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2020年10月 8日 (木)

郡山市民でもあまり知らない隠れスポット③

 本日は「郡山市民でもあまり知らない隠れスポット」を紹介する3回シリーズ記事の第3弾。つまりは最終回だ。今日は、郡山市民にとってはメジャーである筈の場所なのだが、正直、知らないことだらけの話だ。小学生の頃は、グループ学習や調べ学習などで、発表したり、壁新聞などにまとめて教室や廊下に掲示した人もいるかもしれない。ただ、それが実際どこにあるのか、自分の目で確かめた人は少ないに違いない、そういうスポットを取り上げたい。

3 「未来を拓いた一本の水路」(安積疎水)

 郡山市民なら、小学生の頃から嫌と言うほど叩き込まれる「安積疎水」の概要と「ファンドールン」の功績。当時、食糧難を克服するために、安積疎水が国策事業として工事が始まり、広大にして豊富な猪苗代湖を水瓶として、そこから水路にて、郡山市西部の田園地帯に水を引き、農業用水を始め、水力発電、郡山市の発展を支えた工業用水、さらには飲料水確保のために一役も二役も買ったのは周知の事実だ。

 郡山市民は、はるばる異国から招聘したオランダ人技師・ファンドールン指導による一大プロジェクトの偉業についてはそのあらましを知っていても、では実際にどこを流れて郡山市一円に水を送っているのかまでは知らない。事実、市街地にはその痕跡と言えば、麓山の滝の復元や開成山公園に作られたモニュメントぐらいしか当時を偲ぶ面影はない。

Hayama
Monument

 では、「安積疎水」は一体どこを流れているのか、現在その痕跡を窺い知れる場所を探ってみた。それは前回(9/8)、怪しい「マル珍な石造」を探しに行った時に通った「三穂田町」にあり、しかも「郡山南IC」入口の北西側にあったのだ。

 代休2日目の10/7(水)、10時ちょうどに自宅を出発し、4号バイパスから柴宮経由。郡山南ICを通過し、その先の信号を左折せずに直進。上池の手前を右折してしばらく起伏の激しい道路を越えて行き、信号の丁字路を左折して、さらに次の信号を右折すると、一面田んぼの長閑な田園風景に。すると「郡山GC」に向かう手前で、突然前方にこの道で左右に途切れた水路を発見!

 10:22、三穂田町大谷という地名にあった安積疎水の水路に現着。自宅から12.9kmの場所にあった!

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 鉄製の梯子を上ると、水路を上から眺められるが、水は流れていなかった。幅約20cmくらいの幅狭の細長い水路だった。

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 この画像にある一本の水路は、「日本遺産認定」をPRするポスターにも使用されている。田んぼを貫くように延々と続くその威容を目の当たりにすると、明治時代の難工事の様子を窺い知ることができる。しかも当時は電気などない時代(電気は明治15年、銀座に設置されたアーク灯の電灯が最初とされている)。すべて工夫を雇い、人力による土木工事を行っていた。

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 1879年(明治12年)に国直轄の農業水利事業第1号地区として着工され、日本海への流量を調整して水位を保持する十六橋水門、安積地方へ取水する山潟水門が建設され、隧道・架樋等、延べ85万人の労力と総工費40万7000円(現在に換算して約400億円)によって、130kmに及ぶ水路工事が僅か3年で完成した。灌漑区域面積は約 9,000haと広大で、当地を一大穀倉地帯に変えた。なお、郡山市は、平成の大合併により市域を広げた新潟市が誕生する前は、米穀生産量日本一の市であった。
 1898年(明治31年)には疏水に水力発電所が設置され、その電力を利用した製糸業が発達した。また、1908年(明治41年)からは飲用水としても利用して、当地の人口増加を支えた。
 2016年には「日本遺産」に認定された。

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 見物は僅か6分程度だったが、デジカメで16枚も一気に撮影した。そこは時間がゆったりと流れている田舎の風景だった。黄金色に実った稲穂の田んぼや、すでに刈り入れが済んだ田んぼもあった。とにかく見渡す限りの田んぼのど真ん中を東西に貫くように一本の水路が延びていた。農業の灌漑用水として猪苗代湖の水を供給していることを実感できたのは収穫だった。

 帰りは10:28に現地を発って、尚志高校の正門前に出て、左折右折を繰り返し、安高前の通りに出て、10:51、久し振りに実家に立ち寄り、ツルハで買い物を済ませて、その後11:52帰宅。往復で26.4kmくらいの距離だった。

 さて、3日間に渡ってお送りした「郡山市民でも意外にも知らない隠れスポット」を取り上げた記事、いかがだったでしょうか。たぶん、地元の方はご存知でも、中心市街地に住んでいる方は、訪れたことが無い未知の情報も過分に含まれていたのではないでしょうか?私も今回、いい勉強になったと思っている。

 最後に、今回の「隠れスポット」とはまったく無関係だが、私が1964年に郡山市に生を受けてから、特に印象に残っている出来事を10位まで取り上げたい。

 1位 東日本大震災発生(郡山市は震度6弱 死者は公式発表は1名だが、実際は2名 市役所展望室と神明町で発生)
 2位 ワンステップフェスティバル
 3位 こども祭り開催(開成山公園にジェットコースターが作られた)
 4位 磐光パラダイス火災
 5位 ビッグアイ・ビッグパレットふくしまが竣工
 6位 ヤクザの抗争事件(東北のシカゴ)
 7位 郡山上空を「ゼロ戦」が飛んだ日
 8位 都市型デパートが相次いで出店(うすい対ダイエーの安売り合戦)
 9位 郡山上空を飛行船が回遊した日
10位 ワールドインポートバザールふくしま輸入博(南東北総合卸センターで1986年~1990年代まで開催)

  その他

  東北新幹線開業・カルチャーパーク開園・メッツとレッズが郡山の開成山球場で巨人と対戦・郡山三大病院移転など

 もし2011年に東日本大震災が起きなかったら、私の中では文句なく1974年に開成山陸上競技場で開催された「ワンステップフェスティバル」が堂々の1位になっていた。それほどのビッグイベントで、全国からロックファンが一堂に会し、真夏の5日間、多くのミュージャンが当地で演奏を繰り広げた。矢沢永吉、沢田研二、内田裕也、サディスティックミカバンド、トランザムを始め、なんとジョンレノン夫人の「オノ・ヨーコ」までもが来郡し、人気をさらった。これをきっかけに、フォークやロックのフェスティバル(音楽の祭典)が開催されるようになったと思う。それにしても、なぜこれほどの大物アーティストを集めた一大イベントが郡山市で開催されたのか?それまでも「中津川フォークジャンボリー」や「嬬恋」などではこのようなイベントは行われていたが。

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 今日は我が街・郡山市のごく一部の方にしか認知されないような一風変わったスポットに焦点を当ててみた。死ぬまでには自分が生まれ育った故郷については知らないことがないくらい、自分の足で踏みしめ、しかと確かめたいものだ。

 追記

 今回は3回シリーズの記事として編纂しましたが、また「隠れスポット」が見つかったら、同じタイトルで第4弾として掲載したいと思います。できれば、「こういう珍しいスポットがある」とご存知の方は、コメント等でお知らせ願えれば幸いです。
 それは、旧ブログ「時遊人SUZUのひとり言」でも取り上げなかった場所であればさらに有り難いです。

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