2021年3月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« ザ・郡山(ご当地ならではの物たち) | トップページ | 不思議プロ野球その2 »

2020年11月 8日 (日)

不思議プロ野球その1

   過去、何度も旧ブログ、当ブログに於いてプロ野球ネタを書いてきた。その数50以上。今回も懲りずに同じテーマでお送りしたい。かつて江本孟紀氏が記したベストセラー「プロ野球を100倍面白く見る方法」という書籍があったが、私が思う「プロ野球に関する不思議」について取り上げたい。最初は1回で終了するつもりだったが、記事が長くなりそうだったので、2回に分けてお送りします。

 1 巨人の永久欠番の謎

  永久欠番が多いプロ野球のチームは、やはり球界の盟主として引っ張って来た「巨人」が筆頭格のようだ。6人もいる。そのうちひと桁番号が3つ塞がっている。では何番が永久欠番なのか?

 1番 王貞治 

 ご存知、世界のホームラン王にして、最初の国民栄誉賞受賞者。一本足打法と今は禁止となった圧縮バットを使って本塁打を量産し、通算868本の本塁打を放った強打者。

 3番 長嶋茂雄 

 世界の王とON砲を組み、4番を打った。勝負強く、「燃える男」とか「ミスタープロ野球」などの異名をとった。そしてV9に貢献。監督時代に再び背番号3を着けて世間をざわつかせた。通算444号本塁打を放ち、これが大卒選手の目標となった。
 
 14番 沢村栄治 

  こちらは日本プロ野球界の黎明期に颯爽と登場した伝説の剛腕投手。一緒のチームでプレーした故青田昇氏は生前、手元でホップし、バットが空を切った。そして鋭く曲がるスライダーを武器に、あのベーブルースをも手玉に取ったことで有名。しかし、残念ながら第二次世界大戦で出征し、戦死して還らぬ人となった。

 16番 川上哲治 

 好調時には「ボールが止まって見えた」との明言を残し、「赤バット」を用い、「打撃の神様」と言われた強打者。長打力もあったが、どちらかと言えばアベレージヒッターという印象。私は現役時代を知らないが、V9を成し遂げた最強時代の巨人軍の監督としてその地位はゆるぎないものとなっている。2,351安打、81本塁打を放った。

   この4人は順当というところだが、残りのふたりは誰?という印象がある。実はこの二人だった。

 4番 黒沢俊夫 

 彼の名前を知る、あるいは現役時代を知る野球ファンは少ないと思う。関西出身で名古屋金鯱軍、大洋軍、西鉄軍と渡り歩き、終戦間近の1944年に東京巨人軍に移籍入団。一番打者や中軸などを務めたこともあった。しかし、永久欠番になった経緯は、これからの活躍が嘱望された矢先、腸チフスにより入院するが、僅か3週間ほどで病死したのだ。享年33歳という若さだった。このことから、私自身は「4」=「死」を連想させる不吉な数字で、なおかつこのような突然死のような事故があったことで、忌み嫌い、この番号を気味悪がって「お蔵入り」にして放置していたように思う。
 2006年にようやく東京ドームに永久欠番のプレートが掲示され、正式な永久欠番となった。

 34番  金田正一 

 ご存知前人未到の400勝(298敗)を達成した偉大な投手である。しかも、鳴り物入りで入団した長嶋には闘争心むき出しで、デビュー戦での4打席4三振を始め、完全に封じ込めた。同じB型同士で、唯一実力を認めていた天才だった。彼の現役時代の実績は疑いようもないし、誰にも異論は出ないところだ。しかし、その大半は前所属の「国鉄」時代に上げた成績であり、巨人に移籍したのは、晩年も晩年で、僅か5年間しか投げていない。巨人在籍した時にたまたま400勝に到達したという印象に過ぎない。
 国鉄時代 353勝267敗 この頃の国鉄は弱小球団で、15年間の在籍で優勝はゼロ。この頃は先発投手が1シーズン最多で68試合も投げた時代。彼はONをバックに置いて投げて優勝したいという宿願があった。
 巨人時代  47勝31敗 

 このことから私は、故金田正一氏については巨人ではなく、国鉄の後身である現ヤクルトスワローズの永久欠番にすべきと思っている。

 巨人の6人を含めて日本プロ野球界の現在の「永久欠番」は全部で17人いる。以下の通りだ。

 阪神 3人 10番 藤村富美男 11番 村山 実 23番 吉田義男
 中日 2人 10番 服部受弘  15番 西沢道夫
 広島 3人   3番 衣笠祥雄   8番  山本浩二 15番 黒田博樹
 西武 1人 24番 稲尾和久(西鉄時代)
 日ハム1人 100番 大社義規(オーナー)
   楽天 1人 77番 星野仙一(監督として初の日本一)

    名前を聞くとなるほどと納得する選手(監督)ばかり。逆に功績重視ならば、ぜひ永久欠番にしてほしい面々を取り上げたい。

 巨人 松井秀喜55番  

           原 辰徳 83番 88番(巨人優勝・アジアシリーズ優勝・WBC優勝監督)

 
 ロッテ 村田兆治 29番(奇跡の復活マサカリ投法)
       落合博満  6番(三冠王3度)

 広島 津田恒美(実)14番
    江夏 豊        26番(日本シリーズ奇跡の21球) 阪神時代は28番だが、リリーフエースの印象が強い。

 ソフトバンク 野村克也 19番 旧南海(二度の三冠王)

 オリックス  イチロー 51番 

 オリックス  福本 豊 7番 旧阪急 世界の盗塁王

 楽天 田中将大 18番 無傷の24連勝(ペナントレース・CS・日本シリーズ優勝投手)

 阪神 バース    44番(最強助っ人)

 

 ほかにも阪急の米田哲也や山田久志、中日の大島康徳、大洋の松原誠、監督としての西本幸雄、野村克也などの番号も候補として挙げられそうだ。

 2 日本プロ野球の名球会は実は外国人だらけ?

 この記事を書く前に断っておきたい。以下の記事は、民族や人種に対する偏見や差別などの意図は全くなく、単に名選手が純粋な日本人が意外にも少ないという視点から述べるものである。

 王 貞治

 実は国籍が台湾だった。王という名字でも中国っぽいと納得できそうだ。現に、高校時代は早実のエースで、甲子園で優勝投手になっているが、国体は国籍が違うことで、出場できなかった。したがって、国民栄誉賞を獲った時も多少だが違和感を覚えたことを記憶している。
   
 張本 勲

 イチローに抜かれるまで、歴代1位の3,000本安打を達成した。「安打製造機」と呼ばれるほど、独特なフォームからダウンスイングでヒットを量産した。東映の主力として活躍。巨人にトレード移籍後は、OH砲と呼ばれ、前年最下位からの巨人V奪回の立役者となった。
 現在は野球評論家として「喝」を連発し、批判を受けることも多い「頑固爺」の様相を呈している。No.1や1位しか認めない強気の物言い気質はやはり負けず嫌いや反骨精神が染みついた韓国人ならではだ。
  
 金田正一

 400勝投手の彼も、元を正せば韓国人。名前に「金」がつくことでも判断できる。がむしゃらな闘争心や反骨精神は朝鮮系そのものだ。体型もB型の通り、細身で骨ばっていて、鋼のような肉体を持っている。線が細い分、腕がよくしなり、快速球を投げ込める。

 衣笠祥雄

 山本浩二と共に、広島の赤ヘル軍団の屋台骨を支えた立役者。連続試合出場記録を樹立し、「鉄人」と呼ばれた。そして彼が「国民栄誉賞」を受賞した時も、王選手と同様、違和感があった。それは彼はアフリカ系アメリカ人の父と日本人の母の間のハーフだった。だからと言って彼は国籍は日本人だし、なんら問題はない。しかしあの存在感や骨折しても試合に出場し続けるほど怪我に強く、強い精神力はやはり日本人離れしている。

 金本知憲

 広島、阪神と渡り歩き、大卒ながら名球会入りを果たした。彼も衣笠と同様、連続試合出場記録を持つ。引退後は阪神の監督も務めた。彼は「金」という字が苗字にある通り、両親が韓国人で韓国系日本人3世。韓国名はキム・ジホンという。
 
 新井貴浩

 広島、阪神で活躍したスラッガーだが、実は彼も在日韓国人だったが、帰化した。韓国名はパク・クィホン。新井という苗字もまた韓国系。

 新井宏昌

 やはり新井という苗字で、在日韓国人三世。新井=朴で、韓国名は「パク・ジョンリュル」という。南海・近鉄で18年間プレーし、いぶし銀の活躍で、小柄ながら首位打者を得得するほどバットコントロールに長けていた。近鉄ファンの私が大好きな選手だった。

 ラミレス

 彼は現在の名球会で唯一日本人以外で入会している選手。ヤクルト、巨人などで主力としてホームラン王や打点王など獲得したスラッガー。野球が盛んなベネズエラ出身で、明るく陽気な性格は日本人の気質に合い、人気者となった。ホームランを打った後のベンチ前でのパフォーマンスはお馴染みだった。南米は8割方が血液型O型だが、やっぱり彼もO型。だから球技には滅法強い。

 では続きは明日、「その2」をお送りします。

« ザ・郡山(ご当地ならではの物たち) | トップページ | 不思議プロ野球その2 »

野球」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« ザ・郡山(ご当地ならではの物たち) | トップページ | 不思議プロ野球その2 »