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2020年9月26日 (土)

私の東京学生時代の取るに足らない話

 私は198-年4月から東京の私立大学に進学し、憧れの東京生活を送った。世田谷区に住民票を移し、愛車の250CCバイクが「品川」ナンバーとなり、何か都会の一員になれた気がした。ひと目が気になる質のため、満員電車が嫌いで、通学にはもっぱらバイクを使っていた。日吉と三田にあるキャンパスにバイク通学していた。私の大学は「〇〇ボーイ」と呼ばれる金持ちのお坊ちゃまや、英語を流暢に使いこなす帰国子女が多かったり、あるいは女子アナの出身大学で知られるほど都会的な印象だった。

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 一方、私は貧乏学生だったため、いつも着古しのシャツにジーンズで、モテるタイプではなかった。
 では、取り立ててカミングアウトするような出来事もないのだが、少ないエピソードの中から、私が東京生活を送った時期に、記憶にある、どうでもいいような些細な事柄をいくつか挙げてみたい。
 
 1 人間用シャワーに驚き!

  私が憧れの大学生生活を送っていた昭和末期、世の中はバブル景気の真っただ中だった。何と今では「住みたい街ランキング」で常に上位に入るほど人気のある「三軒茶屋」駅が最寄りの「上馬一丁目」のアパートに暮らしていた。とはいえ、そこは貧乏学生だったので、家賃は月4万円足らずで、築30年以上経過した年代ものの木造アパートで、和室6畳一間のいわゆる「1K」アパートで風呂はなかった。幸いにして、徒歩3分程度の場所に銭湯があって、あまり覚えていないが1回270円くらいで入れた。当時、銭湯に行ったことがほぼ初めての経験で、20歳未満だった私は、人前で裸になることに慣れておらず、抵抗もあったので、2日に1回程度しか行かず、もっぱら自宅の台所の水道で全身を拭いていた。
 よく「幸せ!ボンビーガール」で紹介される芸人の下積みの苦労時代を振り返るような生活だった。それに親からの仕送りを無駄遣いするのは気が引けたというのもあった。

 そんなある日、行きつけのR246(玉川通り)沿いにあるスーパー「マルエツ」に食料を調達に行った際、自分が住む街を探検気分で散策してみようと近辺を歩き回ってみた。すると偶然にもスーパーから50mほど環七方面に行ったところに、奇妙なものを見つけた。それは車を洗うコイン洗車場は見かけたことはあったが、「人間用のコインシャワー」だった。奥に細長いプレハブ小屋のような建物で、一見すると自動販売機が並んでいるような造りをしていて、そこには横並びで幅1m程度の5つくらいのボックスがあって、その中に脱衣所とシャワー室があり、100円玉を入れると、7分間?お湯→シャボン液→お湯の順で水が出てくる仕組みだった。地方にはあまりこのような人用のコインシャワーなどないと思うが、これは都会の狭い土地を有効活用した優れもので、「東京はこんな施設まであるのか」と驚愕したものだ。

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 しかし、これは私のような倹約学生にとってはありがたい存在で、手軽にして手頃。ただ唯一の難点は、上下スウェットで出かけ、交通量の激しい、人通りも多いR246の交差点を渡り、シャワーを浴びた後、濡れたくしゃくしゃの髪の毛の状態のまま、再び大通りの交差点を往復しなければならない辛さがあった。信号待ちのバイカーや車のドライバーに好奇な目でジロジロと見られる、痛々しい視線に耐える必要があった。

 最近、「横浜市中区」にも人用のコインシャワーが誕生し、巷のちょっとした話題になったが、私などはそれを聞いて懐かしく思い出した質だ。おしゃれを絵に描いたような街の代表格「三茶」に、バブル時代によもやこんな珍スポットが実在していたとは・・・。

 ところが、震災後の数年前、25年振りに東京のアパートに立ち寄った際、私が暮らしていたオンボロアパートは綺麗さっぱり取り壊されて更地になっていた。高圧線の鉄塔が敷地にあったので、間違える筈がない。隣りの大家さんの家も綺麗に改築されてあった。もしかすると「東日本大震災」の揺れに耐えきれず、崩壊したのかもしれない。しかも、私が重宝しお世話になったそのコインシャワーも跡形もなく消え去っていた。これが時の流れの儚さなのだとしみじみ感じた次第だ。

 2 私が好きだった場所

 ① 鎌倉

 私には中学生の頃に修学旅行で訪れ、大好きになった場所があった。それは「鎌倉」。源氏によって開かれた古の都である。当時は団体旅行だったため、メジャーなお上りさんコースしか歩いていない。鶴岡八幡宮、高徳院鎌倉大仏、建長寺くらいしか覚えていない。

 次いで8年後の198-年、東京の大学に進学後、春先に真っ先に250㏄バイクでツーリングで訪れたのがこの場所だった。杉本寺、円覚寺、東慶寺、建長寺、長谷寺、極楽寺駅、高徳院などを見て回った。その後、3度目は2009年、職場の慰安旅行で、同僚たちと訪れた時、個別行動で江ノ電の「鎌倉高校前駅」のベンチで長時間座って江ノ島の風景を眺めていたり、腰浜の漁港でコンパクトロッドを使って釣りをした。ルアーを投げ入れた付近をサーファーが波乗りしていたのには驚いた。さすが湘南と感動した。

 そして4度目は2015年に1泊2日でひとり旅で訪れ、小雨の降りしきる中、竹林の寺院などを訪れ、湘南や江ノ島の主だった観光スポットを歩いた。
 鎌倉には郡山ゆかりの久米正雄や文壇に名を残す有名作家たちが修行し研鑽を積み、耽思を重ねた土地柄で、ノーベル賞作家の川端康成もまた当地で腕を磨いた。山の中腹に聳え立つ「鎌倉文学館」には、多くの作家の直筆の原稿が展示してあり、間近に見ることができた。

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 でも、私が鎌倉で一番のお気に入りスポットは、「報国寺」の竹林だ。鎌倉駅から東に2~3km離れた都会の喧騒を感じさせない山中にあり、静寂に包まれたこの場所は、高さ20mはあろうかという竹林に囲まれ、昼間でも鬱蒼と薄暗い。一瞬、都会にいることを忘れてしまいそうな情緒や風情に溢れている。ここを私が好きだった「山岸舞彩」アナと「伊藤友里」アナの仲良しコンビが訪れ、ブログで紹介したのを見て、私も足を延ばした次第だ。

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 実際に訪れてみると、まさに別世界。アニメに出てきそうな侘び寂びのノスタルジックかつ幻想的な世界観に浸れる。「JIN-仁-」のような時代劇気分を満喫できるし、昔風の茶屋で団子を頬張り、古の情趣に触れられる数少ないスポットだ。

 年齢を重ねると、こうした古都の魅力に憑りつかれ、何度も訪ねたくなる。恥ずかしながら、まだ未踏のスポットもある。銭洗い弁天、切通しなども行ったことがない。「縁切寺」の東慶寺は複数回行っているのに・・・。時期も選びたい。混むだろうが紫陽花シーズンに長谷寺を訪れたい。

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  ② 京浜島

 みなさんは、羽田空港の目と鼻の先にある「京浜島」をご存知でしょうか?ここも当時、私のお気に入りのスポットで、ひとりになってもの思いに耽りたい時にはよくバイクを飛ばして訪れたものだ。この場所は、羽田空港の滑走路に並行して埋め立てられた人工の島で、「つばさ公園」では、ひっきりなしに離着陸する大小さまざまな旅客機を間近で眺めることができる。今は姿を消した「ジャンボジェット機」が轟音を立てて飛び交う場面を時の経つのを忘れて見入っていた記憶がある。私が訪れた2年前の夏に、忘れもしない「日航機墜落事故」が起きた。この滑走路から旅立ったジャンボ機123便が、数十分後に操縦不能に陥り、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が亡くなったあの事故だ。だから、追悼の意味もって、感慨深く飛び立つ飛行機を眺めていた。

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 蛇足だが、大学4年の時に、或る行事で知り合った他の音大に通う同郷の女子大生と仲良くなり、バイクにタンデムしてここを訪れてデートした想い出もある。その子は実家の近くに住んでいた、お嬢様風で、167cmの長身に黒髪のロングでスタイル抜群の女性だった。同じ郷里で音楽教師になったと風の便りで聞いた。

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 この記事を読んでいるみなさんも、人生の中で想い出に残るスポットは多々あると思いますが、私にとっては「鎌倉」と「京浜島」が脳裏に深く刻まれた懐かしいワンシーンになっていることは否定しようがないところだ。

 3 学生時代のバイトの想い出

 私は夏休みには実家に戻り、家の手伝いをすることが多かった。詳しくは話せないが、バイトは短期に限られていた。例えば、あの当時、東京ディズニーランドが開園して間もない頃だったが、1987年に「オリエンタルランド」のバイトに応募し、2か月間だったが、「ジャングルクルーズ」の船長をしたこともあった。船で未開のジャングルに漂うアマゾン川を探検して航行する例のアトラクションだ。「生きて帰れるかわからないのがジャングル、見送りの人たちに元気よく最期のお別れをしようね。行ってきま~す」と叫ぶ例のセリフを大合唱していた。あの頃は、今よりもアトラクションの数が少なく、バイトも限られていた。オーディオアニマトロにクスを駆使したものや、今は無き「キャプテンE.O」を始め、「魅惑のチキルーム」、「イッツァスモールワールド」、「カリブの海賊」、「空飛ぶダンボ」、「ビッグサンダーマウンテン」、「ミッキーミュージーアム」、「シンデレラ城ミステリーツアー」、「スペースマウンテン」くらいしかなかったと思う。

 ただし、時給は安い割に仕事はハードで、ジャングルクルーズの船長は繰り返し乗船し、丸一日で7~8回は回遊した。一日働いてくたくたになって、それでも日給6,000円程度だった気がする。しかも交通費は込みだった。今は交通費はさすがに出ると思うが。確か昼食は、ランド内で使えるレストランの無料食事券を貰い、それで好きなものを食べた覚えがある。詳しくは覚えていない。

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 ただ唯一嬉しかったことは、ディズニーランドの常連さんから、私が船長の時の船に乗りたくて、何度も並んだという励ましの声をいただいたり、若い女性から下船する際にラブレターを手渡されたことがあった。その手紙には、当時、人気絶頂だった「マッチ(近藤真彦)に似ていてカッコいいですね」とお世辞にも褒めてくれる文面がしたためてあった。とても都会的な可愛らしい20歳くらいの女の子で、なんと連絡先まで書いてあったが、もったいないことにその時、彼女がいなかった私だったが、当時は携帯電話もない時代で、私からは連絡をしなかった。たぶん田舎者なので、都会の女の子を満足させるような遊び場も知らないし、デートも自信がなかったのだと思う。バイトを辞めた途端に、それも自然消滅した感じだ。情けないが、要するに単なる臆病者だったということだ。

 そして大学4年生の時に、忘れ得ないバイトと出会った。3年終了時点で、卒業に必要な単位は修得していたため、最終学年では「卒論」と一部の課程科目を残すだけで、就職活動が一段落する10月以降は、暇で時間を自由に使えた。もちろん、休みを見つけてはあちこちツーリング三昧だったが。
 その時期に、私がバイトに選んだのは「旅行代理店」だった。西新宿にある高層ビル群の一角に茶色の「新宿センタービル」があるが、そこの何と43階のオフィスに職場があった。窓から眼下に見下ろす大東京の景色に圧倒されたのは言うまでもなく、とりわけ魅了されたのはその夜景の美しさで、よく「宝石を散りばめたよう」などと形容されるが、まさにそんな光の瞬きだった。そこで正月明けまで働いた。
 私は英語が好きで、大学1年の時に英語検定2級を取得し、将来は英語を使った職業に就きたいと思い始めた。時同じくして、あの頃のテレビ番組で、「男女7人夏物語(秋物語)」が絶賛放映され、主役の今井良介(明石家さんま)の仕事が「ツアコン」だったことで、私の中で「これだ!」と閃き、「日本旅行」の下請けで、「京王観光」系列の旅行会社にバイトとして入ったのだった。

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 そこで初めて電車通勤を経験した。最寄りの「三軒茶屋」から地下鉄の駅新玉川線(現在は田園都市線)で渋谷駅まで行き、そこで山手線に乗り換えて新宿駅下車。まさに夢のストーリーだった。そして出勤ラッシュのサラリーマンやOLの人波に押されながら地下通路を歩き、会社のある新宿センタービルまで通勤したのだった。

 その旅行会社はハイカラな横文字(カタカナ)の名前だったが、実務は「旅行の計画」、「ホテルや鉄道・バスの切符の手配」「弁当の確保」「添乗業務の補助」などを担っていた。同僚に同じ大学を卒業した先輩もいたことで、何かと居心地は良かった。同郷の女性社員もいた。上司にも気に入られ、私にその気があれば、形だけ入社試験を受けて、正社員にしたいというありがたい話までいただいた。社内では私の入社を認める「稟議書」まで回ったほどだった。私自身も行く行くは「今井良介」のように「ツアコン」として世界をまたにかけて飛び回る生活を思い描いていたのだが、冷静に考えると、当時はバブルの絶頂期。土地が高騰し、とても東京に住めないと自覚した。たぶんどんなに苦労して働いたところで、東京都内に土地を買って自分の城を構えるのは夢のまた夢の話だと悟ったのだ。

 こうして思い悩んでいる時に、故郷から今の仕事の話が舞い込み、やむなく東京は大学卒業と同時に引き払ったというわけだ。

 しかしながら、今振り返ると、この短期間のバイトは、私にとっては大きな経験となっている。一時であったにせよ、東京での夢の生活を送れたし、満員電車は苦手だが、定期券を持ち、電車通勤とはどんなものかも体験できた。しかも、メガバンク(第一勧銀)に口座を開設し、給与振り込みで給料をいただくという経験もできた。当時20代前半の私にとっては、何物にも代えがたい貴重な経験だった。

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 それ以外には、世田谷の図書館で書架の整理のバイトや、神宮球場で、いわゆる入場客のチケットの半券を切る「もぎり」をやったこともあった。短期であっても東京は郡山市とは違い、時給が高く、1980年代後半であっても、時給800円はくだらなかったし、新宿センタービルのバイトは時給1,000円だった。しかし昼食は自分で賄うため、よく地下通路の弁当屋で600円の日替わり弁当を買って、新宿中央公園のベンチで住友三角ビルや三井ビル、京王プラザホテル、安田火災海上ビル、センチュリーハイアットなどの高層ビル群を見上げながら食したものだ。

 さて、自分本位の想い出を振り返りながら、私の学生時代の生活の一端をお知らせした。貧乏学生で、お金を節約する生活に終始したため、当時の若者が普通にやっていたコンパも誘いは多かったが、あまり出なかったし、サークル活動に精を出した訳でもない。友達は車を駆ってサーフィンやら海外旅行やら贅沢三昧の優雅な学生生活を送っていたが、私はバイクでひとり旅に行くのが好きなほうだった。それでも渋谷のビリヤード場で遊んだ経験はあるし、暇さえあればバイクで原宿まで走らせ、「竹下通り」のお気に入りの店で洋服を買ったり、秋葉原の電気街、神田の古本街、上野のバイク街には足を運んだが、無駄遣いをした記憶はなく、真面目な生活を送っていたと思う。学生時代に居酒屋で飲んだことはあってもディスコに行った記憶すらない。
  
 逆に就職した後、そのギャップを埋めるために遊んだ記憶のほうが多い。収入が入る分、車(なんと中古のソアラ)を購入したことで行動半径が広がり、旅行も随分行ったし、10人程度の友人グループでカラオケスナック、ムーディーなカクテルバーにも出向いたし、20代に付き合っていた彼女とドライブデート、ディスコやスナックやプールバーにもよく出かけた。なんと「東京ディズニーランド」も、バイトを除けば就職してからのほうが数多く行ったと思う。しかも毎回、同伴者が違うという感じだった。でもプレイボーイなどではなく、節度ある行動を心掛けたつもりだし、フラれることのほうが遥かに多い半生だった。ほかにも今は無き「豊島園」にも複数回行ったし、もっと前に廃園になった「横浜ドリームランド」にも何度か行った。「東京モーターショー」にも車で足を運んだことがあった。

 たぶん社会人のほうが余裕があったのだと思う。独身時代の23~28歳くらいが一番充実しており、冬も1シーズン30回もゲレンデにいるほどスキーに熱中し、SAJ検定では1級も取得できた。凝り性なのかもしれない。

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 さて、終いには学生時代を超えた話になったが、私の学生時代は、同級生などから比べれば、全然経験値が足りない。学生時代には時間はあるのに得意の英語を試せる海外旅行も行かなかったし、2か月以上もある夏休みには実家の手伝いに明け暮れた生活だった。
 それでも私は4年間の大学生活は自分では人生の中で最も充実し、今の仕事にたどり着くのに一番適した道を進んだと思っている。中には遠回りして、一番自分に合う適職を見つけるのに時間をかける方もいるが、初志貫徹ではないが、初めからやりたいことが決まっていて、途中「ツアコン」などを夢見て「浮気」はしたが、今の仕事が天職だろうと実感している。あと数年後には退職を迎えるが、33年間も同じ職業に携わったことは、自分の老後や今後の人生の糧になると確信している。
 苦労して大学に送ってくれた両親には感謝してもしきれない。父親は17年前に他界したので、直接感謝の言葉を伝えることは適わないが、自分があの世に行く時には、空の上で感謝のひとつでも伝えられたらと思う今日このごろだ。
  

2020年9月25日 (金)

郡山の企業・学校の創設日一覧

 中央からの流入ではなく、郡山市に根差した企業や学校がある。私は、市街地の中心部で生まれ育ち、かれこれ半世紀近く郡山市に暮しているため、郡山に関する記事を書く時は、思い入れも一入だ。

 昔あった店が閉店したり、街の風景が変わっていくのを見ると居た堪れない。今日は、タイトルの通り、郡山にある、あるいはかつてあった企業(店)や学校がいつからあるのか、その創業日や開業日、開校日をランダムに列記したい。何かの参考にしていただけたら幸いです。

 <企業・会社・店舗等>

 ヨークベニマル 1947年6月12日(創業73年)

 大東銀行 1942年8月18日(創業78年)

 うすい百貨店 1662年(創業468年 物産問屋)設立は1970年(50年)

 津野呉服店(津野デパート) (1969年創業ー1987年廃業)

 郡山信用金庫 1924年3月8日 (創業96年)

 福島県商工信用組合 1954年10月1日(創業66年)

 小田原屋 1933年(創業87年)

 宝来屋 1906年(明治39年)(創業114年)

 コマツ醤油 2004年に神明町の工場を喜久田町に移転創業

   ゼビオ(サンキョウ)1973年7月5日(創業47年)

 柏屋 1952年(設立68年) 創業は1852年(168年) 

 三万石 1962年(設立52年)創業は1946年(74年)※かつては「三万石不二屋」の屋号だった。

 フルーツショップAOKI(青木商店)1924年(創業96年)設立は1950年

 幸楽苑 1970年11月11日(創業50年)

 笹の川酒造 1765年(創業255年)

 佐藤酒造店 1710年(創業310年) 藤乃井

 大友パン 1924年(大正13年 創業96年)

 西部自動車学校 1963年5月29日(創業57年)

 郡山自動車学校 設立年不明

 中央総合自動車学校 1956年(創業64年)

 富久山自動車学校 1964年8月26日(創業56年)

 昭和ドライバーズカレッジ(昭和自動車学校)1950年(創業70年)

 ホテルハマツ 1991年(創業29年) 濱津衣裳店・はまつ典礼は1953年設立(創業67年)

 西条タクシー 1967年2月18日(創業53年)

 郡山タクシー 1955年10月28日(創業65年)

 クラブタクシー(クラブ自動車)1918年8月(創業102年)

 郡山眼鏡院 設立年不明(創業48年)

 よしだや 設立年不明 (創業40年)

 やまのい 設立年不明

 テアトル郡山 1954年開館(創業66年)

   福島中央テレビ 1969年5月開局(創業51年)

 福島放送 1981年開局(創業39年)

 <病院>

 太田綜合病院 1895年開院(創業125年)

 寿泉堂病院 1887年8月20日開院(創業133年)

 星総合病院 1967年開院(創業53年)

 総合南東北病院 1981年12月1日開院(創業39年)

 土屋医院 1965年10月1日開院(創業55年) 現在は七ツ池から山崎へ移転し「土屋病院」に

 坪井病院 1977年開院(創業43年)

 針生ヶ丘病院 1933年開院(創業87年)

 今泉西病院 1982年開院(創業38年)

 桑野協立病院 1974年開院(創業46年) 当初は桑野眼科診療所として開設)

 日東病院 1937年3月開院(創業83年)

 国立郡山病院 1945年12月開院→2004年に国立療養所福島病院との統合で閉院

 <学校>(小中学校は除く) 

 郡山女子大学 1966年開校 (創立54年)

 奥羽大学(東北歯科大学)1972年開校(創立48年)1988年に東北歯科大学から奥羽大学に名称変更

   日本大学工学部 1928年開校→1947年に工学部を郡山市に移転

 安積高校 1884年開校(創立136年)

 安積黎明高校(安積女子高校)1911年開校(創立109年)→2001年、男女共学化により現在の校名に変更

 郡山商業高校 1920年4月1日開校(創立100年)

 郡山東高校(郡山女子高校) 1923年4月1日開校(創立97年)→1998年男女共学化により郡山東高校に変更

   郡山高校 1977年4月1日開校(創立43年)

 あさか開成高校 1996年4月1日開校(創立24年)

 郡山北工業高校(郡山工業・郡山西高)1977年4月1日開校(創立43年)

 日大東北高校 1951年4月15日開校(創立69年)

 帝京安積高校(安積商業高校)1961年開校(創立59年)1988年に帝京安積高校に変更 

 郡山女子大附属高校 1957年4月1日開校(創立63年)

 尚志高校(日本女子工業高校) 1964年4月1日開校(創立56年)1990年から尚志高校と名称変更

   郡山理容学校 創立年不明

 郡山美容専門学校 1978年開校

 郡山ヘアメイクカレッジ 1996年に愛宕町に移転して創立

 日本調理技術専門学校 1992年開校(創立28年)

 太田看護専門学校 1958年開校(創立62年)

 ポラリス保健看護学院 1977年9月開院 (創立43年)

 郡山看護専門学校 1912年開校 (創立108年)

 東北歯科専門学校 1965年4月開校(創立55年)

 今泉女子専門学校 1920年開校 (創立100年)

 <公共施設>

 ビッグパレットふくしま 1998年10月設立(22年)

 総合体育館 1973年設立(47年)

 郡山市民文化センター 1984年11月設立 (36年)

 郡山市中央図書館 1944年に開館(76年)→現行館は1981年3月20日に竣工(39年)

 開成山球場 1952年10月1日開場 (68年)

 郡山市陸上競技場 開場年不明

 郡山市公会堂 1924年設置(96年)

 ユラックス熱海 1989年10月開館(創立31年)

 さて、我が街・郡山市に根差した企業なり、学校などが一体いつからあるのか、という疑問解決に少しは役立つ情報をお送りできたように思います。

 ここで宣伝をひとつ。これまで5年に1回の割合で出版&発売されている、郡山の昔の街並みを撮影した写真集がある。そこには、市民から提供された懐かしい写真を解説入りで多数配置して再現した写真集で、これまでに5~6冊程度販売された。今年、久し振りに限定1,500冊で新刊が発売されることとなった。

「写真が語る郡山・田村の100年」 

これまで9月8日と24日の折り込みチラシで宣伝されたが、そこには初めて目にする新しい写真が掲載されていた。その一部を宣伝に協力する意味で、2枚だけ紹介したい。

  1 「第2うすゐ」の屋上遊園地&プラネタリュウム

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 昭和30年代の写真という説明があるため、「丸伊」を買い取って再オープンした当初くらいに撮影されたもののようだ。うすいの向かい側にあった「トミヤ」には屋上に小さな観覧車があったが、まさか私が生まれる直前に、このような怖すぎる遊具が設置されていたとは・・・。もっと驚いたのは、プラネタリュウムまであったなんて・・・。二度びっくり。私が母親に連れられて「うすい」に行き始めたのが6歳くらい。昭和45年頃だ。だからこの写真のような遊具はもう撤去されていたと思う。私が知っているのは「第2うすい」の屋上は、外には出られず、フロアの5分の1くらいの屋内スペースに10円玉を入れると前後に揺れ動く自動車とか動物型の乗り物遊具しかなかった。この写真にあるほどの巨大な電動遊具はなかった。それに吊り下げ式の回転カプセルなど、鎖が切れそうで怖すぎる!この角度から判断して「トミヤ」の屋上から撮影されたと思われる。

 2 「津野百貨店」(デパート)

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 呉服店だった「津野」。それが百貨店化した頃の写真。ここまで大きく鮮明に撮影した「津野」の写真は初めて見た。この津野は、建物の内部も外壁も異質で、外壁は銀色のパネルのようなもので覆われていた。あまり窓が無く、採光は困難だった。それに建物自体が狭く、8階建ての割には、ひとつのフロアが複雑な作りだった。ここは洋服や着物、反物専門店だったので、特別な用事がある時以外は訪れることはなかった。
 中学生の学生服の取り扱い店になっていたので、私はここで「富士ヨット」学生服を購入した覚えがある。よって訪れる客は40歳代以上のご婦人ばかりで、地味な印象がある。
 ところで、この津野百貨店の創始者の津野嘉七氏は郡山市街地一円に土地を持つ、大地主だった。そこのお嬢様が私の姉の同級生で、とても仲が良かった。やはり純和風の日本美人だった。駅前大通りと4号国道の交差点(北東側)にあったため、一等地の目立つ存在だった。「津野デパート」が解体された記憶はないが、その後、「ホテル第一イン」となり、現在は大町眼科を併設する「クラウンヒルズホテル」になっている。百貨店のロゴマークが変わっていた。どう読むのか未だにわからない。

 他にも私が長年探し求めていた、かつて安積町にあった「郡山レジャーセンター」の前身、「郡山ヘルスセンター」の建物の全貌を撮り収めた貴重な画像も収蔵されている。やはり、郡山市のオールドファン必見の珠玉の一冊に仕上がっている。ぜひご予約下さい。

 この写真集は、1,500冊限定販売のため、市内の書店で予約を受け付けています。10月中旬に販売開始となるのでご予約はお早めに。私も知らなかった「郡山日活」や映画館「みどり座」などのオールドファンが泣いて喜ぶ写真も満載です。もしかして幼い頃の自分自身が写っている可能性もあり!

 写真は全部で600枚も掲載。A4サイズ280ページ 価格は9,990円(税込み)です。ぜひ購入し、昔の街並みを懐かしんでみませんか?

 最後に、郡山市役所が監修した「届け!みんなのエール」の動画映像をご覧ください。新型コロナから市民を救うために命がけで治療にあたっている医療従事者への感謝のメッセージが込められている。

  郡山市で生まれ育ったことを誇りに思える、そんな動画だと思う。この名曲を作ったGReeeeNはメンバーの出身地は違えど郡山のこの地で出会った。こんなに素敵な曲をこの世に送ってくれたことに感謝して今日の記事の結びとしたい。  

2020年9月24日 (木)

福島県59市町村の至宝

 福島県内のローカル局には「福島SHOW」なる番組がある。「ラジオ福島」(RFC)の名物アナである「鏡田辰也」さんが、「テレビユー福島」(TUF)とタイアップし、毎回県内のとある市町村にスポットを当て、現地を訪ね、そこの名物や名産を紹介する地元密着の番組だ。
 かつて平成の大合併前は、我が福島県は90市町村も存在した。地方自治体の存続が危ういのと、交付金目当てで、相当数の市町村が国の大号令に応じて、「合併」に踏み切り、令和2年現在、13市、31町、15村の合計59市町村に姿を変えた。
 ところで、毎年、我が福島県では11月に市町村対抗の「ふくしま駅伝」を開催し、ふるさとランナーを含め、その市町村の名誉をかけて健脚を競っている。県民が楽しみにしている深秋の一大イベントでもある。福島県はご承知のように駅伝王国で、3年前の「都道府県対抗男子駅伝」で悲願の初優勝を飾り、20年ほど前には地元田村高校が全国高校女子駅伝で優勝を成し遂げたこともある。
 古くは1964年の東京オリンピックで銅メダルを獲得した「円谷幸吉」選手や、かつての男子マラソンの日本記録保持者の「藤田敦史」選手、オリンピックに出場した「佐藤敦之」選手、さらには、箱根駅伝で元祖山の神と称された「今井正人」選手、それに東洋大学で4年連続で山越えの5区を担当し、一躍ヒーローとなった新山の神「柏原竜二」選手など、多くの名ランナーを輩出している土地柄である。
 今年も東洋大で箱根区間新記録を樹立し、現在は実業団の名門・旭化成に就職した「相澤晃」選手もまた福島県出身者である。
 
 我が福島県には豊かな自然にはぐくまれた観光地や名産(地酒など)も多種多様にある。では、今日は、そうした福島県の全59市町村の名物を一挙紹介したい。

Fukushima

 市の部

 1 福島市・・・花見山・円盤餃子・飯坂温泉・土湯温泉・吾妻小富士・わらじ祭り・桃
 2 伊達市・・・あんぽ柿・霊山・あぶくまのりょうぜん漬・ニット・桃
 3 二本松市・・・提灯祭り・菊人形・二本松少年隊・奥の松酒造・大七酒造・智恵子の故郷・黒塚・霞ヶ城・岳温泉・木幡の祭り
 4 本宮市・・・みずいろ公園・安達太良神社・本宮映画劇場・蛇ノ鼻遊楽園・岩角山・ウィリアムズパーク・チェリートマト
 5 郡山市・・・薄皮饅頭・ままどおる・西田敏行・きのこ岩・クリームボックス・酪王牛乳・布引高原・うねめ祭り・ベニマル・幸楽苑
 6 須賀川市・・・ウルトラマンの故郷・円谷幸吉・ゴジラ・牡丹園・うつくしま未来博・釈迦堂川花火大会・松明あかし
 7 白河市・・・だるま市・白河ラーメン・アウシュビッツ祈念博物館・南湖公園・
 8 田村市・・・黒糖饅頭・片曽根山・あぶくま洞・入水鍾乳洞・星の村天文台・仙台平・安倍文殊堂・お人形様・あぶくま天然水・ハム・カブトムシ
 9 喜多方市・・・喜多方ラーメン・蔵・日本酒・新宮熊野神社・長床・大銀杏・三ノ倉高原
10 会津若松市・・・鶴ヶ城・白虎隊・味噌カツ・桜肉・こづゆ・日本酒・太郎庵(天神さま)・米どころ・彼岸獅子・味噌田楽
11 相馬市・・・海苔・松川浦潮干狩り・海釣り・いちご・梨・相馬牛・松川浦大橋・大洲海岸
12 南相馬市・・・無線塔跡・相馬野馬追・大堀相馬焼・サーフィン・みそ・春菊
13 いわき市・・・じゃんがら踊り・ジャンボシュークリーム・アクアマリンふくしま・スパリゾートハワイアンズ・常磐湯本温泉 

Tsuruga

 町の部

 1 桑折町・・・半田沼(ハートレイク)・半田山自然公園・稲作・桃・りんご・伊達郡役所・桑折西山城跡・半田銀山跡
 2 国見町・・・阿津賀志山防塁・果樹・観月台公園・コシヒカリ・桃・りんご・さくらんぼ・プラム
 3 川俣町・・・養蚕業・シルク製品・からりこフェスタ・川俣シャモ・駒ザクラ・織物展示館・羽山の森美術館・乳製品
 4 鏡石町・・・ラーメンみどり ザ・グレート・岩瀬牧場・鳥見山公園・田んぼアート・仁井田祭礼花火大会
 5 下郷町・・・塔のへつり・湯野上温泉駅・つぼたて祭り・高遠そば・エゴマ・じゅうねん味噌・大内宿
 6 只見町・・・田子倉湖・雪まつり・ブナ原生林・旧五十嵐住宅・小林早乙女踊り・トマト・りんどう
 7 南会津町・・・花泉酒造・水稲・トマト・アスパラ・尾瀬・渓流釣り・会津田島祇園祭・国権酒造
 8 西会津町・・・水稲・桐・杉・会津ころり三観音(鳥追観音)・さゆり公園・野沢初市・大山まつり・野沢祭りばやし・生そば・桐下駄
 9 磐梯町・・・栄川酒造・菌茸・果樹・高原野菜・アルツ磐梯スキー場・国史跡慧日寺跡・名水百選・舟曳き祭り・しいたけ・磐梯そば
10 猪苗代町・・・猪苗代湖・天鏡閣・磐梯山・志田浜・南ヶ丘牧場・各スキー場・強清水てんぷら饅頭・昭和の森
11 会津坂下町・・・飛露喜・天明・春日八郎・大俵曳き・亀ヶ森・鎮守森古墳・味噌・馬肉・蕎麦
12 柳津町・・・粟まんじゅう・齋藤清・福満虚空蔵菩薩円蔵寺・七日堂参り・山菜・グリーンアスパラ
13 三島町・・・只見線三島橋梁・花・葉タバコ・水稲・酪農・畜産・会津桐たんす・会津編み組細工・会津地鶏・かすみ草
14 金山町・・・沼沢湖・水力発電所・ヒメマス・温泉・天然炭酸水・赤かぼちゃ・エゴマ・そば
15 会津美里町・・・高田梅・芦ノ牧温泉・本郷焼・干し柿・大俵曳き・伊佐須美神社・花卉
16 矢吹町・・・米・野菜・畜産・松並木・大池公園・矢吹飛行場跡・三十三観音史跡公園・トマト・キュウリ
17 棚倉町・・・山本不動尊・米・トマト・イチゴ・こんにゃく・ルネサンス棚倉・乗馬・棚倉城址
18 矢祭町・・・夢想滝・あゆのつり橋・あばれる君・久慈川・スインピア矢祭・天王祭・ゆず・鮎・シイタケ
19 塙町・・・米・野菜・ダリア園・湯遊ランドはなわ・鐘揉み祭・けやき木工品・菓子 
20 石川町・・・母畑温泉・母畑湖・和泉式部出生の地・地酒・リンゴ・学法石川・駅伝・自転車

21 浅川町・・・吉田富三記念館・浅川の花火・カラスもち・米・肉牛・地雷火

22 古殿町・・・豊国酒造・米・山菜・畜産・チェリートマト・キャンプ場・八幡神社流鏑馬・馬場平のジャンガラ念仏
23 三春町・・・滝桜・さくら湖・三春の里・桜・桃・梅・三春ダム・三春駒・三春人形・西方水かけ祭り
24 小野町・・・小野小町伝承・夏井川千本桜・東堂山満福寺・黒にんにく・しいたけ・御影石
25 広野町・・・火力発電所・Jビレッジ・浅見川渓谷・折木鉱泉・みかんジュース
26 楢葉町・・・天神岬・Jビレッジ・道の駅ならは・マミーすいとん。手作りアイス・ゆず酒
27 富岡町・・・東電福島第二原子力発電所・夜の森駅つつじ・桜のトンネル・桜染め 
28 大熊町・・・東電福島第一原子力発電所・玉の湯・熊川海水浴場・梨・キウイフルーツ・ヒラメ
29 双葉町・・・前田の大杉・双葉高校・相馬漬・双葉バラ園・ダルマ市・双葉海水浴場
30 浪江町・・・請戸漁港・鮭・浪江やきそば・大堀相馬焼・裸参り・活魚・ほっき貝・請戸川
31 新地町・・・釣師浜・火力発電所・福田諏訪神社・ニラ・イチジク・新地貝塚

Mtbandai

 村の部

 1 大玉村・・・安達太良山・県民の森・米・酵母牛・そば
 2 天栄村・・・羽鳥湖・ブリティッシュヒルズ・レジーナの森
 3 檜枝岐村・・・檜枝岐歌舞伎・星・橘・尾瀬・断ちそば・はっとう・ばんでいもち・岩魚・真夏の雪まつり
 4 北塩原村・・・檜原湖・猫魔スキー場・ニッコウキスゲ・五色沼・裏磐梯登山・裏磐梯火の山祭り・会津山塩・ワカサギ・岩魚・ヤマメ
 5 湯川村・・・米どころ・勝常寺・元気みそ・豪雪地帯
 6 昭和村・・・喰丸小・駒止湿原・からむし織・雪まつり・山菜・じゅうねん・手打ちそば
 7 西郷村・・・甲子温泉・キョロロン村・コルク製品・馬鈴薯・白河高原牧場
 8 泉崎村・・・鳥峠・古墳・米・畜産・ハトムギ茶
 9 中島村・・・小室哲哉からくり時計(童里夢公園)・奥州汗かき地蔵・熊野神社・トマト・きゅうり・ブロッコリー
10 鮫川村・・・ファーム翼・鹿角平観光牧場
11 玉川村・・・福島空港・米・野菜・トマト・乙字ヶ滝・南須釜念仏踊り
12 平田村・・・芝桜(ジュピアランドひらた)・道の駅ひらた・ハバネロソフト・駒形ジャンガラ念仏踊り・自然薯・乾麺
13 川内村・・・木戸川・米・いわなの郷・神楽舞・そば発泡酒・凍みもち・エゴマ
14 葛尾村・・・無事故宣言・松本さん・凍みもち・葛尾三匹獅子舞・日山・五十人山・もりもりランドかつらお
15 飯館村・・・飯館牛・田植え踊り・御影石・高原野菜・トルコギキョウ

 福島県の美しい風景を「GReeeeN」の「星影のエール」とともに紹介する動画をどうぞ!

 以上、福島県に存在する59市町村の名産や特産、あるいは観光名所を列挙したが、メジャーなものもあれば、全国的には知られていないものも多々ある。我が福島県にも、まだまだ私が知らない名所も多いし、訪れたことが一度もない市町村も多い。
 しかしながら、かつてあった地名が市町村から除外(削除)されたのは痛い。例えば滝根町、山都町、田島町、会津高田町、舘岩村、都路村、岩瀬村、長沼町、本郷町、河東町という地名は、完全に独立した町村としてはもうない。市の一部になってしまい、小さな町名の地名として残されているのが大多数だ。例えば、田村市船引町といった具合だ。各地方自治体も財政難で存続が難しくなり、藁をもすがる思いで合併に傾倒したことは想像がつく。残念でならない。

 ところで、我が福島県は形がオーストラリアに似ていて東西に広い。県では岩手に次ぐ第2位だ。広大な面積を有するが、例えば北東の端の「新地町」から南西の端の檜枝岐村や只見町まで移動するとなると、優に200キロはあり、車では6時間以上かかる。それほど広いのが福島県なのだ。
 今後、あと何年この世にいられるかわからないが、死ぬまでには、福島県の全域を時間をかけて歩いてみたい。ひいては日本人として生まれたからには、日本全県を踏破したいと思う。もちろん体が動くうちにだ。たぶんあと20年後には足腰や呼吸が弱くなっているに違いない。だから、退職後、10年が勝負だ。リニアが開通し、日本が狭く感じるだろうし、新幹線の長崎ルートも完成しているだろう。「大人の休日倶楽部」の会員となり、閑散期の特別機関を狙って、新幹線乗り放題切符などをうまく活用し、遠くまで足を伸ばしたいと思う。

 

 

2020年9月23日 (水)

私が考えるプロ野球改革案

 以前、当ブログで提唱したが、プロ野球の球団数を現在の12球団から16球団制にするよう訴えた(詳しくはコチラ)が、それ以外にも改革してほしい部分は多々ある。今日は、持論だが、半世紀以上もプロ野球を愛し、見届けて来た私が考える生き残り案ともいうべき改革案を提示したい。

 1 CSは無くすか大幅に内容を変えるべき

 クライマックスシリーズ(CS)は、長いペナントレースで、各リーグともに3位以内にその出場機会が得られることを目的とし、勝ち抜けば各リーグの代表として日本シリーズへの出場権が獲得できるシステムだ。

 私はCSが出来た時点でこれはプロ野球史上に残る最大の改悪で、ペナントレースを行う意味が薄れてしまう危機感を抱いた。案の定、初期の導入段階では、2位の中日がシーズン優勝した巨人を倒し、下克上で日本シリーズに進出したことがあった。その後、見直され、シーズン優勝チームにはアドバンテージとして、1勝を与えられることになったが、私はこれも不十分だと思う。現行では6戦のうち、先に4勝したチームが日本シリーズ進出する運びとなる。つまり、ペナントを制したチームは、3勝でOKなのだが、私は143試合(今年は120試合)を戦い抜いた末のたった1勝のアドバンテージでは少なすぎると見ている。

 そこで、私の改革案は2つある。

1つ目は、2位以下とのゲーム差に応じて勝ち星を変える。

 2位に6ゲーム以上の差があれば、CS自体を実施しない。

 2位に3ゲーム差以内なら優勝チームに1勝
 2位に4~5ゲーム差なら優勝チームに2勝

 そうすれば、よほどのことがない限り、順位がひっくり返ることはない。それほどレギュラーシーズンを重要視してほしいのだ。

2つ目は、優勝チームと2位・3位との直接対決のゲーム差でアドバンテージを設ける。

 第2ステージ(ファイナル)に進出したチームとレギュラーシーズン優勝したチームの直接対決の勝敗に応じてアドバンテージに差を設ける案

 優勝チームより直接対決が上回っている場合→優勝チームに1勝のアドバンテージ
 優勝チームが上回っている場合→優勝チームに2勝のアドバンテージ(この場合、下克上には5戦制を4勝1敗でいかなければならない)
  
 百歩譲ってこのように改めてほしい。できればこういう収益面を最優先した主催者側のご都合主義での興行はやめてほしいと思う。日本シリーズ」だけで十分だ。でなければ過密日程でフルシーズン戦った選手の疲労が蓄積し、負傷したり故障する選手が続出する。やはり144試合戦った後は、十分な休養と体のケアが必要だろうと思う。

 2 シーズン途中、2軍選手を対象にレンタル移籍の制度を

 いくらファームで好成績を残しても1軍に呼ばれない選手がいる。飼い殺しほどもったいないことはない。選手層が厚いチームほど「飼い殺し」の傾向が色濃い。 
 サッカーのJリーグや海外のサッカークラブに認められている期限付きのレンタル移籍。私はNPBでもこの制度を導入すべきだ。実力がありながら、2軍にいつまでも置いてくすぶっているのは実にもったいない。一定期間でも他のチームに移籍し、出場機会を与えほうが本人にとって大いにプラスになる。特にプロの場合、成績が直接年俸などの給料に直結する。2軍と1軍の年俸の差は大きい。
 私は、他球団に放出して活躍されたらかなわないと思うのは愚の骨頂で、それならなぜ自分のチームで使わなかったのかと逆に聞きたい。私はレンタル移籍は、交流戦が終わった直後で、他リーグのチームに限定すれば、所属チームにとってはデメリットはない気がする。しかも期間はレギュラーシーズン終了までで、CSや日本シリーズはレンタル移籍前のチームのメンバーとして出場させる。

 例えば、捕手が足りなくなるなどファームの選手が不足するというなら、レンタル移籍が可能な選手は1チーム3名以内とかすればいい。もしかすると、所属チームで、まもなく1軍に上げようと育てていた選手は1チーム5名までのプロテクト制度を設け、それを外れた選手は他チームからの指名で、本人にも移籍の希望があれば、無条件で一定期間の移籍を認める。

 3 毎年、日本シリーズ優勝チームと台湾プロ野球優勝チームでアジアシリーズを開催せよ

 何かといちゃもんや批判三昧の韓国プロ野球は最初から除外し、毎年、日本シリーズが終了した一週間後の11月頃に、日本と台湾の優勝チーム同士による「アジアシリーズ」を開催してほしい。5回戦制で先に3勝したチームがアジアチャンピオンとなる。
 前回は、メジャーや台湾との交流戦を考えたが、チーム数が全く異なるため、それは現実的ではないと悟り、であるならば、ぜひ狭い範囲で、距離が近い、さらには好日家の多い、台湾プロ野球とのアジアNo.1を決めるアジアシリーズが開催できないかという代案である。

 7回戦制なら長いが、5回戦制なら開催期間も一週間かからないで出来そうだ。選手の負担も少ない。隔年で開催場所を日本と台湾で交互に実施すればよい。台湾にはドーム球場はないが、11月開催であっても台湾は温暖なのでナイターでも開催可能だし、日本で実施する年は、極力ドーム球場で実施する。例えばロッテが優勝したら、本拠地(千葉)に近い東京ドームを間借りして実施する。

 もしそれも難しいなら日本代表と台湾代表同士のオールスター戦を3回戦制で開催したらどうか。スポーツを通じた日台交流は何より大切で、ただでさえ、台湾は中国共産党の占領の脅威に晒されている。日本は台湾との交流を深め、中国をけん制するとともに、スポーツ交流を定期的に行うことが必要だと思う。何せ70年前までは日本だったのだから。 


 4 有能な選手のMLB流出を食い止めるには年俸アップしかない?

 田中将大はヤンキースと7年168億円契約をしている。天文学的数字で、年俸は約24億円だ。。日本ではまずこのようなことはまず起きない。さすがエンターテイメントの国だ。桁が違いすぎる。
 それにしてもこんなに稼いでどうするのか?イチローも松井ももう一生遊んで暮らせるだけの財を築いている。どうやっても一生かけても使いきれないほどの収入を得ている。たぶん、サラリーマンの生涯収入が約2億円なのだから、日本球界時代を含めれば、その100倍以上もすでに稼いでいることは否定しようのない事実だ。
 過去、日本球界の最高額が巨人阿部の6億円だったことを考えても、田中投手はその4倍増。それを考えれば、黒田投手のように広島への義理を通し、「男気」で年俸が大幅減になることを承知で日本球界に復帰する選手はまずいないだろう。
 戻ってくるとしたら、チャレンジに失敗し、契約不履行や実力不足で解雇になり、やむを得ず日本球界に復帰する場合だ。しかしながら、やはり優秀な人材がファンの期待を裏切ってまでアメリカに挑戦し流れていくのは忍びない。食い止めるためにはやはり同額とまでは行かなくても、日本でも年俸10億円を超える選手を出すしか方法はないだろう。食生活も言葉も違う国で成功するのは実際に難しい。才能がありながら、数年の3A生活で結果を出せずに戻って来た選手も数多い。現に今年の日本人メジャーを見渡しても、ダルビッシュや前田、田中などの投手はそこそこ頑張っているが、秋山、大谷、筒香などの打者は、日本では超一流だったが、打率がいずれも1割台と低迷している。やはりボール自体も違うし、球場も広いし、何よりメジャーの投手が豪腕投手が多く、なかなか外野を超える打球を打つことは至難の業となっている。

 過去も西岡、田中、中島、青木などの日本球界を代表する好打者もメジャーを目指したが、常時レギュラーに定着した訳でもないし、なかなか結果を出せなかった。野手では松井秀、田口、イチロー、城嶋、松井稼がそこそこ実績を残したくらいではないのか・・・。


 5 監督は楽ではない。選手並みの年俸を与えるべきでは・・・。

 今年、巨人がセ・リーグをぶっちぎっている。その最大の勝因は原監督の名采配にあるのは一目瞭然。3割打者がゼロという状態で、普通なら相当のマジック使いでなければ2位以下に10ゲーム近い差をつけられない。しかも今年、シーズン半ばにして巨人の監督ではあのV9監督だった川上哲治氏を超え、歴代監督トップに君臨する名監督になった。
 しかし、選手が年俸5億円などと景気の良い話題が出る中、監督やコーチはわき役的な位置づけで、あの長嶋監督でさえ、年俸は2億円程度だった。場合によっては年俸5千万円未満の監督コーチはざらにいる。一般的なプロ野球の監督の年俸の相場は7~8,000万円程度らしい。
 昨年、4年振りに復帰した早々にリーグ優勝を成し遂げた原監督は3億円の年俸を勝ち取ったが、就任以来、12年間で8度のリーグ優勝を果たし、Bクラスはたったの1度という好成績を残していながら、2015年の原監督の年俸は1億6千万円ほどだった。これほどの優勝請負監督であれば、年俸5億円を払ってでもどこの球団も招聘したい筈だ。
 しかし、巨人一筋で誰よりも「巨人愛」の強い原さんが他球団の監督を引き受ける筈などないが・・・。もし球団に裏切られたとか、我が子に愛のムチの腹積もりで、かつての「星一徹」のように他球団の監督を務めれば面白いのだが・・・。
 これで例えば今季最下位に甘んじているヤクルトの監督を引き受け、翌年優勝に導いたとしたら、名監督という器に収まらず、大監督になるだろう。私はソフトバンクの工藤監督も名監督の部類に達しつつあると見ている。

 監督は成績が振るわなければ、シーズン途中であっても休養(事実上の解雇)もあり得る厳しい世界で、生活を賭けて引き受けている筈だ。
決して楽な職業ではないし、ファンの期待は想像以上で、時には罵声を浴びせられてり、批判の的になる。大変なプレッシャーとの戦いを強い

られる。あの星野監督も阪神の監督時代、優勝させた直後の甲子園球場でのインタビューで、まず口をついて出た言葉が「あ~しんどかった」だった。その後、楽天を初の日本一に導いたが、長年の苦労が祟って、大病を患い、早くして亡くなったのは周知の事実だ。

 それほど重圧に耐えて、矢面に立って采配をふるっているのだから、やはりせめて選手並みの給料は当然だと思う。

 また、コーチであっても、たとえば今季の巨人について、あれほど打線が貧打にもかかわらず、ぶっちぎりの首位を独走しているのは、盤石

な投手陣にある。その礎を築いた宮本和知投手コーチには大幅増をお願いしたい。今季の彼の年俸は2~3000万の間らしい。ファームの選手と大差ないのは可哀相すぎる。私は選手を育てる側のコーチや監督はもっと優遇されて然るべきだと思う。でなければ、誰も好きこのんで負ければファンから叩かれる監督など誰が引き受けたいと思うだろうか?

 6 FA制度にも上限を設けるべき

 プロ志望届を出した選手だけがドラフト会議で指名される権利を有するが、入団を希望する選手は、自由に球団を選べない。プロ野球選手に

なりたければ球界の掟に従えという一方的な野球協約である。その現状を打破するために或る一定期間、指名された球団で過ごせば、FAの権利を獲得し、他球団に移籍が認められるシステムだ。これはある意味合理的で、FA制度があるから好きでもなかった球団で実績を残し、やっと権利を行使して元から希望していた球団への道が開かれる。

 私は、選手が我慢してやっと勝ち取った権利なのだから、そのチームへの愛や応戦してくれたファンへの裏切り行為などと考えないで、正々堂々と権利を行使すべきだと考えている、今の世の中、「是が非でも巨人に行きたい」と駄々をこねたり、「〇〇以外の指名なら野球留年します」とかノンプロに行き、次の指名を待つなどという選手はいなくなった。それは選手会が交渉を重ねた末に経営者たちにFAを認めさせた賜物だ。

 しかしながら、節度も必要で、潤沢な財政状態にあるチームだけが、他球団が手塩にかけて育てた選手を根こそぎ持っていくというのはやはり心情的にも道徳的にもいただけない。そこで、見返りの移籍の人的補償としてプロテクトを外れた選手から自由に選手を獲得できる制度が生まれたが、私はそれでも不公平で、同じ年俸になるように、選手+金銭にすべきだし、また声を大にしたいのは、1シーズンでFA獲得できる選手は、1チーム当たり2名までというように上限を設けないと、国内FA宣言した選手を特定の球団が金に物言わせて複数強奪する事態を招きかねない。

 FAで移籍する選手と言うのは、実績のあるベテラン選手が多い。よって経験年数もある程度経過し、選手としてピークを過ぎているケースが
多い。だから移籍後、移籍前の成績を残すことは考えにくい。大枚をはたいたが、期待外れに終わったという場合も多い。特にリーグが変われば対戦する投手や打者の癖も知らない。ゼロからのスタートとなり、移籍前年の成績を上回るのはまず難しいだろう。

 特に巨人は昔から実績十分のベテラン選手や他チームの主砲(4番)ばかりを集めて失敗した。マルチネス(西武)・李(ロッテ)・清原(西武)・石井(近鉄)・江藤(広島)・小笠原(日ハム)・村田(横浜)などがそうで、数年は頑張ったが、最終的には他球団への放出や引退に追い込まれた。投手でも川口(広島)・屋敷(横浜)・前田(ロッテ)・藤井(ヤクルト)・豊田(西武)・マイケル中村(日ハム)・工藤(ダイエー)・杉内(ソフトバンク)らを獲得したが、やはり前球団の実績のほうが良かった。

 外国人のラミレス、ペタジーニ、ローズなどはそこそこ働いたと思うが、やはり他球団の実績は超えていない。小久保は入団の経緯がFAではなかったので割愛したい。

 やはり若手の選手を大事に育てるという方針が大切で、特に広島などはそうした傾向が強い。財政的に厳しい分、選手を大事にしている印象がある。
 
 さて、今回の記事のまとめに入るが、はっきり言って、20世紀から比べるとプロ野球の人気は低下した。魅力がない。それが証拠にかつて
はドル箱だった巨人戦の中継が、視聴率激減によって、BSなどに転嫁された。中には巨人戦の中継をやらない日まで出て来た。

 一家団欒の19時~20時台のテレビはお父さんがビールを飲みながらプロ野球観戦というのが日常の風景だったのに、いまやそれがスマホの普及や音楽や動画サイトの登場で、家庭生活も随分と様変わりした。

 その要因は、ひとつは目まぐるしく毎年変更されるルール改正、そして2つ目は有能な才能の海外流出。メジャーに渡れば、イチローのよう

な例はあったが、日本代表として選出されることはまずない。田中、ダルビッシュ、大谷、菊池などは日本球界に復帰でもしない限り、WBCやオリンピックなどの国際試合での活躍する姿を拝むことはあり得ない。

 日本プロ野球(NPB)低迷の原因をピックアップしたが、もちろんそれだけにはとどまらないし、他の要因もある。やはりスポ―ツも政治と同じで、「改革なくして進歩なし」で、旧態依然の古い体質では何も変わらない。ぜひコミッショナーや両リーグ会長は観客を球場に呼び戻し、プロ野球人気を獲得し、かつての輝きを取り戻してほしい。プロ野球の復権を心から願う。

 

2020年9月22日 (火)

「Fukushima 50」DVD発売決定!

 我が福島県民は必ず観たい映画だった。完成試写会および上映当日、東京から映画の出演者たちが県内各地の映画館を巡り、PRして回った。しかし、封切りと時を同じくして新型コロナウイルスにより、郡山市の映画館も休館を余儀なくされる事態となった。古関裕而の物語を描いたNHK連続テレビ小説「エール」と言い、この映画と言い、どうしてこうも福島県は不運が続くのだろうと天を恨んだ。
 本来ならばオリンピックイヤーだった今年、海外から多くの観戦客が訪れ、そして日本全国からドラマとこの映画に感動したファンが大勢、聖地巡礼とばかりにロケ地であるここ福島県に来て、震災から9年が経過した福島県の現状を目の当たりにしていただく予定だった。

 私は残念ながら劇場で、この映画を見られた訳ではない。やはり密を避ける意味で、郡山市が県内で群を抜いて感染者が多く発生したことを鑑みて、やはり狭い室内空間である「テアトル」には足が向かなかった。職場の至近にありながら、どうしても見たい映画だったにも関わらず、今夏、腹部を開腹する手術を受け、16日間も入院治療していた身からすれば、「コロナ感染=重症化」で、場合によっては呼吸器疾患や肺炎を併発し、死亡する可能性もあることから、無理は出来なかった。

 今でも「テアトル郡山」では期間を延長し、ロングランで上映を続けている。すぐそばで見られるのに見に行けないもどかしさ、そしてジレンマに耐えてきたが、ここにきて朗報が舞い降りた。

 それは9年前のあの日の出来事であり、「東京電力福島第一原子力発電所」の事故を実話に基づき忠実に再現した映画「Fukushima 50」が11月6日に待望のブルーレイ化&DVD化して発売されることになったのだ。

  事故の基となったのは言わずもがなであるが2011年(平成23年)3月11日、午後2時46分に発生した「東日本大震災」だった。誰も経験したことが無いマグニチュード9.0、震度7の巨大地震が遅い、初めて耳にした「大津波警報」発令で、避難が遅れた約2万人近くの方々が死亡、あるいは行方不明となった前例のない未曾有の大災害だった。その結果、どんな地震にも耐えて、100%安全だと言われて来た「原子力発電所」で津波によって「全電源喪失」(SBO)という前代未聞の非常事態が起き、原子炉を冷却不可という危機的状況に陥り、震災の翌12日に1号機が、その2日後の14日に3号機が2度に渡って発生した蒸気爆発により、原子炉建屋が吹っ飛び、原子炉格納容器内では人類史上初のメルトダウン(炉心溶融)が起きると言う大惨事となった。

Atomic-bomb
 唯一「FCT」が撮影に成功した水蒸気爆発の映像を見た時、きのこ雲が立ち上がったのを目の当たりにして、県民の誰もが「終わった」と死を覚悟した。当時、原発から50km東に離れた場所に勤務していた私は、もう駄目だと感じたし、どこに避難すべきか模索した。

Atomic-plant

 浜通りの原発から半径20kmに住む住民は、着の身着のままで緊急避難を強いられた。国道288号線に連なる長い車列、そこからまさかの長期に渡る避難所による生活、そして応急仮設住宅での生活を余儀なくされ、地域によっては埼玉県内の廃校で仮住まい生活を送ることになった。

Hinan2

 一方、原子力発電所内では、電源を喪失し、原子炉の燃料棒を冷却できなかったことで、原子炉は高熱に見舞われ、5機あるうちの稼働中だった4機が制御不能に陥った。その後、深刻度が最大の「レベル7」に引き上げられたことで、世界中が固唾をのんで状況を見守る中、現地の東電の社員たちが、日夜を問わず、必死の覚悟で事態の収束に当たった。この50人のことを「Fukushima 50」と呼んだのだった。所長の吉田氏を始め、そこに留まった原発社員たちは、福島県民を、いや日本国民を守るために福島原発内で、その対応に追われたのだった。いつ被爆して死んでもおかしくない状況の中、原子炉を冷却するために懸命に立ち向かい闘った社員たち。
 東京消防庁、海上保安庁、そして自衛隊が一丸となって放水作戦を展開した。内部で行われていた決死かつ捨て身の行動について、私たちは当時、何が起きていて、どういう作戦が実行されていたかまでは知らされておらず、テレビの前で状況を見守るしかできなかった。「何とか日本を救ってくれ」という一念だった。
 しかし、水蒸気爆発と思われていたあの爆発は、実際は多くの放射性物質が大気中にばら撒かれており、周辺地域は高濃度の放射能で汚染されていた。その日を境に私たち福島県民は「汚染地域」のレッテルを貼られ、差別を受けることになった。

Hinan

 今でもあちこちにリアルタイムで放射能レベルを測定できるモニタリングポストを目にすることが出来る。農作物、水産業は未だに震災前の状況には程遠い有り様で、おそらく廃炉作業も30年以上かかると見られている。汚染水の処理もままならず、敷地内に臨時で増設されたタンクはもう満杯となり、海に放水することが検討されている。

 私たちは、震災直後から収束宣言が発令されるまでの期間、今も懸命に廃炉作業は続いているが、当時、原子力発電所内でどんな戦いが繰り広げられていたのかを知らなければならないと思う。そして陣頭指揮にあたっていた吉田所長は、図らずも急性の胃がんによりこの世を去られた。劇中で言えば渡辺謙さんが演じた方だ。おそろくは、現場責任者として神経をすり減らし、事態の収束に当たっていた心労がたたっての発病に違いない。もしかすると線量を浴びて、それが原因でがんを発症してしまったのかもしれない。私たち福島県民からすれば命の恩人と言える人にあたる。足を向けて寝られないほどの、いわば「英雄」だ。

 今回、DVD発売決定を聞き、私もすぐに予約した。本編だけで2時間を超える122分。その中で描かれる大津波の脅威、そして全電源を失った時の所員たちの驚きと嘆き、さらには水蒸気爆発が起きた時の衝撃、福島原発で放水作業に当たった多くの方々の努力などがどんなふうに描かれているのか、今から楽しみだ。たぶん、何度も号泣すると思う。

 この映画をきっかけに日本中が原子力発電所の危険を再認識し、エネルギーの節約や他の発電方法への転換の契機となることを願う。ひと度でも事故が起きれば、人間にはその制御能力が不能となる「怪物」を人間自身が作り出してしまったことを、改めて自戒の念を持っていただければ幸いだ。

Dvd

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 キャスト

 佐藤浩市 渡辺謙  吉岡秀隆 緒形直人 火野正平 平田満 萩原聖人  吉岡里帆 斎藤工 富田靖子 佐野史郎 安田成美

 本編分数:本編122分/色:カラー/製作年:2020年/製作国:日本

 Blu-ray (DVD特典付き)が税込み7,370円      DVD通常版 税込み4,180円

2020年9月21日 (月)

福島県を舞台にした映画(予告編集)

 21世紀以降、我が福島県を舞台にした映画を取り上げたい。もちろん福島県内各地でロケが行われ、有名な俳優たちが来県し、長期滞在して撮影されて制作した。意外と福島県出身者ですら、その事実を知らない人が多い。
 そのほとんどがDVD化され、レンタルなので見ることも可能になっている。ぜひ、福島県民の方なら見てほしいし、県外の方は「聖地巡礼」で訪れてほしい。そして映画のワンシーンを思い出して、その場面に心ゆくまで浸って欲しい。

「春色のスープ」

公開日:2008年
主なロケ地:南会津町・郡山市
出演者:佐津川愛美・鈴木砂羽・栩原楽人 ・美保純・池内万作・国広富之・鶴見慎吾
あらすじ

 母との関係がギクシャクしている南会津に住む高校生の桃子。いつもコンビニ前に友人らと集まり深夜まで遊んでいる。桃子のもう一つの楽しみはラジオ番組。桃子はコンビニで全盲の亮太と出会う。
 離婚から桃子になにかと干渉してくる母に反発して、桃子はいつか自立しようと喫茶店のバイトもしている。バイトの先輩三津子から、盲学校での詩の朗読のボランティアを頼まれる。廊下で桃子の朗読を聞いた亮太は、その詩のことをラジオ番組に投稿する。ラジオを聴いた桃子は、亮太に気づき親しくなっていく。また、詩の朗読に桃子はこれまで感じることがなかったやりがいを見つけていく。
 母は長期出張などが頼まれるが桃子のことを考えて行こうともしない、そんな自分を犠牲にする母が桃子には苛立ちとなる。しかもバイトしていることも母にバレてしまう。母は娘との関係の修復の方法が見いだせず、母はアルコールに頼ることも多くなり、その頻度も増していく。
 桃子はスキーがしたいという亮太を連れて友人らと裏磐梯へスキー旅行でかけるが、目を離している間に亮太が怪我をしてしまう。素行の良くない人たちと外泊の計画したことと亮太を怪我させたことで桃子は高校から一ヶ月の謹慎となる。自分の居場所を失った桃子は父と会うが、父にはすでに新しい家族もいることを感じ逃げ帰ってしまう。しかも、亮太からも目の見えない自分と桃子との間に壁を感じたと一方的にさよならを告げられてしまう。
 亮太の脳に腫瘍が発見され緊急入院となったことを三津子から知らされる。腫瘍を取れば目がみえるようになる可能性もある一方、命に関わることだけに亮太は悩む。桃子は病室を訪れ、一方的にさよならを言われたことについて怒り、ラジオを通じて亮太の手術を大勢のリスナーとともに応援する。
 母は三津子から桃子が盲学校で朗読をしていたことを知らされ、娘の成長に気づき抱きしめる。それがきっかけとなり母娘の関係が急速に改善される。亮太は手術を決意し手術は無事に終了するが、目が見えないのは相変わらずのままだった。ラジオ番組のDJは、ふたたび都会でチャレンジする気になりラジオ番組をやめてしまう。

 母は海外へ長期出張にでかけるが、出張先の事故で亡くなってしまう。亮太は、自分が何をしたいのかを見つけるために海外へ1年間でかけてしまう。桃子は父に連れられ懐かしい故郷をあとにする。途中で、母が自分の名付けるきっかけとなったという南会津の姫山の桃の花をみつめるのであった。

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「アブラクサスの祭り」

動画はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=JNCN7cU_8z0

公開日:2010年
主なロケ地:三春町・本宮市
出演者:スネオヘアー・ともさかりえ・本上まなみ・村井良太・ほっしゃん。・小林薫
あらすじ

 かつて元ミュージシャンだった禅僧・浄念は、音楽への狂おしい思いからノイズが聞こえるようになり、ウツ病患者として入院した過去を持つ。禅僧になっても自分の「役割」を考え続けているが、なかなか思うように答えはでない。そんなある日、とある講演会で大失敗して落ち込んだ浄念は、自分の中で音楽への想いがたち切れていなかったことに気付く。この町でライブをやりたいと、強く思いはじめる浄念。住職の玄宗は良き理解者だが、地元ライブには困惑顔。妻の多恵も大反対。そんななか、ある事件をきっかけにショックを受けた浄念は自分をコントロールできなくなるが―果たして浄念は答えを見出すことができるのか?本作品にちりばめられているのは「自分」をまるごと受け入れる"禅"的ヒント。悩める浄念の生き方に心ゆさぶられる、まっすぐな映画が誕生しました。

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「時をかける少女」

動画はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=pgG5mL4e0Rg

公開日:2010年3月13日
主なロケ地:開成山桜並木
出演者:仲里依紗・中尾明慶・安田成美・勝村政信・石丸幹二・青木崇高
あらすじ

 今まで何度も映像化・映画化されてきた筒井康隆原作のSF短編小説「時をかける少女」を新たな視点で映画化した上質の青春映画。母の代わりに1970年代にタイム・リープした娘の切ない体験を丁寧に描写する。ヒロインを演じるのは、アニメーション版『時をかける少女』でも主人公の声を担当した仲里依紗。その相手役の純朴な青年を『ROOKIES -卒業-』の中尾明慶が演じている。今も昔も変わらない人を思う気持ちにじんわりと胸が熱くなる。

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「超高速!参勤交代」「超高速!参勤交代リターンズ」

動画はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=RngrAI-263I

動画はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=fpH3KJZdwmY

公開日:2014年/2016年
主なロケ地:いわき市平・湯本・四倉・南相馬市・相馬市
出演者:佐々木蔵之介・深田恭子・伊原剛志・西村雅彦・陣内孝則
あらすじ

 通常でも8日かかる参勤交代を4日で行うよう幕府から無理難題を押し付けられた小藩が、奇想天外な作戦の数々でピンチを切り抜けようとする時代劇。第37回城戸賞の入選作を、『鴨川ホルモー』などの本木克英監督が映画化した。資金も人数もない中、藩と領民を守るため奮闘する藩主には佐々木蔵之介、ヒロインをら実力派がそろう。

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「ハーメルン」

公開日:2013年9月7日
主なロケ地:昭和村・本宮市
出演者:西島秀俊・倍賞千恵子・坂本長利・風見章子・小松政夫
あらすじ

 消えゆく場所と記憶、片田舎の廃校を舞台に繰り広げられるファンタジックな物語
2013年9月7日よりユーロスペースほかにて全国順次公開
 

消えゆく場所と記憶、片田舎の廃校を舞台に繰り広げられるファンタジックな物語
2013年9月7日よりユーロスペースほかにて全国順次公開

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「フラガール」

動画はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=BYBsyogWYlw

公開日:2006年9月23日
主なロケ地:いわき市周辺・古殿町
出演者:松雪泰子・蒼井優・豊川悦司・山崎静代・岸部一徳・富司純子
あらすじ
 
昭和40年(1965年)、大幅な規模縮小に追い込まれ危機的状況に陥った福島県いわき市の常磐炭鉱を舞台に、炭鉱で働く人々が職場を失う現実・苦悩に立ち向かい、町おこし事業としてを立ち上げた常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)の誕生から成功までを実話を元に描く。

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「ジヌよさらば~かむろば村へ」

公開日:2015年4月4日
主なロケ地:柳津町
出演者:松山ケンイチ・松たか子・
あらすじ

 人気漫画家いがらしみきおの「かむろば村へ」を基に、お金アレルギーになり東北の寒村に移り住んだ元銀行員が、お金を全く使用しない生活に挑むさまを描くコメディー。

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「Fukushima 50」

https://www.youtube.com/watch?v=-Wd0UWoVGtY

公開日:2020年3月6日(金)
主なロケ地
出演者:渡辺謙・佐藤浩市・吉岡秀隆・緒形直人・火野正平・平田満・萩原聖人・吉岡里帆・斎藤工・富田靖子・佐野史郎・安田成美

あらすじ

 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生。福島第一原発は危機的状況に陥る。
原発内に残り、事故の収拾にあたった地元福島出身の作業員たちは海外メディアからFukushima 50(フクシマフィフティ)と呼ばれた。あの中で本当は何が起きていたのか?真実は何か?東日本壊滅の危機が近づく中、苦渋の決断を迫られる彼らが胸の内に秘めた思いとは?
豪華キャスト・スタッフ、日本映画最大級のスケールで贈る超大作。

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「AI崩壊」

動画はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=tMSlaXhGrfs

公開日:2020年1月31日
主なロケ地:不詳
出演者:大沢たかお・賀来賢人・広瀬アリス・岩田剛典・高嶋政宏・芦名星・玉城ティナ・余貴美子・松嶋菜々子・三浦友和
あらすじ

 舞台は(公開時点から10年後の)2030年。高齢化と格差社会が進展し、人口の4割が高齢者と生活保護者となり、医療人工知能 (AI) 「のぞみ」が全国民の個人情報等を管理していた。そんなある日、「のぞみ」が突如として暴走を開始、“人間の生きる価値”を勝手に選別し始め、生きる価値がないと判定された人間の殺戮を開始した。警察は「のぞみ」を暴走させたテロリストが「のぞみ」の開発者である天才科学者・桐生浩介だと断定。逃亡する桐生をAI監視システムを駆使して追跡する。事件のカギを握るのは、桐生と、「のぞみ」を管理していた桐生の義弟・西村悟。桐生は警察の追っ手から逃れながら、AIの暴走を阻止しようと奔走する

郡山市出身の女優で故・芦名星の遺作となった映画。

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アニメ作品「薄暮」

 特報第二弾はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=8xUV0K8GwUY

公開日:2019年6月21日
主なロケ地:いわき市
出演者(声優):桜田ひより・加藤清史郎・佐倉綾音・雨宮天・花澤香菜・高橋大輔
あらすじ

 福島県いわき市に住む女子高校生小山佐智は、東日本大震災の影響で人や恋に関心を持つことができないと感じている。佐智は音楽部で、リナ 、ひぃちゃん 松本先輩とともに文化祭で披露する四重奏に向けて日々練習に追われている。佐智はバス停そばで見る夕焼けがお気に入りで、よく一人でバスが来るまで景色を楽しんでいた。
 ある日、バス停でキャンバスを持った少年、雉子波祐介と出会う。彼は震災で帰宅困難区域からいわきに避難してきており、当たり前の風景が突然見れなくなってしまうことがあることにつらく思い、今生きてるこの世界を絵に描きとめ残すため絵を描きはじめたという。そして絵画のコンクールの絵を描くためバス停付近で良い景色を探しているところで佐智と出会った。

 このことがきっかけで佐智と祐介は話すようになり、バス停で待合せをしたり、LINEで会話したりと二人の距離は縮まっていった。そんな中、佐智と同じ部員の遠野さんと川村さんに草野駅で祐介といるところを目撃されリナやひぃちゃんに知られ恋人か問われリナは恋が実ることを応援してくれた(ひぃちゃんも後に佐智を応援している)。

 そしていつものように佐智は祐介とバスに乗っているときにたまたま祐介のスケッチブックに描かれた祐介の初恋の人のスケッチを見てしまい、佐智はやきもちを焼いてしまい二人の関係はギクシャクしてしまう。

 文化祭当日、祐介や家族が見守る中、佐智たちは演奏を無事やりとげる。そして佐智は祐介から話したいことがあると言われリナとひぃちゃんに後押しされ祐介と屋上で会うことを決心する。そして祐介から「あなたのことが、ずっと好きでした」と告白される。

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 さて、本日掲載した映画は、我が福島県で実際にロケが行われた。いわば聖地に値する。豊かな自然に育まれた環境が未だに残る福島県。日本で3番目に広い面積を有し、自然からの恵みで田畑が育ち、地酒も「全国新酒鑑評会」で7年連続日本一を達成した。その中で名優たちがここに集い、後に名作となる作品に出演した。これはある意味凄いことで、我が福島県は観光PRにこのロケ地、つまり聖地巡礼としてのPRを加えて欲しいと思う。パンフレットを制作し、首都圏などに配布し、観光PRの一助として欲しい。

2020年9月20日 (日)

映画やテレビドラマのロケに使って欲しい福島県のスポット

 アニメ映画「君の名は。」が公開された時、全国からスクリーンに登場した場所を探して、アニメファンや鉄道ファンが多数押し寄せた。いわゆる「聖地巡礼」だ。NHKの朝ドラや大河ドラマもそうだが、ドラマなどで取り上げられたロケ地などは、その後数年間は観光客が押し寄せるのは衆知のところだ。例えば、「あまちゃん」が半年間放送された年は、岩手県の三陸海岸沿いに多くの観光客が訪れた。久慈駅や小袖海岸、そして北三陸リアス線。大変な賑わいで、ちょっとしたブームとなった。

 我が福島県でも、1980年代に放送されたNTVの年末大型時代劇で「白虎隊」が晦日、大晦日の2日間、延べ6時間の超大作として放送された時、年明けから会津若松市の白虎隊ゆかりの観光地に大勢の客が押し寄せた。飯盛山では主題歌の堀内孝雄の「愛しき日々」がエンドレステープで流され、ドラマの雰囲気を思う存分味わえた。

 今年、福島県出身の大作曲家の古関裕而が主人公のNHK朝ドラ「エール」が制作・放送されたが、新型コロナウイルスの影響で観光客を呼び込むまでは行かなかったのは残念だった。

 しかし、「八重の桜」で会津が経済的に潤ったように、観光客を呼び込むのは、名作映画やテレビドラマでロケ地として招聘することが近道で早道だとわかった。昔、フジテレビで「白線流し」が放送された時に、やはり舞台となった「長野県松本市」が脚光を浴びた。

 そこで、福島県で映画などのドラマを撮影した場合、どんなスポットが映えるか、私なりに探ってみた。制作会社の方は、ぜひ参考にして頂きたいと思う。

 1 信夫山から見下ろす福島の夜景 

 特に秋から冬にかけて空気が澄んだ季節は必見の価値あり。福島市の市街地を眼下に一望できるのは、街の真ん中に小高い信夫山があるおかげだ。 

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 2 三島町の只見線橋梁

 鉄道雑誌のグラビアを頻繁に飾るスポットで、特に紅葉の時期と雪景色がお薦め。ここは写真家が常時居座る撮影スポットでもある。 

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 3 上戸のトンネル先の右カーブで湖岸越しに聳える磐梯山

 ここは駐車禁止なので、この絶景が突然目の前に現れても、路肩とかに駐車できず、素通りしてしまう。学生時代、バイクで訪れた際には路肩にとめて、心行くまで志田浜を挟み、その奥に聳える磐梯山の風景を堪能した。絵ハガキやポートレートに最高。   

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 4 小名浜三崎公園マリンタワー

 ここもロケーションは最高。晴れた日は眼下に青々とした太平洋が一望でき、地球が丸井ことを実感できる、また小名浜港を間近に眺めることができ、アクアマリンと建設中のマリンブリッジのコラボは圧巻。

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 5 飯盛山さざえ堂

 入口と出口が異なり、途中で交錯るることのない不思議な回廊。恋愛ドラマで、お互いの相性を確かめるシーンで使うと面白い。
 出会えたら結婚し、出合えなかったら別れようみたいな心理戦。

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 6 松川浦大橋

 ここも震災の大津波で大変な被害を受けた地区に聳える大橋。相馬港のシンボルになった。夜間はライトアップするので、真夏の濃霧の際には幻想的な光景が撮影できると思う。そこを車が通行する際に、一筋のライトが移動して行くシーンは魅力的。

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 7 開成山公園の桜

 さくら通り沿いの土手の桜並木は「時をかける少女」で、開成山野外音楽堂は「春色のスープ」のワンシーンで使われた。とにかく広大な公園で、中央の五十鈴湖と呼ばれる池には噴水もある。赤い五十鈴橋も絵になるし、池に浮かぶ貝殻の形状をした野外音楽堂も映えすること間違いない。

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 8 郡山市浄土松公園(きのこ岩)

 東北のカッパドキアとか、陸の松嶋と呼ばれるほど不思議なきのこの形をした奇岩が群れを成している。この世のものとは思えない形状。サスペンスもので、ここで遺体が発見されたというストーリーに打ってつけ。

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 9 郡山市逢瀬公園展望台から見下ろす景色

  誰が名付けたのかは不明だが、「逢瀬」というロマンス的かつ意味深な地名にある公園。ここはどういう訳か「恋人の聖地」となっている。
3階建ての展望台の手すりには金属の錠前が多数ロックされていて、そこに恋人同士の名を刻んで掛けられている。そこから見下ろす滝と水路、それに緑の芝生のコラボレーションが美しい。春には桜が咲き乱れる花見スポットでもある。

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10 郡山市布引高原ひまわり畑と風車群

  晴れた日に訪れれば、絶好のロケーションが広がり、来る者を圧倒する景色。眼下にはまばゆい光に反射して煌めく猪苗代湖の水面とその先に聳える、宝の山と称される磐梯山。まずこのコラボレーションに魅了される。続いて布引高原自体が風車群とひまわり畑(9月上旬)と秋桜畑に色鮮やかに染まる。その数数百万本。毎年、種から栽培され、この時期に満開を迎える。ここでぜひ映画のロケをお願いしたいし、アニメでも絶対にインスタ映えするのは言うまでもない。もしかすると、ここの風景が福島県No.1かもしれない。

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 以下、11~35は説明を割愛し、ロケ地として相応しいスポットと時折その画像を交えてお送りします。

11 吾妻小富士と磐梯吾妻スカイライン  
12 二本松霞ヶ城の桜
13 白河小峰城
14 大内宿の宿場町(街道)
15 会津美里町左下観音堂

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16 福島市花見山公園
17 郡山市石莚・銚子ヶ滝
18 田子倉湖
19 裏磐梯五色沼
20 檜原湖から見た裏磐梯

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21 吾妻山魔女の瞳
22 あづま公園の銀杏並木
23 グランデコスキーリゾート
24 塔のへつり
25 大桑原つつじ園(須賀川市)

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26 安達太良エクスプレスの光のページェント 
27 湯野上温泉駅
28 富岡町桜のトンネル
29 郡山市緑水苑
30 郡山市ビッグアイ展望台

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Tomioka

31 郡山市駅前の光のページェント
32 三春滝桜
33 三春ダムとさくら湖
34 須賀川釈迦堂川花火大会
35 須賀川松明あかし

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 この記事を書こうと決めた当初は、10か所も挙がれば上出来と思っていたが、挙げ出したらここもある、あそこもあるとなり、絵になるスポットが多数出て来た。天気にもよるが、絶対に映像として使える場所ばかりをセレクトしたつもりなので、ぜひとも制作会社の方たちにはこの記事を見ていただき、聖地巡礼がブームとなるような作品を作って欲しい。

 

2020年9月19日 (土)

最近見かけないあのタレント

 長いことテレビなどで見かけないと思っていた、昔活躍していた芸能人が、お亡くなりになったという訃報を耳にするようになった。つい最近では渡哲也さん、80年代のバラエティ番組には欠かせなかった轟二郎さん、そして刑事ドラマや学園ドラマの教師役などで活躍していた宮内淳さんも長い闘病生活の末に鬼籍に入られた。突然の悲報に衝撃を受けたと同時に、同じ時代を生きた者として居た堪れない気持ちになる。

 では今日は、まだご健在と思われる方々で、近頃、テレビへの出演がめっきり減った方々を取り上げたい。 

 <男性タレント>

 1 おりも政夫・・・ご存知「フォーリーブス」のひとり。江木俊夫さんとおりもさんだけがご健在。現在は67歳。血液型はB型。 

 2 倉田保昭・・・Gメン’75などの刑事ドラマのアクションシーンを担当。現在は74歳になられている。血液型はO型。

 3 倉石 功・・・俳優だけでなく、クイズ番組のゲスト回答者としても出演していた。血液型はA型。現在76歳になられている。

 4 黒澤久雄・・・林寛子の元ご主人で、映画監督の故・黒澤明氏の息子。現在74歳、血液型はB型

 5 誠 直也・・・「特捜最前線」の吉野刑事役が出世作。現在72歳になられている。血液型はO型

 6 松村雄基・・・「スクールウォーズ」や大映テレビドラマには欠かせなかった。個人的には「生徒諸君」が好きだった。現在は56歳。血液型はB型。

 7 穂積ペペ・・・昭和40年代の学園ドラマには欠かせなかった。現在62歳。森川正太さんなどもどうしているのだろうか。

 8 湯原正幸・・・1980年代頃まで活躍した女優・荒木由美子さんの夫。CM出演は多かったが、ここ20年は見かけていない。現在は73歳。B型

 9 村野武範・・・1970年代には欠かせなかった。「飛び出せ青春」「日本沈没」などでは主演した。「食いしん坊万才」にも出演した。現在75歳。A型

10 寺尾 聡・・・1980年代にはシンガーソングライターとして「ルビーの指環」などのヒット曲を連発。「西部警察」などで熱演した。現在は73歳。A型

 もちろん、有名どころでは、田中邦衛さん(87歳O型)、露口茂さん(88歳B型)、田村正和さん(77歳A型)、近藤正臣さん(78歳O型)、千葉真一さん(81歳O型)、原田大二郎さん(76歳O型)、石橋正次さん(71歳B型)、小林亜星(88歳O型)の動向も気になる。ご高齢になられて体が不自由になって、自ら第一線を退いたのなら、それ相応の報告をファンに向けて情報を発信して貰いたいと思う。それくらい彼らを応援して来たつもりだ。

 <女性タレント>

 1 城山美佳子・・・1970年代に子役から出演し、「東芝日曜劇場」などには欠かせない存在だった。血液型はA

 2 友里千賀子・・・彼女も1980年代頃までのホームドラマに出ずっぱりだった。サスペンスものにも出演した。血液型はA

 3 木村理恵・・・太陽にほえろ!の婦人警察官役で脚光を浴びたが、その後、出演がない印象。清楚な印象が良かった。血液型はA

 4 石井めぐみ・・・「噂の刑事トミーとマツ」に警察職員役で出演して人気が急上昇した。血液型はA

 5 竹井みどり・・・1980年代までのサスペンスモノやシリアスなドラマには欠かせない存在だった。血液型はA

ShiroyamaYuri

 6 長谷川真弓・・・森下愛子をほうふつさせる外見で可愛らしさが際立っていた。「太陽の子」が代表作。血液型はAB型

 FTVの「サタふく」に出演している「笠原咲紀」さんを見ると、彼女を思い出す。それくらい印象がそっくり。また「つちやかおり」にも似ている。

 7 藤谷美和子・・・カルビーのCM、学園ドラマ、デュエット曲で大ヒットと、1970年代から90年代まで大活躍した。血液型はA

 8 杉田かおる・・・「石立鉄男」とのコンビで子役から活動。「3年B組金八先生」「池中玄太80キロ」で大ブレイクした。B型

 9 倉田まり子・・・ミニスカートが眩しいアイドル歌手だった。レッツゴーヤングのレギュラーも。血液型はO型。

 石川ひとみさんと印象がかぶっていた。

10 石原真理子(真理絵)・・・「ふぞろいの林檎たち」などの青春ドラマに出演。いろいろゴシップ問題が多く、気の毒な面も。O型

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 有名な方では篠ひろ子さん(引退して仙台在住?)、大谷直子さん、松尾嘉代さん、佐久間良子さん、香山美子さん、酒井和歌子さん、三浦リカさん、中原ひとみさん、石田えりさんなどは、めっきりテレビドラマや映画などにも出演しなくなった。昔の女優さんは妖艶で色っぽかった。

 他にも高見知佳さんや相楽晴子さん、上田恵美さん、伊藤さやかさん、蝦名由起子さん、早瀬優香子さん、三井ゆりさん、ほしのあきさん、松井絵里奈さん、和希沙也(倉本清子)さん、真中瞳さん、藤崎奈々子さん、鳥越まりさんなど気になっているタレントさんは大勢いる。

 さて、とかく芸能界は流行り廃りが激しい世界だ。栄光と挫折が同居し、その中で明日のスターを夢見て厳しいレッスンを耐え抜き、オーディションに賭けている若者はごまんといる。どんなに努力しても日の目を浴びない才能もある。
 それでも毎年、タレントやアイドルに憧れ、自分も同じステージで活躍する日を夢見て、上京し、そして叶える者もいる。一方では、夢破れて故郷に帰る者もいる。やはりそれは一筋ならではいかぬ厳しい世界のようだ。

 そんな中、第一線で長く活動できる歌手や俳優は凄い才能の持ち主と言えるだろう。運も味方にできる天賦の才能なのだろう。

 なお、このタイトルの記事は不定期掲載ながら、ぜひシリーズ化したいと考えている。

 

 

2020年9月18日 (金)

改良求む!郡山市内の危険交差点(さくら通り以北)

 今年8月28日付で「郡山市北部エリアの違反多発スポット」という記事を掲載した際に指摘したが、我が愛する郡山市には交通違反が多発するスポットがある。と同時に、そこは交通事故が頻繁に起きる場所でもある。私は郡山警察署管内の郡山市の南部である安積町方面に行く機会はほぼゼロなので、存じ上げないが、北部エリアは自らが居を構える地域なので、また、毎朝通勤で通る道であるがゆえに、危険個所を熟知しているつもりだ。そこで今回は、交通事故が起きやすい物理的欠陥のある交差点を指摘したい。市の道路管理課の方は、ぜひ今回の指摘を重視してほしい。ぜひ改良を求む!

1 労働福祉会館の南東側の交差点

 ここは優先道路が逆である。交通量が多く、道幅が広い東西道路側に一時停止「止まれ」があり、カトリック教会から21世紀公園まで通じる交通量が少ない南北の道路が優先になっている。しかも南北側からの通行車両が狭い道路にも関わらず、かなりのスピードでこの交差点に進入し、通過して行く。道幅が広くて左方優先側が一時停止という、危険極まりないワースト交差点だ。(地図をクリックすれば拡大できます)

Hosonumamachi

 私は上の地図の右から左に走って来て問題の十字路で何度もヒヤッとしたことがある。ちゃんと一時停止したのに、横から相当なスピードでこの交差点を横切って行く。いつ衝突事故が起こっても不思議ではない。

2 悪魔の交差点と呼ばれる市役所(旧庁舎)北西側十字路

 ここは信号がなく、一時停止の点滅もない、さくら通りから右左折し、本庁舎と西庁舎を結ぶ渡り通路の下を潜った直後の十字路交差点が問題の場所。この付近の住民は幾度となく車同士がぶつかる衝突音を聞いたことだろう。それくらい昼夜を問わず頻繁に交通事故が多発している地帯だ。それは動画サイトにも映像付きで紹介されるほど危険な交差点となっている。

Asahimachi

3 朝日町双葉町役場支所東側の十字路

 内環状線沿いの「ネッツトヨタ郡山」の南側の信号のある交差点を西に入り、次の十字路が問題の危険交差点。いびつな見通しの悪い交差点になっていて、斜めからぶつかるオフセット事故の名所と化している。ここは南北側が優先で、東西方向に一時停止の標識に加え赤い点滅の簡易信号が設けられているのだが、一時停止の車が停止線を越えてオーバーランしたところに南北方向の車が突っ込む構図。やはり朝日町と桑野界隈は、開成山大神宮の北東側にあたる鬼門のため、自殺や殺人で人が亡くなったり、事故が多かったり、人に危害が加わる区域になってしまう。

Asahimachi2

4 南東北病院北東側の旧4号線の交差点

 ここは朝夕を中心に交通量が多く、しばし右折待ちの車で長蛇の列を成す地点。しかも富久山町福原方面から対向して来る車両が坂道を登ってくるため、対向車がなかなか見えづらいことで有名。車が来ないと思って、交差点に右折して進入すると、突然対向車が現れる。何度もヒヤッとした記憶がある。それに赤信号に変わっているのに、無理やり右折して行こうとする車が多く、危険度MAXだ。

 この南東北病院の界隈は危険スポットが数多くある。北側の十字路交差点も信号が無く、看護師や患者が数多く歩いていて、車も横断歩道で停車しないことが多いため、車対歩行者、車対自転車の接触事故が多く発生する。それに巨大病院の北道路がメインのアクセス道路になるため、真冬は雪がなかなか解けず、凍結したりアイスバーン、ミラーバーンになって止まらない。追突事故も多い。ここを西から東の旧4号線に抜ける400mほどの直進道路を走行する際には時速30キロを厳守し、飛び出してくる車、歩行者、自転車には十分な注意とブレーキ操作の事前準備が必要だ。 

Minamitohoku

 5 長者町芳山小学校の北西側交差点

 ここは毎回注意する場所。私の母校である「芳山小」と「安積黎明高校」の間を縫うように通る狭い一方通行路。その交差点がとにかく死角が多く見づらい。昔釣り堀があった場所で、今でも南西側に同級生の写真館がある十字路。南北道路が優先で、一時停止は「二中」から「芳山小」の北側を通行する側にある。しかし、それを知らないドライバーは桃見台方面から南北に連なる側にも一時停止があるものと思い、右側から車が来ているのに、一時停止した直後に、交差点に突入して来る。そこで側面衝突が起きるのだ。

Cyojiya  

 6 旧星総合病院西側の旧4号線の交差点

 ここは清水台方面から坂を下って来て4号線を横断する車が危険。ここの青信号が極端に短い。にもかかわら交通量があって、赤信号待ちが長いために結構な車列ができる。毎回7~8台。しかし、青信号に変わっても10秒程度ですぐに黄色→赤に変わってしまうために、もたついている車がいれば3~4台しか通過できない。信号無視して無理やり渡ろうとする輩もいて、事故る確率が高くなる危険交差点だ。どうしてこんなに短いのか逆に疑問だが、ここは駅方面から来た車が夕方などは渋滞するため、できるだけ右折する側の信号を長く取っているように思える。

Omachi

 この地図で指摘した交差点よりひとつ北側の「うねめ通り」に折れる赤木交差点で、つい数日前にひき逃げ事件が発生した。逃げた運転手はその後逮捕されたが、この界隈は交通量がおおいせいか事故多発地帯となっている。駅東側の星総合病院の南向かいにあったパチンコ「niraku」が閉店し、この大町(赤木)交差点の南東の角(旧パチンコガイア)に移転したため、パチンコ客の車が入出庫するため、車の流れがだいぶ変わったので、注意が必要になった。

 さて、本日は「さくら通り」から北側を中心に特に危険だと思える交差点を列挙した。今すぐ改良してほしいと願う。死亡事故が発生する前に。

 本日指摘した交差点はほんの一握りで、挙げたらキリがない。危険個所は先回りしても排除するのが行政や警察の仕事。重大事故が起きる前にその芽は摘み取って欲しいと願う。
 特に、小学生の通学路になっている場所で、規制速度を遥かに超えたスピードで飛ばす輩がなんと多いことか。いわき市出身のタレントの武田玲奈が「秋の交通安全運動」を前に、横断歩道に人がいる場合、停車して道を譲らないと道路交通法違反で処罰される内容のCMに出演し、交通法規遵守を訴えている。知らなかった人が多いかもしれないが、これはれっきとした違反なのだ。

「横断歩行者妨害等違反」

 横断歩道は歩行者優先で、停止を怠ると違反点数は2点(酒気帯びの場合は14点/25点)で反則金は普通車の場合は9,000円

 では、歩行者が横断歩道を渡ろうとしているのに停車しないで通過したために白バイに検挙された動画をどうぞ!

 悪質だったり、横断歩道を横断中の歩行者を撥ねたりする事故を起こした場合、3か月以下の懲役または5万円以下の罰金という、通常より重い罰則なのだ。反則金で済まず、赤切符で一発免停。しかも前科がつく事態となることを肝に銘じて歩行者の動向に注視して貰いたい。

Hokouyabougai

 警察も本気です!この秋は「歩行者横断妨害」を徹底的に取り締まる方針です。4年前に比べ、検挙数は倍以上です。

Keisatutoukei

 歩行者が横断歩道で横断待ちをしている時、福島県の車の停止率は極めて低く、全国が17.1%なのに、福島県は8.7%足らずと止まる率は半分程度だ。全国38位でワースト9位。確かに思い当たる節は有る。どちらが優先なのか理解していないドライバーがなんと多いことか。ちなみに1位の長野県は60%以上が停車して道を譲ってくれる。この差はどこから生まれ、何を意味するのか?心にゆとりや余裕がある証拠だ。

 私は毎朝、駅近くの立体Pに駐車し、仕事場のオフィスビルに行くのに道路を横断するが、歩行者を見つけると、減速するどころか「どけどけ」と言わんばかりに逆にアクセルを踏み込んで歩行者を蹴散らそうとスピードアップして突っ込んでくるドライバーがいる。今度、スマホで動画撮影して「YouTube」に上げてやろうかと思えるほど、酷い輩がいる。郡山市民の法規範遵守の意識も地に落ちたものだ。

 以前、奥羽大学の横断歩道で、歩行者が待っていたので止まったのだが、歩行者が横断を始めているのに、対向車が突っ込んで来て、危うく横断中のおばあさんを撥ね飛ばすところだった。
 また、別の日は、同じく一時停止して歩行者に道を譲ったら、後続の車がイエローラインを逆走し、私の車を追い越しにかかり、横断中の母娘とぶつかりそうになったこともあった。無知がゆえに、歩行者よりも図体がでかい車が優先だと勘違いしている輩がいかに多いことか。事故ってから後悔しても遅い。人を死に至らしめたら、一生「償い」という重い十字架を背負うことになり、平穏な生活は奪いとられることを十分認識すべきだと思う。

 特に、重点的に取り締まりをやって欲しいのが、病院や小中学校の前の横断歩道だ。

 ① 奥羽大学前の横断歩道
 ② 太田西ノ内病院の間の横断歩道
 ③ 総合南東北病院北側の横断歩道(二箇所あり)
 ④ 行健小学校前の横断歩道
 ⑤ 神明通り、咲田のコンビニ前の横断歩道
 ⑥ 若葉町咲田橋の横断歩道 

 たぶん1時間で5~6台は検挙されると思う。特に小中学生の登校時間に合わせて取り締まれば一網打尽だ。歩行者横断妨害は立派な違反であることを知らしめるいい機会だと思う。9月21日からの「秋の交通安全運動」でぜひ実施してほしい。


 ちなみに私は動画サイトで、時々、交通死亡事故の映像やドライブレコーダーの事故映像を見て戒めにしているし、またどういうケースで事故が起きるのか、日々勉強している。幸い、私は学生時代に自動二輪(バイク)を運転していたため、普通のドライバーよりも命を守るとっさの判断力が備わっていると自負しているし、交通ルールにも注意を払っている。運転中はいかなるケースをも想定し、それに対応できる準備と心構えをとっている。見通しの悪い十字路や丁字路を走行する際は、たとえ優先道路だったとしても通過する際にアクセルペダルから足を離し、ブレーキペダルの上に右足を置き換え、いつ車や人が飛び出しても即座にブレーキを踏めるよう準備している。

 また、停車中のバスの右側を通過する際には、バスの右先端部の下に目を配り、人影が無いか見極めながら通行している。また、当然ながら、交差点を左折する際には、巻き込み確認を欠かさないし、すれ違う車の状況でこの先の道路状況を知る手立てにしている。例えば、対向車がワイパーをつけたままだと、進行方向先は天気が崩れるとか、対向車線側の道路が濡れて来たらこの先は雨とか、そういう具合だ。常に先読みする姿勢が事故を未然に回避する対策になることを是非、知った上で実践して欲しい。

 「注意一秒ケガ一生」なる交通標語がかつて存在したが、ちょっとした油断が加害者にも被害者にもなり得る。取り返しのつかない事故を起こす前に、もう一度自分の運転マナーなどを見直す契機にしてほしい。

2020年9月17日 (木)

プレバトに見る奇才あふれるB型

 はじめに私自身はB型ではないことをお断りしておきます。旧ブログの頃から、これまで血液型に関する記事を幾度も掲載しては、賛否両論のコメントをいただいた。それにも懲りず、今回なおこの企画を持ち出したのは、日本人の約2割しかいないこの型が、芸や才能に溢れ、時には天然ぶりを発揮し、この世に君臨している事実をどう抗っても否定しようがないとの結論に至ったからだ。

 私は幼少の頃から、常に自分の周囲はB型ばかりであった。小学校、中学校、高校、大学と、気づけば友達は皆、B型という事実。私の元々の家族はO型とA型しかいないが、妻の家族はB型だらけ。しかも職場の同僚もなぜかB型がやたら多い。

 O型ははっきり言って、人を見てころころ態度を変える。付き合う基準が、こいつは自分にとってプラスになる(役立つ)かどうかで判断し、人の才能や性格を見切る性質があってあまり好きではなかった。年上と年下で態度を変え、つまりは八方美人で風見鶏だ。年下や力がないと見れば、上から目線で横柄な態度で接するし、A型は、神経質でプライドが異常に高く、人を見かけや出身校で上か下に見る傾向があって、頭が堅く、近づき難い雰囲気でイマイチ好きになれず、AB型は理屈っぽい物の考え方や頭でっかちの合理主義で、ケチな性質が見え見えなのでどうも親友と呼ぶには遠い存在だった。

 だから人を平等に扱い、神出鬼没で多少あまのじゃくだが、自由奔放、他人に干渉することもないし、裏表がなくて嘘もつかないB型に寄り添ってばかりいた。

 私が暮らす福島県のB型の割合は23.3%。特に郡山市は、比較的B型が多い土地柄で、その比率は24.6%にも上る。だから4人にひとりがB型なのだ。B型は東北地方に圧倒的に多いが、宮城県が25%、次いで長野県が24.7%だ。逆に少ないのが北海道で、18.9%しかいない。ここはA型とO型だらけで、この2つの型だけで72%にも上る。

 参考資料:「図録 都道府県別の血液型分布

 どうして私がB型を評価するかというと、芸能人やアスリートはB型が大成するし、プレッシャーを楽しみに変え、国際舞台で活躍する特異な素質に満ちているからだ。

 人と同じ考え方を嫌い、マイペースの独自路線を貫き、発想がユニーク。唯一無二を目指し、人の模倣を何より嫌う性質。幼少期は人並み外れた変わり者という烙印を押された方も多いだろうが、男性の場合は、細身体型で二枚目で、女性にもてるし、何より話題が豊富。話していて飽きない。趣味も多彩で凝り性。独自の価値観でコレクションを持つし、バイクや車など特異な分野で異常なまでに固執する。

 そうした才能が垣間見えるテレビ番組がある。それは毎週木曜の19時からTBS系列で放送している「プレバト」だ。俳句では、名人や特待生になる人は大多数がB型というのをご存知だろうか?普通の人にはない発想で毎回夏井先生の評価が高い。通り一辺倒の句を詠んでいては目立たないし、新しい感性や概念が求められる。

Purebato1

 事実、「プレバト」の俳句の査定ランキングで、常に才能アリで高評価、あるいは名人級の方を列挙すると・・・

 1 梅沢富美男 ミスタープレバト 唯我独尊
 2 東国原英夫 特番のタイトル戦4勝
 3 フルーツポンチ村上 特番のタイトル戦2勝
 4 皆藤愛子 才能アリ多数獲得
 5 相田翔子 才能アリ多数獲得
 6 杉山愛(歴代得点ランキング第1位 未だに88点の記録は梅沢でも破れていない)
 7 又吉直樹(歴代得点ランキング第2位)

 上に挙げた7人全員がB型だ。

 ちなみに藤本敏史(フジモン)と、本田圭佑のような風貌だと感じていたキスマイの千賀は、案の定、本田と同じAB型、横尾渉と中田喜子はA型、千原ジュニアと立川志らくはO型。

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 私は常にこの番組を見て、俳句の世界はユニークな発想とオリジナル性が高評価を得ることから、どこにでもあるようなオーソドックスな発想では太刀打ちできないと思っていた。A型は型にはまりやすく、平凡でマンネリな生活に陥りがちで、奇抜な発想は苦手だし不得手。やはり自由奔放で唯我独尊、唯一無二の存在を目指すB型の敵ではない。やはり世間ずれしていて、天才肌のB型には及ばない。

 しかし、水彩画の分野ではOかAが上位を占めている。

 1 アンミカ   名人3段  O型
 2 ナイツ土屋  名人2段 AB型
 3 しずちゃん  名人初段 A型
 3 光宗 薫     名人初段 O型
 3 六平直政     名人初段 B型
 6 辻元 舞   特待生1級 O型
 6 鈴木砂羽   特待生1級 A型
 8 くっきー   特待生2級 A型 
 8 田中道子   特待生2級 O型 
 8 土屋アンナ  特待生2級  A型
 8 馬場典子   特待生2級 O型  
  12   千賀健永   特待生3級 AB型  
  12   渋谷飛鳥   特待生3級 O型

 ちなみに白石糸はB型で小倉久寛はA型

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 芸能人はやはり、多彩な才能を持っていると感心してしまう。例えば、他にも絵が上手いと言えば、古くは石坂浩二、八代亜紀、五月みどりがそうだし、工藤静香、大野智なども独特な才能に溢れている。天は二物も三物も与えてしまうようだ。石坂はO型、五月と大野はA型。八代と工藤はB型。

 他にも若くて才能を発揮するのもこの型で、例えば小藪千豊は、よしもと新喜劇に入座後、僅か4年で座長に就任。ドラムの腕はプロ級という天才的な才能に溢れている。

 松平健も20代の若さで、テレビドラマシリーズ「暴れん坊将軍」の主役に抜擢。もちろんB型。

 他にも、浅田真央、福原愛、田村亮子、イチローなどは、年齢不相応の早熟の天才ぶりをいかんなく発揮した。

 少しB型のことを良く書きすぎたが、他人の真似事を嫌い、我が道を行くタイプだからこそ、世界で活躍できるし、結果も残せるのだ。その分野の第一人者になるし、その道のプロでその世界の顔になり得る。

 最後に、私が思う典型的なB型を列記して結びとしたい。なお、既に名前を挙げた方は除く。

 芸能人

 矢沢永吉、尾崎豊、布袋寅泰、YOSHIKI、天童よしみ

 高倉健、天知茂、二谷英明、宍戸錠、渡哲也、渥美清、西村晃、緒形拳、小林桂樹、西田敏行、松尾和子、酒井和歌子、叶和貴子、夏目雅子、綾瀬はるか

 アスリート 

 野茂英雄、大谷翔平、長嶋茂雄、稲尾和久、金田正一、野村克也、掛布雅之、山本浩二、門田博光、古田敦也、中野浩一、山口香

 北島康介、萩野公介、野村忠宏、羽生結弦、宇野昌磨、伊藤みどり、ジャンボ尾崎、青木功、岡本綾子、宮里藍、丸山茂樹、片山晋呉、松山英樹、舞の海、中嶋悟

 個性が強烈で、記録にも記憶にも残る方たちばかりだ。

 

 

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