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郡山の話題

2019年9月11日 (水)

郡山の来し方行く末(現況と未来)

 流行り廃りが激しい昨今の風潮だが、我が郡山市もまた好不況の差が著しい。特に多くの店が開店し、そして閉店に追い込まれ、目まぐるしい変化を遂げていると感じるのは決して私だけではないだろう。
 そこで今回は、人口33万人の中核都市である郡山市で、最近の兆候を探りたい。
 

 1 大病院の廃屋跡はその後どうなった?
 
  郡山に昔からあった三つの巨大病院。中町の太田記念、大町の星総合病院、そして駅前の旧丸井の西側にあった寿泉堂病院。そのいずれも新築して移転したが、もう7年以上も経つのに、そのまま放置されていた。特に2011年に起きた東日本大震災で損壊し、渡通路が崩落した星病院はその後、どうなった のか。そこで実際に現地に行って確かめてみた。

  ①太田綜合記念病院(中町)
   2009年3月31日で閉院し、その後10年間も中心市街地の真ん中に放置されていた。夜に近くを通りかかると不気味で、気持ち悪
  かった。ビューホテル北側の通りからはバリケードで封鎖されて長期間、正面玄関を拝むことはできなくなっていた。
   しかし、2019年9月に付近を通ったら、現在も建物は幽霊屋敷の如く残っている。跡地をどうするかは地権者と協議中らしいが、老
  朽化が激しいため、大きな地震や放火などの火災の懸念は未だに残っている。

  ②星総合病院(大町)
   こちらは逢瀬川沿いの駅の北東側の旧福交ゴルフガーデン跡地に、近代的な星形の大病院を建設し、平成25年1月に移転したものの、
  旧病棟は未だに放置されている。
   その東隣りに阿邪詞根神社があり、薄気味悪く、夜間は近づきがたい雰囲気を醸している。6階くらいの渡り廊下は崩落して宙ぶらりん
  のまま。危険な状態にあるのに、解体する印象はない。
   一時期、6階建ての高齢者専用の介護住宅の建設の話が持ち上がったが、その計画は現在頓挫している。

   参考記事

   https://www.facebook.com/FukushimaMinpo/posts/890565327640929/
   

  ③ 寿泉堂病院(駅前)
   こちらはうすい百貨店と連絡通路で結ばれた超高層ビルに移転した。なんと上層階はマンションになっている。私は絶対に住みたくな
  い。なぜなら、大病院は救急指定になっており、重篤な患者が運ばれる。また末期がんや余命いくばくもない重病患者が多く入院し、治療
  にあたっているが、毎年、数百人単位で亡くなる場所でもある。その上の階に住めるのだろうか?私は霊感などまったくないが、それでも
  夜とかは怖い。毎晩肝試し状態だ。それに、真夜中であっても、お構いなしに救急車のサイレンが鳴り響く。私は無理だ。
   ところで、旧病棟だが、こちらも駅前の繁華街の一等地にあるのだが、未だに取り壊す兆しすら見えない。その周辺はビジネスホテル
  が林立しているのに、幽霊病院の様相を呈しており、景観もよろしくない。不気味で、宿泊客が夜中にカーテンを開けたら、廃屋病院が目
  の前にあるというのは精神衛生上もよろしくはない。早急に対策をお願いしたい。
  
  再開発有力記事
   https://www.jusendo.or.jp/_general/news/2010/08/post-5.html

   しかしながら、巨大病院だった土地は再開発は難しい気がする。跡地にどんな建物を建設しようが、心霊スポット化するのは必至。心霊
  現象が起きてもなんら不思議ではない。ましてホテルやマンションは拒絶反応が大きいだろう。
   私は、個人的にはこおりやま健康科学専門学校のような、医療系の専門学校や、ふたたび病院を建設するしか手はないように思える。地
  鎮祭や除霊の儀式をしたとしても、気分的に穏やかではない。


 2 店舗撤退が相次ぐ

   郡山は高度経済成長期に新産業都市に指定され、県内一の商業都市の位置づけを確立した。しかし、バブル崩壊によって老舗百貨店の閉
  店や中央資本の大型デパートやスーパーが相次いで撤退した。一時は「そごう」誘致に本腰を入れたが、それに反対する団体が県議会議員
  を市長候補に立て、それが当選するやいなやたちどころにその話はお釈迦になった。
   そして21世紀に入り、中小企業の倒産や過当競争による共倒れラッシュに見舞われた。あのうすい百貨店やホテルハマツであっても経
  営難で、中央との資本提携により、なんとか持ち直した経緯がある。また、かの福島交通でさえも傾きかけ、民事再生法適用により、再生
  支援機構の助けを借りてなんとか経営を持続している状態だ。
   そんな中、かつては事業を拡張して店舗を増やした企業でも急速に衰退しているものがある。それを列挙したい。

   「ほっともっと」
    私が知る限りでも、さくら通り店(虎丸)・うねめ通り店(桜木)・島一丁目店・愛后店がこの2年で閉店した。
    かつては「ほっかほっか亭」と「ほっかほか亭」論争や「日の丸亭」などの名称で弁当屋が隆盛したが、今ではほっともっとが郡山に
   6店舗あるのみ。

   ホームセンター

    「コメリ」は、昭和から平成初期にかけて郡山市内だけでも8店舗あったが、現在は富久山、守山、希望ヶ丘の3店しかない。
    ホームセンターも「ビバホーム」「カンセキ」「ケイヨーD2」などが店舗を減らした。「カンセキ」や「ジャンボエンチョー」、
   「ユアファクトリー」に至っては郡山から完全撤退した。
    ビバホームは一時期、トステムと事業提携したが、現在は解除。喜久田と横塚にも店舗があったが、現在は昭和の頃からある「桑野
   店」と「針生」近くの大槻店のみ。
   逆に店舗を増やしているのが「ダイユーエイト」だ。
    私の中でホームセンターは「ダイユーエイト」を除けば「カインズ富田店」「ジョイフル山新」「ビバホーム桑野店」しか思い浮かば
   ない。
   
   回転寿司、テイクアウト

    「小僧寿し」「小銭すし」、「元禄寿司」、「元気寿司」、「平禄寿司」、「室町寿司」など、一時は全盛期があった寿司業界。パッ
   ク寿司販売の大御所だった小僧寿しが「花館」と名称を変えてしばらくつないでいたが、驚くなかれ郡山市内はおろか現在は福島県内か
   らは完全撤退し、一店舗も無くなった。回転寿司は「かっぱ寿司」(3店舗)と「スシロー」、「まぐろ亭」、「はま寿司」、「とっ
   ぴー」、「平禄寿司」くらいしか思いつかない。郡山のインター線沿いにあった「くら寿司」は撤退し、福島県にはひとつもない。


   「ゼビー」

    郡山だけでなく、県内各地に支店があった紳士服専門のゼビオのカジュアル系部門の店舗。若者に絶大な人気を誇ったが、今やゼビオ
   に完全吸収。

   
    家電量販店

    仙台に本社を置く「イセヤでんき」は郡山に3店舗展開したが、完全撤退。
    「庄司デンキ」は後に「電激倉庫」になったが、こちらも撤退。
    福岡地区に展開する「第一家電」も長者と日和田に2店舗構えていたが、短期間の営業で完全撤退した。
    「Yesそうご電器」は朝日町にあったが、イオンフェスタに移転。
    「よつば電機」は茨城県を中心に事業を行っていたカトー電気の合併し、「ケーズ」になった。
    「コジマ」もまた49線の喜久田町にも店舗があったが、今や警察署の斜め向かいの一店舗のみ。
 
    書店

    「東北書店」、「郡山書店」が二大勢力だったが、相次いで閉店。同級生の叶書店も無くなった。
    「岩瀬書店は49号線桑野の現在「ビデオ1」がある建物と安積町にあったが、統合し、富久山町に一店舗あるのみになった。
   
    その他、撤退や閉店が著しい店 
 
     「ダイシャリン」・・・桑野店・安積店が閉店 県内は伊達店のみになった。


     かつては郡山に数多くの店舗を構えていたが、現在はほぼ撤退し、壊滅状態にある。コンビニもセブンイレブンが開店続出なのに対し、
   ミニストップの閉店は著しい。 

    躍進が著しい店

    セブンイレブン、ツルハドラッグ(令和元年9月時点でなんと郡山市内だけで19店舗) 

 3 経営危機から甦った企業

   ①福島交通

    福島県中通り地方の足としてバス、飯坂線を運営している「福島交通」。県民にはクリーム色をベースに赤のストライプカラーのツー
   トンですっかりお馴染みだが、2008年に、巨額な赤字を抱え、倒産しかかった。同年4月に会社更生法が適用され、なんとか持ち直
   して経営存続して今に至る。高速バスや路線バスなど多くの路線を抱え、県内一の規模を誇る。万が一、この会社が潰れれば、通勤や通
   学などで多大な支障が出ていたと思う。

   ②ホテルハマツ  

    1991年の虎丸町という市内の一等地にあったザベリオ学園(幼稚園・小学校・中等部)が大槻町の郊外に移転した跡地を利用して
   建設され、オープンした。郡山市で一番巨大で高級感漂う都市型ホテルとなった。客室数も県内屈指で、宿泊料もそれなりに高かった。
    しかし、さくら通り沿いという好立地だったが、駅前まで徒歩15分と結構不便であり、ビジネスマンなどの庶民向けではなかったた
   め、空室率が高く、採算がとれず経営難に陥った。開業から12年後の2003年8月に民事再生法の適用を受け、その後、小山観光開
   発に営業権を譲渡し、さらにホテルオークラとのチェーン契約を結び、危機を脱した。現在ははまつグループからアンサージに営業を譲
   渡している。

    全然関係ない話だが、私は駅前や高速のインター近くに多くのシティホテルやビジネスホテルが建つのは理解できるが、実際に利用価
   値が
高いのは、開成山公園周辺だと思っている。そこには古参の「スターホテル」と、ビジネス系の「αー1」、それに少し離れて「ホテ
   ルハマツ」しかない。かつては巨人軍の常宿だった「開成ホテル」や旅館「熱
田家」があったが、今は前述した2つしかない。この周辺
   に建てたほうがいい理由は、スポーツ施設が密集しているからだ。郡山は福島県
の中央に位置しているため、地の利があって、かつて宿
   場町だったため、ホテル数も多い。よって小中高のスポーツイベントが開催され
る頻度が高い。
    会津、白河、いわき、福島からも出やすい。しかも高速交通網(東北自動車道・磐越自動車道・福島空港・東北新幹線)
も整備されて
   いて、郡山で県大会や東北大会などの各種大会が開催されるのだ。しかし、車を運転できない学生は、駅前に宿をとって
も、その移動手
   段がままならない。タクシーに相乗り、あるいは市内の学生とかち合う朝のラッシュ時に路線バスを利用すると、満員で
乗れないなど不
   便極まりない。
    今のところ、スターホテルが独り勝ちだ。卓球、剣道、柔道、バスケ、バドミントン、バレーなどは「宝
来屋総合体育館」だし、陸上
   競技やサッカーは「ヒロセ陸上競技場」、そして野球は「ヨーク開成山スタジアム」がある。さらには2年前、
同じ開成山の一角に50
   m長水路と25m短水路を併設した県内初の屋内プールである「郡山しんきん開成山プール」までもが新設され
た。実際にここでは高校
   の東北大会を2度開催されたと聞く。オフシーズンには県外の高校や大学が長期合宿を行い、昨年は外国のナ
ショナルチームが貸し切り
   で合宿を行った。

    だから、この一角にホテルを新設すれば、需要があって稼働率が高いのは明らかだ。私は、旧豊田浄水場跡地を再利用して老朽化した
   体育館を移転し、広い駐車場を建設してほしい。そしてその一角に収容人数200室規模のホテルを建設し、宿泊客用駐車場を確保すれ
   ば、大会で訪れた選手たちは、ゲーム後の疲れた体でタクシーやバス待ち時間を短縮でき、徒歩数分でホテルに到着できて有り難い。
   たぶん、予約殺到で空室率も抑えられ、評判も上々だと思う。同時にさくら通り周辺のコンビニやレストランなどの外食産業も客入りを
   見込めるし、一石二鳥、いや一石三鳥かもしれない。すると、駅前はビジネスマン中心、開成山周辺は学生中心というように、すみ分け
   ができると思う。 

    
    

   ③うすい百貨店

    郡山に昔からある老舗デパート。テレビCMのアヒルの親子ですっかり有名となり、浅野ゆう子がイメージキャラクターを務めた時期が
   ある。私が幼少の頃は、食料品や雑貨中心の第一うすいと衣料品などがメインの第二うすいに分かれていた。うすいの7階のレストラン
   でお子様ランチを食べた想い出がある。郡山ではエレベーターが珍しい時代に、エレベーターガールをいち早く導入していた。私はおも
   ちゃ売り場や切手売り場が懐かしい。
    郡山の老舗百貨店は、津野デパート(呉服店)(大町)、丸藤(駅前)、イトーヨーカドー(本町)、そしてうすい百貨店が主流で、
   後に仙台本店の丸光デパートが進出し、丸井、西友(のちに西武)、そしてダイエーが昭和50年だいに入って立て続けに進出してき
   て、顧客争奪の安売り合戦が展開された。
    平成に入ると、中央資本のデパートは軒並み撤退。うすいが生き残ったかに見えたが、2003年、バブル崩壊のツケが大きく、メイ
   ンバンクだった秋田銀行からの申請で産業再生機構による支援が決定され、再生計画が実行された。
    その後、「三越」が株式を所有し、持分法適用会社となって、現在では三越伊勢丹ホールディングスの子会社となり、なんとか営業を
   継続している。

 4 公園だらけの中心市街地

   他県から来た人は、郡山市街地を眺めて違和感を覚えるに違いない。それはさくら通りの周辺に、やたらと大小織り交ぜて公園が多いと
  感じるからだ。旧日東紡績第一工場(細沼・麓山地区)には21世紀記念公園、旧ベニマルさくら通り店跡には芳山公園、ほかにも虎丸
  交差点の四つ角にも小さな虎丸公園、うなぎの大伴の東隣には鐘堂公園、池ノ台公園、酒蓋公園、そして、もちろん開成山公園は桜の名所
  でもあり、市民のオアシスとなっている巨大公園だ。SLや野外音楽堂まであるし、ビール祭りなど各種イベントも毎年行われている。

 5 郡山のタクシー事情

   路線バスは「福島交通」の独壇場であるが、一方で33万人都市を抱える郡山のタクシー事情はどんな具合か。市街地を車で走ると、や
  たら空車や回送のタクシーを見かける。実に外観もカラフルだ。私は八山田方面に住んでいるため、近年、運転が雑多と評判のイエロー
  キャブである「とみたタクシー」を見かける。また、駅前の職場のため、郡山駅にも実にカラフルな客待ちタクシーで溢れている。
   そこで、郡山のタクシー会社の車両保有数をネットで調べてみた。

  1位 クラブタクシー 101台
  2位 郡山観光タクシー 81台 
  3位 西条タクシー(にしじょう)61台
  4位 郡山タクシー 51台
  5位 フタセ交通 42台 
  6位 マルイチひかりタクシー 37台
  7位 うねめ 約20台
  8位 ツバメタクシー(湖南交通) 16台

  ほかにも、かねと(大島前)、日和田、ミツワ交通、ふく山、とみた、ひばりタクシーなどがある。

  個人的には街を流している数が多い「クラブ」と「西条」が二大勢力と思っていたが、薄い紺色系のクラブの圧勝だった。意外にもよく見
 かける「ツバメタクシー」は16台程度だった。

  6 郡山のご当地グルメって?

 私は日本全国津々浦々旅行したが、どこに行ってもその土地でしか食べられない名産がある。東北を見渡しても、岩手と言えば冷麺やわんこそば、秋田は稲庭うどんやきりたんぽ、仙台は牛タンという具合だ。我が福島県を見ても、福島市には円盤餃子や桃があるし、会津若松には馬刺しや味噌カツ、地酒があるし、喜多方や白河はラーメン、浪江もやきそばが全国的に有名だ。しかし、郡山でなければ食べられないような名物料理は残念ながら無いのが実情だ。一時期、グリーンカレーや「鯉に恋する郡山」などというキャッチフレーズで鯉料理で盛り上げようという動きがあったが、イマイチ認知度は低い。スイーツも「薄皮饅頭」や「ままどおる」は土産にはいいかもしれないが、現地まで来て食べるなど人寄せまではいかない。ソウルフードとして名高い大友パンの「クリームボックス」もパンだし、「酪王カフェオレ」もグルメと呼ぶには程遠い。
 50年近く郡山に住んでいる私でも、全国に誇れるグルメというのは見当たらない。郡山は産業都市として経済的にも発展したが、有名な観光資源があるわけではないし、これと言った食の名物が無いのが実情だ。ビジネスで成り立っても悲しいかな、観光で人を呼べる場所ではないのだ。
 そこでこれを打破するために、何かご当地グルメを作れないだろうか?ここ郡山でなければ手に入らないものや、ここまで足を運ばないと食べられない名物だ。
 来年、放送される「古関裕而物語」では、福島市が「聖地巡礼」で観光客が増えることが予想される。先取りして何か先手を打てば、全国の朝ドラファンのハートを掴み、観光客の誘致に弾みがつく。
 郡山も何かをヒントに、多くの方々に訪問して貰えるような名産を官民が協力して構築すべきだと思う。

 

 さて、地元ネタということで、アットランダムに気の赴くままに書き綴ったが、これくらい繁栄と衰退を繰り返しながら今に至っている。 地元の方は、今回の記事にどのような感想を持たれたかわかりませんが、こんなにも入れ替わりが激しいのかと驚かれたかもしれない。個人的に感じるのは、駅前の寂しいありさまだ。バブル期には賑わっていたアーケード街は週末の夜でも人影はまばら。空洞化し、やたら駐車場や再利用が決まらない空地だらけ。出張などで訪れたビジネスマンは33万人都市でもこのありさまかと残念に思うだろう。
 かくいう私も駅から徒歩15分以内のさくら通り沿いの一等地に住んでいたが、今では八山田のほうに引っ越して20年以上が経つ。当時、山と田んぼだらけだった街並みは空地が少なくなり、住宅街と化した。栄枯盛衰を感じざるを得ない。
 安積疎水の恩恵を受けて発展した我が郡山は、かつての輝きを失っても我が愛する故郷には変わらない。これからの発展を死ぬまで見届けたいと思う。

  

2019年6月17日 (月)

未知なる郡山

 これまで当ブログで何度も地元郡山の話題に触れてきた。しかし、足掛け46年も暮らした我が街・郡山にはまだまだ未知の世界や情報があるらしい。
 先日、「サタふく」で「郡山市民の歌」が話題に挙がったが、こちらはお昼12時の「こおりやま広報」という放送で、そのメロディが流れるし、小学校では必ず歌い踊ることから市民の多くに認知されている。
 しかし、今回私が知らなかったものが実在した。それを取り上げたい。

 1 「安積疎水讃歌」「安積疎水音頭」

 よもや郡山にこのような歌や踊りが存在していたとはつゆ知らず。昭和初期の頃に制作・録音されたと思しき古めかしさが漂う。では実際に聴いてみてください。

 なんと歌っているのは、昭和の国民的歌手の東海林太郎。ノイズも凄いが曲調が渋い。まるで赤影参上を彷彿させる時代もの。直立不動でマイクから離れて歌った頃の世界観だ。残念ながら安積疎水音頭はアップされていなかった。東海林太郎は我が福島県に纏わる楽曲を随分たくさん歌っていた。会津戦争の落城を謳った「荒城の月」もそうだ。

 郡山市民にとって安積疎水を知らないものは潜りと言われるくらい、安積開拓には欠かせないものだが、県外の方々は雲を掴むような話だと思うので、いったんここで「安積疎水」について簡単に触れておく。
 

 安積疏水(あさかそすい)は、水利が悪く不毛の大地だった郡山の安積原野に猪苗代湖からの水を引いた国営の大事業。疏水とは、潅漑や舟運のために、新たに土地を切り開いて水路を設け、通水させることをいう。明治32年に運転開始した水力発電施設・沼上発電所は、発電施設脇にある落差約40mの飛瀑が見ごたえあり。近代化産業遺産にも指定され、近年、「日本遺産」に認定された。郡山の産業発展は、安積疎水無くしては実現しなかった。それほど重要な国直轄の一大プロジェクトだった。

 「安積疏水開墾物語 一本の水路」 

 2 郡山の怪談話

 当ブログでは、これまで郡山の怖い話を数多掲載して来たが、昔話や怪談話はあまり触れて来なかった。ラジオ福島で民話を集めた「福島のむかし話」という番組を平日の夕方に放送していた。今もやっているかは不明だが、よく通勤中に聴いたものだが、怪談話には縁が無かった。実際に郡山に関わる怪談話など存在するのかと疑問だった。勝手に作り上げた捏造話の類かと思えるほどだ。怪談と言うからには、実話に基づいた話に違いない。

開催:2011年11月12日(土)(午後1時~3時半)
講師:岡田 峰幸(歴史小説家、歴史絵草紙編集長)

概要:
 1. 太郎殿の祟り
 2. 伝説の真相
 3. 地蔵山の一つ目小僧
 4. 妖怪の正体は?
 5. お玉ヶ淵の幽霊
 6. 幽霊は妖怪か?

 3 50代以上の郡山市民が懐かしいことうけあいの古い画像集

 さて、自らの基準で勝手に私が知らぬ話や世界を列挙した。半世紀ちょっとしか生きていない私にとって、郡山の歴史を紐解くのは容易になせる業ではない。おそらくは郷土史研究家でも知らない話はごまんとあることだろう。私の命が続く限り、我が街の歴史やいわれなどは今後も探っていきたいし、謎があれば解き明かす努力はしていきたいと思う。 

2019年5月 5日 (日)

郡山の屈辱

 私は足掛け46年も郡山に住んでいる。高校までは郡山の中心市街地の一等地に住んでいたこともあり、駅前周辺は遊び場で、同級生も多く、街の移り変わりをしかと見届けて来た。どこに何があったかも結構覚えているし、バブル期の街の賑わいも知っている。しかし、平成以降、どうも郡山の街は活気が失せ、かつての中心市街地が空洞化によって閑散としている現状を危惧している。
 今日は、それらを「郡山の屈辱」と題し、私が普段気がかりになっている点を吐露したい。

 1 郡山を素通りする新幹線

 「はやぶさ」「こまち」は「郡山駅」には1本も停車しない。時速300キロを超える速度で郡山駅のホームを通過する新幹線がなんと多いことか?たぶん、郡山市民はその数の多さを知らないだろう。最近、時刻表を眺めていて驚いた。なんと上下合わせて56本もの列車が人口33万人の中核市で、交通の要衝である「郡山駅」を素通りしているのだ。一方で、停車するのは98本あるので、実に3本に1本以上が通過している計算だ。実に驚きだ。
 しかも郡山駅から大宮駅までは「やまびこ」利用時で、平均すると1時間ほどだ。しかし、「はやぶさ」を利用すると仙台から大宮まで1時間7分で到着できるので、さほど差は無い。それほど速い新幹線が郡山には停車しない。ちなみにはやぶさ10両、こまち7両の17両編成の場合、郡山駅で目の前を通過するのに6秒かからない超高速通過だ。
 しかも嘆きたくなるのは、福島県の人口で3番目の福島には停車するのに、郡山を通過する新幹線(つばさ・やまびこ)まで存在する。これは屈辱以外の何物でもない。

 下の時刻表をクリックすると拡大表示されます!

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 2 閑散とする郡山駅前

 駅というのはその市町村の「顔」である。35年前のバブル期の郡山の駅前を知る人間からすると、今では朝夕のラッシュ時を除けば、人通りが少なすぎる。それは駅前のアーケード内を歩けば一目瞭然。私はこの4月から転勤となり、電車で通勤し、駅前の勤務先に通っているが、駅前がこんなにも変わり果てたかと思うとがっかりだ。小学生時分、私は駅前が庭のようなもので、しょっちゅう遊びに行った。同級生の家も数多くあった。「うすい」がある中町通りは日曜日には歩行者天国となり、車両通行止め。買い物客で人がごった返していた。
 昭和52年頃に、「ダイエー」や「丸井」、「西友」が駅前に相次いで出店し、老舗の「うすい」、「丸光」、「津野」と集客のため安売り合戦を展開した。屋上にはアドバルーンが上がり、宣伝合戦も活発だった。

 しかし、時代が「平成」から「令和」に変わった今、駅前の空洞化は無残なほど顕著だ。郊外に大型ショッピングモール(イオンフェスタ・MALL郡山・ヨークタウン・オリエントパークなど)が出店し、駐車場が大きい場所に人の流れも変わってしまった。
 したがって、今、郡山駅前は平日の昼間に訪れると、人が少なくて唖然とする。駅前はホテルこそ林立するが、やたらと駐車場が多いことに気づく筈だ。「ダイエー」や「第一うすい」、「丸光デパート」があったビルも解体され、今は大手のコインパーク駐車場。実にもったいない。皮肉にも残っているのは幽霊病院化した、郡山の老舗の大型病院。「太田記念」、「寿泉堂」、「星総合病院」たちだ。病院は多くの方が亡くなっている場所だけに、再利用も難しくなっている。アーケード内を歩いても駐車場がやたらと多いことに気づく。いずれも「三井のリパーク」や「TIMES24」「エリートリパーク」のコインパーキングだ。しかも安い。朝7時から夕方6時まで日中駐車しても最大で500円~800円だ。

 そして気づくことは、郡山駅前の雑居ビルは「elite」という看板やら表示が目立つ。それと「増子ビル」の文字。郡山駅前周辺はこの二大勢力が旧店舗や空き家、空き地を買い占めている。陣屋界隈も同様だ。
 品川市長には、この郡山駅前の再々開発をぜひお願いしたい。昔を知る者としては駅前に活気が無く、あまりにも寂しすぎる。

 3 観光資源に乏しい

 ビジネスで郡山に出張で訪れる企業戦士は多い。よってホテルは満室が多く、潤っている。それが証拠に、「ビューホテル(2軒)」、「ホテルαー1(2軒)」、「ワシントンホテル」、「郡山シティホテル」、「ホテルロイヤル」、「プリシード」、「クラウンヒルズ」、「東横イン」、「ロイネット」、「アパホテル」、「大八」、「チサンホテル」、「ドーミーイン」、「コンフォート」、「セントラル」、「ホテルハマツ」、「スターホテル」など、数多のシティ型ビジネスホテルが混在している。郊外にも「ルートイン」が2軒建つ。しかし、土日ともなると、ホテルも空室が目立つ。これは、会津若松市とは異なり、観光目当ての客が少ないからに尽きる。つまり、郡山には観光資源が無いのだ。温泉場と言っても郡山駅から磐越西線で4つめの磐梯熱海温泉まで足を伸ばす必要があるし、城下町だったわけでもない。商業都市である郡山は宿場町であっても観光都市ではないのだ。

 郡山は観光PRが下手で、歴史的な建物も安積歴史資料館くらいしかない。テレビドラマ(朝ドラ)などで取り上げて貰って、ロケ地として聖地になれば話は別なのだが・・・。「あまちゃん」の久慈市や「白線流し」の松本市のように・・・。人がわんさか押し寄せるようなPR材料にも乏しい。「布引高原」の風車とひまわり畑もあまりにも遠いし、「浄土松公園」の「きのこ岩」では人が呼べない。昔、「MISHIMA」という映画があり、細沼の合同庁舎で三島由紀夫役の緒形拳が自衛隊員に決起を呼びかけ、切腹・自害するシーンが撮影されたり、映画「時をかける少女」のラストシーンで開成山の桜が使われたが、それだけでは観光客を呼ぶのは難しい。
 藤田川の桜も美しいが、桜の開花は一週間もたないので、年間を通じて誘客出来るような観光地は無いと言わざるを得ない。それでも観光客を呼ぼうと「グリーンカレー」を開発してみたり、「鯉の産地」を前面に出そうと「鯉に恋する郡山」なるキャッチフレーズで新たな魅力を発掘しようと試行錯誤中だが、イマイチパッとしないのが実情だ。

 郡山のソウルフードの「クリームボックス」と「酪王カフェオレ」、土産の定番「薄皮饅頭」や「ままどおる」、「ゆべし」だけでは観光客を呼べない。テレビ局主催の「ラーメンショー」も県外へのPR不足で認知度がイマイチ足りない。
 福島交通のバスや市内のタクシー会社とタイアップした観光ルートを巡れるような新しい戦略が必要なのではないだろうか?ちなみにお隣りの山形市では、市内をウォークラリーしてスタンプを溜めると、「山形舞子」の写真入りハガキセットがもらえる企画を実施して好評を得た。郡山出身のタレント「箭内夢菜」さんや「まこみな」、「植木安里紗」さんなどを起用して、関東や隣県の客、あるいは台湾などからの観光客を呼び込める企画を考案してほしいものだ。数年前に「B級グルメ」や「東京ガールズコレクション」を実施した際に、多くの来訪者があったことを思い出し、老若男女が参加できるイベントをぜひ開催してほしいものだ。

 4 駅東口側が開発遅れの郡山

 福島駅は、西側にも「コラッセふくしま」や「ラウンド1」、都市型ホテル、「ヨーカドー」などが建ち、俄かに活気づいているが、郡山駅の東側はあまり活気がない。20年程前にできた「イオンタウン」はパワーセンターとしてショッピングモール化して、土日を中心に買い物客で賑わっているが、ほかにはあまり人の波がない。それは駅の東側には無駄に大きい「保土谷化学」という戦前からの化学工場が一等地を占拠しているからにほかならない。この工場は第二次世界大戦でB29の爆撃を受け、学徒動員で働いていた高校生も多数犠牲になった場所。ビッグアイの展望室から見ると、この工場がいかに広大で、しかもスカスカで無駄が多いかが窺い知れる。それに東側には阿武隈川が横たわり、水害も複数発生したし、元火葬場だった場所があったり、「ユアファクトリー」や「ビバホーム横塚店」といったホームセンターも撤退する羽目に陥った。
 駅から5km離れた地点には、緑ヶ丘団地という住宅街があって、郡山市街地へ通学や通勤する人も多いのに、駅の東側が見捨てられている気がしてしまうのは私だけか?

 しかし、最近、市内朝日町にある「ヨークベニマル」の本社社屋が手狭になり、郡山東口に移転させるという話が持ち上がり、現実を帯びて来た。場所はかつて「ユアファクトリー」があった東口から東に延びた通り沿いで、東部幹線の手前。一等地だ。この広大な土地を「ベニマル」が取得した模様だ。

 詳しくは「ふくスマなう!」の記事をどうぞ→ http://fukusuma.com/fsnnews-36/


 さて、私の嘆き節が伝わる記事だったと思う。それほど郡山に長く暮らし愛着が人一倍強い私ならではの視点だったと思う。

 

2019年3月29日 (金)

郡山の豆知識~建物の話~

 いつのまにか変わってしまう故郷の景色。そこにあるのが当たり前だった建物が無くなったり、時代の波に流されて、あの「うすい百貨店」ですら劇的な変貌を遂げた。丸井、西武。ダイエー、丸光が鎬を削っていたのも今では遠い昔の出来事になった。
 今日は、郡山の昔の建物に想いを馳せ、あの建造物はいつ建てられたのかについて焦点を絞って検証したい。

 

 「SUN CITY」はいつから「S-PAL郡山」に?

 「島崎和歌子」がアイドル時代にCMに起用されていた「サンシティ郡山」。駅の中に繋がるショッピングモールだ。それがいつのまにか東北地方に展開する「S-PAL」に変わっていた。「サンシティ」は、1982年7月15日に営業を開始した。
 それが、2004年3月に名前が急に変わってしまった。恥ずかしいことに15年も経っているのに、知らなかった。郊外の住宅街に引っ越して20年以上が経つので、生まれ育った中心市街地の変遷に疎くなってしまったようだ。

Suncity Spal

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 「ザベリオ学園」が大槻町に移転して「ホテルハマツ」になったのはいつだった?

 「ホテルハマツ」は「ホテルオークラ」と資本提携して新築された。それが1991年(平成3年)だった。1999年開業の「うすい百貨店」と同様、郡山市には縁遠い「高級ホテル」志向のコンセプトで、敷居が高かったことで、客足が遠のき、2003年に負債240億円を抱え、民事再生法を申請し適用されるなど、一時期経営が傾き、危機的状況を迎えたが、なんとか持ち直している。
 「さくら通り」沿いの一等地に幼稚園、小学校・中学校が併設されていたことも今考えると恐ろしい感じがする。実家から200mほどしか離れていなかったので、ここで私は何度か校庭で遊んだ記憶がある。私の小学校は市立のH小学校だったし、幼稚園も違う。
 この「ホテルハマツ」だが、意外にも駅前大通りに建つ「ビューホテルアネックス」の開業と同じ年。郡山はもともと奥州街道の宿場町として栄えたが、これで一気にホテル建設に弾みがついた。「東横イン」や「アパホテル」、「α-1」、「ホテルプリシード」、「ホテルロイヤル」、「コンフォートホテル」、郊外には「ルートイン」などが開業したのだ。
 一方では1994年にさくら通りと4号線の角に建っていた「サンルート郡山」が、2000年には熱海町の「磐光グランドホテル」が閉館した。

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 フェスタ大観覧車はいつ設置された?

 郡山市の北部に日和田という地名がある。そこに1996年(平成8年)にジャスコが開店し、富田・八山田地区が区画整理で住宅街へ大変身を遂げた。「JUSCO」は、今では「イオンフェスタ」(2011年)に店名を変えたが、同時に隣接する商業施設がオープンした。「ケーズデンキ」、「スポーツDEPO」、「イエローハット」、「ユニクロ」、「ブックオフ」などだ。その一角にあった、郡山市のラウンドマーク的な存在だった大観覧車が、惜しまれつつ一昨年に解体され、撤去された。
 ではこの観覧車はいつ設置されたのかというと、2002年(平成14年)だ。つまり15年もの長きに渡り、郡山の強風とも戦いながら、市民のオアシスとして君臨し、老朽化のために解体となったのである。

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 布引高原の風車群はいつできた?

 夏は一面の「ひまわり畑」に埋め尽くされ、そして秋は秋桜畑。眼下には猪苗代湖を一望し、その先には雄大な「宝の山・磐梯山」を見下ろす絶好のロケーション。そして高原に立ち並ぶのが風力発電の風車。その数20基以上。実に雄大な風景がそこにある。
 この布引高原は、2007年(平成19年)にオープンした。つまり12年前。比較的新しい観光名所だ。

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 「ビッグアイ」と「ビッグパレットふくしま」はいつできた?

 西口開発は地権者との交渉が折り合わず、難航に難航を重ねた。今の駅前が誕生したのは2001年(平成13年)で、その年に地上24階、高さ133mのビッグアイが竣工した。もう18年も経過しているとは・・・。商業施設だけでなく、県立高校が入っていたり、巨大な球体のプラネタリュウムなど複合施設となっている。
 一方、ビッグパレットは正式には「福島県産業交流館」という名称で、巨大なコンベンションホールとなっている。郊外にあるため、駐車場が広くとれている。一時期、震災の被災者住宅団地と化していた。こちらは1998年10月に開館した。

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 津野百貨店、丸光が閉店したのはいつ?

 かつては郡山のデパートと言えば、「津野」「丸光」「うすい」だった。それが昭和51年頃から大都市圏の資本が入り、ダイエー、丸井、西友(のちの西武)が立て続けに駅前周辺にオープンした。
 私は中学校の富士ヨット学生服は津野デパートで購入したし、丸光では地下の食品売り場でラーメンを食べたり、7Fのおもちゃ売り場、屋上の遊園地で遊んだ記憶がある。またうすいは第一と第二に分かれ、レストランでお子様ランチを食べたし、屋上のイベント広場では、スーパーカーの展示もやっていた。うすいはイベントだらけで、今でも北海道物産展や駅弁祭りなどを催しているが、かつては世界の爬虫類展なども行っていた。
 丸光は仙台に本店があったが、1980年には撤退した。

 

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 文化の発祥、「市民文化センター」と「ユラックス熱海」はいつできた?

 合唱王国・郡山。安積女子高校の大偉業を讃え、「楽都」としての地位を確立して久しい。かつてはヤクザだらけで駅前で銃撃戦があったり、「東北のシカゴ」と呼ばれた物騒な時代があった。その汚名返上の意味合いもあって、「暴力追放都市」を宣言し、その見返りに「合唱」に力を注いだ。その先人たちの努力が実ったのだ。
 そのきっかけは、今は無き「郡山市民会館」だった。麓山のNHKの西隣りにあった。今では麓山公園や中央図書館利用者の駐車場となっている。私は郡山市民会館には多くの想い出がある。「スター誕生」の公開録画を観に行き、ゲストの西城秀樹が歌った場面も目の当たりにしたし、「NHKのど自慢」では、榊原郁恵の「微笑日記」を聴いたし、高校時代には「谷村新司」のコンサートも観た。幼少の頃はゴジラやガメラの映画も見たし、RFCの公開録音では、くじに当たって記念品を貰ったこともあった。想い出が詰まった会館だった。

 その郡山市民会館が老朽化し、代替地として300mほど東に下った旧専売公社跡地に建ったのが、現在の「郡山市民文化センター」だ。それは1984年(昭和59年)のことだった。姉がそこの職員だった際、浜田省吾の演奏をこっそり録音しテープを貰ったし、おニャン子クラブの高井麻巳子(現・秋元康夫人)のサインも貰ってくれた。

 

 一方、磐梯熱海町の温泉街の一角に、1989年に誕生したのが温泉&温水プール付きのイベントホール「ユラックス熱海」だった。それまではその西隣りにあった1968年開業の「磐光パラダイス」と1971年開業の「磐光グランドホテル」が併設されていたが、営業不振で2000年(平成12年)に約30年の歴史に幕を下ろした。

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 「郡山スケートセンター」って?

 かつては郡山駅前に「郡山中央スケートリンク」があった。とても狭い屋内スケート場だった。階段を上がった2階が狭い通路で、そこが観覧席だった。
 そして、その後、東部幹線と国道49号線の交差点の北東側、阿武隈沿いに巨大なスケート場がオープンした。それが1979年だった。私の後輩の本田武史選手がそこで練習し、その後、オリンピック選手となったのは語り草だ。その後、ゲームセンターゴーカート施設「アミューズパーク」やパターゴルフや釣り堀などになった。

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 ほかにも市民のオアシス的な場所が相次いで無くなってしまった。例えば、「セントラルホール」(安積町荒井)、「郡山南ボウル」(長者)、「郡山レジャーセンター」(安積町笹川)、「やまのい」、「少年文化会館」(麓山)、「アーク・アメリカ村(朝日町)」、「BLUE HOUSE」などである。幼少の頃に遊んだ場所が無くなるのは本当に辛いものだ。

 

 

2019年3月 7日 (木)

郡山は「帰れる場所」

 我が愛する街「郡山」出身の若手タレントに「箭内夢菜」さんがいる。最近も菅田将暉主演のドラマ「3年A組ー今から皆さんは、人質です」に出演している。
 彼女が郡山市の「広告塔」になっているプロモーションビデオを郡山市が制作した。これを見ると、故郷を離れ、都会で頑張っている方々が、帰郷した際には同じ思いになるだろうと察しがつく。そして共感してこのVTRを見ることだろう。
 では早速どうぞ!

 前編(上京編)

後編(帰郷編)

 

 高校卒業後、夢に向かって首都圏に進学する女性を通して、故郷郡山で働く友人との会話や家族の温かみなどをドラマ風に構成した郡山市シティプロモーションビデオ後編。主演:箭内夢菜。出演:白羽ゆり、宮川一朗太、浅野涼ほか

 何か郷愁を誘い、懐かしい気持ちになる。ふるさとは今も変わらない。「帰れる場所がここでよかった」。何かずっしり来る重みのある言葉だ。

 私自身も大学生の頃に郡山を離れ4年間、都会で過ごした。そして社会人になって、会津に1年間住み、その後、いわき市にも4年間住んだが、郡山がどう変わってしまったかが気がかりでならなかった。この30年の間にも、郡山市内は変わった。それまであるのが当たり前だった店が無くなっていたり、そこに住み、暮らしていた人も天国へと旅立って行った。
 一例を挙げると、

 無くなったもの・・・日東紡績第一、第二工場、セントラルホール、ミナミボウル、
            パラマウント硝子、インテリアダイイチ、カラオケヒットスタジオ、
            丸井、東北書店、西友(西武)、丸光、ダイエー(トポス)、角海老、
            電気店(イセヤデンキ・電激倉庫(庄司でんき)・第一家電・そうご電器・
            よつば電機・デンコードー)、ビバホーム安積店・横塚店、かっぱ寿司
            さくら通り店、ブックオフさくら通り&新さくら通り店・津野デパートほか  

 新たにできたもの・・・ビッグアイ・ビッグパレット、ザ・モール郡山、イオンタウン、
             ジャスコ、うすい百貨店、ホテルハマツほか

 

 「ふるさとは遠くにありて思うもの」という言葉があるが、故郷を離れてみて初めてそのありがたみや大切さが身に染みてわかる。たぶん、大都市で過ごしている方も、時々、故郷に帰りたくなるはずだ。やっぱり我が家(実家など)は落ち着くし、変な気兼ねは無用だ。心から安心できる場所、それが故郷なのだと想う。
 まもなく震災から丸8年が経過する。時の流れは早いが、農業・水産業・畜産業・酪農などの第一次産業は未だ発展途上にある。風評被害も甚だしい。これからが福島県民の踏ん張りどころで、名実共に復興が成し遂げられるよう、県民が一丸となって努力を継続しなければならない正念場と言える。

 

 当ブログは、原則的にはコメントを受け付けませんが、この記事について郡山を愛し、共感して頂ける方のコメントをお願いします。

 

 

2019年2月20日 (水)

郡山の意外に怖いスポット

 私が愛する郡山にも、気をつけなければならない恐怖スポットというのがある。私自身は霊感が全くないので、怖い体験をしたことはほとんどないが、「君子危うきに近寄らず」で、できれば避けたい場所があるのもまた事実だ。逆にそういう場所を事前に察知していれば、誤って「魔界の入口」みたいな危険な箇所に足を踏み入れることはなくなるであろう。
 今日取り上げるのは、負の遺産になるため気が引けるが、人が亡くなった場所や怪奇現象が起こりそうなスポットを指摘したい。 

 1 ビッグアイ

 ここは建設工事中、巨大な強化ガラスを運搬している際に、作業員がその下敷きになり、即死した場所となっている。問題の場所は23階のエレベーター付近だ。
 この「ビッグアイ」は地上24階建ての複合型高層ビルだが、商業施設、市民プラザ(行政施設)、県立高校、そして事務所スペース、更に20階から24階までは「ふれあい科学館」の目玉、体験型宇宙劇場やスペースパーク、プラネタリュウム、展望ゾーンなどがある。23階の事故現場はまさに、その宇宙劇場がある場所だ。

 Bigi

Space_park

 しかし、この事故は事実なのに、あまりSNSなどでは公表されていない。評判を落としたり、知れ渡ると気持ち悪がられて、来訪者が減ることを懸念してなのか、真相は定かではない。

 2 駅前周辺のホテル

 実名を出すと営業妨害で訴えられそうで出せないが、これは紛れもない事実なので敢えて書くが、旧丸井があった駅前の一等地に建設され、一昨年オープンした近代的ホテル。実は丸井デパートを取り壊した際に、地中から身元不明の白骨死体が発見された。おそらく、郡山市は戦争末期に4回空襲を受けているが、米軍の爆撃で犠牲になった方の遺体であろうと推測される。また、旧丸井があった時代も、このビルの屋上から身を投げて命を落とした方もいる。そう考えると東向かいの旧西武デパートや丸光デパートでも同様の自殺があった。西武から店舗が変更になった巨大商業ビルも、そこの7階か8階のトイレでも自殺があったとされている。したがって、この辺りは、浮かばれない自縛霊やただならぬ怨念が漂う怪奇スポットだ。
 さらに、今から8年前、駅前のアティの西向かいにある都市型シティホテルから、若い男女が飛び降り自殺しているし、駅前大通りにある巨大ホテルの8階の或る部屋でも自殺があったと2ちゃんねるで囁かれている。「大島てる」の事故物件のサイトにも載らない、地元民しか知らない危険スポットが多々あるのだ。
 こういうことがあると、昔から宿場町として名を馳せた郡山のホテルに泊まるのも憚りたくなる。

Ekimae

 3 市民のオアシスでなぜか相次ぐ自殺や事故

 以前、当ブログの記事で同様の記事を書いたが、郡山は大小多くの公園が市街地に点在している。実はそのほとんどで首吊り自殺や池で溺死する事故が相次いで発生しているのをご存知でしょうか。市民のオアシスとして憩いの場所である筈の公園で多くの死者が出ていることを知ると、迂闊に近づけなくなる。

 1 開成山公園・・・昭和の時代から数えて少なくとも3人が自殺で亡くなっている。
 2 酒蓋公園・・・ここも少なくとも3人が自殺と溺死で亡くなっている。
 3 麓山公園…神社がある近くの木の枝で首吊りがあった。
 4 待池台公園・・・若者が夜中に釣りをして、酒を飲んで池に飛び込み、溺死
 5 荒池公園・・・昭和の時代に溺死事故複数あり
 6 富田町親水公園・・・生後間もない赤ん坊が捨てられ死亡した状態で発見
 7 逢瀬公園・・・暴力団による暴行事件で死亡

 また、公園ではないが、阿武隈川でも多くの方が亡くなっている。つい最近は、近くの小学生が足を滑らせて川に落ち、溺死した。
 こうした公園や川は一歩間違うと死と隣り合わせであることを肝に銘じておくべきだ。

 4 ヤバい場所

 ここで実名を挙げると命の危機に晒されるので差し控えるが、郡山はかつて「東北のシカゴ」と呼ばれるほどヤクザが多かった。中学生時分は学区内であった堂前の飲み屋の路地が危険だと言われたし、駅前の丸光デパートがあったアーケードで、実際に暴力団抗争で銃撃戦が展開された。もちろん、今もその周辺は危険スポットに変わりはない。

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 しかし、今、もっともヤバイのは、NTTの南側にある「専門学校」がある周辺と大島小学校の北側だと言われている。後者は道路を拡張するのに、敷地が一部かかっていたが、なかなか立ち退きに応じなかった。

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 郡山市は昭和63年に「暴力追放都市宣言」を発令し、行政が先頭に立って、暴力団の排除に動き、クリーンなイメージを醸すため「音楽都市」の活動に力を注ぎ、今の地位を確立した。
 ところで、郡山市が決議した宣言が多数あるのをご存知でしょうか。

 1 暴力追放都市宣言
 2 セーフコミュニティ取り組み宣言
 3 ゆとり宣言
 4 音楽都市宣言
 5 新交通安全都市宣言
 6 核兵器廃絶都市宣言
 7 世界連邦平和都市宣言
 8 がん撲滅都市宣言

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 私が知るだけでもこれだけある。宣言した割りに、具体的にどんな活動や試みをしているのかは不明だ。郡山市は他の市町村に比べ、住民税がやたらと高い。50歳を越え、子育てを終えて扶養親族のいなくなった私は、年間30万円以上払わされている。生活もきつきつだ。老後の心配は倍増なのに・・・。

 5 交通事故多発地帯

 昨年(平成30年)の12月に2件、今年(平成31年)1月にも1件、まったく同じ場所で立て続けに死亡事故が起きた。それはヨークベニマル横塚店の前の美術館通り。いずれも70歳前後の高齢者が横断歩道の交差点を横切って横断している最中に車にはねられて亡くなった。150m以内で連続して死亡事故が起きた不吉にして奇怪なスポットと化した。

Kooriyama_yokoduka


 以前、別の記事でも書いたが、ドンキ、ROUND1の東向かいは平成2年まで薬師堂火葬場があった場所。そこを道路(美術館通り)の拡幅工事が行われたが、一部がその敷地にかかっている。しかも、その一帯にはあろうことか、ラーメン屋があったり、放置自転車の集積場所となっていた。多くの郡山市民の終焉の場所に、そのような建物を建て、道路を通した罰が当たったとしか思えない。事故が多発するのは、死者の霊が呼び寄せるのではないだろうか。ここを通勤や通学で通る際は、手を合わせ、念仏を唱えるくらいの用心深さがあっていい。
 私の最愛の祖母も昭和62年に、そこにあった火葬場で火葬しているので、事実に誤りはない。
 

2019年2月 6日 (水)

郡山の不思議

  今日は、私の住む街・郡山にスポットを当ててみたい。これまで何度も地元の話題について触れてきたが、50年近く暮らしていながら謎や不思議、神秘のベールに包まれた部分に光を当ててみたい。

 1 なぜ郡山は風が強い

 冬に冬型の気圧配置が強まると、等圧線が混む。すると北西の風が強く吹くが、磐梯山から吹き降ろす風が、いったん中山峠付近にぶつかり、そこに集まって、その峠を越えて一直線に郡山盆地に流れ込む。ホースの先を絞ると勢いが増して一直線になるのと同じ原理で、郡山市街地に突風が吹き下ろすという理屈だ。(H31.1.29の「FTVテレポート+」の斎藤気象予報士より)

 また、冬場は乾燥が酷い。髪の毛はすぐにぱさぱさになり、枝毛や静電気は日常茶飯事。

 参考映像 https://www.youtube.com/watch?v=bk2zg-Upo9M

 

 2 なぜ郡山の方言は語尾に「ばい」がつく

 これは諸説あって、定説はないのだが、私の見解では、「○○ばい」というのは、九州地方の方言だ。特に福岡県では「ばってん(しかし)」と並んで、語尾に「ばい」を付けることが多い。よく考えてほしい。郡山の五百渕の西側には久留米という地名がある。一説によれば、明治時代、郡山がまだ村だった頃、米不足解消のために、農業用水の整備として「安積疎水」が国家事業として行われた。その際、人手不足を解消するために、九州の旧久留米藩の人々が、働き手として郡山に入植し、その一大事業工事に従事した。
 その人足が日常会話として福岡便を話していたことから、地元の人に伝わり、方言化していったとみている。それが証拠に、会津地方やいわき地方は「~ばい」という人は一切いない。この県中地方に限られた「話し言葉」なのだ。

 参考映像 https://www.youtube.com/watch?v=PGsuB59M1FU

 

 3 日本の「カッパドキア」はどのようにして誕生したのか

 郡山の郊外、西部に位置する逢瀬町。少年自然の家が鎮座するその界隈に、世にも珍しい奇岩群が名勝になっているスポットがある。浄土松公園内にあるそれは、人呼んで「きのこ岩」。トルコの世界遺産「カッパドキア」のミニチュア版だ。にょきにょきと地面が隆起してできたようなその様相は、奇妙としか言いようがない。私は小学生時分に、お泊り学習でのフィールドワークでその山をグループ探検した想い出がある。そのゴール地点がこの「きのこ岩」だった。そこはかくれんぼが出来るほどの奇妙な形の岩の宝庫。
 自然の造形物なのだが、あまりにも神秘的で謎に満ち溢れた隠れ家的な場所だ。

 郡山市の「楽都」というウェブページによれば、松の緑が点在する風景が日本三景の松島に似ていることから「陸の松島」と呼ばれている。 浸食の度合いが異なる地層が、長い年月を経て風化したことにより、さまざまな形をした奇岩になりました。とある。

 しかし、残念ながら平成23年に発生した東日本大震災により、多数が崩壊し、かつての面影は見られなくなった。

 

 4 市民の守り神「開成山大神宮」とは

 大学時代と社会人になりたての頃、計8年間郡山市を離れたが、かれこれ46年も郡山市内に住んでいる私だが、何度も足を運んでいる筈の「開成山大神宮」のことをあまりにも知らな過ぎた。そこで、勉強のつもりで調べてみた。

 伊勢神宮の分霊が奉納されているため、『東北のお伊勢さま』とも呼ばれる。拝殿にある神号は有栖川宮熾仁親王による書。
 主祭神は天照大御神・豊受大神・神倭伊波禮彦命(神武天皇)

 歴史を紐解けば、安積開拓の開拓民の精神的なよりどころにするため、福島県の典事の中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた結果、1876年(明治9年)に認可がおりて創建。1873年(明治6年)当初は「遥拝所」として計画され、翌1874年(明治7年)10月までに本殿と拝殿が竣工した。
 1875年(明治8年)12月3日、中條は地元から挙がってきた伊勢皇大神宮の御霊代を奉祭する神社建設の願書を教部大輔宛てに送付したが、教部省は神宮司庁へ認可を求めるように通達した。東京や横浜でさえ遥拝所であり、許可が容易に得られないと考えた中條は旧知の仲であった大教正・西涼寺雪辰に働きかけてもらい、神宮司庁から許可を得た。こうして1876年(明治9年)1月29日に太政大臣が認可し、8月4日に「開成山大神宮」の名称が決定した。地元では「岩代大神宮」を希望したが、「伊勢神宮」と同じように旧国名を冠することに政府が難色を示したため、「開成山大神宮」となった。

 猪苗代湖から導水した安積疏水の起業式は1879年(明治12年)12月27日に挙行、通水式は1882年(明治15年)10月1日に岩倉具視右大臣ほか要人を招いて開成山大神宮で執り行われた。
 1975年(昭和50年)には御分霊奉遷100年を奉祝して、伊勢神宮より遷宮の際の御用材の撤下を受けて現在の本殿が造営された。これに合わせて元の本殿は現在の場所へ移され、桑野宮となった。

 5 郡山はなぜ昔「東北のシカゴ」と呼ばれていたのか

 昔から駅前や堂前近辺にヤクザが多い土地で、暴力団の抗争が絶えず起きていた。私が小学生の頃、丸光があったアーケード内で、実際に拳銃の撃ちあい事件が起きたし、平成に入ってからも郡山五中前の雑居ビルに銃弾が撃ち込まれる事件が発生した。

 私は「やくざ」とは無縁なので、詳しくは知らないが、興味のある方は、「汚れた顔の紳士達」というサイトに記事があるので下のURLをクリックしてご覧ください。

 http://blog.livedoor.jp/cordial8317-kyudan110/archives/27634281.html

 私は郡山二中学区だったため、駅前は庭のように闊歩していたが、やはり小学生の頃も、エナメル靴にスーツを着たやくざ風の風貌の人や、人相が悪いチンピラ風の輩を何度も目にした。

 それを打破するために「東北のウィーン」を目指し、音楽都市宣言を行い、イメチェンを図った。

 余 談

 全国区に成長した郡山本社の企業

 1 ヨークベニマル(旧紅丸)
 2 ゼビオスポーツ(旧サンキョウ)
 3 幸楽苑ホールディングス(かつては「会津っぽ」「き伝」「チーファン」などを展開)

 ほかにも全国区とまでは言えないが「ままどおる」や「エキソンパイ」が人気の「三万石」や「檸檬」や「薄皮饅頭」が主力の「柏屋」、そして仕出し弁当や駅弁でお馴染みの「福豆屋」、更には福神漬けや漬物が美味しい「小田原屋」、味噌汁や甘酒で有名な「宝来屋」もまた郡山発祥の企業だ。

 6 競争激化で撤退した有名企業

 ①丸井                     ⑪ユアファクトリー                    
 ②西武                     ⑫庄司デンキ・電激倉庫
 ③丸光                     ⑬カフェレストラン「飛行船」
 ④ダイエー                     ⑭岩瀬書店(安積・桑野・備前舘) 
 ⑤第一家電(日和田・長者)             ⑮見聞録
 ⑥イセヤ電気(備前舘・大槻)                 ⑯ビデオフォーラム
 ⑦ビバホーム(安積町・横塚・喜久田)             ⑰ビデオボーイ
 ⑧カンセキ                    ⑱ハローマック 
 ⑨ケイヨーD2(亀田)              ⑲創夢館
 ⑩ジャンボエンチョー(旧ユニデン)             ⑳京樽

 

 その他 お好み焼き道頓堀(菜根店・八山田店)、元禄寿司・ブックオフ(新さくら通り店・
       虎丸店・日和田店)

 

 さて、いろいろと書き綴ったが、郡山は今でこそ人口33万人程度の中核都市になったが、足掛け半世紀近く暮らしている私でも、まだまだ未知の部分や謎めいたスポットが数多く存在している。今日はその中で、ほんの一端を紹介したが、これからも疑問点や隠れたスポットなどを折を見て紹介していきたいと考えている。

  追記

 菅野さんからきのこ岩がある「浄土松公園」は「三穂田町ではなく、逢瀬町だ」というご指摘をいただきましたので、訂正いたしました。

   
 

2019年1月12日 (土)

開運?郡山の絶景スポット5

 1月4日(金)放送の「めざましテレビスペシャル」で、日本全国の「開運スポットベスト30」を発表していた。我が福島県からは三島町にある只見線の河川橋のみが第6位に選ばれていた。ここは三島町の「道の駅」から山間の登山道を上った先にあり、「行くぜ東北!」を始め、多くのCMにも使われたし、旅行誌のグラビアやカレンダーにも使われるほどの絶景ポイントだ。
 そこで私は一案思いついた。このテーマを「郡山市の観光スポット」で当てはめたらどうなるのか?絶景スポットとまでは行かなくても、ため息が出るほどの珍スポットがあるのではないか?そんな発想でトップ5を私のなりに考えたので発表したい。

 1位 布引高原のひまわり畑と眼下に広がる磐梯山&猪苗代湖

 郡山市の南西の外れに布引高原がある。高原だけあって、小高い山の山頂に広がる台地だ。そこに8~9月に一斉に咲き誇る一面のひまわり畑。その頭上には風力発電の風車が並列して聳え立つ。そして眼下には猪苗代湖が広がり、その先には「宝の山」と詠われた「磐梯山」が佇む全景を拝むことが出来る。さらにはその湖面に、まるで鏡のようにその影を落とす様を眺められる。絶好のロケーションだ。
 私はぜひこの場所を「天空の楽園」と名付けたい。こんな絶景が我が街「郡山市」にあったことを心底嬉しく思う。

            Nunobiki

 2位 新緑の銚子ヶ滝

 日本の滝百選にも選ばれた。その形がお酒を注ぐお銚子に似ていることから付けられた。母成峠の手前、熱海町ふれあい牧場から右折し、山道を分け入ると、登山口にたどり着く。そこに車を駐車し、熊すずを鳴らしながら20分ほど林の木立の遊歩道を行くと、分岐点に出る。そこに据えられた急階段を15分ほど下りれば、深い新緑の中にその威容は姿を現す。周辺は滝と澤の音しか聞こえず、人影まばら。それほど秘境感が漂う山の中。
 紅葉時期も美しいが、ここはツキノワグマが頻繁に出現している森の中なので、十分な備えが必要だ。
 私は50歳を目前にしてここを初めて訪れたが、帰りの急斜面の崖のような場所に据えつけられた階段を上のに、心臓はバクバクできつかった想い出がある。そして滝下に15分ほど滞在したが、付近は誰一人おらず、もしこんな場所で熊に襲われたら誰も助けに来れないので、人知れず死んでいく恐怖に襲われたことを覚えている。
 

 3位 浄土松公園の奇岩「きのこ岩」

 トルコの世界遺産「カッパドキア」を彷彿させる、この世のものとは思えないほどの自然の造形美。残念ながら2011年の東日本大震災で一部が崩壊し、昔の面影はないし、周辺は立入禁止になり、周辺から眺めるだけとなった。
 ここをフィールドワークコースにしている少年自然の家が近くにあって、小学生時分、宿泊学習の際に、ここを同級生達と探検したことが思い出深い。

 4位 高屋敷稲荷神社の千本鳥居

 恥ずかしながら、長く郡山市に暮らす私でも、京都の伏見稲荷神社にも似た千本鳥居が参道を埋め尽くす神社が地元にあることを知らなかった。
 5年前にローカルテレビ番組の「ドミソラ」で紹介されて気づき、実際に訪れてみた。郡山の東部に南北に貫くように通っている「農免道路」。人気パン屋の「杜のくまさん」からほど近い場所にそれは建っている。道路の下にあるために、注意して見ないと気づかないで通り過ぎることが多く、だから私も知らなかったのだ。
 でも実際に訪れてみると、丘の上に建つ神社の本殿まで斜面を利用して、朱塗りの鮮やかな鳥居が所狭しと並んでいる。この鳥居は南側の参道だけでなく、東側にも設けられている。

 5位 ビッグアイから眺める郡山の夕景・夜景&駅前イルミネーション 

 2001年に落成した郡山市のラウンドマークビル「ビッグアイ」。地上24階で133mある。このビルは複合型で、MOLTIという名の商業施設、市民プラザという行政の市民窓口、そして高等学校が併設し、22階には展望ゾーンや宇宙体験が出来るテーマパークの「スペースパーク」や、最上階には丸い球体のプラネタリウムまで備えている。
 私のお気に入りはNゲージのジオラマだ。明治・大正・昭和・平成というように、時代ごとに駅舎や駅前の風景の変遷が模型で描かれているのだ。

 こおりやま光のページェント(郡山駅西口広場)

 この作品は、福島県郡山市のJR郡山駅西口広場のイルミネーションをHi-Vision映像で紹介するものです。郡山市は、福島県の中央部に位置し、県庁所在地の福島市が行政の中心とするならば経済産業の中心として経済県都と呼ばれ、米作を中心とする一次産業、大手の工場が多く進出している工業団地を中心とする二次産業、地の利を生かした三次産業など産業構造のバランスとれた地域で、行政人口で33万弱を擁する本県を代表する都市です。また、郡山市は、JR東北新幹線の東北の玄関駅としての郡山駅をはじめ、在来線では東北本線と磐越東、西線及び水郡線の分岐点、JH東北道と磐越道の接続点となっているなど交通・物流の要衝となっています。このJR郡山駅の乗車人員数は1万7、8千人/日と言われ、本県内の駅ではダントツ1位となっています。当イルミネーションは、「ビッグツリー ページェント フェスタ IN KORIYAMA」として同実行委員会が実施しているもので、LED21万個が樹木、施設などに飾られ幻想的な空間を作っており、行き交う人々の目を楽しませているようです。(菅野隆夫氏撮影)

 さて、本日は、「郡山の絶景スポット」というテーマでお送りしましたが、我が街「郡山」にも、探せばこのような魅力あふれる展望スポットがあるというのが嬉しい。
 郡山市民ならもちろん、県外の方も、出張のついでに、あるいは観光旅行の締めくくりにぜひ、ビッグアイに昇ることをお勧めしたい。

2018年12月27日 (木)

郡山市再開発への提案

 郡山市を見渡してみると、これまで郡山駅西口再開発には躍起になっていたが、それ以外の再開発は予算確保の関係もあって、工事の進捗があまり芳しくはない。郡山市民文化センターや開成山周辺のスポーツ施設(宝来屋総合体育館・ヨーク開成山スタジアム・ヒロセ陸上競技場・郡山しんきん開成山水泳場など)は慢性的な駐車場不足がありありだ。それに無駄に公園が多いのも気になる。開成山公園、麓山公園、21世紀記念公園、荒池公園、五百渕公園、酒蓋公園、香久池公園、芳山公園などが市街地に点在し、市民のオアシスとして憩いの場を提供しているが、あまりにも多すぎる感が否めない。

 そして郡山市民の再開発の最大の関心事は、旧農地試験場跡地と豊田浄水場跡地の活用方法だ。両者共に広大な土地を有し、それらを市民にどう還元するのかが懸念される。

 そこで私個人の希望を述べたい。

 まずは、現在の宝来屋郡山総合体育館は何度か改修工事をしているとは言え、老朽化が著しいため、解体せざるを得ない。そしてそこを思い切って市民駐車場にし、スポーツイベントでも県内外から多くの訪問客が利用できるようにする。内環状線に面しているため、アクセスも抜群だ。

Koriyamagym

 そして、「豊田浄水場」跡の広大な土地には、「福島ファイヤーボンズ」も本拠地として使用する巨大アリーナを建設する。大中小3つの体育館を設置し、コンサートも開けるような多目的アリーナ化を図る。さらにはテニスコートも10面程度整備し、テニスの大会も開催できるようにする。郡山は元から宿場町だっただけあり、「αー1」や「スターホテル」、「ホテルハマツ」などの宿泊施設が至近のため、中学や高校の体育大会をもっと誘致して開催できるようにする。

Toyoda

          Toyoda2

 そして、「郡山文化センター」を同じ敷地内に移築する。音楽都市を掲げる郡山市に相応しい大型ホールを完備する。この土地は、さくら通りからも至近であり、バスを始めとした交通網も充実しており、足の心配は無用だ。

 本音を言えば、私はこの場所に県庁を移転して欲しいと願っていた。しかし、いくら福島県の中央に位置し、高速交通体系が整っているとは言え、万が一移転が実現してしまえば、現在の福島市は閑散としてしまう。福島県警の本部庁舎も改築したばかり。すべてのインフラ整備が無駄になってしまう。したがって、福島市に喧嘩を売るようなものだし、県庁移転という絵空事は金輪際、考えないようにしたい。

 また、郡山市民でも知らないと思うが、実は21世紀記念公園が建っている場所は、当初の計画では国際会議も開けるような巨大コンベンションホールを完備した大型公共施設を建設する予定だった。しかし、震災があって、頓挫すると、防災面での利用が検討された。 
 したがって、その公園の地下には、災害時の備蓄倉庫となっている。もちろん、災害発生時の避難場所にも指定されている。

 話は変わるが、それにしても郡山市の税金は高い。子ども2人が就職し、親元を離れた今、扶養親族がいなくなり、所得税は12.5%も取られている。それが訳の分からない、くだらない施設建設のために、浪費されているのかと思うと実に腹立たしい。

 ボーナス時期には12万円も税金で持っていかれている。実に不愉快だ。市民の意見や要望に真摯に耳を傾け、本当に郡山市民が切望している施設を建設して欲しいし、中心市街地の一等地を皆が納得するような利用を考えるべきだと思う。

 続いて郡山北部の旧農業試験場跡地だが、せっかく「郡山富田駅」が平成29年4月に開業し、交通の便が良くなったのだから、ここを「学びの場」として市民が集う場所に活用して欲しい。
 自然体験学習できる場や、子供たちが安心して学び、遊べるような施設、そしてお年寄りも生涯学習の場として地域間交流ができるような場所に・・・。
 「カルチャースクール」をまとめて行う施設でもいい。例として陶芸教室、水彩画教室、尺八・大正琴教室、俳句短歌教室、書道教室、百人一首教室、ちぎり絵教室、絵手紙教室、手芸教室、そば打ち教室、ロッククライミング教室、スカッシュ教室などが想定できる。図書館の分室としても良い。学習用の冷房完備の個室を30以上完備すれば、夏の暑い盛りに受験生や学生は大助かりだ。
 本来、税金はこのようなものに使うべきだ。

Hisaihouse

 さて、震災前は33万人を越えていた郡山市の人口は、避難者も含めて1万人以上も県外に流出した。されど、平成最後の年の30年では、再び33万人を超えた。

 この先、魅力あふれる郡山、安心して暮らせる郡山市を築くために、再選を果たした品川市長の果たすべき役割は大きい。強いリーダーシップで、市街地の土地の有効活用を願う。そして市内の活性化に努めてほしいと願うばかりだ。
 

2018年12月18日 (火)

虎丸長者で消えたものたち

 郡山市民なら「虎丸長者」という言葉を聞いたことがあるかもしれない。その昔、今の芳山公園がある付近に大豪邸を構えていた豪族だったようだ。以下、「郡山まちなか文化遺産」の史料抜粋し、それに纏わる伝説を振り返りたい。

 「虎丸長者」は郡山のあちこちに屋敷を構え、豪勢さを誇っていました。力持というところには米倉を造り、現在の郡山商工会館周辺にあった皿沼で下女が皿を洗っていたと伝えられています。
 また、堂前町にある如宝寺は虎丸長者が馬頭観音を安置し、堂字を建立したのが始まりとも言われ、「旭さし、夕日輝くところ、黄金千杯あり」という碑の存在から、埋蔵金があるのでは?と騒がれたこともあったとか。
 しかし、この虎丸長者伝説の舞台に、新たな史実が発見されました。
 それは、郡山駅から西、郡山商が工会議所から赤木小学校近辺の商店やビルが建ち並ぶ範囲に清水台遺跡が発見されました。この遺跡からは当時、寺院や役所などの貴重な建物にしか使われなかった土器や瓦が出土しています。
 したがって、この清水台遺跡は「郡衛」と呼ばれる役所跡で、ここを中心に栄えていったと考えられるようになりました。よって虎丸長者屋敷跡といわれた周辺は、実は安積地方の郡役所であったようです。

 さて、私がこの世に生を受け、大学生となり郷里を離れるまで過ごした19年間、この虎丸長者に暮らしていた。今思えば、郡山市内ではなんという市街地の一等地に住んでいたのだと逆に怖い気がする。
 そこで、私が知っている限りを駆使し、経験と記憶を頼って、この地区で今は無きものたちを列挙して懐かしんでみたい。

  1 インテリアダイイチ・・・長者交番の北側に聳えていた家具屋 隣りに職業訓練校?
  2 かっぱ寿司長者店・・・震災で柱が崩れ、あえなく解体され、更地に
  3 松本習字塾・・・私が小学生の頃に通っていた。ホンダウィングヨシダの奥にあった
  4 鍛冶屋・・・屋号は忘れたが、平成初期頃までバリバリの現役だった
  5 味の民芸長者店・・・うどん専門店 今は鉄火焼きの店に
  6 松美写真館(朝日町に移転)・・・MALLの北側にあった長屋の端
  7 澤田釣具店・・・ドコモの西側の四つ角にあった
  8 百軒長屋・・・現在真澄院という宗教施設がある場所にあった
  9 日東通運・・・百軒長屋の一角にあった 活版印刷所もあった
 10 まるせい文房具・・・芳山小の南側にあった サンドイッチまで売っていた 
 11 斎藤ピアノ教室・・・私が小3の頃に通わされていた
 12 日東紡績第二工場・・・今のMALLの前身で巨大紡績工場だった 寮も完備していた
 13 パラマウント工場・・・インテリアダイイチの北側にあった工場
 14 パラマウント社宅・・・工場のさらに北側にあった5階建てくらいの団地
 15 長者釣堀・・・芳山小の北西側にあった小さな釣堀 夏には臭いが酷かった
 16 今泉服飾専門学校・・・通称「五重塔校舎」。回廊で珍しい作りだった。
 17 郡山理美容学校(富久山へ移転)・・・さくら通りから1本北に入った密集地にあった
 18 虎丸卓球所・・・アップルハイツの北隣りにあった 急階段を上がった2階のフロア
 19 ザベリオ学園・幼稚園・・・昭和まであった私立学校 現在はホテルハマツ
 20 佐藤サイクル店・・・野替薬局ビルにあった小さな間口の自転車店 パンク修理

 21 北日本相互銀行・・・ハマツの西隣りの四つ角にあった小さな銀行 今は駐車場
 22 ジェイクビジネス専門学校・・・ハマツの西隣りのさくらNTビルにあった 幅が狭い
 23 日産生命・・・・ハマツの向い側にあった生命保険会社 ガラスケースの告知板
 24 朴ガソリンスタンド・・・ツルハ&ドコモがある場所に昭和まで存在したシェルのGS
 25 カメイガソリンスタンド・・・黎明の西隣りにあったGS 確か日石だった
 26 青木書店(黎明向かい)・・・面積の小さな本屋 店員が窃盗で逮捕され閉店
 27 東印菓子問屋・・・一本松の手前にあったお菓子の卸問屋 
 28 本田家具店・・・安積黎明高校の前にあった
 29 虎丸郵便局・・・今はオリックスレンタカーがある場所に昭和まであった郵便局
             強盗に入られ、犯人は細沼のマンションに逃げ込み、その後逮捕
 30 志乃や寿司・・・虎丸郵便局と佐藤生花店の隣りにあった老舗のすし屋
 31 安達屋商店・・・ドコモの真向かいの角にあった駄菓子屋 たぬきそばが絶品
 32 遠藤大工店・・・安達屋の隣りにあった大工店 今は駐車場
 33 滝根屋総合食品・・・今の「吉野家」にあった魚屋 裏には中塚荘というアパート
 34 斎藤オクトパシー治療院・・・酒屋さんの東隣りにあった 今はトランクルーム
 35 中塚荘・・・オレンジ色の2階建ての古いアパート
 36 宮川工業所・・・鉄工所のような建物 今はほっともっとの空き店舗
 37 松本電気商会・・・かつて夫婦2人でやっていた電気屋さん
 38 くるみ美容室・・・スワンクリーニングの西隣りにあった 
 39 山ノ井食品・・・かつては数学を習っていた先生の実家 今は個人の自宅
 40 国分理容所(移転) 裏に井戸があった



 41 佐久間畳店・・・おのざわの隣りにあった畳店 野球部の先輩の自宅だった
 42 お好み焼きおのざわ・・・小学生の頃、入り浸っていた駄菓子屋で玉子焼きが絶品
 43 昭文堂印章店・・・旧国分理容所があった東隣りの四つ角にあったハンコ屋
 44 白河納豆店 ・・・現在ソフトバンクにかつてあった納豆屋 同級生の家だった
 45 伊東パン・・・パラマウントの社宅の西隣りにあった 同級生の家でもあった
 46 青山製麺所・・・さくら通り沿い、今のツルハの駐車場にあった製麺所
 47 ボローニャのパン・・・以前はほっかほか亭だった。閉店後、死体が発見された 
 48 野替薬局・・・虎丸交差点に建っていた5階建ての高層店舗 震災で解体
 49 品田青果店・・・同級生の家
 50 おもちゃのまるさた・・・野替薬局の東隣りにあったおもちゃや
 51 会津屋履物店・・・野替薬局の隣りにあった雑居ビルにあった履物専門店
 52 常盤湯・・・野替ビルの北側にあった公衆浴場(銭湯)歴史ある佇まいだった
 53 橋本仏具店(移転)・・・同級生の家 二本松が本店 テレビCMもやっていた
 54 東京模型店・・・田宮模型などが売られていた 狭くて2坪くらいしかなかった
 55 新田精肉店・・・かつては日東紡績第二工場の東の四つ角にあった
 56 中華の漢陽楼・・・ウッドベルの隣りのマンションの1Fにあった中華料理屋
 57 ヨークベニマル虎丸店・・・今のツルハ&ドコモ 平成初期には小さなベニマル
 58 ヨークベニマル桜通り店・・・2階建てで1階は食料品、2階は衣料品売り場だった
 59 沼崎クリーニング店・・・野替ビルの真向かいにあったクリーニング店
 60 八百板正商店・・・今の真澄院がある一角にあった商店 議員さんも務めていた

 61 谷田部魚店・・・あさか開成高の手前にあった小学生の頃の後輩の家
 62 聖マリア園・・・あさか開成高の南東側にあった 今はマンションが建っている
 63 室塚医院・・・今はマンションが建つ 足利屋(旧斉藤酒店)の南隣り
 64 虎丸医院・・・私の幼少の頃のかかりつけ医 往診もしていた
 65 さわやか商事(本町に移転)・・かつては大東銀行があった
 66 スーパーマルエー・・・こじんまりとした魚屋専門のスーパーだった
 67 柴田ストア・・・新田精肉店の西側にあった個人経営のスーパー おつかいに行った
 68 カネボウ・・・黎明高校の東隣りにあった化粧品の支社
 69 トキワスーパー・・・ベニマルさくら通り店の真向かいにあったスーパー
 70 赤トリ井・・・トキワスーパーの東隣りにあったテーラー
 71 ブックオフさくら通り店(震災で閉店)・・・トキワスーパーの跡地利用 震災で閉店
 72 ほっともっと虎丸店・・・増子輝彦議員の事務所になっている
 73 増子文房具屋・・・ホテルハマツの斜め向かいにあった文房具店
 74 遊佐商店・・・増子文具店の隣りにあった燃料販売店
 75 本田輪業・・・野替ビルの1階にあった自転車屋
 76 東北文化風呂店・・・後輩の自宅 風呂釜専門店だった
 77 ラーメン鎌倉屋 ・・・小野薬局の東隣り、カトリック教会の南側の1階にあった
 78 小野薬局・・・病院と併設していた薬局
 79 小野内科胃腸科院・・・小学校の頃、伊調が弱く何度も通院した個人病院
 80 マルニ看板・・・芳山小学校の南側にあった看板屋さん



 81 藤田輪業・・・ホテルハマツの西側にあった自転車屋 パンク修理で世話になった
 82 文化堂印店・・・さくら通り沿いにあったハンコ屋
 83 万昭堂文具・・・さくら通り沿いには多くの文房具屋があった 小中高が近いから
 84 A電気(開成へ移転)・・・ビデオデッキを月賦購入した電気屋 
 85 高田青果店・・・虎丸交差点の角にあった
 86 フランスベッド・・・高田青果店が閉店後にベッドのショールームになった
 87 ふるやま書店・・・郡山二中に北側にあった本屋
 88 戸崎美容室・・・MALLの西側にあった細長い形状の美容室 着付けもやっていた
 89 カワイピアノ店・・・野替ビルの向かい側にあったピアノのショールーム
 90 池田美容室・・・同級生の実家 さくら通りから路地を入った場所にあった
 91 北日本石油虎丸給油所・・・ホテルハマツの向かい側にあったGS 今は駐車場
 92 ウッドベル・・・安達屋商店が建てたビルで2階にはオシャレな喫茶店があった
 93 あさか荘・・・ヒマラヤ山荘という登山グッズ店がある東側にあったアパート
 
 このさくら通りは、平成の初め頃までは市内の小学生が行う「鼓笛隊パレード」の√になっていた。どうして中止されたのかは定かではない。交通量の増加もあるかもしれないが、それならGW時期に行っている「郡山シティマラソン」も通行止めにして行っている。うねめ祭りは駅前大通りを封鎖して行っている。開成山の大花火大会もそうだが、小学生やその親が楽しみにしていたビッグイベントを意味なく終わらせてしまった・・・。

 さて、私が記憶を頼りに覚えている限り列記したが、これほど長者・虎丸地区は劇的に変貌を遂げたと言える。東京などの大都会からすれば、まだまだ田舎だが、それでも市内では一等地に入る場所で、私は育った。あしかけ20年間実家で過ごした私にとって、変わりゆく街並みを見るのは寂しい気がしてしまう。10代の頃、大学進学で郡山を離れる時に、この街並みを写真に撮り収めようと考えたことがあったが、実現しなかった。
 今、思えば、ここに何があったっけとならないように、つぶさに撮影し、保存しておけば良かったと後悔の念が絶えない。

 やはり故郷、特に自分が育った街の風景はいつまでもそこにあって欲しいと思える宝物のような気がしてならない。