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芸能・アイドル

2019年3月14日 (木)

人気俳優・女優の血液型

 若手と言っても35歳未満だったり、未婚の方を中心に掲載したい。

 A型 俳優

 竹内涼真・佐藤健・松坂桃李・菅田将暉・山﨑賢人・中村倫也・綾野剛・斎藤工
 山下智久・生田斗真・三浦翔平・櫻井翔・二宮和也・松本潤・溝端淳平・古川雄輝
 高杉真宙・志尊淳・柳楽優弥

 かつては藤木直人、玉木宏、西島秀俊、長谷川博己、大沢たかお、織田裕二、阿部寛、吉田栄作、らが牛耳っていた。
 

 A型 女優

 新垣結衣・石原さとみ・今田美桜・新木優子・上野樹里・のん・桐谷美玲・藤井美菜・
 泉里香・上白石萌歌・芳根京子・葵わかな・長澤まさみ

 かつては竹内結子、仲間由紀恵、鈴木保奈美、石田ゆり子、松嶋菜々子、沢口靖子、
常盤貴子、山口智子、松たか子、吉瀬美智子らがいた。

 B型 俳優

 吉澤亮・大泉洋・瑛太・岩田剛典・山田涼介・新田真剣佑・北村匠海・中川大志・
 窪田正孝・神木隆之介

 かつてはユースケサンタマリア、古尾谷雅人、京本政樹、山本耕史・岡田准一らがいた。

 B型女優

 綾瀬はるか・国仲涼子・吉岡里帆・有村架純・杉崎花・比嘉愛未・柴咲コウ・真野恵里菜
 清野菜名・黒木華・浜辺美波・松岡茉優

 かつては坂井真紀、南野陽子、堀北真希、本上まなみ、稲森いずみ、井川遥、米倉涼子らがいた。

 O型 俳優

 成田凌・田中圭・桐谷健太・福士蒼汰・千葉雄大・平野紫耀・間宮祥太朗・坂口健太郎
 
 かつては、木村拓哉、福山雅治、伊藤英明、竹野内豊、小栗旬、妻夫木聡、向井理、豊川悦司、玉山鉄二、高橋克典、江口洋介などが人気ランキング上位にいて、牛耳っていた。

 O型 女優 

 中条あやみ・土屋太鳳・北川景子・吉高由里子・瀧本美織・橋本愛・剛力彩芽・井上真央
 山本美月・加藤あい・柳ゆり菜・本田翼・深田恭子・桜井日奈子・川栄李奈・波留

 O型女性は北川景子や中條あやみのように小顔で色白、ロングストレートの黒髪がよく似合う。
 ほかにも、かつては広末涼子、深津絵里、優香、上戸彩らがO型を代表する女優だった。

 AB型 俳優

 勝地涼・野村周平・片寄涼太・DAIGO・鈴木伸之・岡田将生

 かつては三浦友和、堤真一、反町隆史らがいた。

 AB型 女優

 高畑充希・永野芽依・橋本環奈・佐々木希・水川あさみ・木村文乃・広瀬すず・
 広瀬アリス 

 かつては松下奈緒、菅野美穂、小西真奈美、鈴木杏樹、戸田恵梨香、酒井美紀らがいた。

 

2019年3月 8日 (金)

我が愛しき青春時代ユニット

 今日は、ミーハー極まりない記事内容だが、私が高校生、大学生の頃に流行った女性グループで、当時私もお気に入りだったユニットを5組紹介したい。

 1 BaBe

 1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。1987年に、当時流行だったユーロビートのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。激しいダンスを踊りながら歌うスタイルで人気を得た。1990年3月31日に解散。
 メンバーは近藤智子と二階堂ゆかりで共にO型。

 2 Mi-Ke

https://www.youtube.com/watch?v=2jf5qfZTrrw

 アイドルグループとしては1991年にデビュー。B.B.クィーンズの音楽コーラス隊「B.B.クィーンズシスターズ」として誕生し、後に単独のアイドルグループとしてデビューした。グループ名の由来は当時ヒットした「たま」をもじり、メンバー3名の個性を活かして三毛猫から取っており、白が宇徳敬子、茶色が村上遥、黒が渡辺真美というように色が分けられていた。

 ビーイングのサウンド、アレンジ、パロディを含めたプロデュースが光り、日本レコード大賞、日本有線大賞、全日本有線放送大賞(現・ベストヒット歌謡祭)、日本ゴールドディスク大賞と各音楽賞の最優秀新人賞を総ナメにし、『第42回NHK紅白歌合戦』(「想い出の九十九里浜」)にも出場。

 3 セイントフォー

 

 岩間沙織、浜田範子、鈴木幸恵、板谷裕三子の4人組ユニットで、宇宙服のような奇抜なコスチュームと曲間にバック宙などを取り入れたアクロバティックなパフォーマンスが話題になった。
 1982年「あなたもスターに!」というプロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の中から選ばれた4人。結成当初は岩間、鈴木、他2名(幻のメンバー)による通称「四人組」としてレッスンをスタートしたが、他2名がグループ活動を辞退したため、浜田、板谷が加入しオリジナルメンバーとしてデビューを果たした。

 彼女たちの成功により、類似グループで「スターボー」というテクノカットの女性ユニットもデビューした。

 4 きゃんきゃん

 1982年から1983年にかけて活動した女性3人組アイドルグループ。 一番人気があった超美形の山本博美(動画の一番右)は、現在、京本政樹夫人だ。「ミントタイム」のMCとしても活動した。ほかに唐沢美香、桜井直美がメンバーだった。
 「キャンディーズ」を意識したかのように「超ミニスカート」によるダンスと歌で、当時の中高生にはやや刺激が強かった。

 5 おかわりシスターズ

 PV= https://www.youtube.com/watch?v=Xy4DxggUFaI

 ご存知、土曜日の深夜、終了時刻未定の女子大生たちがバカ騒ぎする「オールナイトFuji」から生まれた、3人組ユニット。当時、三者三様だったが、この3人が光っていた。山崎美貴(AB型)、松尾羽純(B型)、深谷智子(O型)らのユニットで、CDデビューも果たした。この番組が「女子大生ブーム」の火付け役となった。私は松尾羽純が大好きだった。
 そして「恋をアンコール」、「瞳にキスして」、「虹色のカノン」と立て続けにCDをリリースしたが、私は3作目の「虹色のカノン」が気に入っていた。
 彼女たちのブームで、その後、「夕やけニャンニャン」がスタートし、高校生素人アイドルの「おニャン子クラブ」が誕生し、女子高生ブームへと受け継がれた。

 他にも気が多い私が、好きになったユニットは、アルペンのCMで人気曲となった「あいにきて I・NEED・YOU!」をリリースした「GO-BANG'S 」。

 さて、現在の50代には懐かしかったと思うが、当時は20代。アイドルを本気で好きになっていた時代だ。彼女たちは同世代かやや下の年代なので、同じ50代になっていると思うが、こんな若かりし頃、輝いていた時代があったことを、お互いに懐かしんでみたいと思い、この記事を執筆した次第です。

2019年3月 4日 (月)

国民的スターと言えば

 「国民栄誉賞」というのがあるが、選定基準がイマイチはっきりしない。オリンピックでマラソン金メダルの高橋尚子は選ばれているのに、五輪2大会連続競泳金メダルの北島康介や柔道3連覇の野村忠宏がもらえない不思議。
 ほかにもある。美空ひばりは国民栄誉賞受賞者だが、渥美清や石原裕次郎は貰えない。どちらも昭和を代表する大スターなのに・・・。
 まだまだあら探しをすれば、森繁久弥や森光子(ともにB型)は受賞したのに、三船敏郎や高倉健は貰えない。
 ほかにも大御所歌手の北島三郎、美人女優として昭和の映画界を支えた吉永小百合、今も伝説となっている山口百恵、ロックの矢沢永吉など、その道のカリスマたちが受賞できていない。

 そこで私が独断と偏見で選ぶ、世代を越える総合的な国民的スターを発表したい。

 1位 明石家さんま B型  お笑い芸人
 2位 イチロー B型     メジャーリーガー
 3位 長嶋茂雄 B型     ミスタープロ野球
 4位 王貞治 O型      世界のホームラン王
 5位 高倉 健 B型     寡黙な名優 
 6位 美空ひばり O型    歌姫(お嬢)
 7位 サザエさん(長谷川町子)B型 (国民的アニメ番組)
 8位 石原裕次郎 A型   日活の大スター
 9位 力道山 AB型     戦後活躍したプロレスラー
10位 浅田真央 B型     フィギュアスケーター

 トップテンはB型が圧倒で6人がランクイン。やはり目立つ。次いでO型2人。A型とAB型は1名ずつに過ぎない。B型の才能はやはり突出している。通り一遍等ではなく、アドリブが利くし、マイペースで個性的な性格が、結果的に周囲には特異な目に映るようだ。

11位 木村拓哉 O型   元SMAPで世代を越えてファンが多い国民的スター
12位 山口百恵 A型   伝説のスター
13位 大谷翔平 B型   二刀流のプロ野球選手
14位 安室奈美恵 O型 沖縄が生んだ大スター
15位 ピンクレディー A型とO型 社会現象にもなったユニット歌手
16位 羽生結弦 B型   オリンピック2連覇のフィギュアスケーター
17位 渥美 清 B型    「男はつらいよ」シリーズ フーテンの寅さん役
18位 吉永小百合 O型  昭和を代表する女優 銀幕のスター
19位 ドラえもん (藤本O型、我孫子B型) 国民的アニメ番組
20位 高橋尚子 O型  シドニーオリンピックで女子マラソン界初の金メダル

 キムタクは日本を代表するスターで、アジアでも大人気だ。ここでもO型とB型ばかりが目立つ。才能が群を抜いている。

21位 アントニオ猪木 AB型  昭和を代表するプロレスラー
22位 手塚治虫 A型       昭和を代表する漫画家
23位 福原 愛 B型               卓球少女として幼少の頃から国民の注目の的
24位 ジャイアント馬場 O型  昭和を代表するプロレスラー
25位 サザンオールスターズ(桑田A型・原B型ほか) ロングランで活動するロックバンド
26位 田中将大 A型    楽天では無傷の24連勝 ヤンキースでもエース級  
27位 北島康介 B型    アテネ・北京オリンピック2連覇 流行語を生んだ 
28位 ビートたけし O型  北野武ネームで映画監督としてカンヌ映画祭受賞
29位 SMAP (木村・稲垣O型、中居・草なぎ、香取A型)  
30位 綾瀬はるか B型   現在、日本を代表する国民的女優 

31位 田中角栄 B型  昭和の名相 金脈政治で人間ブルドーザーと呼ばれた
32位 タモリ O型    笑っていいともを長年続けたエンターティナー
33位 内村航平 A型  19歳から日本の体操界のエースに君臨した。
34位 キャンディーズ(伊藤・藤村O型、田中A型)
35位 沢村 忠 ?型 キックボクサー 真空飛び膝蹴りで相手を瞬殺した「キックの鬼」
36位 渡 哲也 B型  石原軍団の要 西部警察で活躍
37位 千代の富士 A型  ウルフと呼ばれた昭和の大横綱 早くに亡くなった
38位 嵐 (大野・櫻井・松本・二宮A型、相葉AB型) 国民的スター
39位 谷  亮子 B型 YAWARAちゃんとして中学時代から頭角を現した柔道家
40位 野茂英雄 B型 日本人メジャーのパイオニア ドクターK トルネード投法

41位 松任谷由実 O型 ユーミンとして世代を越えて愛されるシンガー
42位 松井秀喜 O型   日本を代表する平成のスラッガー ワールドシリーズMVP
43位 星野仙一 AB型  燃える男としてONに立ち向かった 中日・阪神・楽天で優勝 
44位 安倍晋三 B型   間もなく首相在位日本一に
45位 所ジョージ O型    バラエティのMCでは右に出る者はいない
46位 三浦知良 A型   カズ 50歳を越えた今でも現役バリバリのJリーガー
47位 荒川静香 O型   トリノ五輪で日本人初のフィギュア金メダリスト
48位 松坂大輔 O型    平成の怪物 甲子園決勝でノーヒットノーランを達成
49位 吉田 茂 O型    戦後復興に貢献した総理大臣 バカヤロー解散は有名
50位 AKB48グループ(乃木坂・欅坂ほか) 平成のアイドルグループ

 不思議だが、日本人の38%を占めるA型は際立った活躍をする方は少ない。真面目で勤勉だが個性に欠けるのがネックか。

 以上、独断と偏見で勝手に国民的スターを列挙したが、芸能分野、政治の分野、スポーツの分野など、さまざまな分野で活躍する方々を一堂に集めてみた。しかし、一般的な日本人の感情とさほどの差異は無いものと考えている。
 冒頭で、国民栄誉賞の不可思議な選考基準の話をしたが、このような不可解な選考基準なら無くしてしまったほうがいい。もしやるなら、国民投票で選んだ方が、誰も文句は言わないだろう。野球の殿堂入りのように、候補者を何人かピックアップして、入れ札制にして選んだ方が間違いが起きない。ぜひ、総務省には英断をお願いしたい。

2019年3月 1日 (金)

美しき70年代の若手女優たち

 今は結婚などで第一線を離れてしまったが、1970年代から80年代にかけて活躍していた若手美人女優たちがいた。テレビの連続ドラマや映画にも出演し、そこそこ人気も得ていたのに、突然に芸能界から去った印象がある。今日はそうした昔輝いていた女優さんを取り上げたい。

 1 竹井みどり

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 この時代、悲劇のヒロイン役とか、なぜか悩み多く、運命に翻弄される役柄とかが多かった。脇役の女王的な存在で、刑事ドラマにも多く出演した。また、犯人に襲われる汚れ役とか艶っぽい役も多かった。
 14歳で芸能界入りして、堀越学園在学中の1975年に銀河テレビ小説『ドラマでつづる昭和シリーズ2 青春』(NHK)でデビュー。そのほか、少年ドラマシリーズ『野菊の墓』(NHk)、『熱中時代 刑事編』(日本テレビ)などに出演して清純派女優の道を歩むが、1982年のにっかつロマンポルノ『キャバレー日記』で主演し新境地を開く。
1992年から『ミナミの帝王』(OV版)で演じた探偵・矢吹麻子役が当たり役となり、通算9年間出演した。また、幾度かイメージビデオや写真集がリリースされている。
 長野県諏訪市出身の血液型はA型で、59歳になられた。

 2 竹田かほり

 中学生の時に母親と街を歩いている時にスカウトされ、モデル活動を開始。1977年に東映『ピラニア軍 ダボシャツの天』にて川谷拓三の恋人役でスクリーンデビュー。1978年からにっかつ『桃尻娘シリーズ』で人気を得る。
 以後、明るく悲壮感のないお色気路線で映画・ドラマに出演。レギュラー出演した『探偵物語』では、ナンシー・チェニーと共にマスコット的な役割として画面に華を添えた。
 1982年、ミュージシャンの甲斐よしひろとの結婚・出産を機に芸能界を引退した。
 東京都出身で血液型はB型、昨年還暦を迎えられた。

 3 山本みどり

 東京女子大学短期大学部在学中より劇団夢の遊眠社に参加。
 1978年、ポーラテレビ小説『夫婦ようそろ』で主演デビュー。以後、テレビと舞台を中心に活躍。1986年に放映された東海テレビ制作昼ドラマ『ふれ愛』は台湾でも放映され人気を集めた。
 テレビドラマ『水戸黄門』では、1994年の時点でゲスト出演回数の女優部門で歴代3位にランクインしていた。 血液型はB型

 4 木之内みどり

 北海道小樽市に生まれる。9人兄妹の末っ子。15歳中学3年生のときに、日本テレビの「ミス・ティーン・コンテスト」に応募するが準優勝、望みは叶わず。
 1974年、「めざめ」で歌手としてデビュー、キュートな顔立ちと愛らしい歌声で人気を集めた。本業の歌手としてはレコードの売り上げが伸びないのにもかかわらず、ブロマイドが飛ぶように売れる怪現象を起こした。1976年、ヘアートリートメントのCMに出演し、お茶の間にも知名度を上げたが、歌手としてはなかなか成功できず、映画『野球狂の詩』(1977年)、テレビドラマ『刑事犬カール』(1977年 - 1978年)などに出演、女優として活躍した。またグラビアアイドルとしても人気が高く、篠山紀信撮影で知られる『GORO』の表紙を6回も飾った。

 1977年発売の『刑事犬カール』の主題歌「走れ風のように」や1978年2月発売の「横浜いれぶん」がようやくヒットしたが、1978年1月19日に放送開始した『ザ・ベストテン』にはランクインせず、『夜のヒットスタジオ』にも出演を果たせなかった。
 1978年9月、ベーシスト後藤次利との交際が発覚し、米国ロサンゼルスでレコーディング中の後藤のもとに、すべてのスケジュールをキャンセルして逃避行した。後藤は当時、元シモンズの玉井タエと婚姻関係にあった。同年9月11日、帰国ともに記者会見を開き、木之内は21歳で引退した。「子どものできるようなことはしていません」のセリフを残す。人気絶頂期の突然の引退に、芸能界のみならず一般でも一時期騒然となった。新曲は記者会見の10日後の発売であった。5年後の1983年、木之内は後藤と結婚したが、4年後の1987年に離婚した。
 1990年、俳優の竹中直人と再婚した。竹中との間に2人(1女、1男)の子供がいる。血液型はO型

 5 三浦リカ

Miurarika

 モデルのアルバイトで信用金庫のCMに出演した後、高校在学中の1974年に、キリンビール(後にキリンビバレッジに移る)の商品・キリンレモンの4代目CMイメージガールに選ばれ、芸能界デビュー。1975年から女優として本格的に活動を開始する。

 1976年、上村一夫の劇画を映画化した『サチコの幸』 (日活)では、ヒロインのサチコを演じた。 テレビドラマ『水戸黄門』では、最多出演のゲスト女優である。

 初の大役はよみうりテレビ木曜ドラマ『時雨の記』で、原作にはないわがままなお嬢さん役を演じた。血液型はA型

 6 小林麻美

 1972年、18歳の時、から「初恋のメロディー」で歌手デビュー。同期に麻丘めぐみ。「初恋のメロディー」はオリコン18位を記録したが、当時のアイドルに多く求められた、明るく無邪気に笑顔を見せる天真爛漫さとは対極にあるような、殆ど笑顔を見せずにうつむき加減、猫背で気だるそうに歌う小林の姿は異質にも映り、暗い印象を持たれた。1976年までに年に1枚程度のシングルをリリースするが売り上げは伸びず、アイドル歌手としては不向きとみた事務所の方針で歌手活動は自然消滅となる。

 小林の名が浸透したのは1970年代後半、資生堂、パルコなどのCMに起用されてから。特に1977年のパルコCM「淫靡と退廃」で、細い体や暗さが受け入れられた。
 1984年に8年ぶりに歌手として、海外のカバー曲「雨音はショパンの調べ」をリリースし、大ヒット曲となった。だが当時、歌番組で歌ったことは一度も無かった。
 1991年、所属していた事務所の社長の田邊昭知と結婚、家庭に入るため芸能活動から引退した。 血液型はO型 私は同じO型なの木之内みどりとダブって見えてしまう。

 7 斉藤とも子

 1976年、NHKで放映された『明日への追跡』(少年ドラマシリーズ)でデビュー。
 1978年、『若い広場』(NHK教育テレビ)の中のコーナー「マイブック」で聞き手を務め注目を集めた。『青春ド真中』、『ゆうひが丘の総理大臣』など、学園ドラマでの「優等生の生徒役」を多く演じた。以後、少年向けドラマ番組への出演が多数。東京都立代々木高等学校2年で中退。
 1979年、『車輪の一歩』(『男たちの旅路』第4部)で、身体障害者である主人公を演じた。
初のシングルレコード「風のように」を発売。
 1984年、映画『ひめゆりの塔』に出演。
 1987年、芦屋小雁と結婚(1995年に離婚)。血液型はAB

 8 木村理恵

Kimurarie

 1975年、東宝映画『青い山脈』で本格的にデビュー。その後、ドラマ『太陽にほえろ!』に捜査第一係3代目内勤員(マスコットガール)の矢島明子役として第173話から第322話まで約3年間レギュラー出演した。第284話「正月の家」(1978年1月放送)では主役を務めた。
 デビュー時から清純派として活躍したが、1977年のドラマ『青春の門』では大胆にスカートの中の下着を披露。さらに雑誌『写楽』誌上で篠山紀信撮影による初ヌードを披露、1982年には写真集『激写文庫 いつのまに』を発売して清純派イメージからの脱皮を図った。
 1983年にはにっかつ創立70周年記念のロマンポルノ作品『暗室』でベッドシーンを演じ話題を集めた。
 1980年代後半、一時芸能活動から遠ざかっていたが、1990年代以降テレビを中心に活動を再開している。 血液型はAで現在61歳

 9 石井めぐみ

Ishi

 東京都調布市出身。1977年、東京都立国立高等学校卒業。1979年、早稲田大学教育学部に入学と同時に、少女マンガ研究会『早稲田おとめちっくクラブ』を仲間3人と共に立ち上げた。初代の副会長。さらに在学中に友人の自主製作映画に出演し、8ミリ映画の賞を受賞したことをきっかけに、1979年に松竹映画『夜叉ヶ池』の木の芽峠の山椿(妖精)役で映画デビュー。続けて角川映画『金田一耕助の冒険』に町娘役で出演。テレビドラマには 
 1980年に『噂の刑事トミーとマツ』(第1シリーズ)の18話「花の芸者に恋したトミー」の芸者役でデビューし、同ドラマには21話から森村万里子婦警役でレギュラーで出演、自身の代表作となった。
 一方私生活は波乱万丈だった。25歳の時に1度目の結婚をするも4年で離婚。 1990年(34歳)にテレビ局のディレクターと再婚。2児を儲ける。
 1996年、脳性マヒを患った長男のことを記した『笑ってよ、ゆっぴい』を出版し、同年から1999年までフジテレビ系の単発のスペシャル枠で『ゆっぴいのばんそうこう』としてドキュメンタリーが放送されて話題になった。
 1999年、長男が死去。2000年9月、42歳で離婚。

10 北村優子

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 その当時、学園ドラマが主流だった頃に、生徒役で出演したチャーミングガールだ。「ゆうひが丘の総理大臣」(北川真弓役)と「あさひが丘の大統領」(白石こずえ役)の両方に起用された。血液型はAB型で、この型特有の小悪魔的な印象を醸していた。札幌市出身で、現在59歳になられた。1980年に所属事務所の役員(当時)の息子と結婚し、芸能界を引退。

11 山本ゆか里

Yamamoto

 兵庫県神戸市生まれで、大分県の出身。血液型O型。

 1975年に、放送されたNETの公開オーディション番組『決定版・あなたをスターに!』のグランドチャンピオンに輝いて芸能界入り。
 1975年、『小麦色の想い出』で歌手デビュー。同年に放送のNETテレビ『じゃがいも』に出演し女優としてもデビューしている。キャッチフレーズは"ティーンの恋人"。

 当初はアイドル路線を中心に活動していたが、その後は子供向け特撮ドラマやアクション、時代劇などに活躍の場を求めるようになった。

12 栗田ひろみ 

 東京都豊島区東池袋出身。東京成徳高等学校卒。 中学生時代にNHKのテレビドラマ『さすらい』に出演して芸能活動を開始。1972年、大島渚監督の映画『夏の妹』の主役に抜擢されて注目を集める。その後、テレビや雑誌グラビアへの露出が増えるに連れて人気が高まる。
 翌1973年、映画『放課後』、『ときめき』、テレビドラマ『伊豆の踊り子』に主演して人気が沸騰。少し翳りのある優等生のイメージで多くのCMに出演し、レコードデビューも果たす。
 1974年10月、週刊プレイボーイ特別編集の大判写真誌「プレイガール」の表紙を篠山紀信撮影のヌードで飾った。その後も映画やテレビで活動を続けるが、1980年大晦日で芸能界を引退。翌1981年石油会社に勤めるサラリーマンと結婚した。現在は61歳になられた。

 映像はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=MbmBqLx-9lw

 ほかにも森下愛子さんや大場久美子さん、叶和貴子さん、宇都宮雅代さん、篠ひろ子さんらが該当するが、彼女たちは、以前、当ブログで取り上げたので、ここでは割愛させていただきたい。

2019年2月27日 (水)

昔のアイドルは可愛かった

 1970年代から80年代にかけては、芸能界をアイドルブームが席巻した。毎年100人程度のアイドルがデビューしては儚くも消えて行った。そんな中、ベストテン番組にランクインするようないわゆるA級アイドルとして活躍した方々もいれば、B級に甘んじて、なかなかヒット曲に恵まれずに、人知れずブラウン管から去って行った方々も大勢いる。
 今日は、そんな懐かしい時代に、特に可愛かった正真正銘のアイドルたちをセレクトしたい。今、見ても可愛いし、純粋無垢な印象を受けるのは私だけではないと思う。
 私の中での「神7」をどうぞ!

 1 石川ひとみ

 2 石野真子

 3 岡田奈々

 4 河合その子

https://www.youtube.com/watch?v=UnsXTM51ZiQ

 河合その子の映像は大部分が埋め込み禁止となっています。ご了承願います。

 5 林 寛子

 6 島田奈美

https://www.youtube.com/watch?v=jms41mxP8-M

 7 菊池桃子

https://www.youtube.com/watch?v=Siv34H4M2kM

https://www.youtube.com/watch?v=JY3bYw8Y4fU

 ほかにも小泉今日子や太田裕美、なども可愛くて、本物のアイドル感は凄かった。

 当時のA級アイドルは・・・

 1970年代

 山口百恵、桜田淳子、天地真理、石野真子、榊原郁恵、麻丘めぐみ、岡田奈々、

 フィンガー5、林寛子、キャンディーズ、ピンクレディー

 1980年代

 松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、中森明菜、小泉今日子、松本伊代、堀ちえみ

 石川秀美、早見優、島田奈美、西村知美、中山美穂、南野陽子、菊池桃子、WINK

 おニャン子クラブ、石川ひとみ、荻野目洋子、岡田有希子

 A級まではいかないが、私が好きだったアイドル

 小出広美、浜田朱里、セイント・フォー、原真佑美、伊藤つかさ

  さて、今日の記事は、同世代の方々にしてみれば、懐かしく青春時代を思い起こしてくれたことでしょう。1980年代に活躍されたアイドルも、40代後半から50代になられた。こんな若かりし頃があったと、今では懐かしさで一入の筈だ。例えば、「華の82年組」と呼ばれたアイドルたちも、今年で早37年が経過していることになる。当然、今の若い人たちは彼女たちの20代の頃の映像やその存在すらを知らない。
 今や彼女たちの楽曲が懐メロとしてカラオケで熱唱される時代になったが、私や同世代の方々は、彼女たちと同じ時間を共有できたことを大切な宝物になっているに違いない。

 

2019年2月21日 (木)

浮き沈みの激しい人生・・・

 日本女子競泳界のエースで、来年開催予定の「東京五輪」でもメダルの期待が高かった池江璃花子選手が、自ら白血病を発症したことを告白し、日本中に衝撃が走った。私自身も水泳を嗜む手前、その一報に言葉を失った。
 彼女に限らず、芸能やスポーツ分野で著しく活躍した方々というのは、絶頂期とどん底の落差があまりにも極端だと感じている。つまり、山あり谷ありが激しくて、その生き様を身をもって証明しているように思えてならないのだ。輝かしい栄光の後にはとてつもない試練が与えられるのが当たり前のようにやって来る。
 私は、人生訓のひとつとして、人生は「太く短く生きる」か「細く長く生きるか」のどちらかだという持論を持っている。こうした方々は、前者に該当するのが明白だ。
 池江選手は「神様は乗り越えられる試練しか与えない」という概念の下、今後、闘病生活を強いられるが、あれだけの天性のスイマーを神様は決して見捨てる筈はないと信じている。必ず病気を克服し、不死鳥の如く甦り、再びスタート台と表彰台に立つ姿を待ちたいし、彼女を応援し続けたいと思う。

 今回のブログは、こうした「浮き沈みが激しかった」方々を特集するが、個人へのエールとして描写するものであり、決して冒涜や批判するものではないことを最初にお断りしておきたい。

 <芸能人>

 1 千 昌夫・・・・ 星影のワルツや北国の春のヒット曲で莫大な財を築いたが、事業の
            失敗や外国人妻と別れ、巨額の慰謝料請求でジリ貧に しまいにはト
            レードマークの大仏ほくろを取って、再出発
 
 2 島田紳助・・・ツッパリのお笑い芸人から始まり、バラエティの司会に引っ張りだこだっ
          たが、暴力団との黒い交際を自ら公表し、潔く芸能界を引退

 3 田代まさし・・・シャネルズやラッツ&スターで活躍後、バラエティのMC、俳優としても
           活動していた売れっ子だったが、麻薬や盗撮などを繰り返し、何度も刑
           務所に服役した。転落人生を絵に描いたような浮き沈みぶりだ。

 4 宮脇 健(康之)・・・70年代に「ケンちゃん」シリーズで一世を風靡した。天才子役の
              名をほしいままにし、テレビ界の申し子とさえ揶揄された。その後、
              役が減り、干され、姿を消した。一時は毎月20万円のおこずかい
              を貰い、羽振りが良かったが、保証人となり、3億円もの借金地獄
              に陥った。

 5 杉田かおる・・・彼女もまた石立鉄男とコンビを組み、天才子役として人気を集めた。
            その後、出番が減ったが、「池中玄太80キロ」の長女役で再ブレイク
            し、「鳥の詩」でベストテン入りも果たした。その後、芸能界のご意見番
            的な地位を確立したが、最近またご無沙汰となった。

 6 田宮二郎・・・田宮二郎と言えば悲劇のヒーロー一家という印象がある。まず、「タイム
          ショック」の司会や、名ドラマ「白い巨塔」に主演し、実力派二枚目俳優とし
          て人気を博していたものの、突然猟銃自殺を図って世間を驚かせた。
          

 7 桜塚やっくん・・・「スケバン響子」で大ブレイクした芸人だが、高速道路で事故により
             急死した。

 8 本田美奈子・・・10代でアイドル歌手としてデビュー。そのルックスと激しい踊り、歌の
            上手さでベスト10入りするなどトップアイドルとして君臨した。
            その後、ミュージカルスターへと華麗なる転身を図ったものの、白血病
            を発症。闘病生活の甲斐なく、若くして夭折した。

 9 近藤真彦・・・ジャニーズ事務所の初期型アイドル「たのきんトリオ」の中でももっとも人
          気が高かった。歌手だけでなく、映画にも主演し、多くの作品を残した。
          芸能活動と並行してレース活動に没頭し、皮肉なことに実の母親をう盗難
          に遭い、脅迫される事件にも巻き込まれた。

10 美空ひばり・・・天才子役として昭和の戦後に銀幕のスタートして大人気を得た。その
           後、「お嬢」として、大御所歌手の地位を盤石にし、多くのヒット曲を世に
           送った。
           一方で私生活は厳しく、小林旭との離婚や実の弟ふたりが、病死や謎の
           死を遂げるなど不幸が続き、最愛の母親も亡くした。

11 安室奈美恵・・・沖縄出身でアクターズスクールから10代でデビューした。ダンスのみ
            ならず、抜群の歌唱力で、リリースする曲が立て続けに大ヒット。ファン
            は「アムラー」と呼ばれ、カリスマ的存在となった。厚底ブーツなどファッ
            ションリーダーとしてもそのステータスを築いた。
             しかし、私生活では、SAMとの離婚や最愛の母親が叔父に殺害され
            るというショッキングな憂き目に遭った。

 <アスリート>

 1 吉村禎章・・・将来の巨人の4番候補として嘱望されていたが、外野飛球を追って、
           他の選手と激突。靭帯を損傷し、長いリハビリ生活を強いられた。
           あの負傷がなければ、凄い選手になって、記録を残していた。

 2 平山相太・・・国見高校の大型エースストライカーとして、今も破られていない得点王と
          なった。将来は日本代表の9番を背負う筈だったが、プロの練習や戦術が
          合わず、W杯にも出場せず、引退した。現在は仙台大学の学生。

 3 江川 卓・・・高校時代は剛速球投手として「怪物」の名をほしいままにした。巨人命で
          わがままを押し通し、3回のドラフト指名拒否。挙句の果てには巨人の
          エースだった小林とのトレードで決着。しかし、一時は球界のエースに登り
          詰めたが、実働9年で135勝で終わった。

 4 桑田真澄・・・彼もPL学園時代は歴代最高の戦績を残し、伝説となった。清原との運
          命のドラフトで、巨人から予想外の指名を受け、電撃入団。巨人のエース
          として活躍した。しかし、ダイビングキャッチを試みた際、利き腕の従事靭
          帯を損傷。手術とリハビリのため、長期に戦線を離脱した。
          結果、リリーフと中継ぎに転向し、名球会に入ることもなく引退した。
 
 5 津田恒美・・・「炎のストッパー」として広島の守護神となった。いつも全力で全身を大
          きく使ったダイナミックなフォームで、強打者に立ち向かっていった。逃げ
          が嫌いでいつも真っ向勝負で、ファンの心を掴んだ。しかし、悪性脳腫瘍
          により、若くして、志半ばでこの世を去った。

 この傾向は、芸人ならさらに顕著だ。いわゆる一発ギャグが当って流行語にでもなれば、その年(1年くらい)はメディアに引っ張りだこで安泰だが、一過性のブームが去れば、見向きもされなくなり、ドサ周りで明日をも知れぬ生活に陥ることもある。

 <芸人>

 1 江戸はるみ・・・親指を2本立てて「グー」ポーズが流行ったが、もう誰もやらない
 2 小島よしお・・・「そんなの関係ねぇ、ハイオパピー」というギャグも今や遠い過去だ
 3 波田陽区・・・ギター侍としてエンタの神様で大活躍「~て言うじゃな~い」 
 4 小梅太夫・・・「チッキショー」が決め台詞だった。何度もイメチェンを図っている。
 5 ヒロシ・・・半身に構え「ヒロシです」と自虐ネタを繰り広げていた。
 6 ダンディ坂野・・・黄色い衣装で「ゲッツ」が決めポーズだった。
 7 髭男爵・・・2人組で王朝貴族のいでたちで、グラス片手に優雅に振舞っていた。
 8 テツ&トモ・・・「何でだろう~」も流行語になったが、今は風前のともしび状態だ。

 さて、今日の記事は、人生観を物語るには格好のテーマだったかもしれない。私は「あいつ今何してる」とか「消えた天才」が大好きで、放送がある週は、毎回見ている。この番組は、今回の題材を代弁してくれているからだ。早熟で若くして才能を発揮する者もいれば、予期せぬケガや故障、病気に襲われ、やむなく引退を余儀なくされたケースや彗星の如く華々しくデビューしたアスリートが、様々な事情や理由で人知れず消えていった例が描写されている。まさに、天国と地獄を味わった実例だけに、説得力があるし、感動を誘う。
 
 冒頭で記述した「池江」選手には一日も早く復帰していただき、あの元気な姿と満面の笑みをプールサイドで見れることをひたすら願いたい。

2019年2月 5日 (火)

覚えていますか、このアイドル

 唐突だが、「秋元理央」という歌手を覚えていますか?もちろん今の若い世代には知る由もない。彼女は80年代のB級アイドルだった。この名前は芸名で、当初は「橋本清美」という本名で活動していた。もしかするとこの名前のほうがピンと来たかもしれない。
 
 彼女の出演番組で代表的なものはNHKの「レッツゴーヤング」だ。1970年代から90年頃まで日曜日の18時から放送していたヤング中心の音楽番組だった。後のローカル路線バス乗り継ぎの旅の名リーダーとして頑張った太川陽介と石野真子、石川ひとみらがMCを担当していた。その人気番組に於いて、彼女は「サンデーズ」の一員として活躍していた。
 やや垂れ目の愛くるしいベビーフェイスの顔立ちと八重歯がチャームポイントのマスコット的存在だった。

 秋本理央のプロフ

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 埼玉県熊谷市出身。元ホリプロ所属。夫は元プロ野球選手で指導者、評論家の平野謙、息子は俳優の平野潤也。

  •  高校生の時にホリプロタレントスカウトキャラバンに出場、関東地区代表となる。受賞は逃したが、ホリプロにスカウトされ所属が決定。
  •  1982年 - 1984年、本名の「橋本清美」でNHK『レッツゴーヤング』にサンデーズの一員として出演。以後、女優としていくつかのテレビドラマに出演。
  •  1985年、『幻夢戦記レダ』の主題歌「風とブーケのセレナーデ」でアイドル歌手としてデビュー。この時に芸名を「秋本理央」に変更。
  •  1986年、日本テレビ系『剛Q超児イッキマン』の桃江星子役で声優としてもデビュー。
  •  東海テレビの中日ドラゴンズ応援番組『ヒロミツのスーパードラゴンズ』のアシスタント時代に平野謙(当時、中日ドラゴンズ所属)と出会い、結婚して引退した。
     血液型はA型
  •  
     私の記憶では同期のサンデーズには、「少年隊」の植草克秀と小出広美がいたと思う。では当時のレッツゴーヤングのオープニングテーマ「ムーンライトカーニバル」をどうぞ!
  •  どうです?50代以上の方には懐かしすぎる映像だ。これは1983年9月4日に放送された番組で、美しい映像の割にはもう35年以上が経過している。スクールメイツの踊りに始まり、サンデーズが登場。そして毎回のように絶叫のような声援に包まれてゲストが階段から降りてやって来る。
     では、ここで今回のアイドルとして名を挙げた「秋本理央」の歌唱場面を紹介したい。

  •  この頃は、アイドル全盛の頃で、1年間に数十人のアイドルがデビューしていた時代。そのため、いくらでも可愛い顔のアイドルがわんさかいたため、私は好意を持っていたが、その他大勢のB級アイドルに埋もれてしまい、ヒット曲には恵まれなかった。

     その他の映像

     https://www.youtube.com/watch?v=t7fKH2RKRAQ

     歳をとると昔のことを美化してしまいがちだが、特に自分が10代後半から20代前半の出来事は、自分が学生時代で、しかもバブル景気の沸いていた古き良き時代だったので、単に懐かしいだけでなく、美しい想い出として色濃く残っている。

    2019年1月20日 (日)

    恐怖に晒される芸能人たち

     またしてもファンの行き過ぎた行動により、アイドルが傷つけられる事件が起きた。NGK48のメンバーの自宅マンションを突き止め、押し入った末に顔を掴んで暴行するなど本当のファンならばあり得ない行為だった。これは迷惑行為以外の何物でもなく、他のファンもショックだろうし、何より本人の心に深い傷が残る。絶対にこうした行為は、いくら好きでもファンを自称するならば慎むべきだ。ストーカー行為以外の何物でもない。
     こうしたファンによるアイドルや芸能人への暴行は昔からあった。それによって、力道山やジョン・レノンのように命を落とす事件に発展したケースもある。
     今回は、日本で起こってしまったそうしたファンによる襲撃や暴行事件について取り上げ、行き過ぎた行為への警鐘を促したい。

     美空ひばり 塩酸事件

     1957年1月13日、東京・浅草の国際劇場で、「花吹雪おしどり絵巻」に出演していた美空ひばり(当時19歳)が、山形県から上京した客席にいたファンの少女A子( 当時19歳)から塩酸をかけられるという事件が発生。
     その後、美空ひばりは劇場に近い「浅草寺病院」で治療を受けるが、顔や首、胸や背中などに全治三週間の火傷を負った。
     この少女は、彼女のブロマイドを購入して部屋に貼ったり、彼女が出演する映画を必ず観るなどの熱烈なファンだった。しかし、自宅に電話したり、時には押し掛けるなど度の過ぎた公道をとるようになっていったという。
     家出をしてこのような末路を辿ったが、「こんなに好きなのに、ひばりさんが憎い」と書置きした少女は「塩酸をかけて、みにくく 顔をみたい」と手帳に書いていた。(「オワリナキアクム」のHPより引用)

      鶴田浩二 襲撃事件

     任侠シリーズに数多く出演した昭和を代表する名優だった鶴田浩二。1953年(昭和28年)1月6日に日本の俳優・鶴田浩が暴力団・山口組三代目の組員に襲撃・暴行を受けた事件。
     山口組三代目の組員5人は、午後7時すぎ、鶴田浩二の宿泊先・大阪市天王寺区大道町の旅館・備前屋で待ち伏せし、軒先に群がるファンらに「鶴田のサインをもらってきてあげる」と言って上がりこんだ。4人が桔梗の間に入ると、鶴田浩二や水の江滝子・高峰三枝子ら10名以上が夕食をとっていた。山本は彼らの面前で鶴田をウィスキー瓶やレンガで殴りつけた。。それから備前屋を飛び出し、黒塗りの乗用車に乗って逃亡。鶴田は救急車で近くの早石病院に搬送され、頭と手に11針を縫う重傷だった。
     この後、芸能界では「山口組・田岡一雄の機嫌を損ねるととんでもないことになる」と恐怖を植え付けられることとなり、山口組が芸能界での勢力拡大と収益を上げていく大きな追い風を果たした。 (Wikipediaより)

     岡田奈々監禁事件

     とは1977年7月15日、当時、清純派トップアイドルであった岡田奈々がファンに5時間監禁された事件である。
     岡田奈々は深夜に仕事を終え、マネージャーに自宅マンションまで送ってもらい、マネージャーは部屋に入ったのを確認して帰った。 部屋に入ると少し暑かったが、エアコン嫌いの岡田はベランダの窓を開けた。その後すぐ入浴する気がせず出演するドラマの台本をベッドで読み窓を開けたまま、ベットで寝入っててしまった。
     そして隣の部屋が空室でベランダをつたってファンが岡田の部屋に侵入。犯人のナイフを、起きた岡田がを握ってしまい血だらけになり、犯人が手にシーツを巻きさらにネクタイで手を縛り、足も縛って身動き出来ない状態にした。犯人は、明け方には出て行くからと言って岡田の新曲を振り付けで歌いながら踊ったりしていた。犯人は岡田に「警察には言うなよ」と言葉を残し約束通り明け方出て行き、血のついたシーツなどを持ち帰った。

     岡田はすぐ手のシーツをほどき、事務所の社長に連絡し警察が来て保護された。その時の手の怪我は、30針も縫うほどの大怪我であった。犯人は、目だし帽で顔はわからず現在も捕まっていない。

     こんな身も毛もよだつ一夜があってトラウマになり思い出すのも嫌な筈なのに、その後、土曜ワイド劇場の「魅せられた美女」で、その場面を再現するかのようなシーンが撮影された。マンションの部屋で、プロダクションの社長の夫人に刃物で追い回され、逃げ惑うシーン。もみ合いとなって弾みで夫人が自分の胸に包丁を刺してしまい、恐怖で岡田は気絶。気づくと社長夫人が心臓を一突きにされ、出血死していたというもの。
     あの事件をトラウマにならないように、敢えて挑戦したかのようだった。

     私は小学生の頃に、彼女の大ファンで、雑誌の切り抜きを集めていたし、「青春の坂道」のレコードも購入したりしていた。実はこんな大事件があったなど知らなかった。彼女の心情を思うといたたまれない。その後も、「俺たちの旅」や「ゆうひが丘の総理大臣」などの学園ドラマに出演していたかと思うと、彼女のプロ根性に敬意を表したい。

     

     松田聖子 沖縄 ファンによる殴打事件

     1983年3月28日。沖縄市市営体育館では松田聖子のスプリングコンサートが開催されていた。スプリングコンサートは沖縄市を皮切りに北上して開催する予定となっていた。 始まって約1時間がたった午後7時40分頃、聖子が「渚のバルコニー」を歌い始めてサビの部分にさしかかったとき、舞台下手から体格の良い男が瞬間的に聖子に駆け寄った。男は持っていた30~40cmのスチール製工具で聖子に殴りかかった。聖子はとっさに頭をかばいながら逃げたが、スチール工具は3回頭に打ち付けられた。男は逃げ回る聖子を追いかけ回した。
     「キャーッ、やめてー」という聖子の叫び声が会場に響いた。警備スタッフが数人駆け寄り、男を羽交い締めにした。会場は騒然となった。聖子はほとんど失神状態で顔面蒼白だった。スタッフに抱えられて会場の外へ運び出され、救急車で病院へ向かった。男はそのまま警備の警察官に傷害の現行犯で引き渡された。(現行犯の場合、警察官でなくとも一般人が逮捕可能である)
     聖子は右側頭部と右手首に約1週間の裂傷と打撲傷を負った。レントゲンやCT検査の結果、骨折や脳内出血はなかったが、体が震え、涙が止まらず、精神的ショックは計り知れず大きかった。その日はそのまま入院した。(「艱難辛苦と臥薪嘗胆と満身創痍」のブログより)

     この事件直後からテレビのワイドショーはこの事件と当時、トップアイドルだった松田聖子の精神状態を心配する記事や報道で大騒ぎとなったことを覚えている。

     倉沢淳美 手首切りつけ事件

     欽ちゃんの欽どこで鮮烈なデビューを果たした「わらべ」のメンバーで、一番可愛かったことで、歌手としてもソロデビューを果たし、ベストテン番組にも登場するほどの人気を集めていた。
     ところが、ソロ・デビューした1984年に、札幌で開いたサイン会で事件は起きた。終了後に会場玄関で、参加していた見知らぬ男に突然、刃物で切りつけられ、右手首を約6センチ切る大怪我を負ったのだ。犯人は26歳の会社員。警察の取り調べに「生意気だから切った」と、平然と不可解な供述をした。
     事件後、ファンによるアイドル襲撃事件ということで連日、マスコミ報道は過熱した。

     AKB48握手会傷害事件

     2014年(平成26年)5月25日、日本の女性アイドルグループ・AKB48が岩手県滝沢市の岩手産業文化センター(アピオ)で開催していた握手会のイベントにおいて、のこぎりを持った男がグループのメンバー2人とスタッフ1人を切りつけ、負傷させた事件である。
     グループのメンバーとファンが握手を行う区画(レーン)のひとつに男が入り、のこぎりを取り出してメンバーの川栄李奈と入山杏奈、および2人を守ろうとした男性スタッフを切りつけた。男は周囲にいたスタッフに取り押さえられ、警察に殺人未遂の容疑で現行犯逮捕された。切りつけられた3人は骨折や裂傷を負い、病院へ搬送されてただちに縫合手術を受けた。3人は事件翌日に退院した。
     犯人は青森県十和田市に住む、発達障害の診断を受けたことがある、事件当時24歳の男。
     2014年1月に仕事を失っており、犯行動機はテレビでAKB48を見て「収入が多い」「自分とは正反対」などと不満に思ったことであった。男は逮捕後、精神鑑定が行われた。その結果責任能力が問えると判断され、傷害罪および銃刀法違反罪で起訴された。

     迷惑行為

     近藤真彦の実母の遺骨盗難事件

     (参考)

     世間を震撼させた芸能人にまつわる歴史的犯罪事件簿③   

     

    2019年1月19日 (土)

    急逝した80年代アイドルたち

     私が高校時代を過ごした1980年代はアイドル全盛時代だった。山口百恵引退後、ピンクレディーも解散。時代は新たなヒロインの誕生を模索していた。その頃、歌が上手くルックスも抜群のアイドルが彗星の如く登場した。
     それは松田聖子だった。その時分、河合奈保子や柏原芳恵、そしてその後を追うように中森明菜や小泉今日子、松本伊代、堀ちえみ、早見優、そして石川秀美などのA級アイドルが続々登場した。また、様々な芸能事務所から、ヒット曲に恵まれなくても、次々とB級アイドルも振って沸いたようにデビューしては儚くも消えて行った。
     当時は、歌番組も多く、夜ヒットやミュージックフェア、ベストテン番組を除いても、ヤンヤン歌うスタジオやアイドルパンチ、スーパージョッキーなどアイドルが露出する番組が数多く生まれた。そこで彼女たちの笑顔に癒された先輩諸氏も多かったに違いない。
     しかし、その当時、アイドルとして一時代を築きながらも、その後、病気や自殺などで不可解にも若くしてこの世を去ったアイドルたちもいたことを私は忘れられない。
     今日は、私が印象に残っている夭折し、星になったた天使のアイドルたちを取り上げ、彼女たちが確かに存在したことをここに記したい。

     岡田有希子

     亡くなった時のワイドショー番組は衝撃が強く、またファンの心情を察し埋め込み処理は行わず、URLのみの掲載とさせていただきます、ご容赦ください。

    https://www.youtube.com/watch?v=B7cPgL70fHo

     彼女は最優秀新人賞を受賞するなどトップアイドルへの階段を着実に上っていた矢先の出来事だけに、あの衝撃の死の報は信じられなかった。17歳というあまりにも若くして天国へと旅立った彼女。後追い自殺をしたファンもいたという。それほど影響が大きかった。

     堀江しのぶ

     彼女は豊満で健康的な魅力に溢れるグラビアモデルだった。亡くなる少し前には「男女七人秋物語」にも出演していた。病死とはいえ、何の前触れもないまま急に亡くなったという印象で、ファンは居た堪れなかったと心中お察ししたい。

     本田美奈子

     へそ出しルックを流行らせ、20世紀のマリリンではノリノリでダイナミックな振り付けでセンセーションを巻き起こした。とにかく顔が小さくてスタイル抜群。出す曲もO型らしく個性があった。晩年はミュージカル女優として「レミゼラブル」などで主役を張った。小柄ながら声量があって、オペラにも果敢にチャレンジして大成功を収めていた。
     しかし、骨髄性白血病で闘病もむなしく2005年11月6日にこの世を去った。親友の南野陽子は泣き崩れた。彼女は病室でも歌い続け、死の直前まで歌手であり続けた。

     甲斐智枝美

     1979年、日本テレビの人気オーディション番組「スター誕生!」で第29代グランドチャンピオンを獲得。これをきっかけに芸能界入り。1980年、ポスト山口百恵を狙ったホリプロ所属のアイドルとしてシングル曲「スタア」で歌手デビュー。キャッチフレーズは「KIRARI!瞳が語る」。
     2006年7月10日、2階の寝室で首を吊っていたところを中学校3年生(当時)の長男が発見した。救急隊員が駆けつけたが、午前6時45分ごろ、心肺停止を確認。自宅所轄の千葉県警習志野署が検死を行い、自殺と断定した。43歳没。

     松本友里

     1983年に父とともに『オールスター家族対抗歌合戦』の「父と娘大会」に出場したことがある。この番組出演がきっかけでスカウトされ、1984年にアイドル歌手としてデビューした。

     2004年10月に、『暴れん坊将軍』で共演していた松平だけが出演した舞台を松本が観劇したことで交際に発展した。2005年10月11日、松平と入籍。話題となるが、これを機に芸能活動停止状態に入った。
     2006年10月31日、男児を出産した。以後、マスコミなどへの露出も控え、家事・育児に専念した。
     2010年6月に母・和歌鈴子が死去した。その頃から母親の介護疲れや死別の影響などにより、うつ状態となる。
     2010年11月15日午前3時ごろ、自宅のドアノブにロープで首をつっているのを泊まり込みのベビーシッターが発見し警察に通報、死亡が確認された。42歳没。
     ワイドショーでは松平健の豪邸からの中継で、夫の松平健が妻の死という衝撃の出来事がありながら、淡々とまるで他人事のような感じで芸能リポーターのインタビューを受けていたのが気に障った。まったく悲しげもなく、こうなることを予想していたかのような振る舞いに違和感を覚えた。

     他にも夭折したアイドルには柳原や可愛かずみ、上原美優、それに「エビ中」の松野莉奈がいる。

     ここで気をつけたいのは、上で取り上げたアイドルで、自ら命を絶った方はA型が多いという点。甲斐智枝美さん、松本友里さん、そして可愛かずみさん、上原美優さんはいずれもA型。プライドが高く、真面目で責任感が強いこの型は、傷つくと、いつまでも引きずり、立ち直りが遅い。不安材料をかき集め、思い詰めて衝動的な行動に走ってしまう傾向がある。

    2019年1月18日 (金)

    私が似ていると思う人たち

     世の中には自分にそっくりな人が3人いるという。ドッペルゲンガーという怖い現象もあるが、他人の空似とは思えないほどそっくりな人がいる。それは得てして芸能界においても顕著に見られる。今日は個人的見解だが、テレビタレントや芸能人などで、私が似すぎだと感じている方々を取り上げ、比較してみたい。

      <ケース1> 山本博美(元アイドル)・藤井美菜(女優)・山本里菜アナ(TBS)

     山本博美は1980年代に「きゃんきゃん」という3人組のアイドルグループのメンバーで、その後、モデルに転身し、「ミントタイム」のMCとして活躍していた。現在は京本政樹の妻となっている。
     藤井美菜は、ヤクルトのCMでも有名だし、近年は得意の韓国語を駆使し、韓国のタレントや女優としても活躍している。
     山本里菜はTBSの局アナで、「サンデージャポン」のアシスタントを務める美人アナだ。最近、局内での陰湿ないじめを暴露して話題となった。
     この3人は、世代こそ違うが、まるで三姉妹のようにそっくり。目鼻立ちがくっきりしていて、顔の輪郭も同じ。それもその筈、この3人はいずれも血液型がA型。ツンデレ風でプライドが高そうな印象。

    Yamamotohiromi Yamamotorina
    Fujiimina Ikedaeraiza

    藤井美菜は池田エライザにも似ている。ちなみに池田エライザはB型だ。
    なぜか池田エライザ乃木坂の斎藤飛鳥にも似ている。

     <ケース2> 三上真奈アナ(フジ)・長江麻美アナ(福島中央テレビ)

     キーステーションとローカル局の違いはあるが、3年前に、初めてFCTに長江アナが登場した瞬間に、この人は同じO型の三上アナそっくりだと思った。色白で、雰囲気もしゃべり方もリアクションも同じ。最初、親戚かと思ったほどだ。やはり血液型が同じだと、雰囲気が似てしまうのだろうか。

    Mikamimana Nagae

     <ケース3> 阿部華也子(めざましキャスター)と幡谷明里(福島テレビキャスター)

     「かやちゃ~ん」の掛け声でお馴染みの朝の顔「めざましテレビ」でお天気キャスターを務めている。柔和な印象と笑うと無くなる目でお茶の間の人気者だ。2018年には「好きなお天気キャスター」でNo.1に輝いた。ネアカな雰囲気と屈託のない表情は、予想した通りB型。
     「めざましテレビ」「めざまし土曜日」関係は、三宅アナ、軽部アナ、宮澤智アナ、岡副アナ、皆藤愛子もそうであったように早稲田卒が多いが、阿部華也子キャスターも早稲田大学在学中のエリート。

     幡谷明里(はたやあかり)は地元福島テレビのアナウンサー。夕方放送の「FTVテレポートプラス」内で、私の実家にほど近い虎丸町のホテルハマツの東隣りにあるFTV郡山支社の前から、郡山の最新情報や天気を伝えている。実家が羽鳥湖にほど近い天栄村で農家を営んでいた。そして地元の福島大学を卒業し、FTVに入局した。学生時代はミスキャンパスにも出場した経歴があるし、現に「天栄村のキャンペーンクルー」も務めたほどの容姿だ。
     好きな芸能人は三浦春馬と西野カナだそうだ。なんでも大食いらしく、わんこそば207杯という輝かしい?記録を残している。彼女の血液型は不明だが、阿部華也子キャスターと雰囲気が似ていると思っている。

    Abekayako Hataya2_2

     <ケース4> 若い頃の竹下景子とチェジゥ

     竹下景子と言えば1970年代に「お嫁さんにしたい女優NO.1」に輝いた。東京女子大卒の才女でありながら容姿端麗、良妻賢母タイプで、当時の男性諸氏は誰もが心を奪われた。個人的にはラジオ番組「この指とまれ」と姿三四郎の乙美さん役が強烈に印象に残っている。中3から高1にかけて彼女の大ファンだった。レコードも雑誌も買い占めていた。
     一方、私自身は、今では何かにつけて日本を悪者扱いする韓国が大嫌いだが、2001年にNHKで放送された「冬ソナ」だけは大好きで、特にユジン役のチェジゥのおしとやかな感じや清楚で、ひとりの人を想い続ける一途な雰囲気が気に入っていた。それは、彼女が竹下景子の若かりし頃の面影とだぶって見えたからだ。

    Takeshitakeiko Fuyusona

     <ケース5> 常盤貴子と竹俣紅

     常盤貴子は和服が似合う日本美人。そして竹俣紅は早稲田大の政経学部在学中の女流棋士。なんと14歳にしてプロとなった。両者共に着物が良く似合う。竹俣紅は瀧本美織にも似ている。一方の常盤貴子はフィギュアスケートの安藤美姫にも似ている。

    Tokiwatakako Takematabeni

    <ケース6> 小芝風花と伊原六花、古畑星夏、小池美由

    Koshiba Ihara
    Furuhata Koike

    ちなみに小芝風花と伊原六花はA型、古畑星夏はB型、小池美由はAB型

      栁ゆり菜と久慈暁子

    T02200304_0800110513234522011 O0480085213982239106

      モデル兼タレントの柳ゆり菜もフジテレビアナウンサーの久慈暁子も色白丸顔の典型的なO型 

     最近の若いモデル、タレントは区別がつかないほど似ているように思う。


     今回の記事は、ローカル的でしかも個人の主観が過分に含まれている。画像だけ比較してもあまりピンとこないし似てないように見えるが、実物を見れば「なるほど」と合点が行くに違いない。福島県民意外にはあまり伝わらないが、そのへんはご了承願います。