2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のコメント

無料ブログはココログ

郡山の話題

2018年10月30日 (火)

郡山周辺バーチャル再現映像

 動画サイトを眺めていて、思わず唸る名人芸に出くわした。それは郡山駅周辺をコンピューターの「マインクラフト」でバーチャル的に忠実に再現した映像だ。
 論より証拠、実際に見てほしい。

 マインクラフトとは

 『Minecraft』(マインクラフト)は、Notch(マルクス・ペルソン)と彼が設立した会社・ Mojang ABの社員が開発したサンドボックスゲームである。サバイバル生活を楽しんだり、自由にブロックを配置し建築等を楽しむことができるコンピュータゲームである。
 2018年初頭の時点で、全てのプラットフォームでの販売が累計1億4400万本を突破した。

 地元民である私にとっては嬉しい。もしかして駅東側にあるWIZ系の専門学校生が製作したものなのか?ここまで細かく再現できるとは正直感服してしまった。

 では実際の郡山駅周辺の映像と比較してみよう。

 結構リアルに近い出来だ。細かい描写も完璧だ。では我が街・郡山をもっと深く知ってもらうために、「A列車で行こう」でCG化して再現した映像とテレビ東京で放送された「空から日本を見てみよう」の郡山市内の様子を掲載し、結びとしたい。

 この絵面も結構、良く仕上がっている。

 7年前、あれほどの震災があったとは思えないほど平静な生活を送っている。

2018年10月18日 (木)

今は無き郡山の建造物特集

 「郡山」は私が生まれ、現在まで居を構えている場所だ。大学時代と初任地の計8年を除き、46年間も住んでいるため、その変遷(街の変化)はすべて心得ていると言って過言ではない。しかも市内の中心地にあたるH山小学校、郡山N中出身なので、駅前は遊び場だったし、幼少の頃は、軍用道路(現うねめ通り)は砂利道、朝日町の市役所周辺は田んぼだらけだった。
 そんな昭和の長閑な風景だった頃から知っている。そこで今日は、私と同年代、あるいは先輩諸氏にとって懐かしいであろう昔の写真の中から、今はもう無い建物を一挙紹介したい。ぜひ当時を懐かしみ、コメントなどを頂けたら幸いです。

 1 ここはどこ?

Img_8014_r

 麓山にある、郡山市民なら絶対に知っている風景だ。左に、オランダの世界遺産「ゴルドバ」を模して建てた「公会堂」、その奥には今は無き「市民会館」、その奥にNHK、右側には現在中央図書館がある場所だが、天文台を備えた「児童文化会館」が見える。下の写真が懐かしすぎる「児童文化会館」だ。昔、デパートの屋上や温泉街で見かけた古めかしいゲーム機があったし、渡り通路で繋がれた西側の平屋には図工室のような空間のある教室があった。

Img_7998_r

 2 ここはどこ?

Img_8020_r

 この画像がどこかわかる人は、昭20年代生まれの方に違いない。真ん中の建物は、昭和末期まで存在した「昭和シェル石油」のガソリンスタンドだ。とすればどこか?
 答えは、私が行きつけの酒屋さんの真向かいにかつてあった「朴」(ボーキ)のGSだ。さくら通り沿いの虎丸町と長者の境で、現在はドコモショップやツルハドラッグが立つ場所である。
 「SHELL」と書かれた後方にあるのは、かつて木造だった頃の「郡山二中」だ。
  
 3 これはどこ?

Img_7994_r


 これはわかりやすいと思う。右の白い建物は、「郡山警察署」で、その左奥が「郡山消防署」だ。現在の「郡山署」は高度経済成長に伴い、交通量が増え、事故が多発していた国道4号線と49号線の交差点に移転したが、当時は「善導寺」南隣りの現在の「郡山消防署」に同居していた。新産業都市にあって、この規模ではかなり手狭になった。まして、当時の郡山市は「東北のシカゴ」と称されるほど「やくざ」が多かった。治安維持には移転する必要があったのだ。
 それにしても躍進著しかった広域郡山市をこんなちっぽけな警察署で守っていたのは・・・。

Img_5298_r

 懐かしい旧消防庁舎の火の見櫓。その裏手にある学校は「金透小学校」だ。左端には今ではもう撤去された歩道橋が懐かしい。実はこの歩道橋、市内熱海町の国道49号線沿いにある「らーめん工房味噌屋」の向い側の資材置き場に放置されている。

 4 ここはどこ?

Img_8021_r

 どうみても学校だが、ここがどこだかわかりますか?なんとここは市内中心部・虎丸町のさくら通り沿いにあった「ザベリオ小学校」だ。今はここに「ホテルハマツ」が聳え立っている。
 「ホテルハマツ」の開業が平成3年5月だったから、建設期間を含めれば、昭和末期まであったと思われる。その後、「ザベリオ学園」は市内西部の自衛隊の北側に移転したが、それまではこんな一等地に小学校と中等部、そして南東側には幼稚園まで備えた幼小中の一貫教育の先駆けとなる私学だった。

 5 ここはどこ?

Img_9699_r

 これはわかりやすいだろう。この道路は「さくら通り」で、やはり清水台から虎丸町方面を撮影した絵面。「大友パン」の斜め向かいには、昭和の頃まで巨大な2階建てのスーパー「ヨークベニマルさくら通り店」が立っていた。1階が食料品売り場で、西側にあったエスカレーターを上がった2階では衣料品を販売していた。3階は商品倉庫と事務所があった。何を隠そう、一時期、ここで私がアルバイトをしていたので隠しようのない事実だ。
 この真向かいには知る人ぞ知る「トキワスーパー」があって、その東隣りには、紳士服専門の「赤トリ井」があった。その後、旧トキワスーパーは私の行きつけだった「ブックオフ」となったが、老朽化が激しい建造物だったせいか2011年の震災で崩壊し、取り壊された。

 平成に入った頃に、「ベニマル」は今の郡山二中の南側の、現在のツルハ&ドコモショップがある場所に移転したのだが、旧日東紡第二工場があった場所に「THE MALL郡山」が建設されるのに伴い、約2年ほどで閉店した。売り場が手狭だったことも理由のひとつだ。
 「ベニマルさくら通り店」があった場所は、現在は芳山公園」となっている。それにしても郡山市には市街地にやたら多くの公園がある。荒池、酒蓋、麓山、鐘堂、開成山、21世紀記念公園(旧日東紡第一工場跡)などだ。

 21世紀記念公園がある旧日東紡第一工場跡地は、地上20階建ての国際会議も可能な一大イベントホールを建設する計画があったのだが、それが途中で頓挫し、広大な公園と化した。おそらく老朽化した「合同庁舎」をそこに移転するつもりだったのかもしれない。
 
 また、「さくら通り」とは名ばかりで、昭和までは通り沿いに植えてある街路樹は「柳の木」だった。秋頃まで長い葉が垂れ下がり、視界を妨げ、鬱蒼としていた。

 さて、本日は郡山の中心市街地をメインに、昔あった懐かしい建物を紹介した。なぜなら、私の実家がやはり虎丸町にあって、40年前、どこに何があったまで詳しく知っている。ぜひ懐かしく思い出された方は、コメントをお寄せください。特にH山小、郡山N中出身の方は大歓迎です。
 また、今日紹介した画像は、ほんの一部ですので、機会があればまた当ブログにて紹介できればと思います。

 

 なお、この記事をお読みになり、懐かしいと思った方は、ぜひ昔のエピソードを添えてコメントをお願いします。普段は、当ブログではコメントを受け付けませんが、「郡山の話題」だけはコメントを募集したいと思います。

 

 

2018年6月16日 (土)

郡山でアレが無くなったワケ

 我が街・郡山市は不思議やなぞであふれている。昔は当たり前のように行われていたイベントなどが、急に取りやめになったとか、なぜ行政判断でそうしたのか理由がわからないことが多い。今日はそれを話題にしたいと思う。

 1 開成山の大花火大会

 昭和の時代は、夏の風物詩として郡山の花火大会と言えば「開成山の大花火大会」だった。毎年、うねめ祭りの2~3日前の7月31日に行われていた。
 しかし、平成8年頃に、急遽、この市民の楽しみは奪われた。その主な理由は、「住宅街に近い開成山での花火は安全上問題がある」とか、住宅街であるがゆえに「花火の音がうるさいと苦情が多かった」とか、そもそも「不景気で協賛金が集まらないからだ」などと当時は噂されていたものだ。
 たぶん3番目の理由が有力だと思う。そしてそれに替わるかのように、今、郡山の花火大会と言えば、富久山町と安積町のカルチャーパークで行われる花火大会だ。しかし、開成山の時分と比べて、規模は縮小しているし、交通の便も悪い。バイパスを走行中の車窓や新幹線から偶然見れてラッキーという印象でしかない。

 私は幼少の頃、間近で開成山の花火大会の光の輪と爆音の中で育ったので、あれがないと夏が来た気がしない。

Hanabi

 2 鼓笛隊パレード

 今でも福島市と会津若松市で行われているのに、郡山ではとうの昔に無くなった小学生の一大イベントが「鼓笛隊パレード」だ。県合同庁舎を起点とし、そこから演奏を始め、市内の各小学校が隊列を組んで、指揮者、バトン、トランペット隊、太鼓隊、ピアニカ、リコーダーなどを演奏しながらさくら通りを西に練り歩いた。途中、ホテルハマツ(かつてはザベリオ前)と長者(一本松)の資生堂があった地点に審査員席とテレビの中継所を設けた。そして内環状線を渡り、総合体育館前の駐車場まで演奏しながらパレードを行っていた。

Kotekitai


 このイベントも市民の楽しみだった。しかし、いつの間にか終了してしまった。そこでその質問を郡山市に行った時の回答を掲載したい。

 <回答内容>

 鼓笛パレードにつきましては、平成9年度に小学校長会の「鼓笛パレード検討委員会」において、週5日制の導入に向け授業時間の確保が難しくなったこと、さらには交通規制により交通渋滞等のさまざまな問題が生じることなどの理由から、平成11年度より実施を見合わせる決定をし、今日に至っています。
 現在、鼓笛隊を編成している学校では、運動会等において日頃の練習成果を披露したり、各地区の鼓笛パレードにおいて交通安全や防犯等のアピールを行ったりするなど、各学校が工夫しながら地域に根ざした活動を展開しており、子どもたちの活躍の場所を確保しているところです。
また、本市では、小・中学校合唱祭、合奏祭及び音楽学習発表会や各種コンクールの実施、一流の音楽家を招いて指導を受けながら他校と交流する「心のハーモニー学校音楽振興事業」の推進等を通して、子どもたちの音楽性・表現力の向上と発表の場の充実を図ることにより、「楽都郡山」を担う人材育成に努めております。

 私は、小学校の頃、あの頃に流行した「ビューティフルサンデー」と「錨を上げて」をトランペットで吹いて自宅近くを歩いたし、なんと私の演奏している姿が大アップでテレビ画面に映ってしまい、翌日学校で友達に冷やかされたものだ。親も子供の晴れ姿を楽しみにしていた恒例行事だったので、なんとか再開してもらいたいものだ。現に今でも会津若松市や福島市では伝統を守って毎年行っているのだから・・・。

 3 開成山公園にあった競馬場

 現在、市民のオアシスとなっている「開成山公園」。広大な敷地に桜並木の遊歩道や噴水も整備してある五十鈴湖、野外音楽堂、SL広場、ばら園などがあり、とにかく癒されるスポットだ。しかし、昭和30年代まで、ここが競馬場だったことを知る人は少なくなった。広大な湖(実際は池だが)の周囲を馬が走り、実際にレースも行われていたのだ。

 開催時期は1904年(明治37年)から1956年(昭和31年)までで、当時の安積郡桑野村に福島県産馬畜産組合連合会が開成山競馬場を建設した。当時は、1万頭規模の生産を行っていて、福島でも馬券を発売するようになると、数万人を集め、地方競馬としては全国屈指の賑わいを見せた。
 しかし、戦争によって事態は一変した。郡山競馬場と呼ばれたこの馬場も1939年(昭和14年)に軍馬資源保護法により、鍛錬馬競走が行われるようになり、戦後は1949年(昭和24年)には福島市に場所を移したことで、政府の要件を満たさなくなり、公認が得られないまま廃止に至った。

Kaiseizan_keiba

 4 市役所を朝日に移転した理由

 無くなった訳ではないが、市役所を細沼町の現・合同庁舎から朝日の現庁舎に移転した理由を挙げたい。
 今の市内朝日一丁目にある郡山市庁舎は、1968年(昭和43年)に新築された。それまでは細沼町にあった。現在、県の合同庁舎として使われている、石づくりの重厚かつ歴史的建造物だ。なぜ市街地中心部から、当時、田んぼしかなかった場所への移転を決めたのか。それは1965年(昭和40年)に郡山市旧市内と周辺集落とが大合併し、大郡山市が誕生した。マンモス市議会となり、旧庁舎では手狭になったことと、各部署の業務を推進する上で支障が出ると判断されたことによる。

 そして今、映画のロケにも使われた由緒ある造りの「県合同庁舎」が解体取り壊しの危機に見舞われている。なぜなら近く、ビッグパレット周辺への移転が計画されている。文化的価値やぜひ後世まで残してほしい。

Gouchou

 5 なぜ県庁を郡山に持ってこないのか

 福島県や福島市の成立経緯や地理的に県の中間部に位置していることなどから、県庁を郡山に移転しようという動きが近代より現在に至るまで県内に根強く残っている。これは明治18年の県議会において賛成37、反対16の大差でいったんは可決され、当時の県令である三島通庸から上申書が内務省へ提出されたが、不明瞭な経過を経て却下されたことが尾を引いている。県の北端である福島市に県庁及び国立大学、県立図書館、県立美術館、県立医大、附属病院などの公共施設が集中することから不便、不公平感を訴える県民の声が根強くあり、東日本大震災を経て現在でも会津地方及び県南・県中地方の自治体などから請願書が県へ提出されている。

 要は地理的に立地条件や交通アクセスが抜群の郡山市に県庁を移転してしまうと、人口でも県3位の福島市は人口が激減して廃れて何もなくなってしまうという危惧がある。

Fukushimakencho

 6 なぜ国家プロジェクトとして「安積疎水」建設が必要だったのか

 年間雨量が 1,200 mm にも満たない当地は、疏水が引かれる前は、阿武隈川に向かって傾斜して水利が悪い丘陵地帯であったこともあり、荒涼とした安積原野となっていた。安積原野を流れる五百川、藤田川、逢瀬川、笹原川などの河川は流域面積が小さく、安積原野にあるため池群も流入河川がなく干ばつの影響を受けやすく、広大な原野は牛馬の餌となる牧草を取る入会地しか用途がなかった。

 一方、明治維新の最中、各地で士族の反乱が起こり、その対策として安積原野開拓が脚光を浴びるようになる。そこで、1878年(明治11年)にオランダ人技師ファン・ドールンを現地に派遣し、猪苗代湖から安積野原野一帯の調査を行い、その調査の結果、安積疏水の開削を政府に決断させた。1879年(明治12年)、国直轄の農業水利事業第1号地区として着工され、日本海への流量を調整し水位を保持する十六橋水門、安積地方へ取水する山潟水門が建設され、隧道、架樋等、延85万人の労力と総工費40万7千円(現在約400億円)によって130kmに及ぶ水路工事が僅か3年で完成した。灌漑区域面積は約 9,000 ha と広大で、当地を一大穀倉地帯に変えた。 なお、郡山市は、平成の大合併により市域を広げた新潟市が誕生する前は、米穀生産量日本一の市であった。

 1898年(明治31年)には疏水に水力発電所が設置され、その電力を利用した製糸業が発達し、また、1908年(明治41年)からは飲用水としても利用して、当地の人口増加を支えた。

Asakasosui


 さて、郡山市は昭和の時代に新産業都市に制定、平成には中核としてして発展を続けている。人口は32万人を超えた。歴史と伝統に満ちているが、反面、50年近く住んだ私でさえも、なぞ多き街だ。長年、市の役職を歴任した私の祖父や、市の中心地に50年以上居を構えていた父が存命であれば、より詳しいことを聞けたと思うのだが、10年以上前に他界していて、それもかなわない。

Kooriyamasisyo

 詳しい事情を知っている方はコメントなどでお知らせください。

 最後に、私が好きな「郡山市民の歌」をどうぞ!

 郡山市民の歌は、市政30周年を記念し昭和29年に制定されました。歌詞は一般公募により募集し、多くの作品の中から内海久二氏の作品が選ばれ、作曲は福島市出身の作曲家・古関裕而氏に依頼をしました。

1 あけゆく安積野 希望の汽笛 
  あのひと この街 みなぎるちから

  ああ 奮い立つ 故郷は
  あこがれのせる若駒か
  すすめよ我らの 郡山


2 輝くあだたら ささやく瀬音
  あの鳥 この花 幸せ歌う

  ああ うるわしい 故郷は
  やさしい母のまなざしか
  育てよ我らの 郡山 


3 働く喜び 夕べの祈り  
  あの星 この窓 楽しいまどい

  ああ やすらかな 故郷は
  溢れる夢の ゆりかごか
  栄えよ我らの 郡山

2018年6月 6日 (水)

郡山のいわく付きの場所

 今回の記事は、「郡山市民を恐怖に陥れるつもりなど毛頭ない」ことを冒頭で断っておきたい。
 人口32万人を超える中核都市である我が郡山市は、私がこよなく愛する街であると同時に、50年以上前から街の移り変わりをつぶさに見て来た私としては、発展は目を見張るものがあるし、かつて「東北のシカゴ」と呼ばれるほどヤクザが多く治安が悪かった時代は消え去り、今では「楽都」としての地位を確保し、安心して暮らせる緑多き明るい街になった。

 そんな中、どこもそうだろうが、気をつけて貰いたいスポットというのもある。今日はマイナスイメージかもしれないが、大好きな街だからこそ、心を鬼にし、そんな曰く付きの場所を取り上げたい。ただし悪意はないのであしからず。
 5月29日(火)公開の「郡山ゴーストタウン?!」に続くマイナスイメージ記事だが、あまりめくじらを立てずにご覧ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 1 血塗られた町?!

 国道49号線沿いに「桑野」という地区がある。平成に入ってその区域で立て続けに3件の殺人事件が発生した。しかも半径500m以内だ。ビリヤード場、スーパーマーケット、そしてカラオケスナックだ。
 また、バブルの頃、この一帯には高層マンションの建設ラッシュがあり、完成後、そこから投身自殺する事件が複数件起きた。郵便局至近のハウジングメーカーの展示場で幹部社員が自殺したり、なぜだか不審死や変死、孤独死、事故も多い土地柄だ。
 ここに暮らしている方には申し訳ないが、開成山大神宮から見て「北東」にあたり風水的にも良くない、つまり「鬼門」にあたるという。

 詳しくは「大島てるの事故物件」サイトをご覧ください。私の記事がホラ吹きなどでないことを理解してもらえると思う。下の火災のようなマークが事故物件だ。この図だけでも10件もあるのだ。

Img_8059_r

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 2 公園が危ない!

 開成山公園、酒蓋公園、麓山公園など古くから郡山にある市民のオアシス的存在だが、そのいずれでも首吊り自殺があった。
 開成山公園は五十鈴湖の赤い橋の北側に藤棚とベンチがあるが、そこで2004年5月28日の早朝、元市議会議員の男性が死んでいるのを散歩中の人によって発見された。

Fujidana
 
 酒蓋公園は震災以降、異様に放射線が高いホットスポットとして全国的に有名となったが、実はそこのトイレなどでも複数回首吊り自殺があった。溺死体も見つかっている。

 https://www.youtube.com/watch?v=7L4oDylW4Ys
 
 さらに麓山公園内の神社がある小高い場所でも、もう40年ほど前になるが、雑木林で首を吊った男性が発見された。ここは巨大な慰霊塔や動物の慰霊碑があるなど不気味で昼に訪れても鬱蒼として人影が少ない。
 私にとってここは鬼門中の鬼門で、脚を5針縫う事故を起こしたし、彼女との初デートで失敗した場所でもある。ろくなことが無かった危険スポットだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=xRgdeu-jG4o

 そして市内西部の外れにある逢瀬公園でも怖い事件があった。東側の駐車場で、暴力団員が男性を集団で殴る蹴るなどして殺害した。

 また、市内西部の待池台は工業団地として有名だが、平成24年、その一角にある池で、夜中に釣りをしていた若者が酒を飲んで池に飛び込み、溺死する事件が起きている。

Machiikedai

 市民のオアシスであるべきはずの場所でこのようないわく付きの事件が起こっていることを知る市民は少ないと思う。

 加えて、公園ではないのだが、東山霊園も夜に訪れては危険な場所だ。昭和の頃は、ここで暴走族の集会が開かれたとよく聞くが、このような死者が安らかに眠る場所で、そのような罰当たりの行為をしたとは正気の沙汰ではない。今は、放射性物質や汚染土が市内各地からここに運ばれ、かつて400mトラックがあった運動場に、多数のフレコンバックが
所狭しと山積みになっている。死んだ後も汚染物質に苛まれ、おちおち永眠もできない。 

Higashiyama

 ほかにもR49沿いの富田町にある親水公園で、去年、死んだ赤ちゃんが放置されているのが見つかった。
 郡山市内には大小数多くの公園があるのだが、こうした事件や事故が多いと、訪れるのを憚りたくなる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 3 磐梯熱海駅前周辺は大丈夫か?

 私が4歳の頃、真冬の2月に磐光パラダイスとその隣接するホテルで大火があった。宿泊客ら31名が焼死する大惨事となった。その後、磐梯グランドホテルが再建築され、長らく営業を続けてきたが、平成に入った頃に廃業となった。

Img_8002_r

Img_5300_r

 その後、しばらく更地となっていたが、今年、なんと「ほっとあたみ」という熱海多目的交流施設として生まれかわった。水を差すようで心もとないが、地鎮祭はしていると思うが、かつて31名もの死者を出した場所に人工芝のサッカー場を建設。過去の火災事故を知る者としては、地縛霊の祟りで怪我人が続出しないことを祈るばかりだ。
 なんとここには過去の大火災事故の事実を包み隠すように、慰霊塔も慰霊碑も何も建立されていない。地縛霊の祟りが起きないのが不思議でならない。

 火災のニュースはコチラ

 熱海小学校の北側にある「常圓寺」がその火災で焼け出された焼死者の遺体安置所となった。

 また、磐梯熱海温泉では、別のホテルでも全国的な会議の会場として使われた際、その夜の懇親会で出席者同士が喧嘩となり、衣服に火をつけて焼き殺す事件が起きた。
 さらに、今は廃墟と化している「河鹿荘」での骨壺事件は有名だし、磐梯熱海駅前にある、今は使用していない老舗温泉旅館では、肝試しに入った男性2人が、死体を発見する騒ぎが起きている。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 4 郡山城の在り処は?そして・・・

 郡山市の北の方に若葉町というのがある。かつてコマツ醤油があった北下がりの坂道は夏に「鬼子母神祭り」という横断幕がかけられるが、そこは「法現寺」がある一帯なのだが、正しくは「如宝寺」関連の墓地だ。
 そこからうねめ通りを挟んだ向かい側(西ノ内一丁目地内)にかつて郡山城があったとされている。今は公園と隣接して老人介護施設になっているが、ここもいわく付きの場所だ。
 城があったということは、かつて伊達政宗率いる軍勢と逢瀬川を挟んでにらみ合いがあった。もちろん多少の合戦(郡山合戦)はあったろうから、死者も出ている。落ち武者の霊を目撃したという噂が止まない。証拠に乏しいが、開発工事の際に土塁跡などが出て来たことから、ここに史跡があったのは間違いないようだ。

 郡山城に関する記事はコチラ

 http://www.koriyama-bunkaisan.jp/story/story05.html

 http://atenzasports23z.blog.so-net.ne.jp/2008-11-10-1

 ここは合戦があったとすれば、多くの戦死者を出した土地柄である。しかし、郡山市は、ここを遺構とせず、民間会社に売却し、住宅の分譲地として販売することを決めた。こんないわくつきの場所にマイホームを持てたとしても、絶えず戦死者や落ち武者など心霊の影に怯えて暮らせるのだろうか?

 また、墓地がある西側の、現在、シ○ズストアがある辺りは元、パチンコ屋だったが、その50年ほど前までは「屠殺場」だったのをご存知だろうか?この周辺は砂利道だった道路まで豚の血で真っ赤に染まり、絶えず悪臭が漂う場所だった。この近くに昭和初期から住んでいる義父から聞いた話なので真実だ。

 5 憩いの遊園地で死亡事故が2件も発生

 郡山の西部、郡山南ICの近くにあるのがカルチャーパーク。郡山市民の憩いの場所で、遊園地や体育館・屋外プールなどのスポーツ施設が充実した場所だ。
 しかし、そんなオアシス的なスポットで、実はジェットコースターで2件の死亡事故が起きたことを知る人は少ない。
 2004年の8月と2012年9月の2回、共に同じ場所で点検中の作業員が無人走行して来たコースターに挟まって命を落としている。保守点検中にもかかわらず、出発ボタンを押した人的ミスによる事故だった。

 新聞記事はコチラ   
 https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0802M_Y2A900C1CC1000/

 https://www.youtube.com/watch?v=IGm6Gev6Tic

Jetcoaster_accident

 6 夜訪れたら怖すぎる場所

 大町の阿邪詞根(あさかね)神社

 そもそも神社やお寺は夜に訪れるものではない。国道4号線から50mしか離れていない場所にもかかわらず、ここは昼間でも高い木立に囲まれ、薄気味悪い場所だ。しかも、その西向かいにあった「星総合病院」が移転したため、現在でも廃墟のまま放置されており、一層不気味さを漂わせている心霊スポットと化した。肝試しにはうってつけだろうが、その病院では数千人規模で患者が亡くなっている筈だから、霊感の強い人は何かしらの霊を見ることは間違いない。

 詳しくは「神社探訪 狛犬見聞録・注連縄の豆知識」のHPをどうぞ!

 http://www.komainu.org/fukusima/kooriyamasi/asakane/asakane.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 7 未解決殺人事件(mixiの記事をそのまま引用)

 2000年1月18日夕方、郡山市大槻町に住むアルバイトの山岸亜世美さん(17歳)の行方がわからなくなった。
 山岸さんは18日、友人に「知人男性と会う」と話していた。同日の夕方には家族に「知人に会う、ちょっと出かけてくる」などと言い残して、知人男性が運転する車で出かけた。その後帰宅しないため家族が25日に捜索願を出した。また友人には数日前には「10万円ほど必要だ」と話していた。
 行方不明になった翌日の1月19日、山岸さんがアルバイトしているスナック近くの郡山市片柳町の路上に携帯電話が落ちているのを通行人が見つけた。道路に投げつけられたように一部が破損していた。携帯電話を調べると18日夜以降の通話記録はなかった。携帯電話は山岸さんが未成年のため、知人男性が保証人になっていた。
 携帯電話は1月に発見されたあと、家族のもとに戻された。しかし2月に入って家族が福島県の三春町内で紛失。遺体発見後(後述)に警察が紛失したと思われる付近を捜索して再び発見されている。
(遺体発見)
 2000年4月3日午後4時ごろ、郡山市逢瀬町の大久保川で、首と両手足をロープで縛られて死んでいる山岸さんの遺体が渓流釣りにきた男性によって発見された。川幅は約5メートルで水深は約40センチ。水量は少なく、遺体が上流から流れてきた可能性は低いと見られ、発見場所で遺棄されたものとみられた。発見現場では争ったような形跡は見られなかった。
 現場は郡山市中心部から西の猪苗代湖に向かう途中の山間地。市道の行き止まり付近で、周辺に民家は少ない。若いアベックが乗った車が夜に入り込んだりする場所だった。1月中旬まではこの場所へも車が入れたが、2月上旬の大雪で通行が出来なくなり3月下旬ごろまでは通れなくなっていた。発見2日前に渓流釣りが解禁されてイワナを釣る人たちが入ったことで発見につながったと見られる
・・・・・。
 遺体は額に鈍器で殴られたようなあとがあり、体の数か所を殴られるなど暴行を受けたあとがあった。解剖の結果、死因は首を絞められたことによる窒息死であることがわかった。死後約2か月と推定された。
 両手両足を縛った紐は、ホームセンターなどで購入できる「インシュロック」と呼ばれる特殊なものが使われていた。この紐は合成樹脂製で、電線を束ねるときなどに使われている。幅5ミリ、厚さは1ミリ程度の平らなひも状のもので、階段状の切り込みが入っている。片方の端の穴に、もう一方の端を差し込んで使用するが、ストッパーが階段状の切り込みとかみ合うようになっており、締める方向にしか動かない。一端締めてしまうと人の力ではなかなかはずせないという。
 山岸さんは外出時にはスカートをはいていたが、発見されたときには青色のジャンパーに水色のズボンを身につけ、厚底ブーツを履いていた。財布が残されていたが中に入っていた現金は残されていた。
(山岸さんとは)
 山岸さんは市内中学を卒業後、専門学校に通っていたが「働きたい」として自主退学。人材派遣会社に登録してアルバイトとして同市内のスナックや旅館などで接客業をしていた。中学校の同級生は1月17日に食事をしたときは変わった様子はなかったと話している。髪を染めて厚底ブーツを履いていた。コンビニにタクシーで乗り付けて羽振りが良かったという印象を周りに与えている。知人らによると行方不明になる前年の秋ごろから年上の男性と交際していたという。明るくて人なつっこい性格。中学校時代はソフトボール部に所属していた。
(捜査)
 自宅に数か月前から無言電話が相次いだことがあった。同じ頃男性の声で山岸さんを中傷する電話もあった。事件前年の秋には自宅の電話番号を変更したという。
 山岸さんの広い交友関係で犯行可能性のある対象者が広がり、捜査を難しくしている。仕事柄、携帯の電話番号登録数も数百件と多く、そのほとんどが匿名だったことも交友関係の捜査を難しくさせた。
 遺体を縛った特殊な紐は地元のホームセンターでは一か月に30本ほどしか販売されないもので、購入者の特定なども行われたが犯人の絞り込みにつながるような結果は出ていない。

 この記事は、もう事件発生から18年も経っているのに、一向に解決されず、風化されるのを危惧して掲載した次第だ。一日も早く犯人が捕まってくれることを願うばかりだ。

 8 郡山の怖い道路事情

 郡山市は国道4号線と国道49号線が交差している。4とか49は「人の死」を連想させ、縁起が悪い番号とされている。福島県内には、ほかに福島市には国道13号線もあるし、阿武隈山系を貫くように国道349号線が走っている。ここまで福島に不吉な数字の国道が走っているのは何か因縁でもあるのだろうか。偶然にしては集まりすぎている。
 私が生まれた昭和30年代後期は、国道4号線がようやく舗装された頃だったが、昭和40年代の「モータリゼーション」の発達によって、高度経済成長と相まって、急激に交通量が増えた。よって主要国道が交差するその周辺は、交通事故が頻発した。
 よって昭和47年にその交差点の南西側に警察署を移転した。それまでは、郡山警察署は今の消防署の北隣りに隣接していた。当時、新産業都市に指定された割に、小さな庁舎だった。交通戦争に対処するため、そしてヤクザ対策も早急課題であったことから、手狭になったため、移転したようだ。
 こういうことを考えてしまうと、怖くてハンドルを持てなくなるが、郡山の国道・県道・市道・バイパスなどでは毎年、交通死亡事故が複数件発生している。そこは予期せぬ死に陥り、成仏できない霊がさまようスポットでもある。
 私などは、「死亡事故発生現場」という看板が出ていたり、路上の花束、それからかつて死亡事故が起きた場所を通過する際には、必ず合掌している。
 近年、国道での自殺行為が発生した事案を紹介したい。

 2017年7月5日、国道4号線あさか野バイパス付近で血だらけの女性が倒れているのが発見されました。高架橋から飛び降り自殺をして車にはねられたそうです。

 その模様はこちらのサイトをどうぞ!http://nakayoshi-togi.com/post/567

 亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 今日の記事は、やや怖くて郡山市にとってはマイナスイメージになる。しかし、予め知っていれば、「君子危うきに近寄らず」ではないが、近寄らないだろうし、ある意味「覚悟」というものができる。

 変に恐怖心を煽るつもりはないが、郡山にある注意すべきスポットを知り、安心して暮らせるようにしていただきたい一心でしたためたまでだ。

2018年5月29日 (火)

郡山ゴーストタウン?!

 タイトルだけを見れば、我が街・郡山は過疎化が進み、ゴーストタウン化しているような印象を与えるかもしれないが、決してそうではない。ではなにゆえこのようなマイナスイメージのテーマで記事をしたためるのか?

 それは郡山の中心市街地のみならず、市内北西部に位置する「磐梯熱海温泉街」でさえ、もう使われなくなった店舗や廃業した旅館が廃墟化している。解体費用も膨大に嵩むことから、醜くもそのままの姿で放置されている現状を危惧してのことにほかならない。

 ではさっそくタイトルに掲げた内容を実証したい。

 1 太田記念病院(中町)

 歴史は古く、明治28年に郡山市の中町に医院を開設。昭和32年に、今廃墟として残されている病院の建物が竣工した。
 1989年9月、太田西ノ内病院へ移設。1989年10月熱海総合病院を太田熱海病院に改称。2009年3月閉院。(廃墟検索地図の記事より)

 ここは私が幼少期から中町にあった郡山一巨大な大病院。子どもの頃は、救急指定だったこともあり、「ここに運ばれれば死ぬ」という悪評まで立ったが、これがなければ郡山に巨大病院はなかった。太田一族は、先祖代々、親戚までもが医師の家系で、市内各地で大小多くの病院経営を行っている。現在は太田西ノ内と太田熱海病院を展開している。
 歴史が古いだけに、移転するまでの42年の間に一体何人の患者がここで亡くなったのだろうか?死者のさまよえる魂が浮遊しているかもしれない。ここを解体し、いったん更地にして再開発しても何かしらの非科学的な現象が起きるかもしれない。
 まして郡山にあった「室塚医院」(虎丸町)や「本多記念病院」(並木)のように、解体後、マンションにするのだけは勘弁して欲しい。怖くてそんなマンションには住めない。

Otakinen

 なお、念のためだ群馬県にある太田総合病院とは全く関係が無い。

 2 星綜合病院(大町)

 郡山市大町2丁目に病院があったが、建物の老朽化が進んでいたため、2011年1月に新築移転の認可が行われた。その後、同年3月11日の東北地方太平洋沖地震で建物が大きく被災している。現在も解体はされておらず、当時のまま残されているが、地震の影響で、渡り通路が空中でぶら下がったまま朽ちている。敷地内はバリケードで囲まれているため、落下物の犠牲になることはないが、巨大な渡り通路が落下するのも時間の問題だ。

 新病院はかつて福交ゴルフガーデンの打ちっぱなし場があった跡地に建てられた。土木工事で化学薬品が大量に検出され、一時工事がストップした。
 となりがアミューズメントパーク「ラウンド1」で、東部幹線道路を挟んだ東側は昔、火葬場だった場所。よくこの場所に巨大病院を建設したものだ。
 名前の通り、上空からこの大病院を見ると、「星形」をしている。大町の時には高層ビルが2棟あったが、5階建てだが、低く感じる。
 各フロアともに明るく、開かれた病院という印象が強い。
 ちなみに、ここの星北斗理事長は、何を隠そう、私の中学校の1つ上の先輩だ。何度も話したことがある。全校生を前にして、「電子レンジ」の仕組みを説明し、マイクロウェーブ波の特性について解説するほど頭が良かった記憶がある。
 また、私の2人の子どもはここの産婦人科で誕生したし、耳鼻科によく診察券を取りに行ったものだ。

Hoshisougou

 3 寿泉堂病院(大町)

 私はここで診療を受けたことがあるし、母親が25年前に「一過性脳虚血」で入院した際に、何度も見舞いに訪れた。駅前の市街地にど~んと構え、昔ながらの古い佇まいを見せていた。後から増築したかのような迷路のような作りだった。

 しかし、その後、第2うすいの南側に高層病院として生まれ変わった。ここが怖いには、1階~6階までが病院で、そこから上層階がマンションで居住可能な点。一見、同じビル内に総合病院があるのは、病気の際ありがたく感じるが、病院というところは、大勢の患者が命を落とす場所でもある。その同じ建物内に住めるのだろうか?そしてここは救急指定病院になっており、夜中だろうが何だろうが、救急車のサイレン音がけたたましく、安眠妨害も甚だしいはずだ。
 駅前に建ったロイネットホテルやアパホテルからこの廃墟が丸見えで、宿泊客は、どういう気持ちでこの病院を見ているのだろうか?マイナスイメージは否めない。

Jyusendou

 この3大病院廃墟については「Webログ郡山」に詳しく書かれています。

 http://weblogkoriyama.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

 郡山には他にも「南東北病院」という巨大病院が存在している。福島正徳先生が来て脳腫瘍の鍵穴手術をするので有名だったが、最近は、院内感染で死者を出し、悪い評判が立った。ここには廃墟はない。富久山~八山田界隈に次々と病棟を増設し、さらに巨大化している。

 他にも病院だった場所は、並木の「本多記念病院」や郡山警察署斜め向かいの「福島中央病院」(図景)、「旧国立郡山病院」(希望ヶ丘)、「保科医院」(細沼)などがあるし、泌尿器科系の斗星堂病院(清水台)もあった。

Hondamemorial

 4 うすい百貨店女子寮(多田野町)

 今から30年以上も前まで使われていた老舗百貨店「うすい」の女子寮。なんと中心市街地から15kmも離れた多田野町の田舎に建てられた。まるでうら若き女性達を隔離しているかのようで、三森峠に向かう手前の辺鄙な場所にある。学校のような作りだが、投じはここで集団生活を送っていたのかと考えるとおぞましい限りだ。周辺には墓地があるし、街灯も店などもない。夜中に怖くて外出などできない。
 中に入ったことがないので、内部は不明だが、不心得な人が不法に入り込んで内部を撮影したようだ。外観もそうだが寮というよりもまるで学校といった佇まいだ。

Usui3
Usui2

 5 河鹿荘(熱海町)

 ここも30年以上も前に廃業した老舗ホテル。奥行きが無く、今で言う「アパホテル」のような造り。夏場は雑草がぼうぼうで、足を踏み入れるのを憚りたい朽ち果てた状態。客室の窓は割れ、浮浪者が入り込んで生活していそうな佇まい。一時期、肝試しや廃墟マニアが入り込んで、骨壷を発見したという噂があったが、それは真実だった。
 私は怖くて足を踏み入れたことは無い。というより、不法侵入で逮捕されるのが関の山。

 6 磐梯熱海駅前の閉店したスーパー

 今から20年くらい前、まだ営業していた時に、店で買い物した経験がある。昔ながらの地元密着の良心的な店だった。今は建物自体は残っているが、物寂しい有様だ。この近くの元湯温泉旧館も廃屋になっているが、そこで肝試しをしていた男2人が、遺体を発見して騒然となったのを新聞記事で読んだ。

 いつのまにか撤退や廃業して規模縮小や無くなった店

 ワークマン・・・今は大槻町、安積町荒井、富久山町、小原田の4店舗のみ

 コメリ・・・富久山町、守山、希望が丘の3店舗 かつては7~8店舗あった

 ビバホーム・・・今では針生と桑野のみ かつては安積、喜久田、横塚にもあった

 カンセキ・・・ホームセンターだが、かつては新さくら通りの堤と亀田にもあった。しかし、
        ビバ、カインズ、ケイヨーD2、ジョイフル山新、ダイユー8などホームセンター
        激戦区の郡山にあって、あえなく撤退した。

 リオンドール(旧ライオンドー)・・・会津が本拠の大型スーパーだが、今や郡山市内には
        西田町に一店舗あるのみ かつては備前舘や新さくら通りにもあった。

 スキーショップ・・・ビクトリア(朝日)・アルペン(桜木)

 味の民芸・・・かつては長者や安積町荒井にあった。福島県からは完全撤退

 サンショー・・・イゲタストアから名称を変えて事業拡大したスーパー。東部幹線沿いの今
         や「ペップキッズ郡山」がある

 半田屋・・・東部幹線の横塚にあった仙台が本社のセルフ型レストラン。私の行きつけだ
       ったが、1年ほど前に撤退した。

 何か栄枯盛衰を感じてしまう。流行り廃りが著しい現代において、市民に愛され残る店と、切り捨てられる運命だった店や建物。この差はあまりにも激しい。

 ひとつ気がかりは、そうした店舗で働いていた従業員はどうなったのだろうか?解雇されて、仕事を失ったのか。それとも配置転換で別の店へ異動になったのか・・・。

 

2018年5月12日 (土)

郡山の危険地帯

 お断り

 本日の記事は過激な内容も含まれており、気分を害する可能性があります。それを承知される方はお読みください。それ以外の方はここで退席願います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は郡山市在住だが、この街はかつて「東北のシカゴ」と言われた。昭和の時代は「ヤクザ」が多く、駅前周辺は夜は物騒な場所だった。そして平成の初期は、さくら通りは週末の深夜を中心に暴走族の通行道路となり、安眠妨害が甚だしかったし、さくら通り沿いには駅前から歩いて帰る若い姉ちゃん達に狙いをつけたナンパ族の車がズラッと列を成した時期があった。
 今は「暴力追放都市宣言」を推進し、駅前周辺に巣をつくる「カラス族」を除けば、今は治安が回復し安心して街を歩けるようになった。

 そんな現代にあって、今でも郡山市街には、あまり行かない方が賢明な「危険地帯」というのがある。郡山に半世紀も住んでいる私が独断と偏見で選んだ危険個所を一挙提示したい。

 1 朝鮮民族の巣窟

 Youtubeの説明書きを原文のまま掲載します。

 郡山市の文化通り近くのはやま通りに朝鮮総連福島県本部と韓国民団福島県本部があるらしいです。文化通りの一つ先のはやま通りに総連と民団。
福島県で郡山市は一番、在日人口が多いみたいです。
 郡山市にパチンコ店が異常に多い理由が何と郡山市に朝鮮総連と韓国民団のアジトみたいな県本部があるから遊技業が盛んなのかいな?
 果てさて強制連行された在日が郡山市に住み着いたのか? 
 それとも勝手にパチンコとか焼肉屋のような民族産業が人口の多い郡山市ならば商売になるみたいに考えて福島県に住む在日が住民票を移して郡山市に勝手に住み着いたのか?
 撮影したい動画があったのでついでに郡山市に寄ったので在日の密度が高いらしい文化通りの鶴見坦の周囲を雨の中、ちょっと走りました。

 福島県に在日なんていないよ・・・よ思っていたらそうじゃなくて、実際、郡山には多いみたいですよ。

 実際、朝鮮民族はB型が多いが、この郡山市はB型がやたら多い。日本人の22%がB型だが、郡山市は28%もいる。

 郡山市は政治思想が強い土地柄で、左翼や中核派のアジトもあるようだ。

 2 堂前・陣屋

 堂前と言えば、昭和の時代はヤクザが蔓延る危険な町だった。4号線から一本西に入った場所は路地裏の飲み屋街だったが、そこにヤクザが暗躍していた。みかじめ料をとったり、闇博打が行われ、売春婦もストリートガールの如く、暗闇で手招きしていた。それが暴力団の資金源になっていたようだ。陣屋は平成の繁華街で、「エリートビル」が立ち並ぶ。ここは金・土に行けばわかるが、黒い服を着た強面の方たちが、夜な夜な集う店がある。今ではclubやスナックが多いが、かつてはキャバクラや性風俗の店があった。
 でも今最もヤバイ場所は、郡山情報ビジネスの校舎があるビル周辺だ。よくぞあんなところに専門学校を建てたものだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=BSjx0qL81tM

 3 交通事故が多い場所ワースト4

 ① 並木交差点(コナカ・ビッグボーイ・福島銀行・シダックス)

 ② 美術館通り横塚交差点(ドンキ・パチンコ屋・浄化センター)

 ③ 国道4号線(現在は288号線)南東北病院周辺

 ④ 国道49号線喜久田周辺(郡山ICから喜久田消防署の間)

 死亡事故のニュース記事を見ると、結構この4箇所が該当していることが多い。交通量の差もあるが、なぜか郡山の大規模病院がある周辺での事故が多い。

 ①は太田西ノ内病院、②は星総合病院、③は南東北病院がある。
 ①と②は右折車と直進車の衝突事故が大多数。②はかつて薬師堂火葬場があった場所だけに、死者の怨霊でも災いしているのか・・・。
 ③は歩行者が国道を横断して撥ねられる事故が多く、④は速度オーバーでの車同士の事故が多い。
 同じ場所で何度も死亡事故が起きるのは、死霊が招いているのかもしれない。

 4 守山地区

 ここには朝鮮人学校(福島朝鮮初学校)がある。もちろん、そこに通う児童生徒は何も悪いことは無い。しかし、その親たちは、一体どこで働き、稼いだお金を祖国に送金しているのかと考えれば、まともな仕事をしているのかと疑念を抱いてしまう。堅気でまともな商売ならいいが、闇ビジネスや麻薬の売買に手を染めていないだろうか。
 そして東山霊園方面には終戦後に引き揚げて来た時の大陸人たちが多く暮らしている。酪農家で塩の付く名字の方は ほとんど北方より待避された人が多いが、もう70年経過しているので、その二世三世としての末裔が残っているだけとなっている。
 また、戦時中は郡山駅裏の化学工場で強制徴用された労働者がいたとのこと。戦時下で青壮年日本人男子がほとんど徴兵(=強制徴用・強制労働)され、労働力が足りなくなったから朝鮮人を連れてきただけということ。 朝鮮人は志願者を除いて戦場の前線には送られなかったし、全員とは言わないが金銭条件を提示して労働力を徴集した例が多かった。

 5 日和田地区

 ここは一見平和そうに見えるが、闇が深い。この地区はどういう訳か、国際結婚している人が多い土地柄だ。奥さんが韓国人や中国人だったり、南米や東南アジアから嫁いだ女性が多くいる。もともと農家が多く、嫁不足が深刻化している場所だが、日本人男性と結婚させる斡旋業者でも暗躍しているのか。

 調べて見たら、案の定、結婚相談所を営む業者があった。

 右がそのサイト→ http://kekkon-kuchikomi.net/entry218.html

 金目当てで日本に来る外国人とは絶対にトラブルが多いに違いない。文化・風習・慣習の相違は大きく、そんなに上手く行く筈がない。

 6 殺人事件・自殺者が際立つ朝日・桑野界隈

 「大島てるの事故物件」サイトを見ればわかるが、この両地区だけ際立って報われない死者が多く発生している。桑野は平成に入って4件の殺人事件が相次いで発生した。また、高層マンションからの飛び降り自殺などもやたらと多い土地柄だ。なんと朝日と桑野だけで12件もの事故報告があるから半端ない。

 本日私が指摘した地区に住んでいる方は憤慨するかもしれないが、「君子危うきに近寄らず」で、迂闊に踏み入れないほうが賢明。何かの予防線や指針にして欲しい。

2018年5月10日 (木)

ガソリンスタンド事情

 かつて「大協」とか「丸善」、「JOMO」、「共同石油」という名の石油元売り会社が経営するガソリンスタンド(GS)が日本全国に展開してあったのをご存知でしょうか?
 ガソリンスタンド経営は、中東の石油情勢で浮き沈みが激しく、紛争などで原油価格が高騰すると、一般ユーザーを直撃するし、また、国道沿いでは過当競争で値下げバトルによって薄利となり、採算がとれずに経営を圧迫し、あえなく店をたたむケースが相次いだ。

 私が暮らす福島県郡山市は、かつて中心市街地にも数多くのガソリンスタンドがあった。しかし、今や郡山一のメインストリートの「さくら通り」には一軒もガソリンスタンドは無くなった。

 「さくら通り」は、東は国道4号線との交差点から内環状線を経て西の国道49号線までの約4kmを指す。ではかつてどこにあったか見てみたい。

 1 虎丸町 「増子文房具」の西隣りにある「遊佐商店」のところに小さな給油スタンド
  が一個だけあった。たぶん、車のガソリンではなく、家庭用灯油販売だったと思う。

 2 虎丸町 ホテルハマツ(かつてはザベリオ学園)の向かい側に「丸善石油」の「北日本
  石油」があった。その後、「コスモ石油」に変わったが、平成に入ってすぐ撤退した。

 3 虎丸町 「丸三文房具」の東隣りに「大協石油」のミニスタンドがあった。昭和の頃に
  消えた。

 4 虎丸町 現在の「ツルハ」「Docomo」がある場所は佐藤燃料「朴」の「昭和シェル」のス
  タンドだった。平成になった頃まであったが、その後、「駐車場」、「ベニマル」と移り変
  わった。

 5 長者 安積黎明高校の西隣りには「カメイ」が経営する「日本石油」のGSがあった。

 6 長者 さくら通りと内環状線の交差点(南東側角地)にあった。メーカー名は忘れたが
  結構賑わっていたと思う。今はオシャレな店舗だが、昔GSだった名残が見られる。  

 7 朝日 市役所の西側にある「ニコニコこども館」はかつて、「郡山会館」→「ラフィーネ
   郡山」とその名称を変えたが、その西隣りに「出光興産」のGSがあった。

 8 開成 国道49号線から100mほど手前の南側に「モービル石油」のGSがあった。
   今はコンビニの駐車場となっている。

 このように、昭和の頃は「さくら通り沿い」だけでも8つものGSがあった。しかし、今は「ゼロ」というお寒い事情。だからさくら通り沿いに暮らす住民は、ガソリンや灯油を求めに行く場合、新さくら通り沿いや内環状線沿い、うねめ通り沿いまで出向かなければならくなった。不便極まりない。

 続いて、かつて一世を風靡していたCMで、今では見られなくなった懐かしいCMを紹介したい。

 ① モービル「バナナで釘が打てる-40℃の世界」

 ② キグナス石油

 1990年・キグナス石油(エクソンモービルグループ時代)のα‐100ガソリンCM。今も現役バリバリだが、ここ郡山では見かけなくなった。

 ③ 日石灯油

 ④ 共同石油

 共同石油は日本各地にあった有名ガスステーション。それが「JX日鉱日石エネルギー」に吸収された。つまり今の「ジャパンエナジー」。

 ⑤ JOMO

 JOMOは日石と合併し、「ENEOS」に統一された。

 ⑥ エッソ

 かつて一世を風靡した「エッソ」、「モービル」、「ゼネラル」はエネオスブランドに統一されている。

 ⑦ 昭和シェル石油

 https://www.youtube.com/watch?v=nweh4HMN-vs

 アイルトン・セナが出演したこのCMは一世を風靡した。

 郡山市内にはこのGSが10箇所生き残っている。

 ほかにも取り上げたい石油会社のCMはあるが、容量不足のため、今回はここまで。

 さて、これらの動画映像を懐かしんでくれた方は、本日の記事の趣旨を理解されたと思う。1980年代から90年代にかけて、こんなにあった石油元売り会社も生き残りを賭けて合併や統合を繰り返して来た。GSのCMも随分様変わりした。それくらい生存競争が激しかったということの証明になる。

 なお、ここ郡山では、エネオスが圧倒し、出光、エッソ、太陽石油、ゼネラル石油が生き残っている。