ ワゴンR (軽自動車も燃費や維持費が安いのだが、結構バイパスなど飛ばす。普通車に舐められて抜かれたくないというプライドを感じる)

 8月10日(月)の朝6時過ぎ、インター線を東に向かっていた際、東邦銀行前の交差点で信号待ちをしていたところ、後方から来たVOXYがわざと進路を変え、左側の車線に入り、私の横に並んだ。すると青信号に変わった途端にフル加速で、その先のオートバックスの交差点までの僅か40mの間に私の車の前に急ハンドルで割り込んできた。私も急ブレーキで追突事故を回避した。頭に来て、クラクションを4~5回鳴らしたところ、ドアを開け、謝る素振り。しかもその後、同じトライアルの駐車場に入ったため、出て来たドライバーに注意をした。するとそのドライバーは初老の気の弱そうな男性。割り込みをひたすら平身低頭で謝って来たが、「いい歳して何してんの?習慣的にこういう乱暴な運転しているよね」「ドライブレコーダーつけて録画しているから、割り込みや危険運転で警察に届けるか動画サイトにアップしてもいいんだよ」と厳重に抗議した。こういう輩を「老害」と呼ぶのだ。どうみても65歳を超えている、身の振り方を理解している筈のおじいさんだが、こういう老人がこうした乱暴な運転をしている実態を体験してショックを受けた。気が弱そうな人ほど、ハンドルを持つと性格が変わると言われるが、まさにそんな印象を受けた。

 さて、本日は私が暮らす郡山の北部(郡山北署管内)に特化して交通違反の多いスポットを挙げた。別に警察の取り締まりの妨害など一切考えていない。予め違反が多い箇所は事故も多い確率が高いスポットであることを意識してハンドルを握っていれば、特に注意して通行するであろう。そんな事故を回避する意図で掲載したに過ぎない。

 ぜひ、冒頭で申し上げた通り、警察関係者には一読いただき、無法者やならず者を野放しにしないで摘発してほしいと思う。善良なドライバーが迷惑を被ったり、不快、あるいは不平等に感じるような交通秩序だけは看過できない。

   

2020年8月27日 (木)

郡山の「市街地再開発活性化事業」が再び動き出す?!

  「三大巨大廃病院のひとつが複合施設に」

 以前、当ブログで何度か指摘した内容だが、満を持して郡山駅前の再開発事業に、文字通りメスが入った。都市開発を手掛ける大手の「野村不動産」の資本が入り、長らく廃墟状態だった「寿泉堂病院」の跡地利用が決まった。なんと、階下に同病院の「健診センター」を備えた、高さ73メートルの20階建て高層マンションを含む複合施設を建設するというのだ。おまけに駐車スペースを確保するために170台も収容できるタワーパーキングを隣接するようだ。現在の高層ビルの本院と合わせ、駅前に「寿泉堂病院」系列の一大施設が誕生することとなる。

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 現在廃墟となっている旧病院を2021年度中に解体し、高層ビルを建設して2024年の完成を目指すという。マンションは駅前の一等地で、郡山駅まで徒歩3分の好立地。しかも150戸も居室を確保するようだ。もちろんシングル者向けのマンションではないので、家族世帯が同居し、おそらくは500人以上がそこに住むことになる。もはやちょっとしたコミュニティだ。

 現在、うすい百貨店に隣接する24階建てのメディカルサポート付きマンションの「シティタワー郡山」(住友不動産・78戸・高さ93m・総床面積2万9,325㎡・1~11階が病院で12階~24階がマンション部分)よりも居室数は倍の規模となるようだ。 

Jyusendou2

 しかしながら、総合病院の跡地利用には大きな課題がある。いくら解体し、一度は更地にして建て替えるとは言っても、病院、ましてや巨大病院だった場所では、多くの患者が死んでいる。まして1887年開院で、133年もの歴史を持ち、なおかつ救急指定病院でもあった「寿泉堂総合病院」ならばなおさらで、おそらくは数千人規模で人が亡くなっていることは明白だ。

 そこに新しくビルを建て替えたところで、俗にいうこの世に未練を残し、成仏できない霊が浮遊していたり、あるいは地縛霊として、同じ場所に居座り続けることになる。霊感が強い方なら、何かしらの心霊体験をするのではないか?

 しかも、再開発がよりによってマンションとは・・・。開いた口がふさがらない。このような例は、なぜか郡山市にはよくあることで、かつて「本田記念循環器病院」だった並木の場所は、マンションが建ち、また同様に虎丸町にあった「室塚医院」もまた、高層マンションと化している。

 そこに暮らす方々は、ちゃんと熟睡できているのか?夜中にふと目を覚ました時に、霊が見えたりしないのか?思いもよらぬ金縛りに遭うことなどないのだろうか?気味が悪くて私なら絶対に住まない。

 現に人がたくさん亡くなった場所では何かしらの超常現象が起きている。当ブログで何度も書いているが、平成2年まで美術館通りにあった「薬師堂火葬場」付近では、高齢者が立て続けに3人、信号のない交通量の激しい道路を無理やり横断中、車に撥ねられて亡くなっている。私には死霊が招いているように思えてならないのだ。

 これ以上波風立てると、実際にそこに居住を希望している方を不安がらせることになるのでこれくらいにするが、最近話題の「事故物件」ではないが、その場所が以前はどんな場所で、誰が住んでいたかをよくよく調べておかないと、あとあと後悔することになる。自分は大丈夫でも家族が酷い目に遭うことも十分あるのだ。普通に考えても分譲マンションは高い買い物なので、立地条件だけで飛びつかず、多角的に考慮した上で購入を検討してほしいものだ。 

 この計画が大々的に発表されたので、残るふたつの巨大廃院の解体にも弾みがつくかもしれない。そのふたつとは中町の「太田記念病院」と大町の「星総合病院」だ。解体費用だけで数十億円かかるとも言われ、なかなか工事に着手できないでいる。

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 昨年12月掲載の「日本経済新聞」によれば、一時「旧星総合病院」は隣りに建つ「日通郡山支店」が移転するため用地買収に名乗りを挙げたが、現在はその計画も暗礁に乗り上げているようだ。やはり巨大病院の跡地は再利用が難しいのだ。

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 「郡山市中心市街地機能活性化ビジョンって何だ?」

 ところで、郡山市の公式ホームページをのぞくと、「郡山市中心市街地機能活性化ビジョン」という都市計画があって、それによれば、なんと第5次計画まで存在している。どこまで実現できるかは不透明だが、計画がなされている以上、予算との兼ね合いだけで、実現を目指していくことには間違いない。
 そのHPはこちら⇒ https://www.city.koriyama.lg.jp/shiseijoho/toshiseibi/4/17255.html

 これによると平成31年(2019年)から令和7年(2025年)までの7か年計画となっており、2年目の今年、「旧寿泉堂総合病院跡地プロジェクト」が動き出したのだ。
 このビジョンを読むと、「郡山市の未来像」がつぶさに見て取れる。私がひとつひとつ挙げるよりも、論より証拠でぜひホームページのpdfファイルを見てほしい。どこがどう変わるか、そしてどのように郡山市を変えて行こうとしているのか、その方向性が垣間見える。

 私の個人的な意見を言わせてもらえば、駅東側にある「保土ヶ谷化学」について申し上げたい。戦前からある郡山を代表する大工場のひとつだが、昔に比べて建屋が減り、スカスカの状態で、無駄なスペースが増えているように思う。駅裏の広大な一等地だけに、そこを有効利用しない手は無いと思っていた。私は高いところは苦手だが、ブログ制作者として、ネタを探るためにビッグアイの展望台に上って、そこからの郡山市内の景色を眺めるのが好きだが、この保土ヶ谷化学の土地こそ有効利用できないものなのか?常々考えを巡らしていた。
 
 もちろん、全部を更地にしろという訳ではない。「保土谷化学」は戦後の日本の復興、郡山市の工業発展の一翼を担ってきた、いわば功労者としての働きがある。これを潰せとは誰も言わない。合理化して、無駄な空き地の一部を市で買い上げて再開発するという案だ。

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 そこを再開発となると、戦時中、4度に渡るB29の駅周辺の空爆によって多くの工夫や学徒動員で命を落とした女子工員の供養の面も決して蔑ろにできないし、郡山空襲の不発弾が地中深くに眠っていたり、あるいは化学薬品で土壌汚染が進んでいる可能性もある。以前、福交ゴルフガーデンを潰して星総合病院を建てる際も、やはり地中から有害な化学物質が大量に出てきて、工事が中断した経緯もあった。それは郡山に限らず、工場跡地を利用する場合は付きもので、例えば会津若松市でも、一箕町にあった「富士通」の工場を畳んで、そこに中高一貫の「会津学鳳高校」を建設する際に、地中から大量のフッ素化合物が出て来たことがあった。それほど長らく使用した工場などは、想像し得ないような物質に汚染されているのが実情なのだ。

 しかし、それでも駅から1分圏内の好適地をみすみす逃す手はないのだ。山形市や盛岡市の例を手本に、国際会議を開けるようなコンベンションホールを築いたり、「ペップキッズ郡山」を移転して拡張し、かつて青山にあった「こどもの城」のような、屋内で子どもが安心かつ安全に遊べる施設を建てて貰いたい。
 また、駅前周辺にあれだけ乱立しているホテルも、実は常に満室で、それでも客室が足りないという。それほど利用者が多いのが郡山市のホテル事情だ。そこに「JRタワー」などの高層ホテルを建てるのも手だし、あるいは人が呼べるような遊戯施設を建設したり、また、環境的にはどうかと思うが、高齢者対策の一貫で、巨大な完全介護付き老人ホームを建設すれば、入居希望者は多いに違いない。

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 現代社会は核家族化が進み、長男であっても親と同居することは少なくなった。親の面倒を子どもや身内が見なくなっているのが現状だ。よって夫婦がともに健康ならまだしも、いずれ80代にもなれば、体の不自由さが際立つようになる。まして夫や妻に先立たれると、嫌でも介護施設にお世話にならざるを得ない。だから老人介護施設はいくら増築しても足りないのが実情だし本音とも言える。

 それに駅の東側であれば、ベニマル(横塚店と方八町店)が至近にあって、生活物資を購入するにはもってこいの場所である。巨大な病院も2つ(星と寿泉堂)あって、高齢者にとっては何かと安心できる材料が揃っている。若干、水害が怖いが、市に治水対策を万全にしてもらい、終の棲家として入居者募集のPRしてもらいたいものだ。
 子どもからお年寄りまでが利用できる公共施設を建てることこそ、最良の土地活用の在り方ではないのか?

 「大町区再開発事業」

 現在、大町区の日の出通りの拡幅工事のため、立ち退きが盛んに行われている。旧トポス跡地が現在巨大コインパーキングになっているが、その北西側にあった商店街の解体が終わり、蓋を開けてみれば、その跡地はマンション建設だった。しかもやはり「野村不動産」が買い取り、「プラウド郡山」という14階建ての高層マンションの建設を計画している。駅前にいくつ高層マンションを建てれば気が済むのか?果たしてそんなに需要があって入居希望者がいるのだろうか?郡山駅の北側の旧パチンコ屋(その後、コインパーキング)だった場所も急ピッチでマンション建設が進んでいる。その名も「プレミスト郡山Station Cross」といい、ダイワハウスが手掛け、戸数は160で15階建て、駅まで6分の郡山最大級を売り文句にしている。

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 この「日の出通り」界隈だが、昨年10月、不審火とも思える火災があって、私は一度も入店したことはないが、「キャバレー(PURE ANGEL)」とその東隣りにあった飲食店が消えた。ブラックでは、「立ち退きに応じなかったために放火されたのでは?」という噂まで立ったほどだ。現在は両方ともコインパーキングになってしまった。
 たぶんアーケード入口を挟んだ西側にある、私の行きつけのラーメン店「龍虎」も立ち退きを迫られていることだろう。私には無縁だが、エリートコインパーキング(旧トポス跡地)の西向かいにある「大江戸ギャルズ」なるネオンがド派手な「キャバレー」も立ち退きを迫られている筈だ。新型コロナで客足が遠のき、営業を自粛せざるを得ないのは、閉店を決意させるのに十分すぎる理由なのかもしれない。

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 あの周辺もあと数年後にはガラリと変わるはずだ。私の予想では、旧トポスの広大なコインパーキングも、いずれは高層マンションかホテルが建つと予想している。幼少の頃遊んだ郡山の風景がどんどん変わっていくのを見るのは忍びないが、これも時代なのだと諦めるしかない。
 しかし、駅周辺にこれだけマンションを建設すれば、駅前の空洞化も改善される起爆剤になるかもしれない。人がそこに住めば、買い物に出かける。人の流れも変わる。アーケード周辺のシャッター街も改善されるし、飲食店も多少は潤うことだろう。そして、駅前の賑わいもまた昭和の頃のように戻り、活気が出るかもしれない。

Ohmachi

 最後に、もっとも怖い情報をひとつ。それは「ビジョンの5」に掲載されている「郡山市の人口比率」だ。今から5年前の統計を見ると、やはり郡山市は地方都市だけあって、高齢者の割合が年々高くなっている。中でも75歳以上の高齢者の割合が異様に高く、そして人口分布としては75歳以上を頂点に提灯型になっている。男性の9%が75歳以上の高齢者。ついで40~44歳が8%。20歳以下はすべて減少傾向。20歳未満は郡山市全体の14%にしか過ぎない。65歳以上のいわゆる年金世代が全体の25%越える。つまり4人に一人が年金生活者世代だ。

 一方女性はさらに高齢化が進み、75歳以上の高齢者世代が14%を占めている。ついで40~44歳が7%程度だ。20歳以下の若い世代に至ってはほんの13%しかいない。5年前の国税調査でのデータなので、2020年の今年は、より高齢化が進んでいるのは必至だ。まして20年後は、今の40~44歳が無給、あるいは年金生活に入るため、年金制度が頭打ちで生活は困窮し、もしかすると年金受給が70歳開始になってしまうとも限らない。そのためには定年退職年齢を現在の60歳から最低でも65歳に引き上げなければならない。

2015-population
        ↓
2019-population  

  高齢者が増えるということは生産者世代の働き盛りが減っているということだ。昭和の時代は、年金生活者1人を6~8人の生産者世代で支えていたが、現在は4人で支えなければならないのが実情だ。
 そしてお年寄りは当然のことながら、病院に通院する機会が自ずと増える。今年、予期せぬ病を発症し、延べ16日間も入院したが、確かに病室はすべて年上の方だった。その後の通院などでも、待合室はお年寄りだらけだ。
 
 なぜこんなに高齢者ばかりなのかと不思議に思ったほどだ。高齢化が郡山にも押し寄せている実情を目の当たりにした瞬間だった。人は誰でもいずれは歳をとる。こうした高齢化の波に対応した街づくりが何よりも求められる。駅前の活性化だけでなく、すべての世代が平等に、安心して暮らせる街づくりを、日々の生活の実践例からお願いしたいものだ。

2020年8月22日 (土)

どうでもいい郡山の近況と意外なもの

 今日は「郡山の話題」以外の記事を用意していましたが、3日連続で連載したついでとばかりに、本日も予定を変更して引き続き「郡山の話題」をお送りします。

 取るに足らない話題を提供するのがルーティーンのようになってきた。旧ブログ「時遊人SUZUのひとり言」の時代から、地元・郡山のネタの記事はこれまで100件以上掲載して来たが、今回もその類いで、タイトルの通り「どうでもいいような話題」を取り上げたいと思う。とどのつまりは個人の、雑感のようなもので、あまり真にとらえないで受け流してもらえたら幸いです。

1 ヨークベニマル本社移転で人や車の流れが変わる?

 かつてホームセンター「ユアファクトリー」や中古車販売店、コインパーキングがあった広大な土地に、現在建設が急ピッチで進む「ヨークベニマル」本社新築工事。私の職場からも建設現場が丸見えで、その進捗状況をつぶさに確認できる。どうやら3階建てのようで、高さは抑え気味だが、逆に正方形をした建屋の面積は広い。そして、その北隣りにはその半分くらいの規模で、社員専用の立体駐車場が併設され、その工事も同時展開されている。投資額は50億円近くになる見込み。
 やはり、232店舗を抱え、関東から東北一円に業務拡大中の「ベニマル」だけのことはあり、その全容は半端ない。郡山の朝日町にある現社屋の老朽化と手狭となったために、移転工事が決定し、今年、着工されてからあれよあれよという間に工事が進み、来年早々には完成しそうだ。
 業務開始は来春を見込んでいる。ビッグアイから見た、工事が進むベニマル本社。(R2.8.20撮影)

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 昨年などは台風被害で道路が冠水する懸念が大きいこの土地になぜ移転を決めたのかは不明だが、この土地の北側の500m離れた場所に「横塚店」があり、さらに南側に500m行った地点には「方八町店」がある。そのちょうど中間点ということで、何かと都合が良いのだろう。

 ところで、福島県を代表する優良企業の「ベニマル」。社員の研修時期には、相当数の社員が新幹線を占領し、車両が満員になるなどこぞって郡山市の研修会場を訪れる。新社屋なら、充分な収容人数がある。なんと600人を収容できる大会議室を確保するようだ。
 それに駅から徒歩5分という好立地も最有力候補に挙がった理由だろう。よって現在富久山町にあるトレーニングセンターという研修施設も本社内に集約するようだ。

 私も学生時代、2か所(桑野店と今は無きさくら通り店)でアルバイトした経験があるが、昭和の時代は新入社員には「みそぎ」とも思える、極寒の時期に猪苗代湖への入水研修で有名だった。鉢巻を頭に巻いて、寒さに身を凍らせ、震えながら湖に入る姿を地元のTV局が取材して放送したものだ。今はもう根性論や我慢大会のようなイベントは時代遅れなのか、今世紀には実施されないようだ。
 いずれにしても、この本社移転によって、人の流れは変わるものと思われる。特に、朝の市街地渋滞が幾分かは緩和されるだろう。本社の数百人規模の社員が朝日町から横塚界隈に通勤するようになる。逆に、駅東口周辺(特に東橋付近や東部幹線)が込み合うことは必至。下手すると通勤ラッシュ時には、消防署前からハローワーク付近は、大渋滞で車が動かない危険も・・・。

2 大東銀行本店はあのままなのか?

 郡山市を代表する企業のひとつに「大東銀行」がある。いわゆる第二地方銀行だが、昭和の時代は「大東相互銀行」という名称だった。昭和17年に設立され、総資産額は7,872億円。県内外に58か所の支店を有し、従業員数も498名を数える。
 福島県には福島市に本社を構える第一地方銀行の「東邦銀行」が収益や預金高もトップで、かつてはベニマルの隣りには東邦銀行があったほど、その経営能力はぴか一だった。次いで「福島銀行」が二番目の席次となっていた。そして「大東銀行」は郡山では有名だが、市外ではさほど振るわなかった。
 この大東銀行は、長らく経営トップを「頭取」とは呼ばず、「社長」と呼んでいた。本部も「本社」ではなく、「本店」と未だに呼んでいる。したがって、本店の1Fにある窓口は、「本店営業部」と通帳に印字されている。

 しかしながら、大東銀行は何がせこいかというと、ATMの手数料が未だに時間外や土日は110円もとる点だ。自社のキャッシュカードにもかかわらず、一丁前に手数料だけはふんだくる。東邦などはもう20年以上も前から無料だ。それに「うすい百貨店」の南東側にある本店社屋の老朽化が著しい。よく東日本大震災でくずれなかったと不思議でならない。この大東は、経常利益で東邦に次いで2位になったこともある。「しんきん」や「商工組合」などを除き、商業都市「郡山」で唯一の本社のある銀行だ。

 私は「大東銀行」の口座を2か所の支店で保有しているが、東大出身の頭取を据えているが、その経営が不安でならない。特にあの古めかしくもみすぼらしい社屋を見るたびに、「大丈夫か?」と思う。現社屋は昭和42年落成。つまり私が小学生の頃にはすでに中町のあの場所に建屋があったので、もう半世紀以上もあの社屋のままだ。私は思い切って移転するか、あるいは同じ場所に全面改築すべきだと思う。 

 

Daito-bank


3 相変わらずの親方日の丸体質の役所の職員?

 公務員は頭がずぬけて良いかもしれないが、堅くて融通が利かないことで有名。それは市の窓口や行政センターに行けば一目瞭然。どこの窓口でも、職員はまるで中国人のような面倒臭そうな対応。それに言葉の使い方がわからない職員が多く、つっけんどんで、親切な印象は受けない。おそらく市の職員は、郡山市にある有名進学校出身者ばかりだろうと思うが、あの手の学校は、他人はすべてライバルで、蹴落としてでも自分が上に行くという発想しか持ち合わせていないのか?プライドばかりが高くて、訪れた市民の身になって応対するという基本姿勢が身についていないとの印象を抱く。それが証拠に、いつ市の窓口を訪ねても、高齢者の怒鳴り声が止まない。それは銀行や病院の待合室でも見られるお馴染みの光景ではあるが・・・。その不愛想でぶっきらぼうの窓口対応にいらついてキレるおじいさんがいかに多いことか。やはり「親方日の丸」なのかと思えてしまう。
 それに委託を受けた関連会社の態度も酷い。私が3月にビッグアイの駐車券をまとめ買いしに行った時に、そこの1Fの事務所にいる、作業服に身を包んだ高齢の係員の、言葉遣いを知らぬ、横柄で上から目線の態度にキレそうになった。よくよく調べたら、そこは桑野にある、「中央メンテナンス組合」で、そこから派遣されている再雇用の社員だった。その会社名でピンと来る人は多いと思うが、以前、二度に渡って社員が事故死した「カルチャーパーク」のジェットコースターのメンテナンスを委託されていた会社だ。ずさんな管理体制だから死者も出るし、ぶっきらぼうな窓口対応しかできない社員だらけになるのだ。

 また、朝日町にある本庁(新庁舎)へバイクで訪れた際、駐車箇所がわからず、車のスペースに置いたら、そこの警備員が誘導ひとつしなかったくせに、私のほうへ血相を変えて歩み寄るなり、いきなり私を怒鳴りつけた。「そこは駐輪場じゃないだろ」と。その時、私は35歳を越えていたが、駐車場所がわからなくて困っている者に対していきなりその言い方はないだろう。郡山駅のアティ南側の駐輪場でも同じことがあって憤慨したことがあったが、聞けばやはり、市で委託して雇っている警備員で、退職した高齢者を臨時で採用しているにすぎない。当然、常識も教養もある高齢者を雇っているため、対応の仕方などの教育はまったくやらないため、このような無礼で雑な応対になる。とんだ食わせ物だ。いくら人生の先輩とは言え、おもむろに初対面の利用者に対するような態度ではない。キレやすい老害と思しき年寄りだらけでがっかりした覚えがある。当然、苦情として投書したのは言うに及ばない。

City-hall

4 コロナ禍の影響で閉店続出?

 私が行きつけだった郡山インター線沿いの「ビッグボーイ」が、先日近くを通ったら、「ステーキ宮」に変わっていた。備前舘の「ステーキハウス雅」はイタリアンレストラン「ジョリーパスタ」になった。そして8月に大爆発して全国区のニュースになった「温野菜新さくら通り店」もまた、死者を出すほどの大惨事となったことで閉店措置となった。たぶん自宅周辺だけでも閉店が相次いでいる非常事態。
 飲食店がその煽りを受けているのは確実で、ほかにも「ダイニング開成」、「てんぷらめしひで」、「やきとり道場桑野店」、「カスタマカフェ安積店」、「ペッパーランチ新さくら通り店」などが相次いで店を畳んだ。
 やはり、新型コロナウィルスが猛威を震い、それに伴い、外食を控える新生活様式で休業や営業自粛に追い込まれての閉店なのかもしれない。

Bigboy

 それ以外にもカジュアルファッションの店だった朝日町の「Right-On」も閉店してしまった。意外だったのは美術館通りの星総合病院の南向側にあった「パチンコニラク」も閉店して、すでに取り壊されている。このように、業種を問わず、多くの店舗が閉店の憂き目に遭っているのだ。

 反対に、この逆風にもめげず、繁栄の一途を辿り、次々出店し開店しているのがコンビニとドラッグストアだ。以前も当ブログで書いたが、ドラッグストアは郡山に50店舗以上あるまさに過当競争傾向がありあり。コンビニは 生き残るコンビニは特徴として駐車場が半端なくでかいこと。私がよく出向くセブン(インター線沿い)やファミマ(さくら通り)、ローソン(富田庭球場の東側)はいずれも巨大な駐車場を有している。
  
5 FTVの「郡山お天気カメラ」はこんな場所にあった・・・

 私はFCTの「ゴジてれchu!」第1部と「FTVテレポートプラス」を録画までして見るファンだが、そのFTVの気象予報士斎藤さんが天気予報を説明する際に、郡山の情報カメラとして、かなり高い場所からビッグアイや駅前西口広場を望遠で写し出す映像が流れる。あのカメラはどこにあるのか探ってみた。すると、NTTの郡山支局の鉄塔の最上部に備え付けられた可動式のカメラであることがわかった。8/20に市民プラザを訪れたついでにビッグアイからその鉄塔を撮影してみた。

Ftv-camera

 おそろしいほど高所に設置されていることにまずびっくり。昨年の台風や東日本震災でもびくともしなかったのか不思議。あの高さなら普通の日でも少しの風や振動でも相当揺れるはず。まして望遠で撮影となるとかなりブレて当たり前なのだが。郡山市は盆地の為、タダでさえ風が強く吹く場所。よくもまぁあんな場所にお天気カメラを設置したものだ。工事を担当したとび職も相当怖かったに違いない。私などは高いところは大の苦手なので、絶対に登れない。東京タワーやスカイツリーやガラス張りの中なので、何とかなるが、鉄塔は風に吹きっ晒しの屋外なので、一歩間違えると転落死しかねない。安全ベルト着用で10万円貰ったとしても絶対に登らない。足がすくんで歩けない。

6 「福島中央テレビ」も本社の社屋移転を計画?

 県内の民放で2番目に古い「中テレ」こと「福島中央テレビ」(FCT)。今年、開局50周年を大々的にPRしている。そのFCTだが、震災の時に社屋が年代もので、手狭な報道センターやアナウンス室が揺れに揺れた映像を生々しく伝えていたが、いよいよ耐用年数も寿命を迎えるようで、本腰を入れて移転候補地を探っているようだ。

Fct

 「中テレ」の愛称からも、郡山から離れる心配はまずないだろう。やはり県の中央に位置しており、県内のどこに取材に行くにも利便性が高い。かつてFTVですら一時は郡山移転を考えたことがあるようだし、「ふくしまFM」は1995年に開局したが、10年後の2005年に福島市から郡山の市街地の一等地である「神明町」に本社を移転させた経緯がある。
  

 FCTの移転候補地として、大町再開発地をが有力視する方もいるが、そこは市内では一番標高が低いため、周囲のマンションやビル群に電波が遮られ、よほど高いアンテナを建てる必要があることから、航空法に抵触する恐れもあり、まず不可能。

 私は豊田浄水場の広大な土地の一部を買い取り、そこに移転すればよいと思っている。さくら通りから一本南に入っただけで、立地条件は最高。社屋の敷地面積も広くとれる。もしかすると、「郡山南ボウル」があった北側の「旧パラマウント工場」の跡地も候補に挙がるかもしれない。また、神明町にある「ふくしまFM」の北側の、現在駐車場になっている場所も有力だ。

 FCTは日テレ系列なので、経営母体は読売グループ。同じ傘下の福島民友新聞社もこの際、本社を福島市から郡山市に移したらよいのではないかと思う。このことは「花かつみ」ブログでも論じられていたが、私はその案に大賛成だ。

 交通の便を考えれば、郡山は県の中央に位置しており、高速道路も交差し、主要な高速交通網が整備されている。良し悪しは別として、事件事故も郡山を中心に起きている節が見られる。報道はその中心地に置くべきだと思う。

 蛇足だが、私は小学生の頃に、FCTを友人と飛込みで訪れ、スタジオを見学させてもらったことがある。今は「ゴジてれ」のスタジオも狭い印象だし、アナウンサーたちのデスクがある部屋もかなり狭くて古い印象。あそこに私が好きな「小野紗由利」アナや「菊竹桃香」アナがいると思うと不憫でならない。ぜひ移転し、きれいで広いスタジオからのびのびと放送してほしいと思う。

 追記 

 関係者(FCT社員)の話で、FCTは社屋を改装はするが、移転の話は出ていないという。


7 やっぱり解せない「郡山飛ばし」

 郡山の方はさほど残念がっていないのだが、不思議だと思うことを記したい。

 郡山は中核都市として街の規模が東北では仙台に次いで2番目だと思っている。なのに、例えば青森や函館に行く際は、直通はなく、仙台駅で新幹線を乗り継がなければならないため、通常よりも割高になる。そして上りも同様で、東京までは宇都宮、大宮、上野に停車し、東京までは最速でも1時間18分かかる。しかし、仙台からだと「はやぶさ」で大宮までノンストップなので、東京駅には1時間33分で到着できる。仙台~郡山は「やまびこ」だと最速で33分かかるのに、「はやぶさ」ではたったの14分で行けることになる。この差はあまりにも大きい。

 昔は郡山から終着の上野駅までは「L特急ひばり号」ですら、2時間半近くかかった。それが新幹線開業で、1時間短縮の1時間18分で東京駅まで行けることをありがたがっているのか、あまり不満を口にしない。
 同じ境遇にある「静岡駅」は「静岡飛ばし」を未だによく思っていない。よって、県知事自ら長年の恨みから静岡県を通るリニア建設の着工を認めない。これにより品川~名古屋間の開業が、当初の2027年から大幅に遅れるのは必至。それくらいの気迫が我が郡山の品川市長にも必要だ。

 そして鉄道に関してはもうひとつ。JRはどうやら飛行機との競合を警戒し、東京~函館の最短を4時間以内に設定したようで、そのためにできるだけ地方都市への停車を見送りたい。よって、はやぶさは大宮から以北は、仙台、盛岡、青森、函館というように極力停車駅を減らしスピードアップを図っているのが見え透いている。その煽りで、我が郡山市は全新幹線の3分の1が通過となってしまった。1時間に1~3本しか停車しないのが現状。東京は通勤圏内で、現に郡山に居住し、東京まで通勤している利用者も多い。

 それに郡山の乗降客は多い。郡山駅は在来線が四方に多くの路線が乗り入れている。磐越西線・磐越東線・水郡線・東北本線で、郡山を起点としてこれだけ多くの路線が乗り入れている。乗り換え客も多いのに、それを無視して通過とはみすみす金をドブに捨てているようなものだ。

 「郡山はまだいい」と他の自治体から声が聞こえてきそうだ。白河、那須塩原、小山などは3分の2以上が通過で、時間帯によっては停車するのは2時間に1本などという駅もある。新幹線駅設置のために招致費用や高額の建設費を負担したはいいが、ほとんど列車が停車しないようでは、何のための駅なのか全く意味をなさない。

Koriyama-station 

 さて、今日もどうでもいい独りよがり的な記事を掲載してしまった。いつもの如く自己反省せねばならない。でも少しでも興味をもって読んでくれる方がいたとしたのならありがたく思います。

 時々刻々と変わりゆく商都・郡山市。今年はコロナ禍で例年とは趣の異なる様相を呈している。人口33万人を数える中核都市であっても倒産したり、閉店するお店も数多く存在している。まして駅前周辺の活気は失せてしまっているのが現実。週末の金土であっても、駅前アーケード周辺や陣屋の飲み屋街も閑散とし、人影はまばらだ。きっと自宅飲みを励行しているからだろう。

 私は今年、腹部の開腹手術をしたために、食事制限があったり、年内いっぱいアルコール類の摂取を主治医から止められているため、外で飲めないことへの落胆も半減といったところ。周囲が飲めない状況なので、致し方ないと納得している。 

 では、今回の記事はこれで終了だが、また不定期に、性懲りもなく、短絡的かつ思いつきで差し障りのない範囲で「郡山の話題」を提供していきたいと思います。今回もお読みいただきありがとうございました。(松平定知調で締めのあいさつ)

 

2020年8月21日 (金)

えっ、この人も郡山市出身なの?

 本日も「地元ネタ」で、我が郡山市に関する話題をお送りします。 

 郡山市出身の有名人と言えば、真っ先に思い浮かぶのは俳優の「西田敏行」さんだ。大河ドラマで主役を務めるなど、数多くの映画やドラマに出演している。特に秀吉役を演じた「おんな太閤記」や「池中玄太80キロ」、そして映画「釣りバカ日誌」シリーズはハマり役だった。また、歌唱力が抜群で、「もしもピアノが弾けたなら」は大ヒットした。今や大御所俳優としての地位を確固たるものとし、全国でも知らない人はまずいないだろう。
 キャラクターとしては、唯一無二の個性派&実力派であるが、東北訛りが強く、どこか地方出身者丸出しの垢抜けしない、そして気取らない、あるいは飾らない人柄が、正直でいい。

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 西田敏行さんは別格として、最近よくテレビで見かける方で、「この人も郡山市出身者だったのか!」という人を発掘したので紹介したい。

 「夢グループ」  石田重廣社長

 昼の隙間を狙って放送される通販番組(CM)がある。どうも胡散臭そうなオジさんが出て来て、一風変わった怪しい商品ばかりを棒読みで紹介している。例えば、「卵を置いて上から座っても割れない不思議なスーパージェルクッション」とか、「持ち歩きクーラー」、「ハズキルーペをパクッたような拡大老眼鏡」、「ソーラーライトのまとめ売り」、安すぎるポケトークに激似の「夢通訳機」、「衝撃吸収痛くなりにくいサンダル」とか、「快眠をお約束するジェルまくら」などの二番煎じのような類似商品を扱っていたり、最近では、30枚入りのマスクに、買い増しするたびに「ひんやりマスク」を増量してプレゼントする太っ腹企画まで行っている。

 この通販番組に出演しているのは、「夢グループ」の社長で、石田重廣さんという。次の画像を見れば、「あ〜この人ね」とすぐにわかるだろう。

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 この方の特徴は、イントネーションがない、独特な話しっぷりで、どこかで聞き覚えのあるづーづー弁の訛りだと思い、調べてみたら、やはり福島県、しかも我が郡山市出身者だった。やはり郡山市出身となると、こういう泥臭いキャラになってしまう。どう考えてもイケメンのトレンディ俳優とはならないようだ。

 しかし、当初、私は彼を見て、怪しい印象を抱いていたが、同郷だと知って多少の好感を持った。確かにあの独特な話し方は、郡山出身者だと納得。

 人柄は素朴そうでいいのだが、郡山という土地柄は「無音地区」と言われ、言葉が平坦で抑揚がない。商品紹介も棒読み。だから喋りの仕事は本来適さない。まして「ジャパネットたかた」の高田明社長の路線を狙ったところで、木偶の棒であって器用ではないので上手くいくはずがない。なのに社長自ら画面に登場して商品紹介するからには不退転の覚悟が窺える。

 では実際に商品紹介している動画をどうぞ!

 商売人の割にどこか控え目で、申し訳なさそうに下手に出る感じで商品紹介する姿がいじらしい。

 ところで、この通販番組、全国放送なのか?もしかしたら、福島県限定放送なのでは?という疑問がある。他県の方は、「ウチの県でも放送されているよ」とコメントなどで教えて頂けたら幸いです。

 それに、通販番組の中でペアを組む演歌歌手のような女性は一体何者?

 ネットで調べたら、彼女は「保科有里」さんといい、れっきとしたプロの歌手。しかも所属は石田社長が経営する「夢グループ」。BSで冠番組を持っている。金沢市出身で現在56歳らしい。

Yume2

 さらによく調べたら、この社長は相当なやり手で、「夢グループ」の専属タレントには、あの往年の名優である小林旭や黒沢年雄などもいる。実業家として大成功を収めている凄い人物だったのだ。

 さて、今日は地元の方でも知らない人が多い、郡山市出身者を取り上げてみました。たぶん世代の違いで、挙がる名前も違うと思う。20代までは、「まこみな」や「箭内夢菜」、「植木安里紗」、「白鳥久美子」だろうし、50代以上の方は「箭内道彦」だったり、俳優の「斉藤暁」を挙げるかもしれない。 

 とかく福島県の今年は、NHKの連続テレビ小説「エール」の放送もあり、古関裕而フィーバーが湧き上がっている。窪田正孝が演じる「古山裕一」と、その父親役を務めた唐沢寿明のあの福島訛りを聞けば、今日の記事の主役の「石田社長」の喋り方に近い印象を抱くだろう。

 郡山市出身者は、このようにどこか木訥で、垢抜けしないが、しどろもどろはあっても、真面目さや誠実さは伝わると思う。

 私は「夢グループ」で買い物をしたことはないし、まして彼とはなんらかかわりがないが、同郷のよしみで事業が成功するよう願っている。

 

2020年8月20日 (木)

郡山の地名で思うこと

 掲載再開にあたり、昨日、今日、明日の3日間は、地元「郡山市」に纏わる話題をお送りします。

 まず「郡山市」の地名の由来だが、8世紀に「石背国」が設置された際には「方八町」に国府が置かれたという説がある。 ちなみに当時の古代律令制度の下で、郡の官人(郡司)が政務を執った役所のことを郡衙と言うが、「郡山」という現在の地名は、この郡衙が当地に置かれていたことに由来する。

   Koriyama-city

 なお、ここから先は、郡山市の町名について取り上げます。郡山市のウェブページの記載を参考にしていますが、すべてが正確な情報というわけではなく、真偽のほどが定かでない部分は、私見も含まれていることをご了承ください。

「艶っぽい」地名

逢瀬町

 禁断の恋に堕ちた恋人同士が人目を忍んで逢引きをするようなイメージ。市内の西部一帯に広がる。山の麓という印象。清掃センターや逢瀬公園などがあり、自然豊かな憩いの場所という印象がある。しかし、ここ最近、3件の殺人事件が相次いで発生してしまい、イメージを損ねてしまった。17歳の少女・暴力団による集団リンチ・つるはしで警備員を襲撃して殺害した事件だ。もちろん住民には何の非もない。

 地名の由来は、「逢瀬町」が誕生したのは、比較的最近のことで、それまでは、逢瀬町を構成する三つの地域(多田野・河内<こうず>・夏出<なついで>)がそれぞれ独立した村として存在していました。
 明治22年4月1日町村制が施行され、夏出村は河内村と合併して河内村となりました。昭和29年河内村と多田野村の翌年の合併が決定すると有識者たちによる合併協議会が設立され、その席で合併後の村名を両村を縦断するように流れる逢瀬川にちなんで「逢瀬村」とすることが決定されました。昭和40年5月1日に郡山市の大合併により逢瀬村から逢瀬町になりました。

うねめ町(采女)

 市内の北西部に片平町という地名があるが、そこにある采女神社を発祥として、采女伝説がある。熱海町にも萩姫伝説があるが、ここもまた聞きしに勝る春姫という美人がいた。
 約千三百年前、陸奥の国安積の里(現・郡山市)は冷害が続き朝廷への貢物ができないほどだった。このため奈良の都から巡察使葛城王が訪れた。
 里人たちは窮状を訴え貢物の免除をお願いした。しかし、その願いは聞いてくれなかったという。その夜、王をもてなす宴が開かれ、王は里長の娘、春姫を見そめた。春姫は心から王をもてなし、歌を詠んだ。
 王は大変喜び、春姫を帝の采女として献上することを条件に、貢物を三年間免除することになった。春姫には、次郎という相思相愛の許嫁がおり、悲しみをこらえて別れた。
 都での春姫は、帝の御蘢愛を受けていたが、仲秋の名月の日、次郎恋しさに猿沢の池畔の柳に衣をかけ、入水したように見せ、愛する次郎の待つ安積へ向かった。
 里へたどりついた春姫は、次郎の死を知り、雪の降る夜、あとを追って次郎と同じ山の井の清水に身を投じた。やがてみちのく安積の里にも春が訪れ、山の井の清水のまわり一面に名も知れぬ薄紫の美しい可憐な花が咲き乱れていた。
 なんとも悲恋の物語だが、若くしてはかなく散った命だからこそ、こうして語り継がれたのであろう。
 
「なぜ?」という地名

長 者

 かつて「虎丸長者」という名称の大金持ちが住んでいたとの伝承がある。現在も「虎丸」と「長者」という地名は今も残されているが、その「虎丸長者様」がどこに大豪邸を構えていたかなどは不明で、謎である。

  Koriyama-city3

 しかし、私がイメージする、郡山市の由緒ある金持ちと言えば、郡山のかつての名士であった「津野一族」か「太田一族」が真っ先に思いつく。津野一族は4号線と駅前大通りの角に「津野呉服店(津野百貨店・津野デパート)」を経営し、さらには市街一円に土地を有していた大地主でもあった。その発祥である「津野喜七」氏は佐賀県出身で、現在の東京大学農学部を卒業し、郡山市の津野家に養子で入った。津野百貨店の社長となり、昭和2年郡山市議会議員に当選し、7年には推されて市議会議長の要職に就く。一方、県農業会副会長に就任し、郡山市の政治、商業、農業等広範囲な方面に活躍した。21年、市民の信望を一身に集めながら他界した。享年51歳。
 私の実姉の小中時代の親友が、この津野喜七氏の孫だった。自宅が虎丸町にあり、やはり和風庭園の大きな居宅だった。その孫娘も相当の美人だったことを覚えている。

 また、太田一族は、明治28年に中町に太田医院を開院し、その後、綜合病院として太田記念病院、西ノ内病院、熱海病院など市内で有数の大病院に成長した。現在でも市内各地に「太田〇〇病院」など各科が点在しているが、大部分はその親類などが経営しているものと思われれる。太田一族=医師の家系と言えそうだ。
 郡山には、星総合病院や寿泉堂病院、南東北病院などがあるが、郡山の巨大病院と言うと、真っ先に「太田綜合病院」を思い浮かべる。

久留米

 内環状線の南の外れで安積町荒井と接する地域は「久留米」と呼ばれる。「水天宮」という神社が守護神らしい。この久留米という地名は昔からあったのか?明治時代に国策としてオランダの技師ファンドールンを招き、猪苗代湖から一本の水路を引くことで農業や工業用水を確保し、稲作によって食糧を確保したり、水力発電で電力事情を賄おうと一大開発工事を行った。
  その際、人手不足を補うために、九州の久留米などから多数の人夫を入植させて、長期に渡って工事が行われた。その功績を後世に残そうと、そのまま「久留米」という地名を残したのではないか。また、真偽のほどは不明だが、郡山の方言には、語尾に「~だばい」と「ばい」を付けるが、これは博多弁のそれと一致する。あくまで仮定の話だが、あながち全否定できない印象がある。

熱海町

 「熱海」と言えば静岡県のイメージしかないのが。昭和30年代頃までの時代は、新婚旅行の人気No.1だった。なぜ郡山の奥座敷が「熱海」なのか?

 文治5年(1189年)、源頼朝は奥州平泉の藤原氏を打ち滅ぼし、文治8年(1192年)に鎌倉に幕府を開き武家政権を確立しました。この奥州攻めに参戦した武士たちに対して、頼朝は平泉で論功行賞を行いました。これによって、新しく安積郡の領主となった伊東氏が、故郷の伊豆を偲んで名付けたといわれています。(伊豆の「熱海」の地名は、海中から熱湯が噴出したことから起こったといわれています。)
 それゆえ、熱海町内には、「上伊豆島」「下伊豆島」など伊豆にちなんだ地名が多くあります。
 また、山間部にあり、海には程遠い地域であるにもかかわらず、「熱海」の名がつけられたところからみて、当時から伊豆の熱海同様に温泉が湧き出ていたと推測できます。

安積町

 市内の南側に展開する広大な安積町。安積野とか安積山など歌に詠まれるほど郡山の総称的な名称だと言える。知らない人は、「あさか」とは読めず、「あづみ」と読んでしまう。未だに安積高校やあさか開成、帝京安積高校という学校名が残る。
 私自身は「安積高校」卒業ではないが、ここのOBは何かというと他人の学歴を気にする方が多い。「勝ち負けの優越感に浸りたいのか」、すぐにどこの大学出身ですか?と聞いて来る。私が「慶應義塾大学法学部です」と答えると、急におとなしくなる。
 所詮、その程度の人間関係しか築けないのかと情けなくなる。変なこだわりがあるのが見え透いている。人間、学歴ではなく性格や人間性が一番大事だと思うのだが・・・。        

 「安積」5世紀から6世紀にかけて、支配地を日本全国に広げた大和政権は、地方の支配を確実なものとするために、大和政権に服属した地方の有力豪族を国造に任命し、その地域の統治にあたらせた。
 当時の安積の地には阿尺国造がおかれ、比止禰命という人物が任命されたという。この「阿尺」が現在の「安積(あさか)」の地名の由来といわれている。

 ほかにも「鶴見坦」という地名は郡山市にはふたつの地域がある。有名なのは開成山公園の南東側一帯を指す地名で、もうひとつはあまり知られてないが、日和田町にもあるのだ。「あさかのバイパス」の北の終点にイオンフェスタやケーズ、イエローハットなどがあるが、その南西側一帯を言う。

 「なるほど」という地名

  静町

  静御前伝説が残る地名だから。かつて頼朝に討伐の命を受け、弁慶を伴って奥州へ逃げ延びた源義経。妾であった静御前は彼の後を追って奥州街道を北上。しかし、奥州平泉で義経が討たれたとの報を受けた静御前は、宿場町であった郡山の地で、池に身を投げ自害したとの言い伝えがる。それが現在の郡山運転免許センターの向かいにある通称「美女池」。あわれに思った住民が、彼女を供養するため、静町に「静御前堂」を建て、お祀りしたとの伝承がある。その一帯の地名が「静町」となった。静御前の終焉の地を巡っては、全国あちこちに伝説があり、また、日本各地に彼女の墓と称する場所がある、したがってこの地の伝承も真偽のほどは定かではない。

  菜根

 中心市街地から南西方向に2kmほど行った地域。この辺は明治時代くらいまでは一帯が広い田畑で、野菜作りに適した土地であった。高台だったため、水害に遭うこともなく、水はけのよい土壌で農業にはもってこいの場所だったようだ。

 大槻町

 「大槻」はもと「大豆生」と書き、豆生産に適した地味に由来するとも、槻(大ケヤキの古語)の大樹があったからともいう(安積郡誌抄)。

 喜久田町

 「喜久田」の地名は明治9年当時の早稲原・前田沢村・堀之内村・下伊豆村(現在は熱海町下伊豆島)の4つの村が合併した際に初めて名づけられました。
  地名の由来は、はっきりしませんが、一部の長老たちは、「合併当時は作物など実らない荒地だったため、早く喜びがもたらされる土地にしたいという願いを込めて『喜久田』と名づけたのではないか。」と語っています。
  
 富久山町

 「富久山」の地名は明治9年当時の久保田・福原・八山田の3か村が合併した際に初めて名づけられました。地名の由来は、はっきりしませんが、福原・久保田・八山田の各村名から一文字ずつ取り「福久山」としたものを「富久山」に改めたという説があります。 

 日和田町

 「日和田」の地名は、近世以前は、「部谷田(ヘヤダ)」「部和田(ヘワダ)」「辺和田(ヘワダ)」「戸和田」「此谷田」などと書かれていました。相生集(天保元年<1830年>)には、「日和田」の記述があります。
  いつの頃から「日和田」と書かれるようになったかは定かではありませんが、寛永の賦額や文書などに「部谷田」とあることから、寛永末<1643年>頃までは「部谷田」と書かれていたのでは、ないかと思われます。また、松尾芭蕉の『奥の細道』に「檜皮」という記述がありますが、「日和田」の借字ではないかと言われています。

 なお、全国の都市のどこにでもありがちな町名も多数ある。

 駅前・大町・中町・本町・栄町・並木・希望ヶ丘・緑町・緑ヶ丘・田村町・中田町・中野・西田町・富田町・百合ヶ丘・柴宮などが挙げられる。

  Koriyama-city2

 市民にも認知度が低い地名

 大平町・燧・燧田・谷島町・菱田町・安原町・深田台・船場向

 さて、県外出身者や市外の方にはピンと来ないようなローカルすぎる話題だったが、私も足掛け46年間も郡山市に居を構えている身ながら、町名の由来など一度も考えた試しがなかった。人生も半ばを過ぎた年齢に達した自分にとっては、こうした地元の歴史や「なぜ?」という疑問に答える時機があってもよかろうと思い、取り上げたまでだ。
 なお、冒頭で申し上げた通り、今回の記載はすべて裏付けがあるわけではなく、予想の範囲で推論で申し上げた部分もあることをご了承願います。

 最後に、私もどうしてこういう名称がついたのか不明の地名で、いつか解明したいと思っているものを取り上げたい。

 備前舘・香久池・五百渕・堤・堤下・台新・名倉・小原田・土瓜・島・横塚・方八町

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 追記(郡山市の新型コロナ感染者、急増中!)

 上の記事は8月初旬に作成したものですが、ここからは最新情報をお伝えします。

 我が福島県の新型コロナ感染者数は8/19(水)現在、113名となった。この数日前に100名を越えてからあっという間に急増した。
しかも県中央部に位置する郡山市の増殖は異様だ。8月以降、福島県は25名が感染したが、そのうち約半数近い11名が郡山市だ。いずれも県外に出張して感染したり、県外から郡山に来た方と会食して感染したりするケースだ。11名のうち6名が県外からの帰省で感染が判明。あれほど注意喚起されていながら、安易に県外の方と接触している現実。しかも東京に遊びに行っている若い方たちの感染が多い。
 郡山は新幹線の乗降客が一日1万人近いため、県外からの流入者が多い。また、新幹線通勤者もいることから、東京など首都圏で感染し、それを持ちこんでいる。加えてビジネスマンなど郡山から東京や大阪、愛知など感染者が多い地域に出張などで出向くケースが圧倒的に多いことから、感染が急増している理由になっている。
 では、最近の郡山市の感性状況を検証したい。

 8月17日(月)時点の郡山市の感染者数15名
 8月18日(火)3名(20代男性2名・30代男性1名)郡山市の合唱サークルが合宿をを郡山市の青少年会館(大槻)で実施。その中の福島大学
       の学生ひとりの感染が判明。同じ合宿に参加した42名が濃厚接触者となり、PCR検査結果によっては爆発的に増える可能性あ
                    り。しかも合唱のためにマスクをしないで練習し、閉め切った空間だったため、飛沫感染が懸念される。 
 8月19日(水)2名(50代男女1名ずつ)前日に感染確認された合唱合宿に参加した大学生の家族(濃厚接触者)
        郡山市内だけでこの2日間で5名も増加。この大学生は東京から兄弟が帰省して、一緒に食事をして過ごし、それで感染した可
        能性が高いという。もちろんその両親も同様。
  8月20日(木)7名のうち3名が郡山市民。女子中学生2名、20代の男性も感染。いずれも合唱サークル参加者でクラスターと断定。

 したがって、東京から帰省したり、東京に出向く行為は、現在の状況を考えれば厳に慎むべきだったといえる。

 福島県内の市町村別感染者数(8/19時点)

 1 福島市  25名
 2 いわき市 20名
 2 郡山市  20名
 4 南相馬市 14名
 5 本宮市  10名
 6 須賀川市   8名
 7 田村市    3名
 7 白河市    3名
 9 会津若松市  1名

 感染者113人のうちの107人が県内の「市」に居住している方。町と村は6人しかいない。しかも感染者は中通りと浜通りに集中し、不思議にも会津地方の感染者はゼロという怪現象が続いていて、まるでずっと全国でここだけが感染者ゼロを保って来た岩手県のようだった。しかし、19日(水)、会津若松市でついに10代男性の感染が初めて確認された。

 それにしてもここ数日の郡山市の感染数は異常で、よって郡山市を訪れる予定の県外の方は、現在の感染地域をよく確認の上、マスク、手洗い、うがいなどを励行し、万全の体勢をお願いしたい。また、不要不急の県外への旅行などは控えてほしい。「自分は大丈夫」、その油断が感染を招き、あなただけでなく、家族や友人、同僚などを巻き込む惨事に至ってから後悔しても遅いのだ。

2020年8月19日 (水)

これって郡山のどこにあるの?

 今こそ郡山市民に問います「これってどこにあるの?」

 いきなり「チコちゃんに叱られる」のようなオープニングになったが、掲載再開初日の本日は、地元・郡山の話題に特化したい。人口33万人を数える中核都市「郡山」。街の規模としては仙台市についで東北第2位を誇る。
 私も縁あってこの街に生を受け、長く暮らしている。特段、不便や不安を感じることもなく、生活しやすくて好きな街である。それは東京まで新幹線で1時間半で行けるし、高速道路も充実し、郡山市自体が県の中央に位置しているため、昔から交通の要衝だった。旧奥州街道の宿場町だった名残りで、駅前を中心にホテルが乱立し、出張のビジネスマンも多く見られるし、何より中高の県大会などの大会は、地の利を生かして、ほぼほぼ郡山を中心に開催されている。

 唯一の難点は、どこの地方都市も同じ悩みを抱えているが、駅前の空洞化だ。郡山市も昭和の時代に中央資本のデパートがこぞって進出して来たのに、今や地元密着の「うすい百貨店」だけが生き残った。仙台が本社の「丸光」、全国区の「西武」・「丸井」・「ダイエー」などはすべて撤退してしまった。それは福島市も同様で、「バード長崎屋」、「エンドーチェーン」などが撤退し、最後の砦だった「中合福島店」も完全閉店を表明した。市民にとっては昔から馴染んだ老舗百貨店が無くなるのは忍びないに違いない。ますます駅前が閑散としてしまう。

 郡山市は、私が小中学生の頃は中央通り商店街や大町商店街は活気に満ちていた。日曜日には歩行者天国となり、大勢の買い物客が繰り出し、それは大変な賑わいを見せていた。「うすい」や「西友(西武)」・「丸井」の屋上では様々なイベントが開催されたし、「第一うすい」の屋上では昭和50年頃の空前のスーパーカーブームに乗って、海外から当時は珍しかったガルウィングの「カウンタック」や「ランボルギーニ」、「フェラーリ」、「デトマソ・パンテーラ」などのモンスターマシンを輸送し、スーパーカーショーを開催したこともあったし、屋内の特設会場では「世界の爬虫類展」や「屋内ミニ水族館」なども行われていた。

 また、「丸井」の屋上では、これも私の小学生の頃に流行った「ラジコンカー」でレーシング大会を開いて、特別に設置したコースを何周も走らせて操縦技術を競い合った。現在、旧西武の「Ati」の屋上ではビアガーデンを催している。コロナの影響で、今年は客足が鈍いようだが・・・。

 では、長々と前振りしてしまったが、郡山市民の方は一度は目にしたかもしれない、或る画像を提示するので、それが何か、あるいはどこにあるのか当ててほしい。別にわからないからと言ってモグリだとか非市民などと罵るようなことはしないのでご安心を。

 1 この鐘がたくさんぶら下がっているモニュメントは一体何?(左下の画像)

   2 この巨大樹木を象ったモニュメントの正体は?(右下の画像)

DaitoPoint

 3 この道標は一体?(下の画像左)

 4 この古地図にあるものとは?(下の画像右)

DouhyoCastle

 5 銅像パラダイスの通り(左下の画像)

 6 見るからに足湯だが…(右下の画像)

Misaka2_20200806195701Atami

 7 ひよこの行列?(左下の画像)

 8 アパートの前にある「自由の女神」像(右下の画像)

ArukidasuMegami

 9 世界の創作ベンチ 3本のリコーダー(下の画像左)

10 なぜカフェの軒先にヘリコプターが?(下の画像右)

Img_0864_20200806195101Kaiseikan

11 SL動輪モニュメント(下の画像左)

12 発射台に据えられたロケット? なぜこんなところに?(下の画像右)

SldourinShimoku

13 これってUFO?オリンピックの聖火台?(左下の画像)

14 この宗教法人の総本山にありがちの塔(お堂)は?(右下の画像)

HospitalEast-park

15 郡山にもあった千本鳥居?(左下の画像)

16 この熊って…(右下の画像) 当ブログで一度取り上げた熊です。

TakayashikiBear2_20200806201401

 まるで渋谷のハチ公像やモアイ像のように待ち合わせの目印として使われそうなくらい、市民にはお馴染みの光景だ。

 解答

 1 大東銀行前のモニュメント

 2 中央通り沿いのNakamachi Space 生活雑貨前にある櫻をモチーフにした「樹 Point」のモニュメント

 3 大町にある旧奥州街道と旧会津街道の分岐点

 4 陣屋(郡山城)

 5 文化通りのモニュメント

 6 熱海温泉足湯

 7 歩き出す街へ

 8 自由の女神像(富久山ベニマル南側のオーバーパスの俗称「ボルゾイ通り」のアパート前
   R288号線沿いの潰れたパチンコ店のモニュメントとして設置されていたものを無償で譲り受けたらしい。

 9 世界の創作ベンチ ジュンク堂のエレベーター前にある。

10 Cafe&アンティーク開成館

11 SL動輪モニュメント(西田行政センター)

12 並木の内環状線沿いにある八光建設の「SHIMOKUベースキャンプ」に聳え立つロケットのような巨大モニュメント。

13 まるでUFO? 東北エスピー株式会社制作の 総合南東北病院
   もしかして亡くなった患者がここから天に召されるイメージで作らせた?

14 東山霊園の仏舎利塔

15 高屋敷稲荷神社

16 Ati5階のゼビオがあるエスカレーターに鎮座する熊のぬいぐるみ

2020年8月 7日 (金)

過激な対日批判ばかりを繰り返す韓国を断罪せよ

 朝鮮族(韓国や北朝鮮)には強い姿勢で臨むべし。そして強固な制裁を下すべし。これが私の基本理念だ。

 過去・現在・未来永劫、この輩の気質や発想、恨みつらみの国民感情では、国際協調の概念など存在しない。他人を蹴落としても自分が上に上がろうとするねじ曲がった大陸思想とか俗物根性しか見当たらない。

 韓国人の人を食ったようなぞんざいな態度や、負け犬の遠吠えとばかりの上から目線での物言い、そして日本への憎悪や責任転嫁は実に甚だしい。日本をやっつけること、叩きのめすことが唯一の生きる道とか存在意義になっている下衆な輩どもだ。

 1965年の「日韓請求権協定」で、すべての戦争責任を放棄し、多額の賠償金を支払って解決したにもかかわらず、日本に集れば金が出ると知った韓国人は、恥も外聞もなくあの手この手で日本から金品をゆすり盗ろうと画策を続けて来た。しかも質が悪いのは国家間合意を一方的に破棄し、振り出しに戻す安直な手法。何ひとつ国際法上の約束を守れないのが「韓国」という国だ。

 日本が百歩譲って2014年に従軍慰安婦問題に不可逆的解決として10億円も拠出した賠償金を、当の慰安婦遺族には渡さず、己の経済失脚の穴埋めに使用。しかも財団を勝手に解散。大方、経済政策の失敗の補填にでも費やしたのだろう。

 第二弾のゆすりの手口は、徴用工への賠償請求で、韓国独自の司法判断によって在韓日本企業の資本を凍結。今まさに現金化しようとしている。こうなれば日韓関係は破綻し、同盟関係はおろか、敵対関係を自ら演出する。日本政府の報復は留まることをしらないであろう。
 すでに解決済の慰安婦問題を再燃させ、しかも日本大使館前の慰安婦像を政府は国民の暴動を恐れ、撤去できないまま放置されている。しかも今回は、安倍首相が元慰安婦をモチーフにした少女に土下座して頭を垂れている銅像まで制作。世間の反日感情を煽るようなバカげた発想を繰り返し行っている。

Dogeza

 韓国人はいつまでも根に持ち続ける「恨」の感情を恥だとは思わないようだ。日本を懲らしめたり憎めばそれで胸がすくとでも勘違いしている。戦後70年経っても、その意識はまったく変わらず、それどころか憎悪の念は年々増している気がする。戦後の焼け野原から奇跡的な復興を遂げ、先進国の仲間入りを果たした日本人の有能さを単に妬んだり、嫉妬しているとしか思えない。常に「自分たちは日本人より上だ」とのねじ曲がった優越感を持ちたいのだろう。
 皆さんは上の画像を見てどう感じるだろうか。1965年と10億円拠出で完全解決済の問題を、一方的にぶり返し、あろうことか日本の首相に土下座までさせたいと考えている国民感情。土下座させるということは、「日本は韓国よりも下ですよ」と見下しているからにほかならない。そしてゆすりたかりの手法で多額の金をだまし取る。詐欺集団より質が悪い。

 こうなった原因は、日本が低姿勢で融和路線の態度を取り続けて来たから、無能な韓国人どもが思い上がったからだ。一度でも甘い顔をしたからどんどんつけあがる結果を招いたのだ。しかも日本を「破廉恥」と斬り捨てるような輩にはより強い姿勢で力づくで上からねじ伏せなければならない。

 ただでさえ、自国が有利なように歴史的事実を歪曲し、若者に間違った歴史認識を植え付け、日本憎しの感情を倍加させる政治手法。恨みの感情からは何一つ友好な関係など生まれない。
 また、慰安婦、徴用工だけでなく、靖国神社問題や竹島不法占拠などの問題など次々と自らを正当化し、上から目線の物言いしかしない。
 しかも全世界に慰安婦像を建造し、日本を悪者に仕立て上げ、外国にもアピールする。いわゆる朝鮮人お決まりの常套手段である「告げ口外交」だ。もはや戦後70年以上も経過しているのに、未だに根に持ち、日本批判ばかりを繰り返し執拗に行う。元から韓国は「恨(ハン)」の民族であり、弱みに付け込んだり、出る杭はこぞってネット批判や中傷で自殺に追い込むのを常套手段としている国だ。火病なる心の闇を発症し、手当たり次第に攻撃する。
 日本バッシングをすれば政権が維持できるくだらない政治体質。国民感情を政治が抑制できず、反日行動はやりたい放題だ。

Takeshima
 
 解せないのは、日本叩きで国民意識が団結し、バッシングは一丁前のくせに、その割に女子プロゴルファーやKポップのグループは、韓国では収入が見込めないと見るや、こぞって平然と来日して賞金の荒稼ぎ。どの面さげておめおめとと日本人なら思うところだが、韓国人には「恥」という概念が存在せず、日本批判しておきながら、日本に出稼ぎに来るのか気が知れない。
 
 元から韓国は中国や北朝鮮と同じ大陸思想や文化が染みついた国で、一度でも謝れば負けを認めたことになり、その国に支配される。よって何があっても謝れない。SNSなどで他者を攻撃して自殺に追い込むまで徹底的にやっつけるし、自分に100%非があっても認めず、責任転嫁する腐った手法が罷り通る。だから反省など絶対にしないから、何度も同じ過ちを繰り返すのだ。

 そして今回は、国家間合意した不可逆的な解決を一方的に破棄し、国際法違反を平然と行う所業。安倍総理をモチーフにした銅像に土下座させ、その先にいる慰安婦像に謝罪している銅像まで建造した。まったく恥も外聞もなく、良識や無教養ぶりをさらけ出している。

 韓国政府は国民の暴走を統制できない。これは国家としての体をなしていない。対日批判発言が支持率回復の構図は旧態依然。若者に事実を歪曲した教育を施し。誤った歴史認識を植え付けさせて、国が人を憎む教育を平然と行い、反日を扇動する。

 70年以上も前のことを過去、ことあるごとに何度もぶり返し、徹底的に日本を叩きのめしたくて仕方ない民族のようだ。

 韓国はもはや孤立無援。よほど文在寅大統領は自分の手柄のように振舞い、自慢ばかり。コロナ終息も自分のおかげ。経済も自分のおかげ。しかし実態は国際社会からは見放されている。すべてを敵に回し、自らの身の振り方を知らないと見える。アメリカや日本に逆らい、隣国の北朝鮮からは三行半を突き付けられ、中国からもその日和見的、風見鶏的優柔不断な行動で愛想をつかされている。四面楚歌状態なのに、それでもめげない。国民も冷静な判断を削がれ、大統領の一挙手一投足に一喜一憂し振り回されるばかり。実に情けない。

 かくいう安倍政権も政権末期で、コロナの第二波は緊急事態宣言前の初波よりも猛威を振るっているのに、経済活動ばかりを優先し、二度と緊急事態宣言を発出しない方針だ。しかもあろうことか、大都市圏を中心に過去最多を更新するほどの感染者数を出しているのに、のんきにも「GO TO トラベルキャンペーン」と称した県をまたいでの旅行を奨励する愚策を打ち出し、感染拡大に拍車をかけたのは周知の事実。東京で連日400人を超し、大阪でも220人と過去最多、愛知でも259人、GOTOトラベルで訪れた沖縄でも最多の44人が感染。どうみても地方への旅行を推奨した愚策のせいだ。これはもはや政府の犯罪だ。もしこれが原因で感染し、死亡した場合、国が損害賠償を負うべきだ。それくらいの覚悟を以てこの経済再生策を行っているのだろうか?

 しかもアベノマスクなど使い物にならないものを504億円もの国家予算をつぎ込んで国民に配布し、さらには自らの愚策を包み隠すかのような機嫌とりとしか思えない「10万円給付金」をばらまき、いかにも「コロナ対策に一生懸命取り組んでますよ」とばかりの自己アピール。実に情けない。安倍首相の政策もここまで地に落ちたかという印象は否めない。

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 しかし、残念なことに、在任期間で歴代1位となった安倍首相だが、彼に変わる人材が今の自民党には居ない。ニューリーダーの筆頭格の石破茂さんだって、理論派かもしれないが、口下手そうで、融通が利かない印象。この人では日本のかじ取りは信用が置けない。遊説とか外交など、本当に任せられるのか疑問だ。結局は、誰がなっても安倍を超える評価などあり得ない。強いリーダーシップで大国アメリカやぐうの音も出ないほど強力に対韓国制裁を強行できる人材、あるいは安倍では何一つできなかった拉致問題の解決、そして強権的になっている中国と互角以上に渡り合える国際派の人材。誰も見当たらない。ポスト安倍が見つからない以上は、安倍の勇退など考えられない。

 日本の政治家は、田中角栄や吉田茂といった大物が消え失せてしまった。長いものに巻かれろ的でよりかかりが多すぎる。俺に任せろ的な大人物の登場を心待ちにしたい。

 

 さて、我が郡山にも韓国や朝鮮と関りが深い場所があることを当ブログで暴露して来た。すべての朝鮮族や在日が悪いわけではないが、念のため、注意をしたい場所を再掲載しておきたい。

 1 守山の朝鮮人学校

 2 麓山の韓国会館 在日本大韓民国民団(なぜかここのビルに「県商工信用組合」と「あすか信用組合」が入居している。その関係は?)

 3 鶴見坦の福島朝鮮会館。ここにはいくつかの北朝鮮の団体がある。正式には「在日朝鮮人総聯合会」という名称だが、その下に
 4 日和田地区(国際結婚が多い地域・アルゼンチン、韓国人、フィリピン人などが多数居住し、文化や国民性の違いからトラブルが多い)
   離婚訴訟など多数・・・ここの地区には国際結婚を推奨する企業がある。
   
 

 

 

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