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2021年2月 3日 (水)

1970年代に開成山で行われた出来事

 郡山市民のオアシスである開成山公園は、春は桜の名所であり、多くの市民の憩いの場でもある。市外の方が訪れた際には、市街地のど真ん中に、これほど巨大な公園は見たことがないし、羨ましいとさえ思うだろう。東京の「駒沢オリンピック公園」や「砧公園」並みに大きいと言って過言ではない。その広さ、実に30ヘクタールもある。
 そんな開成山公園は、陸上競技場や両翼100m、中堅は116mの開成山球場、さらにはかつては屋外プール(50m・25m・幼児用)を備えたスポーツのメッカでもあった。現在は室内水泳場に改築されている。
 では、私が小学生時代を過ごした昭和40年代から50年代にかけて、この開成山で行われた様々なイベントを回顧してみたい。

 1 1971年秋 開成山球場で巨人対ボルチモア・オリオールズ戦が開催

 2 1974年7~8月 こども祭り

 3 1974年8月4日~5日、8~10日 ワンステップフェスティバル
 
 4 1974年秋 開成山球場で巨人対ニューヨーク・メッツ戦が開催

 5 1976年頃 巨人戦の公式戦(対ヤクルト?)王・張本・土井・中畑らが出場

 まさにイベント尽くしだった。昭和39年、東京オリンピックが開かれた記念すべき年に、我が郡山が新産業都市に指定されて以降、驚くべき発展を遂げたその勢いそのままに、イベントも数多く実施されたのだった。今は音楽都市としての位置づけが著しいが、当時はスポーツにも力を入れていたようだ。開成山ではないが、総合体育館や今は無き「セントラルホール」で、当時、隆盛を極めていたプロレスも何度も来たし、ボクシングの世界戦も実施された。また、大相撲の地方巡業も何度も来た。

 では、上記の5つのイベントについて旧ブログの「昔話⑦~開成山の思い出~」とかぶるが、順追って解説やら雑感めいたことを加えたい。

 1 オリオールズ戦

 現代においても、今から50年も前に、メジャーリーグの球団が日本で親善試合をするのも凄いことなのに、まさか地方の一都市である郡山の小さな球場で巨人軍と対戦したとは俄かには信じられないだろう。ボルチモア・オリオールズはこの年までリーグ3連覇を達成した強豪チームだった。
 何を隠そう、私の亡き祖父は、郡山市の体育関係の重要な役職に就いていたことで、両軍への花束贈呈の際、孫娘である私の実姉が駆り出され、直接、監督に渡したのだった。おそらく躍進著しい郡山市でぜひ対戦カードを組んでほしいとの要望をNPBが汲んでくれたのだろう。

 2 こども祭り 

 小学生高学年の頃(1974年7月~8月)に、大規模な「こども祭り」(イベント)がここで開かれた。開成山公園をメーン会場に、大人も遊べる多彩な催しが盛りだくさんだった。五十鈴湖にラジコンの船(軍艦)を浮かべて競争したり、イベントにはつきもののトランポリンみたいに弾んで遊べるゴム製のハウスや一番人気はやはりバラ園の西側辺りに築かれたジェットーコースターだった。この施設は、距離が短いながらも、郡山には当時なかったもので、山のハリボテを滝が流れ落ちていて、コースターが潜る際にだけ、一時的にそれがストップするのだ。また、この頃流行っていたホッピング大会とかもあっていろいろ楽しめた。
 そして、さくら通りを挟んだ「Kaiseizan3」桑野一丁目界隈の空き地が第2会場となっていて、そこから何と陸上自衛隊のヘリコプターが発着し、有料ながら郡山市内を空から探索できるアトラクションまで備えられていた。恐らくそこは自衛隊の専用コーナーだったと思う。覚えているのは、健康チェックできる保健コーナーが設けられ、そこで生まれて初めて肺活量を測定したと思う。未だにその時の数値が2900ccだったことを鮮明に覚えている。
 そしてまた、これらのイベントの期間、PRを兼ねて郡山市内の上空を巨大な飛行船が何度も旋回していた。確かシルバーで大きな目が描かれてあった。そして失敗談になるが、よせばいいのに当時仲の良かった悪ガキ3人組で、誰が言い出しっぺなのかは今となっては確かめようがないが、カラオケ大会に出ようということになって、勢いで申し込んでしまった。その特設ステージで、いざ公衆の面前立ったら足がすくみ、声にならないか細い声で歌った気がする。その時の歌がまた、海援隊(武田鉄矢ボーカル)の「母に捧げるバラード」だった。思わぬ赤っ恥をかくこととなってしまった。

 3 ワンステップフェスティバル

 こども祭りと同時開催で、開成山公園がかつて日本中のロック・ファンの間で有名になったイベントがあった。それは、「ワンステップ・フェスティバル」という名前の、名だたるロックアーティストを一堂に会しての音楽イベントだった。7月31日から8月10日までの11日間に渡って開催され、そのうちロック・コンサートは8月4・5日、8~10日の5日間行われた。
 地元でミニコミ誌を主宰する佐藤三郎氏が実行委員長を務め、「街に緑を、若者に広場を、そして大きな夢を」というテーマを掲げ、地元地域に根ざした形で発案されたものだった。フェスティバルのスローガンは「市制50周年記念・新しい未来への祭り・・・緑と広場そして大きな夢」というものだった。
 そして、ロック・コンサートはその一環として行われ、大盛況だったようだ。沢田研二、矢沢永吉率いるキャロル、ダウンタウンブギウギバンド、かまやつひろし、サディスティック・ミカ・バンド、あのオノ・ヨーコなども出演したのだった。

 この日本のロック史に刻まれた伝説のイベントは、過去、旧ブログと当ブログで何度も特集して記事にしましたので、興味のある方はそちらをご覧ください。

One-step2

「伝説の郡山ワンステップフェスティバル in 1974」の記事はコチラ

 4 巨人対ニューヨークメッツ戦 

 記載の通り、1974年はいろいろなことがあった年と言える。私は当時小学4年生で10歳。巨人命の野球少年だった。だから開成山に巨人が来ると言えば、親が学校まで迎えに来て、先生に断って私を連れだしたものだった。その年の秋は、オリオールズに続き、なんと強豪だったメッツまでもが来日し、東京や地方都市を巡りながら10試合以上、ゲームを行った。全日本対メッツ、巨人対メッツ、2チームの合同チーム対メッツというようなカードが組まれていたが、この年のメッツはすこぶる弱くて、日本のチームにやっとこさ勝ち越したことを覚えている。川上監督が「今年のメッツは眠っている」とマスコミに語ったほどだった。
 この年に現役を引退した長嶋茂雄が1試合を除いて全試合に出場し、27打数12安打、打率.444と活躍し現役の最後を飾った。またアトランタ・ブレーブスハンク・アーロンも来日し、王貞治とホームラン競争を行った。

 5 その他の巨人公式戦

 その後も、巨人のホームゲーム主催として開成山で何度かゲームが行われた。今は福島のあづま球場や湯本のいわきグリーンスタジアムが整備され、プロ野球の一軍の公式戦をすべて持っていかれたが、当時は郡山が主戦場だった。

 私が覚えているのは、長嶋監督が就任した2年目で、王・張本のOH砲に加え、若手として売り出し中だった地元出身の中畑清選手らが出場した。ここでも我が祖父のコネを利用して、サインや記念写真を撮影し、大きく引き伸ばししては友人たちに自慢したものだ。その時はヤクルト戦だった気がする。巨人の圧勝だった。土井選手も現役で活躍していた時代で、生で試合を観戦した。

 また、二軍戦でも庄司智久選手が3打席連続ホームランを打った時もスタンドで見ていた。

Img_3810

 開成山公園で行われたイベントは、郡山の勢いを映す鏡のような意味合いがあった。平成に入ってからはイベントはめっきり減ったが、B-1グランプリなどが開催されたり、毎年行われ、定例となったラーメン祭りやビール祭りがメイン行事となった。
 

 以上のように、開成山の思い出は尽きない。高さ東洋一と言われた噴水はなりを潜めたが、映画「春色のスープ」にも登場した野外音楽堂が整備されたり、昭和40年代からSLが鎮座するお馴染みの風景は変わらない。郡山ゆかりの作家の句碑や歌碑があったり、安積疎水をモチーフにしたモニュメントも設置されている。20世紀の開拓記念モニュメントも設置されている。

 また、映画「時をかける少女」のエンディングで登場した「桜並木」もここで撮影されたのだった。ほかに、ここのシンボルは五十鈴湖に架かる朱塗りの「五十鈴橋」が湖面によく映える光景だ。

Img_3811

 開成山のことを語ればキリがないので、この辺で結びとしたいが、市外や県外の方は、一度でもよいから、この公園を訪れてほしい。きっと驚くに違いない。

 旧ブログ「時遊人SUZUのひとり言」の「昔話⑦~開成山の思い出~」の記事はコチラ

   

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コメント

SUZUさん、地震の影響はなかったでしょうか?
私にも大勢の親戚が郡山なので心配でした。

さて、開成山の話しですが「こども祭り」何回も行きました。ジェットコースターも書いてある通りのコースでしたね。ハリボテの山とか憶えています。
王・張本のいた巨人戦は確か見に行きました。学校終わってから即行で行きました。一塁側で見た記憶があります。

開成山公園では結構悪さもした記憶があります。
・爆竹遊び。(まぁ昔は普通に遊んでましたかね~)
・凍った五十鈴池の淵で遊んだり。(でも、真ん中まで行く度胸はなかった)今じゃ全凍結することなんてないのかな?
・真冬の閉鎖中の開成山球場に忍びこんでグランド内で雪ダルマ作りしたり(昔はスコアボード裏側の鉄製の門を乗り越えれば簡単には入れた)スコアボード内にも簡単には入れたので勝手にスコア板を取り付けたり

あとは記憶が定かじゃないが、開成山公園で大竹しのぶに遭遇して話したり握手したりしたらしい。(一緒にいた友達は良く憶えている)今考えると1979年の「あゝ野麦峠」という映画のロケ地として御霊櫃峠が使われたが、その折に大竹しのぶが開成山公園を散歩していたのでは?と思う。

 あこがれさん、こんにちは。貴重な情報ありがとうございます。特に、開成山公園にあった特設「ジェットコースター」の話題を共有できてうれしいです。ハリボテの山から水が落ちていて、コースターが通過する時だけ滝が停止したり・・・。
 開成山公園の五十鈴湖は、今は地球温暖化でたぶん凍り付くことはないと思います。昔は普通に凍っていました。富久山の善宝池ですら真冬には凍って、そこでスケートをしていた子供を見かけましたよ。
 それと御霊櫃峠があの名作「あゝ野麦峠」の山々のロケ地だったとは初耳です。中学生の頃、体育館で全校生徒で見た覚えがあります。(SUZU)

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