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2020年7月 4日 (土)

「あゝ阿武隈川」

  最近、夏場になると「阿武隈川」が穏やかではない。かつて昭和61年に「8.5水害」で氾濫し、道路は冠水し、田村中央工業団地が浸水した。その後もたびたび、市内の芳賀や水門町の行合橋付近では床下・床上浸水に見舞われた。そして昨年、その悪夢が再来した。台風19号被害だ。またしても阿武隈川沿岸の工業団地や日大付近は水没し、或る企業は水難はもう勘弁とばかりに早々と撤退を決めた。
 「JT」や「日本ビクター」、「森永乳業」の巨大工場が順次移転やら工場閉鎖し、工業&商業都市としてバブル期に栄華を誇り、中核都市にまで上り詰めた威光はどこへやらの散々たる有様だ。

 かつては夕立程度だった気象状況も、近年の地球温暖化で大気の状態が不安定となり、ゲリラ豪雨やら線状降水帯による長雨、極めつけは、従来よりも勢力の強い台風の直撃をもろに喰らい、その被害は死者を出すなどの甚大なものとなっている。
 昨年は、本流のオーバーフローを防ぐために、それに流れ込む支流である逢瀬川の水門を閉じたことで漏水から氾濫が発生し、富久山町一帯や星総合病院、そして向河原町付近は完全に水没した。福島交通のバスも多数が水に浸かり、改めて郡山の治水対策の在り方が問われた。特に須賀川~郡山~本宮付近は蛇行したり、あるいは阿武隈川に流れ込む支流の多さから、そこが増水が著しく、「暴れ川」の様相を呈している。

 昨年は、市内の谷田川で、母親の車に同乗していた小学生が車ごと流され、一週間も行方不明となり、捜索の末に遺体となって発見される痛ましい事故があった。災害でなくても、阿武隈川は釣り遊びをしていた近所の住民や、誤って小学生が川に落ち、水死体で見つかるなどの事故が相次いで起きている。やはり自然を甘く見ると、人間など無力で、取り返しのつかないしっぺ返しを食らうようだ。
  また、阿武隈川との合流に近い逢瀬川では、今年の5月に殺人を匂わすような自殺騒ぎが起きた。テープでグルグル巻きに口を塞いだ水死体が浮かび、周辺が騒然となった。川はその昔から人の生活の営みと密接に関係してるが、そこで命を落とす機会も多くなるということのようだ。

Abukuma1Abukuma2

 ここで少々怖いデータを紹介したい。郡山市の防災危機管理課(郡山地方広域消防組合)がまとめた過去10年間(平成16年から平成26年)の郡山市の水難事故事案の統計によるものだ。

発生場所…河川  13件
    用水路   3件
    池     6件
           湖     5件
           堀     1件  計28件

河川での事故(13件)
 ①阿武隈川 
  1 H26年4月 小原田三丁目地内
  2 H23年4月 安原町字向舘地内
  3 H20年6月 西田町三町目字小和滝地内
  4 H19年7月 西田町三町目字前田地内
  5 H16年9月 西田町三町目字前田地内   
 ②亀田川
  1 H25年7月 大槻町字小山田前地内
 ③笹原川
  1 H24年6月 安積町荒井字久保畑地内
  2 H22年8月 三穂田町駒屋字四斗蒔地内
 ④馬場川
  1 H23年2月 富田町字五斗蒔田地内
 ⑤逢瀬川
  1 H16年7月 富田町字阿久戸地内
 ⑥谷田川
  1 H16年4月 田村町守山字柏子川原地内
 ⑦上石川
  1 H24年11月 中田町海老根字雲母作地内  
 ⑧黒石川   
  1 H19年8月 田村町大供字地蔵前地内

 13件で死者が10名、重傷者1名、軽症者3名という内訳だった。

用水路での事故(3件)

 ①用水路 H26年2月   片平町字南万楷地内
 ②灌漑用水路 H23年4月 蒲倉町字蒲倉地内
 ③用水路 H18年11月   大槻町字葉山下地内 

 3件発生し、2名が死亡し、中等症者1名

池での事故(6件)
 ①人口池 H24年6月 大槻町字南原地内
 ② 池  H24年7月 待池台1丁目地内
      H24年10月 田村町上行合字中山田地内 
 ③ため池 H17年9月 西田町土棚字中野地内
 ④五十鈴湖H19年4月 開成1丁目地内
 ⑤五十鈴湖H18年12月 開成1丁目地内

   6件発生し、死者5名、重傷者1名

猪苗代湖での事故(5件)
 ① H22年5月 湖南町舟津字鰌浜地内
 ② H22年7月 湖南町舟津字鰌浜地内
 ③ H20年8月 湖南町横沢字村西地内
 ④ H19年8月 湖南町舘字荒町地内
 ⑤ H17年6月 湖南町舟津字小磯地内

 5件発生し、死者4名、中等症者1名
 
その他の事故
 そ水堀 H16年10月 田村町御代田字中平地内

 発生1件で死者1名

 この10年でもこれほどの水難事故が郡山市で起きた。その後、6年が経過しているが、もっと犠牲者は増えているし、昨年の台風の被害は含まれていない。やはり川と言えども侮ってはいけない。特に、幼い子どもや小学生が川に落ちて流されて亡くなるケースが多い。元気よく遊びに出かけた子どもが、帰って来た時は冷たくなっていたなどということは本来は起きてはならないのだ。

 さて、私は市内の北西部の山の上のほうに住んでいるせいか、あまり阿武隈川とは縁遠いが、小中学生の頃にできたサイクリングロードを自転車で走った覚えがあるくらいだ。大人になって車でそれに架かる橋(金山橋・行合橋・阿久津橋・逢隈橋・小滝橋など)を渡るたびに、毎回、その水量を確認しているものの、阿武隈川に特別な感情や意識があるわけではなかった。

 しかし、郡山の月刊タウン誌「街の灯(まちのひ)」の4月号には、郷土史を研究している柳田和久氏の投稿によれば、江戸時代には、阿武隈川に橋は架けられておらず、代わりに情緒や風情を感じるように「渡し舟」がいくつもあったようだ。郡山の東部を見ただけでも、阿武隈川には12もの渡船場があった。現在も残る地名がそのまま「渡し」の名前だったようだ。

 北から順に「萱沼の渡し」「鬼生田の渡し」「八丁目の渡し」「福原の渡し」「阿久津の渡し」「安原の渡し」「大平の渡し」「行合の渡し」「小原田の渡し」「金屋の渡し」「徳定の渡し」、そして「御代田の渡し」だ。
 これらの渡しでは、たびたび船頭や客が川に落ちて水死する事故が起きていたという。また、犯罪行脚をする者を取り締まるために、渡船場は関所の役割を果たしていたこともあった。不審者、得体の知れない身元不明な者、盗人などを守山藩が厳しく取り締まっていたという記録がある。渡船代は水量が平水の時は一人3文、荷物ひとつにつき7文、しかし増水時には1人7文、荷物代が12文、大水の時には一人12文、荷代は25文にも跳ね上がった。それほど命がけの船の渡しだったと見受けられる。1文は現在の10円程度なので、さほど高価ではなかったようだが、それぞれの村の貴重な収入源になっていたようだ。
 上記した「渡し」には現在、同じ地名の橋が架けられているケースが多い。中には川幅が50~100m以上もある箇所もあり、強風時や増水して流れが急だった場合は、それこそ命がけだったことが認識できる。

 大変失礼だが、私が幼少の頃は、阿武隈川を越えた東側は、田んぼや阿武隈山系の山々が縦に連なる田園&山岳風景だったことから、その方面に行くことを「ザイ(山とか田舎)に行く」と言っていた。現在の阿久津、石渕、大平、桜が丘、緑ヶ丘などは宅地化が進んでいるが、昭和の頃は、ほたるが飛び、郡山変電所の裏山ではクワガタ捕りが出来た。そちらに行くことはよほどのことがない限り足を向けることはなかった。東山霊園が造成拡大し、火葬場が移転したり、なぜかソフトボール専用のスポーツ広場ができたり、また、大安場古墳などの発見で、周辺の様子もガラリ変わってしまった。

 さて、郡山で足掛け半世紀近く暮らしている私だが、まだまだ知らない出来ごとや知らない場所が数多く存在している。古には、あの松尾芭蕉が弟子の曾良を伴い旅した風景も、世紀をまたいでみれば、その光景も風情もまったく趣を異にしてしまっている。変わらないのは自然災害で、人間の不注意や対策が万全でない状況下では、いついかなる時も人間に牙をむいて襲い掛かって来るということだ。
 まさしく「君子危うきに近寄らず」で、増水した川の様子を見に行って命を落としたり、溺れた人を助けようと川に飛び込み、自分が溺れて亡くなるケースも毎年どこかで起きている。正義を正すのはあっぱれだが、それで命を落としては元も子もない。
 常に危機管理を行い、自然災害に対する備えを万全にすること、連絡体制の確立、そして備蓄食料や避難所の確認を徹底することを多くの災害から教訓を得、それを生かしていかなければならない。

 

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