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音楽

2020年10月30日 (金)

古き佳き昭和の象徴~今は亡きアーティストたち~

 昭和生まれの私にしてみれば、激動と言われた「昭和」の時代は、戦争という暗い影を落とした時代背景もあったが、私は高度経済成長真っただ中で生まれ、またバブル景気を経験したので、勢いのある時代だったと振り返ることが出来る。しかもテレビの普及で、多くのテレビ番組を視聴できるようになった。プロレスや野球のナイター中継などもあったが、やはり、歌番組が全盛というか隆盛を極めた時代だったと思う。そんな中で、私が唸った昭和を代表するミュージシャンをここで取り上げ、当時を懐かしんでみたい。

 1 村下孝蔵

 80年代から90年代にかけて活動したシンガーソングライター。ギターの名手で、ベンチャーズのパイプラインを演奏させたら天下一品の巧さ。私が心から愛して止まない歌手であり、1999年に46歳で急逝されて早、21年も経つが、未だにオヤジ世代にはカラオケで歌われる神的存在だ。代表曲は以下の通り。

 ゆうこ(1982年)
 初恋 (1983年)
 踊り子(1983年)
 少女 (1984年)
 かざぐるま(1986年) 
 ロマンスカー(1992年)

 彼は熊本出身だが、死後、茨城県の墓地に葬られた。私は絶対に彼の墓参りをしたいと思っている。もしご存命だったら、67歳だった。

 2 河島英伍

 80年代に活躍したシンガーソングライター。ギターやピアノの弾き語りで、魂のこもった、琴線に触れる、人々の心にジンジンと響くような歌を数多く残した。ハスキーボイスで男臭さを漂わせるハートフルなアーテイストだった。今から19年前の2001年に48歳の若さで肝臓疾患により急死した。もしご存命なら、今年で67歳だった。

 酒と泪と男と女(黄桜のCM)
 野風僧
 元気ですか(東北電力のCM)
 時代おくれ

 3 高橋のぶ(トランザム)

 テレビ番組の主題歌や70年代に「コカ・コーラ」などのCMソングには欠かせない存在だった「トランザム」のヴォーカル。声が大きく歌唱力があって、一度聴いたら耳に残る声質だった。東北は宮城県出身のヴォーカリストだった。2015年に65歳で自宅で死去した。
 
「あゝ青春」(NTV『俺たちの勲章』主題歌)
「ビューティフル・サンデー」(TBS朝番組『おはよう720』テーマ曲)
「地球の仲間」(NHKミニ番組『地球の仲間』主題歌)
「裸足で地球を駆けるのさ」(コカコーラCM)
「世界は今日もまわっている」 (クニ河内作詞)
「やさしい雨を降らせておくれ」(『明日の刑事』主題歌 )
「Mr.ウエルビー」(国際障害者年協賛歌)
「明日に架ける虹」(『宇宙戦艦ヤマト 完結編』挿入歌、桑江知子とデュエット)
「君は綺麗なままで」(ハウス食品とんがりコーンCM、河合奈保子とデュエット)

 4 井上大輔(井上忠夫)

 GS時代に「ブルーコメッツ」でヴォーカル、サックス、フルート奏者として活躍。1960年代から70年代に最も輝いたミュージシャン。
コカ・コーラのCMが全盛期だった時に、「I FEEL COKE」のヒットソングを生み出した。また、作曲家に転身後は「フィンガー5」の「学園天国」やシャネルズの「ランナウェイ」を世に送った。

 私は個人的には1978年1月放送のNTVドラマ「おとこ同志おんな同志」主題歌だった「男と女の星座」が好きだった。実際にレコードも購入し、所有していた。ほかにも「機動戦士ガンダム」やテレビドラマ「家族の神話」などの主題歌を作曲したり、「サントリー」、「三ツ矢サイダー」、「ミズノ」、「エーザイ」、「アサヒ」、「JT」、「丸井」などのCM曲を次々と手がけた。

 しかし、彼は2001年に自宅で自殺している状態で発見された。58歳だった。 

 5 大塚博堂

 1972年(昭和47年)に「大塚たけし」名義で歌手デビューするものの、不発。その後クラブでの弾き語りの活動などが評判になり、1976年(昭和51年)6月26日、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』で32歳での再デビュー。これが評価され、遅咲きながらも『めぐり逢い紡いで』、『過ぎ去りし想い出は』や『季節の中に埋もれて』などの曲で活発な音楽活動を行ったが、1981年(昭和56年)5月18日に脳内出血のため37歳で急逝した。

 6  大瀧詠一

 岩手県生まれ。1968年に早稲田大学第二文学部に入学。 1981年3月に『A LONG VACATION』を発表。当初は売り上げが低迷していたが、徐々にセールスを伸ばし、夏にはチャート2位を記録。「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞した。
 2013年12月30日17時30分頃、東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で家族と夕食後のデザートにリンゴを食べている時に倒れ、救急搬送された。警視庁福生警察署などによると、家族は「林檎を食べていてのどに詰まらせた」と説明していたという。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後19時頃に死亡が確認された。65歳だった。もしご存命だったら、今年で72歳だった。

 ご本人のヒット曲

 「夢で逢えたら」
 「君は天然色」
 「恋するカノン」
 「幸せな結末」
 「恋するふたり」

 楽曲提供

 「さらばシベリア鉄道」(太田裕美)
 「風立ちぬ」(松田聖子)
 「冬のリヴィエラ」(森進一)
 「熱き心に」(小林 旭)

 他にもかまやつひろしさんも鬼籍に入られた。

 信じられないが、昭和を代表するアーティストも高齢になられた。ご健在で今も現役でご活躍の方たちは、

 松任谷由実(66歳)、中島みゆき(68歳)、竹内まりや(65歳)、イルカ(69歳)、吉田拓郎(74歳)、さだまさし(68歳)、松山千春(64歳)、谷村新司(71歳)、堀内孝雄(71歳)、南こうせつ(71歳)、浜田省吾(67歳)、矢沢永吉(71歳)、山下達郎(67歳)、佐野元春(64歳)、小田和正(73歳)、伊勢正三(69歳)、稲垣潤一(67歳)、桑田佳祐(64歳)、大友康平(64歳)など、私がよく聴いたシンガーソングライターたちは、私より年上なので、やはりとうに還暦を過ぎている。凄いのは、70代になってもなお、ラブソングを作り、歌っている方もいる点だ。

 さて、昭和のフォーク界を彩った、今は亡き5人のミュージシャンにスポットを当てて、懐かしんでみた。昭和の時代はフォークや歌謡曲が全盛期で、多くの歌手が登場し華やかな時代でもあった。とかく今日は実力派のシンガーを集めたが、名曲というのは時代が移っても半永久的に残されるものだと彼らの曲を聴いて改めて思った。

2020年10月24日 (土)

筒美京平さんの偉業を称えて

 今年、我が福島県を代表する作曲家「古関裕而」の功績を振り返るドラマ「エール」がNHK「朝の連続テレビ小説」で放映された。改めて彼の凄さをまざまざと見せつけられた思いだ。間違いなく昭和を代表する大作曲家の5本の指に入ると実感した次第だ。

 私が思う作曲家で偉大だと思うのは・・・
 
 1位 古賀政男 悲しい酒 影を慕いて 丘を越えて 人生劇場 無法松の一生 東京五輪音頭
 2位 遠藤 実 からたち日記 襟裳岬 高校三年生 星影のワルツ せんせい 北国の春 夢追い酒 
 3位 三木たかし 津軽海峡冬景色 夜桜お七 心の瞳 めだかの兄妹 アンパンマンマーチ みずいろの手紙 ブーメランストリート
          つぐない 愛人 時の流れに身をまかせ 別れの予感 ふり向くな君は美しい 北の蛍
 4位 古関裕而 栄冠は君に輝く 紺碧の空 闘魂こめて 六甲おろし 若鷲の歌 イヨマンテの夜 ひめゆりの塔 モスラの歌 
         オリンピックマーチ 君の名は 高原列車は行く
 5位 服部克久 みんなのうた 自由の大地 美しきランナー ザ・ベストテンのテーマ クイズ100人に聞きました
 6位 市川昭介 アンコ椿は恋の花 涙の連絡船 好きになった人 さざんかの宿 イルカに乗った少年
 7位 森田公一 あの鐘を鳴らすのはあなた ひなげしの花 時代遅れ 青春時代 十七の夏
 8位 弦 哲也 天城越え 夫婦善哉 北の旅人 
 9位 浜 圭介 舟唄 終着駅 石狩挽歌 雨の慕情 そして、神戸 雨 街の灯り 哀しみ本線日本海 立待岬 北空港
10位 猪俣公章 港町ブルース おふくろさん 空港 千曲川 さらばハイセイコー あばれ太鼓
11位 都倉俊一 あずさ2号 ピンクレディーのヒット曲の大多数 個人授業 ブルドッグ ジョニィへの伝言 としごろ ひと夏の経験
         どうにも止まらない 狙いうち 
12位 すぎやまこういち ドラクエシリーズ 科学忍者隊ガッチャマン 恋いのフーガ 花の首飾り 君だけに愛を 亜麻色の髪の乙女
             学生街の喫茶店 CMソング(サロンパス・ハウスバーモントカレー・ニベア・キリンレモン・ポカリ・コカ・コーラ)

13位 織田哲郎 いつまでも変わらない愛を 夢見る少女じゃいられない チョット ZARDの曲は大多数(負けなで・揺れる想い)
         世界中の誰よりきっと おどるポンポコリン 突然 シーズン・イン・ザ・サン SUMMER DREAM 翼を広げて
         このまま君だけを奪い去りたい すれ違いの純情 サヨナラから始めよう 想い出の九十九里浜  
14位 谷村新司 昴 いい日旅立ち 今ありて サライ チャンピオン 冬の稲妻 群青
15位 小椋 佳 シクラメンのかほり 俺たちの旅 愛燦燦 愛しき日々(作詞) 夢芝居 
16位 平尾正晃 草原の輝き 二人でお酒を グッドバイマイラブ 長崎から船に乗って 夜空 わたしの城下町 瀬戸の花嫁 うそ
         カナダからの手紙 霧の摩周湖 カリフォルニア・コネクション 必殺シリーズ

 なのだが、実はもうひとり大事な人を忘れるところだった。その人の名は10月7日に80歳の天寿を全うした「筒美京平」さんだ。彼は数多くの昭和歌謡やポップの大ヒット曲をこの世に残した。私と同世代の方なら、知らない歌はないくらい、ヒットメーカーであった。
 特に都倉俊一氏が作詞家の阿久悠と名コンビだったように、松本隆さんとの名コンビで、多くの楽曲を提供し、ある意味、私たちの心のより所となっていた部分がある。

 <筒美京平のプロフィール>

 青山学院初等部・青山学院中等部・高等部を経て青山学院大学経済学部卒業。大学在学時はジャズに打ち込み、大野雄二とも面識があった。
大学卒業後の1963年に日本グラモフォンに入社。洋楽担当ディレクターとして勤務する傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ、
すぎやまこういちに師事し作編曲を学ぶ。
 1966年、「黄色いレモン」(藤浩一ほか、競作)で作曲家デビュー。
 1960年代後半のグループ・サウンズ、その後は歌謡曲、アイドル歌謡曲、J-POP、『サザエさん』に代表されるアニメ主題歌等の作曲と多数
のヒット曲を世に送り出している。

 代表作(20位まで)
 
 1 魅せられて ジュディ・オング(派手な衣装と妖艶な振り付けで魅了し、レコード大賞を受賞)

 2 スニーカーぶる~す 近藤真彦(マッチのデビュー曲)

 3 ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ(幻想的な雰囲気が漂う名曲)
 4 また逢う日まで 尾崎紀世彦(レコード大賞受賞)
 5 ロマンス 岩崎宏美(彼女のデビュー曲)
 6 木綿のハンカチーフ 太田裕美(当時の大学生の想い出の曲となった)



 7 ギンギラギンにさりげなく 近藤真彦(マッチの大ヒット曲)
 8 人魚 NOKKO
 9 やめないで、PURE  Kinki Kids
10 ブルージーンズメモリー 近藤真彦(マッチの3rdシングル曲)
11 AMBITIOUS JAPAN  TOKIO(TOKIOの代表曲でJRのテーマソングとして使われた)
12 サザエさんのオープニングテーマ曲 宇野ゆう子(もはや国民的唱歌)
13 わたしの彼は左きき(麻丘めぐみ)
14 17才(南沙織)後に森高千里がカヴァー

15 男の子女の子(郷ひろみのデビュー曲)
16 仮面舞踏会(少年隊のデビュー曲)
17 Romanticが止まらない(C-C-Bの大ヒット作)

18 甘い生活(野口五郎)
19 なんてったってアイドル(小泉今日子)
20 飛んでイスタンブール(庄野真代)

 作曲作品の総売上枚数は7,560.2万枚(オリコン)で、作曲家歴代1位である。別名義での作曲作品の売上枚数を加算すると7,600万枚を
超える。オリコンが集計を開始した1968年から約50年にわたり、ほとんどの年で作曲作品がチャートインしており(作曲作品リスト参照)、
ヒットチャートランクインは500曲以上、そのうちチャート1位獲得は39曲、TOP3以内が約100曲、TOP10入りした作品は200曲を超えている。

 彼は日本の歌謡界にさんぜんと輝く多大な功績を残した。謹んでご冥福をお祈りします。

2020年10月19日 (月)

「大野雄二」が奏でる情景世界

 「大野雄二」さんをご存知でしょうか?彼の名前や顔は知らなくても彼が手掛けた曲を聞けば、絶対にわかる筈だ。それくらい有名で、後世にまで残るような名曲をこの世に送り続けている稀代の作曲家だ。

 では、彼のプロフィールを紹介したい。

 1941年5月生まれの79歳。ジャズピアニスト、作曲家、編曲家。

   Ohno

 静岡県熱海市にある旅館瑞雲荘大野屋の創業家に生まれ、小学生の時からピアノを始める。慶應義塾高等学校時代、独学でジャズを学ぶ。慶應義塾大学法学部に入学後は、名門ビッグバンド「慶應義塾大学ライトミュージックソサエティ」に所属。大学在学中、プロ・ピアニストとなる。その後、自らのバンド「大野雄二トリオ」を結成する
 1970年代前半にピアニストを休業し、作曲家活動に専念。テレビドラマや映画の劇伴などを手がけ始める。1975年には、しばたはつみの「シンガー・レディ」を作曲した。アルバムでは11曲中8曲を作曲している。
 1976年、映画『犬神家の一族』の音楽を担当。なお、同作に主演した石坂浩二は慶應義塾高等学校・慶應義塾大学法学部の同級生であり、アルバム『音楽と幻想』をリリースしている。

 さて、ここまで書いてもピンと来ない方がほとんどだと思う。では、他にどんな曲を発表したか列挙したい。

 1976年 映画「犬神家の一族」のテーマ曲を担当。「愛のバラード」など。
 1977年 テレビアニメ「ルパン三世」第2シリーズの音楽を担当。
 1977年 映画「人間の証明」のテーマ曲を手がける。松田優作主演。
 1977年 映画「最も危険な遊戯」のテーマ曲を担当。
 1978年 映画「野性の証明」のテーマ曲を担当。高倉健、薬師丸ひろ子が出演。
 1979年 映画「黄金の犬」のテーマ曲。

 NHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」「いちばん太鼓」
 NHKの紀行番組「小さな旅」のテーマ曲
 テレビドラマ「外科医 有森冴子」
 NHK報道番組「ニュースセンター9時」
 NTV「24時間テレビ愛は地球を救う」の第1回放送のテーマ曲
 ルパン三世のテーマの大部分を担当した。
 気まぐれ天使
 愛のサスペンス劇場
 少年ドラマシリーズ「霧の湖」「明日への追跡」
 テレビドラマ「おふくろさん」
 NHK銀河テレビ小説
 土曜ワイド劇場
 大追跡
 土曜グランド劇場
 江戸の用心棒
 リーガル・ハイ
 キャプテン・フューチャー
 スタジオ102
 ルポタージュにっぽん
 Vシネマ(多数)
 プロレス タイガーマスクのテーマ 

 上に挙げた代表曲以外にも数千曲に及ぶ楽曲を提供した。小林亜星さんがCM曲の帝王とするならば、彼は番組のテーマ曲の王様という印象だ。「新日本紀行」やNHKの「きょうの料理」など、やはり番組テーマ曲を多く手掛けた「富田勲」さんや映画音楽の皇帝「久石譲」さんと並び称されるような存在だと思う。

 また、歌手への楽曲提供も精力的に行っている。代表的な歌手は以下の通り

 石川さゆり、岩崎宏美、尾崎紀世彦、河合奈保子、加山雄三、サーカス、桜田淳子、柴田恭兵、しばたはつみ、島谷ひとみ、清水健太郎、SMAP、ダ・カーポ、中森明菜、ハイファイセット、平井菜水、藤竜也、町田義人、松崎しげる、松田優作、水木一郎、森進一、森山良子、三波春夫、山口いづみ、山田康雄(ルパン三世の声)、由紀さおり

 さて、「この聞き覚えのある曲は、一体誰が担当しているのだろう?」という疑問に、少しは手助けとなったでしょうか?私も大野さんの楽曲では、郷愁を誘う「小さな旅」の楽曲が大好きで、聞くたびに懐かしい故郷を想い出すという方も多いのではないでしょうか。

小さな旅 SLばんえつ物語号 はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=4M9mkIQguDo

 ジャズピアニスト出身だけに、「ルパン」シリーズのようにアップテンポの曲から、「小さな旅」のようにスローで落ち着いた聴かせる曲まで幅広い作風は他の追随を許さない。

 最後に、彼は「慶應義塾大学法学部」出身なので、私の直系の先輩にあたる。したがって、どうもあかの他人のようには思えないし、こんなに素敵な楽曲を数多くこの世に送り出し続けていることを心から嬉しく思う。
  

2020年10月12日 (月)

「杉本竜一」の世界観

 1980年代から1990年代の世紀末に活躍した作曲家で、私の琴線に触れる多くの楽曲を提供したアーティスト兼作曲家がいる。彼はテレビ番組のテーマ曲を数多く手がけ、人生観を詩や美しいメロディーに託して壮大なスケールで描いた曲が多く、いわば「魂の歌」をこの世に送った。その名曲は合唱曲にもなり、多くの人に歌い継がれている。
 その人の名前は「杉本竜一」という。

 彼のプロフィール

 1951年生まれの東京出身。「東京藝術大学大学院」卒業。「ウィーン国立音楽アカデミー」で学んだ。映画・舞台音楽から合唱曲まで幅広く手掛ける。

1 BELIEVE 

 ジャニーズの「V6」がカヴァーして大ヒットした曲としてあまりにも有名だが、困難に負けないように激励しているメッセージソングだ。NHKの「生きもの地球紀行」の3代目エンディングテーマとして使われ、多くの人にこの曲が知られることとなった。「生」への躍動感をひしひしと感じるし、伝わる珠玉の一曲だと思う。「みんなのうた」で何度聞いたか知れない。

2   Tomorrow 

 この曲もまたNHKの「生きもの地球紀行」のエンディングで使われてヒットした。美しいメロディーと永井龍雲の「道標ない旅」を彷彿させるスケール感の名曲だ。決して派手さはないが、素朴な歌い方もまた郷愁を誘う。

3 この星に生まれて

 

 この曲(1分40秒から)もまた、NHK「生きもの地球紀行」のエンディングテーマとして使われた。この番組をこよなく愛していたオールドファンがいかに多かったことか、これらのYouTube映像に寄せられたコメントを見ればしみじみ理解できる。少年時代に見た番組を懐かしんで、当時は良かったとか思うようになると、それは歳をとった証拠だが、若かりし頃(思春期や青春時代)に見た番組は、心に残る。私はNHKの「少年ドラマシリーズ」が大好きで欠かさず見ていた。それが小中学生の頃の夕方のルーティーンになっていた。当時、活躍していた若き俳優さんや女優さんは今どうしているのだろうか?

4 花束をあなたに https://www.youtube.com/watch?v=V0vxKmiYm2U

 小4の音楽の教科書に掲載された唱歌  歌い出しの歌詞が「いい日旅立ち」に似ていると思ったのは私だけだろうか?

5   Forever 

 この曲は中学生の合唱でよく耳にする。美しいメロディーと織りなす感動的な歌詞に自然と涙が溢れ出る。生きる力を与えてくれる代表的な曲だ。人生とは何か、生きる意味や生きる方向を教えてくれそうな歌詞に思わずジーンと来る。卒業式でも歌われる名曲だ。

6 生命の息吹(ピアノソロ)

 この曲は誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。歌詞は無くても心が震え出すほどの感動を呼ぶ。NHK「生きもの地球紀行」のオープニングで使われていた名曲だ。

  彼の歌を聞いたり、口ずさむ時、何か生きる力や勇気を与えてくれる。嘘偽りのない人生そのものを歌い上げている。小学校の音楽の教科書に出て来そうな美しいメロディーとハーモニーで奏でたい、そんな存在感と感動を誘う名曲たちだ。おそらく小中学校の時に音楽の時間で彼の楽曲を一度は歌ったことがあるに違いない。

 ところで、今回はNHKでかつて(1992年~2001年)放送されていた「生きもの地球紀行」で流されていたテーマ曲をメインに取り上げた。この番組をこよなく愛したオールドファンは数多いて、懐かしんでいる様子が窺える。これらの感動を誘うテーマ曲と共に、ナレーションを担当した柳生博、宮崎淑子、渡辺篤史の独特な言い回しが、この番組に奥行き感を与えた。深淵なる生命の神秘や動物たちの生態や行動様式などを学ぶにはうってつけの番組だった。

 私はNHKでは「小さな旅」「生きもの地球紀行」「少年ドラマシリーズ」「連想ゲーム」「朝の連続テレビ小説」「大河ドラマ」「ウルトラアイ」「お江戸でござる」「レッツゴーヤング」「プロジェクトX」「その時歴史が動いた」くらいしか見なかった。それだけにそこで流れるテーマ曲は尊くて魂に訴えかけて来るものがある。やはりNHKだと感心させられたものだが、最近はNHKも民放化してしまい心に響く番組が少なくなってしまった感がある。ぜひ名曲を生み出して貰いたいと願うものだ。

2020年9月 8日 (火)

イントロが綺麗な曲

 私がたまに見る動画に「駅ピアノ」や「都庁ピアノ」があるが、たまたまそこに居合わせた観光客に向けて、演奏者が思い思いの曲を選曲し、まるでプロのピアニスト顔負けの演奏を繰り広げる。「よみい」、「ハラミ」、「小雨」、「僕Forute」などがお気に入りだ。彼らの奏では客との一体感が感じられるし、ある種の感動を誘う。そこで奏でられる名曲は最初の出だし(イントロ部分)で鳥肌が立つ場合も少なくない。
 今日は、ピアノ曲では美しいと感じる曲を、実際の「駅ピアノ」や「都庁ピアノ」の動画からセレクトしてトップ5を掲げたい。

 1位 「I love you」(尾崎豊)

しっとり聴かせる究極のラブバラードだと思う。ベッドの上で恋人同士が甘いささやきを繰り広げる。世間の厳しい風に晒されて心が折れかかる日常。若い男女は、寂しさと心の弱さを持ち寄って、互いに支え合う。

 2位 「旅立ちの日に」(影森中学校→卒業式式歌)

 この曲は平成生まれの方の卒業ソングの代表曲。私のような中年世代は、卒業ソングと言えば「蛍の光」や「仰げば尊し」が定番だったが、平成世代は、みなこの伴奏を聞けば、自然とメロディーや歌詞が口をついて出て来るに違いない。それほど良き想い出を背負って学び舎を後にしたということか。街角で見ず知らずの人がピアノでこの曲を弾いていても、ふと懐かしく足を止めてしまう。それくらい感動を誘う名曲と言えるだろう。美しい奏でのひとつひとつに学生時代、そして青春時代の甘酸っぱい想い出を重ね合わせている。授業中のひとコマ、汗と涙の部活動、友達と初めて泊まった修学旅行、思いがけない発見がある文化祭、そして初恋や告白など。今は何十年も前の遠い記憶になりつつあるが、人は誰にも若かりし宝物がある。そんな青春の在り処を物語るのがこの曲だと思う。

 3位 「Forever Love」(X JAPAN)

 最初のワンフレーズの弾き語りで思わず「キターッ!」と叫んでしまいそうだ。YOSHIKIはやはり天才だと思う。ハラミさんのピアノもどこか息吹を感じる。生命力や魂みたいな活力を感じる。

 4位 「栄光の架橋」

 2004年の「アテネオリンピック」のNHK公式ソングとして「ゆず」が熱唱した名曲。名場面としては体操団体で、日本チームが復活の金メダルを奪取したシーン。刈屋アナウンサーの名実況が耳に焼き付いて離れない。「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」。そして日本代表のオールラウンダーの富田選手が鉄棒から舞い降りて綺麗に着地した瞬間、日本が長年の悲願だったかつてのお家芸の体操ニッポンの復活劇が現実のもととなった。

 5位 「いい日旅立ち」

 ご存知山口百恵さんが歌って大ヒットした「旧国鉄」のイメージソングに抜擢された名曲だ。このCMを見て、旅に出たいと思った若者や女性がどれほどいただろう。作詞作曲はアリスのヴォーカルでシンガーソングライターの谷村新司。運命的な曲調や小難しい漢字ばかりを連ねる独特な作風は昭和の時代を闊歩した。

 1978年の国鉄「いい日旅立ち」キャンペーンのCMは→コチラ
 

 人にはそれぞれ好きな歌や、忘れられない想い出の曲がある。子どもの頃に聞いた曲、青春時代の想い出の曲、そして恋愛していた頃、恋人と寄り添いながら聴いたり、ドライブ中に流れ歌。花火を見ている時にBGMで流していたイージーリスニング、そして人生の支えとなってくれた名曲、さらにはカラオケの十八番となっているお気に入りの一曲など。「歌は世につれ人に連れ」というフレーズは的を射ている。

 本日テーマにした「イントロ部分」を聴いただけで鳥肌が立ったり、昔の想い出のひとコマひとコマが鮮やかに脳裏に蘇えるような時もあると思う。人生経験が豊富であればあるほど想い出に残る曲は山のようにあるだろう。美しき奏で、それはその人の人生の縮図とも言えるかもしれない。それくらい人の生き様は歌のフレーズと重なったり、回帰あるいは回顧を誘うもののようだ。

 

2020年8月24日 (月)

「旅立ちの日に」を聴くと涙が出るワケ

 卒業式の定番ソングと言えば、「蛍の光」「仰げば尊し」「卒業写真」を思い浮かべますが、平成生まれ、平成に小中学校を卒業した世代の方々は、真っ先に迷うことなく「旅立ちの日に」を挙げるでしょう。あのイントロのピアノを聴いただけで「ジーン」と来て、鳥肌が立ち、そして歌が終わる頃には大号泣という印象がある。

 なぜあれほど人を感動させる名曲が誕生したのでしょうか?

 実はあの感動曲の発祥は、林家たい平の故郷、埼玉県秩父市で生まれたものだ。「影森中学校」がその舞台で、その当時、特に荒れていたわけではなかったが、式典などで生徒があまり校歌を歌わないのを悲しく思った当時の小嶋登校長先生が、歌で学校を明るく元気にしたいと考えていた。
 その発案に賛同した若手音楽教師の坂本浩美(現在は高橋浩美)先生が、校長先生に作詞をお願いした。最初は作詞のセンスが無いからと消極的だった小嶋先生だったが、その熱意に、僅か一日で詞を完成させ、翌日、坂本先生が出勤すると、机上に「旅立ちの日に」という題名の詞が書き留められて置かれてあったのだ。
 美しいひとつひとつの詞のフレーズに、音楽の坂本先生のイマジネーションが一気に沸き上がり、なんと15分足らずで、その詞に曲をつけて完成させてしまったのだ。それが今もなお卒業式で生徒たちに歌い継がれる「旅立ちの日に」だった。

 それでは以前、「アド街ック天国」で放送された、「旅立ちの日に」の誕生秘話をどうぞ!

 その小嶋先生は、その後、お亡くなりになられてしまったが。自分の作詞した信念が詰まった詩歌が、多くの生徒に愛され、全国の小中学校の卒業式で歌われる名曲を遺したことで、教師冥利に尽きると思ったことでしょう。大変な遺作を後世に残してくれたと思う。

 そして、曲完成後、初のお披露目は、当時校長を務めていた「影森中学校」の生徒たちに対して、先生方から曲のプレゼントという形で、披露された。それを初めて聴いた生徒たちは、感動のあまり泣きだす女子生徒がいたり、その素晴らしい歌詞とメロディーを生徒たち自身が「自分たちも卒業式で歌いたい」という申し出があったという。そして、影森中学校の卒業式の歌として根付いた曲が、その評判を聞きつけた、埼玉県の他の中学校から問い合わせが相次ぎ、やがては全県へと飛び火し、極めつけは音楽の教科書にまで掲載されたことで、一気に全国の学校へと広まったのだった。
 では、初めて披露された貴重な動画をどうぞ!校長先生自ら、この曲の紹介をし、そして冒頭部分をソロで歌っている。校長がこの学校を何とかして変えて行きたいという意気込みが窺える。

 そして、もっと感動したのは、その後、この歌を卒業式で歌って卒業した、かつての生徒(OBやOG)たちが、一堂に会し、ソプラノ、テノール、アルト、ベースの四部合唱で収録に参加してくれたこと。しかもプロでもないのに抜群に上手い。それほどこの歌に思い入れが強く、そして歌詞の通り、想い出を抱いて、この学び舎を巣立っていった方々なのだろう。校長先生もその合唱の輪の中に入っている点が、また新たな感動を誘う。この校長先生の「学校を何とかしたい」という願いと心意気が学校を、生徒たちの心を変えて行ったのだと思う。その心の通いあった感動の動画をどうぞご覧ください。

 その時の卒業式の感動が蘇えって来そうだ。誰ひとりとして真剣な眼差しで、そしてこの曲を大事そうに歌い上げている様子が見て取れる。人というのはたったひとつの歌だけで、こんなにもひとつになれるものなんだと実感した瞬間だった。在学中は楽しいことばかりではなく、嫌なことや悩みを抱えて過ごしていたと思う。修学旅行や学校祭、体育祭や球技大会、お泊り学習など多くの行事を共に過ごし、友情や恋愛感情なども芽生えたことでしょう。そんな多くの想い出を作った学び舎を「卒業」というたった二文字で引き裂かれてしまう現実。共に同じ時間を過ごした仲間や友だからこそ、数年後にまた会っても気取らずに、カッコつけることもなく、かつての自分に立ち返って素直に、そして大切にこの歌を口ずさんでいるように思える。そして、この歌が自分たちを育んでくれ、やがては全国に広まったことで、自身を携えて堂々と胸を張って歌っている点が素晴らしい。いくら歳をかさねても、やはり学生時代の想い出は一生の宝もの。過ぎ去ってしまえば、すべてが美しい想い出になる。同じ時間、空間を共有できた仲間だからこそ、息もぴったりで歌えている点が羨ましくて仕方ない。

 私の世代は残念ながら、この歌は無かったので、この曲には思い入れはないが、今聴いても感動するというのは、やはり小中学生にとって、この曲は何物にも替えがたい特別の歌なのでしょう。この歌を耳にすると泣きたくなるのは、単に卒業式で歌われる定番ソングだからではなく、その歌詞に込められたひとつひとつのシーンは、どの学校にも当てはまる内容であり、とても身近に感じられる。そして学び舎で経験した多くの出来事、つまりたくさんの想い出を抱いて、いつかは旅立ち、別れていかなければならない「人の世の常」のようなさだめを、直感的にかつ叙情的に表現しているから、多くの共感と涙を誘うのだと思う。

 最後に、私が大好きな動画でしょっちゅういている「都庁ピアノ」で、弾き始めた「旅立ちの日に」。最初は誰も歌わなかったが、やがて、たまたま都庁の展望台に居合わせた学生さんたちが、少しずつ声を出し、最後のほうは、三部合唱で大きな声で歌うシーンをご覧いただき結びとします。

 この動画に寄せられたコメント

 なんだろ。涙出てきた。年齢を重ねるとどうも涙腺が

 凄いですね✨素敵です😄
こんな、偶発的に合唱になるんですね~。女子だけじゃなく、男子も歌ってる事が凄い・・だって、恥ずかしがる年頃でしょ?
みんな良い子達ばかり😄


コロナで卒業式が出来なかった子供達がたくさんいる…
ひょっとしたら合唱してくれた子供達も沢山練習したのに歌えなかったのかもしれない…
日本中が不安な今だけど、こんなに素直に素敵に歌ってくれる子供達がいる日本はまだまだ期待が出来そうです!

 

 そしてこの名曲を世に送ってくれた作詞者でもある小嶋登校長先生のご冥福をお祈りいたします。

2020年7月23日 (木)

福島県出身の演歌歌手「津吹みゆ」さんを応援したい!

 以前も当ブログで取り上げたが、再び、今注目の福島県出身の演歌歌手について取り上げたいと思います。
 ラジオ福島がバックアップして「只見線恋歌」がヒット中の演歌歌手「奥山えいじ」さもそうだが、我が福島県出身の歌手で、今注目されているのが「津吹みゆ」さんだ。西白河郡矢吹町出身、24歳の新進気鋭の歌手だ。

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<簡単なプロフ>

本名 津吹実佑 津吹という名字は福島県でもなかなかお目にかかれない。
生年月日 1996年2月28日
血液型 O型
所属 クラウンミュージック
趣味 アンティーク調の雑貨収集・ピアノ・旅行
特技 フルート
好きな食べ物 おから 煮物 ロールキャベツ ハンバーグ
出身校 日大東北高校

高校2年生の時に、いわき市で行われた「NHKのど自慢」に出場したのがきっかけでスカウトされる。

2015年に「会津・山神」でデビュー。(18歳)

O型らしく色白で丸顔は、誰にでも愛される雰囲気を持っている。そしてこの型の特徴である声が良く通り、聴きとり易い。

 では彼女が歌う動画をご覧ください。

 故郷を想う旅愁に溢れる曲が多く、こぶしの回り具合も伸びのある声量が半端ない。バイタリティ溢れる人柄、穏やかな性格など、どれをとっても魅力いっぱいの彼女。単に同郷というだけでなく、歌に惚れ、人柄に惚れる、そんな若手歌手だ。これからどんな成長を遂げていくのか楽しみな一人だ。

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 個人的には同じO型で、昨年まで福島テレビの女子アナとして活動し、現在はお隣りのミヤギテレビのアナウンサーである「福盛田遥」さんとイメージがダブる。

 明るく朗らかな見た目とは打って変わり、歌に向かう姿勢はストイックな印象を受け、とことん頂点を極めようと努力を積み重ねるタイプのようにお見受けした。私は坂本冬美のようになってほしいと心底願っている。そして誰からも応援される息の長い歌手になって欲しいと願っている。

2020年6月12日 (金)

若くして亡くなった男性アーティスト

 人生90年近い世の中にあって、若くしてこの世を去ったミュージシャンやアーティストたちがいる。もし存命であれば、心に残る名曲をより多く世に送っていたことだろう。今日は、志半ばで惜しまれながら亡くなった方々を取り上げたい。

 山田かまち

 群馬県高崎市出身。幼少より絵画の才能を発揮した。高崎市立倉賀野小学校へ入学。同級生に後にBOOWYとして活躍する氷室京介がいた。 小学校3年生のとき、その当時の冬休みの宿題で動物の絵(52枚)を1時間あまりで描き上げる。これらは、貴重な作品として「高崎市山田かまち美術館」に残された。
 中学3年生の頃からビートルズなどのロックに傾倒。氷室京介や松井恒松とロックバンドを組み練習していたこともあった。1977年、群馬県立高崎高等学校に入学。友人数人と学園祭で映画を作成し出演するが、同年8月、自宅でエレキギターを練習している際に死亡。このギターは17歳の誕生日にプレゼントとして贈られたものであった。死因は感電による事故死。自殺など諸説あるが遺族らの意向により公表されていない。

 尾崎 豊

 1980年代から90年代にかけて、彼ほどカリスマ的な存在のミュージシャンはいなかった。
 1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。青学高等部入学という秀才ながら、中退。「卒業」では過激な歌詞で衝撃を与えた。ライブでの熱烈で破壊的なパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼ぶ。その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは死去から25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されている。1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、社会的にも大きな衝撃を与えた。民家の庭先で泥酔した状態で、重傷を負った状態で発見され、その後、死亡した。私は「I Love You」や「シェリー」がカラオケの十八番となっている。

YamadaOzaki

 村田和人

 1954年1月2日生まれ、東京都出身のシンガー・ソングライター。ビートルズやローリング・ストーンズに大きな影響を受け、ブリティッシュ・ハードロックを聴いて育つ。77年、獨協大学入学後にバンド、ALMOND ROCCAで活動。山下達郎らと交流を持ち、会社員を経て、82年4月にシングル「電話しても」でデビューを果たす。ツアーや山下達郎のバックコーラスを務めるなど、精力的なライヴ活動を展開。以降、ウェストコースト・サウンドをベースとしたシティ・ポップの担い手として人気を博す。95年以後は寡作となるものの、音楽講師をしながら活動を継続。2016年2月22日、大腸がんからの転移性肝臓がんにより死去。62歳没。(TOWER RECORDS CDジャーナルより)

 大瀧詠一

 1970年代以降、ハイセンスでハイテンポなオシャレ音楽の数々を世に遺したシンガーソングライター。アルバム「A LONG VACATION」が大ヒットし、実は私も持っていた。「夢で逢えたら」、「君は天然色」、「恋するカレン」、「恋するふたり」などがヒットした。個人的にはキムタク主演ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌になった「幸せな結末」が好きだ。
 また、他のアーティストへの楽曲提供も多く、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」、松田聖子の「風立ちぬ」、森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」なども彼が手掛けた。

 2013年12月30日17時30分頃、東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で家族と夕食後のデザートにリンゴを食べている時に倒れ、救急搬送された。警視庁福生警察署などによると、家族は「林檎を食べていてのどに詰まらせた」と説明していたという。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後19時頃に死亡が確認された。死因は解離性動脈瘤とされた。65歳没。 

MuratakazutoOhtaki

 河島英伍

 1952年 大阪生まれ 大阪育ち 身長182cm。 1975年にワーナー・パイオニアから「何かいいことないかな」でデビュー。 代表曲「酒と泪と男と女」、「野風増」、「時代おくれ」などスタンダードとなった曲はもちろんのこと、優しさに溢れた歌詞や、力強い歌声が今なお多くのファンを魅了している。特に、男の強さや哀しさ、優しさ、父親としての心情を唱いあげた数々の曲は、時代を越えて男性の共感を呼び、歌い継がれている。
 人と人とのつながりを大切にし、世界各地へ放浪の旅に出かけ、それらの経験も多くの歌として残している。26年間の歌手生活の中で4,000回を越えるステージに立った河島英五。「例えば若者達が地元の活性化のために僕を呼ぼうといってくれるならどこでも行くし、めいっぱい盛り上げますよ」が口癖だった。
 1995年 阪神・淡路大震災復興義援コンサート「復興の詩」を企画。震災で親を亡くした子供たちのために行なわれたこのチャリティーコンサートは、“10年続ける”と宣言された通り、本人が亡くなった後もその遺志をついだ河島英五の3人の子どもや仲間たちの手によって実施され、1年1回10年間に渡って開催された。
 2001年1月 突然の吐血により入院。その後医師の反対を押し切って退院し、4月14日に復活コンサートを行ったが、その2日後に帰らぬ人となった。享年48歳。(ワーナーパイオニアより)
 私は東北電力のCMにも使われた「元気ですか」がお気に入りだ。

 Hide

 世界的ロックバンド「X」ではギター以外にもバンドのビジュアル全般を担当し、メンバーの髪のセットなども行っていた。主にYOSHIKIがXの作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部の曲で作詞・作曲を担当
 1997年9月、TOSHIの脱退によりX JAPANは解散を発表し、同年12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散
 1998年5月2日の朝7時30分頃、自宅マンションの寝室にてドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっているのが同居していた婚約者によって発見され、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。33歳没。後にファンが後追い自殺をするなどの事態が発生したという。

 高橋伸明(高橋のぶ)

 1970年代にCM曲やドラマ主題歌、青春ソングなどで一世を風靡したロックバンド「トランザム」でリードヴォーカルを担当した。あの独特な声で人気が高かった。
 宮城県出身。 ビートルズに影響を受け、1967年にドラマーとしてプロデビュー。その後、ボーカルに転身する。つのだひろ&スペースバンドに在籍した後、チト河内らのトランザムにボーカルとして加入。70年代から80年代にかけて、数多くのコマーシャルソングやテレビ番組テーマ曲等を唄った。ユニセフメッセンジャーとして、全国100カ所以上でコンサートを開催。少年ゴルファーの成長を題材にしたTVアニメ「あした天気になあれ」エンディングテーマ「夕焼けに歩きたい」を歌う。
 トランザム解散後は、プロデューサー兼歌手として活動し、2003年にトランザムが再復活。2004年には、26年ぶりのシングル「白いボールのファンタジー」でオリコン16位に入る。
 2015年7月19日、一人暮らしの自宅にて死去。65歳没。高橋の長女が父を訪問した際には既に亡くなっていたとのことである

 「あゝ青春」、「地球の仲間」「裸足で地球を駆けるのさ」などが人気を集めた。特に70年代に「コカ・コーラ」のCMは一世を風靡した。 
個人的には中1の頃に「少年ドラマシリーズ」のテーマ曲となった「季節」がお気に入りで、今でも歌える。

HideNobu

 村下孝蔵

 今でも中年の方がカラオケで歌い継がれる名曲「初恋」。好きな人に告白など出来なかった時代。甘酸っぱい思春期や青春時代の想い出が甦るような歌詞や曲調が共感を呼んでいる。
 熊本県水俣市出身。若い頃からギターにのめり込み、寺内タケシとブルージーンズやベンチャーズの楽曲をコピーする。その腕前は一流のギタリストにも引けを取らないほど。客と一体になれるライブを大事にしていた。大ヒット曲「初恋」のほかにも「ゆうこ」「少女」「踊り子」など数多くの名曲を残した。
 1999年6月20日、駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていた。診察で「高血圧性脳内出血」と判明した直後、意識不明の昏睡状態に陥り、僅か4日後の6月24日に死去。46歳没。



 他にも桑名正博や大塚博堂、外国ではジミー・ヘンドリクスなども夭折したシンガーだと思う。

 さて、冒頭でも書いたが、これらのアーティストは、もし今も存命ならば、人々に感動と勇気を与えてくれるより多くの名曲を残していたに違いない。

2020年5月27日 (水)

坂井泉水さんの命日によせて

 今日5月27日は、2007年のこの日に不慮の死を遂げたZARDのヴォーカル「坂井泉水」さんの13回目の命日にあたる。あの日から早13年とは、時の流れとは何と薄情なのかと一抹の悲しみを覚える。私はデビュー当時からずっとZARDの熱烈なファンだった。いやもっと遡れば、彼女が本名の「蒲池幸子」名義で、モデルとして登場していた頃から、ピュアで清楚でお嬢さん風の容姿に心惹かれていた。そしてどこか悲しげな影があって、謎めいた雰囲気にも。彼女のCDは毎回欠かさず購入し、聴き入っていた。
 しかし、あの日、NHKのニュースで彼女の急死が報じられ、我が耳を疑ったものだ。「何かの間違いだ!嘘であってほしい・・・」。そんな気持ちと共に、打ちひしがれた絶望感が全身を襲ったのだった。その衝撃のニュースはコチラ。

 彼女は生前、照れ性で自己表現が苦手な性質でありながらも、精一杯音楽を通じて私たちにメッセージを送り続けてくれた。時に悩みを吹き飛ばすような曲も書いてくれたし、人間が抱える内面の葛藤、悩みも打ち明けるように書き綴った詩歌は琴線に触れた。その美しくも儚い印象の詩は、人々の心に安らぎと癒しを与えてくれていた。それは今も変わらない。現に、私の車のCDにはいつも彼女のアルバムを入れている。彼女がその限られた命を燃やして訴えたかったことは何だったのか。切ない乙女心か?生への執着か?美しいものへの憧れか?人間の本質を包み欠かさず表現したと個人的には思っている。

 本日は彼女の命日にあたり、以前も旧ブログで紹介した記事「坂井泉水FOREVER」を再掲することで、彼女を偲び、彼女の存在を永遠の記憶の中に閉じ込めたいと思う。10年経っても20年経っても、坂井泉水という素晴らしいアーチストがこの世に存在していたことを忘れないために。そして彼女の遺した遺作とも思える楽曲の数々を後の世代に語り継ぐために・・・。13年越しとなる哀悼の意を捧げたいと思います。ではお送りします。

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 「坂井泉水FOREVER」

 1990年代、その女性は日本のポップス界において最も光彩を放ち、輝いていた。彼女が出すシングルやアルバム曲は、毎週ヒットチャートの上位を独占。テレビアニメの主題歌に幾度となく起用され、誰もが口ずさめるシンプルでアップテンポでリズミカルなメロディーライン。しかし、神は無慈悲にも彼女に永遠の輝きを与えることはなく、試練を授けた。傍目には順風満帆の歌手人生に見えていたが、いつしか忍び寄る病魔に蝕まれ、あのような非業の死を遂げるとは思いもしなかっただろう。いやそれともそれも承知の上での覚悟の事だったのだろうか・・・。

 生前、彼女のデビューは秘密のベールに包まれていた。覆面歌手(ユニット)として、公の場に姿を見せることを頑なに拒むかのような身の置き方であった。まるで正体不明で、一時「彼女はこの世に実在しないのではないか」との憶測も飛び交うほどであった。デビュー当時の松山千春を彷彿させる、そんな不思議な存在だった。一体どんな人が歌っているのだろうと興味津々だった。独特な鼻にかかった甘ったるい声質。それでいて艶やかで伸びのある美声。初めて彼女の姿を見た時、私は言いしれぬ衝撃と感動を覚えた。「何て美しい女性なのだろう」と。ピュアな印象と透明感を醸し、現代の若い人には珍しいくらい独特な落ち着き。そしていつも伏し目がちで少し影を感じさせる妖しい雰囲気の持ち主。何もかもが魅惑的で神秘的。
 彼女はデビュー前、様々な職業をこなしていた。OL、レースクイーンやモデル、、そして時には、その美形な顔立ちとスタイリッシュな体型を活かしてカラオケのPVやセクシーイメージビデオにも出演した。
 しかし、もしかすると、そうしたシンガーとしての地位を確立する以前の過去を包み隠そうとしてテレビ出演を拒み、CDリリースのみで自分の感性を発表する場とし、そのような存在形態を確立しようと模索していたのかも知れない。そして彼女の雰囲気の中にあるそうした「影」の部分を自然に作り出していたのかもしれない。彼女のCDジャケットやZARDのボーカルとして撮影された画像は、殆どがカメラ目線はなく、素顔を見せることを避けているかのように伏し目がちかあるいは遠目に撮影したものばかりである。ファンならずともここで言う「彼女とは誰なのか」もうおわかりだろう。そう、彼女とはポップス系ユニット「ZARD」のボーカルだった「坂井泉水」である。

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 彼女の歌声は1990年代、世の中を席巻し、テレビ、ラジオ、CDショップなどでは毎日のようにBGM替わりに流されていた。リリースする曲がすべてメガヒット。私は8cmCDの時代から、ずっとZARDのシングルを所有していた。デビュー曲の「Good-bye My Loneliness」から遺作となった「グロリアスマインド」まで。シングルは実に45枚発表された。
 オリコン調べによる(2009年6月現在)ランキングによると、アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数)は3,743万枚で歴代7位の記録。
 シングル:1,768万枚(女性ボーカルアーティスト歴代2位)
 アルバム:1,971万枚(女性ボーカルアーティスト歴代4位)
 シングルTOP10獲得数:43作(歴代5位タイ)(女性ボーカルアーティスト歴代2位)
  90年代アーティスト・トータル・セールス:3位(女性ボーカルアーティスト1位)
 シングル1位獲得数:12作(女性ボーカルアーティスト歴代4位)
 シングルTOP100チャートイン数:45作(90年代デビューアーティスト歴代2位)
 アルバムミリオン獲得数:9作(歴代4位タイ)
 アルバム連続ミリオン獲得数:9作(歴代1位)
 アルバム1位獲得数:11作(女性ボーカルグループ1位タイ)

 以上、実に輝かしい記録を遺した。

 <私の好きなZARDの曲ベスト20>

 1位 「揺れる想い」・・・1993年5月19日発売 最高位1位
 2位 「心を開いて」・・・1996年5月6日発売 最高位1位
 3位 「マイフレンド」・・・1996年1月8日発売 最高位1位
 4位 「永遠」・・・1997年8月20日発売発売 最高位1位
 5位 「負けないで」・・・1993年1月27日発売 最高位1位
 6位 「君に逢いたくなったら」・・・1997年2月26日発売 最高位2位
 7位 「きっと忘れない」・・・1993年11月3日発売 最高位1位
 8位 「この愛に泳ぎ疲れても」・・・1994年2月2日発売 最高位1位
 9位 「風が通り抜ける町へ」・・・1997年7月2日発売 最高位3位
10位 「愛が見えない」・・・1995年6月5日発売 最高位2位
11位 「こんなにそばに居るのに」・・・1994年8月6日発売 最高位1位
12位 「Good-bye My Loneliness」・・・1991年2月10日発売 最高位9位
13位 「眠れない夜を抱いて」・・・1992年8月5日発売 最高位8位 
14位 「君がいない」・・・1993年4月21日発売 最高位2位
15位 「運命のルーレット廻して」・・・1998年9月17日発売 最高位1位
16位 「息もできない」・・・1998年9月17日発売 最高位3位
17位 「瞳閉じて」・・・2003年7月9日発売 最高位4位
18位 「もう少しあと少し」・・・1993年9月4日発売 最高位2位
19位 「あなたを感じていたい」・・・1994年12月24日発売 最高位2位
20位 「痛いくらい君があふれているよ」・・・1999年10月14日発売 最高位5位
  次点  「この涙  星になれ」・・・1999年12月1日発売 最高位5位

  シングル曲ではないが、「Oh my love」が実を言うと一番好きな曲だ。

 タイトルを見ると、彼女はまるで自らの死期を悟り、悲しい別れを暗示しているかのような意味深なネーミングばかりである。タイトルを知らなくても、そのサビの部分やメロディラインの一部を聴いただけでも一度は聞き覚えのある曲ばかりに違いない。

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 次に、デビュー前から彼女がスターダムにのし上がるまでの経歴をここで簡単に振り返ってみたい。
 彼女は1967年2月6日神奈川県平塚市生まれ。秦野市育ち(小学校4年より)。本名は蒲池幸子。血液型はA型。秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高等学校卒業。中学時代は陸上部で活動をする傍ら、ギタークラブでも活動していた。高校時代は硬式テニス部に所属。松蔭女子短期大学を卒業後、不動産会社にOLとして約2年間勤務した。
 しかし、転機が訪れた。街頭でスカウトされ、スターダストプロモーションに所属し、本名「蒲池幸子」でモデル活動を行う。モデル時代の公式プロフィールは1969年生まれとなっていた。この時期、セミヌード写真集「nocturne」を出している。1989年(22歳) からドラマや人気歌手のPV、更にはバラエティ番組のアシスタントなどに多数出演する。東映カラオケのPR活動などで地方のカラオケ店を巡業する。この企画はZARDでの歌手デビュー後の1991年3月まで続いた。日本エアシステムのフルロードキャンペーンのキャンペーンガール。
 1990年(23歳)の時には日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーン。岡本夏生は同期。 6月、写真集『Body Works』出版。 6月21日、ビデオ『SEXY SHOOTING』(サザンクロスビデオアーツ)発売。7月24日、写真集『NOCTURNE出版。モデルやグラビアアイドルとして順調に仕事をこなしていた。 冬にはフジテレビ系番組『オールナイトフジ』のグラビア美少女のコーナーに出演。 その他、雑誌グラビアに多数掲載される。これらは華やかで決して下積みとは呼べないが、もしかすると彼女がひた隠しにしたかった過去だったのかもしれない。
 そしてまたまた一大転機が訪れた。1990年8月に所属の「スターダストプロモーション」の代表取締役、細野義朗にビーイング社長、長戸大幸を紹介されオーディションを受ける。長戸に才能を認められ、坂井泉水として音楽ユニット「ZARD」結成の準備に入る。そして念願だった歌手デビューを1991年(24歳)で果たすこととなった。2月10日にシングル「Good-bye My Loneliness」でデビューし、 以降、音楽活動を続ける。それ以降の活躍については前述の通り。

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 感動のクルージング初ライブ(1999)

 「美人薄命」とは彼女のために用意された言葉なのかも知れない。運命の悪戯に翻弄され、天国と地獄の両方を味わい、人知れず病気と闘い、ひとり天国へと旅立っていった。ファンにあまりにも突然の悲しい訃報を残しただけで・・・。彼女は素顔を晒すことはあまりなかった。あれだけの美貌の持ち主ながら、結婚もせず、女性としての幸せを掴むことすら望まなかったように思える。
 ここから先の文面は、ややショッキングなため掲載するかどうか迷いに迷ったが、彼女の人生を締め括るエピローグなので、やはり包み隠さず全てを掲載したい。

 

Sakai11  2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。その年のNHK紅白歌合戦を「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査をうけたところ子宮頸癌が発見される。6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受けて、7月に退院。 2007年年4月、肺への転移が見つかり、再入院。入院中は抗ガン剤による治療を受け、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していた。しかし、5月26日朝の5時40分頃、目撃者の証言によれば、入院先の病院内のスロープの手摺りに腰をかけていたのだが、そこから3メートル下に予期せぬ転落をして、駐車場で仰向けに倒れているのを通行人に発見される。ICUで緊急処置を受けたが、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急死し、還らぬ人となってしまった。倒れていたのが早朝6時前という時刻で、あまりにも不自然で不可解な突然死に、事件事故の両面から検証が行われたが、自殺とみられる兆候はなかったことから事故として処理された。これからという矢先の40歳という若さでの孤独な旅立ちであった。しかし真相は本人にしかわからない。闘病生活に疲れ、死を予感して、または先行きを不安視しての発作的に自ら落ちたのかも知れない。彼女の葬儀は青山葬儀所で、しめやかに親族だけの密葬として執り行われた。そして、レコード会社と所属事務所の合同音楽葬としてファンとのお別れ会が6月27日に青山斎場で開かれ、往年のヒット曲が会場に流れる中、四万人を越える大勢のZARDファンが詰めかけ、あまりにも唐突で早すぎる死を悼むと共に、彼女との永遠の別れを惜しんだ。

 彼女の衝撃的な死から早いもので13年の月日が流れた。私は未だに彼女がもう過去の人だという事実を受け止めきれないでいる。彼女のPVを見ると居た堪れない気持ちになる。今でも「名探偵コナン」のエンディングテーマに坂井泉水の声が鳴り響く時がある。私は毎日のように彼女のベスト盤CD(MD)を聞きながら、職場までの道のりを往復運転している。彼女の甘い歌声、時には「彼女が生涯をかけて伝えたかったことは何だったのか」という文字通り命題に至るまで深く考えさせられ、身につまされて感じることもしばしである。もう二度と生で歌う姿を見ることは叶わないが、彼女のあの愛らしい、そしてちょっと照れた素振りで歌う姿やスタイル、笑顔、そしてその美声を永遠に忘れはしない。
「坂井泉水、フォーエバー(永遠なれ)!」

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 最後に在りし日の彼女の歌声をどうぞ!

 「心を開いて」

「♪人と深く付き合うこと 私もそんなに得意じゃなかった
でもあなたを見ていると 私と似ていてもどかしい
そういうところが たまらなく好きなの♪」

 この部分歌詞が大好きで、おそらく彼女自身もこういう生き方をしていたのだと思う。

 Oh my love

 「ほら加速度つけてあなたを好きになる Oh my love」の部分が大好きだった。

 関連記事(我が永遠なる歌姫)はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-abd8.html

 彼女を追悼するファンの想い

 ZARD 坂井泉水さん 追悼◆その足跡と魅力

 <関連記事>

 今から7年前の2013年に訪れた「坂井泉水さんのお墓参り」の記事はコチラ ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1022-6804.html

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 * ご親族の強い意志により場所が特定できないような処置を施してあります。予めご了承ください。

 坂井泉水さんの転落事故現場訪問の記事はコチラ ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1023-1efb-1.html

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 学部こそ違うが、よりによって私の母校が彼女の終焉の地となったことは、とても他人事とは思えない。事故が起きた場所と墓参りに行ったのが2013年の出来事。
 何年経っても彼女の歌声は決して色褪せないと思うし、毎年、このような追悼の記事を掲載させていただきたいと思います。

2020年5月24日 (日)

福島県のうた

 今こそ福島県民に問う。福島県を代表する歌と言えば何?

 ふつうは「福島県民の歌」と答えるだろう。「 ♪しゃく〜な〜げ匂う~山なみに~♫ 」という名調子の曲だ。これも大好きで1~3番までの歌詞に県の花、県の木、県の鳥がいずれも詠われている。福島県民なら知らない人はいない筈だ。

 でも、年配の方は「会津磐梯山」と答えるかもしれないし、比較的若い方は、我が旧友「箭内道彦」が歌ってNHK紅白にも出場した「I love you baby & I need you ふくしま」と答えるだろうか?

 しかし、私は違う。迷いなく「こめら」を選曲する。この曲は、旧ブログでも触れたが、2002年にNHKが「全国の県民歌を作るキャンペーン」を実施した際に、あの秋元康と後藤次利のゴールデンコンビが作詞・作曲した、福島県民のソウルソングだ。

 レコーディングの模様を含めたPVはコチラ ↓ 

 ふるさとを愛する皆が自分の言葉で気持ちを込めて未来の子供たちに残したい故郷を歌っています。
 NHK「おーいニッポン!今日はとことん福島県」福島県のうた。
「こめら(「こどもたち」の意)」本放送では流れていなかったと思います。
 秋元康が、代表一人に絞るより、全員の合唱曲にしたほうがいいと、それが福島らしいと、例外的な扱いになりました。

 この曲は哀愁があって、それで感動を呼ぶような歌詞と曲調が私は大のお気に入りとなった。

 2002年と言えば、震災の9年前で、我が福島県が躍進著しかった時代だ。2001年夏に「うつくしま未来博」で盛り上がり、2003年には首都機能移転の最有力候補地に選ばれ、インフラ整備が加速した勢いに満ちた時期だった。その9年前には県民にとって長年の悲願だった福島空港が開港し、7年前には福島国体が開かれ、元気と活力に漲っていた。

 もうこの歌の存在を忘れてしまっている方が多いと思われるので、本日は敢えて取り上げた次第で、当時の「進撃の福島」を思い出していただければ幸いだ。

 ちなみにもう一曲興味深い歌をリンクします。それは「福島人トリセツ」


 福島県民の性格というか性質を包み隠さず、歌い上げていてつい笑みがこぼれてしまう。

 さて、「福島県民の歌」という素晴らしい名曲があって、福島県民にとってはメジャーで馴染深い中で、あえてこの「こめら」を取り上げたのは、戦時中に「海ゆかば」という軍歌が日本の「第二国歌」として扱われたように、我が福島県でも、このような名曲がかつて存在したことを、どこかに残したくて、今回はこのようなテーマで記事を書いた次第だ。

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