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2021年2月24日 (水)

天使の歌声を忘れない

 皆さんは「天使の歌声」と聞いて誰を思い浮かべますか?私はひとりの少女しか脳裏に浮かばない。
   彼女は1970年代から80年代にかけて、新人歌手を発掘する公開オーディション番組で、視聴率がすこぶる高かった「スター誕生」(日本テレビ系列で萩本欽一らが司会を務めていた)に出演し、その愛くるしいベビーフェイスに似合わず、歌唱力があって、誰もがひと目見ただけで「この娘は絶対スターになる」と思ったに違いない。彼女を補足すると、小麦色の健康的な小顔に加え、細身のスタイル、デビュー後はパワフルな踊りとへそ出しルックで注目を集め、ベストテン番組にもその楽曲がランキングされるほどの人気を博したアイドルだった。

 もうおわかりでしょう。彼女の名前は「本田美奈子」さんです。みなさんは彼女のことを覚えていますか?今から16年前に38歳という若さで天に召された彼女は、正真正銘の夜空に瞬く「スター」になったのでした。

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 彼女は本名が「工藤美奈子」さんと言い、どうして芸名に、どこにでもいそうな本田という姓を付けたのか疑問だった。血液型はファッション性に優れ、声質が透き通り、バイタリティに溢れるO型で、誰にも好かれるような可愛らしい容姿だったが、それに似合わず、ダンスや歌はパワフルそのものだった。
 では、彼女のディスコグラフィティーを振り返りたい。

  1. 殺意のバカンス(1985年4月20日)
  2. 好きと言いなさい (1985年7月20日)
  3. 青い週末 (1985年8月31日)
  4. Temptation(誘惑) (1985年9月28日)
  5. 1986年のマリリン (1986年2月5日)

  6.Sosotte (1986年5月1日)
  7.  HELP (1986年7月23日)
    8.  the Cross -愛の十字架- (1986年9月3日)
    9.  Oneway Generation (1987年2月4日)

  10. CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS (1987年4月22日)
  11. HEART BREAK (1987年6月22日)
  12. 孤独なハリケーン (1987年9月9日)
  13. 悲しみSWING (1987年11月25日)
  14. あなたと、熱帯 (1988年7月6日)
  15. Stand Up〜Full Metal Armor (1988年11月30日)
  16. 勝手にさせて (1989年5月31日)
  17. 7th Bird "愛に恋" (1989年10月11日)
  18. SHANGRI-LA (1990年7月4日)
  19. つばさ (1994年5月25日)オッペン化粧品CMソング(CMにも出演)。
  20. ら・ら・ば・い〜優しく抱かせて (1995年5月10日)日本テレビ系列アニメ『魔法騎士レイアース』EDテーマ。
  21. 僕の部屋で暮らそう (1995年7月26日)TBS系『TICOS』主題歌。
  22. Fall In Love With You -恋に落ちて- (1995年11月6日)TBS系『ウェディングベル』EDテーマ。
  23. shining eyes (1996年7月21日)
  24. 風のうた (1999年11月21日)フジテレビ系アニメ『HUNTER×HUNTER』第1期EDテーマ。
  25. Honey (2000年10月21日)デビュー15周年記念。3曲目で尾崎豊の「I LOVE YOU」をカヴァー。
  26. 星空 (2001年1月24日)本田美奈子/影山ヒロノブ/櫻井智・横山智佐名義。PS2ソフト『DOG OF BAY』主題歌。
  27. ナージャ!! (2003年2月21日)朝日放送・テレビ朝日系アニメ『明日のナージャ』主題歌。
  28. 新世界 (2004年5月14日)生涯最後のシングルとなった。

 やはり彼女の曲で印象が強いのはへそ出しが話題となった「1986年のマリリン」や「Temptation」、そして「OneWay Generation」だ。

  しかし、彼女の持ち前の頑張り屋で負けず嫌いな性格はこれで終わりではなかった。歌唱力に優れた彼女は、いろいろなジャンルに挑戦した。特に、私が心に突き刺さった彼女の歌唱力を存分に発揮されたのが、日米野球が開催された時、球場での「星条旗よ永遠なれ」と「君が代」の熱唱だった。

   彼女の歌声をテレビ中継のライブで聴いていて鳥肌が立ち、震えが止まらなかったのを覚えている。

 次に、才能に長けていた彼女がどんな活動をしたか列挙したい。彼女の系譜は以下のようなものだった。

 ① アイドル歌手
 ② 洋楽の影響で外国の楽曲を取り入れる
 ③ ロックバンドとのコラボ
 ④ ミュージカル女優への転身
 ⑤ 声楽への進出
 ⑥ ジャズへの傾倒 

 歌が大好きで歌に捧げた人生だったと言える。こんなに幅広いジャンルを手がけた女性歌手はいなかったのではないか?ある意味、才能の塊だったし、「歌を歌うために神に選ばれてこの世に生まれて来た」と言えるでしょう。多くのファンに感動を与え続けた彼女は、運命のいたずらで、やがてそれと引き換えに病魔に侵されることになる。急性骨髄性白血病だった。しかもそれは、歌手生命をかけて挑んだミュージカルの主役が決まった矢先の発病だった。闘病生活は過酷なものだった。抗がん剤で髪の毛が抜け落ち、激痛との闘いを強いられた。

 本田の療養中に発売されたミニアルバム『アメイジング・グレイス』のライナーノートには手書きのメッセージを寄せ、次のように述べていた。
 私は今まで、歌と一緒に歩んできました。…私の歌が皆さんに、歌の素晴らしさを伝えることができるよう... 1人でも多くの方の心が豊かになれるよう... という願いを込めて これからも、歌い続けたいと思います。

 白血病による入院中もストレッチや発声練習を行うなど、復帰への意欲を強く持ち続けていた彼女。そして、38歳の誕生日の前日に一時退院を許された際、世話になった医師や看護師のためにナースステーションで「アメイジング・グレイス」を歌った。この歌唱に涙ぐんで聴き入る看護師の姿をとらえた写真は『天使になった歌姫・本田美奈子.』や『本田美奈子. 最期のボイスレター』で紹介された。
 では、彼女の訃報を受けて放送された追悼番組のひとコマをご覧ください。


ナースステーションで彼女が歌った感動の「アメイジング・グレイス」は54分30秒からです。

 再入院後のある日、見舞いに来た知人がたまたま誕生日だったので居合わせた一同で「ハッピーバースデートゥーユー」を歌った。これが本田の歌った最後の歌となった。看護師や医師たちに感謝の気持ちから、体力も残っていなかった彼女が精いっぱい歌っている様子には、涙が止まらない。

 2004年(平成16年)末頃から風邪に似た症状や微熱が続いた。そんな中11月には地元・朝霞市でのコンサートや、12月23日には新宿文化センター大ホールでのクリスマスコンサート、暮れには結果的に生前最後のTV出演歌唱となった翌2005年1月30日テレビ朝日系放送の「題名のない音楽会21」の収録に臨んだ。 翌2005年(平成17年)1月12日急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院し、翌日にはその事実が公表された。 その後、2度に渡る化学療法を受けるも、寛解は得られなかった急性骨髄性白血病の中でも極めてまれな予後不良の治療抵抗性の白血病であったという。治療として骨髄移植が考慮されたものの、骨髄バンクドナーが見つかるまでの猶予すらない病状であったことから、同年5月臍帯血移植を受けた。同7月末には一時退院したが病気の再発が認められ、同年9月8日に再入院し、輸入新薬による抗癌剤治療を受けた。翌月には再度一時退院、その間には白血病患者支援のためのNPO法人『Live for Life』が設立されたが、同月末には再入院となった。その後への合併症から容態が急変し、同年11月6日午前4時38分、東京都文京区順天堂大学医学部附属順天堂医院で家族に看取られながら息を引き取った。38歳だった。

 追悼番組で彼女の同期や同じ時代にデビューした歌手たちが彼女の人柄を偲び、彼女を惜しんで号泣する姿が映し出された。

 歌を愛し、歌に愛され、本当の天使になった歌姫、本田美奈子さん、彼女の歌声とその歌手として人生を全うした生き方を決して忘れないでいたいと思う。

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