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2020年6月14日 (日)

追憶の会津(亡き親父との想い出)

 個人的な話だが、私の親父は17年前の平成15年(2003年)に亡くなった。サッカーW杯日韓共催で盛り上がった翌年のことだ。私が39歳の時で、看病もないまま急逝したのだった。死因は毎日、2箱もタバコを吸うヘビースモーカーだったためか、肺気腫による呼吸器不全。つまり自発呼吸できないほど肺が真っ黒になっていたということだ。
 そんな後先考えないで、勝手に先立った父親だが、少年の頃には休みにはどこかに連れて行ってくれるほど家庭サービスも欠かさない優しい人だった。生前は県内外を問わず、多くの場所に出かけた。北は岩手県の平泉周辺、南は高校野球で甲子園球場、大阪城、ほかにも犬山城、名古屋城、更には熱田神宮、そして明治村にまで足を伸ばしたことがあった。しかし、毎年、お盆過ぎに出かける東京観光が何より好きだった。とにかく高いところに上るのが好きだったようで、東京タワー、京王プラザ展望台、浜松町にあった世界貿易センタービルにも上った。他には豊島園、プロ野球観戦、船の科学館、上野動物園、NHK放送センター、皇居、はとバスの夜のコース(霞が関ビルで夕食・いしだあゆみショーなど)も見た。また、ある時には大船や横浜ドリームランドにも複数回連れて行ってくれた。子ども想いの一面があった。往路は7時49分発の「ひばり1号」で東京へ向かい、帰りは桃色とクリーム色のツートンの急行電車「あづま号」で帰ったものだ。

 そんな想い出が数多くあるが、今回は県内の特に会津地方に旅行した想い出について振り返りたい。

 塔のへつり
 
 ここは小学生の頃に、団体のバス旅行で訪れたのが最初だった。つり橋を渡り、頭上が崖で、出幅20センチもない狭い岩場を、背中を岩壁に擦りつけながら蟹歩きで恐る恐る歩いた記憶がある。それは「塔のへつり」と呼ばれる名勝だ。
 ここは大川沿いの景勝地で、様々な形状の岩肌が柱状、あるいはきのこ状に連なる不思議な空間で、つり橋が風情があって好きだった。川自体は澱んでいて、さほど流れもない緩やかな状況だったし、川沿いの遊歩道はそんなに長くはないのだが、一歩間違えば3m下の川面に滑落しそうで子どもながらに怖かった覚えがある。ここのシーズンは秋の紅葉時期で、人がわんさか押し寄せる。

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 会津高原鉄道の「塔のへつり」駅は深い木立の中にあり、そこから現地までは下り坂の緩いカーブを500mほど降りた場所にある。駐車場も狭い。ここは大内宿とかやぶき屋根でお馴染みの「湯野上温泉駅」は有名で、その間に挟まれた観光スポットだ。つり橋の上部にあるレストハウスで鮎やイワナの塩焼きが食べられる。これが旅の楽しみのひとつになっている。
 ここは私はバイクで2回、車でも7~8回は訪れていると思う。パートナーも4~5人くらい替えてデートしたかもしれない。だが、いずれもうまくいかず、川のように流れてしまった。

 

 背炙り山空中ケーブル&リフト

 会津東山温泉街の一角にかつて「空中ケーブル(ロープウエイ)」の発着所となる「麓駅」があったのだが、3~4年前に訪ねてみたが、それがどこだったのか形跡がなく、探せなかった。昔の地図やサイトを見ると、どうやら東山温泉街の外れの短いトンネルを抜けた直後の左手にあったという記載がある。1996年10月に大浴場で殺人事件が発生し、その後廃業してしまい、現在は廃墟のまま残っている「ホテルシンフォニー」の斜め向かい側らしい。

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 私の記憶では温泉街にあって、麓駅の向かいに古民家のような大きな食事処があって、会津名物の「味噌田楽」を食べた記憶があり、そこからロープウエイが往来する様子をみることができた気がする。
 亡き親父と兄でそのロープウエイを乗り継ぎ、背炙り山を登り、お花畑のような景色を見下ろしながら、さらにスキーのリフトを乗り継いで山頂まで行った記憶がある。山頂からの景色はあまり覚えていない。リフトとロープウエイに乗れた喜びのほうが大きかったからだろう。
 この空中ケーブル(ロープウエイ)は昭和60年(1985年)に廃止されてしまった。

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  平成元年に会津に住んでいた時に、毎週末に実家に帰る際に、いろいろな道を観光ついでに通ったが、背炙り山の登山道(山越え道路)は2回通ったことがある。くねくねの峠道だが、山頂まではそんなに幅員は狭くはないが、各テレビ局の中継鉄塔を過ぎ、現在は風車がある周辺を過ぎてから、猪苗代湖側の下りは急こう配に加え、道幅が狭く、対向車が来ないことを祈りながらハンドルを握っていた記憶がある。

  ここは9月に会津で仕事があるため、その帰りにでも32年ぶりに背炙り山に車で登り、空中ロープウエイの形跡を探ってみたい。

 姫沼アートランド

 ここは知る人ぞ知る穴場の紅葉スポットだ。郡山からだと母成峠を越え、中ノ沢温泉街の先で国道115号線にぶつかる。そのT字交差点を右折し、緩やかな坂道の左カーブの途中の左側にその入り口がある。
 私が小学生の高学年の時に、父と兄と3人で訪れた。ここは静かな湖面をたたえ、山に囲まれた大きめの沼で、ロケーションは抜群だった。その湖畔には桟橋があり、そこから脚漕ぎボートに乗れた。私は「鱒」が釣れると言うので、兄と釣竿を借りて挑戦した。でも周辺の木立の枝に釣り針を引っ掛けてしまい、ストレスばかりが溜まっていた。その都度、親父に回収してもらっていた。あまり釣れた記憶がない。
 3年前に40年振りくらいで訪ねたら、入り口がわからず国道115号線を右往左往した。ナビがあるのに入り口がわからない。それもそのはず、閉園して数十年も経っているため、看板や標識は一切なく、空き地のようなスペースに車を入れ、草ぼうぼうの細い道を50m行くと左手の木立の中に、三角屋根の旧レストハウスの廃墟が現れる。2階建てだが、老朽化が激しく、とても探検気分にはなれなかった。
 湖面はひっそりとして、周囲には誰もいない。なにか電気関係の施設があったが無人。レストハウスの裏手には誰も遊ぶ者がいなくなった廃墟化した公園があった。草むらの中にブランコや滑り台がさび付いたまま放置されていた。昔は、ここで大勢の子どもたちの声がこだましていただろうに。郷愁を感じる風情。
 紅葉時はたぶん訪ねる方もいるのだろうが、私は45年前に親父と来て以降、2回足を踏み入れたが、いずれも無人で、沼を一周できる散策路はあるのだが、茂みから今にもクマが出てきそうで怖くて、車から降りられなかった。

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 強清水

 親父とは2~3回、会津観光の帰りに「にしん蕎麦」や大好物だった名物の「てんぷら饅頭」を食した。「強清水」の水飲み場の真正面と右側にお店があるのだが、元祖VS本家で争っているような風情だった。水汲み場の右側にあるのが「元祖」で平屋の小さくて暗い建物。珍しい土間の造りの昔ながらの食堂といった印象。真正面にあるのは建物も大きく、比較的綺麗な「本家・清水屋」。入口にはここの女将さんをモデルにしたのか、小太りのキャラ人形が鎮座している。
 父親の好みもあって、昔は古い平屋の「清水屋」ばかりで食していたが、40代以降はいろいろなメニューがあって収容人数も多い「元祖・清水屋」で食べている。持ち帰りもできるので、お土産にちょうどいい。
「どっちの料理ショー」か何かで全国1位になって、有名になった。あんこ、いか、にしんをてんぷらで揚げただけなのだが、その味は折り紙付きの絶品。ふとした時に無性に食べたくなってしまう代物だ。

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 その他

 会津武家屋敷・鶴ヶ城

 武家屋敷。ここを訪れたのは確かなのだが、幼少すぎてあまり覚えていない。映画やテレビドラマになった「姿三四郎」のモデルが、会津出身の「西郷四郎」だったと聞いて妙に嬉しくなった。映画では竹脇無我が演じ、テレビドラマでは勝野洋が姿三四郎役で奮闘した。必殺技「山嵐」で相手を投げ飛ばす所作は圧巻だった。私はそれよりも「乙美さん」役の竹下景子さんが大好きだったが。ここにその銅像がある。一説では「坂本龍馬」を暗殺したとされる京都見回り組の「佐々木只三郎」が眠る墓もある。そして会津藩の筆頭家老だった「西郷頼母」の屋敷を復元したセットまである。とにかく広い。そして戊辰戦争末期で西郷一族21人による集団自決を人形で再現したシーンもある。涙なくしては見られない。

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 鶴ヶ城は、たぶんなんだかんだで20回以上は訪れているので、あまり親父と言った覚えがない。城の風景を眺めるのが好きで、あまり天守閣には登っていない。たぶん2回くらいだ。ここの天守閣からは北東方向に「白虎隊」が自刃した飯盛山が望める。ラジオ福島の電波塔の奥の山の斜面(中腹)で若き会津の侍が亡くなったのだ。鶴ヶ城が燃え盛る炎に包まれているのを飯盛山で目撃した彼らは、落城し、会津が負けたと思い込み、もはやこれまでと覚悟を決め、刀や脇差で切腹したり、首を斬って自害、あるいは仲間同士で刀を刺し違えて命果てたのだった。唯一  死にきれずに生きながらえた「飯沼貞吉(貞雄)」によって、白虎隊の伝説が後世に語り継がれることとなった。そういう悲劇や悲話があったと場所とは知らず、当時はお城の大きさに圧倒され、はしゃいでいるだけの子どもだった。1986年の年末大型時代劇でその歴史やいわれに触れ、会津藩の壮絶な戦いに深く感銘を受け、以来、訪れるたびに追悼を目的にするようになった。

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 この名城は、1384年に築城されたが、蒲生氏郷によってその基礎が建立されたのだが、かつては七重の天守を誇る城郭だった。現在は昭和40年に再建された五重天守なので、当時の会津の繁栄ぶりを窺い知れる。

  最後に、こちらは亡き父親と行ったスポットではないが、会津に関する追憶には外せないと考え、ここで追記させていただきます。

 「おおすごスキー場」

 東山温泉のさらに奥地にあった「大巣子集落」付近に「おおすごスキー場」がオープンしたのは昭和63年のことだった。平成元年4月から平成2年3月まで会津若松市内に住んでいた私にとって、仕事終わりのナイタースキーが唯一の楽しみだった。東山温泉街を南下し、ダム湖を回り、雪道をかき分けるように3kmほど奥入った山の中にそれはあった。

 当時、バブルで全国あちこちでリゾート開発が乱行していた。その波は会津にまで広がり、磐梯山周辺に大規模なスキー場を開発したり、この東山温泉の奥地にまで、その開発が押し寄せたのだった。とは言っても「京急」や「星野リゾート」のような大資本の開発ではなく、地元の第三セクターのような手法で格安で済ませる体の開発に留まった。あまりCMなどの広告宣伝費を使えず、認知度があまりにも低く、会津若松市民ですらさほど利用しなかったのではないかと想像できる。それに若者はおしゃれな猪苗代リゾートや箕輪に出向いていた。地元の小学生のスキー教室程度でしか使わなかったように思う。
 かくいう私は1年間の会津在住時に2~3回訪れたことがある。同じ職場の同僚が猪苗代町出身で、幼少の頃からスポ少に入っていて、それはプロ並みの腕前だった。それに彼はパジェロショートに乗っていたので、雪道も難なく行けたのだった。実際にアクセス道路は外灯もなく、対向車も来ない難所をただひたすらに突き進むような狭い悪路で、こんな山奥に本当にゲレンデなんかあるのかと首をかしげたくなるような辺鄙な場所にあった。

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 スキー場のゲレンデは、コース幅が極端に狭く、縦長だった。山ひとつを切り崩し、重機で雑に整備したせいか、コース自体が林道に雪が積もっただけの悪路で、滑っていてもかなり凸凹だし、勝手に板がスライドするし、アンジュレーションは激しく滑りづらいの一言だった。雪室もザラザラしてザラメ状か酷いアイスバーンのどちらかだった。しかし、ナイター照明にだけは金を使い、カクテル光線は綺麗だった。そして山麓のレストハウスは急凌ぎのプレハブ小屋だった。そこで豚汁とかカレーを平らげた記憶がある。アイスバーンの練習には向いていたが、カップルで来るようなおしゃれさやトレンドは皆無だった。
  それに周囲は森に囲まれているため、風は弱いのだが、その分、気温の低さは尋常ではなく、「し~ん」としばれる冷え込みだった。厚手のソックスを履いても指先まで冷えて耐えられないほどだったことを覚えている。
 私は北海道に2年間住んだ経験があるのだが、マイナス20℃以下をたびたび経験したが、それより冷えた印象がある。

 当時の設備概要

 1988年12月オープン
 リフト:ペアリフト2基 751mと710m
 標高差 440m 
 最大斜度 35度
 最長滑走距離 約2km

 私は平日のナイターで数回行ったのだが、すべてにおいてガラガラ状態だった。リフト待ちゼロ。ほぼ貸し切り状態だった。こんな状態だから、赤字経営ですぐ潰れるだろうと予想していたら、案の定、1997年(平成9年)に利用客減に伴い廃業を余儀なくされた。

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 さて、「追憶」という文字をタイトルに入れたのは、幼少期から亡き父親に連れてこられた会津という土地柄、実は祖父母の故郷でもあり、私自身も、幼少期に訳のわからないまま剣道を習い、武士道を叩き込まれた身の上だった。明治生まれの祖父の言うことは絶対だった。よって「ならぬものはならぬ」の会津人の精神が私の中にも脈々と宿っているように思えてならない。
 会津=第二の故郷という意識が常に私の中にある。もし曲がったことをしたら、天国の祖父母や父親が見ているような気がしてならないのである。 

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