2020年7月
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2020年7月 3日 (金)

福島県の祭りごと

 日本全国どこの都道府県でもその御国自慢の風物詩としてお祭りなどのイベントがある。日本三大祭りとされる「京都祇園祭」や「大阪天神祭」、そして「東京神田祭」。しかし、私などは北海道の「雪まつり」、青森の「ねぶた祭り」徳島の「阿波踊り」などは欠かせないし、激しいものは「長野県諏訪の御柱祭」、「岸和田のだんじり祭り」、「浅草三社祭」も書き漏らせない。
 各県で特色あるお祭りが開催される夏から秋にかけての季節を迎えるが、今年は「密」を避けるために、自粛が相次いでいるのが残念で寂しい限りだ。
 そこで紙上ではあるが、我が福島県で開催される祭事や花火大会を自分なりの順位付けでお送りすることで、気分だけでも味わいたい。


 福島県の祭事トップ10

 1 相馬野馬追祭り
     
 これは相馬市ではなく現在の南相馬市(旧原町市)で行われる。最大の見せ場は市内の雲雀ヶ原で行われる御神旗争奪戦。花火で打ち上げられた御神旗が空中を舞い、それが地上に降りてくる間に、人馬一体となってそれを奪い合う。迫力と大歓声が原っぱじゅうにこだまする。テレビ中継も行われる一大イベント。
 もちろん流鏑馬も行われる、原町挙げてのお祭りだ。真夏の暑い中で開催されるため、毎回救急車が待機している。

 2 須賀川市松明あかし

 空気が澄んだ11月の夜空を鮮やかに焦がす勇壮かつ優美な祭り。市内の翠が丘公園の五老山に立てられた高さ10m以上ある巨大な松明が30本くらい立ち並ぶ。地元の企業や小中校で制作された松明に一斉に火がともされると、祭りはクライマックス。
 郡山出身の私ではあるが、縁あって昭和の最後の年にそれに加わった。間近でそれを体験した時は寒さを忘れ、感動で全身が震えた。
    
 3 二本松提灯まつり

 こちらは10月の第一週目に開催される日本三大提灯祭りのひとつ。各町内・組ごとの山車に括りつけされた提灯が坂の町二本松を駆け回る。亀谷のロータリーでの山車の回転は見事。これが終わると、菊人形祭りの訪れを告げる。

 4 福島市わらじ祭り
 
 福島市の夏祭り。日本一の大きいわらじを担ぎ市街地を練り歩く特徴から、福島県を代表する祭りに数えられる。 江戸時代から300年以上の歴史がある信夫三山暁まいりを参考に、1970年(昭和45年)に福島市及び福島商工会議所が市民の健脚を願って始めた夏祭りである。旧正月14日に片方の大わらじを奉納(信夫三山暁まいり)し、8月にもう片方の大わらじを奉納する。8月の祭りが福島わらじまつりである。
 わらじの大きさでは日本一の大きさを誇る。東北6大祭りに数えられている。 

 5 二本松菊人形
 
 昭和30年から続く伝統ある菊の祭典。職人が丹精込めて作り上げた菊人形や世界に誇る千輪咲きなど色鮮やかな菊花が会場を彩る。福島県菊花品評大会や二本松菊花品評大会、物産展も同時開催している。かつてはNHKの大河ドラマがテーマになることが多かったが、最近で独自のストーリーで開催されている。震災で十三段返しの芝居小屋が損壊し、会場が縮小された。
 私は母親の実家が市内にあったため、祖父母に会いに行ったついでに菊人形を欠かさず見ていた。その後、20年ほど足が遠のいたが、最近4年前から再び毎年訪れるようになった。県内のテレビ局でも必ず中継するし、ラジオ福島では特設ステージを設け、生中継で番組を放送している。

 6 白河だるま市(毎年2月)
   
 時の白河藩主・松平定信が城下の繁栄を願い、お抱え絵師の谷文晁にだるまを描かせそれを花市で売り出したのが始まりと言われています。約300年の歴史を誇るこのお祭りでは本町から天神町に至る市内の目抜き通りを中心におよそ700軒もの「 白河だるま」などを売る露店が立ち並びます。白いだるまは「開運祈願」赤いだるまは「 厄除け」と「家内安全」の御利益があるとされて、小さなだるまから買い始めて年々大きなものにしていく末広がりの縁起をかつぐ慣わしが今も残っています。当日は市内外から多くの買物客が訪れます。

 7 会津若松市彼岸獅子
 
 長い冬に終わりを告げ、春の彼岸入りとともに、三体の獅子が笛と太鼓の音色に合わせ、古式ゆかしい舞を披露しながら市内を練り歩きます。豊作と家内安全を祈り、春の訪れを喜び合う会津の伝統行事です。
 900年以上続く伝統行事。家臣の魂を鼓舞するために、舞ったのが始まりと言われる。

 8 木幡の幡祭り
 
 こちらは元々は二本松の隣町であった東和町の木幡地区の伝統的なお祭りであった。平成の大合併で二本松市に統合され、現在は二本松市のお祭りとなった。
 この祭りは、天喜3年(1055年)前九年の役に由来するものと言い伝えられています。戦いに敗れた源氏の軍勢がわずか数騎で木幡山に立て籠もったところ、一夜にして降り積もった雪で全山が白くなった様を追走してきた安倍の軍勢が、源氏の白旗に見間違え戦わずして敗走した故事により現在「幡祭り」として伝承されています。
 現代では、白幡を先達に色とりどりの幡が行列し「日本三大旗祭り」の一つとも言われています。また、古より伝わる儀礼を色濃く残していることから、平成16年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 9 いわきじゃんがら念仏踊り

 じゃんがら念仏踊りは、福島県いわき市を中心に分布・伝承する郷土芸能で、地区ごとに鉦、太鼓を打ち鳴らしながら新盆を迎えた家などを供養して回る踊念仏の一種である。どちらかと言えば賑やかに死者を弔う。結構、若い衆が参加している。
   
10 郡山市うねめ祭り 

 昭和40年に安積郡9カ町村が郡山と合併し、市民が一体となれるまつりをおこしたいという気運が高まり、郷土の伝説である釆女物語を主題とした『うねめまつり』がつくられました。
 一方、奈良市でも釆女物語が残されており、毎年仲秋の名月の晩には『釆女祭』が猿沢の池で行われています。これが縁で郡山市と奈良市は昭和46年、姉妹都市を締結し、毎年8月には奈良市から親善使節団が郡山市を訪れ、また仲秋の名月には郡山市から親善使節団が奈良市を訪問、両市の交流を深めています。
 私は郡山市民だが、歴史は私が生まれた後に作られたことから、歴史は浅い。何か宿場町だった郡山市に、みんなで盛り上がれる夏祭りを作りたくて、いろんな知恵を持ち寄って誕生させたもので、こじつけ感が強いし、浴衣姿の地元企業や高校生などが踊り流す地味なお祭りだった。それを変えようとミスうねめのパレードや御神火リレーやら、うねめサンバやちびっこうねめなど多彩な催しを加えるようになった。
 あさか開成高校の「よさこい」などは圧巻だ。

 ほかにも、毎年1月に開催される「坂下町」の「大俵引き」も迫力があって人気がある。長さ4m、高さ2.5m、重さ5トンもある大俵を二手に分かれて綱を引き合い、東方の上町が勝てば米の値段が上がり、西方の下町が勝つと五穀豊穣で豊作となるという。
 同じような大俵引きの奇祭は、旧会津高田町でも行われている。 400余年の伝統を誇る行事で、毎年1月第2土曜日に開催されます。 長さ5メートル、重さ3トンの大俵を紅白に分かれ、紅が勝つと商売繁盛になり、白が勝つと五穀豊穣になると伝えられている、下帯一本の裸祭りです。
 また、柳津虚空蔵尊で行われる「七日堂裸参り」も勇壮。下帯姿の若い衆が寺の綱を大挙してよじ登る様は圧巻。
 

 花火大会

 1 小名浜花火大会
 2 釈迦堂川の大花火大会
 3 伊達のふる里夏まつり大花火大会 
 4 二市一カ村日橋川 川の祭典 花火大会
 5 久之浜大久地区 浜の夏まつり
 6 いなわしろ花火大会
 7 あさか野夏まつり花火大会
 8 広野町サマーフェスティバル
 9 ふくしま花火大会
10 富久山町花火大会

 ビール片手に夕涼みがてら夜空を焦がす大輪の花火を眺めるのが夏の風物詩のひとつだ。いったいいつになればまたこうした光景がみられるようになるのだろうか?

 さて、県外の方々にすれば、今日の記事は「なんのこっちゃ」と雲をつかむような話だったと思うが、我が福島県には主だった祭りを挙げてもこれだけある。私は祖父母が会津出身、母親が二本松市出身ということもあり、また私自身は会津にもいわきにも住んだ経験があり、桧枝岐や昭和村などの奥会津を除いてはある程度足を踏み入れたことがある。それでも祭事となると、その時機を逃すと1年間待たなければならない。また、今年のような流行り病が蔓延すると、そのせっかくの機会すら失われてしまう。
 「新型コロナウイルス」が一日でも早く終息することを祈りつつ、再び県内各地でお祭りが再開されること願いながら結びとしたい。

2020年6月25日 (木)

福島県で見られる外国風景

 以前、旧ブログで「郡山にある世界遺産」なる記事を書き、それが「サタふく」にも取り上げられたことがある。今回は、我が福島県に於いて、多少なりとも外国の有名な景勝地や観光地の風景と似ているスポットをピックアップしてみた。

 1 ハリウッドの荒野と磐梯吾妻スカイライン(浄土平より高湯側500m地点の直線道路)

Hollywood
Skyline

 今年、SNSでアメリカのロサンゼルスにあるハリウッドの山岳風景が、福島県の「磐梯吾妻スカイライン」と似ていると話題になっている。浄土平の吾妻小富士から福島市側に下って700mほど行くとこの風景に出くわす。アメリカの荒野っぽいと評判で、バイクでツーリングや車でドライブしたいというコメントが殺到している。確かに真夏に、風に吹かれてバイクで吹っ飛ばしたい気分にさせてくれる一本道だ。

 2 セントヘレナ山と裏磐梯

SaintherenaUrabandai

 両者ともに共通点は大規模な噴火によって山の形態が大きく変わる「山体崩壊」を起こした点。両者共に活火山なので、またいつ噴火、あるいは爆発するかわからない。裏磐梯も常に噴煙をたたえている。スケールの大きさを思い知るし、自然の雄大さはもとより、得体の知れない力をひしひしと感じ取れる風景だ。

 3 カナダのワードハントレイクと浄土平の魔女の涙

Wordhuntlake
Majyonohitomi

 ここは福島市の吾妻小富士のある浄土平から西側の一切経山を登った先にある湖。その名も「魔女の瞳」と言われる。エメラルドブルーの湖面は酸性湖のため、生物は生息していない。紅葉シーズンは最高のロケーションとなる。蔵王のお釜にも似ている。どこかスイスにもありそうな風景だ。

 4 カッパドキアと郡山市「浄土松公園」きのこ岩

Kappadokia  
Kinokoiwa

 世界遺産のトルコ「カッパドキア」と郡山市の西部にある浄土松公園内にある自然の造形美の「きのこ岩」。どちらも天然の景勝地で、郡山のそれは「陸の松島」と称されるほどの威容お誇る。なぜこのような形状になったのかは不明だが、形はにょきにょきと地面からキノコが生えているかのようで、ちゃんと笠の部分もある。不思議だ。残念ながら風化が進んでいるのと、東日本大震災で一部が崩落し、今はきのこ岩に登ることはできない。私が幼少の頃は探検気分で岩のてっぺんによじ登れたし、かくれんぼをするのにも十分だった。 

 我が福島県には何を隠そう「国宝」はたった一つしかない。なのに、国立公園などは多く、雄大な自然には事欠かない。世界遺産にも決して引けをとらない大自然がそこにはある。名峰、磐梯山や安達太良山、そして吾妻山。日本で4番目の面積を誇る透明度抜群の猪苗代湖、そして温泉地も数多く点在している。観光にはもってこいのロケーションだ。ぜひ、我が福島県に観光で訪れていただきたい。

2020年6月23日 (火)

福島県内で動物とふれあえるスポット

 近年、何かと「猫カフェ」やら「うさぎカフェ」なるものが登場した。動物とふれあいながらカフェを楽しむという趣旨だが、動物の毛が服にまとわりついたり、しらみなどの微生物が寄生しているやも知れぬ犬猫と戯れながらお茶を飲むというのは気管支の弱い私には相いれない部分がある。
 また、犬は人間に従順で可愛いと思い、一度は「秋田犬」を飼いたいと思ったが、私は幼少の頃に犬にかまれた経験があって、家内は動物の臭いがダメで、しかも子どもの頃に犬に追いかけまわされた苦い経験があって、どうもそれがトラウマになっていて飼えなかった。せっかく戸建てに住みながら一度も生き物を飼った経験がない。金魚すらも飼ったことがない。
 実家にいた時に、トラ猫を飼ったが、目の前で悶絶して死ぬ場面を見て以来、可哀そうになって飼えなくなった。たぶん、他の猫と喧嘩したか、あるいは車に撥ねられたかのいずれかだったと察する。自力で家までたどり着き、そこで暴れた末に息絶えた。
 私の話はさておき、世の中には多趣味の方がいるようで、中には爬虫類や猛禽類とカフェを楽しむ店もあるというから、恐ろしい。私はヘビやワニなどの爬虫類はまったくダメで、気持ち悪いとしか感じない。
 これらは極端な例だが、「磐梯吾妻スカイバレー」には野生の猿が道路まで群れを成して出てくるスポットとして有名だが、我が福島県には、動物が主役で直にふれあえるスポットというのも決して少なくない。
 今日は、そうした場所を取り上げたい。


 石筵ふれあい牧場(郡山市)

 郡山の北西部に磐梯熱海温泉がある。そこから約10キロほど県道を北に進めば、母成峠へと続く「旧母成グリーンライン」となる。その昔料金所のゲートがあった場所の手前を右に折れると「石筵ふれいあい牧場」がある。
 ここはその名の通り牧場で、家族連れで楽しめる施設。うさぎや羊、ヤギ、馬、牛などが多数いる。家畜動物園、おもしろ自転車で場内一周、ターゲットゴルフ、芋煮、バーベキュー、乗馬などを楽しむことができる。また池には数千匹の錦鯉がおり、餌やりを体験することができる。ここでとれた牛乳やアイスなどを飲食できる。入園料は大人300円、小中学生は150円という安さ。営業時間は9:30~16:30で、定休日は毎週火曜日。なお12月1日から3月31日までは冬季休園。

 カブトムシ自然観察園「ムシムシランド」(常葉町)

 福島県の阿武隈山系にある常葉町。自然の中でカブトムシの生態をつぶさに観察できる日本初の「カブトムシドーム」、自然林をネットでおおい、中でカブトムシの成虫の生態がじっくり観察できます。カブト屋敷(昆虫館)にも自由に入場する事ができます。
 入場料は大人400円こども300円 開園期間は短く、7月13日から8月25日 午前9時30分から午後4時30分まで 休園日は毎週水曜

 東北サファリパーク(二本松市)

 東北の動物王国として二本松市の安達太良山の麓に年にオープンした。面積は1,500,000mを誇る。
 ライオン・トラと言った肉食動物、キリン・アフリカゾウと言った草食動物、鳥類、爬虫類など140種、約900頭羽の動物が飼育されている
サファリパーク。放し飼いエリアをマイカー、代車(レンタカー)、園内バス(大型連休時のみ運行)で見学することができ、草食動物エリアでは車内から動物に餌を与えることができる。
 世界的に珍しいホワイトライオン、ホワイトシマウマを始めとしたホワイト動物が飼育されている。また、サル劇場、アシカショー、フラミンゴショー、ドッグショーなどの動物ショーも行われている。
 東北サファリパーク及び隣接するエビスサーキットは、当サファリパーク創業者である熊久保勅夫の子で、D1・レーシングドライバー熊久保信重が代表取締役を務める。

 ムシテックワールド(須賀川市)

 2001年(平成13年)に開催された「うつくしま未来博」の敷地に唯一現存するパビリオン。
 昆虫をテーマにした科学館。(2階建て)で、うつくしま未来博で使用されていた「なぜだろうのミュージアム」の施設が、「うつくしま未来博」終了後に、須賀川市が引き継ぎ「ムシテックワールド」として、2001年11月にオープン。
 「ムシテックワールド」の屋根には太陽光発電システム(太陽電池240枚)が設置され、発電量は約20kW。駐車場には、太陽光と風力で発電する街路灯を設置。独立して発電できるため、電線は必要ない。空調は空気を取り入れるチューブを地中に埋めたアースチューブという省エネルギーシステム。建物の塗装はホタテ貝とモミ殻が原料のカルシウムペイント。
 毎年11月1日の開館記念日には、施設が無料開放される。 開館時間 9:00 - 16:30
 休館日は月曜日(この日が祝日の場合は開館)、祝日の翌日(この日が土・日の場合は開館)、年末年始(12月29日 - 1月3日)
 入館料 一般 400円 / 高校・大学生 200円 / 小学・中学生 100円 / 未就学児 無料


 芦ノ牧温泉駅(会津若松市)

 会津高原鉄道の「猫駅長」がいる駅として有名。2008年に初代名誉駅長に就任した「ばす」は、2016年に老衰で天国へ旅立ち、現在は2代目の「らぶ」が観光客を出迎えてくれる。弟で施設長の「ぴーち」も2017年に仲間入りした。現在「ぴーち」は病気療養のため、2020年3月いっぱいで施設長を退任している。最近は「さくら」が新入りとして加わった。
 芦ノ牧温泉駅は福島県会津若松市大戸町にあります!会津線は会津若松市〜南会津町間を運行しているローカル鉄道です。


 シーフードレストランメヒコ(いわき市・郡山市)

 県内ではいわきと・郡山に「フラミンゴ館」を営業している。かつては「モンキー館」などがあった。私は一度だけ食事をしたことがある。ファンには申し訳ないが、動物の臭いと動き回っている動物たちを前に、落ち着いて食事が出来ず、それ以来、行かなくなった。
 1970年、メヒコ商事が福島県いわき市にカニピラフを主体とする「メヒコ フラミンゴ館」を出店。これを皮切りに福島県と茨城県を中心に、東北・関東圏にシーフードレストラン「メヒコ」を展開。
 看板メニューはカニピラフである。蟹がピラフの上に殻のまま乗った状態で提供されるというのが特徴的で、客は殻から身をほぐしながら食べることが出来る。なお、カニピラフはテイクアウト可能。過去にはネット通販や一部のスーパーマーケットで、冷凍のものを販売していたが、メヒコ店舗でのつくりたて折詰のみとなっている。南国を意識している「フラミンゴ館」とよぶ店舗(6店舗)がある。「フラミンゴ館」では店内でフラミンゴが飼育されており、フラミンゴを見ながら食事ができる。「フラミンゴ館」では、テーブルには『フラミンゴQ&A』がある。創業者がメキシコに行ったときにフラミンゴの群れを見て感動したのが、飼育するきっかけ。フラミンゴの寿命は50年から60年程度である。

 南ヶ丘牧場(猪苗代町)

 酪農を中心とした入場無料の観光牧場です。動物とのふれあいや、おいしいグルメ、日本で約200頭の希少なガーンジィ牛の恵みで作る乳製品の販売やアイスクリームづくり体験など、楽しいことがもりだくさんの牧場。
 高原のさわやかな風を肌で感じ動物たちと遊び、三角屋根の下でロシア料理に舌鼓。牛や馬、羊、ロバ、ヤギなどの動物たちとふれあえる。ほかにも乗馬、パターゴルフ、アーチェリー、ロバにも乗れる。
 森に囲まれた場所にあるため、国道49号線沿いからは見えず、アクセスがわかりづらい。
 現在は、新型コロナウイルス対策のため9時~16時の短縮営業。夏季は定休日なし。雪深い場所の為1月~3月は休園。


 環境水族館アクアマリンふくしま(いわき市)

 2000年7月15日にオープンした福島県初の海洋学習施設。一般の水族館ではないため、イルカやアシカショーなどの興行は行っていない。浜通り南部の太平洋に面した小名浜港第2号埠頭(いわき小名浜みなとオアシス・アクアマリンパーク内)に立地する。
 「海洋科学館」や「環境水族館」という名目のごとく、観光施設の要素に加えて教育施設の側面も持ち、水生生物の環境事業も行っている。そのため施設内にタッチングプールや展示物を設け、水生生物保全センターを設置している。
 そしてここは各エリアごとに分かれて収蔵している。

わくわく里山・縄文の里 主な生物 - ユーラシアカワウソ、アカネズミ等
海・生物の進化 主な生物 - スナイロクラゲ、オウムガイ、アメリカカブトガニ、ヒガシナメクジウオ、クロヌタウナギ、スポッ
テッドガー、シロチョウザメ、ネオセラトドゥス、オオサンショウウオ等
福島の川と沿岸 主な生物 - ニッコウイワナ、ヤマメ、ゲンゴロウ、タガメ、イモリ、キンブナ、クサフグ、ボラ、メバル等
北の海の海獣・水鳥 主な生物 - クラカケアザラシ、ゴマフアザラシ、トド、ウミガラス、エトピリカ、オセアニック・ガレリア
主な生物 - ニホンウナギ、キングエンゼルフィッシュ等
熱帯アジアの水辺 主な生物 - マレーハコガメ、ブンチョウ、アジアアロワナ、ミナミトビハゼ、トランスルーセントグラスキャ
ット、テッポウウオ、クロウミヘビ、ウシエビ等
サンゴ礁の海 主な生物 - メガネモチノウオ、テングハギ、ナンヨウハギ、ヘコアユ、チンアナゴ、ハナダイ等
親潮アイスボックス 主な生物 - ハダカカメガイ、ナメダンゴ、トヤマエビ、オオカミウオ等
潮目の海 主な生物~黒潮水槽~ - マイワシ、カタクチイワシ、カツオ、キハダ等
主な生物~親潮水槽~ - サンマ、ウミタナゴ、チゴダラ、マボヤ等
ふくしまの海~大陸棚への道~ 主な生物 - マルアオメエソ、キアンコウ、タカアシガニ、マトウダイ等
アクアマリンえっぐ 主な生物 - ユーラシアカワウソ、レッサースローロリス、キンカチョウ、インドシナウォータードラゴン、
マダガスカルオオゴキブリ、ディスカス、トラウツボ、タマカエルウオ、会津地鶏等
BIOBIOかっぱの里 主な生物 - トウキョウダルマガエル、ドジョウ等
蛇の目ビーチ 主な生物 - ヒトデ、ナマコ等
シーラカンスの世界 主な生物 - シーラカンス(標本)、インドネシアシーラカンス(標本)、タマカイ等
生きた芸術 金魚 主な生物 - 浜錦、オランダシシガシラ、地金、コメット、東錦、ニシキゴイ等
クウェート・ふくしま友好記念日本庭園  主な生物 - フェネック、錦鯉、葛等

 6月現在の営業時間 9:00~17:30 入場料 大人1,850円 小学生~高校生900円 休館日はなし

 全国の学校が学校教育活動の一環などで利用する際は減免申請で入館料が無料になるという

 いなわしろ淡水魚館(猪苗代町)

 磐梯山のふもとにあり、飼育水には1年を通して温度差のない磐梯山の天然水を利用。 猪苗代周辺の淡水魚の展示とともに、世界の淡水魚の展示も行い、館内はけっこう広い。 水族館に入ると正面に、水苔でおおわれた石組みを流れる滝が、渓流魚のいる水槽にそそぎ、清涼感が漂う。そこからはまず渓流の魚たち、イワナやヤマメのコーナーだ。夏に訪れたならいい冷気を感じるだろう。
 2階には、アマゾンの魚類の部屋や、ハ虫類のコーナーなどがある。 さらに奥には、川を上流から猪苗代湖まで階段状に区切った大きな水槽。近ごろ流行りの陸上部まで再現したジオラマ水槽ではないが、水槽それぞれの広さと奥行きがあるので、水槽内には自然とあまり変わらない川底を見ることが出来る。
 入館料大人300円 小中学生150円 毎週水曜日休館 9時~17時

 ちなみに余談だが、私は特段、行く予定はないが、福島県内にある「動物カフェ」の一覧を記します。

 福島市「猫と木」(鎌田)、「猫カフェあいきゃっと」(曽根田)
    「エキゾチックアニマルカフェRicky」(三河南町)

 郡山市「保護猫カフェここねこ」(田村町守山)、「保護猫カフェラブラブ」(静町)
    「猫カフェねこひげ」(喜久田町前田沢)、
    「ふくろうカフェふくのもり」(安積町笹川) 
    「うさぎカフェ chocolate otter」(土瓜一丁目)

 いわき市「保護猫サロンオハナ」(常磐湯本町)

 会津若松市「会津めごねこ」(大町)

 新型コロナウイルスが終息したら、ぜひ訪れてこれまでの自粛生活で溜まったストレスを癒されてほしいと思います。

 さて、ここからは少し辛辣な話になるので、動物を可愛いとだけ思う方はここで退去をお願いします。

 日本人は不思議なもので、動物とふれあったり、命の大切さを動物を通して学ぶことがある。動物愛護週間などはその一例だが、一方では、目に見えなければいいとばかりに鶏や豚、牛などの肉、魚などを食す。同じ命でありながら、守られる命がある一方で、人間に食べられるために意に反して殺される運命の命もあるのだ。直接手を下さず、見えない所で死んだ命は躊躇なく食べられるのに、犬猫を殺すと動物虐待などで法で裁かれる。まったくもって身勝手な生き物だ。臭いものに蓋をするようなあくどい所業だ。

 クジラのように数が少ないから保護し、数が多いから殺処分はOKという発想もなかなか難儀だ。見た目が可愛いとか賢いから殺さないというのは人間の勝手な命の線引きで、命の重さはどちらだって同じな筈だ。人間は生きとし生ける者を食べてここまで生きながらえて来た。とうことは、こうした猫カフェも可愛いから触れあって癒されるという発想も所詮はその類なのではないのか?自問自答せずにはいられない。


 同じように、私が6年前に、札幌の羊ヶ丘展望台を観光バスで訪れた時、ガイドがいみじくもこう話した。「到着して最初の30分は可愛い子羊たちと存分にふれあって、可愛いと愛でた後、それをレストランで食べるという恐ろしいコースです」と。
 それは事実のブラックユーモアなのだが、居合わせたバスの乗客からはどっと笑いが起きた。所詮、人間の動物への愛情はその程度なのだと思った。生後12か月に満たない子羊の肉は「ラム」というそうだが、子どものまま、いや赤ちゃん羊のまま殺されて人間に食べられる運命はどうなのか?これが人間だったら絶対に許されない行為だ。

 今回取り上げたのは、動物とふれあうことを目的とした偽善的な発想かもしれない。しかし、命の大切さや生物の生態を学ぶにはこうした機会を置いてほかにはないのもまた事実だ。
 動物をありがたくいただいている身として、どうしても避けられないことなら、それならばありがたく自然の摂理に感謝して、食べ残すことがないようにしていくべきだと思う。

2020年6月17日 (水)

福島県民でも行かない珍スポット

 珍スポット呼ばわりするのはかなり失礼かもしれない。たとえばUFOで町おこししている「飯野町」の「UFOふれあい館」は、どちらかと言えば物珍しさから県内よりも県外の方の方が訪れているのではないか?あまりにも無名だったため、一度、テレビ東京の「TVチャンピオン」の企画で人を呼ぶためのアイディアおよび創作物を築いたことがある。それは段ボールでできたかなり頑丈な遊具だった。私が3年前に訪れた際には、もう使い古されたのか、すっかり無くなっていた。ほかにも知る人ぞ知る名所や珍スポットが山ほどある。今日はその一端を紹介できればと思います。

1 英国村(ブリティッシュヒルズ)

 行かない理由・・・観光では行けない。英語の研修施設のため、一般の方は自由に出入りや見学できない。敷地内は英国を思わせる建物で溢れ、日本語は一切使えない異国空間。建物の内部もまさしく「ハリーポッター」を彷彿させる造りで、大きな暖炉があったりする。調度品もすべて高級品だ。維持費が大変だろうと勝手な心配をしてしまう。
 羽鳥湖の西部の山の中腹にあり、アクセスもあまり良くない。冬は雪に埋もれる場所だ。私はかつて「キョロロン村」や「羽鳥湖スキー場」は何度も訪れたが、この「ブリティッシュヒルズ」はどこから入ったらいいのかわからず、それに遠いので行ったことが無い。

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2 旧姫沼アートランド

 行かない理由・・・その存在をあまり知られていない。

  昭和の時代まであった「レジャーランド」。美しい湖畔に周辺の山並みが映り込み、風光明媚なスポットだった。当時はキャンプ場やボート漕ぎ、それに子どもが遊べる遊具公園、そして釣りも出来た。三角屋根のレストハウスで食事も出来たし、バーベキューも楽しめた。
 前回、別の記事で記述した通り、ここへは亡き父親と訪れた想い出が詰まっている大切な場所だ。紅葉シーズンはこの場所の存在を知っている方だけが訪れ、カラフルな色どりを楽しめる。入り口の標識も全くないので、たぶんわからずに通り過ぎてしまう筈だ。意外な場所にその入口がある。

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3 小手森城址

 行かない理由・・・怖いし行ったら呪われたり祟られるから。現に私が伊達政宗の足跡を辿るために、7年前の平成25年に訪ねた時に、石段を登っている最中にじん帯を痛め、しばらく治らなかった。ここは物見遊山で行っては絶対アカンスポット。なぜなら伊達政宗が父親を殺された恨みから、女、子どもから家畜に至るまで700人をなで斬りした場所で、浮かばれない地縛霊が怨念となって彷徨っているからだ。
 私はもう二度と行ってはいけない場所と認識したため、もし次行ったら命を取られると本気で思っている。

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4 相馬百尺観音

 ここは相馬市内から南相馬方面に向かう国道6号線沿いにポツンと建っている。もう50年以上の制作期間を要しているが、未だ完成をみない。ここの管理人の一家が祖父の夢をかなえるために、私財をなげうって制作を継続しているらしい。今は上半身しか見えないが、いずれは下半身もお目見えするという。百尺だから高さ33mにもなるようだ。スペインのバルセロナにあるガウディ作の「サグラダファミリア」の福島県版といった印象だ。私はこの国道を走ったことが無いので、自分のこの目で拝んだことはない。一度でいいから見たいのだが、その辺に用事を見いだせないのでその機会すらない。

Soumakannon

5 旧原町無線塔跡

 行かない理由・・・無線塔はもうどこにもないから

 ビフォーアフターではないが、昭和に解体された後は花時計で変わり過ぎ。近くの結婚式場に20分の1スケールのミニチュアの「追憶無線塔」のモニュメントがあるが、過去の遺構とは違いすぎている。
 私は令和元年の去年、初めて訪れた。200mを超える当時の無線塔の雰囲気は感じられなかったが、その跡地である公園の花時計の大きな直径を見て、ここに垂直にあの塔が建っていたことを想像するに、歴史と時の流れと昔人の苦労を感じ取れた。

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6 いわき市賽の河原

 行かない理由・・・わかりづらい場所にある。怖くて物見遊山で行くような場所ではない。

 美空ひばりの「みだれ髪」に詠われた「塩屋岬」は有名だが、同じ薄磯海岸の北の方に、人知れず佇むのが「水子供養」の「いわき市賽の河原」だ。東日本大震災の大津波で、一部流されたが、水子供養のための石仏やお地蔵さまなどが並んだ賽の河原だ。この世とあの世を隔てる神聖な場として築かれた。石を積み重ねた霊場にありがちな風景も見られる。岩壁をくりぬいた洞窟内にある。
 現在は津波被害を免れたお地蔵さまを救出し、洞窟の外の草っ原に並べてある。この周辺には「大ウナギ」が生息しているとされる沼地があったり、とにかく不気味だ。薄磯海岸は美空ひばりの歌碑が建立されたり、岸壁の上に建つ「塩屋埼灯台」は有名だが、実はここもサスペンス劇場に登場しそうな保険金殺人事件(2001年6月)があった場所だ。

 霊場のため、ここの画像は掲載しません。

7 喰丸小学校

 行かない理由・・・とにかく昭和村は遠すぎる。会津若松市内からでも片道1時間半、郡山からだと2時間半以上かかる。

 この小学校はとっくの昔に廃校になった。しかし、度々映画のロケとして使われるほど、木造の田舎の小学校といった風情がある。特に有名なのは西島秀俊が主演し、2013年に公開された映画「ハーメルン」だ。ここは校庭に立つ大銀杏が秋になると黄色い葉が落ち、周囲を黄色いじゅうたんに彩る。その景色は必見の価値あり。奥会津は昭和村という陸の孤島のような場所で、冬は相当な難所で行くのも困難。
 現在はその旧喰丸小学校の木造校舎自体がカフェとなっており、遥々来た観光客をオリジナルメニューの10割そばや蕎麦ガレットで癒してくれる。

Kuimaru

8 信夫山旧日本軍の軍事工場があった壕

 行かない理由・・・どこにあるか不明

 私もつい最近までこの存在を知らず、たまたま「YouTube」映像で知った。信夫山は福島市内を見下ろすように北側に鎮座する巨大な山だ。時々、熊の目撃情報があるほど奥深いのだが、よもやここが戦時中、軍需工場としての機能を果たしていたとは、福島市民でも知らない人が多かっただろう。私も詳細は不明だが、現にアップされている地下トンネルのような映像をみれば、本当に信夫山のどこかにこんな奇怪にして謎のスポットが実在していたことがわかる。

  いろいろなサイトにここを探検した記事が掲載されているが、動画はひとつだけ。それをここでリンクしたい。

 この洞窟は戦時中に軍用機などのエンジンを製造するために、秘密裏に掘られた壕らしい。結局終戦を迎えたため、ここでは7台しか製造させなかったようだ。そこは埋められず、入口が塞がれ、中を訪れる人も少なかった。信夫山のどこにこの入口があるのか知る人も少ない。たぶん、夏場は草むらで覆われていて、ちょっとやそっとでは発見できないらしい。

9 左下観音堂(さくだりかんのんどう)

 行かない理由・・・遠い。最近までその存在すら知らない人が多かった。

 私が訪れたのは平成26年5月だった。会津美里町の小高い山の上に建つが、麓からはその威容を確認できず、また案内表示もないことから、どこから行くのか、麓に行っても道に迷う。実際に行ってみると、我が福島県にもこんな謎に満ちた、想像を絶する建築物があるのかと驚きは隠せない。それは巨大な岩場の壁にへばりつくように建造された「懸け造り」といい、京都の清水寺のミニチュア版といった雰囲気。駐車場から山道を5分ほど登ったところに、突然姿を現すのでびっくりする。こんな山の中にあるのか?と疑問を抱いている時に、ブラインドの左カーブを歩いている途中で、突如、頭上にこれが現れた時は相当の衝撃だ。
 ここはお堂になっているが、何が怖いって木枠で組まれたこの建物。高さ20mくらいなのだが、とにかく揺れる。ミシミシ言って、板が抜け落ちそうな恐怖がある。そして歩くたびに微妙に揺れる。これは下手な心霊スポットよりもマジ怖い。それに人影少ないので、転落したり、熊に襲われたら一巻の終わりだ。誰も助けに来ない。

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 もっと怖いのは2012年に、この近くの民家で55歳と56歳の病院関係の夫婦が無残にも殺される強盗殺人事件が起きた。当時45歳の犯人Y・Aは死刑判決が確定し、執行を待つ身の死刑囚だ。その集落の近くを通らないと帰れなかったことが一番怖かった。青い屋根の大きな家だが、ペティナイフでめった刺しにされ、現場は血の海に染まっていたという。

 事件の記事はコチラ(閲覧注意)

10 東堂山満福寺の「五百羅漢像」

 行かない理由・・・わかりづらいし、メジャーではない。

 ここは今から4年前の平成28年4月11日に訪れた。もちろん誰もいないひっそりと山の中に佇むようなスポットだった。細くて急こう配のくねくねの山道を車で行くと、問題の満福寺の境内の駐車場へ。私が訪れた時には4月だったが、吐息が白くなるほど寒かった。よって、誰も寄り付かなそうな山寺だった。境内の散策路のような石段の山道を進むと、その道端に様々な表情を見せる「面白ろ羅漢」がお出迎え。そして山門を潜った先にある半鐘のある釣鐘堂の風情が素晴らしい。侘び寂の苔むした石段と由緒あり気な年季の入った木造建築の釣鐘堂。その先に本堂がある。その奥に続く細長い散策路の斜面に500体以上もあろうかという羅漢像が点在している。これは個人の希望通りの像を彫ってくれるのだそうだ。歌が好きだった故人はカラオケマイクを持っていたり、生前、読書が趣味だった方は、本を読んでいる像、更にはゴルフが好きだった人は、ゴルフクラブを手にした像といった具合だ。たまに地元の放送局で、夕方のニュース情報番組で取り上げられることもある。

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 ほかにも本宮市の「岩角山」は足を運ぶ人は少ない。なぜなら「霊場」だけに、不気味で、昼間でも暗く鬱蒼とした山。そこに奇妙な岩谷仏像などがあちこちに安置され、薄気味悪い。私はたったひとりで2回足を踏み入れたが、ひと山往復しても誰もいなかった。最初はバイクで夕方に訪れてしまい、二度目は今から7年前の平成25年9月下旬に足を運んだ。
 また、旧船引町にある「安倍文殊堂」もまた知る人ぞ知るスポットで、学問成就にご利益があるのだが、人知れずの山奥にある。駐車場から徒歩15分なのだが、私は「Tamura.TV」のシオン(遠藤栞)のYouTube動画を見て、平成28年5月に、興味を持って訪れたが、人っ子一人いなくて熊でも出て来そうで怖さしかなかった。他にも船引には自作の富士山を民家の庭に作ってしまった方までいる。落ちそうで落ちない岩もあるし、お人形様も不思議な造形物だ。

 さて、このように我が福島県にはマイナーと言ってしまっては失礼だが、あまり知られていない珍スポットが数多く点在している。市街地から遠ざかれば遠ざかるほど意外な名所があるものだ。ぜひあなた自身にしかわからないような秘境の珍スポットを見つけ出して欲しいと思う。

  追記

 この記事は掲載日の二週間ほど前に完成していたが、6月15日(月)に衝撃のニュースが流れた。県民に愛された猪苗代湖の長浜に停泊し、観光客を猪苗代湖遊覧に周遊していた「はくちょう丸」と「かめ丸」を所有する運航会社「磐梯観光船」がこの日限りで事業終了を発表したのだ。あまりにも突然で動揺した県民も多かったに違いない。昭和34年の開業以来、60年の歴史に幕を閉じた。

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 私も幼少の頃からこの船を目にし、長浜の前の国道をもう200回以上通っているが、その度に、この2隻の存在を確認しているほど馴染んだ存在だった。とくに「かめ丸」は愛嬌があって、首が左右に動くなど、子どもから大人まで人気があった。それがもう乗ることはおろか、動いている姿を見られなくなったとは・・・。残念どころの騒ぎではない。もしかすると、停泊させたままだと、維持管理費がかかるので、どこかに引き取られるか、あるいは運搬費もかかるので、解体されるかもしれない。
 福島県民にとってコロナ禍が原因で無くなるのが、中合福島店に続いての衝撃だった。この「磐梯観光船」は檜原湖の遊覧船も運航していたため、それも終わりを告げた。  県内の遊覧船廃止は小名浜港名物だったクルーズ船以来で、またひとつ、観光名所が消えてしまった。

2020年6月15日 (月)

旅番組の名(迷?)コンビ

 昔から「いい旅夢気分」などの観光地紹介を兼ねた「旅番組」は存在した。しかし、ここ数年来ほど「散歩番組」を含めた「旅番組」花盛りなのは無かったと思う。芸能人がペアや複数で観光地を訪れては、ハチャメチャ珍道中を繰り広げる番組のことだ。その中で、不思議にも、芸能人同士だったり、まったく関係のなかった著名人がペアを組んで旅行に旅立つコンセプトの旅番組が多くなっていることに気づいた。それは回を重ねるごとに、名コンビだったり迷コンビだったりと視聴者に認知されるようになっている。 
 では、私が思う旅番組で名コンビだと思うものを取り上げたい。

 1 路線バス乗り継ぎの旅(続編は旅バラ)・・・太川陽介と蛭子能収+マドンナ

 2 気ままにバイク旅・・・清水國明と国井律子

 3 路線バス途中下車の旅・・・徳光和夫と田中律子

 4 ごぶごぶ・・・浜田雅功と田村淳(東野)

 5 正直さんぽ・・・有吉弘行と生野陽子+ゲスト

 6 路線バス乗り継ぎの旅Z・・・田中要次と羽田駿介

 7 緊急SOS!池の水ぜんぶ抜きます・・・田村淳とココリコ田中

 8 モヤモヤさま~ず・・・さま~ず(大竹・三村)と田中瞳

 9 出川哲朗の充電させてくれませんか・・・出川哲朗と土方ディレクター

10 帰れマンデー・・・サンドウイッチマンとゲスト

11 タカトシの今夜金ナシ宿ナシ二人旅・・・タカトシとゲスト1人

12 なりゆき街道旅(澤部+ゲスト2人)

 単独

 1 笑ってコラえて ダーツの旅・・・番組スタッフ・タレント・所ジョージ

 2 気ままに旅気分(タレント)昔は「いい旅夢気分」

 3 純さんぽ(地井さんぽ・若大将)
 4 野天湯へGO!(山田べにこ) 

   5 食いしん坊万才!()

  「旅は道連れ世は情け」という言葉があるが、旅先で出会う、その土地の人であったり、名所だったり、あるいは食の名物であったり、土産物選びもまた楽しい。同公社がいれば、会話に退屈することも少ないだろうが、私自身はバイク旅であっても列車旅であっても常に「ひとり旅」を強行して来た。誰かが一緒だと、本当に行きたい場所に行けなかったり、食べたくない店に行くことになったり、いろいろな場所に付き合わせられるのが嫌いなのだ。だからいつも自分が選択したルートや行きたい場所に行くようにしている。「フーテンの寅さん」のようなB型的な行き当たりばったりも楽しいかもしれないが、私は目的のない旅ほど無駄なものはないと思うので、事前に入念に下調べをして、宿泊も予約してから行く。大好きな旅行で、誰にも邪魔されたくないのが本音だ。一人なので気を遣わずに済む。写真は自分が入らないことが欠点だが、帰宅後の紀行文的なブログ編集がまた楽しい。結果的に振り返りをすることで、二度旅を楽しむことが出来るのだ。

 
 

2020年6月14日 (日)

追憶の会津(亡き親父との想い出)

 個人的な話だが、私の親父は17年前の平成15年(2003年)に亡くなった。サッカーW杯日韓共催で盛り上がった翌年のことだ。私が39歳の時で、看病もないまま急逝したのだった。死因は毎日、2箱もタバコを吸うヘビースモーカーだったためか、肺気腫による呼吸器不全。つまり自発呼吸できないほど肺が真っ黒になっていたということだ。
 そんな後先考えないで、勝手に先立った父親だが、少年の頃には休みにはどこかに連れて行ってくれるほど家庭サービスも欠かさない優しい人だった。生前は県内外を問わず、多くの場所に出かけた。北は岩手県の平泉周辺、南は高校野球で甲子園球場、大阪城、ほかにも犬山城、名古屋城、更には熱田神宮、そして明治村にまで足を伸ばしたことがあった。しかし、毎年、お盆過ぎに出かける東京観光が何より好きだった。とにかく高いところに上るのが好きだったようで、東京タワー、京王プラザ展望台、浜松町にあった世界貿易センタービルにも上った。他には豊島園、プロ野球観戦、船の科学館、上野動物園、NHK放送センター、皇居、はとバスの夜のコース(霞が関ビルで夕食・いしだあゆみショーなど)も見た。また、ある時には大船や横浜ドリームランドにも複数回連れて行ってくれた。子ども想いの一面があった。往路は7時49分発の「ひばり1号」で東京へ向かい、帰りは桃色とクリーム色のツートンの急行電車「あづま号」で帰ったものだ。

 そんな想い出が数多くあるが、今回は県内の特に会津地方に旅行した想い出について振り返りたい。

 塔のへつり
 
 ここは小学生の頃に、団体のバス旅行で訪れたのが最初だった。つり橋を渡り、頭上が崖で、出幅20センチもない狭い岩場を、背中を岩壁に擦りつけながら蟹歩きで恐る恐る歩いた記憶がある。それは「塔のへつり」と呼ばれる名勝だ。
 ここは大川沿いの景勝地で、様々な形状の岩肌が柱状、あるいはきのこ状に連なる不思議な空間で、つり橋が風情があって好きだった。川自体は澱んでいて、さほど流れもない緩やかな状況だったし、川沿いの遊歩道はそんなに長くはないのだが、一歩間違えば3m下の川面に滑落しそうで子どもながらに怖かった覚えがある。ここのシーズンは秋の紅葉時期で、人がわんさか押し寄せる。

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 会津高原鉄道の「塔のへつり」駅は深い木立の中にあり、そこから現地までは下り坂の緩いカーブを500mほど降りた場所にある。駐車場も狭い。ここは大内宿とかやぶき屋根でお馴染みの「湯野上温泉駅」は有名で、その間に挟まれた観光スポットだ。つり橋の上部にあるレストハウスで鮎やイワナの塩焼きが食べられる。これが旅の楽しみのひとつになっている。
 ここは私はバイクで2回、車でも7~8回は訪れていると思う。パートナーも4~5人くらい替えてデートしたかもしれない。だが、いずれもうまくいかず、川のように流れてしまった。

 

 背炙り山空中ケーブル&リフト

 会津東山温泉街の一角にかつて「空中ケーブル(ロープウエイ)」の発着所となる「麓駅」があったのだが、3~4年前に訪ねてみたが、それがどこだったのか形跡がなく、探せなかった。昔の地図やサイトを見ると、どうやら東山温泉街の外れの短いトンネルを抜けた直後の左手にあったという記載がある。1996年10月に大浴場で殺人事件が発生し、その後廃業してしまい、現在は廃墟のまま残っている「ホテルシンフォニー」の斜め向かい側らしい。

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 私の記憶では温泉街にあって、麓駅の向かいに古民家のような大きな食事処があって、会津名物の「味噌田楽」を食べた記憶があり、そこからロープウエイが往来する様子をみることができた気がする。
 亡き親父と兄でそのロープウエイを乗り継ぎ、背炙り山を登り、お花畑のような景色を見下ろしながら、さらにスキーのリフトを乗り継いで山頂まで行った記憶がある。山頂からの景色はあまり覚えていない。リフトとロープウエイに乗れた喜びのほうが大きかったからだろう。
 この空中ケーブル(ロープウエイ)は昭和60年(1985年)に廃止されてしまった。

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  平成元年に会津に住んでいた時に、毎週末に実家に帰る際に、いろいろな道を観光ついでに通ったが、背炙り山の登山道(山越え道路)は2回通ったことがある。くねくねの峠道だが、山頂まではそんなに幅員は狭くはないが、各テレビ局の中継鉄塔を過ぎ、現在は風車がある周辺を過ぎてから、猪苗代湖側の下りは急こう配に加え、道幅が狭く、対向車が来ないことを祈りながらハンドルを握っていた記憶がある。

  ここは9月に会津で仕事があるため、その帰りにでも32年ぶりに背炙り山に車で登り、空中ロープウエイの形跡を探ってみたい。

 姫沼アートランド

 ここは知る人ぞ知る穴場の紅葉スポットだ。郡山からだと母成峠を越え、中ノ沢温泉街の先で国道115号線にぶつかる。そのT字交差点を右折し、緩やかな坂道の左カーブの途中の左側にその入り口がある。
 私が小学生の高学年の時に、父と兄と3人で訪れた。ここは静かな湖面をたたえ、山に囲まれた大きめの沼で、ロケーションは抜群だった。その湖畔には桟橋があり、そこから脚漕ぎボートに乗れた。私は「鱒」が釣れると言うので、兄と釣竿を借りて挑戦した。でも周辺の木立の枝に釣り針を引っ掛けてしまい、ストレスばかりが溜まっていた。その都度、親父に回収してもらっていた。あまり釣れた記憶がない。
 3年前に40年振りくらいで訪ねたら、入り口がわからず国道115号線を右往左往した。ナビがあるのに入り口がわからない。それもそのはず、閉園して数十年も経っているため、看板や標識は一切なく、空き地のようなスペースに車を入れ、草ぼうぼうの細い道を50m行くと左手の木立の中に、三角屋根の旧レストハウスの廃墟が現れる。2階建てだが、老朽化が激しく、とても探検気分にはなれなかった。
 湖面はひっそりとして、周囲には誰もいない。なにか電気関係の施設があったが無人。レストハウスの裏手には誰も遊ぶ者がいなくなった廃墟化した公園があった。草むらの中にブランコや滑り台がさび付いたまま放置されていた。昔は、ここで大勢の子どもたちの声がこだましていただろうに。郷愁を感じる風情。
 紅葉時はたぶん訪ねる方もいるのだろうが、私は45年前に親父と来て以降、2回足を踏み入れたが、いずれも無人で、沼を一周できる散策路はあるのだが、茂みから今にもクマが出てきそうで怖くて、車から降りられなかった。

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 強清水

 親父とは2~3回、会津観光の帰りに「にしん蕎麦」や大好物だった名物の「てんぷら饅頭」を食した。「強清水」の水飲み場の真正面と右側にお店があるのだが、元祖VS本家で争っているような風情だった。水汲み場の右側にあるのが「元祖」で平屋の小さくて暗い建物。珍しい土間の造りの昔ながらの食堂といった印象。真正面にあるのは建物も大きく、比較的綺麗な「本家・清水屋」。入口にはここの女将さんをモデルにしたのか、小太りのキャラ人形が鎮座している。
 父親の好みもあって、昔は古い平屋の「清水屋」ばかりで食していたが、40代以降はいろいろなメニューがあって収容人数も多い「元祖・清水屋」で食べている。持ち帰りもできるので、お土産にちょうどいい。
「どっちの料理ショー」か何かで全国1位になって、有名になった。あんこ、いか、にしんをてんぷらで揚げただけなのだが、その味は折り紙付きの絶品。ふとした時に無性に食べたくなってしまう代物だ。

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 その他

 会津武家屋敷・鶴ヶ城

 武家屋敷。ここを訪れたのは確かなのだが、幼少すぎてあまり覚えていない。映画やテレビドラマになった「姿三四郎」のモデルが、会津出身の「西郷四郎」だったと聞いて妙に嬉しくなった。映画では竹脇無我が演じ、テレビドラマでは勝野洋が姿三四郎役で奮闘した。必殺技「山嵐」で相手を投げ飛ばす所作は圧巻だった。私はそれよりも「乙美さん」役の竹下景子さんが大好きだったが。ここにその銅像がある。一説では「坂本龍馬」を暗殺したとされる京都見回り組の「佐々木只三郎」が眠る墓もある。そして会津藩の筆頭家老だった「西郷頼母」の屋敷を復元したセットまである。とにかく広い。そして戊辰戦争末期で西郷一族21人による集団自決を人形で再現したシーンもある。涙なくしては見られない。

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 鶴ヶ城は、たぶんなんだかんだで20回以上は訪れているので、あまり親父と言った覚えがない。城の風景を眺めるのが好きで、あまり天守閣には登っていない。たぶん2回くらいだ。ここの天守閣からは北東方向に「白虎隊」が自刃した飯盛山が望める。ラジオ福島の電波塔の奥の山の斜面(中腹)で若き会津の侍が亡くなったのだ。鶴ヶ城が燃え盛る炎に包まれているのを飯盛山で目撃した彼らは、落城し、会津が負けたと思い込み、もはやこれまでと覚悟を決め、刀や脇差で切腹したり、首を斬って自害、あるいは仲間同士で刀を刺し違えて命果てたのだった。唯一  死にきれずに生きながらえた「飯沼貞吉(貞雄)」によって、白虎隊の伝説が後世に語り継がれることとなった。そういう悲劇や悲話があったと場所とは知らず、当時はお城の大きさに圧倒され、はしゃいでいるだけの子どもだった。1986年の年末大型時代劇でその歴史やいわれに触れ、会津藩の壮絶な戦いに深く感銘を受け、以来、訪れるたびに追悼を目的にするようになった。

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 この名城は、1384年に築城されたが、蒲生氏郷によってその基礎が建立されたのだが、かつては七重の天守を誇る城郭だった。現在は昭和40年に再建された五重天守なので、当時の会津の繁栄ぶりを窺い知れる。

  最後に、こちらは亡き父親と行ったスポットではないが、会津に関する追憶には外せないと考え、ここで追記させていただきます。

 「おおすごスキー場」

 東山温泉のさらに奥地にあった「大巣子集落」付近に「おおすごスキー場」がオープンしたのは昭和63年のことだった。平成元年4月から平成2年3月まで会津若松市内に住んでいた私にとって、仕事終わりのナイタースキーが唯一の楽しみだった。東山温泉街を南下し、ダム湖を回り、雪道をかき分けるように3kmほど奥入った山の中にそれはあった。

 当時、バブルで全国あちこちでリゾート開発が乱行していた。その波は会津にまで広がり、磐梯山周辺に大規模なスキー場を開発したり、この東山温泉の奥地にまで、その開発が押し寄せたのだった。とは言っても「京急」や「星野リゾート」のような大資本の開発ではなく、地元の第三セクターのような手法で格安で済ませる体の開発に留まった。あまりCMなどの広告宣伝費を使えず、認知度があまりにも低く、会津若松市民ですらさほど利用しなかったのではないかと想像できる。それに若者はおしゃれな猪苗代リゾートや箕輪に出向いていた。地元の小学生のスキー教室程度でしか使わなかったように思う。
 かくいう私は1年間の会津在住時に2~3回訪れたことがある。同じ職場の同僚が猪苗代町出身で、幼少の頃からスポ少に入っていて、それはプロ並みの腕前だった。それに彼はパジェロショートに乗っていたので、雪道も難なく行けたのだった。実際にアクセス道路は外灯もなく、対向車も来ない難所をただひたすらに突き進むような狭い悪路で、こんな山奥に本当にゲレンデなんかあるのかと首をかしげたくなるような辺鄙な場所にあった。

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Osugoski 

 スキー場のゲレンデは、コース幅が極端に狭く、縦長だった。山ひとつを切り崩し、重機で雑に整備したせいか、コース自体が林道に雪が積もっただけの悪路で、滑っていてもかなり凸凹だし、勝手に板がスライドするし、アンジュレーションは激しく滑りづらいの一言だった。雪室もザラザラしてザラメ状か酷いアイスバーンのどちらかだった。しかし、ナイター照明にだけは金を使い、カクテル光線は綺麗だった。そして山麓のレストハウスは急凌ぎのプレハブ小屋だった。そこで豚汁とかカレーを平らげた記憶がある。アイスバーンの練習には向いていたが、カップルで来るようなおしゃれさやトレンドは皆無だった。
  それに周囲は森に囲まれているため、風は弱いのだが、その分、気温の低さは尋常ではなく、「し~ん」としばれる冷え込みだった。厚手のソックスを履いても指先まで冷えて耐えられないほどだったことを覚えている。
 私は北海道に2年間住んだ経験があるのだが、マイナス20℃以下をたびたび経験したが、それより冷えた印象がある。

 当時の設備概要

 1988年12月オープン
 リフト:ペアリフト2基 751mと710m
 標高差 440m 
 最大斜度 35度
 最長滑走距離 約2km

 私は平日のナイターで数回行ったのだが、すべてにおいてガラガラ状態だった。リフト待ちゼロ。ほぼ貸し切り状態だった。こんな状態だから、赤字経営ですぐ潰れるだろうと予想していたら、案の定、1997年(平成9年)に利用客減に伴い廃業を余儀なくされた。

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 さて、「追憶」という文字をタイトルに入れたのは、幼少期から亡き父親に連れてこられた会津という土地柄、実は祖父母の故郷でもあり、私自身も、幼少期に訳のわからないまま剣道を習い、武士道を叩き込まれた身の上だった。明治生まれの祖父の言うことは絶対だった。よって「ならぬものはならぬ」の会津人の精神が私の中にも脈々と宿っているように思えてならない。
 会津=第二の故郷という意識が常に私の中にある。もし曲がったことをしたら、天国の祖父母や父親が見ているような気がしてならないのである。 

2020年6月 2日 (火)

福島県自慢

 福島県は私の故郷でもあり、現在の居住地でもある。大学の4年間を除き、あしかけ51年間も住んでいる。郡山市には46年間ではあるが、それほど長く住んでいるからには郷里に愛着がないはずがない。
 今世紀以降、我が福島県は首都機能移転がお釈迦になったり、東日本大震災時の東京電力の原発事故などで、悲惨な目に遭った。昨年も台風19号の襲来で、多大な被害を受けた。そして今年はオリンピックイヤーで、国内中がお祭りムードで大盛り上がりをみせるはずだったのに、予期せぬ流行り病によって延期を余儀なくされた。
 しかも全国一斉の「緊急事態宣言」発令に伴う営業自粛要請によって、経済は停滞し、倒産する企業や店舗が増加し、同時に失業者も多くなった。地元でもハローワークは長蛇の列だし、仕事にあぶれる方々も多く発生し、また空き巣や窃盗などの犯罪も急増した。我慢強い日本人でも、こうも厳しい生活が続くと、ストレスは溜まる一方だし、出口の見えないウイルスとの闘いは、いったいいつまで続くのか、不安ばかりが募る。

 ところで、心配性であれこれ不安材料を掻き立てがちな性分の私は、これまで当ブログで、福島県や郡山市の怖い話や良くないことばかりを話題にしてきたが、私ほど「郷土愛」があることを証明しなければ、単なるクレーマーで終わってしまうと考え、今日は一転して「福島のいいところ」や「好きなところ」をアピールしたい。

 1 自然の宝庫

 阿武隈山地、奥羽山脈など自然が豊かな土地柄。安達太良山の紅葉、活火山の磐梯山や吾妻山(一切経山)など風光明媚なロケーションは必見。特に「磐梯吾妻スカイライン」からの眺望は抜群だ。秋は紅葉シーズンで、「つばくろ谷」からのカラフルな紅葉は絶景。個人的には小野町の千本桜と裏磐梯五色沼、そして南会津の大内宿の旅情、さらには布引高原から見下ろす猪苗代湖と磐梯山のコラボレーションが最高だ。御承知の通り、福島県は全国で北海道、岩手県に次いで三番目の面積を誇る。しかも東西に長い。北東の新地町から南西の奥只見までは優に200kmを超える。 

 2 食文化に長けている(米や果物がおいしい)

 会津地方・・こづゆ・みそかつ・味噌田楽・喜多方ラーメン・熱塩の山塩・岩魚の塩焼き・会津地鶏・高遠そば・てんぷら饅頭・あわ饅頭・地酒・会津天神さま・高田梅
 浜通り・・・相馬いちご狩り・川俣軍鶏・浪江焼きそば・請戸鮭・じゃんがら・ジャージー牛

 中通り・・・円盤餃子・桃・薄皮饅頭・ままどおる・ゆべし・黒糖饅頭・酪王カフェオレ・白河ラーメン・郡山産きゅうり・阿久津ねぎ・伊達産あんぽ柿

 3 地酒が7連連続日本一

 酒どころ会津地方を中心に、全国的に高い評価を得ている。毎年春に審査が行われる「全国新酒鑑評会」で、福島県産の地酒が7年連続金賞受賞数日本一を達成した。
 2020年はコロナウイルスで決審が簡略化され、入賞酒だけの審査となり、金賞の審査は行われない。よって、8年連続はならなかったが、来年は8連覇がかかる。
 特に、二本松市の「奥の松酒造」、福島市の「金水晶酒造」、会津美里町の「国権酒造」は毎年金賞に輝いている。
 ほかにも、全国的に大人気で常時トップ10にランキングされているのは、坂下町(ばんげまち)の「飛露喜」、二本松市の「大七生もと」だ。
 私は個人的には古殿町の「豊國」と坂下町の「天明」、会津若松市の「会津中将」が好きでよく飲んでいる。

 4 観光名所・景勝地が多い

 会津地方・・磐梯山・猪苗代湖・裏磐梯(五色沼・檜原湖など)・大内宿・尾瀬・塔のへつり・伊佐須美神社・左下観音・鶴ヶ城・武家屋敷・日新館・渓流釣り・登山
 浜通り・・・スパリゾートハワイアンズ・小名浜マリンタワー・相馬大橋・松川浦潮干狩り・野馬追・勿来の関・原町無線塔跡・海釣り

 中通り・・・信夫山旧日本軍地下壕・花見山・東北サファリパーク・白河の関・ウルトラマンの里・牡丹苑・大桑原つつじ園・小野町千本桜・滝桜・布引高原風車・中野不動尊・山本不動尊・でこ屋敷・ペグマタイト岩脈・田子倉湖

 5 名産品が多い

 唐人凧・赤べこ・起き上がりこぼし・三春駒・白河だるま・張り子人形・ひょっとこ面

 大堀相馬焼・本郷焼

 6 情に厚い

 特に「会津三泣き」は私も会津若松市にたった1年間しか住んでいなかったのだが、会津人の情に深いところは感じた。仲良くなると、とことん付き合う度量の大きさもそうだが、雪深い会津地方は、人もあたりが優しくて穏やか。助け合いの精神が根づいていると実感した。実際に私も水道が凍結するほどの身を切る寒さを経験した。会津の人は雪を見て、これは積もる雪かすぐに解ける雪かを瞬時に判断できていた。

 7 インフラが整っている

 鉄道・・・常磐線・東北本線・磐越東線・磐越西線・水郡線・福島交通飯坂線・阿武隈急行線・只見線・会津高原鉄道

 道路・・・東北自動車道・磐越自動車道・常磐自動車道・東北中央自動車道・福島空港を中心にしたトライアングルハイウェイ
 バス・・・高速バスが各方面に整備
 港・・・ 外国船籍も停泊できる大規模港湾として小名浜港と相馬港が整備されている。
 空港・・・阿武隈山地に福島空港がある

 8 はまなかあいづでそれぞれの特色がある
  1 三地方で方言も異なる(いわきの語尾~だっぺ・県中では~だばい・会津~だなし・~がよ)

  2 明るくおおらか、でもぶっきらぼうないわき、やや閉鎖的で保守的だが、仲良くなると面倒見がよい会津、政治・商業の中心で発展的な郡山

  3 会津は秋田と同様雪が多いので色白でほっぺが真っ赤な子どもが多い。いわきは小名浜を中心に焼けた肌の人が多い)

  4 桜前線がM字型を崩した蛇行型(いわき→相馬→福島→白河→郡山→会津→喜多方→猪苗代)
  5 福島と郡山の気温差は2℃(郡山は標高が200m以上高い) いわきは夏涼しく冬暖かい 

 9 有名人

 古関裕而・西田敏行・春日八郎・加藤茶・秋吉久美子・江川卓・中畑清・猪俣公章・本名徹次・箭内道彦・武田玲奈・箭内夢菜
 伊東正義・西郷頼母・白虎隊・二本松少年隊・西郷四郎(姿三四郎のモデル)・川島守・齋藤清・市川昭介・遠藤純男・小熊正二
 中野竹子・新島八重子

10 温泉地(湯治場)が多い・・・飯坂温泉・穴原温泉・土湯温泉・高湯温泉・野地温泉・岳温泉・磐梯熱海温泉・中ノ沢温泉・常磐湯本温泉・芦ノ牧温泉・東山温泉など


 さて、県外の方はあまりピンと来ないと思うが、福島県は震災の原発事故で、足が遠ざかってしまった方もいるかもしれない。一番近くにある外国などは、福島県産のものは絶対に輸入しないと決め込んで批判ばかりを繰り返す輩だ。風評被害に苦しめられようが、観光客が減ろうが、やはり地元民にしてみれば郷土愛は変わらない。
 かつて広島と長崎が原爆被害から復興したように、ここ福島も、やがては世界各国から大勢の観光客で賑わいを取り戻す日は必ずやって来る。それを信じ、今は堪えることを貫きたい。

 

2020年5月29日 (金)

福島県民が二度と行けない場所

 「吾輩は福島県人である」「よって想い出は底をつかない」。唐突だが、本日のテーマは「福島県民には懐かしいが、もう取り壊されたりして二度とお目にかかれない貴重な場所」を取り上げたい。

 1 「高子沼グリーンランド」

 福島県の懐かしい映像を8ミリなどで撮り溜めた方がいる。菅野隆夫さんとおっしゃる方で、「YouTube」に数多くの福島市内や周辺の観光地などの映像をアップされている。その中に今となっては幻の貴重な「高子沼グリーンランド」の映像が残されていたので、当時、賑わっていた頃の様子をご覧ください。

 福島市の北東側の阿武隈急行沿線の郊外に、丘陵の傾斜の高低差を利用して建設された「高子沼グリーンランド」。昭和48年の開園から数年間は親子連れで大変賑わっていた。当時は、県内初のジェットコースター、ゴーカート、観覧車などの大規模遊戯施設を有する遊園地として名声を誇りましたが、平成11年(1999年)に、客足の減少、施設の老朽化により廃業されました。
 その後は遊園地廃墟にありがちなオカルトスポット化し、遊具類もそのまま放置された。錆びついたコースターとレール、大観覧車など不気味さが漂う状況だった。しかし、今はもう跡形もない。代わりに無数のソーラー発電のパネルが一面に並んでいるだけ。ここに本当に子どもたちの歓声がこだまするほどの遊園地があったのかと思えるほど、ひっそりと静まり返っている。

 2 旧中山峠

 国道49号線の旧中山峠は、冬場は相当な難所で、積雪によってS字カーブの急こう配を登れずに、途中の坂道でスタックするトラックや車が続出した。そこで平成2年に、中山トンネルが開通し、旧峠道は閉鎖された。磐梯熱海温泉側から猪苗代方面へ車を走らせると、右側に磐越西線の線路が並走し、やがて汽車や電車は小さな入口のトンネルへと吸い込まれるが、国道は左にカーブした後に右に旧カーブし、坂道へ。そして線路の上をまたいで横切り、また左カーブして現在、風車が建つ場所へ繋がる。途中、モーテルを横目に見ながらの走行だった。

 今から30年前までは普通に見られた風景も、今となっては懐かしい。この頃、私は会津若松市に住んでいたため、週末には郡山の実家に1時間半程度かけて帰っていた。その際、必ず通ったのがこの道で、トンネルの工事中から開通までつぶさにその変わりようをしかと見届けたひとりだ。今は旧道には車両では入れない。郡山側のトンネル入口の左右に急こう配のS字ヘアピンカーブの名残りはある。でも雑草が生い茂り、トンネルの北側の山肌の斜面も歩いては坂を登れるが、車両は通行できない。
 逆に風車がある猪苗代側からは、昔、道路沿いにポツンと建っていたモーテルの前の国道のほうが下り坂を歩いて行けるが、工事用の「通行止め」の表示があるので立ち入りを憚りたい。

 3 中山宿スイッチバック

 かつて、磐越西線の中山宿駅の手前にはスイッチバック方式が設けられていた。昭和30年代まではSLが主流で、あまりにも急こう配のために、登れなかったため、スイッチバックを築き、そこに駅を設置した。そして2段階で勢いをつけて山を登って行ったのだ。5年前にその遺構を訪ねた時は、夏場だったせいで、草むらに覆われていたが、昔名残のホーム跡は確認できた。線路も途中までは残っていた。

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 貴重な映像はコチラ

 列車内からの撮影はコチラ ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=abGKZm1vDaA

 4 磐光パラダイス

 かつて「磐梯熱海温泉」に存在した「磐光パラダイス」は、キャバレー・映画館・温水プール・こどもの楽園などがある福島県下一の大型総合レジャー施設でした。しかし、1969年(昭和44年)2月に大火災で32人が焼死し、建物も消失してしまいました。

 その後、再建されて甦り、「フィンガー5」や当時の有名スターたちが多数来訪してショーを繰り広げ、名物は金粉ショーでした。スーパー銭湯を巨大にした和室のような宴会場兼休憩場のようなホールに、ステージを設け、夜な夜なド派手でかつ妖艶なショーを行っていた。1968年(昭和43年)5月にオープンし、郡山市の北西部の奥座敷、磐梯熱海温泉の駅前の広大な敷地にパラダイスと東隣りに巨大ホテルを備え、それは1970年代の華だった。
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 火災の模様を伝えたニュースはコチラ ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=L6xM5Noeb5g

 
 5 会津東山温泉の背あぶり山のロープウェイ&リフト

 私は、祖父母の出身地ということもあって、会津が大好きで、幼少の頃から今は亡き父親が「東山温泉」や「飯盛山など、会津若松市内の観光に連れて行ってくれた。もちろん、「大内宿」や「塔のへつり」にも行った。一番の想い出は東山温泉の古い食事処で、名物の「味噌田楽」を食したことで、その店の真向かいに、ロープウエイの発着所があって、背あぶり山の中腹までそれに乗って行けた。さらにそこから山頂までは一人乗りリフトがあって、子どもの頃に乗った記憶がある。

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 6 旧三森峠(旧三森隧道)

 私は会津に住んだことがあって、国道49号線の中山峠と、旧滝沢峠の山道を走り、強清水から国道294号へ入り、湖南経由で県道の旧三森峠を走って実家の郡山へ帰ることが多かった。20代ではスキーに凝り、1シーズン30回以上、ゲレンデにいたことがあり、その帰り、灯りが無く怖すぎる夜道の三森峠を越えたことも多かった。そしてあの山頂に鎮座する「恐怖のトンネル」も何度も走った。そのトンネルの郡山側の出入口の真上には、「縄文式住居跡」が遺されていた。

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 旧道はすでにガードレールで封鎖されていくことはできないし、バイクや徒歩で登った人の動画を見ても、アスファルト道路だった旧道は草木が行く手を遮っている。極めつけは、2011年の東日本大震災の巨大地震で土砂崩れが相次いで起きたようだ。山頂のトンネルも出入口が工事で塞がれてしまった。山頂にあった茶屋の廃屋も取り壊された。

 実際に旧道を訪ねた人がいるので、その人の撮影した動画をどうぞ!

 7 旧いわき三和トンネル

 国道49号線を郡山からいわき方面に向かい、長沢峠を越え、長い下り坂が続いた後、広々とした見通しの良い直線道路の先に待ち構えていたのが「旧三和トンネル」。2010年8月に新トンネルが開通するまではバリバリ現役だった。旧道は暗くて狭く、大型特殊車両が通行する際には対面通行が出来ないほどだった。新トンネルは南側に迂回するようにトンネル内部が緩やかにカーブしているので、旧道のほうが距離は断然短い。新トンネルは開通直前に作業員が死亡する事故が発生した。 

 8 小名浜ボッコ灯台

 震災前、私が海釣りでよく行った場所。アイナメがメインで、投げるとカレイもかかった。沈み根が多く、仕掛けを随分無駄にした。このボッコ灯台は戦前まで現役だったようで、中は空洞になっていた。しかし、2011年3月11日に発生した震災の大津波で壊れ、流されてしまい、跡形も無くなった。今でも海中に沈んだままだ。釣りの合間に私が撮影した「ボッコ灯台」

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 大津波で流された瞬間の映像はコチラ ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=SwfomdrNJrA

 9 郡山旧国鉄操車場

 現在「ビッグパレットふくしま」がそびえる場所は、昭和時代には広々とした操車場で、東北一の貨物ターミナル駅として、貨車の入れ替えを行う場所だった。49号線の東橋から見ると、貨車の動きが一望でき、結構楽しめる場所だった。

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10 日中ダムに沈んだ村

 日中ダムは喜多方市の北部の熱塩加納村にある、総貯水量2460万㎥の治水、灌漑用水、水道用水、そして発電にも利用されている。
 私はまだこの湖が建設工事の真っ最中に訪れた。ブルドーザーやショベルカーがあちこちで騒音をまき散らし、大型のダンプが掘り起こした土砂を運んでいた光景を目の当たりにした。かつてそこにあったであろう古い家屋や人々の生活がダム建設によって失われ、そこにあった老舗旅館も移転を余儀なくされた。この日中ダムは1983年(昭和58年)、「西部警察」のロケ地で使われ、敵のアジトの建造物が爆破するシーンが撮影された場所だ。なんとその要塞の爆破のために3千万円が費やされた。今ではその面影や形跡すら感じられず、静かな湖面をたたえたダムだけがひっそりと森の中に佇んでいる。

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 ダムの底に沈んで廃村になったのは、福島市梨平・名号=摺上川ダム、会津若松市川渓=東山ダム、会津高田町松坂=新宮川ダム、檜枝岐村大津岐=奥只見ダムがあります(5集落/4ダム)。

 他にも「旧常磐炭鉱」、「原町無線塔」、「高玉金山マインパーク」、「信夫山旧日本軍地下壕」、「田島町八総鉱山」などは無くなってしまい、もう行けない。 

 さて、福島県は47都道府県の中で3番目に面積が広い。東西に長く、北東の新地から南西の只見までは300kmほどもある。こんなにどでかい県なのだから、観光地は過分にある。しかし、一方では消えゆく運命の物もある。国鉄が赤字続きで廃線にしたのと同じように、それまであった風景が消え、名所も無くなった。福島県で一番は常磐炭鉱が廃坑になり、復興として180度方向転換の「常夏の温泉リゾート」開発に舵を切り、「常磐ハワイアンセンター」をオープンさせたことだ。あまりにも劇的なビフォーアフターだったが、それが成功した一例だ。
 昔の想い出に浸るのは死を悟った老人のような気分だが、自分自身の半生が下り坂に入ったことで、昔の出来事を妙に懐かしく感じてしまう。  

2020年5月28日 (木)

中合福島店閉店で思うこと

  5月26日(火)に福島市民に衝撃が走った。明治創業で146年もの間、市民に愛された老舗百貨店「中合福島店」が8月末日をもって閉店するという一報だった。私は一度も買い物をしたことがないので、その落胆ぶりは知る由もないが、郡山で言えば長年、中心市街地のど真ん中で唯一頑張っている地元発祥の「うすい百貨店」が無くなるくらいの大きな出来事に違いない。
 では「中合」とはどういう百貨店(デパート)だったのか、その歴史を振り返りたい。

 1874年(明治7年)  創業
 1893年(明治26年)「中村合名会社」設立(略して「中合」)
 1935年(昭和10年)「株式会社中合」設立
 1973年(昭和48年) 現在の福島駅前に移転
 1993年(平成5年) 「中合会津店」を統合
 1994年(平成6年)  酒田市の「清水屋」を統合
 2005年(平成17年) 函館市の「榛二森屋店」、八戸市の「三春屋店」、山形市の「十字屋」を統合し、6店となる。
 2010年(平成22年)「中合会津店」閉店
 2013年(平成25年)「中合会津店」営業所を中合サテライトショップ会津として開設
 2017年(平成29年)「中合福島店二番館」閉店
 2020年(令和2年) 「中合福島店」完全閉店予定 

 福島だけでなく、最盛期には県外や北海道などの経営が傾いた百貨店を買収するほど業績が安定していたことがわかる。だから明治時代の創業でありながらこれだけ長く存続できた要因だろう。
 今回の閉店を決めた大きな理由は、昨年の台風被害に加え、今年の新型コロナウイルスの営業自粛で売り上げが極端に落ち込んだため。従業員約350人のうち、アルバイト、パートを除く45人の正社員については、希望があれば同じ傘下のイオングループへの再就職を斡旋するという。

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 それにしても昭和の時代から、駅前のシンボル的存在だった百貨店(デパート)は時代の変遷とともに軒並み統合や撤退衰退、閉店を繰り返してきた。特に、福島県の県庁所在地でもある「福島市」の中心市街地の衰退は著しく、私が知っているだけでも、「エンドーチェーン」(1991年閉店)「バード長崎屋」(1999年9月23日閉店)「さくら野百貨店(旧山田呉服店・福島ビブレ)」(2005年閉店)が市民に惜しまれながら、相次いで閉店した経緯がある。つまり「中合」は、福島駅東口の繁華街における「最後の砦」だった。
 しかも「中合」は3年前に別館(二番館)の閉店で市民の落胆を誘ったばかりなのに、それが全館閉店となると、いよいよ福島市の繁華街は大型デパートが完全に消滅することになる。
 閉店が発表されたこの日、FTVで放送された市民へのインタビューで口々に出るのは「ただただ残念。もう青い紙袋や包装紙が見れなくなると思うといたたまれない」ということだった。

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 実は、我が街「商都・郡山」も同じ状況にある。そこで個人的な印象だが、福島市と郡山市のデパートのイメージを「対照表」で比較してみた。

  福島市       郡山市
 
 中合百貨店     うすい百貨店
 さくら野百貨店   津野百貨店
 エンドーチェーン  丸光百貨店
 バード長崎屋    ダイエー郡山店

 今は無き郡山駅前の「西武」(西友)と「丸井」は首都圏資本のため、福島市のデパートにはどこも合致しないように思う。それにしても福島市の人々は、中央資本の大型デパートが昭和52年頃に相次いで郡山市に進出したことをどう感じていたのか?なぜ県庁がある福島ではなく、郡山にばかり来るのか悔しかったに違いない。もとより、福島の方は買い物で遠出するのは郡山ではなく、仙台を向いているから関係ないと聞いたことがある。逆に、福島市に根差した老舗の百貨店を大事に、こよなく愛していた事実もまた見えてくる。

 「中合」の撤退によって、福島市の大型店は駅西側の「イトーヨーカドー」と西道路の「イオン」(旧SATY)くらいなものになった。いずれもデパートではなく、「ショッピングモール」系の大型スーパーということだ。「中合」は「うすい」と同様、ご贈答品販売に力を入れて来た。夏のお中元や暮れのお歳暮商戦では常にリーダー的立場だった。しかし、虚礼廃止の風潮などでそれも減って来たと聞く。デパート業界にとっては起爆剤となり、巻き返す要因が見当たらなくなっているのも事実だ。

 ここ郡山でも決して対岸の火事ではない。新型コロナウイルスで売り上げが激減し、従業員への給与支払いなどで経営を圧迫するものと思われる。ただでさえ、県内の有力企業が会社更生法適用によって、どうにか事業継続している現状がある。過去に「福島交通」「うすい百貨店」「ホテルハマツ」までが一度、倒産しかけて、法の助けを借りながら何とか持ち直している状態だ。

 郡山でもし「うすい百貨店」が閉店を表明しようものなら、これは一大事だ。昔から親しんだ「♪しゃれたセンスのうすい~私のうすい・・・デートもうすい~夢のデパート~♬」の歌と、アヒルの親子が風船を持ってエスカレーターにてフロアを移動しながら楽し気にショッピングしていたあのCMも幻となってしまう。特に年配の方は、長年通い詰めた生活には欠かせない存在だし、それだけにいろいろな思いが詰まった場所だと思う。

 私もそうだが、駅前のデパートに行く時は「街に行ってくる」とよく言ったものだ。子どもだてらに「わくわく感」があって、何か新しい世界が待っているような感覚になったものだ。「第2うすい」の7階で母親と食べた「お子様ランチ」の味も忘れられないし、エレベーターガールの美しさにみとれたことも。6階のおもちゃ売り場で駄々をこねたり、衣類や地下の食品売り場で試食を食べ歩きした想い出もある。このように庶民の想い出がたくさん染みついている場所こそが地元の百貨店なのだ。

 今回の新型コロナは、老舗企業にとっては一言では言い尽くせないほどの相当な痛手であり、昨夏に廃業した「ホテル辰巳屋」に続く衝撃だったが、福島市民が慣れ親しみ、想い出が染みついた大切な場所がいとも簡単にそぎ落とされてしまう現状に、哀愁や万感の思いを禁じ得ない。
 福島駅前の繁華街が廃れることなく、そして空洞化で閑古鳥が鳴かぬよう、市民不在ではなく、官民一体となった再開発をぜひお願いしたい。今回の「中合福島店」の閉店を無にしないために。

 それでは最後に、昭和63年に撮影された人や車で賑わう福島駅周辺の繁華街の様子を動画でご覧いただきながら、昔の想い出に浸っていただきたいと思います。

 映像を見ると、「ダックシティ山田」の横断看板や「コルニエツタヤ」などの大型店舗も駅前を彩っていたのがわかる。RFCラジオでは「コルニエツタヤからこんにちは」という番組まで放送していたほど、駅前の百貨店業界は潤っていたことを感じ取れる。

 これ以上、県都・福島市の灯を消さないでいただきたいと思います。

 

2020年5月13日 (水)

タイムトリップする夢物語

 夢を壊すようで心もとないが、往年のショートストーリーの神様「星新一」や昨年亡くなられたSF作家「眉村卓」が描いたような「タイムトリップ(タイムスリップ)」や「ドラえもん」に登場する「タイムマシン」は、どんなに科学が進んだ100年先であっても1000年先であっても絶対に実現不可能だと言い切れる。なぜなら、もしタイムマシンが開発されたとするならば、遥か先の未来から現世に未来人とやらが現れておかしくないのに、そんな話は今までに聞いたことが無いからだ。
 古来から人はそうした未知の物への憧れや現実的には不可能な創造物を絵空事として夢物語に描いたに他ならない。では、これまでにタイムスリップで未来や過去へ時空を飛び越えたドラマや映画などにはどのようなものがあったか振り返りたい。

1.むかし話

 浦島太郎

 これは日本古来のむかし話だ。ある日砂浜で子どもたちが亀をいじめていた。それを助けた浦島太郎が、お礼にと亀の背中に乗って海の中にある竜宮城へ行く。そこでは美人の乙姫が出迎え、鯛やヒラメの舞い踊りやご馳走で、時を忘れるほどのたいそうなもてなしを受ける。そして地上に戻る際に、「絶対に開けてはいけません」と言われて玉手箱を渡される。地上に戻ってみると、そこは以前とは明らかに違う世界で、知っている者はいなくなっていた。浦島太郎は寂しさから、堅く禁じられた玉手箱を開けてしまう。すると中から白い煙が立ち込め、気づくと浦島太郎はおじいさんになってしまったという、ある意味残酷なストーリー。亀を助けてくれた正義の味方の浦島太郎になんてひどい仕打ちを。恩を仇で返す行為に、子どもながらに強い憤りを覚えたものだ。この物語の教訓は一体何なのか?「いじめられている者を助けずに見捨てろ」という教えなのか?
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 私は旧ブログでも触れたが、これは昔の人が体験した宇宙人との遭遇をこのような「むかし話」の形で伝えようとしたのではないか?当時は「UFO」というような概念はなかっただろうから、空飛ぶ円盤を「亀」に見立てたのではないか?とするならば、浦島太郎は地球に偵察にやって来たUFOが故障か何かで地球に墜落した宇宙人を助け、修理を終えて戻る際、一緒に円盤に乗って宇宙旅行をしたのではないか?鯛やヒラメは火星人だったのでは?宇宙旅行している間に相当な時間が経過したので、地球に送り届けられた時にはおじいさんになってしまったのだ。そう考えればつじつまが合う。
 だとすれば、むかし話は怖いものが多いことに気づく。「かぐや姫」も「桃太郎」も、「鶴の恩返し」の鶴も「一寸法師」もすべて宇宙人の仕業ではないのか?「かぐや姫」は地球を偵察に来た宇宙人で、一定期間をおじいさんとおばあさんの元で暮らし、偵察を終えた頃、月からの使者が馬車で迎えに現れたのだ。よってその馬車こそがUFOで、それで月に戻ったと考えられる。また「桃太郎」も、川上から流れて来た大きな桃はやはりUFOだったと考えれば、すべての話に合点が行く。「鶴の恩返し」の鶴も、正体を見られたから宇宙へと逃げて行った。「一寸法師」も一寸(約3cm)しかない子どもが、鬼をやっつけられるはずはない。しかも小さなお椀の船に乗って京へと旅に出る。お椀で川を下り、京の都まで行くなど自殺行為で、そのお椀こそがUFOで、3cmしかない一寸法師は宇宙人以外の何物でもない。
 いずれも作り話にしては手が込んでいて、昔の人がそこまで空想や想像力に長けていたとは思えない。実際に宇宙人と接近遭遇した体験や実話を伝えようとして、このような「むかし話」が生まれたのではないのだろうか。

2.少年ドラマシリーズ

 ①タイムトラベラー(時をかける少女)

 1972年(昭和47年)に放送した青少年向けSFテレビドラマである。 原作は筒井康隆の『時をかける少女』。私は原田知世と仲里依紗主演の映画版を見たが、この「タイムトラベラー」はライブでは見ていない。

 あらすじはコチラ

 ②なぞの転校生

 1975年11月17日 - 12月3日に当時人気のあったNHK少年ドラマシリーズの1作として放送された。眉村卓原作。
 優等生の岩田広一(高野浩幸)が、ある日転向して来た才能溢れる少年・山沢典夫(星野利晴)の超能力に接し、興味を抱く。同じクラスメートの秀才、香川みどりが彼に夢中になる。原爆や放射能を極端に恐れる彼。実は幾つもの星を渡り歩いてきた宇宙人であることを知るが、彼をあらゆる場面で守ろうとし、やがて友情が芽生える。

 主題歌(BGM)はコチラ

 ③未来からの挑戦(ねらわれた学園)

 1977年1月10日から2月11日の毎週月~木曜日、18:05~18:25放送、全20話。眉村卓の小説『ねらわれた学園』『地獄の才能』を原作に制作された。
 少年ドラマシリーズは私が小5~中1の頃に本気になって見ていた。特に「なぞの転校生」と「未来からの挑戦」は大好きで、飛鳥清明役の熊谷俊哉は人気が爆発した。しかし 5年前、 53歳で病死してしまった。「なぞの転校生」はVHSビデオ化されたし、時々動画サイトに全話アップされているが、「未来からの挑戦」はNHKがテープ代節約のため、重ね録りしてしまい、貴重なマスターすら残されていない。私は西沢みどり役で登場した「紺野美沙子」さんが好きになり、彼女がその後、慶應義塾大学に進学されたのを知り、自分も志した次第だ。超能力を使う英光塾の生徒の代表「テレサ野田」はSFにはうってつけのタレントだった。

 主題歌とワンシーンはコチラ

3.戦国自衛隊

 演習中の自衛隊のある部隊(隊長役:千葉真一)が、突然に戦国時代にタイムスリップする。最初は現代の戦車や装甲車、ヘリコプターなどの強力な武器を背景に、或る戦国武将(夏八木勲)に協力し、天下取りに野心を燃やすが、やがて燃料や弾薬が底をつき、最後は寝返った武将によって皆殺しに遭う。
 現代人が過去に戻って命を落とすという悲劇的な結末だが、騎馬武者や弓矢、鉄砲などの古の武器に対し、最新鋭の大砲や戦車、ヘリからのマシンガン攻撃など、圧倒的な実力の差をまざまざと見せつけるまでは見ていてスカッしたが、歴史を狂わすような暴挙に神の雷がさく裂し、最後は天罰が下った。

4.バックトゥーザフューチャー

 マイケル・J・フォックス主演のSF映画だった。主人公マーティは自分の出生が危うくなり、「デロリアン」という車型のタイムマシンで過去に舞い戻り、自分の父親と母親を結び付けようと画策する。そして役目を終えた主人公が、当時の科学者ドクの協力を得て元の時代(未来)に戻ろうとするストーリー。

5.ターミネーター

 アーノルドシュワルツネッガー主演のSF映画。人間対機械の未来戦争を描いた。未来からやって来た不死身のターミネーターがその後、機械を破滅に追い込むために戦った人間のリーダーを、彼が生まれる前に、その母親となるサラ・コナーの命を狙いに現世へタイムスリップするストーリー。彼女を守るために同じく過去に降り立った青年がサラ・コナーと共に命がけで戦いを挑む。

6.JIN-仁-

 今から10年以上前に制作された。現代の脳外科医が江戸時代にタイムスリップし、当時不治の病やコレラのような疫病と立ち向かい、その時代には開発されていなかったペニシリンを創り出し、医学を進歩させた物語。好評で第2ステージ(完結編)も制作放映された。
 しかし、新型コロナウイルスが蔓延している2020年にあって、全国一斉に再放送されている。第2話・3話に出て来る「コロリ(コレラ)」が江戸時代に流行し、10万人もの死者を出した際に、南方医師が命がけでこの疫病と闘い、見事に成敗したのだが、これが感染病である新型コロナウイルスとダブる。おそらく、毎日多くの患者にPCR検査を実施し、決死の覚悟と不眠不休で治療にあたる、臨床検査技師や医師、看護師への感謝およびエールを込めて再放送が決まったのだと思う。
 偶然だが、私はその一週間前にDVDを引っ張り出し、それを観て、当時と同じ状況を再認識した次第だ。「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉が身に染みて実感できた。

7.いいね光源氏くん

 現在NHKで土曜深夜に放送中の番組。これは若い女性の願望というか妄想を漫画やドラマ仕立てにした作品だと思う。元からどろどろの恋愛模様を描いたのが「源氏物語」だが、あの不倫やら略奪愛の発想は女性特有のもの。女性作家の「紫式部」のイマジネーションの賜物だし、女性ならではの創作意欲だ。
 現代の若い女性なら、一度や二度、ある日突然にイケメンが目の前に現れて恋愛ストーリーが始まるというような非日常の妄想を思い描いたことがあることだろう。それをドラマ化したもので、実際にイケメンでSっぽい「千葉雄大」を光源氏役に起用したことで、若い女性を中心に人気が高まり視聴率が好調らしい。

 このドラマを見ていて感じたことは、仕事を頑張っているOLが、誰も待つ人がいない一人暮らしのマンションやアパートに帰り、寂しい日常生活を送っている若い女性の憧れを描いたストーリーだと思うが、これってイケメン俳優の「竹内涼真」が演じた「ビューネ君」のCMと重なる部分がある。忙しい日常から解放されて、癒しや安らぎを求めるOLならきっと共感できると思う。

 さて、今日は「タイムトラベルは絶対にあり得ない」と大見得を切るところから始めたが、私の持論もあながち嘘ではないと認識できたことでしょう。こうした過去・現在・未来という時間軸や時空を自由に行き来するのは夢が溢れるものだが、現実的には不可能なのだ。だからこそ「SF」という分野で、年代を超えてテレビドラマや映画に何度も制作されている。

 「ドラえもん」ではないが、それこそが人類の究極の夢で、重大な決断を迫られた時に、その当時のその瞬間に戻って、自分にこうしたほうがいいとアドバイスを送りたい気分だ。
 もし可能であれば、私自身なら、2011年3月11日に戻り、地震が起きる前に、みんなに巨大地震が起きるから避難してと呼びかけるだろうし、原発職員に全電源喪失の危機を回避する手立てを考えるよう伝えたいものだ。しかし、私の話など誰も取り合ってくれないだろし、逆に自分がそれを仕組んだ犯人だと怪しまれるだろう。
 そしてもうひとつは、今年のこのコロナウイルスの危機について、中国を始め、全世界の人々に知らせたいと思う。しかし、単なる「ほら吹き」とか「オオカミ少年」扱いで誰も相手にしてくれないだろうが・・・。

 総括すれば、やはり歴史はそう簡単には変えられないのだろう。「南方仁」先生が苦悩したように、過去を変えることをしてはいけない。だから神は「タイムマシン」なる道具を完成させないのかもしれない。