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2020年11月19日 (木)

これってどうなの?

 世の中には善悪の判断に戸惑う事象が多々起こり得る。本当にそれが正しかったのか、あるいはその判断や措置が間違っていたのでは?

 懐疑的になるが、最近はそれが数多く目につく。例えば、感染拡大を懸念し、学校の一斉休校措置や夜の店などには休業を要請したかと思えば、一方では、観光業界や飲食店の倒産を防ぐ意味で、「GOTOトラベルキャンペーン」やら「GOTOイート」などで旅行や外食を促進し、さらなる感染拡大を招いたことは周知の事実だ。政府のやっていることは世間の動きとまるで逆行し、正気の沙汰とは思えない所業、いやもはやこれは悪行と言わざるを得ない。

 今回はそんな世の中の出来事で、それってどうなの?と疑念が溢れるものを取り上げたい。

 1 違反行為を見つけた警察車両が追跡し、更なる逃走を招き当事者が事故死するケース

 毎年、必ずニュースになる出来事で、取り締まり中、あるいはパトロール中に違反車両を発見し、パトライトを点灯し、サイレンを鳴らして追跡している際に、違反者が逃げる途中で事故って亡くなることがある。

 決まって警察のコメントは、「適切な追跡行為だった」と雁首揃えてマスコミ向けのコメントに終始する。しかし果たしてそれは正しいのか?賢明な日本人の冷静な判断では、「自分で悪いことをして逃げたのだから、死んでも自業自得で文句は言えない」となるのが大方の見方だろう。
 実際、11月9日、大阪で起きた死亡事故では、パトカーの追跡を振り切って逃げた19歳の男が民家に突っ込み死亡した。その記事のコメントは以下の通り。

 「壁を壊された民家の方、御愁傷様でした。ちゃんと修理代とかお祓い費用補償して貰えるのでしょうか?それが心配。」25474人中24329人がいいね

 「パトカーから逃げた段階でおかしいわけですから適正でしょう。」24309人中23327人がいいね

 しかし、かけがえのないは人命が警察の追跡行為によって潰えたという事実は変わらない。もし、人命を優先し、「あのまま深追いしたら、他の善良なドライバーが事故に巻き込まれたり、逃げた本人に生命の危険が及ぶ」と判断し、追跡を断念すれば、若い命が失われずに済んだかもしれない。特に未成年の場合は、判断能力が欠如しており、捕まるのが怖くて逃げたという場合もある。軽微な違反、例えば信号無視、酒気帯び運転、無免許運転などは重大事故に繋がることは十分理解しているが、死の代償を負うほどの違反なのだろうか?もちろん、悪いことをして良いということでは無論ないが、命と引き換えにするほどのことなのか?貴重な命を失われるほどの悪いことなのか?

 私は見て見ぬふりは出来ぬ警察の追跡は適切だし、越権行為などではないので、批判するつもりは毛頭ないが、それによって結果的にかけがえのない人命を奪ったことに変わりはない。警察官も罪には問われなくても、自分が追跡したことで、人を死に至らしめたという後悔や記憶は絶対に頭の片隅に残り、一生引け目を感じることだろう。

 私はこう見えて、慶應義塾大学の法学部法律学科で法律を学んだ身なので、法の解釈や適用、それに秩序や社会規範の遵守のために法規が果たす役割がいかに重要かも認識しているつもりだ。しかし、時々、こうしたケースを鑑みると、矛盾を感じる時がある。

 2 犯罪者寄りの裁定「司法取引」

 欧米では正直に自白させることを交換条件に罪を軽くするという規定がある。それは「司法取引」と呼ばれ、そうでもしないと、犯人は被告人が自分の利益ばかりを主張し、真実を語らないまま捜査や裁判が打ち切られる恐れがあるからだ。

 日本人にしてみれば、あり得ないことだが、日本でも自分の権利ばかりを主張し、義務を果たさない輩が多くなり、欧米のこのような愚直な手法を導入しようとする向きがある。

 私から見れば、バカバカしいし、実に嘆かわしい。日本人が自分が行ったことの責任を取らずして、嘘方便や御託を並べ、無実を主張するなど考えられない。ゆとり教育だの個性の尊重なる教育を重視し、施行してきた結果が、このような利己的な日本人を育ててしまった。私には会津の血が脈々と流れているので、「ならぬものはならぬものです」という発想が常にあり、「お天道様に顔向けできぬ卑怯な真似は断じてしない」という人生訓であったり生きざまがある。ずるい行いをしたり、卑怯な振る舞いは許せないというのが持論なので、こうした司法取引導入など、言語道断だ。日本人なら日本人らしく振舞ってこそ、その存在価値がある。

 私は死刑制度や無期懲役制度に関しても持論があり、日本人の8割以上が存続を願う死刑制度は継続して然るべきだが、無期懲役は意味がない。人を残念な方法で殺害しても、被害者がひとりであれば「永山基準」をものさしにしている以上、重くて無期懲役止まりだ。無期懲役は死ぬまで刑務所に入っている訳ではないし、一生刑務所暮らしを示唆しているのでもない。無期の場合でも最長で30年で仮出所となり社会復帰できる。被害者は生きたくても命を奪われ、生き返ることなどできないのに・・・。癪に障る部分はあるが、それならアメリカと同様、無期懲役の代わりに終身刑制度を導入してほしい。死ぬまで刑務所暮らしというものだ。凶悪犯罪者にわれわれの血税を使って食事代などを出すのも憤りを感じるが、仮出所したところで、再就職は難しく、居場所や食事が保証される刑務所に戻りたくて再犯を繰り返す輩が多いのもまた事実だ。終身刑であれば、その心配も不要だ。

 日本では最高刑は「死刑」。そして次に重いのは「終身刑」としてもらいたい。人を殺意を持って死に至らしめた輩が安易に社会に戻ってきたら、善良な市民は不安で堪らない。ぜひ刑法や刑事訴訟法を改正し、実現してほしい。

 3 高齢者の運転操作ミスは立派な犯罪行為

 高齢者が自らの運転を過信し、運転を続けた挙句、アクセルとブレーキを踏み間違えて人を死に追いやる重大事故を起こすケースが後を絶たない。逆走、前方不注意、本人の操作ミスが大半だが、それを言い訳には絶対にできない。悪意を持った殺人であれ、交通事故であれ、人の命を奪ったという点では同じだ。池袋で起きた母子の尊い命を奪った高級文民が身柄を拘束されず、裁判では車に欠陥があったなどとぬけぬけと無実を主張する世の中。

 しかし、立派な犯罪行為だ。それを弁護する弁護人も同じ穴のムジナだ。犯罪の片棒を担いでいるのと変わらない。正義はどこにあるのかと不信感を抱く。

 私は、そもそも高齢で反射神経や運動能力、運転技術が衰えていることを念頭に置かず、車を運転していること自体実に腹立たしい。普通車の免許取得年齢が18歳と決まっている以上、個人差など考えずに、上限も設けたほうがいいと思う。その年齢は75歳と決めたほうがいい。いくら身内や家族が止めても「年寄り扱いするな」と言い張り、結果、事故を起こしてから気づく愚直な高齢者がいかに多いことか?アクセルとブレーキを踏み間違えるなど絶対にあってはならないミスだ。車は一気に走る凶器と化す。

 かくいう私の母親も82歳なのだが、周囲がいくら言っても聞き耳を持たない。「認知症のテストで異常がなかったから大丈夫」と高を食っている。郡山と実家のあった二本松(現在は弟が一人暮らししている)を、ATではなく、昔ながらのマニュアル車で往復するほどだ。膝や足腰が弱って、通常歩行できないのに、あれでまともにアクセル&ブレーキ操作などできない。歩けないから足代わりに車を使うほど危険極まりないものはない。事故る前にやめさせようと目下説得中だ。

 「後悔先立たずという」言葉があるが、事故って人を死に追いやった後で後悔しても後の祭りだ。懺悔と償いの日日が残されているだけだ。自分は事故に遭わないとか起こさないという保証はどこにもない。

 高齢者は過信せず、身の丈に合った生活を励行してほしいものだ。私も9年後には年金生活に入る。人間らしく、細々とした慎ましい生活を送って一生を終えたいと思っている。そのためには人を殺めたり、事故などあってはならない。今回の記事は自分への戒めの意味も含め、あえて掲載したい次第だ。

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