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映画・テレビ

2020年6月24日 (水)

FTV「サタふく」はB型&O型で作る番組?

 毎週、欠かさず録画してまで見ている番組がある。それは毎週末の土曜日のお昼からFTVで2時間放送している「サタふく」。実は昭和59年から36年間も続く長寿番組だ。前身は「サタデーふくしま」で、地元密着の話題や役立つ情報をリアルタイムで伝え、視聴者からの話題も取り上げてくれるので、県内では数少ないローカルの人気番組だ。

Satafuku3

 その「サタふく」だが、面白いことに、歴代の出演者の血液型を検証すると、B型が6割でO型3割、日本人で最も多いA型はたったの1割という結果が得られた。私は、個人的に沖縄県出身の我如古莉乃アナウンサーは、てっきりO型だと思っていたら、6月18日(木)のFTVテレポートプラスの中で、自らB型だとカミングアウトした。

 では主だった歴代出演者の血液型を列挙したい。

 現在の出演者

 野村浩二・・・O型(江戸むらさきメンバー)
 我如古莉乃・・B型(沖縄県出身 元NHK)
 伊藤亮太・・・B型(山形県出身)
 浜中順子・・・B型(浜ちゃんぽ)
 白鳥久美子・・B型(月イチゲスト) 
 植木安里紗・・B型(月イチフェスタ中継)
 アイドル鳥越・O型(MCの野村と同じ事務所で過去2回出演)

 現在の出演者はB型5人、O型2人だ。他にも「福てれチョイス」の出演者(笠原咲紀さん・小林愛さん・遠藤栞さんなど)はいるが、VTR出演のためにこの記事では割愛させて頂きたい。アナウンス部長の浜中アナがB型だからなのか、なぜかB型主流の番組にはA型は入り込めないようだ。FTVでA型は、天然っぽいが、実は慶應義塾大学法学部卒で、足も速い八重樫葵アナがいるが、この番組には縁遠い。

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 次にここ5~6年の「サタふく」番組MC陣を検証したい。

 名和田知加・・・B型(現在フリー)
 藺草 英己・・・B型(現在は社内のコンプライアンス担当)
 延増 惇   ・・・B型(現在はテレビ朝日記者)
 岸野 文絵・・・B型(退社)
 神谷美寿々・・・O型(退社 茨城県在住)
   福盛田 遥・・・O型(現在ミヤギテレビアナウンサー)

 と、やはりB型とO型で占められており、A型もいることはいるが、鈴木康一郎(現在・中京テレビ)と長澤彩子(現在フリー)の2人しかいない。松永安奈アナ(A型)と小田島愛アナ(O型)は代役で1回MCを務めただけなのでカウントしない。

 なぜ、FTVはB型とO型が主流なのか?それはネットしている系列のキー局がフジテレビという特性がある。昔からこの放送局はアットホームでバラエティや月9などのドラマに力を注いできた。A型は真面目だが、オーソドックスで型にはまりやすく、どちらかと言えばニュース報道向き。アドリブが者を言う「バラエティ」には向かない。O型はオールマイティなのでニュースにもバラエティにも多用できる。
 FTVで血液型が判明している他のアナウンサーは、報道局の部長に昇格した坂井有生アナがO型、出戻りで広島から帰って来た豊嶋啓亮アナはB型、いつも元気印でスポーツ大好きの姉御肌・長谷川朋加アナはO型、日野佑希人アナはO型、気象予報士の斎藤泰紀氏はO型。中央大学法学部卒のエリート、菅家ひかるアナ、元ミス福島大学で郡山から「Catch!」で情報を伝える幡谷明里アナ、現在産休育休中の寺本緒麻里アナ、浜っ子でイケメンの矢崎佑太郎アナは不明。やっぱりA型は少ない。

 そして、なぜ土曜お昼の「サタふく」が毎回、B型とO型がこぞって起用されるのかは、ひとつはFTV自体がB型主流の人事を行っていることも一理あるが、B型はもともと、台本通りの決まったスタイルを嫌い、アドリブ先行で、自由奔放、バラエティ向き。だからニュースではなく、情報バラエティの「サタふく」MCに起用されたのだと思う。
 冒頭で記した通り、この番組は中継での思いがけないハプニング有り、「藺草英己の自転車でGO!」などは行き当たりばったりの珍道中が視聴者の笑いを誘った名物コーナーだった。明るく元気いっぱいだった名和田アナとの掛け合いは最高だった。
 また、「自転車でGO!」に毎回同行していた影の声のディレクター(現在はプロデューサー)も、時々タイガーマスクのマスクをかぶり登場したが、彼の方針も真面目一方を嫌うB型寄りの印象がある。

 ネアカで楽天的、前向き、そして自分自身が一番好きで裏表や屈託のない性格が「サタふく」には必須なのだと思う。B型は好奇心旺盛で、凝り性なのでいろいろなことに飛びつく。アンテナや情報量も豊富で、何より発想や言葉選びが卓越している。つまり話が面白いし、リアクションもユニーク。明石家さんまのように、話し上手で話題に事欠かず、どんなコメントもウケる。そういう面が「サタふく」MCとしては最適なのだと判断できる。

 ここで蛇足だが、私はB型同士は運命共同体なので、もしかすると伊藤亮太アナは我如古莉乃アナと、あるいは中継を一緒にやっている縁で植木安里紗さんと結婚まで行くのではないかと勝手に予想している。伊藤アナとおふたりの息はぴったりで、まだ恋愛感情はないかもしれないが、何かのきっかけでタイミングよくゴールインすることもあるかもしれないと踏んでいる。

  私は旧ブログで、テレビ番組、特にバラエティ番組の出演者は、同じ血液型同士で群れるという趣旨の記事を書いたが、まさにその通りではないか。「めざましテレビ」のようにO型がMC(三宅アナ)を務める番組はO型で固める傾向があるし、「ミヤネ屋」やこの「サタふく」もB型で固めている印象がある。浜中アナウンス部長を頂点にダブルMCに伊藤・我如古のB型ペアを組み、芸人の野村さんを緩衝材として据えることで話術が冴え、活性化する構図が見て取れる。それにB型は個性や我が強く、人をイジる傾向があるので、同じ血液型で揃えた方がそのほうが進行もやりやすいのかもしれない。

 最後に、ひとつ気になっているが、もしかして番組制作者は私のブログを参考にしているのではないかと思える節がある。私がブログで取り上げた場所を、間を置かずにそこが取り上げられて、被って放送されることが何度かあった。それならそれで有り難い。

2020年6月21日 (日)

「西部警察全国縦断ロケ(福島編)」回顧

 昭和の時代に、テレビ業界で隆盛を極めたもののひとつに刑事ドラマがある。
 初期は「七人の刑事」に始まり、「刑事くん」「太陽にほえろ」「鉄道公安官」「大空港」「特捜最前線」「非情のライセンス」「夜明けの刑事」「明日の刑事」「噂の刑事トミーとマツ」「裸の街」「大都会シリーズ」「Gメン'75」「キイハンター」「刑事犬カール」「熱中時代 刑事編」など、数多くの刑事ドラマが制作されて放映され、視聴者の人気を得た。
 そんな中で、私が決して忘れられない刑事ものがテレビ朝日系列で放送された「西部警察」であった。

 石原プロモーションとテレビ朝日が共同制作したこの刑事ドラマは、ド派手なカーチェイスや片輪走行、衝突や車が爆発するようなカースタント、拳銃をあちこちでぶっ放す危険極まりないアクション、それに車、建屋、時には巨大煙突や観光船までも爆破する演出で視聴者の度肝を抜いた。
 そして石原プロ所属の男っ気がむんむんする豪華俳優陣がこぞって出演したことで知られる。

 今は亡き小暮課長役の石原裕次郎を筆頭に、大門軍団の団長に渡哲也、舘ひろし、藤岡重慶、小林昭二、御木裕、シリーズによっては寺尾聰、峰竜太、苅谷俊介、五代高之、加納竜、柴俊夫、古手川祐子といったキャストが名を連ねていた。こちらは「太陽にほえろ」と出演者がリンクしていた。

 テレビシリーズ 『西部警察』(1979年10月14日 - 1982年4月18日、PART-I)
 テレビシリーズ 『西部警察 PART-II』(1982年5月30日 - 1983年3月20日)
 テレビシリーズ 『西部警察 PART-III』(1983年4月3日 - 1984年10月22日)
 テレビスペシャル『西部警察 SPECIAL』(2004年10月31日)

 1979年から1984年までの約5年間の制作数は実に238話にも上った。平均視聴率が14.5%というお化け番組だった。

 そんな中、我が福島県でもロケに使われたことがあった。「全国縦断ロケ」の一連で、厳冬期の福島県を舞台に長期ロケを敢行した。

 木暮課長役を演じる石原裕次郎が、解離性大動脈瘤による長期にわたる闘病生活から復帰できたことを記念すると共に、闘病中自分を応援してくれた全国のファンに対するお礼と、自分の元気な姿を少しでも多くの人に見てもらいたいという意味を込めてPART-II〜PART-IIIと股にかけて行われた、テレビドラマとしては異例の大規模な地方ロケである。その第5弾が福島で、タイトルは以下の通り。

 PART-III  第9話(1983年6月12日)「白銀に消えた超合金X ! - 福島・前篇 -」(視聴率17.8 %)
 PART-III 第10話(1983年6月19日)「雪の会津山岳決戦 ! - 福島・後篇 -」(視聴率14.0 %)

 ストーリー概略

 前後編で一つのストーリーが展開。夢の超合金「メルカロイX」と開発者の教授を、海外の死の商人に売り渡そうとする組織と大門軍団とのバトル。

 ロケ日程:1983年3月12日 - 3月22日

 何か昭和の頃に放映された「大映テレビ」制作のいかつい印象を受けるが、毎回現実離れしたカースタントアクションや爆破シーン、街中であっても派手な銃撃戦などがウリだった。何台のパトカーや犯人が乗った逃走車両を横転させて破壊させたかわからない。

 私の記憶を辿ると・・・
 
 1 郡山警察署の南側の玄関先

 郡山警察署が「郡山中央警察署」という名称で使われ、最後のエンディングシーンが撮影された。事件を解決した小暮課長と大門刑事(団長)が煙草をふかしながら玄関から出てくるシーンだった。この頃は、「心臓の動脈瘤」の大病から奇跡の生還を果たした裕次郎も元気な姿をファンに見せていた。

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 2 福島放送の会議室

 開局間もない「福島放送」(KFB)の会議室の一室を郡山中央警察署の捜査本部に見立てて撮影された。福島県警のポスターが不自然に綺麗な壁に無造作に貼られてあったのが違和感があった。例のごとく、各刑事が捜査状況の報告をするために小暮課長がいる対策本部に入って来るシーンなどが撮影された。 

Kfb

 3 建設中の日中ダム
 
 クライマックスで、敵のアジトを大量の火薬を用いて爆破する豪快なシーンが撮影された。残雪の日中ダムの建設現場に巨大な敵のアジトの住居を建設し、リハーサルおよびNGなしの1回勝負のシーンだった。カメラ4台同時撮影とヘリコプターを飛ばしてアクティブマルチアングルで撮影されたようだ。
 
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 4 その他 撮影に協力した企業や実際に画面に登場した会社等

 三万石不二屋、福島県会津農林事務所、あいづダストセンター、羽鳥サバイバルランド、ホテルリステル猪苗代、福島観光自動車、日中ダム(大成建設・鹿島建設共同企業体)、日産自動車福島販売
  

 5 破壊された主な建造物・乗り物

 犯人のアジト1棟(爆破:建設費3000万円。日中ダム建設現場に建設  福島観光自動車 日野製観光バス

  
 我が県初の大規模な長期ロケということで、注目度は凄まじかったし、県民がこぞってこのロケに協力的だったことを記憶している。特に想い出深いのは、我が福島県内で、人気ドラマの撮影が行われるというので、県民の歓迎ぶりはすさまじかった。郡山駅に降り立った石原軍団をひと目見ようと、わんさか駅前にファンが集まり、ごった返した記憶がある。

 このロケが行われた当時、私は高校生だったので、ロケ地を車で回ることなどできなかった。もっぱら「福島放送」の夕方の番組内で流される今日のロケ情報などを確認していた。そして実際の取材映像も流され、今日はどこでどんな撮影が行われたのかも放送されたほどだ。

 あのロケから早いもので37年も経ってしまった。若い方はもちろん知らないし、この出来事を覚えているのも同世代か先輩諸氏の年齢層の方くらいになってしまった。西部警察に出演した俳優さんも順次、鬼籍に入られている。石原裕次郎、小林昭二、藤岡重慶、高城淳一、武藤章生、庄司永建、井上昭文などの名優が亡くなられた。

 レギュラー放送時、若手の代表だった舘ひろしさんでも70代になったことを考えれば、やはり時間の速さを実感してしまう。

 最後に、当時出演された俳優さんが、2020年6月現在、亡くなられた方を除いて何歳になられているかを掲載して結びとしたい。

 渡 哲也 78歳  舘ひろし 70歳
 寺尾 聰 73歳  苅谷俊介 73歳
 五代高之 63歳  加納 竜 64歳
 御木 裕 60歳  峰 竜太 68歳
 佐原健二 88歳  三浦友和 68歳
 柴俊夫  73歳  石原良純 58歳
 古手川祐子60歳

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2020年5月30日 (土)

オールドリスナー必聴!「ラジオ福島」回顧録

  「JOWR」と聞いただけでそれが何を意味するかわかる人は、よっぽどのラジオ通だろう。さらに言えば「周波数」1458KHz、1098KHzと聞いただけでピンと来た人も同様だ。

 「JOWR」はテレビやラジオ、無線局などにつけられる符号で、通称「コールサイン」と呼ばれる。「JOWR」はここ福島県に1953年に開局し、67年もの歴史を誇る「ラジオ福島」のものだ。当時は、全国で30番目に開局した県内初の民放ラジオ局だった。
 さらに中波(AM)の周波数1458KHzとは福島局のもので、郡山局は1098KHzである。郡山でも1458KHzにチューニングしても聞こえるが、かなり混信し雑音で聴き取りづらい。よって電気通信局(当時は電波管理局)がこのように割り当てたのだ。しかし、この周波数も1978年までは違っていて、現在のようにコマ切れにはなっていなかった。福島は1460KHz、郡山は1100KHzだった。私がよく聴いていた「ニッポン放送」は1240KHzだったが、1242KHzに変わってしまった。

 その地にも地元密着の情報満載で提供している放送局の「ラジオ福島」は、今では受信機さえあれば「ワイドFM」でクリア―なサウンドで視聴を楽しむことができる。そこまで進化している。
 「東日本大震災時の生放送中」のスタジオでは、深野健司アナの冷静な呼びかけと的確な情報提供に、助けられた方も数多くいると思うし、私などは、入浴中のナイター中継(RFCエキサイティングナイター)など、中高生時代の必須アイテムだったし、特に大学受験では深夜放送を流しながら励むなど、「受験の友」だった。
 その時に聴いていたのは「ビートたけしのオールナイトニッポン」(木曜深夜)、「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」(土曜深夜)、「いすゞ歌うヘッドライト」(石渡のり子)(金曜午前3時)のファンだった。特に「歌うヘッドライト」はエンディングの「夜明けの仲間たち」を聴きながら朝を迎えていた。

 オープニングはコチラ

 エンディング「夜明けの仲間たち」

 1980年までは、我が福島県は「青少年育成」のための規律が厳しく、テレビやラジオは深夜の時間帯は放送していなかった。子どもに良くない情報は極力回避していたため、深夜放送はもっぱら東京のキー局に周波数を合わせて聴いていたが、混信がひどくてなかなか聞き取れない代物だったが、1980年代に入り、県民の要望からようやく「ラジオ福島」でもネットを開始し、受信が可能になった。

 また早朝は、タイマーで録音した「旺文社大学受験ラジオ講座」(通称:ラ講)で追い込みをかけていた。あの開始のBGMもずっと耳に残っている。そのおかげで、私は大学受験に合格できたと思っている。
 ついでに言うと、「日本短波放送」(現在ラジオNIKKEI)のアイドル女子アナだった「大橋照子」さんに憧れた時期もあった。慶應義塾大学卒の才女に加え、あの可愛らしい声と喋りに癒されていた。だから私も彼女を追って同大に進学したのだ。当時のラジオDJやMCは、あまり顔を露出する方は少なかったが、大場久美子に似たアイドル顔の彼女の風貌は、瞬く間に人気に火が付き、マイナーだった短波放送の存在を世に知らしめた第一人者だった。

 「ヤロメロ」の大橋照子さんの涙の結婚宣言はコチラ
 
 さて、ついついラジオへの思い入れの強さから、本題である「ラジオ福島」の話題は後回しになってしまった。
 今日は何を中心に記事を書きたいかというと、今では放送終了してしまった自主制作番組を振り返り、懐かしみたいという趣旨だ。ではどうぞ!

 1 「夜をぶっとばせリクエストで45分!」

 平日の夜中、午前0時15分から1時までの放送で、日替わりで「ラジオ福島」の局アナがMCを担当し、リスナーからのはがきを読んだり、リクエストに応えて音楽をかけるといった内容だった。番組形式はリスナーリクエストによる音楽番組である。番組開始当初は曜日毎にリクエストジャンルが決められていた(月曜 ポピュラー、火曜 歌謡曲、水曜 映画音楽、木曜 懐メロ、金曜 詩と音楽、土曜 プレゼントリクエスト)がその後自由にリクエストできるようになった。
 担当は月曜日が荒川守アナだった。ほかにも荒瀬英俊アナ、菅原俊二アナ、村田稔アナ、鈴木紀男アナなども担当したが、私は何と言っても金曜日担当の「かぐや姫」こと「竹野美智子」アナが大好きだった。それは私が中学3年生の時で、高校受験の合間に聴いていた、いわば「心の支え」だった。
 しかし、残念なのは、1979年の4月から1980年の3月までという僅か1年しか担当しなかったことだ。なのに、県内の中高生のハートをがっちりつかみ、人気が高かった。可愛らしい声と話し方は一度聞けばラジオの前に釘付けになるほどで、特に、リクエスト募集のジングルが笑えるものだった。

 歌舞伎のような囃子に乗って、かぐや姫が「ずずっ~と近くへ 遠慮はいりませぬ よろしいですか では参ります 紙と筆をお持ちくださいませ リクエストの宛先を申し上げまする」と色っぽくアナウンスするが、その最中に歌舞伎役者の掛け声で「よぉ~」とか「はっ!」とか割り込む。これが傑作で夜中なのに大爆笑させられたものだ。あれから40年が経ったなんて信じられない。

 彼女の最後の放送音源が「県外の方が録音したようで、かなり雑音が入っているが残っている。それを聴いてほしい。

 Part2の続きはコチラ

 実は私も全く同じ放送(かぐや姫の最終回)を録音していた。かなり音質はクリアで、放送終了後、何回も繰り返し聞いたものだが、そのカセットテープは今はどこに行ったかわからない。たぶん、母親ががらくたと思って処分したに違いない。母親というのは子どもが大事にしていたものでも、勝手に捨てる性分のようで、それで何度も親子関係が悪くなったものだ。

 この「夜をぶっとばせ」は1984年8月の番組終了まで12年2か月続いた。後継番組の「ミュージックストリート夜はこれから」は振るわず、僅か1年8か月で終了となった。

 2 「ルーテルアワー・カプセルメイト」

 平日の深夜0時から放送していた。野田町にあるカトリック系の教会の牧師を中心にキリスト教の聖書に基づく教えを説いていた。私はキリスト教徒ではないが、その時間だけは毎回、神聖な気持ちにさせられたものだ。1970年代は、あまり宗教に凝る人など少なく、どちらかというと異質に思われた時代だった。そんな中、布教活動を行い、長く続いた長寿番組だった。ナレーションは「青木淳」さんが担当していた。口調もゆったりし、一言一句が丁寧で、さすが神に仕えし人物だと感心したものだ。
 
 最終回の音源は→コチラ (ログインが必要です)

 
 3 「たむたむたいむ」

 これは「ニッポン放送」で放送していた「かぜ耕士」の番組ではなかったように思っている。確か、地元の高校の放送部(女子高生)や大学生っぽい人が番組MCを担当していた10分間番組だった。最近の流行や関心がある話題をチョイスし、雑感めいたことを気ままにしゃべっていた。
 私の記憶では23時10分から放送していたと思うのだが、「weblio」によると、1975年当時、ラジオ福島では22:25から20分間の放送だったようだ。

 こんな番組だったと思う→コチラ

 4 「魅惑のニューディスク」

 1970年代の後半から1980年代頃まで、平日の「夜をぶっとばせ」の後、午前1時から放送していた音楽番組。現在もフリーアナウンサーとして活動され、NHK-FMで「歌謡スクランブル」のパーソナリティーを担当している「深沢彩子」アナウンサーが担当していた。落ち着いた大人っぽい妖艶な口調で、深夜には打ってつけの人材だった。
 彼女は早稲田大学教育学部を卒業され、佛教大学の大学院で修士課程を修了されるなど、学問に長けており、大学で教鞭を執られていた経歴を持つ。

 5 「福島のむかし話」

 1979年10月に放送を開始したラジオ福島のラジオ番組。現在は「ORANGE TIME」に内包されている。2012年5月24日に放送1万回を迎えた看板番組。こちらは番組名こそ「おばあちゃんのむかし話」と変わったが、昭和の頃から長く続く、福島県に纏わる民話」を福島弁丸出しで独特な語り口調の語り部である「森和美」さんが担当している。オープンニングのBGMがまた郷愁を誘う曲調。ほっこりするような、どこか懐かしくて田舎のお袋を思い出させてくれる。

 6 「RFCエキサイティングナイター」

 私が小学生の頃から聴いていた「プロ野球」の巨人戦のナイターを中継していた。時間帯は18時頃から21時頃まで。試合時間の延長によって21時半頃までは放送を延ばしていた。特に入浴中に古いラジオで聴いていた。
 景気のいいオープニングは今でも鮮明に記憶にあるし、私が覚えているのは二死満塁の絶体絶命のピンチの場面で、巨人の関本四十四投手が三振に斬ってピンチを脱した場面だった。緊迫した中で湯船につかりながら聴いていて、胸をなでおろした記憶がある。
 この中継中に私が好きなCMがあった。たぶん県内の自動車学校の宣伝で、それに使われてた歌が心地よかった。最後に「♪遠く~と・お・く~♬」と歌い上げる歌詞だった。今でも何のCMだったかわからない。可能性としては「郡山自動車学校」か「富久山自動車学校」かなと思うが、自信はない。

 ほかにも名物だった番組で懐かしいものは数多ある。

 ・「おはようカーですコロナです」・・・時代を感じる。コロナは廃盤になったが、ミドルカーとしてTOYOTAの主力だった。
 ・「コルニエツタヤでこんにちは」街角からの中継だったり、収録を行っていた。
 ・「土曜deゴンザレス」内容は覚えていないが、こういう名前の番組があったことは覚えている。
 ・「おはようチエちゃん」私が20代の頃、いわき市に勤務していた際、植田にあった「スナック麗」によく行ったが、そこの元気溢れるマ マ。私が郡山に引っ越した後、私の結婚式に「祝電」を打ってくれたほど、優しい人だった。まさかその後、ラジオに大抜擢されるとは・・・。「鏡田辰也」アナとのコンビで平日の昼下がり、「ハッピーチエちゃん」というコーナーもあった。 
 ・「さわやかマイタウン」
 ・「レインボーカラオケ歌合戦(エンドーチェーン提供)」まだ福島のまちなか広場に「エンドーチェーン」があった頃に、このデパートを提供とした番組で、中継を結んでいろんなイベントをやっていた。

 最近では、夕方に放送していた「ラジオいっぷく堂」や手塚伸一の「夕焼け番長!」などは車で帰宅する際によく聴いていた。
 

 6 その他 
 
 自主制作番組ではないが、「ラジオ福島」でネットしていた番組で印象に残っているのは以下の番組だ。

 ① 「日立ミュージック・インハイフォニック」(平日夜10時)
 ② 「田原俊彦の恋の気分はShe says do!(資生堂)」(平日夜11時)→その後「ひかる一平」が担当
 ③ 「岩橋修平のなんとか旅」タイトルは詳しく覚えていないが、平日の夜11時20頃から10分程度の放送だった。「たむたむたいむ」に続いて放送していた。

 ところで、旧ブログ、当ブログで何度か取り上げたが、私が中学時代には空前のBCLブームが起こり、それに伴い受信報告書を送ると各放送局特製のオリジナルデザインの「ベリカード」を貰う趣味が一世を風靡した。短波放送対応のオールバンドラジオも売れに売れた。テレビと同じくらい若者は深夜放送を中心にラジオを聴いたものだ。せっかく苦心して、金と労力を使って集めた100枚以上の「ベリカード」も、知らないうちに母親に処分されていた。

 私もBCLにハマった一人だが、かつて「ラジオライフ」とか「アクションバンド」なる書物を読み漁って、全国各地、あるいは短波放送で世界各国のラジオ放送を聴いてはベリカードを集めたり、アマチュア無線の免許を取得し、ハンディタイプの無線機を改造し、消防無線や航空無線の交信を傍受したりしていた。学生時代に東京に住んでいた頃は、私の友人などはデジタル化される前の「警視庁」の無線を聞いていたようだ。特に、土曜日の夜はひっきりなしに110番通報が入り、通信指令室が入電後に各所轄へ出動要請する内容を聞いて、東京のどこでどんな犯罪が発生したか「一聴瞭然」だった。現在はもう暗号化され、聴くことは出来なくなっている。 
 そんな時代にあって、「ラジオ福島」は私にとって心のよりどころになった時期が確かにあったのだ。今でも長く続く名物番組も多く存在して、何やら嬉しくなる。
 続いて、ラジオ福島の昭和時代から続く名物番組を紹介したい。

 「昼の希望音楽会」(月~金の午前11時)
 「グリーンメロディ―」(月~金の正午)
 「歌のない歌謡曲」(月~金)現在は「レディ・オン」の中のコーナーのひとつとして放送中
 「農家の皆さんへ」(月~金の午前5時15分)
 「お母さん教室」(月~金の午前9時40分)
 「おばあちゃんのむかし話」(月~金の午後6時20分)
 
 これらは相当年数が経過した長寿番組で、今も生き残っているし、それらのBGMもしっかり耳に残っている。そして今でも「交通情報」や「天気予報」、「地元のニュース」などを中心に聞いている。何かと有用な情報をリスナーにもたらしてくれる日常のライフパートナーなのだ。

 ではここで少し残念な話題に触れなければならない。もしかすると、局の関係者はあまり触れて欲しくないかもしれないが、「ラジオ福島」に関する記事を執筆する時には絶対に欠かせない話だ。決して興味本位で記すものではないことをお断りしておきます。

 もう知る人も少なくなったと思うが、6月6日と言えば、かつて「ラジオ福島」の新進気鋭の女性アナウンサーが在職中に殺害されるという痛ましい事件が起きた日だ。私は26年経った今でもその事件を知らせるニュース映像を覚えているし、脳裏に焼き付いて離れない。

 それは忘れもしない平成6年6月6日という、不吉な数字である「6並び」の日に悲劇が起きた。その前年の4月に入社したばかりの新人アナウンサーだった「廣瀬真弓」さんが、大学時代からの先輩で、交際相手だった「奈良テレビ」の25歳の報道記者Nに包丁で刺され殺害されたことを伝える一報だった。死因は急所など十数箇所を刺されたことによる出血多量での失血死。

 その記者は別れ話のもつれから復縁を迫るため、前日の5日から休暇をとり、わざわざ奈良県から福島市まで車でやって来た。しかも犯行に及んだ場所は、職場である下荒川8番地の「ラジオ福島」が、本社の南向いに社員の女子寮として借り上げていたアパートだった。その2階にある自室にて彼女は凶行に倒れた。今でもそのアパート自体は残っている。おしゃれな名前の4世帯が入居できるアパートが2棟並んでいるが、西側の建物だ。そして殺害現場となったのはその建物の2階の東側の部屋。

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 事件が起きたのが平成6年6月6日(月)。映画「オーメン」に登場する悪魔の子「ダミアン」が頭に「666」のアザがあったことで、これが不吉を表す凶数として忌み嫌われるようになった。それを奈良テレビのN記者が狙ったかどうかは不明だが、偶然とはいえ、このような事件が実際に起きたことで私は言い知れぬ恐怖心を抱いた。

 当時の事件を伝える地元新聞の記事 (*画像クリックで大きくなりますが、閲覧は自己責任でお願いします。)

福島民友新聞(平成6年6月6日の夕刊)

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福島民友新聞(平成6年6月7日の朝刊)

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福島民報新聞(平成6年6月7日の朝刊)

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 彼女自身は、亡くなった日の6月6日から3日間、休暇をとり、郷里の埼玉に帰省する予定だった。その前日、かつての交際相手(元カレ)が突然に目の前に現れるとは想像していなかっただろうし、埼玉県出身だった彼女が赴任先の地でまさか命を奪われるとは考えもしなかった筈だ。予想だにしない事件によって、そこで命を落としたわけだが、凶器となった文化包丁で全身十箇所以上も刺された後、死ぬ間際に、彼女は恐怖と共に薄れゆく記憶の中で、一体何を思ったことだろう。この世に未練はあっただろうし、その後もいろいろな人生経験をするはずだったに違いない。わけがわからないまま死んで行ったのかもしれない。その記者自身も除光液(ベンジン)を飲み、お湯の張った浴室で左手首を切って自殺を図ったが死に切れず、意識朦朧の状態で搬送され重体となった。警察の調べでは、どうやら別れ話のもつれによる記者の一方的な無理心中とのことだが、その後、その記者は怪我の回復を待って殺人容疑で逮捕された。

 ラジオのアナウンサーだったこともあり、私自身は彼女の顔までは存じ上げなかったが、廣瀬真弓アナは、その2か月ほど前、ラジオ福島の午後ワイド「RFCワイド午後1番」の「いってみっカー中継」に出演したのだった。確か開成山公園から桜の花見の様子をリポートしたり、新人離れした度胸の良さで、自分を「歌姫」と称し、カラオケを3曲歌うなど、これから活躍が嘱望されていた。しかも、無事に社内研修を終え、6月から「あぶくま洞を訪ねて」、「週間ラジオライブラリー」などのレギュラーを担当し始めたばかりだった。地方のラジオ局アナウンサーが23歳という若さで命を絶たれたことは世間に衝撃を与えた。

 同局の大和田新アナウンサーの「Facebook」に掲載されていた彼女の写真を引用させていただきます。

Hirosemayumi  

 その記事と当時の新聞記事によれば、亡くなった彼女の第一発見者は、ほかでもない大和田新アナウンサーご自身だったということだ。彼女の下の部屋に住んでいた同僚が、「助けて!」という叫び声を聞いて、大和田アナを呼び、マスターキーを使って室内に入った時には、彼女はパジャマ姿のまま、すでに亡くなっていたという。冷たくなって変わり果てた彼女を見つけた時のショックは想像を絶するし、大和田アナは、廣瀬アナの入社当時のアナウンス部長だったことで、彼女を守れなかったことを死後20年経っても悔やまれている。そして彼女の命日には合掌を欠かしたことはないそうだ。

 大和田新アナの「Facebook」はコチラ 

 写真を見ても当時、流行っていたであろう「ソバージュ」がよく似合うべっぴんさんだったことがわかる。

 同僚であり、先輩アナウンサーだった「大和田新」アナウンサーは、ここまでの事件のあらましなどは心情的に書けないと思うので、「ラジオ福島」のファンで、足掛け45年の長きに渡って放送を聴いて、同局への思い入れと想い出がたくさんある私が代筆させていただきました。

  あれから26年。まもなく今年も彼女の命日となった6月6日が訪れる。たぶん局内では追悼のために黙とうや何らかの供養は行うであろうが、このようなことは二度と起こってはならないし、風化させてはならないと考え、あえてここで取り上げました。

 謹んで彼女のご冥福をお祈りしたいと思います。

  なお、余談になるが、あと4年後に、令和6年6月6日と6並びの日が再びやって来るが、奇しくも彼女が天国に旅立って、ちょうど30年という節目にあたることになる。「ラジオ福島」のリスナーの方なら、彼女が確かに「ラジオ福島」のアナウンサーとして活躍していた時期があったことをどうか心に留めておいてほしい。彼女のアナウンサーとしての生き様は福島県民にしか知り得ないし、語れないからだ。ずっと忘れないでいること、それが彼女の一番の供養になると思うからだ。

 話を変えるが、「ラジオ福島」に関する個人的なことでは、中学生の頃、郡山市民会館(麓山)で行われたRFCの公開録音のイベントに友達と行って、景品が当たるくじ引きがあって、たまたま私の番号がアナウンスされて、ステージ下まで景品を引き換えに行ったことがあった。その時のアナウンサーの名前はわからないが、男性アナウンサーが、私の服装(Tシャツに野球帽)を克明に伝えていた。客は100人もいなかったが、恥ずかしい感情しかなかった。貰ったのはたぶんマグカップか何かだったと思う。そんな出来事もあったことをふと思い出した。 


 さて、今日は「ラジオ福島」の懐かしい番組を自分なりの感慨を込めてお送りしました。私とラジオの関わりや結びつきはことのほか強いことを今更ながら実感した次第だ。ここ郡山には、その後、「ふくしまFM」が開局したり、「ココラジ」なるコミュニティFMも開局して、リスナーの選択の幅が広がったが、私は常に車のラジオは「ラジオ福島」にロックオンしてある。自宅ではCDラジカセを持っていないので、聴かなくなったが、時々スマホの「radiko」で聴いている番組があるし、「どがらじ」で録音している番組がある。特に15分程度だが、朝夕の車での通勤には欠かせない。
 もう半世紀近くも慣れ親しんだ放送局で、番組のコンセプトなども熟知している私にとって、安心して視聴できる唯一のラジオ局だ。これからも県民に寄り添う放送局であってほしいと願い、結びとしたい。

  RFCラジオ福島の「菅原美智子」アナによる「クロージングアナウンス

2020年5月21日 (木)

福島県の女子アナ事情(FCTの長江アナ・菊竹アナの場合)

 私は暇さえあれば「YouTube」などの映像を観て過ごしているが、いろいろな動画を探っていると、思いがけないものに巡り合ったりする。今日は、偶然出会ったビックリ映像からお送りしたい。

 1 福島中央テレビの長江麻美アナが「テレ朝」でニュースを伝えていた!

 日本テレビ系列の福島中央テレビ(FCT)。その女子アナの長江アナと言えば、現在、石井アナと共に元気いっぱいに「ゴジてれchu!」のMCを務めているが、どういうわけか過去に、日テレ系列ではない「テレ朝」の「ANNニュース」でキャスターをしていた!愛知県出身の彼女が、FCT入社前にANNのニュースを担当していたようだ。
 調べてみたら、学生時代に「テレ朝」のアナウンススクールに所属していた時に、BS朝日の「Access」というニュース番組で、学生キャスターを務めていた。大学卒業後、FCTに正式採用となったようだ。
 偶然にブログネタを探して「有名人の訃報」のニュースを調べていたら、6年前に俳優の菅原文太さんが亡くなったことをニューススタジオから生放送で伝えていた。アナウンサーはこのように、学生の頃から、そして他局でバリバリ経験を積んでいる方が多いのだ。

 例えば、私がお気に入りだった平川紗英アナは、学生時代から「ボイスワークス」に所属し、プロ野球ニュースなどを伝えていた。そしてNHK福島放送局で夕方の「はまなかあいづToday」のキャスターを2年間担当し、昨春、福島を離れ、現在は「テレビ埼玉」に契約アナとして「テレたまニュース」などを伝えている。
 また、FCTの畑山弥保アナとFTVの松永安奈アナ、我如古梨乃アナは、共に福島県に来る前は「NHK沖縄放送局」に勤めていた。また、去年の春まで「サタふく」MCだった福盛田悠アナは、現在、お隣りのミヤギテレビ(日本テレビ系列)でアナウンサーをしているし、またラジオ福島の美人女子アナだった「菅原咲子 」アナは、現在、出身地の秋田テレビで活躍されている。彼女はフジテレビの「鈴木唯」アナウンサーに似ている気がする。

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 実際は契約アナよりも正社員として入社したほうが断然給料が良いらしい。契約アナは派遣社員と同じで、出演本数あたりいくらみたいな歩合制で、ボーナスも安いらしい。正社員はその点、基本給が保証されていて、安定しているし、数年で契約切れとなることもない。だからFTVの坂井有生アナや浜中順子アナ、かつての看板アナだった原國雄アナ、高橋雄一アナ、藺草英己アナのように長く勤められるのだ。
 契約アナは最初から「〇年契約」と決まっていて、満期が来れば1年だったり、2年程度で退社となってしまう。そこに視聴者の意向はないようだ。
 私が好きだったTUFの梅田澪理アナ、FTVの名切万里菜アナも数年で福島を後にした。美人アナだった名切アナは、郷里のNHK長崎放送局でキャスターを務めた後に福島に来たが、2年間だけの在籍で、せっかく県民にも馴染んだ頃にいなくなってしまった。それは平川アナも同じだ。

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 ついでに先輩の小野紗由利アナからどっきりを仕掛けられる長江麻美アナの映像をどうぞ!

 ところで長江アナは色白なのだが、やっぱりO型だった。私は同じO型のフジテレビの三上真奈アナウンサーに似ているとずっと思っていた。彼女は日本酒が大好きで、相当強いことで知られている。体当たりロケや食レポも上手だが、一度、カブトムシの幼虫グミを食べさせられたことがあるが、その時はそうとう嫌がっていた。

 でも、最近は先輩アナウンサーである小野アナをあまりにもいじったり、いじめる発言に終始している。生放送中に内輪もめをしているようであまり観ていて感じ良いものではない。本人にはその気が無くても、小野アナは内心、結構グサッと来ていると思う。長江アナのようなO型の無神経さではA型の繊細な部分は感じ取れないのだろうと思うが。

 2 「人気爆発の菊竹桃香アナ」

 ところで、福島県の民放局「福島中央テレビ」には、入社2年目ながら人気者となっている女子アナがいる。小柄ながら超キュートで元気ハツラツの女子アナだ。ひと目見ただけで、可愛らしい彼女の魅力に吸い込まれること請け合いだ。夕方の「ゴジてれchu !」に隼レギュラーとして頻繁に登場するが、彼女が出演した日は、1年前に当ブログで新人アナとして紹介した時の記事にアクセスが殺到する。

 その記事はコチラ → 「FCTの新人アナ・菊竹桃香、畑山弥保

 菊・竹・桃が名前に使われ、一見、芸名のような印象を受けるが、実は本名だ。この菊竹アナは、バリバリの新卒で昨年、FCTに入社し、その可愛らしさから地元では人気が爆発している。夕方の自社制作の番組「ゴジてれchu!」でリポーターやグルメ情報などを伝えている。最近は「おウチ時間盛り上げ隊長」を務めた。

 では、直近の5月17日(日)の「ゴジてれSUN×SUN」に出演し、ニュースを伝えた時の模様を画像でどうぞ!

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 さらには1年目に「全国ラグビー応援サポーター」に就任した時の模様をどうぞ!

 彼女はおっとりしているように見えるが、実は早稲田大学卒のエリート。血液型はO型特有の小顔で色白。バイタリティーの塊で、常に先輩アナの長江アナと同様、元気いっぱいで愛嬌もたっぷりだ。お茶の間をほっこりさせてくれる太陽のような存在。
 今年24歳になる新進気鋭のアナウンサーだ。東京都足立区出身で、早稲田大学のミュージカルサークルで活動していたアクティブ少女でもある。私は、彼女はFCTの至宝だと考えているが、実は彼女は「契約アナ」なので、いつ契約が満了して福島県を去るかわからない身なのだ。ぜひ長く福島県にいて、お茶の間に癒しを与えてほしい。
 

 さて、タイトルからはかけ離れたが、福島県内には4つの民放放送局(FTV/FCT/KFB/TUF)があるが、特にFTVは契約アナが多く、入れ替わりが激しい。テレビ金沢から福島テレビに移籍して来た「小田島愛」アナも1年しか所属しなかった。
 その点、FCTは長く採用しているので、少しは安心だ。TUFは美人アナが多いことでも知られる。小野アナ、出口アナ、小湊アナ、柗井アナ、そして新入りの安部遼(はるか)アナなどいずれも美人揃い。TUFはかつての唐橋ユミアナ、山田幸美アナ、上條麻里奈アナ、梅田澪理アナ、東優花アナ、釜井美由紀アナなど美人を採用して来た局だった。顔で採用しているのかと思えるほどだ。
 しかし、福島県の民放放送局の9割方は県外出身者で占められている。地元の女子アナはTUFの小野美希アナ(会津若松市出身)、FCTの小野紗由利アナ(いわき市出身)、KFBの猪俣理恵アナ(会津若松市出身)、FTVの菅家ひかるアナ(喜多方市出身)と幡谷明里アナ(天栄村出身)くらいしかいない。

 縁があって福島県に赴任した方々にエールを送るとともに、できるだけ長く務め、福島の現状を伝え、そして「福島愛」を持って活躍して欲しいと願う。 

2020年5月16日 (土)

会津人の魂「白虎隊」

 今日は、私がこれまで生きてきた中で一番好きな時代劇をお送りしたい。

 今から30年ほど前まで、年末と言えば日本テレビ系列で放送していた「大型時代劇」があった。第一弾が1985年放送の4時間の大作「忠臣蔵」だったが、翌年に上映されたこの「白虎隊」はなんと、二夜連続で合計6時間の超大作であった。

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 主役の会津藩国家老の西郷頼母役に「里見浩太朗」を据え、長老の井上丘隅役に今は亡き「国民栄誉賞」俳優の森繁久彌が鎮座していた。キャストも超豪華で、残念ながら今では34年も前のドラマのためか、鬼籍に入られた名役者たちが多い。
 まずは、ダイジェスト版をどうぞ!

 あらすじ

 前編「京都動乱」文久2年(1862年)、会津藩主松平容保が西郷頼母の猛反対を押し切って京都守護職を拝命し、孝明帝から信頼を得て京都での活躍、「新選組」の結成、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでの形勢逆転の大敗北。徳川幕府の裏切りによる会津帰国を経て、白虎隊の誕生までを描く。
 後編「落城の賦」慶応4年の戊辰戦争の中、恭順姿勢も空しく朝敵の汚名を背負い会津戦争へ突入。白虎隊切腹、娘子軍の戦死、藩士家族の集団自刃、そして鶴ヶ城開城。井上丘隅ら生き残った藩士は斗南藩へ移封(という名の一藩流罪)となり、新しい時代へと歩んでいく。

 この動画を見ただけでも気づいたと思うが、会津藩だけでなく、西軍(長州藩・薩摩藩・土佐藩など)役の俳優の多くが亡くなられている。まずはこの動画だけでも誰がいるか列挙したい。

 1 夏八木勲(新選組・近藤勇役)
 2 中川勝彦(新選組・沖田総司役)
 3 佐藤 慶(会津藩・田中土佐役)
 4 森繁久彌(会津藩・井上丘隅役)
 5 丹波哲郎(会津藩・神保内蔵助役)
 6 坂口良子(会津藩・野村ちか子役)
 7 田中好子(会津藩・山本八重子役)
 8 長門裕之(会津藩・篠田兵庫役)
 9 竹脇無我(会津藩・野村左兵衛役)

 いずれも日本の映画界、テレビ業界を長年支えて来た名優たちだ。

 動画以外で亡くなられた俳優

 高品格、中康治、加藤嘉、山岡久乃、南田洋子、有川博、奥村公延、大塚国夫、中原早苗、荒木しげる、杉山義法、松山英太郎、井上昭文、井沢一郎、石田信之

 さて、このドラマが放映されて、会津は多くの観光客で賑わった。それはこのドラマが涙、涙の感動シーンの連続だったからだ。ハイライトは「白虎隊士」の飯盛山での集団自刃シーンだが、それ以外にも会津藩士とその家族たちの苦悩が余すことなく描かれている。神保修理役の国広富之の切腹シーンや西郷一族の自決シーン、更には池上季実子が演じた神保雪子の覚悟の自決シーン、槍の名手、中野竹子の戦死シーンなどどれをとっても涙無くしては見られない。御国のために戦って立派に死ぬ。「ならぬものはならぬ」。「義に死するとも不義に生きず」。これぞ会津魂の本懐だ。


 何を隠そう、私の祖父・祖母は会津出身。私にも会津人の血が受け継がれている。このドラマはDVDを持っているし、VHS時代に録画したビデオを繰り返し何度も見て、その度に感動を覚えるし、亡き俳優たちの名演技に在りし日の横顔を偲ぶ。
 そして、堀内孝雄が歌った主題歌「愛しき日々」もまた泣かせる。私のカラオケの十八番しているが、このメロディーを耳にするたびに涙腺が緩む。
 この大型時代劇が放送されて以降、おそらく会津には100回以上訪れている。ロケ地や歴史上の人物のお墓参りも随分して歩いたが、魅力あふれる土地柄で、何度足を運んでも飽きることはない。新型コロナ騒ぎが収まったら、また訪れ、飯盛山で白虎隊を偲び線香を手向けたいと思う。
 
 現在、ご活躍中の里見浩太朗、西田敏行、竜雷太、中村雅俊、風間杜夫、多岐川裕美、野川由美子、上村香子、国広富之、池上季実子、露口茂、田中健、石橋正次、近藤正臣、あおい輝彦、勝野洋、赤座美代子ら名俳優にはこれからもお元気で数多くの作品にその名を残して欲しいと切に願う。

 「白虎隊」を取り上げたテレビドラマはほかにも2007年制作の山下智久主演の「白虎隊」、2013年の「白虎隊~敗れざる者たち~」、そして「NHK大河ドラマ」の「八重の桜」などいくつかあるが、私は34年経過した今でも、この年末大型時代劇が最高峰だと思っている。ぜひ皆さんもご覧いただき、亡き名優たちを懐かしんでほしいと思う。

2020年4月23日 (木)

心を打つ藤井貴彦アナウンサーの言葉

 日本テレビの夕方のニュース報道番組「news every.」の中で、同番組のキャスターを務める「藤井貴彦」アナウンサーの含蓄ある熱い言葉が視聴者に感動を与えている。
 ここ福島県では「ゴジテレchu!第1部」終了後にいったん全国放送に切り替わるが、16:50過ぎからのニュースの中で、新型コロナ関連のニュースの際に、毎日、視聴者に切々と呼びかけるように、時には優しく諭すように語り掛けるフレーズに注目が集まっているのだ。それは決して上から目線ではないし、批判的な物言いなどでは全くない。人間性溢れる藤井アナの語り口調が共感を呼びよせているのだ。

 ではいくつかを紹介したい。

 「このようなところで失礼しますが、自粛やテレワークができるのは、物資を届けてくれる方、スーパーに並べてくれる方、レジを打ってくれる方、こういった皆さんのおかげです、感謝申し上げます。」(4月3日)

 「3日後の未来は変えられませんが、2週間後の未来は変えられます。皆さん対策をとりましょう。」(4月6日)

 「今日の東京都の感染者140人超だけど、これは2週間前に感染した人数だから動揺しないで。今日努力した結果は2週間後に出るものだから、今日できることをみんなで頑張りましょう」(4月8日)

 「医療関係者の方々、物流を支えてくださっている方々、ありがとうございます。早くこのトンネルを抜ける為にも皆さまのご協力を引き継ぎよろしくお願いします。」(4月12日)

  政府の10万円一律給付が発表された日

 「皆さんの手でしか感染は食い止められません。私たちの努力が、この事態を終息することができるのです。外出を自粛し感染拡大を防止しようとする皆さんの努力は10万円より価値のあるものです」と発言。いつものように「今日の自粛は、2週間後の未来を作ります」と呼びかけ、最後に「皆さまのご協力をなにとぞよろしくお願いいたします」と頭を深く下げた。(4月13日)

 緊急事態宣言発出後に繁華街で外食している若者に対して

「ここから先は少しずつ、緊急事態宣言後の私たちの行動が形となってあらわれてくることですが、大切なのはその先です。2週間後の未来を変えられるようにご協力をお願いします。命より大切な食事会やパーティーはありません。どうぞよろしくお願いします」。(4月14日)

 医療現場の最前線で働く医療従事者に対する風評被害に対して

「私も20年以上富山で働いてきた医師に話を聞きましたが、今病院で働いているだけで、厳しい目で見られる現実があるそうです。医療関係者も一人の人間です。初めて出会う患者の命を必死に救っています。冷たい視線は今すぐ温かい支援に変えなければなりません」(4月15日)

 週末STAY HOMEで過ごす方々へのメッセージ

 「この土日、デリバリーや宅配業者を利用する方も多いと思います。受け取る人も届ける人も、それぞれの不安があると思います。感染防止を徹底した上で、一言お互いに“ありがとう”と言えたらホッとするかもしれません。たくさんのものを我慢して諦める日々を過ごしていますが、他人を思いやる心まで失わないでいること。これが大切です。重ねて、この土日の皆さんのご協力もどうぞよろしくお願いします」
(4月17日)

 週末に渋谷や銀座など都心で人が減った一方、観光地や世田谷区の駒沢公園などには、多くの人が集まっていたニュースの後

 「今、緊急事態宣言を受けて、自分を律している人ほど観光や遊びに出ている人を腹立たしく思うかもしれません」「しかし、皆さんのような人がいるからこそ、欧米のような医療崩壊が防げています。今はみんなの足並みがそろわなくても、その姿勢は必ず誰かの行動を変えるはずです」と、外出自粛に努めている視聴者に寄り添うように語った。
 「そして、全国にはまだ感染者の少ない地域も多くあります。不用意に生活エリアを超えた移動をしないこと。これが誰かのふるさとを守ることにつながります」と穏やかな口調で呼びかけた。(4月20日)

 この言葉が一番琴線に触れた。民放テレビのニュースキャスターが己の言葉でこれほど視聴者に語りかけるように呼びかけるのを初めて見た。「自分は感染しない」などと自分本位の判断で、我慢できずに越境してパチンコにのめり込んでいる人は、やはりどこか他人事で、状況認識が甘いと言わざるを得ない。万が一感染したら、最低二週間は入院や経過観察で監禁生活に陥る。好きなパチンコどころではない。今は藤井アナの言う通り、ぐっと堪えて自制の生活を送る時。たったひとりの身勝手な行為が、取り返しのつかない事態を招くこともあるということを原点に立ち返って考えてほしい。

 都内の感染者数が123人と発表されたこの日

 「今日は緊急事態宣言の発表から2週間がたった日ということになりますが、この間の皆さんの行動が反映されている数字です。ただ、感染した皆さん全てが油断をしていた訳ではありません。感染された方が軽症であることを心から願っていますし、当面の緊急事態宣言、5月6日まで続きます。大切なのはこの先です。あと2週間後、5月6日を仮の区切りとして、この後も皆さんのご協力をお願いします」と訴えかけた。(4月21日)

  東京都の新たな感染者を132人確認したこの日

 「今日の132人という数値は、爆発的な拡大とまではいえない数値であり、自粛を続けている皆さんの努力が一定程度数値を抑えつけています。ただ、ここで気を緩めてしまっては、これまでの皆さんの努力が輝きを失いかねません。2週間後の感染者をもっと減らせるように今日も引き続きご協力をお願いします」と呼び掛けた。(4月22日)

 視聴者や医療関係者、運悪く陽性反応が出た患者たちに寄り添いつつ、一方では陰性でも油断せず、自らを律した行動を呼びかける真摯な姿に感動を与えている。

 さて、その今、注目の藤井貴彦アナウンサーはどのような方なのか調べてみた。

Fujii


 1971年12月3日、東京都新宿区生まれの48歳。慶應義塾大学環境情報学部卒。
 血液型はB型。身長は181cmある。

 1994年に日本テレビに入社。同期には後にフリーアナウンサーに転身した羽鳥慎一がいる。
 入社後はスポーツ中継からバラエティ番組まで幅広いジャンルの番組で活躍。
 2010年3月29日スタートの『news every.』のメインキャスターに就任。

 

 堅苦しさが定番のニュース報道番組で、視聴者に向かってこのような自身のコメントや雑感を呼びかけたり訴えるアナウンサーは少ない。夜間のニュースステーションの久米宏アナなどはよくカメラ目線で話かけた先駆者だが、その後、NHKニュースで「武田真一」アナも同様な手法で訴え、特に女性視聴者を中心に共感を得た。今、新型コロナウイルスによって生活が行き詰まり、社会全体が閉塞感に苛まれている中で、このような国民目線で、切々と呼びかけるスタイルは、視聴者の反響と支持を集めているのも理解できる。
 彼の根底にあるのは、今の厳しい状況下で、国民が一丸となって協力し、この苦境を乗り越えたいという強い信念の現れのように思える。彼のこうした呼びかけは、営業や外出を自粛し、「STAY HOME」を余儀なくされ、歯を食いしばって頑張っている個人事業者や学生、主婦の方々、さらには昼夜を問わず、最前線で「命」を守っている医療従事者へ確実に届いている。

 

2020年4月22日 (水)

私が思うお宝映像②

 だいぶ前に同名のタイトルの記事を書いたことがある。少し間が空いたが、今回はその続編。私のテレビ好きは筋金入りだが、やはり昭和の学生時代の頃の映像が記憶にある。あの頃は家庭用ビデオはあまり普及しておらず、だから余計に脳に刻み込もうとしてそのシーンを鮮明に記憶したものだ。
 では私が思うお宝映像を動画サイトから探し出し、3つお送りしたい。あまり多く紹介するとぶれるし、あまり重みが無くなると考え、敢えて3本に絞りたい。

 松山千春 「季節の中で」

 私が中1の時だった。シンガーソングライターと呼ばれる方たちがニューミュージックブームを切り開いていた時代。その当時、テレビでは「ザ・ベストテン」という歌番組が大流行していた。確か毎週木曜日の21時からTBS系列で放送していた。司会は久米宏と黒柳徹子のゴールデンコンビ。ここにランキングされる曲は、その時代を代表する大ヒット曲ばかりだった。追っかけ中継や「今週のスポットライト」など見どころ満載で中高生を中心に高視聴率を稼ぎまくっていた。
 そんな中チョコレートのCMに使われたこの曲が1位に輝いた。しかし、彼の路線はテレビではなく、コンサート(今でいうLIVE)がメインだったため、自分のポリシーをファンに意思表示するために、たった一度だけ、中継映像で切々と語った。私は当時中1で、翌日、学校で大きな反響があった。

 

 「8時だョ!全員集合」の学校コントのゲストがすごい!

 1970年代から80年にかけて16年間もお茶の間の支持を得たお化け番組だった。最高視聴率は50%を超えたこともあり、今では二ケタ(10%)を越えたら万々歳という時代にあって、それは驚異的な視聴率を記録した。今年、志村けんさんが新型コロナウイルスで急逝されたことで、昔のドリフの映像を動画サイトで見る機会が増えたと思う。「ヒゲダンス」や「夫婦コント」「じゃんけん対決」などで流行語にもなったものが多数あるが、そんな中、冒頭のコントでは、多くのゲストが出演した。
 ここで取り上げたのは「学校コント」。たぶん一番多く見たと思う。
 何が凄いかというと、女子生徒役にはなんとキャンディーズ、故・テレサ・テン、桜田淳子という豪華さだ。今では超お宝映像。この3人(組)は私が当時好きだった面々。キャンディーズは私が中1の頃に解散したので、おそらくこの映像は昭和52年よりも前のものだとわかる。当時は、スター誕生出身の「山口百恵」「桜田淳子」「森昌子」らの中3トリオ→高3トリオが大変に人気を博していた。

 夜のヒットスタジオのアイドルメドレー集

 月曜日の22時から歌謡番組など今ではあり得ないが、昭和の時代は放送していた。司会に井上順と芳村真理のAB型同士の相性抜群の取り合わせで、アイドル歌手を始め、演歌歌手、そしてニューミュージック系のバンドまで毎回ゲストが7~8組出演する豪華な番組だった。

 今回紹介するのは「アイドルメドレー」で、南沙織(現在:篠山紀信夫人)→浅田美代子(元吉田拓郎夫人)→桜田淳子(統一教会で結婚し、ワイドショーで騒然とした)→岩崎宏美→キャンディーズ→太田裕美→ピンクレディー→榊原郁恵→三原順子→柏原芳恵→薬師丸ひろ子→あみん→松本伊代(ヒロミ夫人)→堀ちえみ→中森明菜→小泉今日子→原田知世→菊池桃子→中山美穂→今井美樹→南野陽子→工藤静香→うしろ髪ひかれ隊→酒井法子→森高千里→Wink

 中にはアイドルとは言えない方も含まれているし、どうして天地真理や山口百恵、松田聖子、河合奈保子、本田美奈子、故・岡田有希子、島田奈美がいないのか不思議でしょうがないが・・・。

 さて、今日取り上げたテレビ番組は、オジさん世代の人しか理解できないだろう。若い世代は、今、こうした歌謡番組は「Mステ」くらいしかないので気の毒だ。アイドルも多人数化し、ソロでやっていけるだけの正真正銘のアイドルはいないのかもしれない。
 そう考えれば昭和の頃、学生時代にこのようなアイドルと出逢えたことは、或る意味、幸運だと言えるかもしれない。

 

2020年4月17日 (金)

高視聴率&長寿となる所さんの番組

 過去、旧ブログおよび本ブログにおいて、自分が大のテレビっ子であることはずっと公言して来た。小中の頃は、「太陽にほえろ」などの刑事ドラマやプロレスやキックボクシング、プロ野球のナイターなどのスポーツ中継、さらには「欽ちゃん」や「ドリフ」の番組に凝り、高校では「ものまね」や「漫才」、「コント」、などのバラエティ番組や「ザ・ベストテン」などの音楽番組にハマり、大学生では、夕方に放送されていた素人女子高生たちが大騒ぎした番組や深夜の時間帯に放送されていた女子大生がハッスルしたり、お色気番組などに傾倒した。

 そんな中、ひとつ疑問に思うのは、漫才やコントなどで名声を得た芸人たちが、本業を離れ、司会業や俳優などに転身していることがなんと多いことか。
 タモリ・ビートたけし・明石家さんま・所ジョージ・ダウンタウン・内村光良・上田晋也・渡部健・バナナマン・タカトシ・サンドウイッチマン・今田耕司・ロンブー淳・有吉弘行・後藤輝基 などは、漫才などの番組が減ったことも一因だろうが、番組のMCやコメンテーターでの起用が目立つ。

 そんな中、誰もが認める高視聴率男で、内容も抜群に興味深い番組を制作・放送しているエンターティナーは「所ジョージ」だと思う。彼のデビュー当時は、私が記憶している限りは、「あのねのね」と同じような路線の「おちゃらけギター漫談」風の登場の仕方だった。「パロディシンガーソングライター」を自称し、ギターの弾き語りでコミックソングを熱唱していた。それが、高田純次さんと似たおふざけキャラながら、どこか憎めない立ち位置で、あれよあれよという間にスターダムにのし上がった。特に彼の出世作はラジオの「オールナイトニッポン」だったと思う。
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 彼が手掛ける番組は、今ではすべて大当たりで、長く続く、いわゆる「長寿番組化」しているものばかりだ。彼を見ない日はないと言って過言ではない。一体彼はいつ休んでいるのか。過労死してもおかしくないように思える。番組は、1回ごとに事前に会議を持つ。取材班やロケ班が事前に撮影したものを見て、採用する映像を決めたり、コメントも或る程度決められている。リハーサルを経て本番になるわけだが、1時間番組を録るのに、相当な準備期間と撮影時間を要する。

 彼はテレビだけでもレギュラー番組を週9本も抱えている。1回で2本録りがあったとしても、ほぼほぼ出ずっぱりの状態だろう。では「論より証拠」。彼が出演し、冠番組となっているものを列挙したい。

 <毎週放送されている所さんがMCを務めるレギュラー番組>
 
 1.1億人の大質問?!笑ってコラえて!(日本テレビ)2009年放送開始だが、「どなた様も!!笑ってヨロシク」から数えれば25年目
 2.所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!(テレビ東京)2005年放送開始 16年目
 3.世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)1990年放送開始。31年目に入っている。
 4.所さんの目がテン!(日本テレビ)1989年放送開始。32年続いている。
 5.ポツンと一軒家(朝日放送・テレビ朝日)2017年放送開始。毎回高視聴率
 6.新説!所JAPAN(関西テレビ・フジテレビ)2018年放送開始
 7.所さん!大変ですよ (NHK)2015年放送開始
 8.所さんお届けモノです(毎日放送/TBS)2016年放送開始
 9.所さんの世田谷ベース(BSフジ)2007年放送開始。14年目

 いずれの番組も視聴率が高い。特に毎週日曜日、ゴールデンタイムに放送中の「ポツンと一軒家」では、週間視聴率で毎回トップ5内に入っている。そして各キー放送局を全局制覇している活躍ぶりだ。特に、日本テレビとのパイプは強く、ゴールデン番組に多く出演している。

 <不定期制作・放送番組>

 1.大改造‼劇的リフォーム ビフォー・アフター(テレビ朝日)
 2.志村&所の戦うお正月(テレビ朝日)
 3.はじめてのおつかい(日本テレビ)

 不定期であっても、毎年、あるいは毎回、私が楽しみにしている番組ばかりだ。2.のお正月特番は、志村けんさんが亡くなられてしまったので、来年以降、どうするのか気がかりだ。3年前までやっていた、2チームに分かれて昔の東京の街角を撮影した写真の場所を探すコーナーが好きだった。ほかにも黒柳徹子と和田アキ子のパチンコ対決などのコーナーもあった。

 <打ち切りになった番組>

 「所さんのニッポンの出番!」(TBS)
 
 私が大好きで毎週視聴していたが、オリンピックを前にして打ち切られてしまった。日本の文化や風習などについて、日本に来た外国人観光客に聞くインタビューがメインで、世界各国から見た日本の「誇り」や「底力」を様々な角度から検証し、日本人が気付かないこと、日本人が忘れてしまっていることを、歴史をひも解きながら、また外国人有識者の意見などから再認識していくというもの。
 打ち切りが決まった時、所さんは相当なショックを受けていた。自身も熱を入れた番組だったようだ。

 ところで、タモリさんや明石家さんまさんもそうだが、所さんが以前、番組のインタビューで話していたが、「番組作りは仕事だと思わない」「仕事だと思うと疲れるだけ」「それより仕事を趣味の一環だと思えば楽しいし、視聴者も構えずにリラックスして見てくれると思う」という持論を述べていた。確かに3人とも楽しんで仕事をしている印象がある。肩肘張らず、何かその雰囲気に飲まれてしまう。所さんの出演する番組は、バラエティが大半なので、やはり何より必要なのは「笑い」とそのための雰囲気作りなのだと実感した。

 これは私のようなサラリーマンの立場でも言えるのではないか。仕事だと思うと、責任感やプレッシャーに押しつぶされたり、逆に空回りして上手くいかない。特に若い世代は、厳しいだけではついてこない。明るく楽しい雰囲気と、これをやるとどんないい結果になるか、そのプロセスを明確にしたおけば、意欲も湧く。「これをやって何になるんだ?」という意識が多少でもあれば、どこかで無理が生じ、軋みが出てしまう。
 仕事も遊びもリラックスしてできれば最高なのだが、下手な上役がいると下は振り回されて疲れてしまう。会社によっては若者の離職率がべらぼうに高い企業もある。それは意外にも人間関係を含めた職場環境が影響していることは否めない。部下思いの有能な上司がいて、「働きやすい」環境では、誰も路頭に迷わない。
 そういう意味で、毎年、理想の上司に挙げられている所ジョージさんは、一見、おふざけでここまで来たのかと錯覚するが、その人柄ゆえの成り行きだっと、この歳になってようやく思える。

 最後に、「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」と「笑ってコラえて」の中で放送している、私が大好きなコーナーをランキングで紹介したい。

 「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」

  1位 あなたはナゼ秘境駅へ来たんですか?(安田大サーカス団長)
  2位 開かずの金庫を開けろ! (玉置さんの凄業が毎回炸裂)(ずん飯尾・金子・レッド吉田など)
  3位 驚きの遠距離通勤・通学。なぜそんなに遠くから通っているんですか?(スギちゃんなど)
  4位 所ベース おとなの秘密基地
  5位 会社を休んで逆向き列車に乗ってどこかへ行ってもませんか
  6位 我が家の困ったコレクター 
  7位 日本全国珍自販機を調査せよ!(自販機ガール)
 

 「1億人の大質問?!笑ってコラえて」

  1位 ダーツの旅
  2位 日本列島待ち合わせの旅
  3位 日本列島ちょっと昔の旅
  4位 日本列島結婚式の旅
  5位 日本列島朝までハシゴの旅
  

 新コーナーが生まれている一方で、人知れず打ち切られたものもある。1年ほど前に、アメリカの大学を受験し、3校(ペンシルベニア・コロンビア・プリンストン)に合格したイケメン男子を追跡取材する新コーナーがあった。その後、1年近く経過したが音沙汰がない。


 以上、所さんの凄さが垣間見れる記事になったと思う。しかし、俗にいうビッグ3(タモリ・ビートたけし・明石家さんま)とは一線を画しながらも、独自の「自分ワールド」を築く所さんは凄い。エンターティナーでは前述の3人に所さんと笑福亭鶴瓶を加えた5人がBIG5だと思っているが、その5人の中にA型は一人もいない。さんまがB型で、残りの4人はO型なのだ。お笑い系やエンターテイメントの分野はO型が天下をとる世界のようだ。

 この5人には及ばないものの、躍進著しいMCは・・・

 坂上忍(AB型)・有吉弘行(A型)・岡村隆史(B型)・上田晋也(O型)・浜田雅功(A型)
 
 かつてはMCと言えば、  関口宏・久米宏・堺正章・志村けん・みのもんた(全員A型)が代表だった。

 世代交代が著しい現代において、所さんの息の長い司会業としてのステータス堅持はやはりただものではない。
 

2020年4月14日 (火)

やってほしいモニタリング

 かつてフジテレビ系列で「いたずらウォッチング」というバラエティ番組があった。田代まさしと桑野信義がMCを務め、ゴールデン枠に放映され、視聴率も高い番組だった。街角で仕掛け人がいろいろなパフォーマンスを仕掛け、通行人やたまたま居合わせた素人の反応を観察するもので、いうなれば「ニンゲン観察モニタリング」の元祖とも呼ぶべき内容だった。
 ではまず、懐かしい当時の映像の一端をご覧ください。

 ナンセンスと言えばそれまでだが、バブルの頃に制作されただけに、今は個人情報保護が厳しい世の中なので、ひとりひとりに放送許可を取らなければならないため、こうした手当たり次第の一般人への撮影はあり得ない。

 では、タイトルの本題だが、私がぜひ「モニタリング」の中でやってほしいテーマを発表したい。


   「公共の場(病院・銀行・駅など)で芸能人の名を呼んだ時、周囲の反応は?」

  病院の待合室、銀行窓口、駅やデパート、遊園地のアナウンスなどで芸能人の名を呼ぶ
  たとえば、「坂口健太郎さん」「菅田将暉さん」「松坂桃李さん」「福士聡太さん」「岩田剛典さん」
  「佐藤健さん」「阿部寛さん」「木村拓哉さん」「石原さとみさん」「山本美月さん」など
  遊園地や駅の場合は「お呼び出しをいたします。東京都からお越しの木村拓哉様、お連れの小杉竜一様がお待ちです。
  至急、総合案内所までお越しください」


  ① すると周囲はざわつくはず。しかし、登場したのは彼らイケメン俳優とは似ても似つかぬおじいちゃんやおばあちゃんなどまったくの別人。その時の周囲の反応は・・・

  ② 同じように芸能人の名前が呼ばれ、登場したのは、それっぽく変装(マスクやサングラス)したまったくの別人。本人かもしれないという状況の中、居合わせた人たちの反応は? 変装しないそっくりさんでもO.K

  ③ 2人くらい芸能人の名前を呼んでそれぞれ別人が登場した後、3人目はまた異なる芸能人の名を呼んでみる。
   また同姓同名の別人かと思わせて、今回は実際に本人が登場する。その時の反応は・・・
   いきなり写メを撮りだす?そっとしておく、それともサインや握手を求める?

 

2020年3月30日 (月)

私がやりたくて出来なかったテレビ・映画のシーン

 1 授業中、机を両手で思い切って叩いて勢いよく教室を飛び出す

 私は近藤真彦と同い年なので、「3年B組金八先生」などはまさに中3の頃にやっていた。私はこれといった個性も無ければとりえもないどこにでもいる人間だったので、高校時代はつまらない毎日を送っていた。小心者で周囲を気にして自分を出せずにいた。高校の授業も退屈で、いつか校内暴力が一世を風靡していたドラマに登場していたシーンをやってみたいと思っていた。それは尾崎豊の歌ばりに、いきなり机をバーンと叩いて外に飛び出すというものだった。しかし、そこまでできる度胸もなければ覚悟も無く、「やったらどうなってしうまうだろう」と先のことばかり不安に感じてやれなかった。もしやっていtら、青春をもっと感じられて一皮むけていたのだろうか?

 2 「俺たちの旅」のオープニングのように友人たちと噴水に飛び込む水をかけあう

 1970年代に放送していた青春ドラマ「俺たちの旅」。長髪ぼさぼさでジーンズ姿の中村雅俊が出演していたNTV系列で日曜日の夜8時から放送していたシリーズドラマだ。田中健や秋野大作、岡田奈々が出演し、若さゆえの過ちや傷ついても共に支え合い仲間意識を深めていく青春ストーリーだった。
 そのオープニング映像で、その3人が吉祥寺駅前?にあった噴水の池に飛び込んで、全身ずぶ濡れになって出て来る絵があった。それを真似したかったのだが、私が住んでいた郡山市には、同じような噴水の出る池など皆無でそれは出来なかった。

 3 コカ・コーラのCM

 同窓会の帰り、かつての仲間たちと母校の小学校に忍び込み、校庭で花火を繰り広げるシーン

 それは2002年の日韓共催ワールドカップのPR用のCMとして登場した。別バージョンには「いとしのミーナ」のBGMに乗せて香里奈が出演したCMもあったが、私がやりたかったのは、夜の小学校の校庭で仲の良かったグループで花火をするシーン。実際にカラオケや飲み会、スキーやドライブなどを行う、同級生中心の10人以上の男女のグループがいたが、そこまではやれず終いだった。

 

 実際にできたシーン

 1 ナイターゲレンデの2人乗りリフトで彼女と寄り添い、頭をもたげて俺の方の上にちょこんと乗せるシーン

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