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2020年9月26日 (土)

私の東京学生時代の取るに足らない話

 私は198-年4月から東京の私立大学に進学し、憧れの東京生活を送った。世田谷区に住民票を移し、愛車の250CCバイクが「品川」ナンバーとなり、何か都会の一員になれた気がした。ひと目が気になる質のため、満員電車が嫌いで、通学にはもっぱらバイクを使っていた。日吉と三田にあるキャンパスにバイク通学していた。私の大学は「〇〇ボーイ」と呼ばれる金持ちのお坊ちゃまや、英語を流暢に使いこなす帰国子女が多かったり、あるいは女子アナの出身大学で知られるほど都会的な印象だった。

Keio-uni

 一方、私は貧乏学生だったため、いつも着古しのシャツにジーンズで、モテるタイプではなかった。
 では、取り立ててカミングアウトするような出来事もないのだが、少ないエピソードの中から、私が東京生活を送った時期に、記憶にある、どうでもいいような些細な事柄をいくつか挙げてみたい。
 
 1 人間用シャワーに驚き!

  私が憧れの大学生生活を送っていた昭和末期、世の中はバブル景気の真っただ中だった。何と今では「住みたい街ランキング」で常に上位に入るほど人気のある「三軒茶屋」駅が最寄りの「上馬一丁目」のアパートに暮らしていた。とはいえ、そこは貧乏学生だったので、家賃は月4万円足らずで、築30年以上経過した年代ものの木造アパートで、和室6畳一間のいわゆる「1K」アパートで風呂はなかった。幸いにして、徒歩3分程度の場所に銭湯があって、あまり覚えていないが1回270円くらいで入れた。当時、銭湯に行ったことがほぼ初めての経験で、20歳未満だった私は、人前で裸になることに慣れておらず、抵抗もあったので、2日に1回程度しか行かず、もっぱら自宅の台所の水道で全身を拭いていた。
 よく「幸せ!ボンビーガール」で紹介される芸人の下積みの苦労時代を振り返るような生活だった。それに親からの仕送りを無駄遣いするのは気が引けたというのもあった。

 そんなある日、行きつけのR246(玉川通り)沿いにあるスーパー「マルエツ」に食料を調達に行った際、自分が住む街を探検気分で散策してみようと近辺を歩き回ってみた。すると偶然にもスーパーから50mほど環七方面に行ったところに、奇妙なものを見つけた。それは車を洗うコイン洗車場は見かけたことはあったが、「人間用のコインシャワー」だった。奥に細長いプレハブ小屋のような建物で、一見すると自動販売機が並んでいるような造りをしていて、そこには横並びで幅1m程度の5つくらいのボックスがあって、その中に脱衣所とシャワー室があり、100円玉を入れると、7分間?お湯→シャボン液→お湯の順で水が出てくる仕組みだった。地方にはあまりこのような人用のコインシャワーなどないと思うが、これは都会の狭い土地を有効活用した優れもので、「東京はこんな施設まであるのか」と驚愕したものだ。

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 しかし、これは私のような倹約学生にとってはありがたい存在で、手軽にして手頃。ただ唯一の難点は、上下スウェットで出かけ、交通量の激しい、人通りも多いR246の交差点を渡り、シャワーを浴びた後、濡れたくしゃくしゃの髪の毛の状態のまま、再び大通りの交差点を往復しなければならない辛さがあった。信号待ちのバイカーや車のドライバーに好奇な目でジロジロと見られる、突き刺すような視線に耐える必要があった。

 最近、「横浜市中区」にも人用のコインシャワーが誕生し、巷のちょっとした話題になったが、私などはそれを聞いて懐かしく思い出した質だ。おしゃれを絵に描いたような街の代表格「三茶」に、バブル時代によもやこんな珍スポットが実在していたとは・・・。

 ところが、震災後の数年前、25年振りに東京のアパートに立ち寄った際、私が暮らしていたオンボロアパートは綺麗さっぱり取り壊されて更地になっていた。高圧線の鉄塔が敷地にあったので、間違える筈がない。隣りの大家さんの家も綺麗に改築されてあった。もしかすると「東日本大震災」の揺れに耐えきれず、崩壊したのかもしれない。しかも、私が重宝しお世話になったそのコインシャワーも跡形もなく消え去っていた。これが時の流れの儚さなのだとしみじみ感じた次第だ。

 2 私が好きだった場所

 ① 鎌倉

 私には中学生の頃に修学旅行で訪れ、大好きになった場所があった。それは「鎌倉」。源氏によって開かれた古の都である。当時は団体旅行だったため、メジャーなお上りさんコースしか歩いていない。鶴岡八幡宮、高徳院鎌倉大仏、建長寺くらいしか覚えていない。

 次いで8年後の198-年、東京の大学に進学後、春先に真っ先に250㏄バイクでツーリングで訪れたのがこの場所だった。杉本寺、円覚寺、東慶寺、建長寺、長谷寺、極楽寺駅、高徳院などを見て回った。その後、3度目は2009年、職場の慰安旅行で、同僚たちと訪れた時、個別行動で江ノ電の「鎌倉高校前駅」のベンチで長時間座って江ノ島の風景を眺めていたり、腰浜の漁港でコンパクトロッドを使って釣りをした。ルアーを投げ入れた付近をサーファーが波乗りしていたのには驚いた。さすが湘南と感動した。

 そして4度目は2015年に1泊2日でひとり旅で訪れ、小雨の降りしきる中、竹林の寺院などを訪れ、湘南や江ノ島の主だった観光スポットを歩いた。
 鎌倉には郡山ゆかりの久米正雄や文壇に名を残す有名作家たちが修行し研鑽を積み、耽思を重ねた土地柄で、ノーベル賞作家の川端康成もまた当地で腕を磨いた。山の中腹に聳え立つ「鎌倉文学館」には、多くの作家の直筆の原稿が展示してあり、間近に見ることができた。

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 でも、私が鎌倉で一番のお気に入りスポットは、「報国寺」の竹林だ。鎌倉駅から東に2~3km離れた都会の喧騒を感じさせない山中にあり、静寂に包まれたこの場所は、高さ20mはあろうかという竹林に囲まれ、昼間でも鬱蒼と薄暗い。一瞬、都会にいることを忘れてしまいそうな情緒や風情に溢れている。ここを私が好きだった「山岸舞彩」アナと「伊藤友里」アナの仲良しコンビが訪れ、ブログで紹介したのを見て、私も足を延ばした次第だ。

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 実際に訪れてみると、まさに別世界。アニメに出てきそうな侘び寂びのノスタルジックかつ幻想的な世界観に浸れる。「JIN-仁-」のような時代劇気分を満喫できるし、昔風の茶屋で団子を頬張り、古の情趣に触れられる数少ないスポットだ。

 年齢を重ねると、こうした古都の魅力に憑りつかれ、何度も訪ねたくなる。恥ずかしながら、まだ未踏のスポットもある。銭洗い弁天、切通しなども行ったことがない。「縁切寺」の東慶寺は複数回行っているのに・・・。時期も選びたい。混むだろうが紫陽花シーズンに長谷寺を訪れたい。

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  ② 京浜島

 みなさんは、羽田空港の目と鼻の先にある「京浜島」をご存知でしょうか?ここも当時、私のお気に入りのスポットで、ひとりになってもの思いに耽りたい時にはよくバイクを飛ばして訪れたものだ。この場所は、羽田空港の滑走路に並行して埋め立てられた人工の島で、「つばさ公園」では、ひっきりなしに離着陸する大小さまざまな旅客機を間近で眺めることができる。今は姿を消した「ジャンボジェット機」が轟音を立てて飛び交う場面を時の経つのを忘れて見入っていた記憶がある。私が訪れた2年前の夏に、忘れもしない「日航機墜落事故」が起きた。この滑走路から旅立ったジャンボ機123便が、数十分後に操縦不能に陥り、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落し、520人が亡くなったあの事故だ。だから、追悼の意味もって、感慨深く飛び立つ飛行機を眺めていた。

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 蛇足だが、大学4年の時に、或る行事で知り合った他の音大に通う同郷の女子大生と仲良くなり、バイクにタンデムしてここを訪れてデートした想い出もある。その子は実家の近くに住んでいた、お嬢様風で、170cmの長身に黒髪のロングでスタイル抜群の女性だった。同じ郷里で音楽教師になったと風の便りで聞いた。

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 この記事を読んでいるみなさんも、人生の中で想い出に残るスポットは多々あると思いますが、私にとっては「鎌倉」と「京浜島」が脳裏に深く刻まれた懐かしいワンシーンになっていることは否定しようがないところだ。

 3 学生時代のバイトの想い出

 私は夏休みには実家に戻り、家の手伝いをすることが多かった。詳しくは話せないが、バイトは短期に限られていた。例えば、あの当時、東京ディズニーランドが開園して間もない頃だったが、1987年に「オリエンタルランド」のバイトに応募し、2か月間だったが、「ジャングルクルーズ」の船長をしたこともあった。船で未開のジャングルに漂うアマゾン川を探検して航行する例のアトラクションだ。「生きて帰れるかわからないのがジャングル、見送りの人たちに元気よく最期のお別れをしようね。行ってきま~す」と叫ぶ例のセリフを大合唱していた。あの頃は、今よりもアトラクションの数が少なく、バイトも限られていた。オーディオアニマトロにクスを駆使したものや、今は無き「キャプテンE.O」を始め、「魅惑のチキルーム」、「イッツァスモールワールド」、「カリブの海賊」、「空飛ぶダンボ」、「ビッグサンダーマウンテン」、「ミッキーミュージーアム」、「シンデレラ城ミステリーツアー」、「スペースマウンテン」くらいしかなかったと思う。

 ただし、時給は安い割に仕事はハードで、ジャングルクルーズの船長は繰り返し乗船し、丸一日で7~8回は回遊した。一日働いてくたくたになって、それでも日給6,000円程度だった気がする。しかも交通費は込みだった。今は交通費はさすがに出ると思うが。確か昼食は、ランド内で使えるレストランの無料食事券を貰い、それで好きなものを食べた覚えがある。詳しくは覚えていない。

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 ただ唯一嬉しかったことは、ディズニーランドの常連さんから、私が船長の時の船に乗りたくて、何度も並んだという励ましの声をいただいたり、若い女性から下船する際にラブレターを手渡されたことがあった。その手紙には、当時、人気絶頂だった「マッチ(近藤真彦)に似ていてカッコいいですね」とお世辞にも褒めてくれる文面がしたためてあった。とても都会的な可愛らしい20歳くらいの女の子で、なんと連絡先まで書いてあったが、もったいないことにその時、彼女がいなかった私だったが、当時は携帯電話もない時代で、私からは連絡をしなかった。たぶん田舎者なので、都会の女の子を満足させるような遊び場も知らないし、デートも自信がなかったのだと思う。バイトを辞めた途端に、それも自然消滅した感じだ。情けないが、要するに単なる臆病者だったということだ。

 そして大学4年生の時に、忘れ得ないバイトと出会った。3年終了時点で、卒業に必要な単位は修得していたため、最終学年では「卒論」と一部の課程科目を残すだけで、就職活動が一段落する10月以降は、暇で時間を自由に使えた。もちろん、休みを見つけてはあちこちツーリング三昧だったが。
 その時期に、私がバイトに選んだのは「旅行代理店」だった。西新宿にある高層ビル群の一角に茶色の「新宿センタービル」があるが、そこの何と43階のオフィスに職場があった。窓から眼下に見下ろす大東京の景色に圧倒されたのは言うまでもなく、とりわけ魅了されたのはその夜景の美しさで、よく「宝石を散りばめたよう」などと形容されるが、まさにそんな光の瞬きだった。そこで正月明けまで働いた。
 私は英語が好きで、大学1年の時に英語検定2級を取得し、将来は英語を使った職業に就きたいと思い始めた。時同じくして、あの頃のテレビ番組で、「男女7人夏物語(秋物語)」が絶賛放映され、主役の今井良介(明石家さんま)の仕事が「ツアコン」だったことで、私の中で「これだ!」と閃き、「日本旅行」の下請けで、「京王観光」系列の旅行会社にバイトとして入ったのだった。

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 そこで初めて電車通勤を経験した。最寄りの「三軒茶屋」から地下鉄の駅新玉川線(現在は田園都市線)で渋谷駅まで行き、そこで山手線に乗り換えて新宿駅下車。まさに夢のストーリーだった。そして出勤ラッシュのサラリーマンやOLの人波に押されながら地下通路を歩き、会社のある新宿センタービルまで通勤したのだった。

 その旅行会社はハイカラな横文字(カタカナ)の名前だったが、実務は「旅行の計画」、「ホテルや鉄道・バスの切符の手配」「弁当の確保」「添乗業務の補助」などを担っていた。同僚に同じ大学を卒業した先輩もいたことで、何かと居心地は良かった。同郷の女性社員もいた。上司にも気に入られ、私にその気があれば、形だけ入社試験を受けて、正社員にしたいというありがたい話までいただいた。社内では私の入社を認める「稟議書」まで回ったほどだった。私自身も行く行くは「今井良介」のように「ツアコン」として世界をまたにかけて飛び回る生活を思い描いていたのだが、冷静に考えると、当時はバブルの絶頂期。土地が高騰し、とても東京に住めないと自覚した。たぶんどんなに苦労して働いたところで、東京都内に土地を買って自分の城を構えるのは夢のまた夢の話だと悟ったのだ。

 こうして思い悩んでいる時に、故郷から今の仕事の話が舞い込み、やむなく東京は大学卒業と同時に引き払ったというわけだ。

 しかしながら、今振り返ると、この短期間のバイトは、私にとっては大きな経験となっている。一時であったにせよ、東京での夢の生活を送れたし、満員電車は苦手だが、定期券を持ち、電車通勤とはどんなものかも体験できた。しかも、メガバンク(第一勧銀)に口座を開設し、給与振り込みで給料をいただくという経験もできた。当時20代前半の私にとっては、何物にも代えがたい貴重な経験だった。

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 それ以外には、世田谷の図書館で書架の整理のバイトや、神宮球場で、いわゆる入場客のチケットの半券を切る「もぎり」をやったこともあった。短期であっても東京は郡山市とは違い、時給が高く、1980年代後半であっても、時給800円はくだらなかったし、新宿センタービルのバイトは時給1,000円だった。しかし昼食は自分で賄うため、よく地下通路の弁当屋で600円の日替わり弁当を買って、新宿中央公園のベンチで住友三角ビルや三井ビル、京王プラザホテル、安田火災海上ビル、センチュリーハイアットなどの高層ビル群を見上げながら食したものだ。

 さて、自分本位の想い出を振り返りながら、私の学生時代の生活の一端をお知らせした。貧乏学生で、お金を節約する生活に終始したため、当時の若者が普通にやっていたコンパも誘いは多かったが、あまり出なかったし、サークル活動に精を出した訳でもない。友達は車を駆ってサーフィンやら海外旅行やら贅沢三昧の優雅な学生生活を送っていたが、私はバイクでひとり旅に行くのが好きなほうだった。それでも渋谷のビリヤード場で遊んだ経験はあるし、暇さえあればバイクで原宿まで走らせ、「竹下通り」のお気に入りの店で洋服を買ったり、秋葉原の電気街、神田の古本街、上野のバイク街には足を運んだが、無駄遣いをした記憶はなく、真面目な生活を送っていたと思う。学生時代に居酒屋で飲んだことはあってもディスコに行った記憶すらない。
  

 逆に就職した後、そのギャップを埋めるために遊んだ記憶のほうが多い。収入が入る分、車(なんと中古のソアラ)を購入したことで行動半径が広がり、旅行も随分行ったし、10人程度の友人グループでカラオケスナック、ムーディーなカクテルバーにも出向いたし、20代に付き合っていた彼女とドライブデート、スナックやプールバーにもよく出かけた。なんと「東京ディズニーランド」も、バイトを除けば就職してからのほうが数多く行ったと思う。しかも毎回、同伴者が違うという感じだった。でもプレイボーイなどではなく、節度ある行動を心掛けたつもりだし、フラれることのほうが遥かに多い半生だった。ほかにも今は無き「豊島園」にも複数回行ったし、もっと前に廃園になった「横浜ドリームランド」にも何度か行った。「東京モーターショー」にも車で足を運んだことがあった。

 たぶん社会人のほうが余裕があったのだと思う。独身時代の23~28歳くらいが一番充実しており、冬も1シーズン30回もゲレンデにいるほどスキーに熱中し、SAJ検定では1級も取得できた。凝り性なのかもしれない。

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 さて、終いには学生時代を超えた話になったが、私の学生時代は、同級生などから比べれば、全然経験値が足りない。学生時代には時間はあるのに得意の英語を試せる海外旅行も行かなかったし、2か月以上もある夏休みには実家の手伝いに明け暮れた生活だった。
 それでも私は4年間の大学生活は自分では人生の中で最も充実し、今の仕事にたどり着くのに一番適した道を進んだと思っている。中には遠回りして、一番自分に合う適職を見つけるのに時間をかける方もいるが、初志貫徹ではないが、初めからやりたいことが決まっていて、途中「ツアコン」などを夢見て「浮気」はしたが、今の仕事が天職だろうと実感している。あと数年後には退職を迎えるが、33年間も同じ職業に携わったことは、自分の老後や今後の人生の糧になると確信している。
 苦労して大学に送ってくれた両親には感謝してもしきれない。父親は17年前に他界したので、直接感謝の言葉を伝えることは適わないが、自分があの世に行く時には、空の上で感謝のひとつでも伝えられたらと思う今日このごろだ。
  

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コメント

SUZUさんこんにちは。名前をローマ字にしました^^;

私はSUZUさんが公園でお弁当食べながら眺めていた住友ビルの49階でバイトしていました。アパートは三茶と下高井戸の中間にある玉電の駅近くでした。大学生時代は楽しかったですね~。あの頃があって今があります。これからもお互い頑張りましょう。

ブログ楽しみにしています^^

・・・・・・・・・・・
 Kannoさん、こんにちは。とりとめのない拙い想い出話を読んでいただき恐縮です。ネタに困って(とはいえ、記事は10/8分までは完成していて公開待ちですが・・・)、ついつい昔を懐かしんでしまいました。人生で一番時間があって、やりたいことが出来た時期が大学生時代だったと思います。
 記憶がたどたどしい部分やかなり美化してしまっている表現もありますが、この4年間は人生の中でも貴重で、今の私の根幹をなしていると思います。
 私の「気まま」なテーマで好き勝手に書き綴っているブログを、毎回、楽しみにして読んでいただき有り難いです。ちなみに明日は旧ブログの「若くして亡くなった有名人」の二番煎じ(正しくは四番煎じ)の記事です。よろしければご覧ください。

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