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2021年1月 7日 (木)

衝撃的な芸能界の出来事

 テレビのファンになって半世紀以上が経つ。バラエティやドラマなどでそこに登場するタレントや芸能人は社会への影響力が大きく、一挙手一投足が注目を浴びる存在だ。

 半世紀に渡ってつぶさに芸能界を眺めて来た私が、俗に言う芸能ニュースで衝撃を受けたニュースを取り上げたい。特段に順位付けはせずに、覚えている範囲でアットランダムにお送りしたいと思う。

 美少女宮沢りえが突然、ヌード写真集に

 三井のリハウスのCMでその美少女ぶりが話題となった彼女。飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、マネージャーを務める母親の説得で?どういうわけか、1991年に18歳でヌード写真集「サンタフェ」を出した。当時は売り切れ続出で、150万部も売れた。

 坂本九が飛行機事故で急死

 1985年8月12日に起きた史上最悪の航空機墜落事故。524人乗りのうち、520人が亡くなった。羽田発伊丹行きJAL123便は、羽田を飛び立ってすぐに、圧力隔壁が爆発し、垂直尾翼が吹き飛び、制御不能に陥ったジャンボ機は迷走し、御巣鷹の尾根に墜落炎上した。この便には、国民的歌手の「坂本九」さんも搭乗していた。

 日航機事故のニュース→ https://www.youtube.com/watch?v=6jgT-tELULA

 尾崎豊が謎の怪死

 学校や社会への反骨精神を歌に描写し、多くの若者の共感を得、カリスマ的なシンガーソングライターの尾崎豊が、1992年4月、泥酔した挙句に、民家の庭先で素っ裸で体中に打撲や傷だらけの状態で発見され、いったんは自宅に戻ったが、容体が急変。搬送された病院で死亡が確認された。死因は肺水腫。あまりにも突然で不可解な状況での死亡に多くの憶測を呼んだ。葬儀には4万人を超えるファンが護国寺に詰めかけ、カリスマシンガーの尾崎の26歳というあまりにも突然の死を悼んだ。

死去のニュース

 坂井泉水が入院中の病棟から転落死

 彼女の訃報も突然だった。がん治療で入院していた慶應義塾大学附属病院の入院病棟のスロープで謎の転落死を遂げたのだった。警察の調べでは、自殺にしては転落した場所の高さが低い点、手すりに後ろ向きで腰をかけている彼女を目撃した証言などから、彼女が誤って転落した事故死と結論付けた。ZARDのボーカルとして多くのヒット曲を生み出し、1990年代のミュージックシーンの中心にいた彼女。あの美貌と少し鼻にかかった可愛らしい歌声がもう聴けないと思うと胸が痛い。

 死去のニュース→ https://www.youtube.com/watch?v=gqBj2x-eTwo

MiyazawarieKeiohospital

 私は8年前に彼女のお墓参りをするほど大好きなアーティストだった。

 テレサ・テンが滞在先のタイで謎の死

 「時の流れに身をまかせ」「空港」「愛人」「つぐない」「別れの予感」などのヒット曲で、日本でもカラオケソングとして歌われ、多くのファンがいた台湾出身の彼女。政治活動や軍への慰問活動などを積極的に展開していた。
 しかし、1995年、気静養のため、たびたび訪れていたタイのホテルで管支ぜんそくの発作により、42歳という若さで死亡した。
 死後、彼女の死因をめぐって暗殺説など様々な憶測が流布した。

 田宮二郎が猟銃自殺

 エリート肌の名俳優だった田宮二郎。孤高の天才外科医・財前五郎を演じた「白い巨塔」は高視聴率を確保した名作ドラマだった。活躍の舞台はドラマだけにとどまらず、クイズタイムショックの司会などそのインテリ風の才能をいかんなく発揮し、視聴者に見せつけた。
 しかし、うつ病を発症するなど波乱万丈の人生だった。
 ドラマ『白い巨塔』の放映が残り2話となっていた1978年(昭和53年)12月28日、付き人がドアを開けると田宮はベッドの上に仰向けで横たわり、米国パックマイヤー社製の上下2連式クレー射撃散弾銃自殺を遂げていた。43歳だった。 
 この出来事は当時の超人気俳優の衝撃的な自殺だっただけに社会を騒然とさせた。

 沖雅也が飛び降り自殺

 彼もまた謎の自殺を遂げたひとりだ。「太陽にほえろ」のニヒルなスコッチ刑事役、「俺たちは天使だ」の麻生探偵役、「姿三四郎」の檜垣役など順風満帆な芸能活動に思えた。しかし、かれの生い立ちは不遇で、養父に支えられた人生を送っていた。
 1983年(昭和58年)6月28日。大阪での舞台公演が控える中、仕事を終えチェックインしていた東京都新宿区京王プラザホテルにて、「おやじ 涅槃で 待ってる」という遺書を残し、本館最上階(47階バルコニー・高さ170メートル)より警備員の制止を振り切って飛び降り、ビル7階の屋上に落ちて全身を強く打ち即死した。31歳だった。

TamiyajiroOkimasaya

 アイドル歌手、岡田有希子が飛び降り自殺

 アイドル歌手としてベストテンにランキングするなど、人気絶頂だった頃に、四谷にあった所属事務所のビルの屋上から投身自殺を図り亡くなった。18歳だった。動機は年上のベテラン俳優を巡って失恋したと思い込んだ彼女が思いつめた末の自死と一般的に言われている。
 1986年4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂。2階上のマンション住民がガス臭に気付き、管理人が110番東京ガスに通報した。レスキュー隊が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり泣いていたという北青山病院(東京都港区北青山)で治療を受け、当時東京都新宿区四谷にあったサンミュージック本社に戻った直後、12時15分に本社ビルの屋上から飛び降り自殺した。享年20(18歳遺書とみられる鉛筆書きの便箋が残されていた

 彼女の衝撃的な飛び降り自殺はファンや若者に大きな衝撃を与え、後追い自殺するものが続出したと言われている。

Okadayukiko

 佐々木つとむ殺害事件

 昭和後期に活躍したものまねタレントで、はたけんじ、団しん也、堺すすむと共に"元祖ものまね四天王"と呼ばれていた。私生活では大変なギャンブル依存としても知られていた。ギャラはその日のうちに全てを賭け事に費やしてしまうこともしばしばで、多額の借金を抱えていたという。
 1987年9月4日夜、佐々木は当時同棲していた東京都板橋区高島平にある39歳の女性宅アパートで刺殺された状態で所属事務所の社長により発見された。40歳没。事件当日、女性が飼っていた犬を佐々木が殴って骨折させたことがきっかけとなり、女性は佐々木の全身を包丁でメッタ刺しにして殺害したという。

 子連れ狼の子役 西川和孝が知人男性を殺害 無期懲役に

『子連れ狼』(萬屋錦之介版)の第1部(1973年放映)・第2部(1974年放映)で、萬屋錦之介演ずる主人公拝一刀の息子・拝大五郎役を演じ、人気を博した。
 芸能界引退後、市議などを務めていたが、その後引退。雀荘の経営に乗り出していたが、1999年11月30日、店の資金のトラブルから、56歳の金融業者の知人男性への借金の申し込むも断られ相手を殺害、部下の男に指示して男性の遺体を新潟県朝日村の山林に遺棄、現金約500万円を奪い工事費やローンの返済に充てた。香港へ出国した後にタイに逃亡したが同国で身柄を拘束され、同年12月25日未明に日本へ向かう航空機内で逮捕された。2000年10月3日に新潟地方裁判所で無期懲役判決が下され、その後、確定した

 田代まさしの転落人生

 シャネルズ・ラッツ&スターのメンバーとして音楽活動に従事。その後、バラエティやドラマに進出し、志村けんのバカ殿などに出演した。「いたずらウォッチング」や「夕やけニャンニャン」のMCなども務め、人気者に。俳優としても「熱っぽいの」とか「季節はずれの海岸物語」のレギュラーとして出演した。

 2000年以降、迷惑防止条例違反、覚醒剤使用・所持、人身事故、銃刀法・覚醒剤、麻薬取締法違反、覚醒剤取締法違反など7回も逮捕された。実刑をうけて服役しても気持ちの弱さから再犯を繰り返す転落人生を自ら演じてしまった。懲りない面々で、おそらく今後も覚醒剤で摘発さされるのは見え透いている。

 たけし軍団がフライデー襲撃事件

 1986年(昭和61年)12月9日、お笑いタレントのビートたけし(北野武)をはじめ、たけし軍団ら12人が写真週刊誌『フライデー』 (講談社)の編集部を襲撃した事件である。
 1987年6月10日、たけしに懲役6か月、執行猶予2年の判決が下された(東京地方裁判所、確定)。当時たけしのレギュラー番組への出演については、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することとなった。なお、当時たけしと交際していたといわれた専門学校生の女性に対する傷害で告訴された記者は、1987年12月22日に罰金10万円の判決を受け、控訴をするも棄却されて判決が確定している。

 西城秀樹が病死

 1970年代以降、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」として活躍した。西城秀樹は甘いマスクとド派手なアクションで女性ファンを虜にした。「傷だらけのローラ」はその極みで、後楽園球場でのコンサートでは女性を熱狂させた。
 2001年秋に脳梗塞を発症。8年後の2011年12月20日に、脳梗塞の再発。
 2018年4月25日、自宅の家族団欒の席で突然倒れて救急搬送で緊急入院。意識不明の状態が続く中懸命の治療が行われたが、同年5月16日23時53分、急性心不全のために神奈川県横浜市内の病院で亡くなった。63歳没。

ニュース速報

 石原裕次郎の大病克服と訃報

 昭和を代表する俳優・タレントとされている。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・男優編」で日本男優の2位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター男優」では第6位になった。全国のファンからは親しみをこめて「裕ちゃん」「裕次郎さん」「裕次郎」などと呼ばれ、石原プロ関係者からは「ボス」「社長」などと呼ばれていた。
 しかし、彼は映画やドラマなど華々しい活動の陰で、病気やけがとの闘いを強いられた。
 1978年、舌下潰瘍のため入院・手術。その後悪性腫瘍(舌癌)との診断を受けたが、本人には告知されなかった(1983年再発)。
 1979年には舌下白板症と診断され、術後部に潰瘍が出来たため再手術する。
 1981年4月、『西部警察』のロケ撮影中に背中と胸に激痛が走り、慶應義塾大学病院に緊急入院。当初椎間板ヘルニアが疑われたが、その後解離性大動脈瘤と診断され大手術を決行。生還率3%と言われたが、奇跡的な回復を遂げ無事退院した(見舞い客は1万2,000人、手紙5,000通、花束2,000束、千羽鶴1,000束、さらには石原の車のボディーにも励ましのメッセージを書く人もあった)。退院後も首、腰の痛み、発熱が続き、右耳が難聴となった。
 1984年、肝臓癌が発覚した。
 1987年4月20日、体調不良を受けてハワイから急遽帰国し、慶應義塾大学病院へ検査入院。5月2日に一旦退院したものの、3日後に再入院し、容態が悪化。幻覚症状(肝性脳症)を発する。その後意識不明の状態が続き、7月17日15時43分、医師が臨終を告げ7分後心停止するも、酸素吸入により一度は心拍が再開するが、16時26分再度心停止し、死去。52歳だった。

 死去のニュース

 美空ひばりの数奇な人生

 昭和の歌姫。幼少期から国民的スターの地位を確立した。しかし、「悲しい酒」「お祭りマンボ」「愛燦々」「みだれ髪」「川の流れのように」など大ヒットを飛ばした一方で、私生活は波乱にとんだものだった。
 1962年、小林旭と結婚。しかしすぐに離婚。
 1973年、実弟が起こした不祥事により、加藤家と暴力団山口組および田岡との関係も問題とされ、全国の公会堂や市民ホールから「暴力団組員の弟を出演させるなら出させない」と使用拒否されるなど、バッシングが起こりマスコミも大きく取り上げた。
 

 1980年代に入り、1981年には実母が転移性脳腫瘍により68歳で死去。
 ひばりの2人の実弟哲也(1983年)と香山武彦(1986年)まで、共に42歳の若さで次々と肉親を亡くすという悲運が続く。
天涯孤独の身に。ひばりは加藤和也を1977年に養子として迎えていたが、悲しみ・寂しさを癒やすために嗜んでいた酒とタバコの量は日に日に増し、徐々にひばりの体を蝕んでいった。

 1989年3月23日「アレルギー性気管支炎の悪化」「難治性の咳」など呼吸器系の療養専念のため、横浜アリーナの杮落としコンサートを初めとするその他全国ツアーを全て中止し、さらに歌手業を含めた芸能活動の年内休止が息子の和也から発表された(再入院当時「特発性間質性肺炎」の病名は公表されなかった)。1989年6月24日午前0時28分、特発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全の併発により死去。52歳だった。

 石原裕次郎と美空ひばり、昭和を代表する2大スターが相次いで同じ年齢で亡くなり、昭和の終焉を物語っていた。大スターは「太く短く」を実践した生き様だった。

 その他で衝撃を受けた芸能人の自殺

 上原美優、伊丹十三、古尾谷雅人、可愛かずみ、米森麻美、大杉君枝、川田亜子、ポール牧、牧伸二、沖田浩之、三浦春馬、竹内結子、清水由貴子、遠藤康子、hide、菅原加純

事故死

 萩原流行、赤木圭一郎、高橋良明、山田かまち、大場政夫、志賀真理子、伊藤元太、桜塚やっくん

不審死

 マイケル・ジャクソン、飯島愛

 衝撃的な芸能界のニュースは、やはり慣れ親しんだ方の訃報ばかりが先立つ。それくらいテレビや映画に出演して来た方の存在感や影響力は計り知れない。改めて謹んでご冥福をお祈りするばかりだ。

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