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2021年2月26日 (金)

年末大型時代劇よ永遠なれ~第二夜~

 昨日からお送りしている、1980年代から90年代にかけて日本テレビ系列で12月30日の晦日と31日の大晦日の二夜に渡って放送していた特別番組が「年末大型時代劇」だった。毎年ほぼ同じ俳優や女優が出演し、そのそうそうたるキャスティングは二度と実現不可能なくらいで、そのスケール感は半端なかった。今日は第二夜として、私が一番愛してやまず、今でも大事にDVDを所有している「白虎隊」をお送りしたい。 

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 前編「京都動乱」

 文久2年(1862年)会津藩主松平容保が西郷頼母の猛反対を押し切って京都守護職を拝命し、孝明帝から信頼を得て京都での活躍、「新選組」の結成、慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでの形勢逆転の大敗北。徳川幕府の裏切りによる会津帰国を経て、白虎隊の誕生までを描く。

 後編「落城の賦」

 慶応4年の戊辰戦争の中、恭順姿勢も空しく朝敵の汚名を背負い会津戦争へ突入。白虎隊切腹、娘子軍の戦死、藩士家族の集団自刃、そして鶴ヶ城開城。井上丘隅ら生き残った藩士は斗南藩へ移封(という名の一藩流罪)となり、新しい時代へと歩んでいく。

 ではまず、「白虎隊」のハイライト動画をご覧ください。

 主題歌を歌う堀内孝雄の「愛しき日々」のイントロ部分を聞いただけで胸がジーンとする。長年、私のカラオケの十八番になっているのだが、曲が流れると目頭が熱くなるし、劇中の様々な名場面が甦って来る。

 次に、前回同様、「白虎隊」の中で、私が印象に強く残っている名シーンを5つ挙げたい。

 第1位   西郷一族の集団自決

 敗色濃厚になった会津藩。頼みの援軍は来ず、孤立無援となり、西軍の容赦ない攻撃の前にたじろぐ。そんな中、筆頭国家老の西郷頼母の妻・千恵子(野川由美子)は一族全員で白装束を身にまとい、娘や幼い子らを道連れに集団自決を決行した。死に切れずにもがいている頼母の長女・細布子(伊藤つかさ)が、火の海とかした屋敷にやって来た西軍の中島に、「お味方ならどうぞ介錯を」と頼み、絶命するシーンは涙、涙。

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 第2位 中野竹子が殉死するシーン

 薙刀の名士で女傑だった中野竹子。捕らえられて敵に辱めを受けるくらいなら戦死をすることを選び、薙刀隊として戦に参加。奮戦したが、
敵兵の鉄砲にあたり、体を回転させながらもんどりうって地面に転げ落ちる。その瞬間に流れる「愛しき日々」のBGMが涙を誘った。そして死に切れず悶絶する竹子が「介錯」を願い出て、実の母によってトドメを刺すシーンは涙無くしては見られなかった。

 第3位 飯盛山で白虎隊が自刃するシーン

 戸の口原の戦いで傷つき、城に戻る途中、飯盛山の中腹から城下を眺めた白虎隊士の目に飛び込んできたのは。若松城(鶴ヶ城)が炎に包まれている衝撃的な光景だった。会津が負けたと悟った隊士たちは、我先にと切腹や同士討ちで命を絶って行った。
 しかし、彼らが見た光景は、城下町の武家屋敷の黒煙であって、この時、まだ城は敵軍に落ちてはいなかった。皮肉にも、唯一生き残った飯沼定吉によって、この一連の白虎隊士たちの行動が伝えられ、後世にまで語り継がれることとなった。

 第4位 神保修理の切腹シーン

  軍事奉行だった神保修理が、会津藩が賊軍の汚名を着せられた責任を一手に背負って自刃する場面。義父の井上丘隅、妻・雪子に別れを告げ、「誰も恨むな」と言い残し、切腹を果たした。実父の神保内蔵助(丹波哲郎)が、自刃の瞬間、涙を流しながら「修理、許せ」と感極まっていたのが脳裏に焼き付いて離れない。

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 第5位 容保が御宸翰を頼母に託すシーン

 藩主松平容保に、「会津藩の汚名をそそいでくれ」と御宸翰を託された国家老の西郷頼母が、「殿は私に武士としての本分を与えてくれず、またしても生き恥を晒せと仰せじか」というシーン。武士の本懐を遂げることを許されず、生き残った息子と汚名を晴らすために、城を出て、野に下るシーン。

 第6位 井上丘隅の二女・雪子(池上季実子)が自害するシーン

 会津の女性は最期まで他人にふしだらな姿を見せない、その潔い覚悟は女性の鑑であることを思わせてくれるシーン。河原で敵兵に捕らえられた際、逃げることを勧められても、「亡き主人の元に参りたい」と腰に着けた短刀を拝借したいと申し出て、そして両太ももを着物の上から堅く縛り、そして自害して果てるシーン。

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 会津は城下町。そして武士としての心構えが備わり、いざとなったら、見苦しい真似はせず、武士は武士らしく、潔く腹を切るというのが教えの中に息づいていた。卑怯な真似を嫌い、「ならぬものはならぬものです」を実行していた。そんな会津藩の魂を私は誇りに思うし、会津を愛してやまない理由のひとつだ。

 何を隠そう、私には脈々と会津人の血が流れている。祖父は生粋の厳しい明治人で、磐梯山の麓にある磐梯町出身で、旧制会津中学校卒。祖母はその隣町の河東町出身だった。小さい頃から私は剣道を叩きこまれた。祖父は6段、父親は4段の段持ちだったのだ。私も小学生の頃は敵なしで、出場した大会はすべて優勝するほど、鍛え抜かれていた。

 本題に戻すが、そうした経歴や境遇もあって、私は会津が舞台の「白虎隊」や江戸幕府として最後の砦となった会津藩が死闘を演じた「戊辰戦争」にはただならぬ思い入れがあった。その生死を越えた闘いを強いられ、郷里の家族を思い戦場に散った若き命、潔く自決して行った会津人の魂を決して無駄にしてはならないと思うのである

 旧ブログ「今は亡き白虎隊の出演者達」はコチラ をご覧ください。

 

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