2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 2020年の今描く30年後の未来予想図 | トップページ | 郡山市民の私でも未踏の地は・・・ »

2020年6月 6日 (土)

ラジオ福島の元アナウンサー「廣瀬真弓」さんを偲んで

 もう知る人も少なくなったと思いますが、本日6月6日はかつて「ラジオ福島」の新進気鋭の女性アナウンサーが在職中に殺害されるという痛ましい事件が起きた日だ。私は26年経った今でもその事件を知らせるニュース映像を覚えているし、脳裏に焼き付いて離れない。

 よって、この記事は5月30日に公開した「オールドリスナー必聴!ラジオ福島回顧録」の中でも掲載した内容ですが、彼女の命日にあたり、是が非でも彼女の存在を忘れないでいてほしいという切なる願いから抜粋して再掲載したいと思います。

 それは忘れもしない平成6年6月6日という、不吉な数字とされている「6並び」の日に悲劇が起きた。その前年の4月に入社したばかりの新人アナウンサーだった「廣瀬真弓」さんが、大学時代からの先輩で、元交際相手だった「奈良テレビ」の25歳の報道記者Nに包丁で刺され殺害されたことを伝える一報だった。死因は急所など十数箇所を刺されたことによる出血多量での失血死。

 その記者は別れ話のもつれから復縁を迫るため、前日の5日から休暇をとり、わざわざ奈良県から福島市まで車でやって来た。しかも犯行に及んだ場所は、職場である下荒川8番地の「ラジオ福島」が、本社の南向いに社員の女子寮として借り上げていたアパートだった。その2階にある自室にて彼女は凶行に倒れた。今でもそのアパート自体は残っている。おしゃれな名前の4世帯が入居できるアパートが東西に2棟並んでるが、西側の建物だ。そして殺害現場となったのはその建物の2階の東側の部屋。

00a43cb2_2020053007130100a43cb2_20200530071302   

 事件が起きたのが平成6年6月6日(月)。映画「オーメン」に登場する悪魔の子「ダミアン」が頭に「666」のアザがあったことで、これが不吉を表す凶数として忌み嫌われるようになった。それを奈良テレビのN記者が狙ったかどうかは不明だが、偶然とはいえ、このような事件が実際に起きたことで私は言い知れぬ恐怖心を抱いた。

 当時の事件を伝える地元新聞の記事 (*画像クリックで大きくなりますが、閲覧は自己責任でお願いします。)

 福島民友新聞(平成6年6月6日の夕刊)

Img_7784       

 福島民友新聞(平成6年6月7日の朝刊)

Img_7785  

 福島民報新聞(平成6年6月7日の朝刊)

Img_7783 

 なお、新聞記事を掲載している関係上、加害者の氏名がそのまま載っていますが、誹謗中傷の意図はなく、曝すなどの目的ではないことをご理解願います。

 彼女自身は、亡くなった日の6月6日から3日間、休暇をとり、郷里の埼玉に帰省する予定でいた。その前日、かつての交際相手(元カレ)が突然に目の前に現れるとは想像していなかっただろうし、埼玉県出身だった彼女が赴任先である「福島」の地でまさか命を奪われるとは考えもしなかった筈だ。予想だにしない事件によって、そこで命を落としたわけだが、凶器となった文化包丁で全身十箇所以上も刺された後、死ぬ間際に、彼女は恐怖と共に薄れゆく意識の中で、一体何を思ったことだろう。この世に未練はあっただろうし、その後もいろいろな人生経験をするはずだったに違いない。わけがわからないまま死んで行ったのかもしれない。

 その記者自身も除光液(ベンジン)を飲み、お湯の張った浴室で左手首を切って自殺を図ったが死に切れず、意識朦朧の状態で搬送され重体となった。警察の調べでは、どうやら別れ話のもつれによる記者の一方的な無理心中とのことだが、その後、その記者の回復を待って殺人容疑で逮捕された。

 ラジオのアナウンサーだったこともあり、私自身は彼女の顔までは存じ上げなかったが、廣瀬真弓アナは、その2か月ほど前、ラジオ福島の午後ワイド「RFCワイド午後1番」の「いってみっカー中継」に出演したのだった。私の記憶では、開成山公園から桜の花見の様子をリポートしたり、新人離れした度胸の良さで、自分を「歌姫」と称し、現場でカラオケを3曲歌うなど、これから活躍が嘱望されていた。しかも、無事に社内研修を終え、6月から「あぶくま洞を訪ねて」、「週間ラジオライブラリー」などのレギュラー番組を担当し始めたばかりだった。地方のラジオ局の現職アナウンサーが23歳という若さで命を絶たれたことは世間に衝撃を与えた。

 同局の大和田新アナウンサーの「Facebook」に掲載されていた彼女の写真を引用させていただきます。

Hirosemayumi  

 その記事と当時の新聞記事によれば、亡くなった彼女の第一発見者は、ほかでもない大和田新アナウンサーご自身だったということだ。彼女の下の部屋に住んでいた同僚が、「助けて!」という叫び声を聞いて、局に連絡し、駆けつけた大和田アナたちがマスターキーを使って室内に入った時には、彼女はパジャマ姿のまま、すでに亡くなっていたという。冷たくなって変わり果てた彼女を見つけた時のショックは想像を絶するし、大和田アナは、廣瀬アナの入社当時のアナウンス部長だったことで、彼女を守ってあげられなかったことを死後20年経っても悔やまれている。そして彼女の命日には合掌を欠かしたことはないそうだ。

 大和田新アナの「Facebook」はコチラ 

 写真を見ても、当時、流行していたであろう「ソバージュ」がよく似合うべっぴんさんだったことがわかる。

 同僚であり、上司でもあり、先輩アナウンサーだった「大和田新」アナウンサーは、関係者であったがゆえに、ここまで詳細に事件のあらましなどは心情的に書けないと思うので、「ラジオ福島」のファンで、足掛け45年の長きに渡って放送を聴き続け、同局への思い入れと想い出がたくさんある私が代筆させていただきました。

 あれから26年。今年も彼女の命日となった6月6日が訪れた。たぶん局内では追悼のために黙とうや何らかの供養は行うであろうが、このようなことは二度と起こってはならないし、風化させてはならないと考え、一部に生々しい描写はありましたが、事実は事実としてあえて取り上げた次第です。

 謹んで彼女のご冥福をお祈り申し上げます。

  なお、余談ですが、あと4年後に、令和6年6月6日と6並びの日が再びやって来るが、奇しくも彼女が天国に旅立って、ちょうど30年という節目にあたることになる。「ラジオ福島」のリスナーの方なら、彼女が、確かに「ラジオ福島」のアナウンサーとして活躍していた時期があったことをどうか心に留めておいてほしい。彼女のアナウンサーとしての生き様は福島県民にしか知り得ないし、語れないからだ。ずっと忘れないでいること、それが彼女の一番の供養になると思うからだ。

 追記

 この日の昼下がりの12:45頃、「ニューシニアマガジン大和田新のラヂオ長屋」の放送内で、彼がこの事件のことを振り返り、生前、廣瀬アナウンサーが書いた「アナウンサーとしての来年の抱負」や、彼女の人となりなりをせつせつと語ってくれた。そして大和田新アナウンサーが当時、部下を守れなかったことで自責の念に駆られていた時に、当時の事件を担当した飯村刑事(現在は福島県警刑事部長)が彼に寄り添い、共に涙を流して励ましてくれたり、支えてくれたことに感謝しているというエピソードなどを話してくれた。
 やはり平成6年6月6日は、彼にとって決して忘れない日となっており、番組の中で8分間、時間をとって、当時を回顧しながら話してくれた。そして、今日で27回忌を迎えた彼女への追悼の意を表してくれた。大和田新アナウンサーの人間性がひしひしと伝わる瞬間だった。

« 2020年の今描く30年後の未来予想図 | トップページ | 郡山市民の私でも未踏の地は・・・ »

ニュース」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 2020年の今描く30年後の未来予想図 | トップページ | 郡山市民の私でも未踏の地は・・・ »