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2019年1月17日 (木)

福島県で起きた10大凄惨事件

 我が福島県で過去に発生した身の毛もよだつ恐ろしい事件について取り上げ、全体のあらましや概略を述べたい。
 震災時に東電の原発事故があって、それが最大にして最悪の事件(あえて事故とは言わない)だが、いわゆる刑事事件として凄惨なものをピックアップしたい。

 1 日産サニー宿直員めった刺し事件

 1967年10月27日深夜、日産サニー福島販売(現:日産サティオ福島)いわき営業所内で、宿直員(当時29歳)が何者かに刃物で刺されて殺害され、金庫にあった現金2100円位と男性用ズボン1本が奪われた。被害者は犯人と格闘したとみられ、全身に20か所以上の刺し傷を負っていた。
 捜査が難航し、迷宮入りも噂されていた翌1968年(昭和43年)5月7日、神社の床下にあった大工道具を持ち出そうとしたとして、窃盗の疑いで逮捕された電電公社(現:NTT)職員の男性(当時29歳)が、本事件の犯行を自供したとして再逮捕された。物的証拠はなく、この男の自白だけが逮捕の根拠だった。
 公判が開始されると被告は犯行の全面否認を行い、当日のアリバイや動機がないことなどを訴えた。1969年(昭和44年)4月2日、福島地方裁判所いわき支部は被告を有罪として無期懲役を言い渡した。アリバイは家族の証言のみだったため却下された。1970年(昭和45年)4月16日、仙台高等裁判所が控訴を棄却、1971年(昭和46年)4月19日、最高裁判所が上告を棄却し無期懲役が確定した。
 現場となったのは内郷御厩町2丁目の国道6号線沿いにある、現在の「日産サティオ福島」いわき店だ。

 2 高校生による交際相手殺害&母親の死体遺棄幇助事件

 平成8年8月27日、市内在住の県立高校2年生(17)の男子生徒が、 交際中の同市の私立高校2年の女子(16)と別れ話からケンカとなり、金槌で頭部を殴打し、さらに両手で首を締めて殺害した。 そして母親(35)と共謀の上、遺体を市内西田町の山林に遺棄し、母親も幇助罪で逮捕された。
 当時はこの衝撃的な殺人事件を取材するワイドショーのTVクル―で連日賑わった。

 3 ザザンボ事件

 1976年12月に福島県田村郡三春町で起きた中学生の自殺事件。農村で、知的障害を持つ中学生が自殺した。少年の死に疑問を持った担任教師は事件の裏側を調べる。そこには、学級の問題や家庭環境のみならず、ムラ社会の闇が潜んでいた。実はその少年は近親相姦で産まれた子であった。

 1992年に映画化されたが、第5回東京国際映画祭で上映される運びとなるが、松竹側は公開・配給を拒否した。理由は、死んだ少年の家に天皇家の写真が飾られているというシーンが、「天皇問題を扱わない」という事前の約束に反したためであり、松竹側は譲歩条件としてそのシーンを削除することを提案したが、それを旧態依然たるムラ社会の象徴として表現したかった渡辺はその条件をのまず、松竹からフィルムを買い取って全国で自主配給・興行を行い、様々な話題を呼んだ。後に題材となった少年の遺族から訴訟を起こされ、人権問題にも発展している。

 映画はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=N6eWqlp6puk
 

 4 会津若松市内で起きた男子高校生が母親を殺害した猟奇事件

 2007年5月15日午前7時ごろ、福島県会津若松市の会津若松警察署で、当時17歳の同市の県立高校3年の男子生徒が「母親を殺害しました」と言って自首する。少年は切断された女性の頭部を通学用の黒い布製ショルダーバッグに入れて持ってきていた。その際応対した女性警官は生首と目が合い卒倒して医務室に運び込まれたという。署員が少年の自宅アパートに駆けつけたところ、布団の上で母親が頭部を切断されて死んでおり、同署は少年を殺人容疑で緊急逮捕する。翌5月16日、殺人と死体損壊の疑いで少年を送検した。
 少年は5月15日午前1時30分ごろ寝ている母親を包丁で刺し、のこぎりで首を切断した。足を切ろうとしたが切れず、腕も切ろうとしたが切れなかったと本人が言っていたようだ。その後、インターネットカフェで夜を明かす。そこでアメリカ合衆国の人気アーティストビースティ・ボーイズのDVDを見ている。その後、6時20分ごろ携帯電話でタクシーを予約し、6時50分ごろタクシーに乗って警察署に乗りつけた。タクシーの後部座席にもバッグからもれたと思われる血が付着していた。
 自首した際には少年は、返り血と見られる血が付いた服を着ていた。遺体の首と頭には包丁で刺された傷が複数あり、手には抵抗した際に出来たと思われる無数の傷があった。アパートの遺体の側には、血まみれの包丁とのこぎりが残されていた。

 5 行方不明&未解決事件

 17歳の少女殺人事件

 2000年1月18日夕方、郡山市大槻町に住むアルバイトの17歳の少女が家族に「知人に会う、ちょっと出かけてくる」などと言い残して、知人男性が運転する車で出かけた。その後帰宅しないため家族が25日に捜索願を出した。また友人には数日前には「10万円ほど必要だ」と話していた。行方不明になった翌日の1月19日、女性がアルバイトしているスナック近くの郡山市片柳町の路上に携帯電話が落ちているのを通行人が見つけた。道路に投げつけられたように一部が破損していた。携帯電話は1月に発見されたあと、家族のもとに戻された。しかし2月に入って家族が福島県の三春町内で紛失。遺体発見後(後述)に警察が紛失したと思われる付近を捜索して再び発見されている。2000年4月3日午後4時ごろ、郡山市逢瀬町の大久保川で、首と両手足をロープで縛られて死んでいる被害者の遺体が渓流釣りにきた男性によって発見された。川幅は約5メートルで水深は約40センチ。水量は少なく、遺体が上流から流れてきた可能性は低いと見られ、発見場所で遺棄されたものとみられた。発見現場では争ったような形跡は見られなかった。遺体は額に鈍器で殴られたような跡があり、体の数か所を殴られるなど暴行を受けた形跡があった。解剖の結果、死因は首を絞められたことによる窒息死であることが判明した。死後約2か月と推定された。当初は犯人逮捕は時間の問題と見られていたが、本人の交遊関係が予想以上に広かったことから難航。事件発生から11年以上が経過した今でも未解決のままである。(下田雄一郎・未解決事件FILEの記事を参考)

 行方不明 石井舞ちゃん(船引町)、増田ひとみさん(原町市)

 6 庭坂&松川事件 

 「庭坂事件」とは、1948年(昭和23年)4月27日午前0時4分、国鉄奥羽本線赤岩 - 庭坂間を走行していた、青森発上野行402列車が馬洞門トンネルを出て間もなく、機関車と郵便車が脱線、10メートル下の土堤下へ転落し岩石に激突、連結されていた荷物車と客車1台も脱線した。岩石の破片が直撃した機関士と機関助士の2名が即死、技師が重傷を負い後に死亡した。

 「松川事件」は、1949年(昭和24年)8月17日に福島県の日本国有鉄道(国鉄)東北本線で起きた列車往来妨害事件。 下山事件、三鷹事件と並び、第二次世界大戦後の「国鉄三大ミステリー事件」の一つといわれており、容疑者が逮捕された その後の裁判で全員が無罪となり、真犯人の特定・逮捕には至らず、未解決事件となった。

 7 警視庁広域重要指定118号事件

 1991年に発覚した誘拐と監禁および強盗殺人事件で2人が殺害された。別名を「千葉・福島・岩手誘拐殺人事件」ともいう。8人が逮捕され、3人が死刑判決を受けたが死刑が執行されないまま3人全員が病死した異例の結末となった。
 郡山で発生した第二の事件では、1989年7月20日、福島県郡山市の塗装会社社長(当時48歳)を取引を装って呼び出し、1700万円を強奪し、殺害して耶麻郡猪苗代町の山林に埋めた。

 事件の概要 https://www.youtube.com/watch?v=r1R_B_bSSos

 8 須賀川女祈祷師による信者殺人事件

 別名「福島悪魔祓い殺人事件」といい、1995年に福島県須賀川市で発覚した自称祈祷師の女「江藤幸子」と信者らが、除霊と称して信者7人に激しい暴行を加え、殺害と重傷を負わせた事件。 1994年の暮れから1995年の6月まで、祈祷師の女宅にて「キツネが憑いている」などとお告げを受けた信者7人を、Eの娘Fと信者の男Gと同じく信者の男Hが中心となって『悪魔払い』や『御用』と称して殴る蹴るなどの暴行を加え、4名を殺害、2名を傷害致死、1名に重傷を負わせた。
 同年7月5日、重傷を負った女性信者Iの入院をきっかけに、警察がE宅を家宅捜査したところ、信者6名の腐乱遺体を発見、4人を逮捕した。後に被害者であるIも、暴行に加わっていたことが発覚して逮捕された。

  •  2008年9月16日、最高裁がEの上告を棄却し、死刑が確定。戦後日本では10人目の女性死刑囚である。
  •  2012年9月27日、宮城刑務所において、女の死刑が執行された。女性死刑囚の執行は、1997年の夕張保険金殺人事件の死刑囚以来15年ぶりで、1950年以降では4人目である。
  •  ここは水郡線大東駅の東側にある民家が事件現場だが、今も居住者がいることに驚かされる。一度ここを取材に訪れた際、遠巻きにカメラのシャッターを切った瞬間、今まで一度もなかったのに、プロも使用している「SANDISK」のSDカードがぶっ壊れた。死霊の怨念なのか、それとも未だに死刑執行された祈祷師の女の執念だったのか・・・。

     祟りが怖いのでURLのみ掲載  https://www.youtube.com/watch?v=eiqHQcPolYg

     9 磐梯熱海温泉「磐光ホテル火災」で31人が死亡

     これは事件ではないが、金粉ショーのダンサーの失火により、併設されているホテルに類焼し、折からの強風で瞬く間に燃え広がり、宿泊客ら31人が死亡する日本のホテル火災最大の大惨事となった。
     この火災については、過去に複数回当ブログで取り上げ記事にしているので、ここでは多くは語らないようにしたい。

    10 小野町の一家6人焼死火災

     こちらは昨年の暮れに起きた悲惨な火災。小野町にある4世帯の大家族の家から夜中に出火。火は一気に燃え広がって、幼い子ら4人を含む7人が一度に死亡する痛ましい事故だった。

     さて、過去から今日まで福島県内で起きた凶悪にして凄惨な事件を10例、列挙した。とても危なくて住めないと感じただろうか。
     実は全国の1,946の市町村別の犯罪発生率(刑法犯認知数を人口で割った値)を見ると、ワースト200位以内に我が福島県は入っていない。多いのは、大阪府、愛知県、福岡県、京都府、兵庫県なのだ。なぜか西日本の都市に犯罪発生が偏っているという。

     論より証拠 統計はコチラをクリック

     意外だったのは福島県で犯罪発生率が高かったワーストは檜枝岐村だったことだ。

     ワースト1位 檜枝岐村 1.572%  全国276位   犯罪数      10件
          2位 鏡石町   1.233%   全国514位   犯罪数     158件
          3位 郡山市   1.226%  全国519位   犯罪数4,151件
          4位 会津若松市1.195%  全国544位  犯罪数 1,508件
          5位 いわき市 1.185%   全国555位  犯罪数 4,056件
          6位 相馬市  1.076%   全国654位  犯罪数   408件

     ちなみに以下を挙げると、福島市は659位、須賀川市が701位、泉崎村が716位、矢吹町が795位、白河市が797位、西郷村が823位だった。つまり、中通り、特に県南地方に犯罪が集中していることがわかる。

     会津地方では、檜枝岐を除けば、843位に猪苗代町、喜多方市が1,285位、坂下町が1,286位、で、さすが「ならぬものはならぬものです」という教えが現代にも継がれていることがわかる。
     なお、ワースト1位の檜枝岐村は交通事故発生率も全国でなんとワースト21位で、県内でも2位のいわき市が251位なので、ダントツのワースト1位だ。

    2018年12月23日 (日)

    旅番組花盛り

     昔から旅番組は各放送局で制作され、毎週のようにどこかで放映されていた。学生の頃、東京に住んでいた私は、テレビ東京系列の「いい旅夢気分」を毎週見て、近場が紹介されると、バイクを駆って訪れたものだ。もちろん録画もぬかりは無かった。
     最近、新聞のテレビ欄を見ていると、必ずどこかでは旅番組を放送していることに気づく。しかも類似した番組がなんと多いことか・・・。鉄道、バス、自転車、そして散歩と多くの手段で世界各地や日本全国の観光地から名所、食の紹介などを取材し、旅の魅力を紹介し、自体を盛り上げている。
     では一体どのような番組が放送されているか確認したい。

     <現在放送中の旅番組(街歩き、散歩を含む)>

     1 世界の果てまでイッテQ(日本テレビ)

     2 小さな旅(NHK)

     3 もしもツアーズ(フジテレビ)

     4 徳光和夫の路線バスの旅(テレビ朝日)

     5 ローカル路線バス乗り継ぎの旅(テレビ東京)

     6 日本全国ダーツの旅(日本テレビ)

     7 モヤモヤさま~ず2(テレビ東京) 

     8 出川哲朗の充電させてくれませんか?(テレビ東京)

     9 帰れマンデー(秘境路線バス・ローカル線・出会うまで帰れません)(テレビ朝日)

    10 笑神様 鉄道BIGフォー (日本テレビ)

    11 関口知宏のヨーロッパの旅、中国大紀行ほか(BS)

    12 吉田類の酒場放浪記(BS-TBS)

    13 野天湯へGO!(BS日テレ)

    14 なぜあなたは秘境駅に来たんですか(テレビ東京)

    15 鶴瓶の家族に乾杯(NHK)

    16 高田純次の「じゅん散歩」(ちい散歩、若大将のゆうゆう散歩」の後継(テレビ朝日)

    17 ローカル線の旅(テレビ東京)

    18 火曜サプライズアポなしの旅(日本テレビ)

    19 原田龍二の秘湯ロマン(BS-TBS)

    20 ブラタモリ(NHK)

    21 小さな旅(NHK)

     かつて放送されていたのは「いい旅夢気分」「兼高かおるの世界旅行」「新日本紀行」などもあった。

     他にも、例えばトレビ東京の土曜スペシャルのように、単発的に旅を紹介する番組は数多く存在する。それほど旅は、時代に関わらず、世代を越えて愛されるということだ。それは現代のストレス社会からの解放や非日常生活への脱出といった観念が人にはあるし、未体験のことを味わってみたいという発想もあろう。また、知らない土地で、名所旧跡だけでなく、そこでしか食べられないグルメもあるし、予期せぬ出会いもあるかもしれない。それは誘惑でもあるし、アバンチュール気分を味わう期待感もあるだろう。

     次に、我が福島県内のテレビ局で放送されていた旅に関する番組を紹介したい。

     <福島県内で放送している旅番組&旅コーナー>

     1 自転車でGO!(放送終了)(福島テレビ)

     2 ふく活(ふく旅)(福島テレビ)

     3 梅田日和(放送終了)(テレビユー福島)

     4 浜ちゃんぽ(福島テレビ)

     5 500mの小さな旅(福島テレビ)

     6 ハルカの日本列島縦断 (福島中央テレビ)

     7 江戸むらさき野村の福島ハッ見伝(福島テレビ)

     8 郡山の魅力再発見(福島放送)

     ところで、私は旅番組と言えば「テレビ東京」という印象が強く、我が福島県ではLIVEネットしていないのに、なぜかテレビ東京系列の番組が大好きだ。土日の週末に民放4局で午後の時間帯に集中して月遅れで放送している。

     最後に、私が好きな「テレビ東京」の番組を10個紹介して結びとしたい。

     1 ニッポン行きたい人応援団
       
     2 ローカル路線バス乗り継ぎの旅(太川陽介・蛭子よしかず・マドンナ)

     3 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ

       あなたはナゼ秘境駅に来たんですか・開かずの金庫を開けろ・所ベース・
       あなたはなぜ遠距離通学しているんですか・逆向き列車の旅など

     4 モヤモヤさま~ず2 (さま~ず・福田典子)
     
     5 出川哲朗の充電させてくれませんか 

     6 開運なんでも鑑定団

     7 出没!アド街ック天国

     8 THE  FISHING 

     9 我がまま気まま旅気分

    10 完成ドリームハウス(不定期)

     さて、今日の記事は、最近の傾向として、旅番組がやたら多くなった点に着目し、それに関する私なりの雑感を述べさせていただいた。

     

    2018年12月21日 (金)

    福島三大○○

     「世界三大○○」とか「日本三大○○」という言葉はよく耳にする。例えば「世界三大美女」、「世界三大夜景」とか「日本三庭園」、「日本三大瀑布」という類だ。世界というとスケールは大きく、大袈裟に思えるが、我が福島県でもそれを考慮すると一体何が妥当なのか思案してみた。
     ここから先の記載は、私の個人的意見(私見)として考えていただければ幸いです。

     福島三大銘菓・・・ 「薄皮饅頭」「ままどおる」「かんのやゆべし」

                私的には「いわきじゃんがら」「会津武者煎餅」「太郎庵天神様」

     福島三大温泉・・・「飯坂温泉」「常磐湯本温泉」「東山温泉」 「岳」「芦の牧」で五大温泉

     福島三大ラーメン・・・「喜多方ラーメン」「白河ラーメン」「郡山ラーメン」

     福島三大観光地・・・ 「裏磐梯」「大内宿」「会津鶴ヶ城」

     福島三大名山・・・「磐梯山」「安達太良山」「吾妻山」

     福島三大郷土料理・・・「こづゆ」(会津)、「円盤餃子」(福島)、「高遠そば」
                   味噌田楽も捨てがたい

     福島三大桜の名所・・・「三春滝桜」「福島花見山公園」「小野町千本桜」
                   「喜多方旧日中線沿い」の桜も要

     福島三大食の名物・・・「酪王カフェオレ」、「クリームボックス」、「白土屋のジャンボシュー
                  クリーム」

      福島三大祭り・・・「福島わらじ祭り」、「郡山采女祭り」、「いわきじゃんがら祭り(踊り)」

     福島三大人神社・・・「福島市稲荷神社」「開成山大神宮」「伊佐須美神社」

     福島三大不動尊・・・「棚倉町山本不動尊」「福島中野不動尊」「」

     福島三大歴史的建造物・・・「会津美里町左下観音堂」「さざえ堂」「国宝白水阿弥陀堂」

                      これに「熊野神社・長床」が加わり四大となる

     福島三大偉人・・・「野口英世」「白虎隊」「斎藤清」 
                ほかには「草野心平」「高村智恵子」もいる

     福島三大地産・・・「会津みしらず柿」「会津高田梅」「山都そば」 「川俣しゃも」もある

     福島三大地酒(旧)・・・「花春」「栄川」「夢心」  「奥の松」や「ほまれ」も捨てがたい

     福島三大地酒(新)・・・「飛露喜」「会津中将」「大七」  「國権」や「天明」も

     福島三大レア酒・・・「蔵粋」・「田村」・「國権一吉」 「栄四郎」も高評価

     福島三大巨大建造物・・・「ビッグアイ」「松川浦大橋」「アクアマリンふくしま」

     福島三大観音・・・「会津村慈母大観音」「相馬百尺観音」「中野観音」

     今は無き福島三大建造物・・・「原町無線塔」「ゴジラの卵」「イオンフェスタ大観覧車」

     福島三大店舗・・・「ヨークベニマル」「ゼビオスポーツ」「幸楽苑」

     福島三大伝統建築・・・「郡山市公会堂」「県合同庁舎」「会津市役所」

     福島三大名瀑・・・「銚子ヶ滝」「乙字ヶ滝」「三条ノ滝」

     福島三大寺社・・・「医王子」「如宝寺」「柳津福満虚空蔵圓蔵寺」 恵日寺・勝常寺もある

     福島三大城・・・「若松城(鶴ヶ城)」「二本松城(霞ヶ城)」「白河小峰城(櫓)」 

     福島の三大名産品・・・「桃」「米」「地酒」  震災前は「ヒラメ」もあった。

     福島の三大ライン・・・「磐梯ゴールドライン」「レイクライン」「磐梯吾妻スカイライン」
                  ほかにも「磐梯吾妻スカイバレー」と「母成グリーンライン」がある

     福島の三大花火・・・「須賀川釈迦堂川」「小名浜港」「郡山カルチャーパーク」
     
     福島の三大レジャーランド・・・「こどもの国ムシムシランド」「霊山こどもの村」「カルチャー
                   パーク」 

     福島の三大大学・・・「福島大学」「日本大工学部」「東日本国際大学」

     福島の三大短大・・・「桜の聖母大学」「郡山女子大学」「福島学院大学」 

     福島の三大医療大学・・・「福島県立医大」「奥羽大学」「医療創世大学」 

     福島の三大ミステリースポット・・・「安達ヶ原黒塚」「横向ロッジ」「翁島ペンション」 

     福島の三大肉・・・「飯館牛」「会津地鶏」「会津桜肉」 

     福島の三大駅弁・・・「福豆屋の海苔べん」「地鶏ゆずみそ焼き弁当」「小原庄助弁当」 

     福島の三大湖・・・「猪苗代湖」「檜原湖」「羽鳥湖」  「母畑湖」も捨てがたい

     福島の三大河川・・・「阿武隈川」「阿賀川」「大川」

     福島の三大清流・・・「荒川」「只見川」 「夏井川」

     福島の三大ダム・・・「日中ダム」「田子倉ダム」「大川ダム」  「三春ダム」も双璧

     福島の三大伝説・・・「安達ヶ原鬼婆伝説」「静御前終焉の地伝説」「松尾芭蕉の足跡」 

     福島の三大老舗映画館・・・「本宮映画劇場」「フォーラム福島」「」 

     今は無き福島の三大劇場・・・「湯本温泉三函」「郡山ミュージック劇場」「郡映」 

     福島の三大廃ホテル・・・「磐梯熱海温泉河鹿荘」「湯野上観光ホテル」「東山温泉アネックスシンフォニー」

     福島の三大火災・・・「磐光ホテル」「飯坂温泉若喜旅館」「土湯温泉不動湯」

     福島の三大老舗旅館・・・「古滝屋」「八幡屋」「向瀧」

     福島の三大秘湯・・・「野地温泉」「檜枝岐温泉」「入遠野温泉」 

     福島の三大ミステリー橋・・・「上蓬莱橋」「雪割橋」「信夫橋」

     福島の三大大橋・・・「小名浜マリンブリッジ」「相馬大橋」「土湯大橋」 

     福島の三大花見スポット・・・「花見山公園」「三春滝桜」「千本桜」 

     福島の三大悲劇・・・「白虎隊」「二本松少年隊」「東京電力福島第一原子力発電所事故」

     福島三大珍味・・・「いか人参」「あわ饅頭」(柳津)「てんぷら饅頭」(強清水)

     福島三大食の殿堂・・・「白土屋」「白孔雀」「石井食堂」

     福島三大珍メニュー・・・「郡山グリーンカレー」「郡商カレー」「福島満足定食」

     福島三大ミステリートンネル・・・「旧三森」「内郷白水遂道」「江名満福寺トンネル」

     福島三大被災地・・・「相馬市磯部地区」「いわき薄磯地区」「南相馬市原町区」

    さて、今回お送りした記事は、あくまで個人的な独断と偏見に基づいて作成したものであり、これらが県民の総意ではない。しかし、大学時代の4年間を除き、50年もの長い歳月をここ福島県で過ごした私としては、福島県を隅々歩き、どんな隠れた名所があるのかすべて知り尽くしている。よって、決して眉唾などではないことはご容赦願いたい。

     

     

     

     

    2018年11月30日 (金)

    災害は忘れた頃に・・・

     我々福島県民は、7年前に自然災害の怖さをまざまざと見せつけられた。マグニチュード9.0を超える巨大地震はもちろんだが、初めて耳にした「大津波警報」。そして史上最悪のレベル7の人災被害をもたらした「東京電力福島第一原子力発電所」の大事故。
     これからも「災害は忘れた頃にやって来る」の戒め通り、危険な自然災害が知らないうちに忍び寄っていることは衆知の事実であろう。
     我が福島県の面積は広大で、都道府県で北海道・岩手・長野に続き第4位。東西に長く、北東の新地町から南西の桧枝岐村までの距離は優に200kmに達する。それだけに、災害は対岸の火事のように考えており、それに対する意識が低い。よってその備えも万全ではない。
     例えば、「火災報知機(煙探知機)」、初期消火に威力を発揮する「消火器」、それに災害発生時に役立つ「非常時災害持ち出し袋」や備蓄食料を保有している個人の家庭はどれほどあるだろうか。また、災害発生時の指定避難場所がどこかを把握しているだろうか。停電や断水などライフラインが停止した際に、どういう行動をとればいいのか普段から気をつけているだろうか。安否確認など家族との連絡手段は?

    Emergency_bag

     私自身、21世紀のこの現代において、起こり得る可能性が高く、もっとも懸念している自然災害は「噴火」である。離島を除く47都道府県でもっとも活火山が多いのは、この福島県であることを一体どれだけの方が知っているだろう。それらは「磐梯山」、「安達太良山」、そして「吾妻山」だ。いずれも今後50年以内に噴火するだろうとの予測がなされている。
     特に福島市西部20キロ圏内に聳える「吾妻山」は11月20日現在で、「噴火警戒レベル2」で周辺2km以内の立ち入りが制限されている。紅葉シーズンなのに磐梯吾妻スカイラインも通行止めとなった。小規模の火山性微動や噴煙が観測されている。

     11月16日 火山性地震 10回 火山性微動  1回
     11月17日 火山性地震  6回 火山性微動  0回
     11月18日 火山性地震 11回 火山性微動  0回
     11月19日 火山性地震  3回 火山性微動  0回

    Azumayama

                      Azumayama2


     噴火と言えば、九州の阿蘇山や桜島、雲仙岳などが有名だが、近年は北海道の有珠山、長野県の御嶽山でも突然の噴火が相次ぎ、多くの犠牲者を出したのは記憶に新しい。

    Ontake

     ご当地福島県もまた予断を許さぬ状況下に置かれている。民謡にも謳われ、「宝の山」として知られる「磐梯山」もまた同様だ。これまで一定周期で大規模噴火を繰り返した。その都度、近隣の村は火山灰や噴石の被害を受け、死者461名の多大な犠牲者が出た。磐梯山の北側にあった旧磐梯村は、溶岩によって堰きとめられた河川によって湖沼群が生まれたのがきっかけで、一部が湖に沈んでしまった。五色沼や桧原湖など、美しい景観を生み出した一方で、家屋や神社の鳥居までもが湖の底にある。

     その磐梯山であるが、これまでの噴火の記録を辿れば、前回噴火したのが1888年(明治21年)7月であり、マグマの噴出す水蒸気によって大爆発を起こした。それは凄まじい威力で、アメリカのセントヘレインズ山のように「山体崩壊」を招き、宝の山は大きく変貌してしまった。裏磐梯(北側)では、その火口を目の当たりにできるが、山肌は大きくえぐられ、周辺は赤茶色。樹木も育たない急斜面に加えて硫黄地獄。そして常時白い噴煙と水蒸気が湧き出ている様を見ることができる。人が近づくことを拒むかのような変わり果てた惨状だ。そして今も噴煙をはき続けている。磐梯山は表と裏ではその表情はまったく異なっている。かつての面影がまったく感じられないほどの大規模噴火が起きないことを祈るばかりだが、過去の噴火の記録を考えれば恐ろしい事実に突き当たる。

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     「磐梯山噴火の記録」

     1787年 水蒸気噴火
     1888年 水蒸気噴火。岩屑なだれ発生 (山体崩壊) (前回噴火から101年後)
     1938年 ラハール(火山泥流発生) 死者2名
     1954年 小規模岩屑なだれ
     1988年 火山性地震多発(前回噴火から100年後)

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     もちろん1988年には地震が多発したものの水蒸気噴火には至っていない。よって。その30年後にあたる今年2018年が危険な域に入ってきた。私が危惧するのは2年後の2020年、「東京オリンピック」が夏に開催されるが、そのトップを切って行われるのが「福島市あづま球場」を会場に行われる「ソフトボール競技」と「野球競技」だ。磐梯山も吾妻山も、万が一火山の危険が高まれば、開催中止は必至。

     もし、東日本大震災の復興道半ばの2020年、磐梯山まで噴火し、避難生活を余儀なくされた場合にはなすすべはない。人間は自然災害に抗うことはできない。ならば、その備えを万全にするしか手段は無い。
     今回このような記事を書いたのは、あながち夢物語などではない現実を直視する必然性とその備えを行うことを喚起するものである。

     県民が「災害は忘れた頃にやって来る」の教訓の意味を再確認する時期がまさに迫っているといえよう。
     
     

    2018年11月11日 (日)

    福島県の廃校訪問だより(予告編)

  •   みなさんは「ハーメルン」という映画をご覧になったことはありますか?福島県の奥会津にある廃校になった小学校を舞台にした物語だ。
     元校長が廃校になった小学校に住み、修繕を繰り返しながら、かつて自分が勤務した学校を後世に残そうとする努力と、かつてそこの学び舎で過ごした卒業生が、在学中におこなったいたずらを後悔し、タイムカプセルを探し出すという郷愁溢れるストーリーだ。
  • Kuimarusyo

             Kuimarusyo2

     我が福島県には、少子化の影響で、このような廃校に追い込まれた学校が数多く点在する。時代の流れとはいえ、かつて何千人もの児童がそこで生活し、いくつもの想い出を作ったに違いない。栄枯盛衰という言葉では決して片付けられない「人の思い」というものが幾重にも積み重ねてある。
     「ハーメルン」に登場した「旧喰丸小学校」は、南会津地方の昭和村というところにある。山間の深い奥地にあった小学校で、廃校から40年近く経った今でも、人々の思いに支えられて、解体されずに、古きよき時代の面影を残して佇んでいる。秋にはイチョウの木が黄色く鮮やかに彩り、冬には、白一面の雪景色に来るものを拒むかのような静寂に包まれる。
     私は死ぬまでに一度は訪れたいと希っている。
     
     しかしながら、わざわざ奥会津まで行かずとも、我が街・郡山にも同じような境遇に苛まれ、閉校や廃校に追い込まれた小学校はごまんとあった。以下の小学校だ。

  •  
  •  郡山市内で廃校になった小学校(1947年以降)
     
  •  1 郡山市立熱海小学校玉川分校(1966年)
  •  2 郡山市立月形小学校安積鉱山冬季分校(1968年)
  •  3 郡山市立多田野小学校山田原分校(1972年)
  •  4 郡山市立月形小学校舟津分校(1975年)
  •  5 郡山市立福良小学校中浜分校(1977年)
  •  6 郡山市立三和小学校下守屋分校(1978年)
  •  7 郡山市立熱海小学校中山分校(1978年)
  • Funatsu Fukurabunkou

     8 郡山市立御舘小学校駒板分校(2003年休校、2005年廃校)
  •  9 郡山市立赤津小学校(2005年統合により郡山市立湖南小学校へ)
  • 10 郡山市立福良小学校(同上)
  • 11 郡山市立三代小学校(同上)
  • 12 郡山市立中野小学校(同上)
  • 13 郡山市立月形小学校(同上)
  • 14 郡山市立河内小学校夏出分校(2006年休校、2011年廃校)
  • Akatsu Kouzunatsuide

    15 郡山市立高野小学校(2018年郡山市立西田学園へ移行)
    16 郡山市立鬼生田小学校(同上)
    17 郡山市立三町目小学校(同上)
    18 郡山市立大田小学校(同上)
    19 郡山市立根木屋小学校(同上)
    20 田村町立守山小学校細田分校(1962年)
    21 三穂田村立三和小学校高籏分校(1963年)

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     郡山市内で廃校になった中学校一覧

  •  1 郡山市立熱海中学校〈旧〉(1970年丸守中と統合し郡山市立熱海中学校〈新〉へ)
  •  2 郡山市立丸守中学校(1970年熱海中〈旧〉と統合し熱海中〈新〉へ)
  •  3 郡山市立谷田川中学校(1972年郡山市立守山中学校へ統合)
  •  4 郡山市立月形中学校(1975年統合により郡山市立湖南中学校へ)
  •  5 郡山市立中野中学校(同上)
  •  6 郡山市立三代中学校(同上)
  •  7 郡山市立福良中学校(1976年湖南中へ統合)
  •  8 郡山市立多田野中学校(1980年郡山市立逢瀬中学校へ統合)
  •  9 郡山市立河内中学校(同上)
  • 10 郡山市立西田中学校(2018年高野小・三町目小・大田小・鬼生田小・根木屋小と統合
      し郡山市立西田学園へ)
  • 11 守山町立守山中学校御代田分室(1949年8月15日)
  • 12 湖南村立赤津中学校(1956年福良中へ統合)
  • 13 安積町立第一中学校(1959年第二中と統合し郡山市立安積中学校〈当時:安積町立〉へ)
  • 14 安積町立第二中学校(1959年第一中と統合し安積中へ)
  • 15 三穂田村立穂積中学校(1961年三和中と統合し郡山市立三穂田中学校〈当時:三穂田村立〉へ)
  • 16 三穂田村立三和中学校(1961年穂積中と統合し三穂田中へ)
  • 17 西田村立逢隈中学校(1961年高野中と統合し西田中へ)
  • 18 西田村立高野中学校(1961年逢隈中と統合し西田中へ)
  •  受験一色に染まる中学時代とは異なり、幼少期を過ごす小学校の想い出はおのおの格別のものがあるに相違ない。
  •  来年から、私は福島県に点在する、このような廃校を訪ねてみたいと思う。郡山市内だけでも歴史を辿れば21もの廃校が存在する。その大半は山間部にあった少人数規模校であったり、分校で複式学級のようなところだ。
     しかし、不可思議なことに、郡山市内にあった小学校は、昔ながらのオンボロ木造校舎ではなく、近代的建築様式の鉄筋校舎が多い。それが廃校とはなんとも勿体無い話ではあるが、その後、公民館や宿泊施設、個人が買い取ってアトリエや作業場として再利用しているケースが多い。市民が集える場として残されるのは大歓迎で、解体費用をケチってそのまま放置され、幽霊校舎化している例や、震災で崩れ落ちたまま無残な醜態を晒している場所もありそうだ。
  •  残念ながら、今では震災が原因で危険箇所として解体された学校もあるだろうが、現存するのであれば、かつての栄華を辿り、当時のそこで少年時代を過ごした人々の面影に浸りたいと思う。
  •  当ブログでは、その模様を逐一報告できればと思っている。
  • 2018年10月28日 (日)

    東京近辺の歴訪計画

     私は歴史が好きで、特に幕末維新に関する時代小説を読み、当時の人物像を研究し、その時代に思いを馳せることが多い。
     そのきっかけは、私の祖父母が会津出身ということもあり、その祖先が一命を擲って、会津を守ろうと奮戦したことを誇りに思うからだ。そして奇しくも今年、何の因果か、戊辰戦争終結から150年を迎えたメモリアルイヤーであり、しかも、平成という時代の終焉に立ち会うこととなり、年号が江戸から明治に改元されるという不思議な縁をふつふつと実感してやまない。

     そこで私は、2008年に放映されたNHKの大河ドラマ「篤姫」のDVDを10年振りに見て、幕末の混乱期に、武士として最期まで戦い抜いた英霊たちをお参りしたくて、平成が終わる前に、その参拝を計画した。
     有名人の墓参りは、5年前に「天知茂」「坂井泉水」「石原裕次郎」の墓参を実施したが、歴史上の人物の墓参りは、会津ゆかりの墓参りを除けばこれが初めてである。「墓マイラー」ではないのだが、私自身は昔から、尊敬する「乃木大将」や明治時代の文豪、歴代首相などの墓をいつかはお参りしたいと希っていた。仕事が一段落するであろう来春のために、今からその算段をしておこうという腹づもりだ。

     では、私が現時点で考えている幕末期に活躍した歴史上の人物の墓参りと歴史的に重要な出来事があった場所で歴訪したいのは以下の方々だ。

     1 江戸城跡(皇居)

     参考資料 「関東、歴史情報」

    http://www.eniguma49.sakura.ne.jp/zyousi/toukyou/edozyou/kinnsei2.html

    http://www.eniguma49.sakura.ne.jp/zyousi/toukyou/edozyou/kinnseiedozyousyasinn.html

     いつもは二重橋しか行かないのだが、できれば皇居の内部や桜田門内外の見学をしたい。

     2 土方歳三資料館(日野市)

     参考資料 http://www.hijikata-toshizo.jp/

     新撰組副長であった土方歳三。戊辰戦争では、会津藩とともに戦い、鶴ヶ城にも足を踏み入れている。そして最期まで幕臣として戦い、箱館戦争にも参戦し、戦死した。その墓は不明で、函館山の麓に密かに埋葬されたらしいが、どこにも墓標や墓石はない。

     3 勝海舟の旧邸(港区・赤坂駅近く)

     参考資料 「幕末トラベラーズ」 http://japanserve.com/spt-edo-5-katsu.html

     幕末期に西郷隆盛と会談し、「江戸城無血開城」によって、江戸を戦火から守った。

     4 龍源寺(三鷹・新撰組・近藤勇の墓所)

     参考資料 「東京都文化財めぐり」
     
     http://www.syougai.metro.tokyo.jp/bunkazai/week/hino/hino11.html

     薩長は、池田屋事件や蛤御門の変で同志が多く殺された恨みから、板橋の刑場で首を撥ね、そして京都の河原でもさらし首にした。会津の天寧寺にも彼の墓があり、ここには毛髪が埋葬してあるという。副長の土方歳三がここに墓標を立てたと言われている。

     5 上野寛永寺(13代将軍家定と天璋院篤姫の墓) 特別参拝日(要予約)に

     参考資料 「歴人マガジン」 https://rekijin.com/?p=10292

     特別参拝 http://kaneiji.jp/schedule2

     上様が亡くなり、大奥を後にした篤姫は天璋院となり、上野の寛永寺に居を移した。そこで晩年を過ごした。慶喜公が謹慎した葵の間などがある。

     https://dot.asahi.com/dot/2018012500059.html?page=1

     6 増上寺(14代将軍家茂と和宮の墓)

     参考資料 http://www.zojoji.or.jp/keidai/

     篤姫の子である徳川家茂とその正室だった和宮が眠る。

     7 石田寺(土方歳三の墓所・日野市)

     参考資料 「新撰組のふるさと日野」 

     http://makoto.shinsenhino.com/archives/place/050503195033.php

     8 沖田総司終焉の地(今戸神社・台東区)

     参考資料 http://sakamichi.tokyo/?p=8128

     「はらりはらり桜舞い散るように

     9 沖田総司の墓(専称寺・港区)  立入禁止

     参考資料

     http://www.japanesecastle.biz/shinsengumi-tokyo23ku/okitasouzi-tomb.html

    10 近藤勇・新撰組隊士供養塔(北区・板橋駅前)

     参考資料 https://yukarino.jp/articles/7776226

     http://japanserve.com/spt-edo-7-itabashishinsengumi.html

    11 外桜田門(大老井伊直弼暗殺)

     参考資料 https://rekishiru.site/archives/437

     http://japanserve.com/spt-edo-1-sakuradamon.html

    12 彰義隊の墓(上野公園)

     参考資料 https://bushoojapan.com/tomorrow/2014/05/14/20090

    13 西郷隆盛・勝海舟会見の碑(港区芝)

     参考資料 http://edoshiseki.com/bakumatu.html

    14 大久保利通終焉の地(紀尾井坂)

     参考資料 http://sakamichi.tokyo/?p=6805

     さて、読み手のことを考えずに、好き放題書いてしまったが、私の歴史好きは今に始まったことではない。歴史を紐解くことで、今まで教科書に載っていなかった裏話や秘話にもたどり着けるし、時代背景はもとよりその人となりを掘り下げて知ることができる。
     特に幕末の混乱期に、幕臣として最期まで武士らしく戦い、戦場に散った方々の勇姿に思いを馳せる時、いにしえの歴史浪漫を存分に感じ取れる。そのためにも、その歴史の表舞台となった場所を訪れ、自分の目で見て感じ、その当時に立ち返って歴史を学びたいと考え、今回の歴訪を計画した次第だ。

     追記

     この幕末のスポット以外にも、戦後、多くの事件が発生した。「三鷹事件」、「下山事件」、「吉展ちゃん事件」など、世間を揺るがした事案などについても歴訪してみたい。

    2018年10月25日 (木)

    世界の恐ろし鉄道

     「ところ変われば品変わる」という言葉があるが、ここまで極端だと言葉を失ってしまう。日本ではまずありえない世界の鉄道事情。電車に命がけで乗る人はまずいない筈だが、広い世界にはそれが日常的に行われている国がある。
     今日は、「世界の恐ろし鉄道」と題し、そんな乗るのも憚りたくなる鉄道を取り上げたい。

     インド式電車の乗り方

     インドは世界第2位の国。人、人、人だらけ。インドネシアのジャカルタ鉄道の乗車風景も異常だが、ここインドは乗車も下車も人を押しのけて行かないと乗降出来ない。遠慮などしていたら、埒が明かない。

     パキスタンの屋根の上の乗客

     車両に無理やりしがみついたり、屋根に飛び乗ったり、正気の沙汰ではない。落ちれは命の保証はない。まさに命がけの乗車風景だ。この方たちは無賃乗車なのか?集団心理の極致だ。列車もホーン(汽笛)を鳴らし三昧だ。うるさくて仕方ない。

     川の上を行く列車

     タイは熱帯雨林気候?まるで川の中に線路があるようだ。そこを水をかき分けるかのように進む。一見、タイの列車は水陸両用なのかと目を疑う有り様だ。

     民家すれすれを行く恐怖列車

     江ノ電よりも民家の間すれすれを行く。民家の軒先にバイクがあると、ご丁寧に停止し、バイクをどかすまで発車しない優しさ。しかしこの光景は日本ではありえないし、こんな細い隙間をあんなバカでかい鉄の塊が素通りするなど絶対に見られない。

     露店をどかして進む列車

     

     露店が線路にかぶさって商売している人々も常識外だが、列車が来るギリギリまで広げた商品を片付けない無法ぶりも論外だ。日本人がそんな食料を口に入れたら下痢や嘔吐間違いなさげな不衛生さを漂わせる。

     断崖絶壁を進む一か八か列車

     絶叫マシンよりスリル満点。崖崩れや線路の崩落=即死。こんな一か八かのような線路をよくあんな重量オーバーの列車を走らせようなどと考えたものだ。安全対策はなおざりで、利益優先の結果だろう。一歩間違えれば大惨事。そんな路線だ。

     草むらの中を掻き分けて進むローカル鉄道

     どうもキューバの鉄道らしいのだが、草むらの中を時速20キロくらいでゆっくりと進む貨物列車。まったく路線整備もしていない。日本では考えられないが、異国の地では、こうしたことがよくある。しかも線路上の草をヤギが呑気に草を頬張っていて、列車が接近していてもどこ吹く風。まったく気にしない。汽笛を鳴らされてやっと気づく。なんとも長閑な日常風景だ。

     さて、今日の映像を見れば、世界は広いと言わざるを得ない。日本では信じられないことが現実的に起きている。時刻表通りに電車が来て、ホームの乗り場に寸分たがわず停車し、ドアが開くのは先進国くらいのもので、たいていはてきとうな印象だ。
     私は海外に行く度に「日本人で良かった」と実感する。

    2018年10月 6日 (土)

    夢心地な霞ヶ城

     私の母の実家は二本松にある。しかもかの有名な「智恵子」(高村光太郎の妻)とは共通点がありすぎるほどだ。そんな縁もあって、私は幼少の頃から母方の祖父母の家に年2回は訪れたものだ。そこでの楽しみは、秋に開催される勇壮な「ちょうちん祭り」と華麗かつ艶やかな「菊人形」の二大イベントだった。もちろん両者ともに、現在も行われている。

     そして、私は今でも毎年必ず、祖父母の墓参を兼ねて訪れたついでに、霞ヶ城に登っている。「二本松少年隊」の悲劇や戊辰戦争の際に、幕府方の砦として、最期まで武士らしく立派に戦い、戦場に散っていった二本松藩士の勇猛果敢な物語は、現世においても語り継がれている。

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     その「霞ヶ城」だが、今でこそ「箕輪門」をはじめ、山頂の天守台が整備され、美しく甦ったが、私が幼少の頃は、石垣しかない物悲しい風情を残していた。唯一、秋に、その麓で開催される「菊人形」が人を呼ぶ人気催場であり、秋を除けば、それはそれはひっそりした佇まいだった。
     また、小学生の頃には、遠足でこの山に登ったが、昭和40年代の霞ヶ城公園の山頂には、今とは似ても似つかわないほどの建物が建っていたのをご存知だろうか?一見、私はずっとそれが昔から残る「天守閣」だと思っていた。
     しかし、問題のその巨大な天守閣もどきの建物は、今の天守台への急石段付近に聳え立っていたのだが、あろうことか或る宗教団体がその土地を購入し、勝手に建てた三層の瓦屋根を施した城造りの日本建築家屋だった。
     その土地を、平成に入った頃に、二本松市が買い戻し、その違和感漂う建築物を取り壊し、周辺にあったパラボラアンテナも撤去し、現在ある形に再整備したのだ。

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      上の画像は「余湖くんのホームページ」より引用させていただきました。

     ところで、二本松市の悲願と思える夢が垣間見えるイベントが数年前にあった。それは、天守台に足場を組み、そこに電飾を施し、夜間にライトアップして、天守閣の形が夜の闇に浮かび上がるというものだ。下がその当時の画像だ。

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     さらに、復元した模型はこちら(「お城のジオラマ鍬匠甲冑屋」さんのブログより)

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      https://blogs.yahoo.co.jp/katuuya2012/28090252.html

      大阪城ばりの天守閣が本当に聳え立っていたかどうかは不明だが、これらの画像を見ただけでも、二本松市民が、我らがシンボルである「霞ヶ城」に賭ける思いが伝わるだろう。財政が許せば、「天守閣」自体の復元を願っていることは言うに及ばない。

     一方、昨年のことだが、或る有名造形家が猫の全身像を近代デザインでオブジェを制作し、それを天守台手前の南側の砲台に、二本松市街を見下ろす形で設置した。設置期間内にマスコミが取材し、「場にそぐわない」との物議を醸した。私自身、「城を守るために命を賭けて奮戦した英霊を冒涜している」と憤慨したし、歴史的背景を知らない者の愚行にしては許しがたい気持ちを抱いた。

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     実はこの方、「ヤノベケンジ」さんと言い、つい最近まで福島駅南側の「コムコム」の玄関前に設置されていた「防護服を纏ったふくしまの子ども」をイメージした「サン・チャイルド立像」を造形した造形美術家でもある。

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     「福島の子どもが皆、原発の放射性物質に侵され、このような防護服を着ている」との誤解を招くとして、この9月にこの像は撤去され、設置を承認した木幡市長が自ら減給を願い出て一応の決着を見た。何かと福島県でトラブルメーカー的存在となっている。

      この霞ヶ城は、春と秋に訪れるのが素晴らしい。春は霞ヶ城公園一帯が薄桃色の桜の花々でそれは桃源郷のように圧倒する景色となる。また秋は、紅葉も美しい。菊人形の会場からは菊の香りが漂い、五感で楽しませてくれる。

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                   Kasumigajyo10


     以上、見てきたとおり、私の霞ヶ城への並々ならぬ思いは感じ取って頂けたと思う。それは単に母の実家がある土地柄以上に魅力溢れる街であるということに尽きる。
     しかし、残念なのは、福島県でもそうだが、まして全国的には「二本松市」の存在はどれほど知られているかと言えば、「?」が付く。これはPR不足もあるだろうが、ネットや広告を使っての情報発信をより効果的に行う必要がある。
     私の第二の故郷とも言うべき「二本松」の魅力をひとりでも多くの人に知って欲しいと切に願うものである。

      <参考>

     二本松ちょうちん祭り2018・・・10月4日(木)5日(金)6日(土)
     二本松の菊人形2018・・・・・・・10月10日(水)~11月25日(日)

    2018年9月27日 (木)

    私が訪れた遊園地

     今はもう無い遊園地で、私が子供の頃に連れて行ってもらった場所がある。今は亡き父親が私たち子供を楽しませようと、毎年、夏に東京を始め、多くの娯楽施設に行ってくれた。
     そんな懐かしい想い出に浸りたくて、今日はこの記事を執筆したい。

     1 後楽園ゆうえんち

     高速回転で遠心力で体が浮く遊具や直覚に曲がるひとり乗りのミニコースター、円形の展望タワー、そして定番のジェットコースターなどに乗った。私は三半規管が弱く、すぐにめまいや耳鳴りを訴えていたので、そんなに多くの絶叫マシンには乗れなかった。

      2 横浜ドリームランド

     私が6歳の時と12歳の時に二度訪れた。大船からモノレールに乗った記憶がある。1回目は敷地内の豪華ホテルに宿泊した記憶がある。広いホテルで鬼ごっこをやった覚えがある。ここの名物は潜水艦だ。実際は潜水したり、浮上したりはしない。水底に引かれたレールを潜水艦が平行移動するだけだったが、潜水艦の窓が水中にあるため、いかにも海底を探検している雰囲気を味わえた。最後は滝の中から登場するという演出も粋で、人気があった。

     3 那須ロイヤルセンター

     ここは1980年代に「那須ハイランドパーク」がオープンする前までは、ここと「那須りんどう湖ファミリー牧場」が観光のメッカだった。多くの遊具が屋内に設置されていて、子供たちを大いに楽しませてくれた。どこか「磐光パラダイス」にも似ていたが、こちらの方がスケールが大きかった。ガリバーのような大きな人形の間を水路を移動する船に乗って園路を一周するアトラクション「ファンタラマ」がメインだった。今でいう「イッツアスモールワールド」のような感じだ。この建物は、未来感覚を醸す円形のコンストラクションだった。

     4 豊島園ゆうえんち

     ここも2回訪ねた。池袋から西武鉄道で豊島園駅で下車すると、駅の向こう側がもう遊園地だった。ここは電気で動くゴーカートがメジャーだった。今でも立派に現役だが、とにかく敷地が広大だった。お化け屋敷も人気アトラクションだった。私は小6と(父親と)中学生の時(兄弟で)も訪れている。

    https://www.youtube.com/watch?v=OvULOWKlz9A

     さて、今日は私の想い出話にお付き合いいただき恐縮でしたが、少年の頃の出来事は、40年以上経過した今でも脳裏に焼き付いている。今は亡き父親との想い出探しや追憶という感じだが、こうした想い出をいつまでも大事にしたいと願う。

    2018年9月 1日 (土)

    福島県民にとって想い出の映像集

     私は福島県郡山市出身で、大学時代と最初の勤務地で離れることはあったが、足掛け46年間も住んでいる。だから福島県内について昔の話はこと欠かないし、話題も尽きることは無いと自負したいる。

     1 中山宿駅のスイッチバック

     2 高子沼グリーンランドがあった!

     1980年代のバブル期前に福島市郊外にオープンした本格的な遊園地。ジェットコースターや大観覧車が丘陵地に設置され、家族連れで賑わった。

     しかし、バブル崩壊で客足が遠のき、閉園後はしばらく放置され、いつしか廃屋探検のメッカや心霊スポットに成り下がった。

     「高子沼グリーンランド」のCMはコチラ↓(3:00から)

    https://www.youtube.com/watch?v=gs2NMWgJdkU

     これ以外にも県内には猪苗代町に「姫沼ランド」や磐梯熱海に「金粉ショー」でお馴染みだった「磐光パラダイス」もあったし、須賀川には「ゴジラの卵」と「足跡」が存在した。今はすべて過去の想い出として記憶に残っているのみで、実に寂しい限りだ。

     会津若松市東山温泉(背あぶり山)にあったロープウェイとリフトに乗った記憶もある。もちろん、郡山市民であれば、丸光デパートの屋上遊園地や第2うすいのレストランのお子様ランチは懐かしいだろう。また須賀川との境に「郡山レジャーランド」という遊園地があったことを覚えているのは、おそらく50代以上の方だろうと思う。回転飛行機やミニ列車などの大型遊具、ミニ動物園などがあり、子供を十分楽しませてくれた施設だった。

     3 うつくしま未来博

     うつくしま未来博は、2001年7月7日から9月30日まで、福島県須賀川市で開催された地方博覧会。日本で初めて森の中で開催された博覧会である。

     チケットが大量に売れ残り、大幅な赤字になることを恐れ、県内の小中学校の遠足では必ず複数回行くことのお触れが出た。いわば内需拡大で黒字化した勘定。私も3回も行った。各メーカー・企業のパビリオンが出展し、3D映画やショーイベントが連日開催された。もう17年も前の出来事だが、つい3年前にこの場所に行ったが、「兵どもが夢の跡」とばかりに、ひっそりしていた。閉場後、ここは宅地として再開発されたが、市街地から15kmも離れていて、遠すぎて大多数の区画が売れ残った。今では陸の孤島化している。

     イベント中の様子はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=bUckFGcj7SI

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