2020年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 郡山市のコロナ感染者、ついに100名突破の現実 | トップページ | 「杉本竜一」の世界観 »

2020年10月11日 (日)

伝説の郡山ワンステップフェスティバル in 1974

 この記事は、今から5年以上前の2015年1月10日(土)に、旧ブログ「時遊人SUZUのひとり言」で掲載したものです。今回、郡山市民のみならず全国の方に、伝説となったロックフェスティバルが、ここ郡山市を舞台に開催された事実を記憶に留めてほしくて、リライトして再掲載したいと思います。

 時を遡ること46年前の1974年(昭和49年)、当時私は9歳の小学校4年生だった。その年に、当地郡山において伝説として今も語り継がれる、或る音楽のビッグイベントが開催されたのだった。
 それは郡山市が「新産業都市」に指定されてから10周年を記念しての一大スペクタクルショーだった。その名は「One Step Festival 1974」。おそらくは50代以上の郡山市民ならば、懐かしく当時を思い出すことだろう。では早速当時を回顧したい。

 <イベント概要>

 ワンステップフェスティバルは、1974年8月4日から5日、同8日から10日に福島県郡山市開成山公園内の総合陸上競技場で開かれたロック・フェスティバル。出演したロックバンドやシンガーの数は5日間で36組もあった。全国のロックファンが郡山に一堂に会し、それは華やかで興奮と熱狂的なイベントになった。

Onestep2 Onestep
Onestep3 Onestep4

 「広報こおりやま」掲載記事はコチラ

 <出演者一覧>

あんぜんバンド
イエロー
異邦人
ウエスト・ロード・ブルース・バンド
上田正樹&サウス・トゥ・サウス
内田裕也&1815ロックンロール・バンド
オリジナル・ディラン
かまやつひろし
クリス・クリストファーソン&リタ・クーリッジ
神無月
キャロル(矢沢永吉)
久保田麻琴と夕焼け楽団
クリエーション
グレープジャム
外道
サディスティック・ミカ・バンド
沢田研二&井上堯之バンド
サンハウス
シュガー・ベイブ
センチメンタル・シティ・ロマンス
ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(宇崎竜童)
つのだひろ&スペース・バンド
トランザム
南無
はちみつぱい
ブルースハウス・ブルースバンド
ミッキー吉野グループ(後にゴダイゴ結成)
宮下フミオ
めんたんぴん
ヨーコ・オノ&プラスチック・オノ・スーパー・バンド (→プラスティック・オノ・バンド)
四人囃子
ラヴ
りりぃ
VSOP
ソウルパワー

 では「動画サイト」に投稿してあるその時の模様を垣間見てほしい。(予告なく削除される場合がありますのでご了承ください)

 1 サディスティック・ミカバンド 「塀までひとっとび」

 真夏の祭典だったたけに、上半身裸でパフォーマンスする出演者や観衆がいた。この当時、サディスティックミカバンドは過激な部類で、あまりテレビの歌番組などには登場しなかった。

 2 上田正樹 「戻りたいなんてあらへん」

 観衆も興奮状態で踊りまくった。昔流行った「ゴーゴー」や「モンキーダンス」のような踊りが主流だった。「ロックンロール」や50’s風の「ツイスト」もあった。

 3 キャロル

 今ではレアな「お宝映像」。ビートルズの影響を受けていることを実感できる。上下の皮ジャンスタイルはお馴染み。ポマードにリーゼントスタイルが当時のロックの象徴だった。同時期には「クールス」も活躍していたし、その後で宇崎竜童率いる「ダウンタウンブギウギバンド」も活躍した。昨年、メンバーだったジョニー大倉が亡くなったことで、伝説度が増し、貴重な映像となった。

 4 沢田研二&井上堯之 内田裕也

 昭和の大スターとして名を馳せた沢田研二は、グループサウンズ時代「ザ・タイガーズ」のリードヴォーカルだった。人気絶頂で、このような井上堯之との臨時のコラボバンドは珍しい。

5 オノ・ヨーコ

 オノヨーコと言えば、ザ・ビートルズのジョン・レノンの妻。彼女のようなビッグネームの大スターも郡山へ来て、この記念すべきイベントに出演したのだった。なんと上の映像の中に、私の実家が映っている。

 当時は、フォークイベントは嬬恋や中津川フォークジャンボリなどがあったが、大掛かりなロックの祭典は少なく、これほどの威容を誇ったロックフェスは、郡山が最初の試みだった。私は当時、小学生だっため、ロックのロの字も知らず、自宅から徒歩で15分ほどの会場だったにもかからず、こんな貴重なイベントを見逃してしまった。たぶん中学生くらいだったら、絶対に友達と見に行き、ロックの洗礼を受けていたに違いない。

 余談なるが、その時、開成山公園内とその周辺において一大子ども祭りが同時開催され、ヘリコプターの体験乗車や健康診断、期間限定のジェットコースター運行も行われた。また五十鈴湖では軍艦のラジコン操縦も出来たし、空気で膨らませる巨大トランポリンなどの遊具もあり、それは大盛況だった。何を隠そう、私は当時小4だったが、友達3人でのど自慢大会みたいなのに応募し、仮設舞台の上で「母に捧げるバラード」を歌った記憶がある。でもあまりに大勢の人の前で、緊張し、あまり声が出なかった。

 この一大イベントが行われてから41年が経過した。私も歳をとる筈だ。モノクロの映像が時代や歴史、歳月を感じてしまう。2011年には私の同級生の箭内道彦が主催し、熱海のスケート場で大規模な「LIVE福島」が開催されたり、昨年、郡山で「B-1グランプリ」が開催されて大いに盛り上がった。再び被災地が活気を取り戻す意味でも、こうしたイベントは切らさずに継続して実施してほしい。そして「福島は元気です」と全世界に向けて発信できたらこの上ない喜びに思う。

 最後に、この模様がDVD化され、市販された。出演者の多くがお亡くなりになられているのは残念で仕方ない。その一部を垣間見えるシーンが動画サイトにアップされていたのでそれを取り上げて結びとしたい。当時、どれほどの盛り上げを見せたか感じ取れると思う。

 昭和40年代の頃の旧郡山駅や駅前周辺の街の様子、コンサートの模様などがカラー映像で残されているのはとても貴重で、永久保存版としたい。

  さて、私はこのLIVEをきっかけにして郡山市が音楽都市としての地位を確立する礎になったと考えている。郡山市民の方は、今でいう伝説のロックミュージシャンたちが、ここ郡山に集い、一堂に会して5日間限りの夢のフェスティバルが行われた開催されたことを誇りに思ってほしい。

 

« 郡山市のコロナ感染者、ついに100名突破の現実 | トップページ | 「杉本竜一」の世界観 »

郡山の話題」カテゴリの記事

コメント

SUZUさんこんにちは。私は既に中三でしたが学校からは「近づくな!」という戒厳令が出ていました。多分市内の高校にも行かないようにとの御触がでていたものと思われます。現代なら構わず見に行くところですがあの時代では学校に逆らえませんでしたね~。もう本当に残念でした。

・・・・・・・・・・・
Kannoさん、こんにちは。やはりそうでしょうね。首都圏を始め全国から多くのロックファンが訪れて来ましたから。当時はフォークブームはありましたが、ロック=不良のようなイメージがあって、遊び人が多く危険だと思われていたんでしょうね。
それにしても動画を見れば理由がわかったのですが、郡山という一地方都市で、これほどのスーパースターたちを一堂に会してのロックフェスをよく企画し、集めましたね。しかもあのオノ・ヨーコまで。その労力の方が凄いと思います。震災後、私の同級生の箭内道彦が企画して熱海の屋外スケート場で「風とロックLIVE」をやり、西田敏行や福山雅治、それに女優の長澤まさみもやって来ましたが、それ以上のメンツですから、当時は熱狂的だったと思います。今なら間違いなく見に行っているでしょう。(SUZU)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 郡山市のコロナ感染者、ついに100名突破の現実 | トップページ | 「杉本竜一」の世界観 »