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2020年6月12日 (金)

若くして亡くなった男性アーティスト

 人生90年近い世の中にあって、若くしてこの世を去ったミュージシャンやアーティストたちがいる。もし存命であれば、心に残る名曲をより多く世に送っていたことだろう。今日は、志半ばで惜しまれながら亡くなった方々を取り上げたい。

 山田かまち

 群馬県高崎市出身。幼少より絵画の才能を発揮した。高崎市立倉賀野小学校へ入学。同級生に後にBOOWYとして活躍する氷室京介がいた。 小学校3年生のとき、その当時の冬休みの宿題で動物の絵(52枚)を1時間あまりで描き上げる。これらは、貴重な作品として「高崎市山田かまち美術館」に残された。
 中学3年生の頃からビートルズなどのロックに傾倒。氷室京介や松井恒松とロックバンドを組み練習していたこともあった。1977年、群馬県立高崎高等学校に入学。友人数人と学園祭で映画を作成し出演するが、同年8月、自宅でエレキギターを練習している際に死亡。このギターは17歳の誕生日にプレゼントとして贈られたものであった。死因は感電による事故死。自殺など諸説あるが遺族らの意向により公表されていない。

 尾崎 豊

 1980年代から90年代にかけて、彼ほどカリスマ的な存在のミュージシャンはいなかった。
 1983年12月、シングル「15の夜」とアルバム『十七歳の地図』で高校在学中にデビュー。青学高等部入学という秀才ながら、中退。「卒業」では過激な歌詞で衝撃を与えた。ライブでの熱烈で破壊的なパフォーマンスや、夢や愛、生きる意味をストレートに表現した赤裸々な歌詞など、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びを表現した楽曲の数々が1980年代から1990年代初頭にかけての若者を中心に多くの人から共感を呼ぶ。その作品と活動、精神性は、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え、作品に迸るメッセージは死去から25年以上経過した現在でも多くのファンやミュージシャンに支持されている。1992年、あまりにも若すぎる26歳での突然の死は、社会的にも大きな衝撃を与えた。民家の庭先で泥酔した状態で、重傷を負った状態で発見され、その後、死亡した。私は「I Love You」や「シェリー」がカラオケの十八番となっている。

YamadaOzaki

 村田和人

 1954年1月2日生まれ、東京都出身のシンガー・ソングライター。ビートルズやローリング・ストーンズに大きな影響を受け、ブリティッシュ・ハードロックを聴いて育つ。77年、獨協大学入学後にバンド、ALMOND ROCCAで活動。山下達郎らと交流を持ち、会社員を経て、82年4月にシングル「電話しても」でデビューを果たす。ツアーや山下達郎のバックコーラスを務めるなど、精力的なライヴ活動を展開。以降、ウェストコースト・サウンドをベースとしたシティ・ポップの担い手として人気を博す。95年以後は寡作となるものの、音楽講師をしながら活動を継続。2016年2月22日、大腸がんからの転移性肝臓がんにより死去。62歳没。(TOWER RECORDS CDジャーナルより)

 大瀧詠一

 1970年代以降、ハイセンスでハイテンポなオシャレ音楽の数々を世に遺したシンガーソングライター。アルバム「A LONG VACATION」が大ヒットし、実は私も持っていた。「夢で逢えたら」、「君は天然色」、「恋するカレン」、「恋するふたり」などがヒットした。個人的にはキムタク主演ドラマ「ラブジェネレーション」の主題歌になった「幸せな結末」が好きだ。
 また、他のアーティストへの楽曲提供も多く、太田裕美の「さらばシベリア鉄道」、松田聖子の「風立ちぬ」、森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」なども彼が手掛けた。

 2013年12月30日17時30分頃、東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で家族と夕食後のデザートにリンゴを食べている時に倒れ、救急搬送された。警視庁福生警察署などによると、家族は「林檎を食べていてのどに詰まらせた」と説明していたという。救急隊がかけつけた時は既に心肺停止状態であり、病院に搬送後19時頃に死亡が確認された。死因は解離性動脈瘤とされた。65歳没。 

MuratakazutoOhtaki

 河島英伍

 1952年 大阪生まれ 大阪育ち 身長182cm。 1975年にワーナー・パイオニアから「何かいいことないかな」でデビュー。 代表曲「酒と泪と男と女」、「野風増」、「時代おくれ」などスタンダードとなった曲はもちろんのこと、優しさに溢れた歌詞や、力強い歌声が今なお多くのファンを魅了している。特に、男の強さや哀しさ、優しさ、父親としての心情を唱いあげた数々の曲は、時代を越えて男性の共感を呼び、歌い継がれている。
 人と人とのつながりを大切にし、世界各地へ放浪の旅に出かけ、それらの経験も多くの歌として残している。26年間の歌手生活の中で4,000回を越えるステージに立った河島英五。「例えば若者達が地元の活性化のために僕を呼ぼうといってくれるならどこでも行くし、めいっぱい盛り上げますよ」が口癖だった。
 1995年 阪神・淡路大震災復興義援コンサート「復興の詩」を企画。震災で親を亡くした子供たちのために行なわれたこのチャリティーコンサートは、“10年続ける”と宣言された通り、本人が亡くなった後もその遺志をついだ河島英五の3人の子どもや仲間たちの手によって実施され、1年1回10年間に渡って開催された。
 2001年1月 突然の吐血により入院。その後医師の反対を押し切って退院し、4月14日に復活コンサートを行ったが、その2日後に帰らぬ人となった。享年48歳。(ワーナーパイオニアより)
 私は東北電力のCMにも使われた「元気ですか」がお気に入りだ。

 Hide

 世界的ロックバンド「X」ではギター以外にもバンドのビジュアル全般を担当し、メンバーの髪のセットなども行っていた。主にYOSHIKIがXの作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部の曲で作詞・作曲を担当
 1997年9月、TOSHIの脱退によりX JAPANは解散を発表し、同年12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散
 1998年5月2日の朝7時30分頃、自宅マンションの寝室にてドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっているのが同居していた婚約者によって発見され、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。33歳没。後にファンが後追い自殺をするなどの事態が発生したという。

 高橋伸明(高橋のぶ)

 1970年代にCM曲やドラマ主題歌、青春ソングなどで一世を風靡したロックバンド「トランザム」でリードヴォーカルを担当した。あの独特な声で人気が高かった。
 宮城県出身。 ビートルズに影響を受け、1967年にドラマーとしてプロデビュー。その後、ボーカルに転身する。つのだひろ&スペースバンドに在籍した後、チト河内らのトランザムにボーカルとして加入。70年代から80年代にかけて、数多くのコマーシャルソングやテレビ番組テーマ曲等を唄った。ユニセフメッセンジャーとして、全国100カ所以上でコンサートを開催。少年ゴルファーの成長を題材にしたTVアニメ「あした天気になあれ」エンディングテーマ「夕焼けに歩きたい」を歌う。
 トランザム解散後は、プロデューサー兼歌手として活動し、2003年にトランザムが再復活。2004年には、26年ぶりのシングル「白いボールのファンタジー」でオリコン16位に入る。
 2015年7月19日、一人暮らしの自宅にて死去。65歳没。高橋の長女が父を訪問した際には既に亡くなっていたとのことである

 「あゝ青春」、「地球の仲間」「裸足で地球を駆けるのさ」などが人気を集めた。特に70年代に「コカ・コーラ」のCMは一世を風靡した。 
個人的には中1の頃に「少年ドラマシリーズ」のテーマ曲となった「季節」がお気に入りで、今でも歌える。

HideNobu

 村下孝蔵

 今でも中年の方がカラオケで歌い継がれる名曲「初恋」。好きな人に告白など出来なかった時代。甘酸っぱい思春期や青春時代の想い出が甦るような歌詞や曲調が共感を呼んでいる。
 熊本県水俣市出身。若い頃からギターにのめり込み、寺内タケシとブルージーンズやベンチャーズの楽曲をコピーする。その腕前は一流のギタリストにも引けを取らないほど。客と一体になれるライブを大事にしていた。大ヒット曲「初恋」のほかにも「ゆうこ」「少女」「踊り子」など数多くの名曲を残した。
 1999年6月20日、駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていた。診察で「高血圧性脳内出血」と判明した直後、意識不明の昏睡状態に陥り、僅か4日後の6月24日に死去。46歳没。



 他にも桑名正博や大塚博堂、外国ではジミー・ヘンドリクスなども夭折したシンガーだと思う。

 さて、冒頭でも書いたが、これらのアーティストは、もし今も存命ならば、人々に感動と勇気を与えてくれるより多くの名曲を残していたに違いない。

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