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日記・コラム・つぶやき

2020年6月29日 (月)

生きる意味

 いきなり「竹内まりや」の曲のような高尚なタイトルを付けてしまったが、今回は雑感めいた類の記事で、大言壮語するようなものではない。
 さて、歳を重ねるたびに人生とは魔訶不思議なものだと思ようになった。神が授けてくれた等しい重みの尊い命でありながら、生まれつき病に侵され、短命で終わってしまう命があれば、100歳を越えてようやく天に召される命も存在する。
 また、「憎まれっ子世に憚る」を地で行くように生き恥を晒しながらお迎えが来るのをただ待つ身の方もいる。「天命」とは言え、なんと神はいたずらに命というものを不平等に扱うのか・・・。

 私の信条として、不慮の事故等を除けば、「人生は太く短く生きる」か「細く長く生きる」かのどちらかだと考えている。たとえば、「和製ジェームズディーン」と呼ばれた「赤木圭一郎」や「石原裕次郎」、「美空ひばり」、「大場政夫」などは前者だろうと思う。細く長く生きた人は、実名を挙げると支障が出るため、控えるが、人知れず、目立たたずに細々と生きながらえている方などが該当するように思う。どちらが良いかは正直どちらとも言えない。

 ところで、「親孝行したい時に親は無し」という言葉がある。しかし、それは私は正しい表現ではないと思っている。
 赤ちゃんが誕生した瞬間に、親というのは我が子を通して最高の幸せを得ている。この世に生まれてくれたこと、そして私たち夫婦の子どもとして誕生してくれたことにこの上ない喜びと深遠なる感謝の念を感じる。

 母親は筆舌に尽くしがたいほどの文字通り「産みの苦しみ」をもって我が子をこの世に産み落とす。その苦痛は絶対に男にはわかり得ないし、「母は強し」の語源はこういう所にも表されている。母親は死ぬほどの苦しみを味わって我が子を産むのだ。だから、昔のドラマなどで反抗期の娘が、「勝手に産んだくせに」という捨て台詞を吐いた時に、母親が思わず娘の頬を平手打ちする場面があったが、それは歳を重ね、同じ境遇にならないとわかりえないと思う。場合によっては相当な難産で、母親が自分の命と引き換えに子どもをこの世に残すことだってある。

 ゆえに、母なる存在は偉大で、父親には絶対に負けないほどのありったけの愛情を我が子に注ぐ。子どももどちらかと言えば父親よりも母親になつくのはそのためかもしれない。それは学習というより本能的にそうなるのだろう。

 ところで、今回、「生きる意味」というタイトルにしたのは、毎年、様々な理由によって自ら命を絶つ方が後を絶たないことにある。「死ぬ気になれば何だってできる」と思うのは浅はかで、悩みはその立場に直面しないと到底理解できない。 他人から見れば些細で、大層なことに思えないことが、悩んでいる本人には死ぬほど苦しいことだってあるのだ。

  しかし、自身の半生を振り返ると、決して順風満帆な道のりではなかった。どちらかと言えば嫌なことが7割、嬉しかったことや幸せを感じた瞬間などは3割程度にすぎなかったと思う。様々な場面で、重荷やプレッシャーを背負って人間というのは生きている。途中挫けることもあったし、失恋や人間関係で悩み、仕事上のトラブルなどで逃げ出したいと思うことも多々あった。

 しかし、私は大学時代に或るミュージシャンの珠玉の一曲と出会って考え方を変えた。

 それは浜田省吾の「家路」という曲で、今でも私の人生のバイブルとなっている名曲だ。

 「Youtube」のコメント欄を見ると、自殺を考えていた人が、この曲を聴いて思いとどまったとか、あるいは身内を失い、どん底にいた自分を奮い立たせてくれたのがこの曲だったとか。とにかく生きる勇気を貰った人がいるのだ。

 私は20代の頭にこの曲と出会い、取り越し苦労と小さなことでくよくよしがちだった私に勇気を与えてくれた。

  悩みの大半は、人間は一人で生きているわけではなく、人とのしがらみの中で生きているため、窮屈なルールがあったり、人間関係のいざこざだったり、経済面や健康面などさまざまな制約を受けて、あるいは障害が立ちはだかった中で存在しているから起こり得るのだ。

 時として人は、他人と競争したり、優劣をつけたがる節がある。均等にバランスがとれた人など存在しない。誠実な人でも裏の顔は違ったり、恋愛中に気づかないことが、結婚し同居して初めて知る顔がある。金欲、出世欲、食欲、物欲、性欲など、人間は様々な欲求を持っている。それが満たされないと不満を感じたり、他にきつく当たったりする原因となる場合がある。何かにつけ人を「いじりたがる」人は、幼少期に何かしら満たされなかった感情が表に出た結果だと言えるだろう。仏教ではこれを「煩悩」と呼び、人は1年間に108もの煩悩を持つと言われている。すなわち、人は生きていく中でこの煩悩との闘いを強いられるのだ。

 よって悩みの無い人間など存在しない。傍目にはどんなに幸せそうに見える人でも何かしらの悩みを抱えて生きている。中には人には言えない大きな悩みもあるし、いっそのこと死んだほうがましだと深くもがき苦しむものもある。だから年間3万人程度もの人が自ら死を選んでしまう。
 だが、よくよく考えると、「輪廻転生」など存在しないように思える。自分の前世が何だったかなどは知る由もないからだ。したがって、せっかく知性や教養が高い「人間(ヒト)」として生まれて来た以上、「限られた80年ほどの一生をみすみす自ら断ち切っていいのだろうか?」と考えを改めさせられる。死んだ後、また同じ人間に生まれ変われる保証などどこにもないのだ。

 だとしたら、人間はこの世界に生まれてから、ずっと死に向かって歩み続けている。そう考えると、人間、一度死んだと思って、また人生をやり直すだけの方向転換があってもよさげだと思う。しょせん「対岸の火事」だと言われそうだが、一度失われた命は二度と戻らないと考えれば、自ら死を選ぶのは、実にもったいない話ではないのか。

 それに生きたくても生きられなかった命がある。戦時中は愛する人を守るために、この国を守るために若くして戦場に散った命がある。また、何も悪いことをしていないのに、先天的な病や障害を持って生まれ、間もなく失われた命もある。痛い思いを繰り返しながら、懸命に治療と向き合い、それでも白血病や脳腫瘍などに侵されて、周囲に惜しまれながら天国へ旅立った命もある。人としてこの世に生を受けながらも、人生経験も許されずに、この世を去った命。神はなんと無慈悲なのか。
 我が福島県にも先天的な染色体異常で障害をもって生まれ、たくさんの支援で臓器移植をしたものの、僅か数年で亡くなった赤ちゃんがいた。一方では、アイドルになることを夢見て、何度も手術を繰り返しながらも、自らの努力で夢をかなえ、ファンに笑顔を届けてくれた郡山市出身のアイドルもいた。しかし、思いは届かずに天に召された。彼女たちが私たちに命を以て遺してくれたものを私たちは受け継いでいかなければならないと思うし、決して忘れてはいけないと思う。


 「死んだ気になって」とか、「死ぬ気になってやれば何でもできる」という言葉もあるが、そんな死を選ぶからには相当の苦悩があるに違いないのはわかるが、生まれ変われない以上は、世界に、いやこの宇宙でひとつしかない尊い命を粗末にしてはいけないとう思いに突き当たる。神に選ばれ、母親の努力や苦痛の果てに生まれた命なのだから。

 私は特段、宗教に凝っている訳ではないし、それに傾倒もしていない。大言壮語をしてしまったが、これが人生の下り坂に入った私の実感であり、雑感でもある。

 ここで竹内まりやの「人生の扉」と「命のうた」の2曲をリンクしたい。

 誰もが老いは怖いが、歳をとることはそんなに悪いことじゃないと語りかけている。その年齢でしか出せない味があるし、年齢と共に命を愛おしく感じるようになる。余命いくばくもないなら、その命を大事にしようと実感する。要は、歳を重ねても余命を悟っても、まだまだこれからひと花もふた花も咲かせたいという思いのような気がする。 

 この2曲は、そんな私の心情や人生観を代弁してくれるようで大好きな歌だ。

 悩みも振り返れば、きっといい想い出になる。生きてさえいれば・・・。やはり天から与えられた命、自分から命を絶つのではなく、最期も天命に任せるのが、一番自然な死の迎え方だと思う。遅かれ早かれ、死というのは誰にでも等しく訪れる。それまでは人生を精一杯生きることが産んでくれた母親への最大の感謝だと思うのだ。

 不況や今回の新型コロナウイルスなどで失業者が増加すると、生活が行き詰まり、それに比例するかのように将来を悲観して自ら命を絶つ人が多くなる。また、学生においては、夏休み明けの9月1日に自死するケースが多いという。おそらく友人関係やいじめを受けたことで、学校に行きたくないことを誰にも打ち明けられず、発作的に電車に飛び込んだり、高いビルから飛び降りる事故が相次いで起きる。東京や大阪などでは、ほぼ毎週にようにどこかで人身事故が発生し、その度に利用者に支障が出ている。それは驚くべき数だ。

 そういう方は、本日記載した記事を読み、そして紹介した曲をぜひ聴いていただきたい。生きていればいつかは「あの時死ななくて頑張って生きて良かった」と思う時が来る。「命」と向き合い、命の重みを感じてほしい。今すぐではなくても、きっと良き理解者が現れると信じて・・・。 
 

2020年6月27日 (土)

エッセイの時間「遠い日の記憶」

 このエッセイは、2007年に私が作成し、旧ブログで掲載したものです。ぜひ、ひとりでも多くの方にお読みいただきたく、再掲載させて頂きます。

 「遠い日の記憶」

小学校の通学路にあった古ぼけた木造の駄菓子屋
決まり事のように店番をするのは割烹着姿のおばあちゃん
そこは子どもたちの溜まり場 いつも夕刻は自転車の列
小銭で一個から買える選り取り見取りのお菓子の山
そして籤で当たる多彩なおもちゃ そこは子どもの宝の在り処
そんな夢を育む場所で 僕には忘れようにも忘れられない過去があった

Dagashiya2

あれは小6の秋 いつものように学校帰り友達と駄菓子屋で待ち合わせ
おばあちゃんは いつも子どもたちの相手で忙しそう
それでいてどこか嬉しそう そんな日常の中で僕に魔の手が忍び寄る
その日どうしてもほしいカードを見かけた でもお金が足りなかった
僕はとっさに嘘をついてしまった 「この前の買い物の時お釣りが足りなかったよ」
そう言ってまんまと100円をせしめてしまった

家に帰って親の顔を見た途端 全身を襲う罪悪感そして虚脱感
僕はおばあちゃんを裏切った あんなに優しいおばあちゃんを

あの日から僕は後ろめたさから その駄菓子屋に行かなくなった 
帰り道もわざと遠回りして 次第に友達からも離れていった
その後 そのまま小学校を卒業し その店と反対方向の中学へ入った
だけど心の奥のどこかにそのことが引っ掛かっていた いつも・・・

高校入学後は 僕の心の傷も癒えて 部活に熱中する日々を過ごした
やがて東京の大学へ進学し親元を離れての生活 そしてそのまま東京に就職した
あの日の出来事は日常の忙しさの中で すっかり遠のいていた

Highschoolbaseball

仕事に就いてようやく お金を稼ぐことの大変さを身を持って知った
営業の帰りに信号で止まった車の中で ふと古びた駄菓子屋を見つけた
その時 遠くセピア色に色褪せた記憶が僕の脳裏に鮮やかに甦ってきた

「あのおばあちゃんはどうしているかな そうだあの日の過ちをお詫びにいこう」

Driver-cockpit

正月久しぶりに実家に帰省した 
その折 十五年ぶりに立ち寄ったあの日の場所
しかしそこに駄菓子屋はもうなかった 
建物は既に取り壊され 空き地と化していた

Akichi

近所の人に聞けば 駄菓子屋のおばあちゃんは今から十年前に亡くなり
元々ご主人とは戦争で死に別れ 身寄りがなく独りでお店を切り盛りしていたため
その店はその後町に引き取られ 今から五年前に取り壊されたという
知らなかった 何も知らずにいた そんな自分がやるせない

幼い日の記憶を手繰り寄せ あの日の出来事を追憶
空き地の前で呆然と立ち尽くし 涙がとめどなく溢れた 
遠い日の過ちを心から悔いた できることなら生きてるうちに一言謝りたかった

その空き地に分け入り おばあちゃんが立っていた場所を探し当て
折れた木の枝で穴を掘り あの日の100円をそこに埋め手を合わせた

100yen

「おばあちゃんご免なさい 随分遅くなったけどあの日のお金を返すよ」
「どうか安らかにお眠りください・・・」

ようやく今 十五年の時を経て 長年の胸の痞えがとれた
帰り道 涙が止まらなかった でも人として大切な何かを取り戻した気がした 

すると僕の心の中で おばあちゃんの笑顔が浮かんでは消えた・・・

Rearmirror

 さて、このストーリーは半分実話で、良心の呵責から、近所にあった駄菓子屋のおばあちゃんを想いながらしたためたものです。中には「お金を埋めることは犯罪です」などと考え、そんな挙げ足コメントを投稿したい方もいるでしょうが、昔話として穏やかな気持ちで読んでいただければ幸いです。 

2020年6月10日 (水)

退職後のはなし

 あと片手くらいで退職を迎える年齢になってしまった。加齢というのはどう抗っても時間が来れば勝手にやって来るものらしい。ついこの前、就職したと思ったら、そこからジェットコースターのような人生で、気づけば今の仕事に就いて30年以上が経過した。
  途中、辞めたい気持ちになったが、歯を食いしばり、耐えに耐えて何とか仕事を続け、子どもを親元を離れて巣立って行った。親としての責任というか役目を曲がりなりにも果たせ、後は老後を待つ身となり、60歳以降の人生をどうしようかと考えた時に、やはり趣味がないと毎日が暗く、ありきたりで死を待つだけではやるせないと思えて来た。

 幸い、大学時代に乗っていた自動二輪バイク、就職してから始めたスキーで検定1級を取得し、その後、年齢とともに家庭菜園、海釣り、詩作、車やバイク、飛行機や鉄道での旅行、そしてブログを開始し、昔話に花を咲かそうという魂胆で毎日をどうにか乗り切っている。

 では60歳以降も「毎日サンデー」の中でどうやって過ごすか考えた時に、いくつかのやりたいことが見えて来た。
 
 1 水彩画

 現在「プレバト」の水彩画のコーナーでちょっとしたブームになっている。小学生以来、筆と絵の具を使った試しがないので、思うように描けるか不安要素がありすぎだが、気張らずに旅先で出会った風景をスケッチする程度で収めたい。写真だと、せっかくの風景もシャッターを切った時点で満足してしまい、自分自身の肉眼で見るものとファインダー越しでは印象に残る度合いも違うような気がする。

 2 野菜作り

 「スローライフ」とか「ロハス」という言葉が言われて久しいが、老後は、自分で食べる野菜くらいは自力で育ててみたい。いわゆる「自給自足」だ。私もいよいよそういう年代に達したかと多少ショックだが、それでも植物を育てるというのは「生きる」ことを実感できるものだと思う。それは魚釣りも一緒で、自分で釣った魚を自分で捌いておいしくいただく。自然の恵みを肌で感じながら、生きている証を実感したい。
 今はプランター栽培で簡単なミニトマトくらいだが、震災前には小さいながらも地植えで畝を築き、きゅうり、なす、枝豆、ブロッコリー、カブ、とうもろこしを育てた経験がある。肥料や天候に左右されるし、虫がつきやすく、連作障害などで、思うようにできずに辛酸を舐めることも多いが、苦労した分、収穫時の喜びは一入だ。ぜひ、大地の恵みを自分の舌で味わっていきたい。

 3 日曜大工

 正確には毎日サンデーなので日曜日に特化した作業ではない。「有吉ゼミ」でタレントのヒロミが芸人の自宅改造など神業のアイディアに圧倒されている。makitaの電動工具を揃え、自分で木工を行ってオリジナルの家具(本棚・ロッカー・テーブル・ソファなど)を制作してみたい。自身でペンキを塗り、壁紙なども自分で貼り替える。人件費不要で材料費だけで済む。特に、部屋ごとの段差をなくしたい。ちょっとしたつまずきで転んで骨折などとならぬように、バリアフリー化を自分の手で実施していきたい。
 幸い、ヒロミの部屋いじりのVTRは、ピスタチオと麒麟川島の放送回以外はすべて録画して録り溜めしてある。それを手本にしてトライしていきたい。小物やLEDや間接照明器具まで凝ったものを自作したい。

 4 旅行

 これは今も実施している。去年は我が第二の故郷である「北海道」に行った。まぁ2年間ほど道央に住んでいたので、愛着がないわけがない。この10年で2回訪ねた。ミーハーな私は映画やドラマのロケ地巡りが多い。去年は憧れの高倉健さんの世界観を満喫したくて「幸福の黄色いハンカチ」の夕張、「鉄道員ぽっぽや」の幌舞駅(幾寅駅)、「駅~Station~」の銭函駅などを巡った。その6年前にも「北の国から」のロケ地を回った。美瑛の美しい丘陵や富良野など多くを見て歩いた。学生時代はバイクで周遊したが、飛行機とレンタカーで回った。
  退職後にぜひ行きたいのは古都・奈良と倉敷だ。奈良は高校時代の修学旅行で訪ねて以来40年近く行っていない。京都は4回程度行ったが、室生寺や長谷寺はなかなか足を延ばせない。京都は、我が会津藩や新選組の足跡を辿る旅をしたい。幕末の会津人がどのような働きをしたかなどを自分の目で確かめたい。

 「倉敷」は1999年のTBSドラマ「同窓会へようこそ~遅すぎた夏の帰郷~」のロケ地になったことで思いを強くした。2011年の震災後に「罹災証明」所有者ということで、高速道路が無料になった際、郡山から北陸道経由で広島県の尾道市まで2泊3日で車で往復したことはあった。。それはNHKの朝ドラ「てっぱん」が大好きだった私は、そのロケ地を巡ったのだ。今年亡くなった大林宣彦監督が描いた映画に頻繁に尾道の風景が出てくる。坂の町であると共に、千光寺からの瀬戸内海の島々を見下ろす景色に魅せられてしまった。近くまで行ったのに、時間が無くて倉敷に立ち寄ることができなかった。
 また、一度も足を踏み入れたことがない県にも行きたい。沖縄でも4回も行っているのに山陰地方や四国九州はなかなか行く機会に恵まれなかった。島根の出雲大社や水木しげるのふるさとの境港、シジミ漁で有名な宍道湖、鳥取砂丘なども見たことがない。
 テレビ東京の「出川哲朗の充電させてくれませんか」や太川&蛭子コンビの「バス旅」の映像で見ただけだ。ほかにも四国では愛媛と高知、九州では大分、佐賀、長崎、宮崎、鹿児島には一度も足を踏み入れていない。特に長崎には是が非でも行きたい。それは「軍艦島」が今ほど有名ではなかった40年以上も前から。ここだけは絶対に足を踏み入れてから死にたいと考えていた。それは中学生時分に公共広告機構のCMで取り上げられてから興味を持つに至った。「石炭を掘り尽くした時、島が死んだ。」「資源と共に消えた島」というナレーションが子どもながらに胸に突き刺さったのだ。世界遺産になった今、メジャーな観光スポットになってしまったが、本音は誰も訪れる人がいない、存在すらしらない時期に漁船をチャーターして行きたかった。

 5 詩

 これも難しい。父親が亡くなった30代後半によく詩を書いたきっと身内の死に際して感性が磨かれたのだと思う。その頃、。「風越波海」というペンネームで、100篇近い詩を創作してホームページに掲載した。今は経験不足でなかなか恵まれた発想が出てこない。たぶん、次に創作意欲が湧くのは、自分の死期が近くなった時だろうと思う。自分の人生を振り返り、いろいろな場面が走馬灯のように記憶を蘇らせることだろう。幸い、今はそこまで大病はしたことがないので、あまりいい詩は浮かんでこない。 詩や俳句、短歌、川柳などの言葉を用いて創作するのは、喜怒哀楽を含めた人生経験がないと難しいようだ。

 6 その他

 現在行っている趣味を継続したい。特に海釣り。震災で我が福島県は、原発事故の放射性物質拡散により、セシウムなどが海洋汚染を引き起こしてしまい、水産業は本格再開には程遠い。特に私が海釣りに興味を抱くきっかけをくれた「請戸漁港」は福島原発に一番近い漁港のため、なかなか釣りをするには敷居が高い。かといって、震災後も小名浜やフランチャイズの中之作漁港で何度か釣りをやったが、釣った魚を口に入れるのを憚りたい線量だったため、キャッチ&リリースで終わった。
 そろそろ海洋汚染も収まり、小名浜を中心にその周辺での釣りを再開したい。郡山在住だと往復で180kmは車での走行を強いられるので、
一度遠ざかってしまうと腰が重くなる。されどアイナメ、カレイ、サバを数多く釣った経験から、やはりもう一度地元で釣った魚をおいしく食べるまでは死ねないと思った。
 しかし、どうしてもバイクだけはもう乗る気になれない。体力的に180kg以上もあるモンスターを自分が自在に操る自信がないのだ。学生時代とは異なり、ぎっくり腰を何度も経験している私は、倒れたバイクを起こすのもひと苦労。バイクは一歩間違うと死ぬ確率は車よりもはるかに高い。とっさの時の反射神経は20代と現在の自分では天と地ほど違う。運転を誤れば即、死である。
 前のバイク(CBR)を廃車にする際、「次バイクに乗るときは死ぬ時だ」と覚悟を決めてバイクから降りた身としては、あまり興味を持たなくなった。そして若い頃、バイクを運転中ヒヤッとする経験を何度もした。転倒もしたし、中型トラックに巻き込まれる体験もした。
 現在、毎朝、降圧剤を服用している私にとって、「ヒヤリ」体験は心臓や脳血管に響く。まさに命がけなのだ。よって、旅先では足としてもっぱらレンタカーを使いたい。
   
 また、20代でとり付かれた「スキー」は体力が持たないのでこの10年で1~2回しか行っていない。寒いのが極端な私が1シーズン30回もゲレンデにいたなんて今思えば神がかり的だ。上手くなりたい一心、いやはっきり言うと女の子にモテたい一心で、隠れて仕事終わりにナイターに出向き、友人の知らぬ間にこっそり腕を上げたいだけだった。その甲斐あって26歳で念願の1級を取得した。準指や指導員まで行きたかったが、その時にいわき市に転勤になり、そこからスキー場へは縁遠くなってしまった。
 
 つい最近スキー場に行ったのは7年前の箕輪だった。これが最後だと思う。おそらく通算で270回程度スキー場に行った私がこの有様だ。でもそのおかげで、体力は同じ年齢の方よりは身軽だと思う。脚は丈夫で、通勤時にはコインパーキング駐車場から職場まで500mを走っても結構なスピードでたどり着く。
 今は行く気は満々なのだが、寒くなると尻込みするし、20代の頃は雪道もFRのソアラでも頑張って運転したのに、その後4WDを乗り継いだのに雪道走行が億劫になり、ますます遠ざかった。スキー板も今では誰も使っていない身長+15cmもある重い板。しかもカービングでもロッカースキーでもない。25年前に買った「NISHIZAWA」という国産のデモンストレーターだ。当時はデモパンを履けるほど細長い脚だったが、今やウエストが12㎝も太ってしまい、古着屋行きだった。それも5万円で買ったウエアが200円でしか引き取ってくれなかった。
 「バイク王」の買取りではないが、思い入れがあるのにたった200円…。絶句。思わず売るのをやめて「ライザップ」で頑張って痩せようと考えたほどだ。でもそこまで根性などあろうはずがなかった。
  
 さて、今日の記事は、同じ境遇で同じ悩みを抱えている人は、共感していただけたかもしれない。退職して時間だけが無意味にそして無常に過ぎていくことだけは避けたい。残された時間が僅かなら、自分で何かを始めないと何も残せないと思う。それに退職後は無職で無給となる。できるだけ金のかからない方法で満喫できるものを見つけたい。

 最後にヒントになるかわからないが、我が郡山には駅前の「ビッグアイ」に生涯学習を手助けする「あさかの学園大学」がある。高齢者同士が日々、楽しく学んでいるという。「50の手習い」ならぬ「還暦の手習い」だが、ひとつ覗いてみても面白いかもしれない。

 また、麓山にあるNHKではカルチャースクールの「文化センター郡山教室」を実施している。認知症防止のために、同世代の方々や年齢の異なる方々と交流を持つのも楽しい老後を過ごすヒントかもしれない。
 そのホームページを覗くと、いろいろな教養講座がある。教養・文章文芸・コミュニケ―ション・くらし美容ビジネス・外国語・手芸工芸・
音楽・和楽器古典芸能・伝統文化・書道カリグラフィー・絵画・カメラビデオ・健康エクササイズ・スポーツ・ダンス・舞踊・食とグルメ・屋外・旅行企画など盛りだくさんだ。ひとつやふたつ自分の好みに合う趣味が見つかると思う。ぜひ活用してみてはいかがでしょう。
  
  URLはこちら⇒ https://www.nhk-cul.co.jp/school/koriyama/

 

2020年6月 1日 (月)

6月生まれの有名人一覧(自分の誕生日と同じ有名人を探せ!) 

 1 坂上忍・つまみ枝豆・HIRO・本田望結・夏川結衣・山下泰裕・マリリン・モンロー
 2 團遥香・又吉直樹・末續慎吾・平泉成
 3 唐沢寿明・長澤まさみ・福士誠治・三浦翔平・川崎宗則
 4 梓みちよ・玉井詩織・半田健人・アンジェリーナジョリー・和泉元彌・犬養毅
 5 東ちづる・大河内奈々子・ガッツ石松・中嶋朋子・福田萌・おばたのお兄さん・長谷川潤・アンルイス・檀ふみ・アダムスミス
 6 大滝秀治・小澤征悦・風花舞・是枝裕和・斎藤佑樹・宮崎大輔・小峠英二・葛西紀明・堺正章
 7 矢部美穂・浅見れいな・手塚理美・プリンス
 8 レーザーラモンRG・古関裕太・三村まさかず・森尾由美・山田悠介・中村仁美・城島健司
 9 熊切あさ美・国仲涼子・薬師丸ひろ子・マイケルJフォックス・滝沢馬琴
10 いとうあさこ・大神いずみ・ジェームス三木・松たか子・真帆・寺田心・本橋麻里・安倍明恵・水戸光圀
11 新垣結衣・佐々木彩夏・沢口靖子・間宮祥太朗・山口もえ・川端康成
12 釈由美子・杉原杏璃・丸岡愛美・松井秀喜・アンネフランク・高野長英
13 河合美智子・水島かおり・森口博子・山田邦子・山本匠晃・本田圭佑・伊調馨・生田竜聖
14 大塚寧々・中川大志・中島史恵・溝端淳平・三田明・宮内洋・山田太一・比嘉愛未・トランプ大統領・川端康成山縣有朋
15 伊東四朗・岩崎良美・映美くらら・大林素子・細川たかし・チャンカワイ・南沢奈央・ミムラ・ラッシャー板前・miwa・上田桃子・小林一茶・空海
16 ほんこん・鮫島彩・池井戸潤・Char
17 麻生久美子・今くるよ・鈴木福・辻希美・中島静佳・二宮和也・波留・山寺宏一・森川葵・風間俊介
18 大槻義彦・後藤輝基・三吉彩花・谷村美月・細川直美・岡本玲
19 KABAちゃん・中澤裕子・広瀬すず・大山加奈・宮里藍・小沢仁志・張本勲・太宰治パスカル
20 相武紗季・may.J・マリエ・宇賀なつみ・鬼龍院翔・石坂浩二
21 高城れに・長谷川初範・笛木優子・松本伊代・手嶌葵・朝原宣治・本居宣長・ジョーイクレイマー・サルトル
22 阿部寛・板谷由夏・伊野尾慧・加藤ローサ・笹野高史・森カンナ・加藤ミリヤ・西山喜久恵・斉藤和義・シンディローパー・坪内逍遥
23 芦田愛菜・南野陽子・ジダン・筑紫哲也織田信長
24 北原里英・西田健・野々村真・六角精児・LiSA・中村俊輔
25 愛川欣也・沢田研二・藤ヶ谷太輔・誠直也・松居一代・松浦亜弥・平手友梨奈・小渕恵三ガウディ
26 具志堅用高・中松義郎・道端カレン・アリアナグランデ・木戸孝允
27 越智静香・本田翼・優香・吉田敬・渡辺真理・張本智和・若月佑美・ヘレンケラー
28 遠藤憲一・濱田岳・藤原紀香・水野美紀・中村あゆみ・ルソー
29 井川遥・倍賞千恵子・松本志のぶ・橋下徹・パパイヤ鈴木・サンテグジュペリ北条時頼・サンテグジュペリ
30 葵わかな・夏帆・高見侑里・中尾明慶・矢部太郎・ペコ・マイクタイソン・ラッシャー木村



 

2020年5月14日 (木)

世の女性が悲鳴を上げそうな話題

 今日は取るに足らないというか戯言というか、とにかく独りよがりな話題に終始して申し訳ない。興味のない方はスルーしていただいて結構です。
 今、ドラマや映画に引っ張りだこの旬なイケメン俳優やアスリートたちに、恋の噂や結婚話が出たら多くの独身女性がショックを受けるであろう。そんな若手を25人挙げたい。

 ① 大谷翔平(B型)・・・二刀流として日米で活躍する野球選手。球場には熱狂的な女性の黄色い声援がこだましている。今季の年俸は7500万円と格安だが、いずれは田中将大のように、数百億円規模の複数年契約は確実なので、若い女性たちが群がりお嫁さん候補が殺到するのは必至。

 ② 福士蒼汰(O型)・・・仮面ライダードライブで人気に火がついた長身イケメン俳優。共演女優の数は多い。菜々緒とお似合いかも?今年27歳。

 ③ 竹内涼真(A型)・・・過保護のかほこの麦野くんやひよっこの島谷役で大人気。陸王やブラックペアン、テセウスの船などで熱演した。27歳。

 ④ 佐藤 健(A型)・・・「るろうに剣心」のイメージが強い。朝ドラを始め、多くの映画・ドラマで主演を演じ、今ノリに乗っている。31歳。

 ⑤ 菅田将暉(A型)・・・独特な世界観を持つ。歌とドラマに引っ張りだこ。小松菜奈やあいみょんと仲が良い。27歳。

 ⑥ 吉澤 亮(B型)・・・カニ好きで有名。爽やか系イケメン。個人的にはV6の岡田准(B型)とイメージが重なる。有村架純が似合いそう。26歳。

 ⑦ 平野紫耀(O型)・・・King&Princeのメンバー。トークが独特で面白い。橋本環奈との共演がハマった。23歳。

 ⑧ 千葉雄大(O型)・・・「いいね光源氏くん」で大ブレイク。Sっぽい感じが女性にはたまらないらしい。私は堺雅人(O型)とイメージがダブる。31歳。

 ⑨ 山﨑賢人(A型)・・・顔が小さく長身。新田真剣佑と仲が良い。個人的には映画「Orange」が良かった。25歳。

 ⑩ 手越祐也(B型)・・・プレイボーイのイメージだが、女性から見ると危なっかしくて見てられない感じかも。でも歌唱力は抜群。32歳。

 ⑪ 松坂桃李(A型)・・・年齢的にはいつ結婚してもおかしくない。誠実で真面目な印象。朝ドラに打ってつけ。二階堂ふみが似合う?31歳。

 ⑫ 山田涼介(B型)・・・HeySayJumpの一員。個人的には堂本光一(B型)、京本政樹(B型)とイメージがダブる。浜辺美波が合いそう。27歳。

 ⑬ 横浜流星(O型)・・・誠実そうな印象で、私は向井理と立ち位置が似ていると思っている。吉岡里帆とくっつきそうな予感。23歳。

 ⑭ 新田真剣佑(B型)・・千葉真一を父に持つスター性抜群のイケメン。個人的には尾崎豊(B型)と重なって見える。23歳。

 ⑮ 岩田剛典(B型)・・・3代目メンバー。慶應出身のエリートダンサー。あまり恋のうわさは聞かない。現在は31歳。

 ⑯ 中島健人(A型)・・・女性が喜ぶツボを心得ている。カッコいい痺れる決めゼリフがウリ。26歳。

 ⑰ 神木隆之介(B型)・・子役から活躍。俳優だけでなく「千と千尋」や「君の名は。」など声優としても芸の枠を広げている。広瀬すず?今年で27歳。

 ⑱ 綾野 剛(A型)・・・38歳にしては若く見える。演技派のためかドラマや映画に引っ張りだこ。さ私的には仲村トオルと重なる。

 ⑲ 中村倫也(A型)・・・朝ドラ「半分、青い」に出演。ドラマ、映画だけでなく舞台などマルチに大活躍。二宮和也と重なる。33歳。

 ⑳ 高橋一生(O型)・・・彼も39歳なのでいつ浮いた話が出ても不思議ではない。個人的には波留さんと落ち着いてほしい。

 ㉑ 斎藤 工(A型)・・・役者と映画監督の二足の草鞋で活動。「昼顔」の印象が濃い。身長が184cmある。今年39歳になる。

 ㉒   片寄涼太(AB型)・・・Generationsメンバー。音楽一家のサラブレッドにしてプリンス。今年26歳になる。

 ㉓ 中川大志(B型)・・・最初は福士蒼汰かと思った。女性をメロメロにさせるカッコ良さ。今年22歳になる若手No.1。

 ㉔ 山下智久(A型)・・・明治大学卒の高学歴アイドル。「ブザービート」や「コードブルー」など人気作品に多数主演。35歳。

 ㉕ 亀梨和也(B型)・・・KAT-TUNのメンバー。野球で世界大会に出場した経歴を持つ。彼も36歳になった。

 いずれも「モテ男」ばかりをセレクトしてみた。やはりアイドルや人気俳優はB型が多い。25名中9名がB型。実に36%。日本人の38%を占めるA型が10人なので双璧だ。B型は亀梨和也や堂本光一、手越祐也のように一見、プレイボーイ風で、スリムで顔も細面てなのでとにかくモテる。カリスマ的で個性的、かつストイックでカッコいいのもその理由。

 他にもジャニーズの面々や三浦春馬、伊藤健太郎、間宮祥太朗、北村匠海、瀬戸康史、成田凌、鈴木伸之、野村周平などの独身若手俳優やフィギュアの羽生結弦選手など、たくさんいることをお断りしておく。

 意外にも10年前まではモテ男と言えば、木村拓哉、福山雅治、妻夫木聡、向井理、小栗旬、錦戸亮、長瀬智也、伊藤英明などのO型パラダイスだったのに、激減していることに驚き。

 もしかすると上の25人の中で一度はファンになった女性も多いかもしれない。そして訳も無く、お似合いなのではないか?という勝手なイメージで、大ざっぱに独身の若手女優や女性タレントの名前も挙げさせてもらった。

 永野芽郁、浜辺美波、有村架純、川口春奈、新木優子、戸田恵梨香、広瀬すず、杉咲花、石原さとみ、吉岡里帆、葵わかな、上白石萌音、清野菜名、今田美桜、本田翼、松岡茉優、松本穂香、黒島結菜、土屋太鳳、芳根京子、岡崎紗絵、柏木由紀、大島優子、長澤まさみ、新垣結衣、白石麻衣、比嘉愛未、山本舞香、二階堂ふみ、瀧本美織、高畑充希、石井杏奈、山本彩、清原果耶、中条あやみ、山本美月、唐田えりか、佐久間由衣、深田恭子、朝比奈彩、上白石萌歌などがいる。

 女子アナとアスリートというように、意外と共演をきっかけに恋愛に発展するケースが多いように思う。
 ドラマを見ていて、もしかするとお似合いで「これって有りなんじゃないか?」という視点で見ても面白いかもしれない。今は泥沼状態だが、かつて朝ドラ共演がきっかけで「東出昌大」と「杏」が結婚したように、共演をきっかけに交際に発展、そして結婚という流れにも注意を払ってみてほしい。

 また、若い女性に人気のあった俳優で結婚された方は除いた。木村拓哉、向井理、福山雅治、妻夫木聡、小栗旬、窪田正孝、三浦翔平、田中圭、岡田准一は人気が不動だが、既婚者につき割愛したのであしからず。

 ご贔屓だった俳優さんでも、結婚してしまうと、急に熱が冷めてしまうのか、あまりチヤホヤされなくなる。この辺は割とシビアだ。

  それにしても、特にジャニーズは30歳を超えてもアイドルとして君臨している方が多いが、アラフォーになっても独身でいなければならないのは正直厳しいと思う。イケメンだけに世の女性は放っておかないと思う。浮いた話のひとつやふたつあって当然だと思うし、合コンなどで遊びたい盛りなのにずっと女っ気無しでアイドル道を貫くのはストレスではないか?少しは許容してほしい気もする。でないと山口達也のようにアイドルの座を追われるようになってしまう。

2020年5月12日 (火)

酷い目に遭った話(R2.5.9の一部始終)

 今日は恥ずかしながら、自戒の意味を込めて、先週末に降りかかった或る災難についてカミングアウトしたいと思います。

 皆さんもそうだと思いますが、3月頃からGWが明けた今の今まで「新型コロナウイルス」での自粛生活、「STAY HOME」の引きこもり生活で、相当ストレスが溜まっていることでしょう。

 私も、どこにも出かけられず、ずっと家にいて、家庭菜園の庭仕事やPC作業、動画サイト閲覧、テレビや昔録画したビデオ映像視聴などを繰り返し、無駄な時間を過ごしていた。
 更に悪いことに、食べて飲んでばかりの生活が続いたため、オーバーウエイト気味でお腹も出てしまった。学生の頃は178cmで62kgしかなかった私が、今では80kgの大台に限りなく近づいている。80キロと聞けば、かつてポッコリお腹で鳴らした西田敏行が主演した「池中玄太80キロ」を思い出す。自分もあれと同じくらいデブってしまったのかと愕然と来た。

 そんな自堕落な生活がしばらく続いた5月9日(土)に事件は起きた。その日の午後2時半ごろ、「STAY HOME」を実践すべくリビングで寝そべってテレビを見ていた私は、小腹がすいて、ついついお菓子の箱に手を伸ばした。あったのは硬めの「柿ピー」と「ミラクルボディV」という名の炭酸飲料。それを同時に口に入れ、30分ほど経過した頃、急にみぞおちが差し込み、さらにはお腹全体が激痛に見舞われた。これまでも何度か夜中に、みぞおちや背中に激痛が走り、眠れないことがあった。この日はそれらを含めても最もひどい痛みだった。どんな姿勢をとっても和らぐことはなく、脂汗が滝のように流れ、尋常ではないことを物語っていた。

 やむを得ず、腹痛の際にはいつも服用すると症状が改善される常備薬の「新富士胃腸薬」を飲むのだが、それを飲んで様子を見たが、まったく良くならない。しかもその日は、運悪く土曜日の午後で、25年来通っている掛かり付けの近所の医院が時間的に休診後のことだった。痛みに耐えながらスマホであちこち病院を探すが、休日救急医や当番医は日曜祝祭日しか載っていない。私は急病に襲われるのはいつも決まって土日だ。20年程前、40度の高熱を出した時も日曜日の夜で、市内の駅前にあった救急指定病院に駆け込んだことがある。

 1時間以上痛みに耐えていたが、いっこうに良くならないし、あまりの激痛に救急車を呼ぼうかと思った。2階にいた家内を呼び、あちこち電話をかけてもらい、市内にあるO・N病院で内科の救急外来で診療をしていることがわかり、自ら症状を言い、苦痛に耐えながら、自分で車を運転して17時過ぎに郡山でも大きなその病院へ行った。

 しかし、救急外来の窓口に行くと、やはり私と同じような患者が10人以上椅子に座って待っていた。受付では、コロナ対策のために、いつもより入念な問診票への記入があった。同居の人数、濃厚接触者の有無、この1か月以内に県外に出向いたかなど。それで15分。さらには診察室の前で待っている時、看護師が検温(36.3度)と指に検査機器を挟んで血糖値?かなにかの検査。そして血圧測定(激痛にずっと耐えていたので血圧が急上昇し159-109)。1時間ほど待って18時すぎにやっと診察室へ。

 そこでやっと症状を伝えるが、待っている間に自分でスマホで調べたところ、どう考えても「胆石」ではないかという自己診断。時々差し込むことがあると伝えた。医師は、まずは胸に聴診器を当て、肺に異常が無いかチェック。そして診察台に横たわり、触診で痛みの部位や個所をチェック。私は元から病院に行くと安心して、痛みが治まったり、血圧も120台ー80台くらいで安定するが、1時間以上も待たされているうちに「新富士胃腸薬」が効きだして痛みも少しずつ治まって来た。

 しかし、若くて親切そうなK医師は、念のためすべての検査を実施したいという。まず、エコー検査で腹部の状態を見たいというのだが、エコーを他の患者が長々と使用していて、またしても外廊下で30分以上待たされた。こんなに待たされたら、他の患者の病気を貰いそうだ。しかも来た時よりも患者が増えている。赤子からじいさんまで幅広い。絶対に新型コロナはこういうところで貰うと悟った。今のところ、この巨大病院ではクラスターなどは発生していないが。

 実際診察室で問診を受けている時も、外部からの電話が鳴りっぱなしだった。熱がある場合は、保健所でPCR検査を勧められていた。長居したら、マジでコロナを移されそうだ。

 そしてようやく処置室に入ったのが19時過ぎ。診察台のベッドに横になり、そこでまず、血液検査のために採血。次に「ソルアセトF500mg」の点滴を注入。これはポカリのような成分で、体内に水分を補うものらしい。その際、CTで造影剤を入れる可能性を示唆され、いつもより太くて長い注射針を入れられた。痛みに強い私でも、その太い針には、思わず「痛っ!」と叫んでしまった。その後、30分以上点滴。

 そしてその最中、やっとエコー検査の機器が空いたというので、医師がそれを引きずって来て腹部超音波検査を実施。もともと「脂肪肝」があり、以前の「人間ドッグ」で胆のうに石灰化がみられる所見があったことを伝えた。しかし、私の予想とは裏腹に、胆のうにそれらしい異変は見当たらないという。ほかに腎臓も目立った病変はないという。ではこの激痛の原因は何?単なる食あたりなのか?

 幸い他の臓器もそれほど異常は見られないという。そのうち、血液検査の結果が判明。すると、毎回検診の度にそうなのだが、肝機能で異常値がいくつかある。常にɤ-GTPとかGOT、アミラーゼが高値なのだが、それはアルコールが原因ではなく、脂っこい食事と肥満気味のせいだった。今回もそれで数値が高かった。でも若き先生が言うには、血液検査で感染症の炎症が見られるので、「胆石」も否定できないと言い、できれば今日、CT(輪切り)撮影を行いたいという。救急外来でこんなに多くの検査をやられたら、相当治療費が行くと思い、先生に持ち合わせが8千円しかないことを告げた。すると、支払いの件は会計で相談して、後からでもOKだと言う。それよりも後日検査を受けるとなると、また病院に来て、長時間待たされる懸念を排除したく、血管造影剤を注入したCT検査を実施することに同意した。すると、念書にサインまで求められた。「副作用があっても自己責任ですよ」という趣旨だった。

 その後、20時過ぎに、まだ500mgもある点滴を5分の1も入れていないのに、その点滴を中止し、そのまま別室のCT撮影室へ。この検査はすぐだったが、点滴のチューブを差し替えて、造影剤を注入。すると、体中が火照るくらい熱くなった。お尻の先までポカポカ。大丈夫なのか?合図に合わせて息を吸って止めてを繰り返し、CT検査自体は5分もかからなかった。こんな短時間でちゃんと内臓を断層撮影できるのか?

 その後、結果が出るまで、また処置室の診察台で点滴を再開して待たされる。

 そして、20時45分頃、やっとK医師がPC持参で処置室の診察台に現れ、CT検査の結果を知らされた。PC画面で断層写真を見せられ、肝臓と胆のうが普通の人よりもやや大きいが、肝心の胆のうに石らしい物体は見られず、手術はおろか、薬で治療するまでもないという診断だった。ただやはり数年前のドッグで指摘された通り、胆のうの下部にうっすらと石灰化したものが見られるという。「胆のうがん」などの疑いはないか?尋ねたが、それは全くないという所見だった。
 結果、経過観察と、念のため、痛み止めだけを処方してもらった。今日はこのまま帰宅して大丈夫だと言う。

 私が怪しく、かつ訝し気に思ったのは、採血した血液検査の結果を見せてくれないことだった。それぞれの数値を患者である私に知らせないままの状態で、CT検査まで実施したのだ。もっとも真面目で誠実そうなK先生だったので、ボッタクリなどではないとは思うが。

 時刻はすでに21時を回っていた。病院に入ってから、もうかれこれ4時間が経とうとしている。たくさんの検査を一度に出来るのが巨大病院の強みだが、それだけ待ち時間が長くなることの証明だ。

 とりあえず、大きな病気ではないことで、入院も必要ないということでひと安心だ。結局4時間も病院にいたので、痛みはいつの間にか引いていた。ひょっとすると自宅で飲んだ「新富士胃腸薬」が効いただけではないのか?治療らしきことは行わず、点滴と検査(血液検査・腹部超音波検査・CT検査)ばかりだった。

 

 診察室を出た後、4畳半くらいの会計の小部屋で会計を待つ間に私が心配したのは、救急外来はどれだけ診察料や治療費が高いのか?ということ。財布にある持ち合わせで足りるのか?だった。

 名前が呼ばれ、会計窓口に行って、金額を聞いて絶句。なんと「14,540円」だった。時間外診療は、ほぼ検査だけでこの金額。やはり医者は儲かり過ぎだ。しかも健康保険が3割負担で済むのにこの金額だ。実際は4万円以上かかっていることになる。時給にしたらどんだけ高いのか?

 こんなに高いのでは、貧乏サラリーマンの私などは、もう二度と救急外来には行けないと思った。

 

 下がその時の診療明細書と治療費(請求書&領収書)。

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 実際8千円しか財布になかったので、事情を話し、明日以降、銀行でおろして持参することで決着。駐車券に印字してもらい、処方された痛み止めを受け取り、21時10分頃、4時間もいた病院を後にした。

 翌日(日曜日)に近くの銀行ATMでお金を引き出し、雨の降りしきる中、昨夜、時間ばかりがかかり過ぎた大病院の会計へ。治療費を払い、領収書を受け取った。たぶん職場から今回掛かった診察検査代のうち3,300円が自己負担で残りの11,000円は還付されると思うので、実際の身銭は3,300円だけだと思う。 

 皆さんもやむを得ず「救急外来」で受診する時は、検査だけでもこれくらいかかると思い、現金を多めに用意して行ったほうがいいと思います。ちなみにこの大病院は、郡山に昔からある老舗大病院なのに、カードでの支払いはやっていない。

 

 これが酷い目に遭った私の週末の一部始終の出来事だった。医師は私の体を思って、様々な検査で原因を突き止めようと努力して頂いたが、私にとっては腹部激痛と共に長時間病院滞在で身柄を拘束された挙句の高額医療費請求で、トリプル苦痛でしかなかった。「柿ピー」と「炭酸飲料」に端を発したみぞおちの激痛が、よもやこれほどの大ごとになろうとは思わなかった。救急車を呼ぶのは隣り近所にいろいろな意味で悪いしこり(噂話など)を残すので、今回は呼ばなかったが、そうしたくなるほどの強烈な苦痛だった。


 ところで、私の父親も大の病院嫌いで、世間体を気にする性格で、「外聞悪いから救急車は呼ぶな」と言い張り、「病院へは行かない」と駄々をこね、私が仕方なく説得して、夜に病院に車で乗せて行ったが、翌日朝に亡くなった。一日2~3箱もタバコを吸うヘビースモーカーだったのだが、最後は肺気腫と呼吸器不全が原因の急死だった。だから私はマメに病院に行くことにしているが、このような事態にならないよう、普段の食生活から気をつけなければならないと思った。

 毎朝と風呂上がりにストレッチなど1年半以上続けているし、昼休みの時間帯は散歩で毎日3~5000歩程度歩くことを日課にしているが、内臓脂肪は一度ついてしまうとなかなかとれない。反省することしきりだ。今回の出来事を教訓にして痩せることを心に誓ったのは言うまでもない。

 

2020年5月 9日 (土)

私の取るに足らないプチ自慢

 誰もこんなタイトルの記事を気に留める方もいないと思うが、単なる自己満足と備忘録を兼ねて敢えて掲載に踏み切りました。興味のない方はスルーしていただいて結構です。

 1.めざましじゃんけんで最高点をとった日

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 ちなみに、月~金までの「めざましテレビ」では1日4回のじゃんけんタイム、そして土曜日の「めざまし土曜日」では2回のチャンスがある。つまり毎週22回のじゃんけんが行われている。しかし、平日私は7時に自宅を出て仕事に行くことから、一日2回しかじゃんけんチャレンジできない。つまり、週あたり12回。なのにこの点数(315点ポイント)はビックリ!全部勝っても1回当たり20点ずつ加算しても240点満点。なのにこの点数はなぜ?もちろん不正などしていないし、出来るわけがない。からくりは、システム故障とかで、一日だけ得点が2倍になったことがあって、そこで達成したというわけ。

 しかし、この記事をアップした令和2年5月9日(土)、「めざまし土曜日」の1戦目のじゃんけんで勝って、300ptを達成。GW中、「STAY HOME」により、ほとんど家にいたことがこの二度目の300pt超えを達成できた要因。証拠の画像が下。

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 2.この希少なサイン、高く売れるか?

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 このサインは本物。皺が寄っているのは、汚れないようにラップを巻いているからで、実際はきれいだ。これは「おニャン子クラブ」や「AKBグループ」の仕掛け人の秋元康の奥さんの「高井麻巳子」さんの「おニャン子クラブ」時代の生サインだ。当時は会員番号16番で、福井県出身の彼女が原宿を訪れていた際、「夕やけニャンニャン」の生放送中にスカウトされ、「アイドルを探せ」のコーナーで合格点を取って「おニャン子クラブ」のメンバ入りを果たした。となっているが、表向きで、実はこれも内々にはこの日にそこにいるように番組関係者から仕込まれていたようだ。
 その後、番組で人気者となった彼女は、岩井由紀子(ゆうゆ)とコンビを組んだユニット「うしろゆびさされ組」でCDデビュー。そしてソロ歌手デビューも果たした。最初から秋元康に目をつけられていたと考える方が自然だ。
 AKBなどには「恋愛禁止」と厳しい掟を作っていた張本人が、自分がプロデュースしたアイドルと結婚してしまう矛盾。これが原因で「おニャン子クラブ」は人気絶頂の時にいきなり解散させられた。
 要は秋元氏の勝手な自己都合の我が儘にファンや他のメンバーは振り回されたのだった。その一件以来、私は秋元康を信じていない。単なるロリコンオヤジと一緒だ。岡村隆史の二の舞になりそうだが、若い女の子に「恋愛禁止」などと禁欲ルールなどを作って強制するから、欲求不満が溜まってグループ卒業後にセクシー女優になる元AKBタレントが多く出るようになったのだ。
 また、おニャン子クラブの作曲を手がけていた後藤次利もまた、おニャン子クラブのメンバーで、一番早く卒業させられた河合その子と結婚した。その後藤も、かつてはアイドル女優だった「木之内みどり」(現在は竹中直人夫人)と恋の逃避行でスキャンダルを起こした。

 3.今では廃刊?「国民の妹」の写真集

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 今から5~6年前、NHKの7時台のニュースで、天気予報を担当した女性気象予報士を覚えていますか?彼女は「ピアニスト」にして難関国家資格の「気象予報士」の試験もパスした才媛だった。その名前は「岡村真美子」さん。私は彼女のロリ顔にして可愛らしい声や話し方までお気に入りで、毎晩のように見ていたし、出演した時の映像を録画したDVD5枚を今でも所有している。
 さて、上の画像だが、当時、気象予報士がこのようなエッセイ写真集を出版することなど珍しかった。それくらい「国民の妹」として人気が高かったのだ。
 しかし、ある日を境に、彼女はテレビの前から姿を消してしまった。同じ気象予報士の男性と不倫関係にあったと週刊誌にスクープされ、ダーティーなスキャンダルを嫌うNHKが担当を交代し、それ以降マスコミに登場することもなくなった。自身のHPも閉鎖され、その後彼女がどうなったかは不明。本業のピアニストとしての活動もしていないようだ。したがって、上の書籍は今では書店には置かれておらず、廃刊になったと聞いている。
 私は今も彼女の動向が気になって仕方ない。健康で元気で、幸せに暮らしていることを願っている。

 4 国鉄時代の「愛国から幸福まで」の切符

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 1970年代、まだJRが国鉄だった時代に「愛国から幸福へ」がブームになったが、その後、「エキゾチックジャパン」がキャッチコピーとなった頃に、私が現地で買い求めた「愛国から幸福ゆき」の切符。私が訪ねた時はまだ国鉄で、広尾線が廃止になる前だったので、列車が実際に走っていた。その時は、幸福駅は駅舎自体が売店になっている無人駅で、記念切符の販売はしておらず、2つ北にある有人駅の「愛国駅」用の物しか存在していなかった。

 他にもお宝にしているものがあって、まだNTTが「電電公社」だった時代のテレカを持っている。こちらは残念ながら未使用ではなく、穴が開いているので価値は低いだろう。

 さて、今日は一週間ぶりに再開したブログにしてはお粗末な内容だったが、タイトルの通り「唯我独尊」なので、自画自賛ばかりで独善的な内容ばかりにつき、あまり目くじらを立てずにご覧いただければ幸いです。

 

2020年5月 2日 (土)

お知らせ

 ネタ不足に加え、未だに蔓延を続ける新型コロナウイルスによる自粛要請を鑑み、本日よりGWが終わった後の5月8日までの間、新規記事のアップを休止させていただきたいと思います。ご容赦願います。

 なお、緊急掲載が必要な場合はその限りではありません。再開は5月9日を予定しております。

 

2020年4月28日 (火)

私の昼休み散歩③

 「緊急事態宣言」が全国規模で発出されている今、しばらくの間、昼休みの散歩を自粛していた。しかし、春の陽気に誘われてまた外出したくなった。昼休みは50分程度なので、片道1km程度の散歩はデスクワーク中心の私には、運動不足解消に一役買うし、新型コロナウイルスをどこで貰うか不安ではあるが、足腰の鍛錬にはうってつけなのだ。冬ごもりの間、ろくに歩かず、食ってばかりの生活で、オーバーウエイト気味で、階段では息切れをするようになった。

 20代には1シーズン30回も行ったスキーも、寒さに勝てず、この7年は一度も行っていない。これでは肥満一直線だ。学生の頃は、178cmで60kgしかなかったひょろひょろ体型だった私が、今では80kgに迫るほどだ。80kgと言えば、同年代の方は記憶にあると思いますが、同郷の西田敏行が主演した「池中玄太80キロ」を思い浮かべる。そう、小太りの代表的な体型だ。自分もそういう域に達してはメタボ一直線で、様ざまな疾患を発症してしまいそうで怖くなった。

 そこでようやく暖かくなったことを契機に、また一日3,000歩以上、できれば5,000歩の歩行を目標にした。これで今年行われる「人間ドック」の際には75kg未満を目指したい。女性は皮下脂肪なので、すぐに贅肉が落ちるが、私のような長年酒浸りで脂っこい食生活を続けて来た身としては、内臓脂肪をふんだんに蓄え、1年半以上続けている毎朝と風呂上がりのストレッチ程度ではびくともしなくなった。やはりダイエットと適度な運動の必要性を身にしみて感じた次第だ。

 ところで昨春、私は郡山駅周辺のオフィスビルに転勤になり、今年で2年目を迎えた。よって、中心市街地周辺で、昼休みの散歩コースをA~Eまで5パターン考え、天気や温度、風の強さに応じて、更にはその日の気分も考えながら、自由選択で歩くことにした。

 さて、前置きが長くなったが、過去2度の記事では、郡山商工会議所主催の「世界の創作イス・ベンチコンテスト」で入選した作品を巡る散歩を実施した。しかし、街中(中心市街地)のそれらはほぼ出尽くしてしまい、それ以降はあまり新規に発掘できないままになった。

 今日は前回以降に発見したベンチを2つ掲載したい。

 4月3日(金)発見

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 通算23体目は、長く休館していた麓山の郡山中央図書館にあった。楽器は「ハープ」。それも子ども用図書が置いてあるコーナーにポツンと置かれてあった。昼の時間帯で、休館空けになったばかりだったので、利用者は少なかったが、学校が休校措置になっているため、真面目な高校生が勉学に勤しんでいた。たぶん、安積か黎明の女子生徒だと思われる。

 4月27日(月)発見

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 場所は、前に訪れて1Fロビーに「ベートーベンチ」と「ホイッスル」が置かれてあった「商工会議所」だ。盲点だったが、その2Fにポツンと置かれてあった。すぐに写メを撮ったが、昼休みの時間帯で商工会議所の職員らしき女性が2人、ソファで休んでいたため、シャッター音を立てて写メを撮るのが恥ずかしかった。その傍らに「ヘ音記号」との記載があった。音符を象ったベンチは「うすい百貨店」の3階にもあったが、24体目はやはり音楽記号だった。

 これで発見は24体だが、全部で55体が郡山市内のどこかに散らばっている筈。残り31体。まだ半分にも達していない。実は、桜見物の際、郡山市役所(本庁舎と西庁舎)にも足を運んだが、一体も無かった。もしかして別の商業施設とか行政センター、冨久山図書館とか希望ヶ丘図書館あたりにもあるのか?

 所在について知っている方は、「ここにもあるよ」とコメント等でお知らせいただければ幸いです。

 

 

2020年4月27日 (月)

不運続きで残念な福島県・・・

 自分の故郷にして、現在の居住地に敢えてこのようなタイトルを付けたのは、郷里を蔑むためでは毛頭ない。まして卑屈に考えているわけでもない。そこは冒頭でおことわりがてら明言しておきたい。
 
 それにしても我が福島県は、2011年の「東日本大震災」に伴う「東京電力福島第一原子力発電所」の爆発事故以来、数奇な運命に翻弄されているような不運な出来事が相次いでいる。もちろんその最たるものは放射性物質拡散に発した長期に渡る避難生活と、現在も続く農作物や水産業への風評被害だが、実際はそれだけには留まらない。まずはそう思う根拠を示したい。


 1 東京五輪の会場予定だった福島市の野球・ソフトボールが延期になった。

 福島市西部の「あづま球場」はもともと森に囲まれた美しいロケーションにあった。それが野球とソフトボール会場に決定した後、福島県は、天然芝が美しかったこの球場を、莫大な予算を捻出して総人工芝に張り替える大規模工事を実施した。
 なのに、1年後に延期の不運。私は来年の開催も難しいと見ている。それは経済優先主義の政府の日和見対策では、1年後も「新型コロナウイルス」が終息できず、現在の窮状とさほど変化はないと思えるからだ。
 私自身は2年後の2022年まで延期されるとみている。そうなると、維持費もまた嵩み、福島県の財政を圧迫するのは必至。
Azumabaseballpark

 2 映画「Fukushima50」の観客激減で収益が減少

 今年最大の映画になる予定だった「Fukushima50」。2011年に発生した「東京電力福島第一原子力発電所爆発事故」で事態の収束を図ろうと、原発建屋内に留まり、放射能汚染の拡大を防ぐべく被爆の恐怖と背中合わせの中、最前線で命を張って闘った50人の職員、ヘリコプターで海水を散布した自衛隊、そして決死の覚悟で原子炉冷却のための放水作業を実施した東京消防庁の隊員たちの壮絶な格闘を描いた作品だった。

 本来であれば、日本中を感動の嵐に巻き込む壮大なスケールの映画で、大ヒット間違いなしの名作になるはずだった。しかし、よもや新型コロナウイルスの蔓延で、政府の全国の「緊急事態宣言」の発出によって劇場が封鎖される事態となった。当初見積もっていた観客動員は5分の1以下に落ち込んだ。渡辺謙、佐藤浩市などそうそうたる俳優陣が出演し、巨額な費用を投じて制作された一大スペクタクルであった。

 私が残念に思うのは、あの時、緊迫した発電所内の最前線本部でどのようなドラマが繰り広げられていたのか、その生死を賭けた奮闘ぶりを全世界の人々にアピールする絶好の機会を失ったことだ。
 ともすれば「東日本壊滅」の危機的状況をどう乗り越えたかのかを知ってもらいたかった。現状では、当分の間は、各劇場は封鎖されたままで上映再開されないだろうし、上映が延期、あるいは延長されることもなさそうだ。それほど新型コロナウイルスが猛威を震い、見通しがつかないからだ。

 3 朝ドラ「エール」で福島市に観光客が押し寄せるはずが・・・

 現在放送中のNHK朝ドラ「エール」。「栄冠は君に輝く」や「東京オリンピックマーチ」など不朽の名作を数多く残し、戦後の日本を元気づけた作曲家・古関裕而。彼は福島市出身で、古関役の窪田正孝をはじめ、その家族や登場人物が福島弁まるだしで話すその様子は、福島県民にとっては、言い知れぬ感動を覚えるものだし、新たな希望の光を感じさせる番組だった。
 本来であれば、東京オリンピック開催の2020年、そしてこのゴールデンウィークに、「聖地巡礼」のような少し気の早い愛好家たちが、多数福島市を観光で訪れるはずだった。テレビに登場した名所などは大変な賑わいを見せるに違いなかった。「東京オリンピック」との相乗経済効果は計り知れず、大いなる「エール効果」が期待出来るはずだった。

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 そう断言するには理由がある。それは以前、「てっぱん」が放映された際に、私自身が広島県尾道市を訪れたからだ。私だけでなく、そういうロケ地辿りを旅の目的にしている旅行者が全国には相当数いるのだ。そして震災後に放映された「あまちゃん」では、全国の「あまちゃん」ファンが、岩手県にどっと押し寄せた。北三陸リアス線や「北の海女」がいる「小袖漁港」を目当てに大挙して観光客が押し寄せたことでも証明できる。同じ現象やフィーバーが期待されていたのだ。
 
 その期待とは裏腹に、新型コロナウイルス感染拡大に伴う措置として全国一斉に「緊急事態宣言」が発出され、外出自粛はもとより、営業自粛を余儀なくされた店舗や企業が多く出たのは周知のところだ。観光業界は頭打ち、景気や経済活動は停滞。出口が見えないウイルス感染パニックのスパイラルに見舞われた。
 
 それにしても、なぜか福島県は、毎回こうした好機に際し、不運な出来事が多く発生する。このようなことは、最近の出来事ばかりではなく、10年以上も前から続いている。次にそれを例示しよう。

 4 首都機能移転で最有力候補から奈落の底に 

 もっと言えば、今から20年ほど前、「首都機能移転」の気運が盛り上がり、元県知事だった佐藤栄佐久氏の奮闘により、我が福島県とお隣りの栃木県が最有力候補になった。1999年に「栃木・福島地域」、「岐阜・愛知地域」、「三重・畿央地域」の3地域に絞られた際、小泉首相が「東京と大阪を結ぶ線上には誘致しないほうがいい」という一言で、「福島・栃木」に決まりかけ、県民も歓迎ムードが漂っていた。
 誘致をPRするCMは首都圏でも流され、結構な費用を投じた。

 最後のくまさんのセリフ「地震も少ないんだってよ~」は、今思えばあまりにも痛すぎる。
 
 この大規模誘致キャンペーン&ロビー活動で、唯一の欠点は誘致のキャッチフレーズが「森に沈む都市」だった。沈むはマイナスイメージでしかない。なぜそのフレーズを使用したのか意図がわからない。
 しかし、行け行けドンドンだったまさにその時、石原慎太郎が東京都知事になったのを契機に事態は一変した。石原都知事の「鶴のひと声」でそれまでの苦労がお釈迦になった。我が福島県は誘致に関わるロビー活動や宣伝広告費などで莫大な費用を投じていた。首都機能移転の実現に備え、インフラ整備も完璧だった。阿武隈山系の豊かな自然を切り開いてまで建設した「福島空港」の開港や小名浜港の拡張、それに首都機能候補地を囲むように計画された「トライアングルハイウェイ構想」など、あの当時は福島県は勢いに満ちていた。
 その苦労が石原都知事の出現により一気に水泡に帰すことになってしまった。当然、福島県民の落胆ぶりは大きかった。
 
 しかし、今思えば、その後の「東京電力福島第一原子力発電所事故」で多数の地域が緊急避難を余儀なくされた状況では、結果論だが、誘致していなくて幸いだったと言えるだろう。
  

 5 うつくしま未来博

 2001年夏、須賀川市郊外の阿武隈山系の広大な森林一帯を切り開き、最新テクノロジーの粋を集めて開催された「うつくしま未来博」。交通不便な山奥を会場にしたことで、そこにたどり着くのに手間暇を要した。そこに中央資本の大企業が出展し、大掛かりなパビリオンや一早くロハスを取り入れ、「自然との共生」をテーマにした展示などが目を引いた。当時、全国知事会の副会長を務めていた佐藤栄佐久氏の力は絶大で、数多くの企業が賛同し、アトラクションやパビリオンを出展させ、大々的に開催された。また、会場には「観覧車」や「空中散歩」と銘打ったスキー場のゴンドラで移動できる「スカイケーブル」などが目玉だった。パナソニック館では3D映像を流すアトラクションがあったり、すり鉢状の階段で最深部にステージを設け、会期中、日替わりで世界の国の民族音楽の演奏を行っていた。その中でも大人気だったのが「からくり民芸茶屋」と「なぜだろうのミュージーアム ムシテックワールド」だった。
 また、夕方から夜にかけては会場の中央部に設けられた池で、ウォータースクリーンを使用し、ライトアップしたイルミネーションの水上ショー(うつくしまナイトファンタジー)などが開催され、雰囲気を盛り上げた。なんとプロデュースを担当したのは、かの有名な音楽家の久石譲だった。

   地域交流館、産業未来館、農林水産館、21世紀建設館、くらしの知恵袋館、水の惑星ジ・アース、エコファミリーパーク、90市町村ふれあいパーク、国際交流ゾーン・ワールドビレッジ、森のネイチャーツアー&森の学校

 富士通館、健康長寿館、丸菱産業館、万博の歴史館、北陸マルタカ、パナソニック館、日立グループ館、ふれあい造幣館、NTTグループ館、東芝サザエさん館、IHIそらの未来館、資源エネルギー庁館、テラニシ「はだしらんど」、東北電力・東京電力共同館、トステムクイズギャラリー、NECフューチャーネットパビリオン、須賀川テクニカルリサーチガーデン館

 用地面積は約46ヘクタール。172億400万円の収入に対し、支出は160億300万円、約11億7千万円の黒字を計上した。開催期間中、200万人(県の総人口とほぼ同じ)の目標に対し165万7,002人が来場した。猛暑の影響で序盤の来場者は低調であったが、中盤からは1日あたりの入場者数が増加、最高となった9月23日には62,621人が来場した。 

 
 入場ゲートはその場しのぎの文化祭並みのお粗末なものだったが、「ムシテックワールド」などの実験研究学習施設は現在も唯一現存している建物だ。でもそこに行くまでが遠く、郡山市内からだと1時間近くかかる。

 私も「未来博」には3回ほど訪れた。当時の佐藤知事は全体で黒字だったと評価したが、実はこれにはからくりがあった。県外からの訪問客が思いのほか伸びず、チケットが大量に余り、県内の幼稚園から高校までのすべての学校の遠足で、未来博への入場を半ば義務付けた。入場数はそうして稼いでいた。宣伝PRや誘客用CMに使用された岩崎宏美の「永遠のこころ」の曲も素晴らしかった。
 

 現在、そこは一部の施設(ムシテックワールドとすり鉢状のステージ跡)だけが残り、その後、住宅団地として売り出されたが、周辺に商業施設はなく、夜には真っ暗で人影が少ない寂しい場所のため、今もあまり買い手がつかず、大量に売れ残り、空き地と化している。そこは疎開するようなへき地で、何か陸の孤島で島流しにあったかのような流転の地と化し、誰も寄り付かないであろう。出るのはタヌキ、イノシシ、イタチくらいのものではないか?


 6 福島空港

 1993年、東北で一番最後に開港したのが福島空港。それは県民の悲願でもあった。開港当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで、滑走路が2000mでスタートしたが、500m延びて2,500mになり、ジャンボ機が就航できるまでになった。航路も札幌便、大阪便、名古屋便でスタートし、全日空と日本航空が就航した。その後、福岡便、函館便、沖縄便が路線開設した。その後、不定期ながらも帯広便、広島便が新たに加わった。
 さらには国際空港化し、定期便としてアシアナ航空のソウル便と中華航空の上海便が航路として追加となった。

 しかし当初の予想とは裏腹に、利用者が年々減り、2009年には日本航空が早々と撤退し、その後も 減便やら航路廃止などに歯止めがかからず、現在は大阪便と札幌便だけしかなく、一日1往復に減ったドル箱だった札幌便ですら新型コロナウイルスの影響で長期的な欠航となっている。今も再開の見通しはついていない。

Fukushima-airport   

 さて、我が愛する福島県ではあるが、過去にはこのような残念すぎる出来事に振り回された経緯がある。

 ここまで悪いことを書き連ねたが、最近の出来事で県民が沸いたことを書きたい。

 1 福島県産の日本酒が「全国新酒鑑評会」で7年連続金賞受賞数日本一に輝いた。 

 2 昨年の全国都道府県対抗男子駅伝競走において初優勝を飾った。

 3 今春、震災以降、不通となっていた常磐線が全線再開通した。 


 結びにこれからの見通しについて語りたい。実はこのGWに最大の危機を迎えると見ている。あれほど小池知事が「STAY HOME」を訴えても、10連休以上ともなれば、中国の春節のように、東京を脱出し、地方へ人が流出するのは見え透いている。感染拡大が広まっても、日本人はどこか「自分は大丈夫」なるおかしな自信があって、実際に感染してようやく気付くケースがいかに多いことか。
 せっかくの大型連休を忍耐強く自宅で過ごす家庭がどれくらいいるだろうか。私は帰省も含め、まだ感染者が確認されていない会津地方を中心に、首都圏から観光客が押し寄せ、感染が拡大する危惧を抱いている。それが証拠に、国道を走行していると、すでに「大宮」や「袖ヶ浦」、「足立」、「八王子」などの県外ナンバーを多く見かけるようになった。稀少だが、営業しているパチンコ店の駐車場でも県外ナンバーの車が目立つようになった。大阪などでは要請を無視して営業を続けているパチンコ店の名前を公表したが、それも愚策でしかない。この状況下で、わさわざご丁寧に営業している店をバラしているようなもの。パチンコ愛好家にしてもれば、「そこは営業している」と受け取り、「ラッキー」とばかりにこぞってその店に殺到するだろう。現に大阪府のパチンコ店には遥々福岡県からやって来た人や岡山や大分ナンバーすら駐車場に停まっていた始末だ。そこでクラスターが発生する危険は増大する。おそらく2週間後に、大阪でパチンコ店を発生源とした感染者が急増するに違いない。自業自得と言えばそれまでだが、自己管理が希薄な人は感染リスクも高くなる。

 こうした危機的状況にあっても「パチンコ命」で半ば中毒症状の自分本位の愚行をする輩がいる以上、コロナ騒動終息など夢物語でしかない。声を大にして言うが、今は、我慢の時だ。経済効率ばかりを最優先し、もっと強い政府の方向転換の方針がない以上、この混乱は収まりそうもない。だから国民の意識改革こそがこの急場を凌ぐ最大の手立てなのだ。事実、「緊急事態宣言」から半月あまりが経過して、休校や外出を自粛し、自宅にとどまっている善良な都民は、相当なストレスで疲弊が著しい方もいる。これ以上の自粛生活は正直酷だが、万が一自分や愛する家族が感染した場合は、それ以上の窮状を強いられる。持病がある方は致死率も高くなる。よって今はただただ、我慢の時で、今日の頑張りが、2週間後の自分を救うと思ってほしい。

 経済は立て直すことができるが、一度失われた命は二度と戻らないことを最後に声を大にして言いたい。私たちは志村けんさんや岡江久美子さんが命を引き換えにして証明してくれたことを無にしてはならないのだ。 

 

 〈追記ー2020/05/03〉  新型コロナウイルスが猛威を奮う中、全国一斉に「JINー仁ー」が放送された。現在、命の最前線で闘う医療従事者へのエールの目的だと思う。江戸時代の流行り病のコロリは現在のコロナウイルスとダブらせている。南方医師がコロリに感染するストーリーは、医師や看護師が感染している現状そのままだ。  実は私は一週間前にこの物語のDVDを見たばかりだった。つい涙してしまった。  医療関係者には感謝してもしたりない。

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