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2020年10月23日 (金)

廃レジャー施設の今(東日本編)

 この記事は、私が身近に感じていた遊園地やレジャー施設が廃園となり、その後どうなってしまったか、追跡調査の意味合いから掲載するものである。念のため断っておくが、私は廃屋マニアでは断じてなく、ただ昔存在したのに無くなってしまったものに郷愁を覚え、ただ単に懐かしみたいだけだ。今回は動画は排除し、すべて画像でお送りします。

 福島県内

 1.磐光パラダイス

 1969年2月5日に、私が4歳の時に大火災があって、30人が亡くなった。その時、家の前をけたたましくサイレンを鳴らして現場に向かう消防車の列を 覚えている。その後、ホテルとレジャー施設が再建された。私は6~7回は遊びに行ったと思う。
 2階の温泉にありがちな大広間でショーをやっていたが、子どもだったので金粉ショーは見せてもらえなかった。だが、「フィンガー5」がショーをやりに来た時は、ゲームコーナーで目の前にいたメンバーに会えたし、ホテルを探検した時に、偶然エレベーターから出て来た5人と鉢合わせになって驚いた記憶がある。
 その後、取り壊されて、しばらく更地になっていたが、一昨年、ここに人工芝が美しいフットボールセンター「ほっとあたみ」が完成し、オープンした。

Bankou
Football
Atamimap

 半世紀前の大火災とはいえ、大勢の宿泊客が亡くなった場所に屋外のスポーツ施設建設とは…。祟りで怪我人続出とならなければいいのですが。

 2.高子沼グリーンランド

 1973年にオープンし、特にバブル期にはジェットコースターを設置して大々的にテレビCMで宣伝していた県北の遊園地。あぶくま急行線沿いの山(丘陵)の傾斜を利用して築かれ、県内初の本格的なジェットコースター設置とあって、当時は随分賑わったものだ。県内ではCMも夕方を中心に結構流された。
 1999年に廃園後、10年くらいはそのまま放置され、不気味さに加え心霊スポット化したが、2006年にはすべて解体され、現在は遊具はすべて撤去され、当時の面影はまったく見られなくなった。そしてソーラーパネルがあちこちに置かれ、太陽光発電の基地のような佇ずまいとなっている。

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 Youtubeやネットなどには、ここで死亡事故が起きて心霊スポットになったとの記載が多いが、まったくのガセで、ここで死亡事故など一切起きていない。遊園地自体が、客足不足で経営が成り立たず廃園に追い込まれたのだが、その後の放置された期間が長いため、そんな都市伝説のような噂話が増幅したと考えられる。

 <追記> 2020.11.23

 この日、福島出張の帰りに立ち寄ってみた。「兵どもが夢の跡」と言った風情で、よもや20年前まで多くの来園者の歓声がこだましていた遊園地があったとは思えない殺風景な佇まいで、寂しい印象しかなかった。栄枯盛衰をしみじみと感じた時間だった。

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 3.郡山レジャーセンター

 当初は温泉施設の「郡山ヘルスセンター」としてオープンした。しかし、親子が気楽に遊べる施設を目指し、大型遊具(飛行機の回転遊具やミニ汽車、コーヒーカップなど)が設置され、植物園もあった。屋内ではヤシの木や世界の国旗が張り巡らされてあった。
 しかし、「レジャーセンター」になって間もなく、ミニ動物園を設置した時に、檻の中のクマに少女が餌をやろうとして腕を食いちぎられる痛ましい事故(昭和49年11月4日)があって、悪い評判が立ち、昭和52年頃には閉園したと思う。その後、取り壊され、その跡地には「郡山パークランドホテル」が建ち、その後は「迎賓館グランプラス」という豪華な結婚式場になり、しばらく栄華を極めたが、今は取り壊されて、更地となっている。

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 4.姫沼アートランド 

 ここの存在を知っている方は少ないだろう。猪苗代町から土湯峠に向かって国道115号線を登って行くと、途中、旧母成グリーンラインの中ノ沢温泉から来る道と合流する。そこからさらに500mほど登った左側に、旧姫沼ランドの入口があった。とはいえ、今はそこに一大レジャー施設があったことを示すゲートも無ければ看板も無い。だから絶対に見落として入口は見つけにくい筈だ。私はここ5年で3回訪れている。不気味な三角屋根のロッジ(レストラン)が出迎え、その奥にひっそりと湖のような沼が出現する。
 一見すると、犬神家の一族の下半身だけの死体が浮かんできたような場所で、まず人がいないため、薄気味悪いし、今にもクマに襲われそうな場所だ。児童公園らしきブランコや滑り台が朽ち果てて残っているが、ここにレジャー施設があったとは思えない。
 私は亡き父親に連れられて、釣りをやったことがある。鱒を釣った記憶がある。何度釣り針を木の枝に引っ掛けて、叱られた想い出がある。
 今は当時の面影は偲べないが、紅葉シーズンには湖面に映るカラフルな景色に見惚れることうけあいだ。

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 宮城県内

 1.マリンピア松島水族館

 かつて宮城県宮城郡松島町に存在した水族館。日本三景・松島の松島海岸公園グリーン広場南端に立地していた。1927年(昭和2年)4月1日に開館し、2015年(平成27年)5月10日に閉館した。
 「仙台うみの杜水族館」の開館に伴い、老朽化が激しかったこの水族館も閉館に追い込まれた。水族館にいた人気者だったアシカやイルカも引っ越しした。現在も解体されず、閉園前と変わらぬ状態。

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 2.化女沼レジャーランド 

 1979年から2001年にかけて日本の宮城県古川市小野遠沢(現大崎市古川小野遠沢)で運営されていた遊園地。旧名、化女沼保養ランド。閉鎖後は、 跡地の買い手が付かず廃墟化している。化女沼の東側にある。 
 ここは一度も訪れたことが無い。どんな遊具があったのかも分からないが、宮城県民、特に仙台市民のオアシス的な存在だったのは疑いようがない。しかし、今は荒れ放題の惨状で、心霊スポット化し、肝試しのメッカになるのもわかるようなありさまだ。

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 新潟県内

 1.新潟ロシア村 

 開園は1993年で、ロシアとの文化交流を目的に県内初のテーマパークとして開園したが、 2004年、ここも私が訪れる前に閉園してしまった。広大な敷地に、ロシアの街並みを再現した。コザックダンスやロシア民謡などを本物のロシア人が演じていた。
 閉園以降、施設内外の引き払いの処理が行われなかったために敷地内には開園当時の展示物や備品が放置されたままとなり、周囲に人家等がないこともあって警備体制に不備が多く、敷地内に人が無断侵入して施設内を荒らす事件が相次ぎ、施設の荒廃が進んだ。年月が経つにつれ各施設は風雪による劣化が進んで廃墟と化してゆき、2009年には不審火によってホテル棟が全焼する火災が発生している。 

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 栃木県内

 1.那須ロイヤルセンター  

 かつて栃木県那須郡那須町高久乙にあった、福島交通グループ(小針暦二グループ)が経営していた屋内型遊園地を含む温泉レジャー施設。
 1968年(昭和43年)12月に本館である「那須ロイヤルホテル」が完成し那須高原に開場した施設で、レジャーランド及びホテル別館と第二別館は1969年4月に開業。東京ドーム10個分の広大な敷地の中に遊園地の他に、ホテル、大劇場、テニスコート、美術館、ゴーカートコースまで揃えた夢の一大レジャーランドであった。昭和50年(1975年)、盛況を誇った当時の施設は「プロムナード館」、「ファンタラマ館」、「レストランシアター」、「ショールーム」、「ホテル本館・別館」、「ボーリング場」、「ファンタラマ温室」、「ホステル館」(後にホテル第二別館と改称)、「ゴーカート」、「大庭園」(つつじ園)、「屋外プール」、「人工池」、「社員宿舎」で、センター全体の総工費は60億円(1969年当時)、当時の従業員数は800名、年商25億円だったが、経営母体の破産から2000年(平成12年)で営業を終え、跡地は一部がコナミ研修センターとなった他は別荘地として分譲されている。 
 ここの目玉は「ファンタタラマ」で、船に乗って館内を巡ると、世界の民族音楽が流れ、民族衣装を身にまとった人形たちが、踊りを展開している、TDLのイッツァスモールワールドよりも前に出来ただけにその価値は高い。

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 東京都

 1.ららぽーとスキードーム「SSAWS」(ザウス) 

 今ではバブル期の遺産となった千葉県船橋にあった屋内スキー場。1993年7月15日から2002年9月30日まで営業を行っていた。巨大迷路の跡地にオープンし、当時は、世界最大かつ史上最大の屋内スキー場であった。その大きさは、高低差が設備としては100m、ゲレンデとしては約80m、長さが設備としては500m、ゲレンデとしては約480m、幅が約100mというものである。三井不動産が京葉線南船橋駅の近隣地に建設し、運営は船橋ヘルスセンターなどを経営していた株式会社ららぽーと(当時)が行っていた。施工は鹿島建設。総工費は約400億円。 
 コースは下半分が初級者用で、上部スロープに向かって左側が中級者用イエローコース、右側が上級者用レッドコースにそれぞれ分かれたものになっていた。初入場料+2時間滑走料金で5,900円であったが、後に5,400円に改定された。

 私は平成5年に家内と一緒に訪れたことがある。外見は長細い巨大な施設だが、中に入ると緩やかな天井の低いスキー場だった。すべてが斬新でオシャレを絵に描いたような造りだった。しかし、貸しスキーのエッジが効かず、雪質もザラメで重く滑りにくいため、SAJ1級の私でも上手くターンできないなど難しいゲレンデだった。

 現在、その跡地には「IKEA Tokyo-Bay」や大型マンションが建っていて、当時を偲ぶものは何も残っていない。

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 2.豊島園 

 1927年に開園し、94年間営業を続けてきたが、今年8月末で長い歴史に終止符を打った老舗遊園地。都民には親しまれた人気のスポットだった。昨年には「ふわふわウォーターランド」のプールで女児が溺死するなどの事故があった。解体後は「ハリーポッター」のアトラクションとして生まれ変わることが予定されている。
 私は小学生と中学生の頃に二度訪れた。西武池袋線(豊島線)で、住宅街すれすれに走り、終着駅の「としまえん駅」の目の前が正面入り口だった。天井から電気を供給するゴーカートやお化け屋敷などが定番で、都心なのに広い敷地を有するという記憶がある。
 
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 神奈川県

 1.向ケ丘遊園

 1927年(昭和2年)から2002年(平成14年)まで営業していた小田急電鉄系の遊園地。 「花と緑の遊園地」として手入れされた園内は、四季折々の花々で鮮やかに咲き誇っていた。
 私は訪れたことはないが、1980年代には、テレビドラマにしょっちゅう登場していた。「陽あたり良好!」や「生徒諸君!」、「ただいま放課後」などの学園ドラマには欠かせない存在だった。急こう配で幅広の大階段がシンボルで、その丘陵の上に大観覧車などの遊具が展開していた。 

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 2.横浜ドリームランド 

 日本ドリーム観光株式会社により1964年に開園。同社により、翌1965年には併設の高層ホテル「ホテルエンパイア」、1966年にはアクセス路線としてドリームランドモノレールが開業(翌1967年運行休止)、一大レジャーランドとなった。2002年に経営悪化のため閉園、翌2003年にモノレールも廃止された。東京ディズニーランドや近隣の八景島シーパラダイスなどの開園により、競争が激化して客足が遠のいたのが背景にあったようだ。

 幼稚園くらいの時に宿泊し、そして小学生高学年でも2回ほど訪ねた。大船駅?から直通のモノレールのような乗り物に乗って訪ねた記憶があるが、詳しくは覚えていない。そこで、絵描きさんに似顔絵を描いてもらった覚えがある。お気に入りは何といっても潜水艦で、園内の水中プールのようなところを探検気分で周遊し、最後は、滝が流れる岩場から潜水艦が現れるという仕掛けだった。東京方面には毎年にように夏休みに旅行したが、ここの遊園地が一番お気に入りで、想い出に残っている。

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 多くの人々の歓声がこだまし、響いていた園内。おそらく子供の頃の大切な想い出がたくさん詰まってあった場所。時代の流れとは言え、「思い出の場所」が姿を消すのは居た堪れない気持ちになる。栄枯盛衰を感じるし、哀愁が漂うが、もう解体されて跡形も無くなった場所もあれば、未だに撤去費用が賄えず、無残にも放置されている例もある。また、一部の施設が残っている施設もあり、当時の面影を偲べる場所も多少だがあるにはある。様々な人々の思いが染みついた場所、それが遊園地であるし、レジャー施設なのだ。今は万感の思いと今は無きスポットに特別な思いをしたためたくて本日の記事を掲載してみました。

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コメント

 郡山レジャーセンターは、実は私の実家の近隣地区になりますね。目の前が須賀川市という場所で、私が住んでいたころは、すでにパークランドホテルになっていました。同級生のお父さんがホテルの幹部だった記憶があります。

 ところで、レジャーランド時代のクマの件は初めて聞きました。噛まれただけではなく、食いちぎられたというのは本当ですか?今その方はどうしているんでしょうか・・・。


・・・・・
 おつさん、こんばんわ。かつて安積町の方にお住まいだったんですね。クマの件は痛ましい事故だったと思います。確か、私と同い年くらいの女の子で、命はかろうじて助かったのですが、本人やご家族のショックは計り知れなかったでしょうし、その後の生活にも支障を来したと思われます。新聞にそのニュースが載っていたのは覚えているのですが、その後、その女の子がどうなったのかは存じ上げません。おそらく、追跡しないほうが、ご本人のためだと思います。
 私自身、幼少の頃にレジャーセンターには数回、親に連れて行って貰い遊んだ記憶がありますが、パークランドホテルになってからは一度も行っていません。中学校の同じ部活だった友達が安積中に転校し、パークランドホテルの北側の一軒家まで自転車で遊びに行った記憶があります。パークランドホテル自体には行ったことが無いです。もっとレジャーセンターの写真を撮っておけばよかったのですが、ウチの亡くなった父はカメラに疎く、あちこち旅行に行っても一度も写真を撮ってもらった記憶がありません。だから旅行の写真は一枚も残っていません。信じられない話ですね。(SUZU)

 安積中は私の母校ですね。実は距離的には、須賀川市の仁井田中に通っても同じだったのですが、やはり学区の都合上で安積中になりました。ちょうど私の世代は県内有数ともいえるマンモス校で、生徒が多すぎるということで安積二中が出来ました。ちなみに私の弟は安積中に1年、安積二中に2年という移行期世代でした。

 最近はどの学校も少子化で生徒数が少なくなりましたね。息子の小学校も1クラス25人程度で、1クラス40人などというのはもう昔話になってしまったようです。
・・・・・・・・・・
 へぇ~そうなんですね。確かに少子化の影響は大ですね。西田町もいくつかの学校が統廃合されて、西田学園にまとまり、湖南などは4~5つまとめて閉校になりました。母校が無くなるのってやっぱり寂しいでしょうね。私の小学校は芳山小学校、郡山2中学区でしたが、めっきり児童・生徒数が減っているみたいですね。小学校は40人学級3クラス、中学校も7クラスあったのに・・・。栄枯盛衰を感じます。(SUZU)

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