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2020年11月10日 (火)

スポーツアラカルト

 当初、「スポーツエトセトラ」というタイトルで記事を書き始めたが、どうも「エトセトラ」という言葉は市民権を失い、死語扱いになっている節が見られるため、同じカテゴリーだが、こんなタイトルに変えてみた。
 「アラカルト」はフランス語発祥で、レストランなどの「一品料理」を指すらしい。そこから考えると、多少外れているのだが、そこは目くじら立てずにお読みいただけたら幸いです。

1「奇跡のカムバックを果たしたアスリートたち」

 よく「不死鳥の如く甦った」などと表現するが、大けがなどを負って、誰もが復帰は無理と思ったアスリートで、奇跡の復活を遂げた方たちを取り上げたい。

 ① 武田豊樹(スピードスケート)

 あの清水宏保が勝てなかった天才スピードスケーター。しかし、五輪目前に引退。理由は幼少期からの夢だった競輪選手を目指すため。しかし、結果は不合格。荒んだ生活をしていた時に、清水からの声掛けでスケートに戻り、オリンピックに出場し8位入賞。その後、競輪界が彼のためにルールを改正し、武田は競輪界のスーパースターになった。
 
 ② 盛田幸妃 

 無類の酒好きで、二日酔いでマウンドに上がって抑えた伝説の投手。横浜、近鉄で活躍。あの落合を50打数9安打(打率.180)と封じた。脳腫瘍を患い長い闘病の末に奇跡の復活を遂げた。  

 ③ 村田兆治

 左脚を伸ばして高く振り上げる独特なフォームで投げるマサカリ投法を駆使した。日本人初のジョーブ博士の執刀で肘にメスを入れ、「サンデー兆治」として復活した。150キロを超える速球と鋭く落ちるフォークを武器に三振の山を築いた。落合がよく打った。

 ④ 池江璃花子 

 日本を代表するトップスイマーで各種目で日本新を塗り替えた若き天才。しかし、東京オリンピックを前にして急遽、白血病に。長い闘病生活の末にインカレで奇跡の復活を遂げた。

          
 ⑤ 津田恒美(実)

 広島のリリーフエースとして活躍。「炎のストッパー」として恐れられた。しかし、脳腫瘍を患い32歳という若さで亡くなったが、その闘病途中、カムバック賞を獲得した。


 ⑥ 絹川 愛 

 高校時代から才能を発揮し、注目された陸上選手。原因不明の感染症により歩行困難だったが、奇跡の復活を遂げ、10000メートルで、あの新谷仁美を逆転して優勝した。  

 ⑦ トウカイテイオー 

 幾度もの骨折からの復活を見せたことから「奇跡の名馬」とも呼ばれる。12戦9勝
 
 ⑧ 羽生結弦 

 平昌冬季五輪前の練習中にジャンプの着氷時に足を捻り、重傷を負った。しかし、奇跡の復活で見事金メダルを獲得し、大会2連覇を達成した。観客を魅了した。

 ⑨ 桑田真澄 

 高校時代から順風満帆な野球人生だったが、1995年の阪神戦でダイビングキャッチを試みた際、投手の生命線と言える右肘靭帯を断裂。トミージョン手術を受け、リハビリの末に1997年4月、661日ぶりにマウンドに復帰した。プレートに手を置いたシーンは感動的だった。
         その翌年には16勝(5敗)を挙げる好成績を残した。 

 ⑩ 望月重良 

 元日本代表。「消えた天才」でも取り上げられた天才サッカー選手。日本代表を背負って立つ逸材だったが、大腿骨壊死の重傷で復帰は困難だった。長いリハビリの末にピッチに戻った。


 2 「監督としては大成しなかった一流選手」

 現役時代に華々しい活躍をしたプロ野球選手で、いざ監督として招聘後、思うように成績が上がらなかった元監督にスポットを当てたい。語弊のないように先におことわりするが、ここえいう大成しないとは、監督として優勝経験がないということで、その方を批判するものではない。頑張っても結果が出ない場合がほとんどで、決して「監督としての才能がない」という訳ではないことをご承知いただきたいと思います。  

        監督チーム  任期   順位    勝 敗
 ① 土井正三 オリックス  3年 3位→3位→3位 195-183 
 ②  高田 繁 日ハムヤクルト7年 5→5→3→3→5→3→途中  385-433
 ③  古田敦也 ヤクルト   3年  3位→6→途中  130-157
 ④  石毛宏典 オリックス  2年 6位→途中   57-99
   ⑤ 田淵幸一 ダイエー   3年 6位→5位→4位 151-230
 ⑥ 藤田 平 阪神     2年 6位→6位    65-105
 ⑦ 田尾安志 楽天     1年 6位  38-97
 ⑧ 真弓明信 阪神     3年 4位→2位→4位 213-207
 ⑨ 堀内恒夫 巨人          2年 3位→5位     133-144 
 ⑩ 金本知憲 阪神     3年 4位→2位→6位 204-216
 ⑪ 中畑 清 DeNA          4年 6位→5位→5位→6位 239-319
 ⑫ 高橋由伸 巨人      3年 2位→4位→3位 210-208
 ⑬ 高木守道 中日  7年 5位→6位→2位→2位→5位→2位→4位 445-465      
 ⑭ 鈴木啓示 近鉄     3年 4位→2位→6位 183-206

 中には個人の名誉のためにシーズン途中で休養と言う形で監督が変わったケースもある。しかし、事実上は成績不振を理由に辞任を申し出て了承されたり、残酷にも責任を取って解雇というケースもあるようだ。
 中には、古田や田尾、石毛、高橋由のように若くして監督を任され、成績が伸びないからと言って、任期途中での交代は残念で、もう少し球団やファンは我慢して続投させてほしかった。すぐに結果を出すのは難しい。特に田尾氏は気の毒で、楽天誕生の際に、分配ドラフトで明らかに戦力的に不均衡だった。
 プロの世界は実力至上主義で、結果が出ないとクビを切られる厳しい世界だが、監督であっても、ある程度戦力を整え、戦略が定まらないと、結果を出すのは難しい。気の毒というか酷な立場で、それを想定してなかなか監督を引き受けない方たちも多い。

 齋藤明夫、遠藤一彦、佐々木主浩、松井秀喜、篠塚利夫、福本豊、加藤秀司、谷沢健一、門田博光、柏原純一、高橋慶彦、高木豊、江川卓、杉浦亨、宇野勝、北別府学、清原和博、桑田真澄などは選手としては一流だったが、監督のお鉢が回ってこなかった。

 3 ライバル対決(数字は順位ではありません)

 かつて「武田信玄」と「上杉謙信」がそうであったように、スポーツにはライバルがいて、お互いが刺激しあい、切磋琢磨して成長を遂げるものだ。ではスポーツ界でのライバルを独断と偏見で挙げたい。

 ① ハイセイコーとタケホープ
   22戦13勝    19戦7勝

 ② 阿波野秀幸と西崎幸広 同じ時期に活躍した。
       阿波野1987年に近鉄入団 入団4年目まで58勝42敗。左腕エース
   西崎は1987年に日ハム入団 4年目までに58勝40敗。右腕エース

 ③ ジャイアント馬場とアントニオ猪木 
 
 力道山の死後、1970年代に大人気を博したプロレスの第一人者。
 馬場は元巨人投手で長身を生かしてプロレス転身 16文キックや平手チョップなどが必殺技 全日本プロレスの社長。
 「燃える闘魂」猪木は派手なパフォーマンスで人気絶頂 卍固めや延髄切り、ドロップキック、異種格闘技などが有名。脱退し新日本プロレスを創設。
 1リーグ時代にタッグを組んだことは多いが、直接対決は実現しなかった。猪木のルスカ、アリ戦を始め、10番勝負などが人気を集めた。
 ビル・ロビンソン、マスカラス、ザ・デストロイヤー、ブッチャー、タイガージェットシン、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、ラッシャー木村、ドリー&テリーファンク兄弟、シーク、鉄の爪エリック、かみつきブラッシー、鉄人ルーテーズ、カールコッチ、マウンテン・マイク、ボボ・ブラジルなどのライバルたちと名勝負を繰り広げ、ファンは熱狂した。

 4 萩野公介と瀬戸大也 

 400m個人メドレーでしのぎを削った二人。世界大会では常に萩野が勝利 リオ以降、萩野がスランプに陥り、代わって瀬戸が台頭し、日本のエースに。

 5 テンポイントとトウショウボーイ 

 テンポイントは1970年代に「流星の貴公子」と呼ばれ、人気が爆発した。18戦11勝を挙げた。骨折したがファンからの嘆願が相次ぎ、安楽死させず、手術を施したが、闘病生活の末に亡くなった非業の名馬。
 トウショウボーイはグリーングラスとともにTTG時代を作った。15戦10勝  

 6 江川卓と西本聖
 
 1980年代の巨人を支えた二人。同じチームで鎬を削った。天才肌で練習嫌いの江川と努力の人西本は好対照だった。
 江川は3度のドラフトを拒否しルールを曲げて巨人に入団し、ダーティーなイメージがついてまわった。江川は9年間で135勝72敗 13勝5敗を挙げた年に引退した。
 西本は18年間で165勝128敗 巨人・中日・オリックス3チームを渡り歩き、完全燃焼した闘志あふれる投手だった。

 7 金田正一と長嶋茂雄 
 
 長嶋のデビュー戦で4打席連続三振に切って取り、プロの厳しさを植え付けた。
 しかしその後は長嶋も金田の対策で211打数66安打 打率.313 18本塁打と打ちまくった。

 8 ジャンボ尾崎と青木功

 1970年代kら80年代にかけて日本男子ゴルフ界を背負っていた二人。ともにB型同士 陽の尾崎、陰の青きという印象
 尾崎 JPGA優勝94回 通算113勝 賞金王12回
 青木 JPGA優勝78回 通算 85勝 賞金王 5回
   この2人に中島常幸を加えた3人を「ビッグ3」とか「AON」と呼んだ。

 9 星野一義と中嶋悟
 
 星野は国内レースの第一人者で、近藤真彦も弟子入りした。主にF2000やF3000で活躍し、優勝多数。
 中嶋はF1初の日本人ドライバーとなり、80回出走 4位が最高位。中嶋がF1に参入し、F1の日本人ドライバー輩出の門戸を開いたのに対し、星野は国内レースに固執した。

10 アラン・プロストとアイルトン・セナ

 1980年代後半に沸き起こったF1ブーム。スクエアの「Truth」のテーマも流行った。その頃に活躍していたドライバーはこの2人とネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、そしてミヒャエル・シューマッハだった。特に1988年から2年間、両者は同じマクラーレンホンダ所属で黄金期を築いた。
 プロストは1985,1986,1989,1993の4年間、年間チャンピオンで通算51回の優勝を誇る。
 セナは1988,1990,1991の3年間、F1チャンピオンになった。通算41勝 1994年サンマリノGPで事故死 多くのファンが嘆き悲しんだ。母国ブラジルでは国葬扱い。彼がこの世を去って26年が経つとは信じられない。

11 栃錦と若乃花

 1950年代の大相撲人気を支えた両者。「栃若時代」を築いた横綱。対戦成績は栃錦の19勝15敗

12 沢村忠と冨山勝治

 1970年代、日本キックボクシング界を支えた「キックの鬼」こと「沢村忠」(真空飛び膝蹴り)と「冨山勝治」(後ろまわし蹴り)の武勇伝は凄まじかった。2人でキックボクシング人気の一時代を築いた。
 特に、沢村の経歴は半端ない。満州生まれで本名は「白羽秀樹」と言い、空手を習い、なんと日大芸術学部映画科を卒業した秀才。
 1966年のデビュー戦から1976年の引退試合まで241戦232勝(228KO)5敗4分という無類の強さを誇った。
  日本キックボクシング協会東洋ミドル級王座(防衛14)
  日本キックボクシング協会東洋ライト級王座(防衛20)

  引退後、郡山市内の精神病院に入院したとか死亡説が流れたがすべて都市伝説のデマだった。77歳になられた今もご健在。


 ほかにも思いつかないだけで、ライバル対決のドラマは数多く存在すると思う。筋書きのないドラマだからこそ、見ごたえがあるし、ファンもアスリートの一挙手一投足に釘付けとなるのだと思う。今後も、オリンピックに向かって好敵手同士の緊迫した熱戦を期待したい。 

 さて、本日はスポーツに関するトピックを雑多な感じで取り上げたが、かなり偏見で語ったかもしれない。事実にそぐわない記載は極力排除したつもりだが、私の記憶違いであるものがあるかもしれない。その辺はご容赦いただきたいし、こっそりコメントでお知らせいただければ幸いです。

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