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2020年6月19日 (金)

郡山市民が二度と行けないマイナーな場所

 これまで旧ブログおよび当ブログにおいて、郡山市内ですでに姿を消した建物や観光スポットについて何度か記事を書いたことがある。少年の頃に訪れたお気に入りの場所が、今ではもう影も形もなくなっていることに落胆の念を禁じ得ない。

 たとえば「磐光パラダイス」「郡山レジャーセンター」「丸光百貨店屋上遊園地」「児童文化会館」「郡山中央スケートリンク」「郡山市民会館」などは、私が小学生の頃に随分と遊びに出かけた想い出深いスポットだ。もちろんそれらは、今では跡形もないため、写真でしか想い出に浸ることもできなくなっている。

 しかしこれらの場所はすでに記事で取り上げたので、今回はあまりメジャーではない、どちらかと言えばマニアックなスポットに特化したいと考えている。

1 駅前大通りの地下道

  5月にその地下道入り口があった付近を昼休みの散歩で通りかかったら、その痕跡は皆無だった。かつてはこの地上にもここの大通りを跨ぐ形で巨大アーチがかけられてあって、そこに商工会の専門店などの店名が書かれた宣伝看板のようなものがあった。その地下は、現在の大通り沿いのアーケードの角に、今も三万石の郡山本店があるが、その東隣りに丸光百貨店の入り口があったが、その地下道からも地下1階フロアにつながっていた。長さ30mほどの地下通路だったが、照明はあっても薄暗く、そこでヒッピー風の若者がよく地べたに黒い布を広げてアクセ類を並べて売っていた。ガイコツや十字架をあしらったペンダントやブローチ、あるいはネックレス、ブレスレッド、イヤリングなど、デザインが独特で、おしゃれな雑貨を販売していた。突き当りは4~5段くらいの階段の先が丸光の地下1階への入り口だったが、左には20段くらいの階段で外に出られた。

 右の郡山駅方面には階段は無く、直進と左の二方向だけだった気がする。南側は出た場所に、確か「佐藤書店」があったと思う。郡山駅周辺は、昔は本屋が多く、東北書店がもっとも有名で人の入りも多かったが、旧第二うすいの南西側の角(太田記念病院の東側)にも本屋があったし、中央通りにも本屋があった。また、八幡坂の清水台の坂にも叶屋書店と松文堂書店が至近距離に2軒並んでいた。

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 上の3枚目の写真の道路を横切る形で地下に通路があった。土砂やコンクリを流し込んで固めたという話は聞いたことが無いので、出入り口を撤去し、塞いだだけでたぶん、今も地下には空洞が残っているかもしれない。だとしたら、都市伝説になりそうだ。
 一番上の画像は丸光閉店の後、朝日生命ビルとして活用されていた時のもので、真ん中は朝日生命が移転し、空ビルになった時のもの、そして一番下は今年5月撮影したもので、ビルは跡形もなくなり、コインパーキングとして活用されているが、駅前の一等地は、旧ダイエー跡地もそうだが、このようなコインパーキングで溢れかえっている。

 追記

 郡山出身者の方から、駅前の地下道が描かれている貴重な住宅地図を頂きましたので、下に貼り付けたいと思います。駅前大通りを横切っている図は「歩道橋」ではなくて、今は無き「地下道」です。どちらの方向に出入り口があったか一目瞭然です。貴重な資料ありがとうございます。

Ekimae


2 歩道橋

 ①消防署前の歩道橋

 堂前の一心坂に如法寺や金透小学校がある。その通りを東に下ると4号線にぶつかるが、その北隣りに現在もある「郡山消防署」。そこに4号線(現在は県道17号郡山停車場線)を跨ぐ形で古い歩道橋があった。

 撤去されたのが平成24年頃だったと記憶している。もう6年が経過する。その歩道橋がどこに行ったのか探ったことがあった。平成25年に国道を走っていた時に偶然に熱海町で発見した。平成29年頃までは市内熱海町の国道49号線バイパス沿いにある「ラーメン味噌屋」の国道を挟んだ北向いの資材置き場のような空き地に分解されて放置されていた。去年、そこを通った際に確認したら、影も形も消え失せていた。

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 ②「THE MALL こおりやま」の北側、さくら通りにあった歩道橋

 こちらは平成12年頃まであった。その年に「ザ・モール郡山」が旧日東紡第2工場跡地に開業したことを契機に、老朽化に伴い撤去された。当時は現在、新興宗教の建物がある場所は、長者名物の「百軒長屋」があり、そのさくら通り沿いには理容所、焼き鳥店、写真館などの商店が立ち並んでいた。その写真屋の角は北に砂利道を70mほど進めば芳山小学校の校庭にぶつかるが、その写真館の前が階段入り口だった。この歩道橋は幅が狭く、両側にY字の形をした結構高さがある照明が特徴的だった。

 この歩道橋は現在どこに運ばれ、その後どうなったのかはまったく知らない。熱海町には消防署前の歩道橋だけで、ここの歩道橋は見当たらなかった。たぶん今は跡形もなくスクラップされ、鉄は溶かされて再利用されているかもしれない。

3 「郡山セントラルホール」

 今は「ビッグパレットふくしま」がある地区はかつて国鉄時代の貨物操作場で、東日本一の規模を誇った。ゆえに広大な土地だった。昭和の時代にその役目を終え、再利用が検討され、1998年(平成10年)に巨大な多目的ホールが完成した。また広い駐車場を完備。多くのイベントを開くまでに至った。あの「東京ガールズコレクション」まで開かれたのだから、その広さは折り紙付き。

 また、震災時には避難所となり、その北隣りには被災者のための応急仮設住宅が立ち並んだ。また、国道4号線からのアクセス道路には「スーパーオートバックス」があり、自動車用品販売や車検、購入機材の取り付け作業などを行っている。
 今はまったく面影がなくなったが、その一角に平成10年頃まで、「郡山セントラルホール」というのが存在した。平屋造りのイベントホールで、天井がやたら低かった。そこにかつてはプロレスやボクシングの世界戦もやっていたのだから随分と無茶をしたものだ。

 ただでさえリングが高く設置されるのに、長身のプロレスラーがブレーンバスターをかけようものなら、足が天井板直撃!という心配すらあるような印象だった。私はアントニオ猪木が大好きただったので、プロレスも見たし、地元の小熊正二選手が世界戦に挑んだボクシングも会場で観戦した。晩年は「ザ・グレートサスケ」などが所属していた「みちのくプロレス」などが興行によく来ていた。

 その後、会場が郡山総合体育館に移り、スポーツイベントは開催されなくなり、バーゲンや骨董市、「ビッグアロー」という安売りディスカウンターの店が期間限定で商売に来た程度になった。郡山市南地区再開発プロジェクト計画によって、あえなく閉鎖され、しばらく建物自体はあったが、平成の中頃に解体された。今では風景が変わりすぎ、どこにあったかさえわからない状況だ。

4 「郡山市役所展望室」

 私が浪人時代によく勉強するために市役所最上階にあった展望室と開成山公園東側の石のテーブルとベンチをよく訪れた。展望室は狭いながらも眺望が抜群で、開成山公園一帯を見下ろすことができた。そこで半日閉じこもって英数社の3教科の自習をしていた。
 また、そこは時々市の職員がたばこを吸いに上がって来る休憩室のような場所だった。
 ところが、今はもう無い。それは2011年3月11日に発生した「東日本大震災」で、この展望室が崩壊したからだ。撤去工事の際に、そこから行方がわからなくなっていた男性の遺体が発見されたのだった。その展望室の形跡はもう見られず、その部分は平たんとなり、ソーラーパネルが数枚置かれているだけで、殺風景になった。郡山市役所の本庁舎も昭和40年代初頭に建設され、合同庁舎にあった旧市役所が移転して、早くも50年以上が経過し、老朽化が激しい。私は旧豊田浄水場(貯水池)に新庁舎を建設し、移転すべきだと思っている。でも合同庁舎の解体はしないで、歴史的建築物として永久保存してほしい。

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5 「東洋健康センター」

 ここはマイナーな場所ではなかったが、この施設についてほかに取り上げられそうな話題の記事がなかったために、敢えて記したい。「東洋健康センター」は国道49号線沿いの喜久田にあった温泉施設。1987年10月にオープンし、2017年1月31日に閉館した。その名前の通り、パチンコ店もやっていた「東洋グループ」が経営母体であった。14種類の多彩なお風呂と大衆演劇を上演する健康ランドで24時間営業していた。入浴のみの2 時間コースもあって、気軽にひとっ風呂浴びれた。私はたぶん、一度だけ行ったかもしれない。その辺の記憶が曖昧。広い座敷で浴衣で寛ぎながら食事ができ、そのステージで厚塗りの役者たちが、時代劇を演じ、おひねりなどを貰っていた。
 なぜ閉館したのかは不明。たぶん経営に行き詰まったのだろうが、私が知る限りでは駐車場は常に満車に近い状況で、結構賑わっていたと記憶している。都市伝説では、ここのお湯の温度が高温で、サウナもあることから、よくお年寄りが倒れ、死亡する事故が何回かあったようだ。それも一因としてあるのかもしれない。また、熱海町に市営の「ユラックス熱海」という同じ類の施設ができたことで、客足が減ったという見方もできる。

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6 「安積女子専門学校」「安積高等文化学院」

 当ブログで何度かこの学校に関する記事を書いた。私はてっきり郡山の伝統ある洋裁の専門学校である「今泉女子専門学校」の姉妹校か何かかと考えていた。しかし、今年、4月に昼休みの散歩ついでに「今泉専門学校」へ直接出向き、問い合わせてみたら、本校とはまったく関係性はないとの回答だった。もちろん近くにある「安積女子高校(現在の安積黎明高校)」とはまったく関係がない。

 ではこの経営母体はどこだったのか?たぶん昭和末期か平成初期に閉校になったものとみられる。校舎自体は独創性のあるデザインで、まるで五重塔の形状の鉄筋建築。回廊のような螺旋状の外通路で各階にスロープで上るような、まるで「会津さざえ堂」のような不思議な造りだった。しかも芳山小と郡山二中の間の市道は現在の「あさか開成」で突き当たるが、その途中の西側に聳え立っていた。しかし、その通り沿いではなく、入り口がわかりづらい少し奥まった場所だった。住所は長者二丁目のチサンマンションの南側辺りに建っていた。

 この奇妙な建造物、いつ頃建てられて、いつ頃解体されたのか、皆目見当がつかず、すべては謎のままだ。私が小学生だった昭和45年から昭和52年の間にはすでに建っていた。いつも校舎から眺めて「あの変な建物は何だ?」と不思議に思っていた。

7 「JAIC」(ジェイク)

 現在、「郡山健康科学専門学校」がある場所は、その前は「JAIC(ジェイク)」という名の専門学校だった。1998年に開校した。この校舎だけでなく、並木町の現在、「大志ゼミナール」という予備校の校舎になっているビルにも別館の校舎があった。スポーツ科学や医療福祉技術系の専門学校で、この校舎は、昔、「福島総合病院」という大きな病院だった。それをそのまま専門学校としてリフォームして使用している。
 当時の「JAIC」の勢いはすさまじく、美人のモデルがプールから出てくるCMは私も大好きだった。動画サイトには一切アップされておらず、今ではお宝映像としてお蔵入りしてしまった。何か郡山の行く末を占う、近未来的な時代を予感させるものだった。
 しかし、この「ジェイク」は佐久間学園の理事長が資金不正流用が明るみになり、あえなく閉校した。その後、経営母体を一新し、「こおりやま東都学園」が経営譲渡して、2003年に改めて開校。現在は全く別の学校として生まれ変わった。
 現在の「郡山健康科学専門学校」は介護福祉学科、柔道整復学科、作業療法学科、理学療法学科、こども未来学科の5学科を備えた「医療福祉」系に特化した専門性溢れる学校となった。多くの学生が学んでいる。

8 常盤湯&虎丸卓球所

 これは知る人ぞ知る穴場の銭湯。とはいっても市街地のど真ん中にあった。今は無き「野替薬局ビル」は震災で危険ビルとなって解体されてしまって、現在、ファミリーマートのでかすぎる駐車場になっているが、その神明通り沿い、ファミマの駐車場と旧橋本仏具店の間にあった。私はその辺に同級生がたくさんいたので、家に風呂がありながらその友達らと入った記憶がある。たしか300円もしなかった筈だ。
 現在は更地になって、砂利の空き地になって放置されている。郡山市街地の一等地の虎丸町にありながら、買い手がつかないのだろうか?野替ビルにも想い出があって、「まるさた」というおもちゃ屋も私が通い詰めた店だったし、その隣の文房具屋さんも同級生の母親がきりもりしていた。自転車屋さんにもパンク修理でお世話になったし、マルエースーパーも母親お達しの店だ。履物屋さんの娘さんも同級生で、名門二中で常に学年トップの優秀な女の子だった。ほかにも美容室の美人の娘さんも同級生だったし、とにかくその界隈は同級生たちで溢れていた。
 
 また、虎丸町と言えば、私には書き漏らすわけには行かない場所がある。それは「虎丸卓球所」。さくら通りの「ホテルハマツ」の隣りにはFTV郡山支社がある。平日17時25分頃から、「テレポートプラス」の郡山情報を幡谷明里アナが中継していたが、その向かい側におしゃれな美容室がある。そこのわき道を北に入った右側にあったのが「虎丸卓球所」だ。中学生の頃に、よく友達と体を持て余した時に訪れて卓球に興じたり、飽きてくると軽い卓球の球を自在に変化させながらキャッチボールなんかもしていた。少年ジャンプやマガジン、週刊誌などもあって、グラビアのアイドルや漫画を見ては時間を潰していた。その想い出の場所も震災を契機に損害を受け、取り壊しの憂き目にあった。現在は銀行の社宅の駐車場になってしまった。
  
 二度とお目にかかれない学校と言えば「テキサスA&M」もあった。あれは東海大学誘致に失敗した代案で故・青木久市長の肝いりで積極的に誘致したが、卒業しても大学卒の資格が得られないという不条理な制度で、学生が定員に満たない状況(200人に定員に対し69人)に陥り、しかも見切り発車だったことで、校舎は仮のプレハブ、校庭や体育館は無く、屋外のバスケットコート1面のみというお粗末さだった。 
 1990年5月に開校したものの、市長交代によって1994年にあっけなく閉校となった。郡山市民は当時、相当な税の無駄遣いに怒ったに違いない。

 青木市長は、前職の高橋市長が情熱を注いでいた「そごう」誘致を潰した張本人。地元の「うすい」を守るために、誘致に反対するデパートや小売り業界の有権者を抱き込んだ選挙戦で当選し、念願の市長になったものの、今度は「テキサスA&M」の失敗で学園都市構想断念とあわせ、市長としつ汚点を残してしまった。青木市長は人柄は良かったが、頭が堅くて融通が利かず、結局、墓穴を掘った。

 「テキサスA&M郡山校」があったのは、郡山駅に至近であづま陸橋の南側の東北本線の線路沿い一帯。今は近くに高層マンションが連なっている。 

  さて、本日も極めてローカル色の濃い話題だったが、郡山市民の方が昔を懐かしんでくれれば有り難い一心でお送りしてみました。特に、私の同世代の市民や、本日の話題に少しでも関わりのある方なら、共感を持って読んでくれたに違いないと思う。
 冒頭でも書いたが、昔、慣れ親しんだものが消えゆくのはあまりにも寂しいものがある。「温故知新」ではないが、時々、昔を振り返り、古き佳き時代の産物を回顧して懐かしむ。忙しい日常にあって、ふとそんな一息つくような話題をこれからも提供したいと考えています。  

   
  

 

 

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コメント

以前、郡映の住宅地図を投稿した読者です。

1 駅前大通りの地下道ですが、

再び、昔の住宅地図の写しが出てきましたので、
https://twitter.com/green_quox/status/1274380988433313792
に貼らせていただきました。ご覧ください。

ここは本当に思い出に残っています。
露天商や、後ろから光が当たったアクリル板広告が怪しくぼんやり灯る感じとか、
今でもまぶたに浮かぶのですが、この広大なネットの海でも
写真が全く見つからず、とても残念に思っています。

地図は、丸光百貨店閉店後の時代のようです。
先日、丸光の建物が取り壊された時に、(旧ダイエーの建物のように)
TV局や持ち主の方が、上階の百貨店の遺構を映像に残してくれていることを
願ってやみません。

それでは失礼いたします。
懐かし話を楽しみにしております。

・・・・貴重な情報、いつもありがとうございます。
凄いですね。昔の住宅地図には地下道の出入り口から実際の地下道まで掲載していたなんて。びっくりです。その地図を見ると、時代を反映してか、やたらとレコード店が多いのも頷けます。ゑびやレコード、共立レコード本店。懐かしいです。丸井側は東西に出入り口があったんですね。今では全くその形跡やら爪痕は全くないです。
せっかく教えていただいたので、眠らせておくのはもったいないので、本文中に追加で地図を掲載させていただきたいと思います。
 これからも郡山や福島県内の記事を多角的な視点で書きたいと思います。実は2週間先まで、もう完成していて、近いうちにまた、郡山の話題を提供するつもりです。旧ブログ「時遊人SUZUのひとり言」にも100記事以上の「郡山の話題」を掲載していますので、もし興味がありましたら、ご覧ください。当ブログとできるだけ重複しないように気をつけていますが・・・。(つん)

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