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2020年9月 5日 (土)

天国へ旅立ったプロ野球の名選手たち

 私が小中学生の頃は、プロ野球選手は憧れの存在だった。輝かしい舞台で華々しい活躍をした選手たちを羨望のまなざしで見ていた記憶がある。特に小学生の頃は、巨人V9の真っただ中で、それこそONは大好きだったし、実際に球場で本人たちのプレーを間近で観たこともある。
 小学生の頃は「ジャイアンツ帽」をかぶり、放課後のソフトボールでは、ホームランを打つ度に王選手にあやかって「第〇〇号」と叫びながらダイヤモンドを一周した記憶がある。 

 同時代を生きた往年のプロ野球選手が、歳を追うごとに鬼籍に入られていくのを目の当たりにして残念に思っている。特に昨年から今年にかけて、立て続けに人気選手や監督だった方々が亡くなられたとの報に接し、ショックは隠せない。

 私が記憶にある今は亡き名選手と言えば・・・

 1 稲尾和久(西鉄)巨人との日本シリーズで、伝説の4連投4連勝は語り草で、「神様・仏様・稲尾様」と形容された。

 2 豊田泰光(西鉄)三原西鉄の黄金期を支えた主力メンバー
 3 土井正三(巨人)V9戦士 阪急との日本シリーズで伝説のホームインは伝説になった。
 4 川上哲治(巨人)赤バットを駆使し「打撃の神様」。黎明期の巨人の屋台骨を支え、監督としても日本シリーズV9を達成した。
 5 星野仙一(中日)熱血漢で、鉄拳制裁もやむなし 阪神、楽天で優勝監督になった。男気溢れるプレーでファンを魅了した。 
 6 金田正一(国鉄)ご存知400勝投手 弱小ヤクルトにあって、これだけ勝ち星を積み重ねた気骨の人
 7 野村克也(南海・ヤクルトなど)捕手として三冠王を達成した唯一の人物。監督兼任選手としても活躍 監督としても理論は一流。
 8 津田恒美(広島)「炎のストッパー」という異名をとった広島のリリーフエース。気迫で圧倒し、三振のなで斬り。
 9 衣笠祥雄(広島)連続試合出場の世界記録保持者で「国民栄誉賞」を獲得した「鉄人」。

10 香川伸行(南海)浪商時代に「牛島和彦」とバッテリーを組み、甲子園を沸かせたスラッガー。そのずんぐりむっくりの体型から「ドカベン」という愛称がついてファンに愛された。6年前に52歳という若さで心筋梗塞により自宅で急逝された。    

Nishitetsu
Kanedanomura

 記憶に残る名選手はやはり個性的なB型が多い。土井、津田、衣笠の3人はO型、星野はAB型だが、それ以外の5人はB型

 上に挙げた10名の選手は全員、天国に旅立たれた。信じられない。常にテレビに出ていた方たちで、私たち野球ファンを魅了し続けた、いわば功労者たちだ。今も現役時代の元気な姿や監督として采配を振るっていた場面が脳裏に焼き付いて離れない。 

 今もご健在で活躍中の大御所

 1 長嶋茂雄(巨人)「燃える男」「ミスタープロ野球」としてファンを魅了したNo.1プレーヤー。
 2 王 貞治(巨人)「一本足打法」で通算868本を放った「世界のホームラン王」。私の子どもの頃のスーパースター。
 3 中西 太(巨人)「怪童」と呼ばれた西鉄黄金期の主力メンバーで、ホームランアーティスト ピンポン玉のように飛ばす飛距離が半端なかった。
 4 張本 勲(東映など)「3,000本安打」を樹立した「安打製造機」。東映のミサイル打線の核を担った。球界のご意見番として権力を誇示している。
 5 山本浩二(広島)「ミスター赤ヘル」で古葉監督の下、衣笠と二枚看板で広島の黄金期を支えた功労者。
 6 村田兆治(ロッテ)広島県出身「マサカリ投法」で鋭いフォークで打者を翻弄。肘の手術から奇跡の復活を遂げ、サンデー兆治と呼ばれた。 
 7 江夏 豊(阪神・広島など)「優勝請負人」。阪神時代は田淵と黄金バッテリーを組み、オールスターでの9打者連続三振は今も破られていない。広島時代に抑えの切り札として、日本シリーズの近鉄第7戦では、9回無死満塁、一打サヨナラの大ピンチにマウンドに上がり、そこで投げた「江夏の21球」は伝説と化した。

On-kaneda

 しかし、気になるのは、全員が全員、純粋な日本人というわけではなく、王貞治氏は台湾国籍だったし、金田氏、張本氏は在日韓国人、そして、衣笠氏はもちろん日本国籍を有しているが、アフリカ系アメリカ人と日本人のハーフである。純国産ではなかった。

 ユニークなのは、記憶に残る名選手というのは、各々「代名詞」がある点だ。名球会ほどの記録は残せなかったが、原辰徳は「若大将」だったし、あの中畑清だって「絶好調男」とか「ヤッターマン」という異名をとった。監督としては成績を残せなかった巨人のエースだった堀内恒夫でさえ、現役時代は、その悪態ぶりから「悪童」とか「小天狗」と呼ばれていた。
 江川卓氏は「怪物」と呼ばれ、作新高校時代からずっと豪腕投手で知られ、手元でホップする剛速球で三振の山を築いた。巨人に固執しなければ、今頃、あのずば抜けた野球理論を駆使し、落合監督ばりに監督としても大成していたに違いない。
 そして「平成の怪物」の名をほしいままにしたのは松坂大輔氏だ。もちろん現在も現役を貫いてる。メジャー移籍以降、成績は下り坂だが、高3の最後の公式試合の甲子園決勝で「ノーヒットノーラン」を達成し、名実ともに「怪物」であった。そして同世代の選手たちは、「松坂世代」と呼ばれるまでになった。

本日のタイトルの趣旨から外れるが、入団時、別の意味で記憶に残る選手を取り上げたい。

 鳴り物入りで入団した選手

 1 江川 卓(高卒時、大卒時、浪人時と3度に渡り、ドラフト指名を拒否した)
 2 木田 勇(ノンプロから日本ハムに入団する際、その交渉で東京に土地を用意してくれたら入団してもいいと条件をつけた)
 3 清原和博(熱望していた巨人から指名されず、チームメイトの桑田が巨人指名という悲劇に必死に耐えた)
 4 桑田真澄(KKコンビとして甲子園で22勝を挙げた。早稲田進学を表明しながら、突然の巨人指名で密約説が浮上。ドタバタ劇となった)
 5 新垣 渚(オリックスが指名したが、これを拒否。担当スカウトが自殺するという事件に発展した)
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 7 菅野智之(日本ハム得意のおきて破りの横やり指名で浪人を余儀なくされた。原監督の甥っ子という境遇でも強行指名でふられた)
 8 大谷翔平(メジャー挑戦を表明していたにもかかわらず、日ハム栗山監督が強行指名。強引に説き伏せた)

 日本ハムの強運はすさまじく、大谷翔平以外にも、斎藤佑樹、清宮幸太郎、吉田輝星などの甲子園で活躍したスターたちを含む有望株を抽選の末にことごとく獲得した。その割に育て切れていない。


 さて、今日の記事は天国へ旅立つ名選手がテーマだが、名球会入りした選手も、現役時代は強靭な肉体を有していたのだが、寄る年波には勝てず、病魔に侵され、闘病を余儀なくされている方も大勢いる。

 山本浩二氏(広島)…膀胱がんと肺がんで闘病中

 大島康徳氏(元中日・元日本ハム監督)…大腸がんが肝臓に転移 余命宣告を受けながらも必死に闘病中

 がんを克服して現役復帰した選手

 原口文仁(阪神)・・・大腸がんから復帰を果たす。

 赤松真人(広島)・・・胃がんを克服した。

 冒頭で述べた通り、やはり子供の頃から親しみをもって見ていた往年の名選手がこの世を去るのを見るたびに、残念な気持ちがこみ上 げて来る。あのONでさえも、高齢となり、おふたりとも命にかかわる大病をされた。あの現役時代の華々しい活躍を見ていた者にとっては、あそこまで老化が進むなどとは想像もできなかった。それを自分に照らし合わせれば、肉体を鍛え上げた経験もなく、確実にプロのアスリートよりも体力はおぼつかない。
 これから還暦を過ぎ、仕事をリタイヤし、引きこもりの生活になれば、一気に老化が進み、歩行も困難な状況に追い込まれるかもしれない。
 鍛え抜いたプロのアスリートですら大病を患い、闘病生活を余儀なくされる現状を目の当たりにし、やはり、無理のない形で、毎日運動を心掛けなければと感じた次第だ。退職後、旅行であちこち歩きまわりたいという希望が強いが、それも体力あってのことだ。歩けなくなる前にやはり余生を満喫したい。
   
    

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