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2021年2月 6日 (土)

坂道の話

 よく人生は上り坂とか下り坂に例えられる。人生80年だとしたら、今はどのあたりを生きているのか?そしてもうピークは過ぎたのか、それは神のみぞ知るところなのだろう。

 最近では、「乃木坂46」「櫻坂(旧欅坂)46」「日向坂(旧けやき坂)46」なる「坂道グループ」が若い人を中心に人気を博し、芸能界を席巻しているようだが、残念ながら今日の話題はその類ではない。あしからず。

 外国にもサンフランシスコなどは坂が多い街として知られているが、ここ日本でも有名な観光名所になっている坂や一風変わった坂が話題に上ることもある。今日はその手の話をしようと思う。では、まず、本道の坂をピックアップしたい。

 函館・・・八幡坂・基坂・大三坂・弥生坂・二十間坂
 小樽・・・船見坂(こう配15%を超える船見坂は、小樽でも屈指の急な坂で、ドラマや映画に数多く登場した)
 日光・・・いろは坂(紅葉のメッカで10月下旬から11月にかけてのシーズンは紅葉狩りの車で渋滞する)

 東京・・・桜坂・スペイン坂・神楽坂・無縁坂

 京都・・・三年坂(産寧坂ともいう。八坂から清水寺に通じる道路のうち、急な石畳の坂道約100メートル。重要伝統的建造物群保存地区指定。)
 三重・・・曽根次郎坂・太郎坂(尾鷲市と熊野市の市境である甫母峠を越えるコースです。. 曽根の貴重な史跡を巡るほか、古道では美しい石畳や猪垣などに出会える
 和歌山・・高野坂(熊野古道)
 長崎・・・オランダ坂

Hachimanslope

 上の坂道は観光名所にもなっているから、ご存知の方も多いと思う。でも何かのきっかけでブレイクして知られるようになったのもある。例えば東京にある「桜坂」は、今から20年程前に、福山雅治が歌い、TBSの「ウンナンのホントコ」の人気コーナーだった「未来日記」で取り上げれて、桜の名所として人気が爆発したスポットだ。

Sakuraslope

 <テレビなどで紹介されて有名になった坂・道路>

 ベタ踏み坂

 豊川悦司と綾野剛が出演した軽自動車のCMで一躍脚光を浴びた坂。島根県にある。 正式名は「江島大橋」に架かる道路で、最上部は高さ約45mに達し、コンクリート製の桁橋としては日本最大。 巨大な橋の中央部からは、遠く大山や中海に浮かぶ大根島を見渡すことができ、サイクリング道としてもひそかに人気があるそうだ。傾斜が急で、望遠でとらえると、垂直にそそり立つように見えるようだ。

Betabumislope

 ゆうれい坂

 福岡県岡垣町と長崎県佐世保にある世にも珍しい怪奇現象が見られる坂。もちろん幽霊が頻繁に見られるからこの名がついたわけではない。縦断勾配錯視”とよばれる現象で、勾配と風景の錯覚でこのようにみえるのだとか。下り坂が上り坂に見えたり、上り坂が下り坂に見えたりします。下り坂のように見える空き缶を転がすと上って行くように見える不思議な坂。

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 開陽台地平線道路(中標津町)

 バイク雑誌や旅行誌のグラビアに度々登場するこの場所はライダーの聖地と言って良いほどメジャーな場所。ミルクロードと呼ばれる牧場を貫くように幾重にもつづら折りで遥か先まで一直線に続くことから「地平線道路」と呼ばれている。私は1984年秋、1985年夏、1992年夏の3度バイクで訪れたことがある。

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 ジェットコースターの路(美瑛町)

 ここへは2013年にレンタカーで訪れた。ブラタモリを始め、多くの旅番組で取り上げられてメジャーになった。ここは視界が広く、高低差が激しいので、まるでジェットコースターのレールのように見えることからこの名がついた。

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 天に続く道(斜里町)

 ここは最近までこの存在を知らず、斜里町は過去3度訪れているが、一度も通ったことが無かった。「天空の道」とも呼ばれている。
 オホーツク海を走る国道334号と斜網広域農道のことで、斜網とは文字通り、斜里と網走を結ぶという意味。小清水町の倉栄地区から、知床連山を目指してまっすぐの道が28.1kmも続いている。国道334号が峰浜に向かって左に折れた後も、バニシングポイントまで坂道を上る。振り返って眺める雄大な光景は、北海道でも屈指の景観。

Road-to-heaven

 さて、なぜ今日、このような坂の話題にしたのかというと、昨年の暮れに28年振りにバイクを購入したことで、北海道を始め、久し振りにツーリングで訪れたくなったためだ。車で走るのと感覚がまるで異なるバイクは、風と一体になれるような気分を味わえる。もちろん転倒したり、事故に遭う危険は増すが、安全運転に十分気をつけた上で、ぜひ20代の頃に経験したあの疾走感だったり、開放感だったりを体現したいと思う。

2021年1月30日 (土)

福島県の国宝にすべき文化財

 当ブログで指摘したことがあるが、我が福島県には建造物の国宝はたったひとつしか無い。いわき市の「白水阿弥陀堂」というお堂だけで、中通りの県民にはなじみが薄い。

 しかし、そこは北海道、岩手県にに次ぐ、日本で第3位の面積を誇る広い福島県には、それに見合うだけの価値のある文化財はほかにも存在する。今日は、私の個人的見解で、ぜひとも国宝に昇格して欲しい「県のお宝」を列挙したい。

 1 会津飯盛山の「さざえ堂」

 不思議な二重構造のらせん階段で、国の重要文化財に認定されている建物。「会津さざえ堂」は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂」という。
 一説ではレオナルド・ダ・ヴィンチが設計したフランスの世界遺産シャンボール城の二重らせん構造を模倣して建てたとも言われている。

 円通三匝堂は、高さ16.5mの円柱状のお堂ですが、よく見ると六角形三層という不思議なもの。内部には階段がなく、右回りの螺旋(らせん)状のスロープを上ると頂上に太鼓橋があり、橋を渡ると今度は左回りの下り坂で背面の出口に出る仕組み。つまり通路しかないというもので、昇降を通じて仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づき、建物を右回りに3回匝る(上りに1回転半、下りにまた1回転半)ことから三匝堂の名があるのです。したがって、上りと下りが別ルートになっていて、参拝者がすれ違うことがない。木造の二重らせん構造の建物は世界で唯一なのだそうだ。

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 「さざえ堂」は、私自身はおそらく5回は訪れていると思う。最近では正月に「モヤさま」で取り上げられた。

 2 会津美里町の「左下観音堂」

 日本遺産に認定されている「会津三十三観音めぐり」の第21番札所が、この「左下観音堂」。小高い山の中にあり、森に囲まれているため、国道から隠れた場所にあって見つけにくい。

 山の中腹にある岩を切り開き構築した見事な三層閣で五間四面、高さ四尺八寸、東向きで廻り縁があります。縁先に立てば多く磐梯山を望み、近くに大川の清流を見下ろすことができる景勝地。 
 この建造物は、まるで京都・清水寺のミニチュア版といった様相で、崖の岩にぴったりとくっつくように建てられた様式は、「懸造り」と呼ぶそうだ。
 私もネットの情報を頼りに平成26年5月31日に訪れるまでは、よもや県内にこれほどの建造物があるとは思いも寄らなかった。地元会津美里町の教育委員会が重要文化財に指定している。

 ここが怖いのは、ひっそりとした森の中に佇んでおり、忽然とその姿を現すこと。そして観光客が極端に少ないこと。私が訪れた時も誰もいなかった。そしてお堂に上ると、みしみし音を立てて、お堂全体が揺れることだ。これは下手な遊具よりも断然怖い。

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 こういう珍しい建造物があることを福島県民ですらあまり知られていない。ぜひ国宝にして、県内外にこの奇妙な建造物の存在を知らしめてほしいと思う。 

 他に「大内宿」は岐阜県の白川郷を思い起こさせるような茅葺屋根の宿場が立ち並び、それは江戸時代にタイムスリップしたような錯覚さえ覚える。ぜひ国宝に指定してほしい。

2021年1月23日 (土)

マジか~(ないない尽くしの福島県)②

 昨日、アップした記事の続編をお送りします。思わず「マジか~」と嘆いてしまいそうな「ないない尽くしの福島県」をテーマにお送りしますが、決して福島県を蔑むためのものではなく、何とか対処してほしいという願いを込めてお送りすることを予めお断りしたいと思います。

 4 福島空港は2路線しかない!廃港の危機・・・

  福島空港は今、存在自体が風前の灯だ。以前、当ブログ内の記事で実情を訴えたが、震災以降、2路線に激減した。開港当時は勢いがあって、札幌、函館、名古屋、大阪、福岡、沖縄の各便が定期航路で開設していた。そして季節便として帯広便や広島便も就航していた。その勢いそのままに、アシアナ航空がソウル便を、中国東方航空が上海便を開設した。わざわざ成田まで行かずとも近距離なら海外に飛んでいた。

 福島空港は、「世界の中心で愛を叫ぶ」のラストシーンのロケ地に使われたり、人気絶頂時のヨン様がお忍びで福島空港に降り立ったほど、メジャースポットになった。それが今はどうだろう。日航はとっくの昔に撤退し、AIRDOもまた福島空港に見切りをつけた。東電の原発事故に恐れをなした外国航路も休航という名の撤退を余儀なくされた。
 ここ数年は、札幌便が1往復、コロナ禍によって稼ぎ頭の大阪便も3往復に甘んじてしまった。こうなると2,500m滑走路を有する施設の維持費がバカにならない。空港内は閑古鳥だし、無料駐車場もガラガラの状態だ。赤字が嵩み、いつ廃港になっても不思議ではない状態だ。
 この窮状に至った要因は、県の中央部に空港を作ったのが敗因、交通の便が悪く、県庁所在地が県北にあるわが県は、肝心の福島市民が、福島空港を利用していないことにある。仙台空港の方が交通至便だし、多くの路線を開設し、便数が多い。それにLCCも複数就航している。下手すると福島空港利用よりも半額で札幌まで移動できる。

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 追記

 令和3年1月から福島空港は、コロナの影響を受け、ついに休港となってしまった。札幌便と大阪伊丹空港便の2航路ともに運航停止措置に。いよいよもって廃港が現実味を帯びて来た。

 5 福島県には宙返りコースターがひとつもない!

 かつて福島市北西部に「高子沼グリーンランド」という遊園地があった。しかし、それ以降、広大な福島県にあって、大規模な遊園地が皆無という残念な境遇にある。隣県の栃木には「那須ハイランドパーク」、宮城にも「八木山ベニーランド」、山形には「リナワールド」、新潟には「サントピアワールド」、茨城県ですら「ひたち海浜公園」があり、それぞれ絶叫系コースターやスクリューコースターがあるのに、残念すぎる。
 福島市の「森合児童公園」や郡山のカルチャーパーク内の「ドリームランド」、いわきの「かみねやま遊園地」は、ファミリー向けの子供騙しに過ぎない。会津地方に至ってはスキー場はあっても遊園地はひとつもないのが実情だ。

 娯楽が少ないのが福島県の難点というか欠点で、アミューズメントが少なすぎる。だから、パチンコ、喫煙率が高くなるのだ。

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 6 県立高校がどんどん無くなる?

 少子高齢化は何も福島県内に限ったことではないが、子どもの数が年々減り、それに伴い、かつてあった小中学校の統廃合や廃校が頻繁に行われた。
 そしてそれは市町村立学校に限らず、県立の高校にもその波が押し寄せている。昭和から平成に年号が変わった頃から、平成の大合併で県内市町村が90から55にその数を減らしたのは周知の事実だが、県立高校もまたその御多分に漏れず、大幅に数を減らしている。最初は完全男女共学化を推進し、伝統校の根強い反対運動をよそに、共学化を強行し、現在に至っている。そして次は統廃合だった。まずは過疎地域の教育を支えて来た分校を廃校へと追いやった。
 そして、今度は複数の周辺校をひとつに統合し、新しい校名に作り替えるという方策に出た。

 では、平成元年(1988年)以降、県立高校が辿った校名変更や閉校、統廃合の変遷を振り返りたい。

 1988年 須賀川二高校を安積二高校と統合し、安積第二須賀川校舎に  
 1989年 会津中央高校を安積第二高校に統合
 1993年 いわき中央高校をいわき光洋高校に改編
 1995年 須賀川女子高校を須賀川桐陽高校に改称
      福島西女子高校を福島西高校に改称
 1996年 安積第二高校をあさか開成高校に改称
      矢吹高校を光南高校に改編
 1997年 福島農蚕高校を福島明成高校に改称
      白河女子高校を白河旭高校に改称
 1998年 郡山女子高校を郡山東高校に改称
 2000年 喜多方女子高校を喜多方東高校に改称
 2001年 磐城女子高校を磐城桜が丘高校に改称
       安積女子高校を安積黎明高校に改称
       あさか開成高校定時制・通信制と郡山北工業高校定時制を統合し、郡山萌世高校に
 2002年 若松女子高校を会津学鳳高校に改称
       会津女子高校を葵高校に改称
 2003年 福島女子高校を橘高校に改称
       相馬女子高校を相馬東高校に改称
 2004年 内郷高校をいわき総合高校に改称
 2009年 棚倉高校と東白川農商を統合し、修明高校に
 2010年 喜多方商業高校と喜多方工業高校を統合し、喜多方桐桜高校に
 2011年 富岡高校川内分校休校
 2015年 ふたば未来学園開校
 2017年 小高商業高校と小高工業高校を統合し、小高産業技術高校に
       双葉高校休校
       双葉翔陽高校休校
       浪江高校休校・津島分校休校
       富岡高校休校
 2019年 小野高校平田分校休校
 2020年 相馬農業高校飯館分校休校
 
 2021年 安積御舘分校休校
       修明高校鮫川分校休校
       小名浜高校といわき海星高校が統合し、小名浜海星に
       喜多方高校と喜多方東高校が統合し、喜多方高校に 
 
 2022年 須賀川高校と長沼高校が統合し、須賀川創英館高校に
       湯本高校と遠野高校が統合し、いわき湯本高校に 
       坂下高校と大沼高校が統合し、会津西陵高校に
       相馬東高校と新地高校が統合し、相馬総合高校に
       保原高校定時制と福島中央高校が統合し、ふくしま新世高校に
      
 <今後の統合予定>
      
  二本松工業高校と安達東高校が統合予定
  耶麻農業高校と会津農林高校が統合予定
  田島高校と南会津高校が統合予定
  白河実業高校と塙工業高校が統合予定
  保原高校と梁川高校が統合予定

 ここまであからさまに統廃合が進むと、そこを卒業したOBやOGは自分の母校が無くなったような一抹の寂しさがあるのではないか?それにしてのこの一方的な決め方は、地元住民の反感を買わないのだろうか?十分説明して理解を得る努力はしているとは思うが、地元の方の心情を察するとあまりある。一番の犠牲者は、遠距離通学を強いられる子どもたちで、地域密着の学校が姿を消すのはあまりにも理不尽な所業ではなかろうか・・・。
 廃校によって空いた校舎の維持費はバカにならない。跡地をどう利用するのか?言わずもがなであるが、学校は敷地や校舎だけではなく、校庭や体育館、プール、銃剣道場などの施設を備える。その有効利用はよもや地元任せではあるまい。維持管理費などの財政負担を地元に丸投げするような冷遇はしないだろうが、地域活性化のために有効利用を考えてもらいたいと思う。

2021年1月22日 (金)

マジか~(ないない尽くしの福島県)①

 学生時代を除いて福島県で生まれ育って半世紀以上になる。「光陰矢の如し」や「歳月人を待たず」、「少年老い易く学成り難し」を痛感する日々だ。それはさておき、我が福島県は面積で全国3位の広さがあり、東側の浜通りと西端の奥会津では同じ県内とは思えぬほど、方言も文化も気候も異なっている。したがって、まだ見ぬものや見知らぬお宝が相当眠っているだろうと察しがつく。

 そこで、今回のテーマは我が福島県で思わずマジか~と驚嘆してしまうような事実を取り上げてみたい。

 1 福島県にはデパートが1つしかない!

 驚くと思いますが、2021年の今、我が福島県にはデパートと呼べる店舗は郡山市の老舗デパートである「うすい百貨店」しかなくなってしまった。昨夏に福島市の中合が惜しまれつつ閉店して以降、たった1店舗のみになったのは寂しい限りだ。

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 では、かつて、県内にあった主なデパートを回顧したい。

 福島市…中合福島、バード長崎屋、山田百貨店(ダックシティ山田・ビブレ)
     エンドーチェーンはスーパー扱い。
 郡山市…津野百貨店(デパート)、丸光百貨店(デパート)、丸井百貨店、西武デパート(西友はストア扱い)
     イトーヨーカドーとダイエー、トキワスーパー、丸藤、ベニマル、イオンフェスタ(旧ジャスコ)はスーパー扱い。 
 須賀川市…赤トリ井(ショッピングデパート)
 いわき市…大黒屋百貨店
      藤越スーパーセンター谷川瀬がかつてあったが、百貨店やデパートではなかった。現在はベニマルに吸収合併された。
 会津若松市…中合会津店、長崎屋、大善デパート(ニチイ大善)
      会津サティはチェーンストアでイオングループ、リオンドールもまたスーパー扱い

 おそらく、その地域に住んでいた人は、買い物する場所が無くなったとさぞかしお嘆きかと思うが、今はネットショッピングやセシールなどのカタログショッピングの台頭で、そんなに不便は感じないかもしれない。逆に、かつて主要都市の駅前の繁華街にあったデパートは、マイカーでは駐車場不足のため、あまり人手がなく、逆に郊外のイオン系スーパーや福島県内にはないが、「コストコ」などの広大な敷地と駐車場がふんだんにあるスーパーセンターのほうが重宝されるようになった。
 大玉村にある「PLANT5」や南相馬市の「イオンスーパーセンター」などは駐車場が広くて買い物に行きやすい。
  
 唯一残った「うすい百貨店」ではあるが、過去、倒産しかけて、会社更生法申請し、三越の資本を借りて再建した経緯があるため、やはりコロナ禍もあって、街中へと人が買い物に繰り出す機会も相当数減った。かつて週末は歩行者天国となって大変な賑わいを見せた中町通りもまた閑散としているし、うすいの売り場を除いてもあまり買い物客は少ない印象だ。これで社員に給料を払ってやっていけるのか心配になってしまう。
 うすいのCM(買い物するアヒルの親子・浅野ゆう子など)も懐かしいが、福島県内から百貨店の灯を消してはならないと思う。

 2 福島県には「五重塔」がない!

 安達が原のふるさと村にはいかにもというような五重塔が聳えているが、あれは観光目的で建てたもので、寺院所有ではない。ましてその入り口にある安達ケ原鬼婆伝説が残る「観世寺」とは全く関係がない。
 また、余談だが、二本松市の霞ヶ城公園で毎年秋に開催される菊人形会場に登場する朱塗りの五重塔は、客寄せのための単なる作り物。あしからず。
 では本当にないのか?と思って探したら、歴史は浅いものの、福島市上鳥渡という地名に、朱塗りも鮮やかな五重塔が存在した。それは「鳥渡観音寺五重塔」と呼ばれている。しかもそれは永代供養塔として建てられた。平成9年落成というから、まだ22年程度の若い塔で、後継のない、あるいは供養してくれる方の無い無縁仏を祀り、供養するための納骨堂の役目を負っている。高さ23m。木造ではなく、ガラス繊維強化セメント 製(GRC)というから現代風モダン建造物と言える。

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  では福島県にある塔は何か?それは三重塔で、県内には下記の3つが該当する。

 いわき市高倉町 高蔵寺三重塔
 会津美里町   法用寺三重塔
 二本松市木幡  隠津島神社三重塔(昨年12月に訪れたが、冬季閉鎖で断念した)

 3 福島県には国宝がたったひとつしかない!

 会津などは観光地なのに、国宝が全くない。国や県指定の重要文化財は幾つもあるのだが、国宝レベルともなれば、戊辰戦争で新政府から虐げられるぞんざいな扱いを受けたため、国宝の指定がされなかった。飯盛山の「さざえ堂」などは世界的にも珍しい建造物なので、国宝に指定されて然るべきだと思っているが、そうは問屋が卸さないようだ。
 では唯一の国宝は何なのか?それはいわき市内郷地区にある「白水阿弥陀堂」だ。時々、放水訓練でしか取り上げられない何の変哲も無さげなお堂が国宝とは、中通り在住の私からすれば拍子抜け。これが国宝になれるなら、会津美里町の「左下り観音堂」のほうがよっぽど国宝に値する代物だ。

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 本来はこの記事は1回で終了するつもりだった。しかし、思い入れが強い福島県の記事だけに、つい熱が入ってしまい、長くなりそうなので2回に分けてお送りしたいと思います。明日も同じテーマで4~6までの「ないない尽くしの福島県」の記事をお送りします。

2021年1月19日 (火)

想い出の場所&スナップ(納沙布岬編)

 想い出の旅先を回顧するこのシリーズ記事も今回が4回目となった。我が第二の故郷である「北海道」は、東北6県に日本で5番目に大きい新潟県を足しても面積が広い。松山千春の歌の通り、それほど雄大な大地が横たわっている。
 バブル期の僅か2年間しか住むことがかなわなかったが、そこで生活できた経験は、その後の人生に大きなプラスになっていることは言うまでもない。それくらい魅力的な場所だし、大勢のバイカーや鉄道愛好家などがこぞって行きたがるのも理解できる。

 さて、今回の記事は、私が1984年10月と1985年に7月の2回限りしか訪れていない、最果ての地、納沙布岬を取り上げたい。「納沙布岬」は北方領土を除き、日本最東端の地'(本土最東端)と呼ばれていた。その最寄りである「根室市」は日本で一番朝が来るのが早い町として有名だし、北方領土を間近に眺められる場所でもある。

 では過去、2回の訪問を振り返っての出来事や感想、そしてスナップを紹介したい。

 1回目の訪問(1984年10月15日)

 この時はとにかく寒かった。上下布製のつなぎ服にダウンジャケットを羽織っただけの軽装にて3人でロングツーリングに臨んだのだった。もちろん北海道の道東を旅するのは初めてだったため、目にするものがすべて新しかった。北方領土の意味もあまり知らないまま訪ねてしまった。岬への道すがら、道路沿いには何度も「返せ!北方領土」と書かれた看板を目にした。どでかいモニュメントの「四島の架橋」が聳え立ち、その先の納沙布岬は強風が吹く場所だった。古臭い土産屋ではストーブをガンガンに炊いていて、訪問日の日付をスタンプした到達証明書を購入した。
 そこで思いがけない出来事に遭遇した。陸上自衛隊のジープがやって来て、双眼鏡で北方領土と化した近辺の島々を監視していたのだ。一番近い島が2kmほど離れた海上に浮かぶ灯台のような島(貝殻島)だった。ほかにも視界が良かったため、歯舞群島や色丹島を肉眼で見ることが出来た。おそらく今は巨大なタワーが建ち、より景観が良くなっていると思う。
 その岬の標識にてバイクを入れて写真を撮り収めた。

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 2回目の訪問(1985年7月23日)
 
 翌年、ソロツーリングで2年連続で訪れた。夏場だったので、前年よりもツーリングライダーが多く見られた。2度目の訪問時は感動は薄らいでしまったが、それでも目と鼻の先に浮かぶあれらの島々が、当時は不法に占領されたソ連の領土とは思いたくはなかった。今、菅総理大臣は、現ロシアが望む「平和条約」締結のために、択捉と国後を犠牲にして2島返還で決着を謀ろうとしている。冗談じゃない。北方担当相など名ばかりでまったく何ひとつ仕事をしていない。税金の無駄遣いだ。鈴木宗男氏のほうがよっぽど活動している。

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 2回目の訪問は「夏の道東」の代名詞でもある一面の霧に覆われていて、遠くの島々は見渡せなかった。

 この納沙布岬はとんねるずが歌った「望郷岬」のモチーフになった岬で、国境とは思いたくはなかったが、さいはて感が漂うことこの上なし。そして旧ソ連の戦闘機が爆音を立てて往来していた場所でもあった。

 さて、次回はいつ掲載できるか不明ですが、北海道の魅力が少しでも伝わるように、場所を厳選してお送りしたいと思います。

2021年1月18日 (月)

想い出の場所&スナップ(知床編)

 知床が世界遺産に認定される前、私は3回、この地をバイクで旅した。初回は1984年10月に同郷の3人でバイクで周った。訪問した翌週から知床横断道路が閉鎖されるという冬ごもり間際の踏破だった。
 その時は宇登呂方面から知床横断道路を越えて羅臼側に抜けるルートだった。知床五胡、知床峠(羅臼岳)をバイクで駆け抜けたのだが、あいにくの荒天模様で、いや正しく言えば嵐模様だったが、前方視界が25mもないような濃霧と激しい雨の中、寒さに耐え忍びながら、なんとか遅れないように峠のコーナーを走り続けた先に、山を下りて視界が開けた途端、小さな虹が現れたのだった。
 まるで嵐の中から無事に生還を果たした我々を一行を歓迎しているかのようだった。

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 2回目は翌年の1985年7月下旬にソロツーリングで訪れた時だった。この時は、知床五胡を歩いて散策した後、野生動物が時々顔を出す知床林道のダート道を走って行った終点手前にある「カムイワッカ湯の滝」が最も想い出に残っている。バイクを駐車した地点から、お湯と化した川が流れる谷間をその流れ落ちて来る川に沿って、そして時にはお湯の川に浸かりながら山を登って行った中腹に目指す「カムイワッカ湯の滝」が存在する。ここは何が怖いかと言うと、遊歩道など整備されておらず、山の斜面を命がけでよじ登ったり、転落防止の鎖を頼りに崖を越えていくアドベンチャー気分満載な点。そして知床はヒグマの生息数が日高と並んで多い土地柄。突然出くわして襲われる怖さとも闘いながら3kmも山登りを敢行。そしてたどり着いたのが、滝つぼが温泉という場所。そう、これが「カムイワッカ湯の滝」なのだ。そこは天然の湯船で深さ3m。当然地に足がつかないほど深い。立ち泳ぎしながら湯船に浸かるというスリルを味わえる。しかも周辺に脱衣場などない。私が訪ねた時も周辺に人はいたが、旅の恥かき捨てとばかりに裸になって湯船に飛び込んだ。大自然の野天風呂。最高に気持ちが良かった。
 残念ながら、最近、落石が絶えず、ここまでは行けないように立ち入り禁止のロープで閉ざされているようだ。自己責任で無理やり侵入している輩もいるようだが、クマに襲われたり、落石で命を落としても文句は言えない。
 ではカムイワッカ湯の滝のスナップをどうぞ。手前にいるのが私。

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 3回目は1992年、私が27歳の時に訪れた。オシンコシンの滝見物の後、宇登呂港で寛ぎ、ゴジラ岩に挨拶。往路で知り合った男子大学生のバイカーと再会するため知床林道を走り、カムイワッカ湯の滝の入り口までたどり着いたが、あまりにもバイクの数が多く、入山を断念して引き返した。
 そして羅臼で目の前に広がる国後島に思いを馳せた。下のスナップの水平線の彼方にうっすら見えるのが旧ソ連に違法に占領された国後島。

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 それ以来、29年間、知床はご無沙汰だ。次回バイクで訪れる機会があれば、宇登呂港出航の知床遊覧船に乗り、海から知床の自然美を満喫したい。そして羅臼側に渡り、過去3回の訪問で行けなかった海の岩場にある野天風呂(セセキ温泉)に入ってみたい。「北の国から」にも登場した有名なスポットだ。羅臼から海岸線を知床方面に20kmも走るため、時間がかかるため、これまで足を伸ばせなかった。

 さて、不定期にお送りしている「想い出のスナップ&場所」のシリーズ記事ですが、いかがだったでしょうか?今から30年以上も前の記憶をほじくり返しながら、したためてみたが、私にとっては大切な宝物で、今の自分の大きな財産になっている。あの経験があったからこど今の自分があるとさえ思っている。
 この記事を読んで、昔のことを思い出したり、北海道に行ってみたいと思った方が少しでもいてくれたら嬉しく思います。次回はいつ掲載できるか不明ですが、北海道最東端の「納沙布岬」について取り上げたいと思います。

2021年1月17日 (日)

想い出の場所&スナップ(サロマ湖編)

 日本で3番目に大きい湖のサロマ湖。実際はオホーツク海と繋がっている。ここに私は1984年10月、1985年7月下旬、そして1992年8月の3度、バイクで訪れた。その中で一番思い出に残っているのは最初の訪問だった。
 同郷の3人で、10月中旬、いつ雪が降っても不思議ではない、ただただ寒い中、バイクで4泊5日旅して周ったのだった。道東方面を旅するのは人生初で、目にするものすべてが新鮮だった。そして初日の夕暮れにたどり着いたのがこのサロマ湖で、しかもサロマ湖の突端のオホーツク海が流れ込む竜宮台という灯台のある場所で、僅か200m先に向こう岸が見える最高のロケーションだった。
 途中、砂地にバイクの行く手を阻まれ、深みにはまって転倒しながらもなんとかたどり着いた先端で、夕日をバックに走行シーンを撮影したり、ガイドブックのグラビアを飾るような「わざとらしい夕日を見つめるシーン」を撮影した。寒さと闘いながら走った想い出がある。

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 翌年訪れたのは夏だった。母親が病気で入院したという一報が届いたのに、北海道に残り、ひとり心配の種を抱えながら道東に向かったのだった。この夏を逃すともう二度と北海道をバイクで走る機会を失ってしまうと悟った自分が、親不孝にもツーリングに出かけたのだった。
 さすがにソロツーリングだったので竜宮台までは出向けなかったが、バイク雑誌や旅行誌のグラビアをたびたび飾る「夕日の桟橋」で写真を撮った。近くには真っ赤に染まるサンゴ礁もあって、旅情緒がたっぷりな場所だった。

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 そして3度目は失恋の痛手から、初心に帰り、自分自身を取り戻すために北海道を訪れた。サロマ湖は沿岸部に出来た湖全体を見渡せる展望台からの眺望を楽しんだだけだった。それでもさいはて感は味わえた。当時はデジカメがなく、パノラマ撮影は出来ず、繋ぎ撮りという手法を用いていた。

 それにしてもこの日本で3番目の面積を誇るサロマ湖。第2位の茨城県の霞ヶ浦もそうだが、実際は直接海に繋がっているため、純然たる湖とは言い難い。我が福島県の猪苗代湖はカルデラ湖で、完全なる淡水湖なので、もしかすると琵琶湖に次ぐ、2番目の湖と言えるのではないだろうか?これは決して負け惜しみではない。

 
 さて、不定期にお送りしているこのテーマの記事だが、単に自身の想い出に浸る感傷記事であって、他者からみれば、なんの参考にもならないかもしれない。しかし、30年以上の前のその場所がどんなふうだったかを知る手がかりにしていただけたら幸いだ。私自身も次回訪ねた時、これほど様変わりしたと当時と今の姿を見比べることができる。それも旅の醍醐味のひとつかもしれない。

2021年1月16日 (土)

北海道の想い出話

 旧ブログでも何度もこの話題は書いたことがありますが、旧ブログをお読みいただいていない方に、僭越ながら私が北海道に住んでいた頃の話をしたいと思います。

 私が北海道に住んでいたのは1984年4月から1986年2月末までの約2年だった。3月には東京都世田谷区の三軒茶屋に引っ越したのだが、私にとっては、大半の人が経験できないであろう北海道暮らしのほうが印象が濃いし、想い出に残っている。ではいくつかのエピソードを紹介したい。

 1 バイクでツーリングし、紀行文にまとめた話

 北海道に行くことが決まって、その春先、かつて郡山のイトーヨーカドーの西隣りにあった教習所に通い、僅か10日間で自動二輪の中型免許を取得した。普通免許を先に取得していたので、北海道に行くからにはバイクに乗りたいと思ったのだ。高校時代はまさか自分がバイクでツーリングしたいと思ったことがなかったので、青天の霹靂だった。
 バイクはアルバイトして貯めたお金で、7月に購入した。当時は、スポーツタイプ系の大変なクオーターブームがあって、車検がなく、比較的維持費も安い250ccが重宝され、人気があった。それを地元のバイク屋で中古で見つけ、それを即買いした。ミーハーバイクとして有名だった初代VT250Fというバイクで、カラーはブラック。ミニカウルが付いたスポーティーなデザインに加え、水冷Vツインと呼ばれる4ストの2気筒バイクだった。
 当時は、2ストのヤマハのRZ250やスズキのガンマ(γ)、ホンダNSR、カワサキのKRなどが流行った。

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 実際にバイクを北海道に持って行ったのは8月下旬からだった。国道4号線を4時間近くかかって仙台港まで走り、道に迷い、出港時間ギリギリでフェリーに乗船したことを覚えている。そして16時間以上も乗船し、船酔い状態でたどり着いた苫小牧港からR123を北上し、アパートに辿り着いた。

 実際のツーリングは寒くなって来る9月からだった。それから次年の8月上旬まで、10月下旬から3月までは物置に眠らせてもらったが、1年目は同郷の友達2人と9月に道南(積丹~函館・登別周辺)や10月に道東(サロマ湖・網走・知床・根室・屈斜路湖・摩周湖・阿寒湖・足寄・幸福駅など)を周った。2年目は憧れのソロツーリング(ひとり旅)を敢行した。4月~8月初旬の間に時間を惜しんで北海道じゅうを旅してまわった。居住地が北海道の道央にあったためどこに行くにも都合がよく、2~5日もあればどの地方でも楽に往来できた。
 そして、旅から帰った後、ブログも無い時代だったので、どうにかしてこの貴重な経験を形あるものとして残したいと考え、写真入りの紀行文にまとめた。旅の想い出をつぶさに記録し、北海道に2年間の在住で、大学ノート(100ページ)が5冊分にもなった。

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 旅行の詳細について知りたい方は、私のホームページ「僕が北海道にいた頃」をご覧ください。文字のフォントの調整をしてご覧ください。

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 2 スキーをした話

 せっかく北海道に来たからにはスキーのひとつも覚えようと一念発起し、友達と札幌のスキーハウスに出向き、スキーのセットとウェアを買い揃えた。板はマイナーな「DYNASTER」の旧モデル、ビンディングは「ルック」、それに無名メーカーの「ポール」。そしてブーツは色とデザインで選んで大失敗したイタリア製の「テクニカ」。これがえらく重くて初心者には最悪のブーツと化してしまった。ウェアは今思えば超ダサいデザインの「デサント」の上下セパレートタイプ。さらに別売りで「ATOMIC」のスキーの収納カバーを購入した。全部で10万円弱だったと思う。
 しかし、実際にスキーに行ったのはたった一度限り。実にもったいなかった。しかも超マイナーな「萩の山市民スキー場」といい、小学生が初めてスキーをやるような緩やかな斜面と遅すぎるシングルリフトが2基あるだけの狭小スキー場。それでも20歳で初めてスキーを履いた私には悪戦苦闘だった。同郷の友人はスイスイ滑り、福岡県出身の先輩もそれなりに滑り、自分だけがへたくそな初心者という構図で転倒の連続だった。
 それでもいきなりリフトで頂上まで連れていかれ、何度も尻もちをつきながら滑り降りた時には、そう快感があった。

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 その後、会津若松市に住んだ平成元年~2年には、年間30回ほどスキー場にいるほど熱中した。専属のコーチに指導を受け、密かにナイターで腕を磨いた。そして念願のスキー1級を取得した。今思えば若気のいたりではないが、寒さが大の苦手な私がよくぞ1シーズン30回もゲレンデ通いを続けたものだと感心する。その頃はバブル期に加え、「私をスキーに連れてって」の上映で、大変なスキーブームとパジェロやサーフ、テレノなどのクロカン車の隆盛に伴い、首都圏からこぞってスキーに繰り出し、常にスキー場は満員御礼状態で、週末はリフト待ち30分はザラだった。
 私も映画の世界観に憧れたし、実際にスキーで一緒になった女子大生と交際するようになり、結婚まで意識した。ウエアやスキー板も何度買い替えたことか知れない。安比高原、蔵王(3回)を始め、県内も猪苗代リゾート、箕輪、猪苗代(ミネロも含む)、ファンタジア、あだたら高原、羽鳥湖、磐梯国際、裏磐梯、猫魔、栗子国際、天元台、グランデコ、アルツというように複数回通った。合計300回は通った筈だ。
 北海道の話題に話を戻すと、せっかく北海道に住んだのに、スキーは後にも先にも1回だけとは実にもったいないことをした。ニセコ、ルスツ、富良野、トマムなどのメジャーなおしゃれなスキー場に行った試しは皆無だった。

 スキーの詳細について知りたい方は、私のホームページ「ゲレンデ冬物語」をご覧ください。

 3 豪雪の話

 私が北海道に住んでいた頃は、今のような地球温暖化の懸念など微塵もなく、冬期間は2年間ともに豪雪に見舞われた。だが、不思議なことに、真冬であっても寒いと感じたことは一度もなく、ひんやりとした冷気に中にいて、体の芯まで冷えるという、感覚では「冷たい」という印象しかなかった。寮のような作りのアパートに住んでいたが、建物内の玄関脇にピンクの公衆電話があって、1月下旬にそれで話をしていたら、玄関の温度計がマイナス15℃だった。まるで冷凍庫の中にいるようで、「しばれる」という感覚が実感できた。
 我がふるさとの郡山は、真冬になると暴風雪になることがあって、雪よりも風で寒いと感じるが、北海道では、道の両側に降り積もった雪の壁が2m以上になるため、それが風除けとなるため、風が弱く、「シ~ン」と静まり返る印象だった。さすがに北海道は、雪への備えは万全で、家の構造も、玄関までは3~4段ほど高くなっているし、玄関は2重になっていて、積雪で入れないということもなかった。
 さらに言えば、屋根も片流れで、玄関側には落ちない造りになっている。しかも部屋は、二重窓になっていて、隙間風をシャットアウトしている。結露も発生しにくかった。水道も凍結しないように水抜きができるような装置がついている。それでも一冬に1~2回は水道を凍らせてしまったが。

 私が住んでいたのは札幌市から40kmほど東に行った札幌のベッドタウンで、当時人口は8万人ほどの都市だった。空知地方にあるこの都市は豪雪地帯として知られ、比較的雪の少ない札幌と比べればその5倍は降雪量が多かった。
 雪で死ぬ思いをしたこともある。500mしか離れていない場所からアパートに帰る際、小川沿いの近道をショートカットして歩いていたら、猛吹雪に見舞われ、あと100mでアパートと言う地点でホワイトアウトで前が見えず、激しブリザードが襲い、呼吸困難に陥り、10分間下を向いて気道確保し、同じ場所で耐え忍び、何とか命からがら帰宅した覚えがある。これこそが北海道の冬の真の姿だと実感した瞬間だった。
 北海道の冬に雪はつきものだが、今世紀に入ってからは地球温暖化で降雪量が当時の半分程度だろうが、私がいた頃は、10月中旬に初雪が降り、そのまま根雪になり、ついに翌春まで解けることはなかった。そんな豪雪地帯に住んでいたことも、今思えば良い想い出だ。

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 今年の岩見沢は暖冬傾向とは裏腹に、過去史上最多の積雪量を記録した。今冬の累積積雪は6mを越えた。除雪が追いつかず、市内は車がすれ違えないほどの雪壁が聳え立ってしまったとのこと。一晩で129㎝も記録した。同じ日、40km西にある札幌市は積雪が7cmだったというから驚きだ。令和元年7月に訪れたばかりだが、その豹変ぶりはあり得ない。

 4 冬の旅

 バイクに乗れない冬の旅の想い出は、たくさんある。スキー以外での想い出を列記したいと思う。

 ① 札幌雪まつり・すすきの氷祭り・スキージャンプ競技(1985年2月10日)

 ニッカネン(フィンランド)やバイスフロク(ドイツ)など外国勢がめっぽう強かった時代、1985年1月に札幌でワールドカップが開催され、それを友人2人と見に行った。時折、猛吹雪の中、上位陣が飛距離を落とす中、日本の秋元正博が大逆転初優勝を成し遂げた。その場面を、現地の大倉山シャンツェで私はライブで見届けた。交通死亡事故を起こし、再起不能と言われた中、見事復活優勝を果たしたのだった。その帰りに札幌雪まつりを見に行き、地下街を歩いたり、すすきのの「ラーメン横丁」で食べたりしたのだった。 
  
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 ② 丹頂鶴&流氷見学(1985年2月16日・17日)
  
  友人がとにかくアクティブで、ことあるごとに旅に出る時は声をかけてくれた。2月に「流氷を見に行こう」と誘われ、アパートに閉じこもっていては体がなまると思い、誘いに乗った。道東周遊券を購入し、札幌を夜発の夜行特急で朝方に釧路に到着した。その後、バスで「丹頂観測センター」まで行った。そこは樹氷と空の青さと純白な雪のまばゆい光景が広がっていた。気温はマイナス10度以下の極寒の地だった。到着後は丹頂鶴の気配もなかったが、餌付けの時刻になると、どこからともなく丹頂が一羽二羽と山里から飛来してくる。それは神の鳥と呼ぶにふさわしい神々しさだった。
 1980年代のホームドラマ「池中玄太80キロ」で、主演の西田敏行演じるカメラマン玄太が、丹頂鶴の写真を撮影する場面があるが、まさに
あのシーンを地で行くものだった。カメラマンの砲列が連なり、どこからともなく丹頂が姿を現すと、一斉射撃のようにシャッターを切る。そんな情景がリアルタイムで展開されていた。

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 この光景は私のホームページの「風越波海の世界(果てしなき大地)」の詩集に収録してありますのでぜひご覧ください。

 そして、さらに私が感動したのは、宿泊した阿寒湖からバスで美幌駅に向かい、そこから釧網線の特急で網走駅まで移動。そこから定期便の流氷バスに乗り換えて、「能取岬」へ。そのバスは樹氷の合間を縫うように走り、岬の突端まで運んでくれるのだが、途中でバスが故障し、営業所で修理をした後に。岬に向かったのだが、2月なのに満員だった。灯台が立つその岬は、断崖絶壁の上にあるのだが、そこからオホーツク海を見下ろすと、ぽかぽか海面に浮かぶ流氷を予想していた私は呆気にとられた。海と陸の区別がないほど、まるで雪原のように水平線まで繋がっていたのだ。
 時間があれば流氷砕氷船の「ガリンコ号」(現在は「オーロラ号」)に乗船したかったが、訪問時は低気圧により大荒れ模様だった。この時も雨男・雪男の本領発揮だった・・・。不思議なくらい天候には妨げられた。


 ③ 「昨日、悲別で」のロケ地巡り(1985年1月20日)

 夏にバイクで何度も訪ねた場所。1983年にNTV系列で放送された「昨日、悲別で」のドラマに魅了された私は、翌年、北海道に住むことになって、真っ先に訪れたいと思っていたロケ地巡り。結局はこれまで6回も訪ねた想い出の地となった。
 ロケ地は豪雪地帯の炭鉱町「上砂川駅」周辺で行われ、そこから15kmほど奥に行った歌志内市の田舎道に「悲別ロマン座」があった。その頃のロマン座は屋根が朽ち果てて、観光名所には程遠かった。
 私が真冬に訪ねたのは1985年の2月初旬だった。バスを乗り継ぎ、上砂川駅を訪ね、ホームで写真を撮ったり、さらにバスを乗り継ぎ、ロマン座へ。誰も訪れた形跡がなく、新雪の中をズボズボ道を作りながら建物へ往復した。今は屋根も修復し、観光客用に喫茶施設までこしらえてあった。

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 「夏になると思い出す~遥かな尾瀬~、遠い空~」と言う歌があるが、私は毎年冬になると思い出すのが北海道の雪景色だ。もうあれから36年が経過し、あと数年で退職を迎える歳になって思うのは、やはり北海道が大好きだということに尽きる。梅雨のない爽やかな夏も知っているし、マイナス20℃以下にもなる厳しい冬も経験した。北海道に20回行ったことがあると自慢している人も、そこに住んだ人間には勝てないと思う。
 昨秋、28年ぶりにバイクを購入したのも、退職後はゆっくりと時間を気にせず北海道の大自然を満喫し、当時とどう変わったのかを身をもって体験したくなったからだ。
 そんな思い出が詰まった北海道に行ける機会を作ってくれた両親にはいくら感謝してもしきれない。いつの間にかそんなことを想う年齢になった自分がいる。

 後記

 明日から3日連続で「北海道」に関する「想い出の場所&スナップ」の記事をお送りします。

2021年1月11日 (月)

訪問済&訪れたい観光地20

 私は学生の頃からアウトドアが大好きで、週末ごとにバイクを駆ってあちこち旅してまわったものだ。実際に旅行している時よりも自宅で「次はどこに行こうか」とプランを立てることのほうが好きだった。もちろん幼少期から時刻表を見るのも好きだった。
 しかし、私の期待とは裏腹に、なぜか旅先では天候には恵まれなかった。観光地などで撮影した写真はカッパを着ているものが大半だった。それでもどこかに行きたいという衝動にかられて、私は気の赴くまま週末を中心に風来坊のように旅していた。
 そこで、誰にでもお気に入りの場所があると思うが、これまでに私が訪れた場所で、お気に入りの観光地を列挙してみたい。

これまで訪れた観光地トップ20(福島県内を除く)

 1 北海道(特に美瑛・富良野・美幌峠・カムイワッカ湯の滝・函館夜景・黄金道路・神威岬・天人峡)
 2 尾道(千光寺・坂の町・天寧寺・映画テレビのロケ地)
 3 京都(嵐山・化野念仏寺・神護寺・竹林・渡月橋ほか)
 4 鎌倉(東慶寺・大仏・長谷寺・鶴岡八満宮・報国寺竹林・建長寺・文学館ほか) 
 5 愛知県界隈(犬山城・明治村・長良川ライン下り 
 6 奈良(東大寺・長谷寺・室生寺・薬師寺・法隆寺ほか)
 7 伊勢(伊勢神宮)
 8 石川県界隈(兼六園・能登半島禄剛崎灯台)
 9 広島県(原爆ドーム・平和祈念館・安芸の宮島(厳島神社)ほか)
10 山形県・立石寺(山寺)蔵王温泉スキー場・鶴岡
11 湘南海岸(江の島・映画のロケ地)
12 沖縄(平和の礎・ガマ・軍司令部壕・嘉手納飛行場・首里城・玉泉洞・琉球村ほか)
13 日光(華厳の滝・いろは坂・東照宮)
14 熱海・伊豆半島(錦ヶ浦・城ケ崎海岸門脇吊橋・大室山・伊豆高原・戸田半島ほか)
15 川越(小江戸・時の鐘)
16 千葉県(富津岬・鋸山・日本寺・九十九里浜・大多喜・犬吠埼ほか)
17 青森・十和田湖界隈(三内丸山遺跡・奥入瀬渓流)
18 大坂城・甲子園球場
19 平泉(金色堂・厳美渓・毛越寺・陸前高田市ほか)
20 横浜(マリンタワー・港の見える丘公園・外人墓地・山下公園・ベイブリッジ・氷川丸・横浜スタジアム・元町・中華街ほか)

 ほかにも大宮の鉄道博物館も好きな観光地だ。北海道は2年間住んでいたし、その後も6回訪れた。

 次に、まだ一度も訪ねていない場所で、死ぬまでには絶対に訪れたい場所を挙げてみたい。

 未踏の地で今後訪れたい観光地トップ20

 1 長崎(軍艦島・浦上天主堂・グラバー邸・オランダ坂・稲佐山ほか)
 2 岡山・倉敷(美観地区・テレビドラマのロケ地巡り)・姫路城 
 3 北海道(タウシュベツ橋梁・美瑛青池・三毛別受難の地・太田山神社・知床遊覧船・利尻島・礼文島ほか)
 4 京都(伏見稲荷・東寺・大原三千院・鞍馬寺・新選組の足跡・天橋立ほか)
 5 秋田界隈(角館・大曲花火大会・田沢湖・秋田グルメ・秋田美人・秋田犬)
 6 青森界隈(桜の弘前城・竜飛崎・八甲田山・ストーブ列車)
 7 鹿児島界隈(指宿・本州最南端・桜島・知覧特攻隊祈念館・種子島・屋久島)
 8 富山(黒四ダム・雪の回廊)
 9 鳥取砂丘
10 鎌倉(銭洗い弁天) 
11 和歌山界隈(那智の滝・熊野古道ほか)
12 徳島(阿波踊り・淡路島)
13 島根県(出雲大社・宍道湖・水木しげるロード・境港釣り)
14 岩手県遠野村(民話の里・河童伝説・宮沢賢治・浄土ヶ浜・龍泉洞・あまちゃんロケ地)
15 錦帯橋・秋吉台
16 熊本界隈(熊本城・阿蘇山ほか)
17 福井界隈(永平寺ほか)なぜか東尋坊だけは訪れた
18 横浜(赤レンガ倉庫・大桟橋ほか)
19 福島県内(伊佐須美神社・尾瀬・奥会津・棚倉山本不動尊・塙町)
20 新潟界隈(佐渡島一周・釣り)

 こうしてみると、日本人でありながらまだまだ未踏の地が数多く残っている。実は行ってみたい観光地は、旅行番組や「出川哲朗の充電させてくれませんか」に感化された場所が多にしてある。しかも、昨年11月末に、バイクを購入したことで、行動半径が広がり、死ぬまでに訪れたい場所が山ほどできた。おそらくは退職後は、経済面が許す限り旅行三昧になるものと思われる。何もしないで老いるのを待つよりもアウトドアで出歩いていたほうが断然いい。
 歳を取るのは悲しいことだが、時間がある分、存分にスローライフを満喫したいと思う今日この頃だ。

2020年12月26日 (土)

福島県の危機を打破せよ!

 以前、同様の記事を書いたが、我が福島県は、「全国住みたい都道府県ランキング」で初めて最下位に転じた。これは福島県に魅力がないからではなく、10年経った今でも「汚染地域」というマイナスイメージを払拭出来ないからだ。その傾向は、私が大嫌いな韓国で顕著で、福島県産の農産物をまるで「毒物」扱いしている。日本憎しの感情から、重箱の隅をつついてでも批判材料を見つけ出し、日本をこき下ろして蔑ろにしたくて仕方ないらしい。  

 一方では、私が愛する台湾では真逆の対応で、チャーター機で来訪し、福島県内の観光を楽しんでいただいている。

 福島県が世界的に見放され、敬遠される恐々とした中で、福島県民は危機感を募らせるばかりではなく、打開策を模索して有効な手立てを実践しなければならない。

 では、私が危機意識を持つ根拠を示したい。何かしらの対応策が見出せるかもしれない。

1  海洋汚染を招く汚染水放出を断固阻止せよ

 すべてはエネルギー事情を賄う国策として、時の政府主導で建設が始まり、民間企業の「東京電力」の施設内で起きた事故なのに、未だに県民が方々に散らばっての避難を余儀なくされ、県民には何一つ落ち度はないのに、謂れのない風評被害に苦しんでいる。しかも今、汚染水を貯めるタンクがこれ以上増設できない危険な状況に追い込まれている。政府は大上段に構えて、海洋への放出を強行しそうな勢いだ。

歴史は繰り返すと言うが、高度経済成長期に産業発展を急ぐ余り、公害問題をなおざりにした結果、4大公害病が発生し、汚染地帯の住民は多くの被害をこうむった。もし、海洋に処理水を放出したら、たちまち付近の海水は高濃度の放射性物質で汚染され、近隣の水産業は大打撃を受ける。これだけは何としても阻止しなければならない。福島県の名産であるカジキ、メヒカリ、ヒラメ、アンコウは食べられなくなる。死活問題で、どうして福島県民ばかりが、二重苦、三重苦の苦しみを味あわされなければならないのか?

 食卓に福島県の近海で獲れた魚が並ばなくなる危機感は相当なものだ。早急の手立てをお願いしたい。

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2  福島市民が福島空港を使わない現実を打破せよ!

 福島空港は県の中心にありながら立地条件が悪い。阿武隈山地を切り開いた山中にあり、鉄道は乗り入れていない。公共交通機関は、本数が少ないバスか高いタクシーのみ。利用者を促進するため、駐車場を無料開放しているが、郡山からでも遠く、車で40分はかかる。出発時刻の1時間前に空港に到着し、その後搭乗続き、45分のフライト、現地到着後、荷物を受け取り、市街地まで移動すると、伊丹空港までなら新幹線を乗り継ぐのと大差ない。しかも飛行機の場合、気象状況に左右されての欠航もあり得るし、機材の故障や到着便の遅れがあれば、出発便も大幅に遅れることがある。

 福島空港の利用者が激減している理由のひとつに、県庁所在地の福島市民が、福島空港を使わないことにある。移動時間のロスを考えると、仙台空港のほうが断然利便性が高い。しかも路線や便数は比較にならないほど多い。さらにはLCCなどの格安価格で飛行機移動が出来る。福島駅から新幹線で仙台駅まで30分、直接乗り入れの空港アクセス線で30分で仙台空港にたどり着ける。

 これでは福島空港は県民の利用率は低く、廃れる一方だ。開港当時は、佐藤知事の強いリーダーシップのもと、相当な尽力により、現在の札幌便、大阪便に加えて、名古屋便、福岡便、沖縄便が定期路線で飛んでいたし、季節限定で、函館便、帯広便、広島便まであった。そして、悲願の国際航路を開設した。しかし、ソウル便と上海便は、震災を契機に休止となったままだ。今年は新型コロナによって、ただでさえ2路線に縮小された上に、減便を余儀なくされた。

 苦肉の策で、県民が福島空港を利用すると補助金を出す自治体まである。利用促進のためとはいえ、一部の利用者のために公金を注ぎ込むなど本末転倒だ。

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3  東京オリンピック中止に伴う福島県の損害

 東京オリンピックは全世界に福島県の復興をアピールする大会でもあった。しかし、現況を鑑みると、オリンピック開催は不可能に近い。ワクチンの効果がどれくらいあるかも未知数だし、あと8か月で終息しているとは到底思えない。強行開催したところで各国が選手団を日本に送り込むだろうか?真っ先に韓国は選手団の派遣を取りやめてボイコットを表明するだろうし、カナダやオーストラリアなども追従するのは見え透いている。

 それに、現在、大陸間予選も停止したままの種目が多数だし、百歩譲って開催に漕ぎつけたところで、海外からの観客は少ないだろうし、逆に感染拡大(パンデミック)に陥るだけだ。

 福島県はオリンピック開催に大きく関わっている。聖火リレーのスタート地点であり、また野球とソフトボールの開催地でもある。オリンピックの開催規定に合わせてあづま球場を全面人工芝に張り替える工事を行った。費用はすべて県民の血税で賄った。それがギリギリまで開催を匂わせておいて、急に中止では割に合わない。

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 降りかかる火の粉を振り払うだけではダメで、その元を断たないと何も解決策の糸口は見出せない。今こそ知事が先頭に立って陣頭指揮を執り、強いリーダーシップを発揮して難題解決に向けた方策を実践して貰いたい。

 そして、「住みたくない都道府県ランキング1位」の汚名を着せられた屈辱を少しでも早く晴らして貰いたいものだ。12月中旬以降、福島市の繁華街で発生したスナッククラスターに端を発した感染拡散で、それまで郡山市が県全体の4割を占めるほどダントツだったのだが、この一週間で一気に福島市が感染が拡大し、郡山を抜き去った。しかも、赤十字福島病院、福島西部病院、福島県立医大、福島大学などで大規模クラスターが発生し、医療体制がひっ迫する事態に。福島市は「緊急警報」を発令し、不要不急の外出を控えるよう呼びかけた。

  未だに先が見えないコロナ地獄。早く特効薬が開発され、終息することを願うしかない。

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