想い出の場所&スナップ(納沙布岬編)
想い出の旅先を回顧するこのシリーズ記事も今回が4回目となった。我が第二の故郷である「北海道」は、東北6県に日本で5番目に大きい新潟県を足しても面積が広い。松山千春の歌の通り、それほど雄大な大地が横たわっている。
バブル期の僅か2年間しか住むことがかなわなかったが、そこで生活できた経験は、その後の人生に大きなプラスになっていることは言うまでもない。それくらい魅力的な場所だし、大勢のバイカーや鉄道愛好家などがこぞって行きたがるのも理解できる。
さて、今回の記事は、私が1984年10月と1985年に7月の2回限りしか訪れていない、最果ての地、納沙布岬を取り上げたい。「納沙布岬」は北方領土を除き、日本最東端の地'(本土最東端)と呼ばれていた。その最寄りである「根室市」は日本で一番朝が来るのが早い町として有名だし、北方領土を間近に眺められる場所でもある。
では過去、2回の訪問を振り返っての出来事や感想、そしてスナップを紹介したい。
1回目の訪問(1984年10月15日)
この時はとにかく寒かった。上下布製のつなぎ服にダウンジャケットを羽織っただけの軽装にて3人でロングツーリングに臨んだのだった。もちろん北海道の道東を旅するのは初めてだったため、目にするものがすべて新しかった。北方領土の意味もあまり知らないまま訪ねてしまった。岬への道すがら、道路沿いには何度も「返せ!北方領土」と書かれた看板を目にした。どでかいモニュメントの「四島の架橋」が聳え立ち、その先の納沙布岬は強風が吹く場所だった。古臭い土産屋ではストーブをガンガンに炊いていて、訪問日の日付をスタンプした到達証明書を購入した。
そこで思いがけない出来事に遭遇した。陸上自衛隊のジープがやって来て、双眼鏡で北方領土と化した近辺の島々を監視していたのだ。一番近い島が2kmほど離れた海上に浮かぶ灯台のような島(貝殻島)だった。ほかにも視界が良かったため、歯舞群島や色丹島を肉眼で見ることが出来た。おそらく今は巨大なタワーが建ち、より景観が良くなっていると思う。
その岬の標識にてバイクを入れて写真を撮り収めた。
2回目の訪問(1985年7月23日)
翌年、ソロツーリングで2年連続で訪れた。夏場だったので、前年よりもツーリングライダーが多く見られた。2度目の訪問時は感動は薄らいでしまったが、それでも目と鼻の先に浮かぶあれらの島々が、当時は不法に占領されたソ連の領土とは思いたくはなかった。今、菅総理大臣は、現ロシアが望む「平和条約」締結のために、択捉と国後を犠牲にして2島返還で決着を謀ろうとしている。冗談じゃない。北方担当相など名ばかりでまったく何ひとつ仕事をしていない。税金の無駄遣いだ。鈴木宗男氏のほうがよっぽど活動している。
2回目の訪問は「夏の道東」の代名詞でもある一面の霧に覆われていて、遠くの島々は見渡せなかった。
この納沙布岬はとんねるずが歌った「望郷岬」のモチーフになった岬で、国境とは思いたくはなかったが、さいはて感が漂うことこの上なし。そして旧ソ連の戦闘機が爆音を立てて往来していた場所でもあった。
さて、次回はいつ掲載できるか不明ですが、北海道の魅力が少しでも伝わるように、場所を厳選してお送りしたいと思います。
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