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音楽

2020年6月12日 (金)

若くして亡くなった男性アーティスト

 人生90年近い世の中にあって、若くしてこの世を去ったミュージシャンやアーティストたちがいる。もし存命であれば、心に残る名曲をより多く世に送っていたことだろう。今日は、志半ばで惜しまれながら亡くなった方々を取り上げたい。

 山田かまち

 群馬県高崎市出身。幼少より絵画の才能を発揮した。高崎市立倉賀野小学校へ入学。同級生に後にBOOWYとして活躍する氷室京介がいた。 小学校3年生のとき、その当時の冬休みの宿題で動物の絵(52枚)を1時間あまりで描き上げる。これらは、貴重な作品として「高崎市山田かまち美術館」に残された。
 中学3年生の頃からビートルズなどのロックに傾倒。氷室京介や松井恒松とロックバンドを組み練習していたこともあった。1977年、群馬県立高崎高等学校に入学。友人数人と学園祭で映画を作成し出演するが、同年8月、自宅でエレキギターを練習している際に死亡。このギターは17歳の誕生日にプレゼントとして贈られたものであった。死因は感電による事故死。自殺など諸説あるが遺族らの意向により公表されていない。

 尾崎 豊

 1980年代から90年代にかけて、彼ほどカリスマ的な存在のミュージシャンはいなかった。
 1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。青学高等部入学という秀才ながら、中退。「卒業」では過激な歌詞で衝撃を与えた。ライブでの熱烈で破壊的なパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼ぶ。その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは死去から25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されている。1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、社会的にも大きな衝撃を与えた。民家の庭先で泥酔した状態で、重傷を負った状態で発見され、その後、死亡した。私は「I Love You」や「シェリー」がカラオケの十八番となっている。

YamadaOzaki

 村田和人

 1954年1月2日生まれ、東京都出身のシンガー・ソングライター。ビートルズやローリング・ストーンズに大きな影響を受け、ブリティッシュ・ハードロックを聴いて育つ。77年、獨協大学入学後にバンド、ALMOND ROCCAで活動。山下達郎らと交流を持ち、会社員を経て、82年4月にシングル「電話しても」でデビューを果たす。ツアーや山下達郎のバックコーラスを務めるなど、精力的なライヴ活動を展開。以降、ウェストコースト・サウンドをベースとしたシティ・ポップの担い手として人気を博す。95年以後は寡作となるものの、音楽講師をしながら活動を継続。2016年2月22日、大腸がんからの転移性肝臓がんにより死去。62歳没。(TOWER RECORDS CDジャーナルより)

 大瀧詠一

 1970年代以降、ハイセンスでハイテンポなオシャレ音楽の数々を世に遺したシンガーソングライター。アルバム「A LONG VACATION」が大ヒットし、実は私も持っていた。「夢で逢えたら」、「君は天然色」、「恋するカレン」、「恋するふたり」などがヒットした。個人的にはキムタク主演ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌になった「幸せな結末」が好きだ。
 また、他のアーティストへの楽曲提供も多く、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」、松田聖子の「風立ちぬ」、森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」なども彼が手掛けた。

 2013年12月30日17時30分頃、東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で家族と夕食後のデザートにリンゴを食べている時に倒れ、救急搬送された。警視庁福生警察署などによると、家族は「林檎を食べていてのどに詰まらせた」と説明していたという。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後19時頃に死亡が確認された。死因は解離性動脈瘤とされた。65歳没。 

MuratakazutoOhtaki

 河島英伍

 1952年 大阪生まれ 大阪育ち 身長182cm。 1975年にワーナー・パイオニアから「何かいいことないかな」でデビュー。 代表曲「酒と泪と男と女」、「野風増」、「時代おくれ」などスタンダードとなった曲はもちろんのこと、優しさに溢れた歌詞や、力強い歌声が今なお多くのファンを魅了している。特に、男の強さや哀しさ、優しさ、父親としての心情を唱いあげた数々の曲は、時代を越えて男性の共感を呼び、歌い継がれている。
 人と人とのつながりを大切にし、世界各地へ放浪の旅に出かけ、それらの経験も多くの歌として残している。26年間の歌手生活の中で4,000回を越えるステージに立った河島英五。「例えば若者達が地元の活性化のために僕を呼ぼうといってくれるならどこでも行くし、めいっぱい盛り上げますよ」が口癖だった。
 1995年 阪神・淡路大震災復興義援コンサート「復興の詩」を企画。震災で親を亡くした子供たちのために行なわれたこのチャリティーコンサートは、“10年続ける”と宣言された通り、本人が亡くなった後もその遺志をついだ河島英五の3人の子どもや仲間たちの手によって実施され、1年1回10年間に渡って開催された。
 2001年1月 突然の吐血により入院。その後医師の反対を押し切って退院し、4月14日に復活コンサートを行ったが、その2日後に帰らぬ人となった。享年48歳。(ワーナーパイオニアより)
 私は東北電力のCMにも使われた「元気ですか」がお気に入りだ。

 Hide

 世界的ロックバンド「X」ではギター以外にもバンドのビジュアル全般を担当し、メンバーの髪のセットなども行っていた。主にYOSHIKIがXの作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部の曲で作詞・作曲を担当
 1997年9月、TOSHIの脱退によりX JAPANは解散を発表し、同年12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散
 1998年5月2日の朝7時30分頃、自宅マンションの寝室にてドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっているのが同居していた婚約者によって発見され、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。33歳没。後にファンが後追い自殺をするなどの事態が発生したという。

 高橋伸明(高橋のぶ)

 1970年代にCM曲やドラマ主題歌、青春ソングなどで一世を風靡したロックバンド「トランザム」でリードヴォーカルを担当した。あの独特な声で人気が高かった。
 宮城県出身。 ビートルズに影響を受け、1967年にドラマーとしてプロデビュー。その後、ボーカルに転身する。つのだひろ&スペースバンドに在籍した後、チト河内らのトランザムにボーカルとして加入。70年代から80年代にかけて、数多くのコマーシャルソングやテレビ番組テーマ曲等を唄った。ユニセフメッセンジャーとして、全国100カ所以上でコンサートを開催。少年ゴルファーの成長を題材にしたTVアニメ「あした天気になあれ」エンディングテーマ「夕焼けに歩きたい」を歌う。
 トランザム解散後は、プロデューサー兼歌手として活動し、2003年にトランザムが再復活。2004年には、26年ぶりのシングル「白いボールのファンタジー」でオリコン16位に入る。
 2015年7月19日、一人暮らしの自宅にて死去。65歳没。高橋の長女が父を訪問した際には既に亡くなっていたとのことである

 「あゝ青春」、「地球の仲間」「裸足で地球を駆けるのさ」などが人気を集めた。特に70年代に「コカ・コーラ」のCMは一世を風靡した。 
個人的には中1の頃に「少年ドラマシリーズ」のテーマ曲となった「季節」がお気に入りで、今でも歌える。

HideNobu

 村下孝蔵

 今でも中年の方がカラオケで歌い継がれる名曲「初恋」。好きな人に告白など出来なかった時代。甘酸っぱい思春期や青春時代の想い出が甦るような歌詞や曲調が共感を呼んでいる。
 熊本県水俣市出身。若い頃からギターにのめり込み、寺内タケシとブルージーンズやベンチャーズの楽曲をコピーする。その腕前は一流のギタリストにも引けを取らないほど。客と一体になれるライブを大事にしていた。大ヒット曲「初恋」のほかにも「ゆうこ」「少女」「踊り子」など数多くの名曲を残した。
 1999年6月20日、駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていた。診察で「高血圧性脳内出血」と判明した直後、意識不明の昏睡状態に陥り、僅か4日後の6月24日に死去。46歳没。



 他にも桑名正博や大塚博堂、外国ではジミー・ヘンドリクスなども夭折したシンガーだと思う。

 さて、冒頭でも書いたが、これらのアーティストは、もし今も存命ならば、人々に感動と勇気を与えてくれるより多くの名曲を残していたに違いない。

2020年5月27日 (水)

坂井泉水さんの命日によせて

 今日5月27日は、2007年のこの日に不慮の死を遂げたZARDのヴォーカル「坂井泉水」さんの13回目の命日にあたる。あの日から早13年とは、時の流れとは何と薄情なのかと一抹の悲しみを覚える。私はデビュー当時からずっとZARDの熱烈なファンだった。いやもっと遡れば、彼女が本名の「蒲池幸子」名義で、モデルとして登場していた頃から、ピュアで清楚でお嬢さん風の容姿に心惹かれていた。そしてどこか悲しげな影があって、謎めいた雰囲気にも。彼女のCDは毎回欠かさず購入し、聴き入っていた。
 しかし、あの日、NHKのニュースで彼女の急死が報じられ、我が耳を疑ったものだ。「何かの間違いだ!嘘であってほしい・・・」。そんな気持ちと共に、打ちひしがれた絶望感が全身を襲ったのだった。その衝撃のニュースはコチラ。

 彼女は生前、照れ性で自己表現が苦手な性質でありながらも、精一杯音楽を通じて私たちにメッセージを送り続けてくれた。時に悩みを吹き飛ばすような曲も書いてくれたし、人間が抱える内面の葛藤、悩みも打ち明けるように書き綴った詩歌は琴線に触れた。その美しくも儚い印象の詩は、人々の心に安らぎと癒しを与えてくれていた。それは今も変わらない。現に、私の車のCDにはいつも彼女のアルバムを入れている。彼女がその限られた命を燃やして訴えたかったことは何だったのか。切ない乙女心か?生への執着か?美しいものへの憧れか?人間の本質を包み欠かさず表現したと個人的には思っている。

 本日は彼女の命日にあたり、以前も旧ブログで紹介した記事「坂井泉水FOREVER」を再掲することで、彼女を偲び、彼女の存在を永遠の記憶の中に閉じ込めたいと思う。10年経っても20年経っても、坂井泉水という素晴らしいアーチストがこの世に存在していたことを忘れないために。そして彼女の遺した遺作とも思える楽曲の数々を後の世代に語り継ぐために・・・。13年越しとなる哀悼の意を捧げたいと思います。ではお送りします。

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 「坂井泉水FOREVER」

 1990年代、その女性は日本のポップス界において最も光彩を放ち、輝いていた。彼女が出すシングルやアルバム曲は、毎週ヒットチャートの上位を独占。テレビアニメの主題歌に幾度となく起用され、誰もが口ずさめるシンプルでアップテンポでリズミカルなメロディーライン。しかし、神は無慈悲にも彼女に永遠の輝きを与えることはなく、試練を授けた。傍目には順風満帆の歌手人生に見えていたが、いつしか忍び寄る病魔に蝕まれ、あのような非業の死を遂げるとは思いもしなかっただろう。いやそれともそれも承知の上での覚悟の事だったのだろうか・・・。

 生前、彼女のデビューは秘密のベールに包まれていた。覆面歌手(ユニット)として、公の場に姿を見せることを頑なに拒むかのような身の置き方であった。まるで正体不明で、一時「彼女はこの世に実在しないのではないか」との憶測も飛び交うほどであった。デビュー当時の松山千春を彷彿させる、そんな不思議な存在だった。一体どんな人が歌っているのだろうと興味津々だった。独特な鼻にかかった甘ったるい声質。それでいて艶やかで伸びのある美声。初めて彼女の姿を見た時、私は言いしれぬ衝撃と感動を覚えた。「何て美しい女性なのだろう」と。ピュアな印象と透明感を醸し、現代の若い人には珍しいくらい独特な落ち着き。そしていつも伏し目がちで少し影を感じさせる妖しい雰囲気の持ち主。何もかもが魅惑的で神秘的。
 彼女はデビュー前、様々な職業をこなしていた。OL、レースクイーンやモデル、、そして時には、その美形な顔立ちとスタイリッシュな体型を活かしてカラオケのPVやセクシーイメージビデオにも出演した。
 しかし、もしかすると、そうしたシンガーとしての地位を確立する以前の過去を包み隠そうとしてテレビ出演を拒み、CDリリースのみで自分の感性を発表する場とし、そのような存在形態を確立しようと模索していたのかも知れない。そして彼女の雰囲気の中にあるそうした「影」の部分を自然に作り出していたのかもしれない。彼女のCDジャケットやZARDのボーカルとして撮影された画像は、殆どがカメラ目線はなく、素顔を見せることを避けているかのように伏し目がちかあるいは遠目に撮影したものばかりである。ファンならずともここで言う「彼女とは誰なのか」もうおわかりだろう。そう、彼女とはポップス系ユニット「ZARD」のボーカルだった「坂井泉水」である。

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 彼女の歌声は1990年代、世の中を席巻し、テレビ、ラジオ、CDショップなどでは毎日のようにBGM替わりに流されていた。リリースする曲がすべてメガヒット。私は8cmCDの時代から、ずっとZARDのシングルを所有していた。デビュー曲の「Good-bye My Loneliness」から遺作となった「グロリアスマインド」まで。シングルは実に45枚発表された。
 オリコン調べによる(2009年6月現在)ランキングによると、アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数)は3,743万枚で歴代7位の記録。
 シングル:1,768万枚(女性ボーカルアーティスト歴代2位)
 アルバム:1,971万枚(女性ボーカルアーティスト歴代4位)
 シングルTOP10獲得数:43作(歴代5位タイ)(女性ボーカルアーティスト歴代2位)
  90年代アーティスト・トータル・セールス:3位(女性ボーカルアーティスト1位)
 シングル1位獲得数:12作(女性ボーカルアーティスト歴代4位)
 シングルTOP100チャートイン数:45作(90年代デビューアーティスト歴代2位)
 アルバムミリオン獲得数:9作(歴代4位タイ)
 アルバム連続ミリオン獲得数:9作(歴代1位)
 アルバム1位獲得数:11作(女性ボーカルグループ1位タイ)

 以上、実に輝かしい記録を遺した。

 <私の好きなZARDの曲ベスト20>

 1位 「揺れる想い」・・・1993年5月19日発売 最高位1位
 2位 「心を開いて」・・・1996年5月6日発売 最高位1位
 3位 「マイフレンド」・・・1996年1月8日発売 最高位1位
 4位 「永遠」・・・1997年8月20日発売発売 最高位1位
 5位 「負けないで」・・・1993年1月27日発売 最高位1位
 6位 「君に逢いたくなったら」・・・1997年2月26日発売 最高位2位
 7位 「きっと忘れない」・・・1993年11月3日発売 最高位1位
 8位 「この愛に泳ぎ疲れても」・・・1994年2月2日発売 最高位1位
 9位 「風が通り抜ける町へ」・・・1997年7月2日発売 最高位3位
10位 「愛が見えない」・・・1995年6月5日発売 最高位2位
11位 「こんなにそばに居るのに」・・・1994年8月6日発売 最高位1位
12位 「Good-bye My Loneliness」・・・1991年2月10日発売 最高位9位
13位 「眠れない夜を抱いて」・・・1992年8月5日発売 最高位8位 
14位 「君がいない」・・・1993年4月21日発売 最高位2位
15位 「運命のルーレット廻して」・・・1998年9月17日発売 最高位1位
16位 「息もできない」・・・1998年9月17日発売 最高位3位
17位 「瞳閉じて」・・・2003年7月9日発売 最高位4位
18位 「もう少しあと少し」・・・1993年9月4日発売 最高位2位
19位 「あなたを感じていたい」・・・1994年12月24日発売 最高位2位
20位 「痛いくらい君があふれているよ」・・・1999年10月14日発売 最高位5位
  次点  「この涙  星になれ」・・・1999年12月1日発売 最高位5位

  シングル曲ではないが、「Oh my love」が実を言うと一番好きな曲だ。

 タイトルを見ると、彼女はまるで自らの死期を悟り、悲しい別れを暗示しているかのような意味深なネーミングばかりである。タイトルを知らなくても、そのサビの部分やメロディラインの一部を聴いただけでも一度は聞き覚えのある曲ばかりに違いない。

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 次に、デビュー前から彼女がスターダムにのし上がるまでの経歴をここで簡単に振り返ってみたい。
 彼女は1967年2月6日神奈川県平塚市生まれ。秦野市育ち(小学校4年より)。本名は蒲池幸子。血液型はA型。秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高等学校卒業。中学時代は陸上部で活動をする傍ら、ギタークラブでも活動していた。高校時代は硬式テニス部に所属。松蔭女子短期大学を卒業後、不動産会社にOLとして約2年間勤務した。
 しかし、転機が訪れた。街頭でスカウトされ、スターダストプロモーションに所属し、本名「蒲池幸子」でモデル活動を行う。モデル時代の公式プロフィールは1969年生まれとなっていた。この時期、セミヌード写真集「nocturne」を出している。1989年(22歳) からドラマや人気歌手のPV、更にはバラエティ番組のアシスタントなどに多数出演する。東映カラオケのPR活動などで地方のカラオケ店を巡業する。この企画はZARDでの歌手デビュー後の1991年3月まで続いた。日本エアシステムのフルロードキャンペーンのキャンペーンガール。
 1990年(23歳)の時には日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーン。岡本夏生は同期。 6月、写真集『Body Works』出版。 6月21日、ビデオ『SEXY SHOOTING』(サザンクロスビデオアーツ)発売。7月24日、写真集『NOCTURNE出版。モデルやグラビアアイドルとして順調に仕事をこなしていた。 冬にはフジテレビ系番組『オールナイトフジ』のグラビア美少女のコーナーに出演。 その他、雑誌グラビアに多数掲載される。これらは華やかで決して下積みとは呼べないが、もしかすると彼女がひた隠しにしたかった過去だったのかもしれない。
 そしてまたまた一大転機が訪れた。1990年8月に所属の「スターダストプロモーション」の代表取締役、細野義朗にビーイング社長、長戸大幸を紹介されオーディションを受ける。長戸に才能を認められ、坂井泉水として音楽ユニット「ZARD」結成の準備に入る。そして念願だった歌手デビューを1991年(24歳)で果たすこととなった。2月10日にシングル「Good-bye My Loneliness」でデビューし、 以降、音楽活動を続ける。それ以降の活躍については前述の通り。

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 感動のクルージング初ライブ(1999)

 「美人薄命」とは彼女のために用意された言葉なのかも知れない。運命の悪戯に翻弄され、天国と地獄の両方を味わい、人知れず病気と闘い、ひとり天国へと旅立っていった。ファンにあまりにも突然の悲しい訃報を残しただけで・・・。彼女は素顔を晒すことはあまりなかった。あれだけの美貌の持ち主ながら、結婚もせず、女性としての幸せを掴むことすら望まなかったように思える。
 ここから先の文面は、ややショッキングなため掲載するかどうか迷いに迷ったが、彼女の人生を締め括るエピローグなので、やはり包み隠さず全てを掲載したい。

 

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 彼女の衝撃的な死から早いもので13年の月日が流れた。私は未だに彼女がもう過去の人だという事実を受け止めきれないでいる。彼女のPVを見ると居た堪れない気持ちになる。今でも「名探偵コナン」のエンディングテーマに坂井泉水の声が鳴り響く時がある。私は毎日のように彼女のベスト盤CD(MD)を聞きながら、職場までの道のりを往復運転している。彼女の甘い歌声、時には「彼女が生涯をかけて伝えたかったことは何だったのか」という文字通り命題に至るまで深く考えさせられ、身につまされて感じることもしばしである。もう二度と生で歌う姿を見ることは叶わないが、彼女のあの愛らしい、そしてちょっと照れた素振りで歌う姿やスタイル、笑顔、そしてその美声を永遠に忘れはしない。
「坂井泉水、フォーエバー(永遠なれ)!」

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 最後に在りし日の彼女の歌声をどうぞ!

 「心を開いて」

「♪人と深く付き合うこと 私もそんなに得意じゃなかった
でもあなたを見ていると 私と似ていてもどかしい
そういうところが たまらなく好きなの♪」

 この部分歌詞が大好きで、おそらく彼女自身もこういう生き方をしていたのだと思う。

 Oh my love

 「ほら加速度つけてあなたを好きになる Oh my love」の部分が大好きだった。

 関連記事(我が永遠なる歌姫)はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-abd8.html

 彼女を追悼するファンの想い

 ZARD 坂井泉水さん 追悼◆その足跡と魅力

 <関連記事>

 今から7年前の2013年に訪れた「坂井泉水さんのお墓参り」の記事はコチラ ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1022-6804.html

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 * ご親族の強い意志により場所が特定できないような処置を施してあります。予めご了承ください。

 坂井泉水さんの転落事故現場訪問の記事はコチラ ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1023-1efb-1.html

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 学部こそ違うが、よりによって私の母校が彼女の終焉の地となったことは、とても他人事とは思えない。事故が起きた場所と墓参りに行ったのが2013年の出来事。
 何年経っても彼女の歌声は決して色褪せないと思うし、毎年、このような追悼の記事を掲載させていただきたいと思います。

2020年5月24日 (日)

福島県のうた

 今こそ福島県民に問う。福島県を代表する歌と言えば何?

 ふつうは「福島県民の歌」と答えるだろう。「 ♪しゃく〜な〜げ匂う~山なみに~♫ 」という名調子の曲だ。これも大好きで1~3番までの歌詞に県の花、県の木、県の鳥がいずれも詠われている。福島県民なら知らない人はいない筈だ。

 でも、年配の方は「会津磐梯山」と答えるかもしれないし、比較的若い方は、我が旧友「箭内道彦」が歌ってNHK紅白にも出場した「I love you baby & I need you ふくしま」と答えるだろうか?

 しかし、私は違う。迷いなく「こめら」を選曲する。この曲は、旧ブログでも触れたが、2002年にNHKが「全国の県民歌を作るキャンペーン」を実施した際に、あの秋元康と後藤次利のゴールデンコンビが作詞・作曲した、福島県民のソウルソングだ。

 レコーディングの模様を含めたPVはコチラ ↓ 

 ふるさとを愛する皆が自分の言葉で気持ちを込めて未来の子供たちに残したい故郷を歌っています。
 NHK「おーいニッポン!今日はとことん福島県」福島県のうた。
「こめら(「こどもたち」の意)」本放送では流れていなかったと思います。
 秋元康が、代表一人に絞るより、全員の合唱曲にしたほうがいいと、それが福島らしいと、例外的な扱いになりました。

 この曲は哀愁があって、それで感動を呼ぶような歌詞と曲調が私は大のお気に入りとなった。

 2002年と言えば、震災の9年前で、我が福島県が躍進著しかった時代だ。2001年夏に「うつくしま未来博」で盛り上がり、2003年には首都機能移転の最有力候補地に選ばれ、インフラ整備が加速した勢いに満ちた時期だった。その9年前には県民にとって長年の悲願だった福島空港が開港し、7年前には福島国体が開かれ、元気と活力に漲っていた。

 もうこの歌の存在を忘れてしまっている方が多いと思われるので、本日は敢えて取り上げた次第で、当時の「進撃の福島」を思い出していただければ幸いだ。

 ちなみにもう一曲興味深い歌をリンクします。それは「福島人トリセツ」


 福島県民の性格というか性質を包み隠さず、歌い上げていてつい笑みがこぼれてしまう。

 さて、「福島県民の歌」という素晴らしい名曲があって、福島県民にとってはメジャーで馴染深い中で、あえてこの「こめら」を取り上げたのは、戦時中に「海ゆかば」という軍歌が日本の「第二国歌」として扱われたように、我が福島県でも、このような名曲がかつて存在したことを、どこかに残したくて、今回はこのようなテーマで記事を書いた次第だ。

2020年4月26日 (日)

これって30年以上も前なの?

 光陰矢の如しというが、20歳を超えてからえらいスピードで時間が経っていくように感じる。歳をとるのが早い筈だ。幸い髪の毛はふさふさで豊富にあるが、8割以上が白髪頭になった。祖父も70歳で他界した父も、禿げ頭だったのに、突然変異なのか、はたまた母方に似たのか、50歳を越えて、これほど髪が伸びるのが早いのかと自分でもあやしく感じてしまう。
 今日は時間の経過を噛みしめたくて、でもそれってこんなに時間が経っていたのか実感できる動画を取り上げたい。

 36年前のサウンド・・・君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね

 中原めいこが歌ってヒットした「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」。1984年にリリースされたので今から36年も前の楽曲なのだが、今聴いてもノリノリであまり古さを感じないかもしれない。これだけフルーツを盛り込んだ曲も珍しい。出た当時は、竹内まりやの「不思議なピーチパイ」をパクったのかと思っていた。この頃は「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に出演してランクインする「一発屋」が多く、「堀江淳」「五十嵐浩晃」「トムキャット」や「アラジン」、「ザ・ビーナス」などもそうだった。

 34年前のサウンド・・・CHA-CHA-CHA

 ご存知、明石家さんまが主演して大評判になった「男女7人夏物語」の主題歌。東京の隅田川を挟んで男女の恋愛模様を描いた秀作。ちょうど私が東京で学生生活を送っていた時に放送されたので、バイクを駆ってロケ地を訪れたものだ。清洲橋、今井の住んでいたマンション、西葛西駅近くの貞九郎のマンション、桃子が住んでいた萬年橋近くのアパートも訪ねた。あの世界観が好きで、私も劇中で明石家さんまが演じる今井がツアーコンダクターの役だったことで、それを志し、「一般旅行取扱主任者」を取得しようと、大学4年時にダブルスクールで「トラベルジャーナル専門学校」に通った。英語も頑張った。しかし、今は全く違う職業に就いている。このCHA-CHA-CHAは洋楽のカヴァーだが、妖艶な美女だった石井明美が歌ったことで大ヒットした。私はこの曲でCHA-CHA-CHAというダンスが存在していることを知った。その頃は、映画「フラッシュダンス」に感化されてジャズダンスや風見慎吾のブレイクダンスなどが大流行した。マハラジャなどのディスコも隆盛を極めた。いずれもバブルの遺産だ。

 約30年前(1991年)の伝説の出演・・・情熱の赤い薔薇

 気が狂ったかのようなパフォーマンスに度肝を抜かれたファンも多かった。放送終了後、テレビ局(NHK)に問い合わせ電話が殺到し、パンクしたほどの大反響があった。そのバンドは「THE  BLUE HEARTS」。人間の奥底に潜む本音を包み隠さず、自分たちの言葉で如実に表現したことで、若者たちの共感を得た。言葉は悪いが、初めて彼らを見た時に、麻薬中毒なのか?と思ったほどだ。それほどヴォーカルの甲本ヒロトの視線がイッテいた。しかし、あまりにも激しい斬新なパフォーマンスだったために、「障害者を愚弄している」との苦情もまた相次いだ。

 1985年結成。1987年にメジャーデビューし、1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し、 1995年に解散した。 ヒット曲は「リンダリンダ」「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」「夢」など。ロックであっても「どぶねずみ」で始まる歌などそれまで聞いたことがなかった。

 さて、本日は時代を感じさせない斬新な楽曲を3曲お送りしましたが、いずれも30年以上が経過した。そんな前なのかと意表を突かれ、自分の年齢と重ね合わせてしまう。私もあと数年で定年を迎えるし、人生の7合目くらいまで来てしまった。それも知らないうちにだ。あと何回桜を見れるのだろうか?あと何回笑えるのか?いつしかそんなことを考えるような年齢になって来た。歳をとると、昔のことが懐かしく思い出されるというが、当時はその環境が嫌に思えても、不思議なもので、今思い返せば、すべてが美しき見える。改めてそういう年齢になったと実感した次第だ。

 

2020年3月14日 (土)

海外の地名を冠した曲のタイトル

 かつて外国為替は1ドル=360円に固定されていた時期があった。それは極端な円安で、とても海外旅行などは夢のまた夢で、高根の花の時代であった。
 戦後はもちろん、昭和30年代くらいまでは、会社の重役や一流企業の社員が商談で出向いたり、または金持ちの富裕層くらいしか外国に行けない時代だった。
 その頃の新婚旅行のメッカは「熱海」だった。しかし、外国に憧れを抱いていた若者や日本人は数多くいて、それが証拠に、昭和の頃を中心に「海外の地名を取り入れた曲」がやたらと多く発売された時期があった。ではどんな曲名があったのか順不同で振り返りたい。

 1 ガンダーラ(ゴダイゴ)・・・アフガニスタンとパキスタンの国境付近にあったとされる古代王国
 2 飛んでイスタンブール(庄野真代)
 3 モンテカルロで乾杯(庄野真代)
 4 カサブランカ・ダンディ(沢田研二)
 5 哀愁のカサブランカ(郷ひろみ)

 6 無錫旅情(尾形大作)
 7 上海ブルース(ディックミネ)
   8 マイアミ午前5時(松田聖子)
 9 イムジン河(ザ・フォーク・クルセダーズ)
10 冬のリビエラ(森進一)・・・イタリアジェノバの湾岸

11 憧れのハワイ航路(岡晴夫)
12 アメリカン・フィーリング(サーカス)
13 カナダからの手紙(平尾昌晃&畑中葉子)
14 さらばシベリア鉄道(太田裕美・大瀧詠一)
15 カリフォルニア・コネクション(水谷豊)

16 香港(テレサ・テン)
17 ラバウル小唄(新田八郎) 
18 マンハッタン・キス(竹内まりや)
19 まさかシンガポール(NMB48)
20 アジアの純真(PUFFY)

21 チャイナタウンでよろめいて(相本久美子)
22 カナリア諸島にて(大瀧詠一)
23 ルイジアナママ(飯田久彦)
24 釜山港へ帰れ(チョー・ヨンピル)
25 アンダルシアに憧れて(近藤真彦)
26 AMERICA(浜田省吾)
27 サンタモニカの風(桜田淳子)
28 ハバナエキスプレス(寺尾聡)
29 NO NEWYORK (BOOWY)
30 Holiday in Acapulco(松任谷由実)

31 霧のソフィア(アルフィー)
32 アルプス一万尺
33 モンマルトルの丘(越路吹雪)
34 支那の夜(渡辺はま子)
35 ワシントン広場の夜は更けて


 海外の楽曲

 1 テネシーワルツ(パティ・ペイジ)
 2 ニューヨークシティセレナーデ(クリストファー・クロス)
 3 めざせモスクワ(ジンギスカン)
 4 ロンドン橋(イギリス民謡)
 5 ホテルカリフォルニア(イーグルス)
 6 デトロイト・ロック・シティ(KISS)
 7 夢のカリフォルニア(ママス&パパス)
 8 Born in the USA (ブルース・スプリングスティーン)
 9 New York State of Mind (ビリージョエル)
10 オクラホマミキサー~Turkey in theStraw~(アメリカ民謡) 

  軽い気持ちで書き出した記事だが、思いのほか熱が入ってしまい、長くなってしまった。それほど私は洋楽が好きだし、海外に行きたくても行けなかった時代に外国への憧憬を描いた作品が多いというのも納得だ。少しでも海外の雰囲気に触れようという古の作詞者の気持ちが窺い知れる。

2020年2月28日 (金)

昭和の歌姫の歌唱力比べ

 平成の時代も歌唱力に優れた歌手が大勢いた。歌が上手くて当たり前の演歌を除き、J-POPでは吉田美和、越智志帆、MISIA、AIなどが真っ先に思い浮かぶ。しかし、昭和に青春時代を過ごした身としては、どうしても推挙したいシンガーがいる。昭和の後期は空前のアイドルブームでもあったが、1970年代後半から80年代前半にかけてはニューミュージックブームが世の中を席巻した頃で、ヤマハのポプコン出身のバンドなどが次々デビューし、ヒットチャート上位に君臨していた。
 今日はその中でも「昭和の歌姫」で、抜群の歌唱力を誇ったシンガーをセレクトしたい。

 1位 八神純子

 私が中1の頃、「ザ・ベストテン」で、今後ヒット間違いなしの注目曲を紹介する「今週のスポットライト」というコーナーに出演し、その類まれな歌唱力を披露し、度肝を抜いた。特に「みずいろの雨」で、サビでこれでもかと言うくらい高音を伸ばす。当時は、このような弾き語
りでハイテンポのポップスを熱唱するシンガーはあまりいなかった。斬新なスタイルで、出演後、瞬く間にヒットした。

 2位 渡辺真知子

 最初に「ザ・ベストテン」に登場したころは「迷い道」で、正統派の歌手という印象しかなかったが、「かもめが飛んだ日」などではその歌唱力を余すことなく熱唱。ビブラートの効いた伸びのある高音域は驚異でしかなかった。後に化粧品のCMソングになった「唇よ熱く君を語れ」は、あの当時のコスメメーカーの戦略に見事ハマっていた。あの頃は、「君の瞳は10000ボルト」とか「燃えろいい女」とか、「君は薔薇より美しい」「君に胸キュン」などタイトル先行で行っていた感がある。
 私はやはり渡辺真知子の代名詞と言える「かもめが飛んだ日」をここではチョイスしたい。彼女の独特な声質も病みつきだった。

 彼女は聴いての通りの卓越した歌唱力と、自分で作曲したこの才能あふれる曲で、第20回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞した。

 3位 NOKKO

 ご存知、レベッカのヴォーカル。このバンドの代名詞は「フレンズ」みたいになっているが、私は個人的に「Lonely butterfly」や「ラズベリードリーム」だと思っている。小柄の体を激しく揺さぶり、動きまわって熱唱していた。その声量は爆発的な印象で、歌唱力のあるシンガーとして誰もが認めているところだ。喋る時はハスキーボイスなのに、耳をつんざくような透き通る高音が響き渡る声質。当時はどこにそんなパワーがあるのかと不思議で仕方なかった。

 4位 小比類巻かほる

 彼女は当時、カッ飛んだかっこ良すぎるシンガーと言える。宝塚の男役も地で行けそうな風貌と男っぽいしぐさで女性ファンをも魅了した。とにかく歌唱力が半端なく、ロック中心の楽曲が多かったし、となかくLIVEではシャウトしまくっていた。ひとつのステージですべてを出し切る完全燃焼タイプのシンガーだった。「Hold on me」や「City Hunter~愛よ消えないで~」などが代表曲だが、私はTDKのCMソングになっていたノリノリでかっこ良すぎるPVの「TOGETHER」が大好きだった。レザーパンツにキレキレのダンスステップ。もしかして80年代から90年代にかけて一番歌が上手かったシンガーかもしれない。

 5位 椎名恵

 TBS系列で放送していた現実離れしたいかつい「大映テレビ」のドラマシリーズで主題歌をずっと歌っていた。70年代は「赤いシリーズ」に始まり、実際にはまずあり得ないだろうと言う運命に翻弄されまくる主人公の数奇な人生を描いたものや、不良学生同士が勢力争いで決闘したり、バブル期にあって、絶対にないと思われる大胆かつ奇天烈なストーリー展開だった。そしてナレーションを来宮良子が担当し、いかつさに拍車をかけた。出演者は毎回同じ面々。松村雄基、伊藤かずえ、堀ちえみ、鶴見慎吾などであった。「スクールウォーズ」と「スチュワーデス物語」が代表作だが、ほかにも「少女に何が起こったか」とか「不良少女と呼ばれて」、フジテレビ系の「スワンの涙」、「乳姉妹」、「花嫁衣裳は誰が着る」、杉浦幸主演の「ヤヌスの鏡」、「ポニーテールはふり向かない」など、とにかくくさくておどろおどろしい内容だった。
 椎名恵は歌唱力に飛びぬけていて、このドラマのコンセプトにハマり役だった。「LOVE IS ALL」、「今夜はANGEL」、「愛は眠らない」などのヒット曲を生んだ。

 6位 アン・ルイス

 彼女は今、どこで何をされているのだろう。私が1980年代から1990年代にかけてCDを聴き漁り、カラオケで盛り上がった歌唱力抜群の魅せるシンガーだった。今でも「六本木心中」や「あゝ無情」などで「ヒューヒュー」「フフー」と合いの手を入れて爆盛りしているのでないか?SMチックなファッションと過激なダンスパフォーマンスも圧巻だった。

 7位 森川由加里 

 昭和の頃、大ヒットしたドラマ「男女7人夏物語」の続編の「秋物語」で主題歌を歌っていた。いわゆる昔風に言えばリズミカルでパンチが効いた歌謡曲だった。なんと森川由加里は現在、歌唱力抜群のレコーダ大賞も受賞した大ベテラン歌手の布施明の奥さんになっている。

 8位 杏里

 杏里と言うと「キャッツアイ」とか「SUMMER CANDLES」ばかりが注目されるが、彼女の歌唱力は他の追随を許さないものがある。私は彼女のCDアルバムを所有しているが、どれも洗練されたナンバーで、ファッショナブルだし、ショーマンシップに長け、カッコ良さが光る。
 私が好きな曲は「スノーフレイクの街角」と「思い切りアメリカン」だ。

 

 9位 松原みき

 残念ながら彼女はもうこの世にはいない。これからという時に病に倒れ、若くして帰らぬ人になってしまったことで、ある種、彼女は伝説の存在となった。彼女の代表曲「真夜中のドア~ Stay with me~」は、この一曲だけでも彼女の歌唱力を表すのに十分すぎる。 
 当時あれほどの目鼻立ちが整い、キリッとした正真正銘の美人はそうはいなかった。その当時は「ナウい」という言葉が当てはまりそうな、オシャレでカッコいいシンガーだった。夭折したのが本当に悔やまれた。

 今回は「神セブン」ならぬ「神ナイン」を挙げたが、他にもこの時代の歌唱力があったシンガーには「高橋真梨子」や「五輪真弓」もいた。

 さて、私が独断と偏見で8人の「昭和の歌姫」をセレクトしたが、同世代の方には懐かしくて仕方なかったと思う。自分の青春時代を共に駆け抜けた楽曲には、思い入れも一入に相違ない。中には天国に旅立たれた人もいるし、芸能活動を休止している方、もう何年もテレビに登場していない方などその後の活動については不明だが、今では2時代前となった「昭和の名曲」を歌い上げた歌唱力抜群の方々がいてくれたからこそ、当時の音楽シーンは華やかに、そして実力派だけがこうして後世に受け継がれる名曲となっている。

 

 

2020年1月31日 (金)

感動のストリートピアノ

 駅や空港、そして都庁の展望台に置かれてある「ストリートピアノ」。誰でも自由に弾くことが出来る。残念ながら郡山駅や公共施設にそれを見たことはまだない。音楽都市、合唱王国をうたい文句にしているからには、あってもよさげだし、旅人が「旅の想い出」として自らが音を奏でたり、上手なピアニストの演奏に聞き惚れて記憶に留めることが出来ると思う。
 郡山駅や買い物客が多い「THE MALLこおりやま」、「フェスタ」、そして「ビッグアイ」の展望台などにあれば、心地よいメロディーに酔いしれながら夜景を楽しんだり、買い物の際にも気分も高揚する。帰郷や上京の旅行者も夢心地で、旅気分を味わえると思うのだが。

 さて、こうした「駅ピアノ」についてはNHK-BSでも放送されているし、動画サイトには数多くの演奏がアップされている。クラッシックに心が洗われ、12月のシーズンにはクリスマスソングが流れ、そして流行りのJ-POPや外国人旅行客が感激するであろう洋楽まで多彩なミュージックシーンが描かれている。そしてそのアクセス数は数百万件にも及ぶ「人気アーティスト」もいる。当然私も彼らのファンなのだが、その中で、突出した才能と美貌を持ち合わせている方々を3人セレクトしたい。
 有名なピアニストなので、おそらくご存知の方も多いだろうが、私は毎晩、この3人に癒されている。

 1 「ハラミちゃん」さん

 ジャンルはJ-POPから洋楽、演歌まで幅広い。主に都庁ピアノや横浜、川崎を中心に活動。お客のリクエストに何でもこたえてくれる。知らない曲でも、スマホでその楽曲を一度聞けば、完璧に耳コピしてすぐに弾いてくれる。絶対音感の持ち主。
 演奏中、毎回一度はスマホ撮影者に向かって「カメラ目線」を送るのが「ルーティーン」になっている。

 ① 「Your Song」

 外国からの観光客が数多く押し寄せる週末の都庁展望室。そこで全世界の方が知っているエルトン・ジョンの名曲「Your song」を熱演。最初は眼下の風景を楽しんでいた方々が、自然に引き寄せられるように集まりだし、気づけばグランドピアノを取り囲むようにして、彼女の美しい音色に酔いしれている。思いがけない旅先でのエピソードに感激したことだろう。

 ② 「Forever Love」

 世界に誇る「X Japan」の名曲に、過去最大のギャラリーが集まった。スマホで動画撮影する初対面の方々に旅の想い出と感動をおすそ分け。彼女が凄いのは、一切楽譜を見ないですべてを弾き尽くす点だ。すべての曲が脳にインプットされている。演奏後の割れんばかりの拍手を聞けば、彼女の演奏がいかに秀逸していたかが窺い知れる。

 ③ 「 I love you 」

 イントロだけで泣きそうになる。私の20代に大好きでカラオケの十八番だった名曲。あんなに早く天国へ旅立ってしまうとは・・・。この曲を聴くと人生で一番充実していたあの頃のことを、まるで走馬灯のように懐かしく思い出される。

 コメント

 尾崎豊のファンです。 まさかILOVEYOUが弾かれるなんて感動しました。 風の迷路も良い歌ですから是非お願いします。 応援しています(^^♪

 尾崎は自分の青春の1ページです。 尾崎が大好きで 尾崎に憧れ 尾崎に追いかけた 青春時代。 素晴らしい時をありがとう。

 彼女の動画は、聴いてくれるファンの方を大切にしている点が好感がもてる。選曲も程よいが、居合わせた方のリクエストに快く応じ、そして動画にアップする際も、聴いてくれた方の反応をつぶさに観察し、さりげなくコメントを入れる。そうした細やかな気配りが素晴らしい。たぶん、都庁に通い詰めているファンも大勢いるし、今日は何を演奏してくれるのかわくわくしながら待っている方もいるに違いない。
 美しいイントロ部分を聴いただけでもきっとぞくぞく来る筈だ。ほかにも「赤いスイートピー」や「パプリカ」、「いい日旅立ち」も大好きだ。

 2 「よみぃ」さん

 北海道出身の男性ピアニスト 北は旭川から関西や海外(中国・韓国)まで幅広く活動している。ピアノが新たに設置されたと聞けば、全国、どこにでも駆けつける。北海道だってゲリラライブ的にピアノを弾くためにわざわざ日帰りするほどだ。
 彼のファンは若い女性が圧倒的に多い。突如現れれば、すぐに人だかりになり、握手攻めにあう。動画へのアクセス数はどれも300万回を優に超える。米津玄師がお得意らしく「Lemon」と「千本桜」をよく奏でている。

 ① 地元札幌に凱旋!

 彼の生まれ故郷、札幌の大通公園の地下通路に期間限定で配置された3,000万円するといわれる「スタンウェイ」製のグランドピアノ。これを弾くために日帰りの弾丸ライブを決行した。サングラスに黒マスクといういでたちで怪しく登場した彼だが、演奏中に「よみぃ」と気づいた女性ファンが殺到。握手やツーショット撮影の会場ん早変わり。最後は、オリジナル曲を披露して感謝する。「You tuber」、そしてピアニストの鑑のような振る舞いにますますファンが増えたことだろう。

 ② コナンVSルパンの競演

 集まってくれた観衆へのファンサービスを忘れない彼は、飛び入りのような演出で客を楽しませた。それは人気アニメのコナンとルパン三世のピアノ競演。同じタイミングで同じ旋律でメロディーを多重演奏するカッコ良さ。終わりまで感動させる手法はまさにプロであり演出家だ。

 ハラミさんとの初コラボ演奏(連弾)はコチラ

 いつかはこうなると思っていたファンもいたことだろう。川崎のストリートピアノで2人がたまたま遭遇し、ハラミちゃんの「Lemon」の演奏中に「よみぃ」が突如乱入し、途中から連弾状態に。「ハラミにレモンかけると美味しいのかな」というセリフも憎いが、この名手のふたりの演奏に居合わせたファンは大感激!演奏後の「ご馳走様でした」という言葉も洒落てて心地よい。

 彼が凄いのは、最初、ピアノの周囲に誰もいない状態から演奏を始め、最後は人だかりになっている点。音で人を引き寄せる魔力を持つ超絶テクニックの持ち主だということ。確かにルックスが良くてイケメンであることから、女性ギャラリーを中心に多く集めているが、それは実力があるからにほかならない。

 3 「僕、フォルテ」さん

 ピアノコンクール全国大会で優勝したこともある実力者。主にショパンなどのクラッシックが得意だが、超難関の「ラ・カンパネラ」など何でも弾く。彼はピアニストには珍しく、マッチョ系だ。顔もどちらかと言えば、ボディビルダーやアスリートを彷彿させる「肉食系」なのだが、その演奏を聴くとパワフルでその迫力に圧倒される。

 ① ショパン「革命」

 居合わせた子連れのお母さんのリクエストにも即興で応じ、なんの違和感もなくいとも簡単に弾きこなす。力強い鍵盤使いで通りを行き交う通行人も思わず足を止めるほどだ。

 ② 「英雄ポロネーゼ」

 

 彼のピアノテクニックは超越し他の追随を許さない。それは鮮やかな手さばきというか、「人間ってこんなに指先が素早く動くもんなの?」と思わず漏らしそうなほどの目にもとまらぬスピードだ。他にはショパンのエチュードも得意中の得意のようだ。 

 さて、都庁ピアノは「ハラミちゃん」、「よみぃ」、そしてこの「僕、フォルテ」が最強だが、他にも「菊池亮太」や女性2人の「ごぼう」、「スミワタル」、「けいちゃん」などが常連で、ウィークエンドの昼下がりに都庁の展望室に足を運べば、この中の誰かに会えることはほぼ間違いないところだ。ぜひ、みなさんも都庁を訪れ、彼らの美しいメロディに酔いしれてみてはいかがでしょうか?きっとこれまでにない貴重な経験となること請け合いだと思いますよ。

 <追記>

 無記名の方からのコメントで「うすい百貨店」にストリートピアノがあるとの情報を頂きました。ネットで確認したところ、うすいの2階に「ヤマハのアップライトピアノ」が昨年の4月から設置されているようです。グランドピアノではないが、カラフルにペイントされてあるそうです。職場が近いので、ジュンク堂に行ったついでにその真相を探りたいと思います。

 

 

2020年1月13日 (月)

福島県民を元気にしてくれる歌姫・菅野恵

 我が福島県では名が知れていても、全国の方はシンガーソングライターの菅野恵(すげのめぐみ)さんを知っているでしょうか?彼女はソロの女性シンガーで、アコースティックギター一本で作詞作曲を行い、そして歌を奏でている。
 私は仕事でどうしても都合がつかなかったが、つい先月にも福島市の「夢の音楽堂」でワンマンライブを開催したばかり。彼女はいつもニコニコ明るい笑顔で、震災に今も苦しむ福島県民に勇気と元気、それに希望の光を与えてくれる楽曲を提供してくれている。

 とりわけ、福島テレビ(通称:福てれ)の番組に、すぐにメロディを口ずさみたくなる軽快で耳に残る名曲を番組の主題歌やテーマ曲として提供し、そして時々スタジオでLIVEで演奏してくれたりもしている。

 なぜ、そこまで福島県のために貢献し、尽くしてくれるのかと言えば、菅野恵さんは何を隠そう福島市出身なのだ。では簡単にプロフィールを紹介したい。

 「菅野恵」(ご本人のWeb siteより)

 福島県福島市出身のシンガーソングライター。
 柔らかくも芯のある声をギターに乗せ、暮らしの中の喜怒哀楽を独自の視点で描く。

 フジテレビ系列「奇跡体験!アンビリバボー」エンディングテーマ、福島テレビ「FTVテレポートプラス」「きみこそ明日リート」テーマ 
曲、J3リーグ「福島ユナイテッドFC」応援歌、「福島銀行」CMソング、福島銘菓「いもくり佐太郎」イメージソング、福島県南会津郡下郷町観光PRソング等、多数のテーマソングを担当。

SugenoSugeno2

 では、もっと全国の方に素敵な歌を奏でる彼女のことを知ってほしくて福島テレビで放映されている楽曲を3曲紹介したい。

 「きみこそ明日リート」

 福島県内の注目の中高生アスリートを紹介する番組。この番組テーマ曲が「The Challenger」で、とにかく元気が出るカッコいい曲。

 「FTVテレポートプラス+」

 平日月~金の夕方の16:45~19:00に放送している福島テレビ制作のローカル番組。FTVのアナウンサー陣が日替わりでニュースや様々な地元密着の情報、加えて気象予報士・斉藤さんによるどこよりも詳しい天気予報を紹介している。

Ftv

 「笑顔」(2018年に番組の冒頭で流れた)

オープニングのイントロがいかにも夕方の夕やけをイメージさせる。寺本アナや福盛田アナ、松永アナ、神谷アナがいた頃に流れていた。このメロデイーが流れると夕方だという印象だった。

 この曲に寄せられたコメント

この曲がテレビから流れてくるともう夕方かーと思う! 福島には欠かせないお方です(*^^*)」

テレビで何気なく聴いていた曲がこんなにいい歌だったんですね! 笑顔になりたいです。テレビで何気なく聴いていた曲がこんなにいい歌だったんですね! 笑顔になりたいです。

FTVの夕方の番組で断片的に流れているのを毎日聞いてきますけどこうしてフルコーラスを聞いてみると改めて本当に良い曲だと思います。 辛いことがあると自分への応援歌として「♪だ~か~ら~笑顔になってくれないか~♪」と心の中でリピートしています。

 「ありがとう」(2019年から現在も流れているオープニングテーマ曲)

 とても元気になれる明快なテンポとメロディー。

 この曲に寄せられたコメント

 ありがとう、そぉ言える事が、どんなに素晴らしい事か、とても優しい気持ちになれる曲ですね。(^_^)

 さて、私はこの曲をテーマソングにしている、アットホームなこの番組(FTVテレポートプラス)が大好きで、MCでは沖縄出身の我如古梨乃アナとテレビ金沢から異動して来た小田島愛アナのゴールデンコンビ、癒し系満載の八重樫葵アナの「フクカツ」や「500mの小さな旅」、姉御肌で安定感抜群の長谷川朋加アナ、そして郡山駅前やさくら通りの郡山支社前から「〇〇とっておき」をお送りしている福島県出身で地元福島大学でミスキャンパスだった幡谷明里アナがお気に入り。もちろん会津出身の菅家ひかるアナも好きだ。
 この番組の雰囲気が大好きで、毎晩の日課になっている。実はすべてブルーレイに予約録画しているほど大好きだ。
 そして、おっとりで天然がかった八重樫葵アナはなんと慶應義塾大学法学部卒の、実はとんでもない才媛だった。

Ftv2
左から幡谷アナ、我如古アナ、小田島アナ

 さて、この3曲を聴いただけでも菅野恵さんの素晴らしさを認識していただけたと思う。メロディーもGOODだが、その詩も秀逸している。元気を与えてくれる。今後、ますますメジャーになってほしい実力派シンガーだと思う。

2020年1月12日 (日)

人生の意味を問いかける歌い手・竹内まりや

 今から8年前の2012年にリリースされた曲が、2020年の第一週目のオリコンで第1位を獲得した。それは名曲中の名曲にもかかわらず、一部のファンと特定の人々にしかあまり認知されていなかった曲だ。それが脚光を浴びたきっかけは2019年の大晦日に放送された
「第70回NHK紅白歌合戦」で大反響を呼んだ「竹内まりや」の「いのちの歌」だ。

 彼女は私よりも10歳ほど年上だが、中学時代にデビューした彼女を見て驚いた。目鼻立ちが整った顔立ちに、相本久美子さん似でスタイル抜群、容姿端麗ないでたちは、当初、アイドル歌手かと思えたほどだが、アイドルにはない彼女の歌唱力を知り、本格的なシンガーだとすぐに認識できた。加えて彼女が慶應義塾大学卒の才色兼備であることに、一種の憧れを抱き、それで私も慶應大学進学を志したことを思い出した。

 私は確か、中学生当時、セカンドシングルの「ドリーム・オブ・ユー~レモンライムの青い風~」」というレコードを持っていた。何度、レコードジャケットの彼女の美貌に見惚れたことか知れない。

 やがて「不思議なピーチパイ」が人気化粧品のCMに使用されると、瞬く間にヒットし、テレビの歌番組にも頻繁に出演するようになり、一躍メジャー歌手の仲間入りを果たした。
 しかし、賢い彼女はその一過性のブームに乗ることなく、自らの立ち位置に悩みながらも、自分スタイルを貫き、迎合することなく、人々の琴線に触れるような「本物の音楽」を追求し続けた。

 その契機となったのが、歌唱力、創作力に優れた一流ミュージシャンの「山下達郎」との結婚だった。最大の理解者と強力な後ろ盾を得た彼女は、それまで以上に、オリジナリティ溢れる楽曲をこの世に送った。ある時は女性の深層心理を描写したものや、人間として誰もが共感できる心情、それを自分の言葉で綴り、時には率直に、またある時は、人生の核心を突くような歌詞で散りばめられており、「人間・竹内まりや」を垣間見ることができた。

 ところで1970年代から長らく活動し、変わらぬ人気を誇る女性シンガーというと、ユーミンを思い浮かべるが、その作風とは一種違う独特な楽曲を手掛けたが、これほど地に足を着け、地道に創作活動を継続できたのは、才能もそうだが、夫の支えがあってこそだと思う。
 その当時、久保田早紀や渡辺真知子、五輪真弓、八神純子、尾崎亜美、水越恵子らが活躍していたが、世紀を超えてまで第一線でヒット曲を生み続けた歌手は稀少だと思う。


 では、ここで彼女の経歴を簡単に掲載したい。

 1955年生まれの64歳 島根県大社町(現在の出雲市)出身 血液型はA型 夫はシンガーソングライターの山下達郎
 実家は創業143年の老舗旅館で、出雲大社正門前にある竹野屋旅館 
 1978年に「戻っておいで、私の時間」でデビュー。
 「駅」「純愛ラプソディ」「告白」「シングルアゲイン」「マンハッタンキス」「カムフラージュ」などのヒット曲がある。
 自分の曲だけでなく、河合奈保子の「けんかをやめて」、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」など多くのシンガーに楽曲を提供した。


 ところで、バブルの後、1990年代に私は「Request」(リリースは1988年)というアルバムが大好きで、カーステレオでドライブ中に何度、BGM代わりに繰り返し聴いていたことか知れない。時には歌詞の内容を自分の恋愛体験と重ねたり、あるいは恋愛バイブルとして女性の心理を知るための参考にしていた。それほど繊細で揺れ動く女性の微妙な心理、その裏側までを描くことに卓越していた歌手だと思う。

 では、彼女の代表作で、タイトルの示す通りの楽曲を3曲お送りし、ついでに動画サイトに寄せられた、彼女の曲に自分の人生を重ね合わせるように、想いを綴った書き込みコメントも掲載したい。

 1 「いのちの歌」

 この曲は、震災翌年の2012年1月にリリースされた。巨大地震や大津波、原子力発電所事故で多くの人命が失われたあの時期、命の大切さを切実にかつせつせつと語りかけながら歌う彼女。

 「この星の片隅でめぐり逢えた奇跡」「本当に大事なものは隠れて見えない」
 「ささやかすぎる日々の中にかけがえない喜びがある」
 「生まれてきたこと 育ててもらえたこと・・・そのすべてにありがとう」「この命にありがとう」

 「両親や支えてくれた方々に感謝の言葉を残して自分もこの世を去りたい」という人間だからこその生き方がそこに集約されている。
 
 <この曲に寄せられたコメント>

いろいろあって…絶望があって…この曲聴くたびに涙して、生きていかなくてはいけないと再び思っています。ありがとう。

紅白で生の歌声最高に素敵で感動しました😆 まりやさんの歌声とメロディーと歌詞がマッチしてて、素敵な曲✨✨ この詞のように人生を強く生きて行きます

紅白見ました。 改めて、生かされている事に感謝 🌹しみじみ感じました。素晴らしい曲ですね!

素晴らしい…………色々な先に逝った方を思い出します。命の意味……を…………

この歌は、初めて聞きました。涙が出てきました。私もこの世を去る時はありがとう‼️ありがとう、と言ってこの世を去りたい。ありがとう!!

いのちの歌🎵最高です😌💓昨年23歳で😢亡くした息子を💕思いながら聴いてたら😢涙が出ました😢息子に😆ありがとうって😆伝えたいです

今、認知症になった父をおもいながら聞いてました。元気だった頃の笑顔が浮かびました。
  

 そして、この曲はこれまでに小学校の卒業式で合唱されたり、教科書に掲載されるほど反響が大きかった。多くの方に感動を与え、聴く度に、歌詞の意味と自分の人生を重ね合わせて号泣する年配者がいたほどだ。 
 祖父母、父母、親戚など身内の死に接する度に、見つめなおす「生きること」の意味。自分もこの世に生を受けたからには避けては通れない死の存在。死を目前にして「この世に生まれて本当に良かった」と思い、充実感と達成感、安らぎと幸せを感じながら「その時」を迎えたいものだ。 

 2 「静かな伝説(レジェンド)」

 リリー・フランキーと山岸舞彩がMCを務めたフジテレビの番組「ワンダフルライフ」の挿入歌として使われた。毎回、特定の人物の功績や生き様をインタビューを含めて回顧するドキュメンタリー番組だった。僅か半年で終了したが、私は「知ってるつもり」や「徹子の部屋」、「おしゃれ」、「波乱爆笑」のようなトーク中心の番組に好感を持って、毎週見ていた。 

 <この曲に寄せられたコメント>

いつも、竹内まりやさんの、歌声に励まされます。音楽の教科書に載ればいいな。

 3 「人生の扉」

 この曲は渋沢栄一の「人生100時代」(人生訓)を彷彿させるコンセプトが見え隠れする。

 「四十、五十は洟垂れ小僧 六十、七十は働き盛り 九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ」という例の名言だ。

  人は誰でも自らが歩んできた道がある。それを「人生」と呼ぶが、決して他人には真似できないその人独自のストーリーだし、ヒストリーだ。そこにスポットを当てた作風は、中島みゆきの「地上の星」とも重なる部分がある。

 その中の一節にある 「長い旅路の果てに 輝く何かが誰にでもあるさ」という歌詞を聴くとハッとして我に返り、震えが止まらない。
   
    そして、“But I still believe it's worth living.” で締めくくるのが竹内まりやならではで、この人は一体人生の意味をどこまで知り尽くしているのだろうか。

<この曲に寄せられたコメント>

気がつけば52です。我ながら、幸せな日々を過ごせていると思います。目に映るもの、すべてに感謝して、心優しくおおらかに、人と接します。がんばれ、わたし。

男女の色恋をテーマにした歌よりも最近、こんな人生をテーマにした歌につい涙してしまうのは、五十路を終えつつある私だけでしょうか?

ミュージシャンとしてなんていい歳のとりかたをしているんだろう。 普通の人々と同じ目線で生きて、いつも前向きな竹内まりやという存在に あらためて感動している日々です。

英語の部分は和訳するとこんなニュアンスかな..と思いました。

I say it's fun to be 20   
You say it's great to be 30  
And they say it's lovely to be 40 
But I feel it's nice to be 50

20歳になった時は全てが楽しかったわね。
あなたは「素晴らしいのは30歳よ」と言うし、
みんなは「自分を愛おしく思えるのは40歳よ」と言うけど、
 …でも50歳も悪くはないわよ。

I say it's fine to be 60      
You say it's alright to be 70   
And they say it's still good to be 80
But I'll maybe live over 90

「元気な60歳になりたいわ」と言ったら、
あなたは「70歳になっても大丈夫よ」っていうし、
みんなは「80歳になったってまだまだ楽しいわよ」と言うけど、
…でも私は90歳を過ぎても生きてくつもりなのよ。

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older 
And they say that life has no meaning 
But I still believe it's worth living 

歳を重ねて弱っていくのは悲しいことだって言えるのかもね。
あなたも「老いていくのは辛いことよね」って言うし、
みんなも「人生には何の意味も無いのよ」って言うけど、
…それでも私は「生きることは価値があること」だって信じているの。

 

 私は生まれた時に、医師から超未熟児で、この子は育たないと匙を投げられた。それでも両親はできるだけの愛情を注いで50歳を越えるまで丈夫に育ててくれた。人並の生活を送らせてくれたし、おそらくは残された人生は長く見積もってもあと30年だろう。
 はたして自分は、子どもや、やがて生まれてくるであろう孫や次の世代に何を残せるだろうか?そんな人間としての本質を突き付けられているようだ。そんな人生の縮図をこの歌が代弁してくれている気がする。
   

 さて、「歌は世につれ人につれ」という明言を残した名司会者がいたが、人生を象徴したり、人間の本質を突いたり、その人の生き方を率直に描写できるシンガーは限られている。それは己の実体験やさまざまな人生経験を基にしないと、詩に表すことなどできないはずだ。
そういう意味では、彼女は数少ない本格派シンガーと言えるだろう。
 1970年代からすでに40年以上もの長きに渡り活動を継続しているシンガーは、ユーミンもそうだが、物事の本質を知り、人生の奥深さまで悟っている人物でなければ長続きはしない。人の心に寄り添い、共感できる詩を創れる歌手は、アイドルやミーハーなどの俗物的なものではあり得ない。
 今年、会社勤めの人間でいうところの「65歳定年」を迎える彼女が、今後、どのような曲を私たちに見せてくれるのか、楽しみは尽きない。

2020年1月 8日 (水)

1970年代に夢中にさせてくれたもの

 人間歳をとると、自分の中で古き佳き時代の出来事を回顧したくなる。私は1970年代から80年代に学生時代を過ごしたため、いわゆる青春時代の想い出に浸りたくなることがる。すべてが楽しかった訳ではなく、時には失恋や受験でもがき苦しんだ時期もあったが、今にして思えば、それも人生経験の中では重要なことだったと振り返ることができる。

 1970年代は小学生から中学生にあたるが、夢中になったものはソフトボール、合奏、野球、ギターなどだが、今の自分を築く上で大きな影響を与えたものに「洋楽」や「洋画」がある。もちろんギターを始めるきっかけをくれたシンガーソングライターが時代を闊歩した「ニューミュージックブーム」にも限りなく影響を受けたが、英語に興味を持たせてくれたものは、間違いなく洋楽で、それは私が大学生になった80年代に結実した。

 1970年代を代表するシンガーと言えば、次の7組が真っ先に思い浮かぶ。ビージーズ、ABBA、イーグルス、オリビア・ニュートンョン、カーペンターズ、ベイシティローラーズ、そしてビリー・ジョエルだ。ビートルズやエルヴィス・プレスリーは60年代だと私的には思っているので、ここでは取り上げないことにしたい。

 かつて私が中1の頃に大ヒットしたジョントラボルタが主演した映画「サタデーナイトフィーバー」で、空前のディスコブームが巻き起こった。その主題歌を歌っていたのがイギリスの3人組(ギブ三兄弟)のグループ「ビージーズ」だ。「メロディフェア」(若葉の頃)や「愛はきらめきの中に」などメロディアスなバラード曲もあるが、個人的には「Night Fever」や「Stay in Alive」などディスコティックなサウンドがイメージとして強くある。ボーカルの声質が高く、真似しようとしてもハイトーン過ぎて出せるものではなかった。

 次にABBA。スウェーデンが生んだ4人組のハーモニー主体のユニットという印象だ。日本では彼らを意識した「ザ・サーカス」という同じく4人組のグループが登場した。「Mr.サマータイム」や「アメリカンフィーリング」でお馴染みのシンガーだ。私が彼らの楽曲でお気に入りなのは、「Mamma Mia」と「ダンシングクイーン」だ。ディスコサウンドの先駆けとなったのが、BeeGeesとABBAだと私は思っている。

 続いてイーグルスは「ホテルカリフォルニア」で全米No.1にも輝いたアメリカの古参のバンドだ。日本では「トランザム」とイメージがダブるのは私だけだろうか。

 オリビアニュートンジョンはイギリス出身の青い瞳が印象的な美人アーチストで、「そよ風の誘惑」など、10代では日本でいう吉永小百合のような清楚で清純なイメージだったが、20代を超えると、結構過激なスタイルにイメチェンを図ったように思う。「ザナドゥ」とか、「フィジカル」など、まるで別人であるかのような存在になった。レオタードでストレッチを行うPVの「フィジカル」では、目のやり場に困るような映像だった。

 カーペンターズはアメリカ出身の兄妹のデュオ。「イエスタデーオンスモア」や「トップオブザワールド」など中学校の教科書に登場するような歌いやすい歌詞で一世を風靡した。妹のカレンが拒食症が原因でこの世を去るまで、全世界でその覚えやすく軽快なメロディーは全世界で愛された。

 ベイシティローラーズはスコットランド出身の兄弟4人に友人を合わせた5人組ロックバンドで、どちらかと言えば日本でいうスーパーアイドル的な存在だった。ライブでは若い女子たちの黄色い声がこだまし、それは熱狂的だった。黒の長髪スタイルでチェック柄を好み、その後日本で登場した「ザ・チェッカーズ」とイメージが重なる。日本でもゴリエが歌った「ペコリナイト」の原曲「サタデーナイト」が大ヒットしたし、「I Only Want To Be With You」(日本名:二人だけのデート)もまた名曲だと思う。ポップ調のロックの先駆けともいえる。

 ビリージョエルはイギリスを代表するシンガー。70年代は「オネスティ」とイントロで口笛を吹く「Stranger」が代表曲。特に「ストレンジャー」のインパクトは強かった。個人的には「素顔のままでJust The Way You Are」も好きだし、「Uptown Girl」も捨てがたい。あの高音域にどれほど引き付けられたかしれない。私は彼と「ボズスキャッグス」がダブって見えて仕方ない。日本ではバラードを歌う時の久保田利伸と重なる。

 他にも「サイモン&ガーファンクル」なども中高生時代によく聴いていた。

 さて、少しでも私が思春期や青春時代を過ごした学生時代に流行した洋楽の魅力を底市でも感じ取ってくれたらうれしく思う。ビートルズもそうだが、この頃の楽曲は和洋楽共に一曲当たり3分前後と短く、とても聴きやすかった。私は洋楽で英語の勉強をしていたからなおさらだ。当時、意気盛んで感受性が強かったその時代にこんなシンガーたちと巡り合えたことを誇りに思う。

 


  

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