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2020年10月 6日 (火)

郡山市民でもあまり知らない隠れスポット①

   私の「郡山市民歴」は47年で、大学の4年間は東京都民、社会人になってからは、1年間は会津若松市民、4年間はいわき市民となった。ゆえに、郡山市の昔のことも多少は知っているし、その間、何が起きたのかも知っているつもりだ。「磐光パラダイス」で火災が発生し、大惨事になった時は5歳だったし、伝説となった「ワンステップフェスティバル」が開催された時は小学生の頃で、9歳だった。もう30年もすれば「郡山の生き字引」になるのではないかと自惚れにも自負してしまいそうだ。

 そんな私でも、実はあまり訪れたことがない地区があって、湖南町、中田町、田村町などは市の中心部から離れているため、よほどのことがない限り行く機会がないことから私にとっては縁遠い存在だ。由緒ある寺院があるのは理解しているし、有名な施設や場所は訪れたことがある。

 しかし、ガイドブックや郡山市のHPにも載らないような、地元民だけが知っているスポットには私も足を踏み入れたことがない。今回はそういう隠れスポットを当ててみたい。

 1 「坂上田村麻呂は郡山で生まれた?」

 よくある言い伝えだが、「本当にそうなのか?」という眉唾ものの話はどこにでも転がっている。例えば、大河ドラマ「義経」で、「源義経」の妾で、今話題の「石原さとみ」が演じた、絶世の美女と謳われた「静御前」の終焉の地が、ここ郡山の西部に或る「美女池」だというのだ。信憑性は低いが、まさか観光客誘致のための作り話ではないだろうが、なぜそんな話が湧き出たのか不思議だ。そんな類の話で、ある歴史上の偉人がここ郡山で生を受けたというのだ。「そんな筈はない」と思う人が大半だろうが、その人の名は「坂上田村麻呂」。

Tamuramaro

 「坂上田村麻呂」と言えば、平安時代初期に日本人初の征夷大将軍となった大人物。しかし、彼の出生を探っても、どこにもそんな記述も伝記も見当たらない。つまりは不詳で謎なのだ。なのに、ここ郡山市田村町徳定の日大東北高校の南側には、どういうわけか彼の出生地を示す石碑(生誕の地碑)が建てられている。

 ものの本によれば、天平宝字2年(758年)、つまりは奈良時代の末期に坂上苅田麻呂の次男、または三男として誕生。生年は田村麻呂の薨伝に記録された没年からの逆算。母のことは一切不明で父の苅田麻呂は31歳、生まれた場所についてもあきらかにされていない。

 ということから、ただ単に、姓名に「田村」の文字の記載があるというだけで、同じ地名であるこの場所で生まれたなどとこじつけやでっち上げの偽話を作り上げただけとも考えられる。

 それで、10月4日(日)、真偽のほどを確かめたくて、いわき出張の帰りに国道を外れ、その問題の場所に立ち寄ってみた。 

 まず、迷い込んだ狭い道の住宅地を彷徨っていると、偶然現れたお寺の一角に設けてある「生誕の地碑」を見つけた。しかし、車が2台すれ違えないような人通りの少ない狭い道路にひっそりと佇んでおり、注意して見ないと、そのまま気づかずに通過してしまいそうな辺鄙な場所にあった。

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 左の画像は「征夷大将軍・坂上田村麻呂生誕の地碑」で、右は赤子の時に産湯を浸かったとされる「産清水池」。

 歴史に名を残す「坂上田村麻呂」が生まれた場所にしては、「征夷大将軍」にまで上り詰めた功績とはあまりにもかけ離れている。ひっそりと寂しすぎるスポットなので疑わしく思えたし、逆に可哀想に思えて来た。本当にこんな場所で生まれたのだろうか?甚だ疑問で、炉辺談の域を脱せず、どうも信用が置けない印象だった。それに「生誕の地」と謳っている割には、石碑にそれを裏付ける標示も無ければ言われなどを記した説明書きらしき物も無かった。つまり、郡山が「生誕の地」であることを示す確証は何ひとつなかったのだ。

 続いて下の画像はずべて「谷地神社(やちごんげん)」 

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 「生誕の地碑」から東に100mほど離れた場所にある、この「谷地神社」は、 田村麻呂の生母、「阿口陀媛」を祀った神社とされている。母親のことは一切不明とされているのに、どうしてここが坂上田村麻呂の母親を祀った神社と断言できるのか不思議。

 しかも、「小野小町」の祖父である「小野笙」 の出生地が「福島県小野町」であるという言い伝えと同様、そんな大人物を産んだ母親を祀ったにしては、あまりにも貧相な作りだ。言っちゃ悪いが、秋祭りの子ども神輿のような造り。あまりにも社(やしろ)自体が小さい。

 その神社は、周囲は広々とした草むらに覆われている湿地帯で、誰もお参りどころか近づける雰囲気も気配もない。人っ子一人いない寂しすぎる場所に、このような神社がお祀りしてあるのも強烈な違和感を感じた。

 仮にも将軍の母親なのに、それにしては扱いが雑で惨すぎるように思えた。もしこれがガセではなく確証ある本物の話であるなら、学会に発表するなり、もっと市を挙げて「坂上田村麻呂生誕の地」を大々的にアピールして然るべきなのに、一部の学識者や田村町の一部の人しか知らないのは何故だろう?どう考えてもつじつまが合わない話だ。

 やはり、実際に訪れて見たら、誹謗中傷する意図は全くないが、地元の方には悪いが、そこは単なる町おこしの「人寄せパンダ」のような部類で、何とか「坂上田村麻呂」をネタに地域を盛り上げようとする意図が見え隠れする「夢や浪漫の世界」を感じさせる珍スポットだった。

 さて、今回の記事は、「郡山市内に眠る隠れスポット」を3か所取り上げる予定で、いったんは完成したのだが、1回の記事で収めるには長すぎる記載となったため、本日より3回に分けてお送りします。ネタバレだが、明日は同じタイトルで、違う場所の話題をお送りします。皆さんもどこが隠れスポットとして登場するか、ぜひ予想してみてください。

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 追記(10月6日)

 やはり今、郡山が危ない。10月も6日しか経過していない時点で、福島県の新型コロナの新規感染者は10月だけで26名。そのうち23名が郡山市に一極集中し、感染経路不明の市中感染が広まっている。累計としては郡山市の感染総数が90名に達し、2番目に多い福島市でも29名なので、3倍以上でダントツ。しかも福島県全域の感染者数は、10月6日現在で279名いるが、そのうち郡山市は3分の1近くに上る。それだけ郡山市に感染者が集中している。
 PCR検査の実施数がダントツに多いのもその理由だが、実際、郡山市はビジネス拠点でもあり、首都圏から多くのサラリーマンが商用で出張してやって来る。交通の要衝なので、県内だけでも郡山に人が集まりやすい土地柄だ。

 県は個人情報ばかりに気を取られ、死者4名の市町村を発表していないが、この郡山市に感染者が集中している現況から判断し、ほぼ郡山市在住の方だったと推察できる。

 この危機的状況に追い込まれても、市は独自の「緊急事態宣言」のような対応を発令していない。市長は日々、感染者の発表をするだけで、コロナ対策へのリーダシップがまったく発揮できていない。東大出身者は学歴だけは立派だが、昨年の台風対策と言い、今年のコロナ急増と言い、一番肝心な市民を守る手立てや対策は何もできないのか?しかも、この日、3期目に向けて出馬表明をするとの見通しが発表された。私は市政などは2期8年で十分だとの持論を持っている。長くやるとマンネリでろくなことが無い。これまで14代いる市長で3期以上務めたのは、秀瀬日吉(18年)、藤森英二(12年)の2人しかいない。来年で76歳を迎える高齢の現市長は、自ら身を引いた方が賢明だと思うが。本当にやると決断するなら、3期の任期満了時点では満80歳だ。健康問題が必ず浮上するのだから、市長の勇退への英断も必要になる。今こそ真価が問われる。

 郡山市を訪れる方は、最善の感染防止策を徹底して頂きたいと思う。

 参考:ラジオ福島のHP→ http://www.rfc.jp/corona/#data2  この情報がコロナ感染状況を一番わかりやすく伝えている。

 

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