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2020年5月10日 (日)

台湾から来た芸能人

 私は日本批判ばかりを繰り返す「韓国」は大嫌いだが、親日家が多い「台湾」は大好きで、個人的には兄弟国と言って過言ではないと思っている。実際に6年前に台湾を訪れ、3泊4日し、主だった観光地をいくつも巡ったが、一度も嫌な思いをすることはなかった。

 日本びいきの方が多いだけではなく、第二次世界大戦終結まで日本人が台湾に駐留し、大規模なインフラ工事を行い、それを発端として台湾がアジア諸国の中でも経済的に裕福になったことへの感謝の念が未だにあることが親日が多い原因である。
 かつて、日本で一旗を挙げようと、多くの方々が来日した。特に芸能分野やスポーツの分野では優れた功績を残した。たとえば、王貞治選手は、その名の通り台湾出身の方だ。世界一となる756本のホームランを放ち、国民栄誉賞第一号となったのは言わずもがなであろう。高校時代は国籍が台湾だったために、国体に出場できないという苦い経験を味わった。

 では、私が思う、台湾の方で日本で活躍した人を取り上げたい。

 1 ジュディ・オング

 昭和55年、彼女が袖の長いロングドレスを身にまとい、妖艶な振り付けで一世を風靡した「魅せられて」。エキゾチックな雰囲気を漂わせた曲が大ヒットしたばかりではなく、なんと台湾人として初の「レコード大賞」を受賞した歌手となった。
 彼女は日本の歌謡番組だけでなく、ドラマやコントにも出演した。彼女は日本語が流暢だったため、外国人という意識はなかったものの、昭和50年代は台湾と言えば彼女が代表格だった。その彼女は、東日本大震災で日本が津波被害を受けた際、母国にて先頭に立って募金活動を先導してくれた。
 

 2 テレサ・テン

 彼女は演歌というよりムード歌謡の分野だと思っているが、どれもこれも名曲ぞろいだ。「空港」「愛人」「つぐない」「別れの予感」「時の流れに身をまかせ」などどれをとってもカラオケの十八番にしている方が多いだろう。
 日本に単身やって来て、最初はあまりヒット曲に恵まれず、下積み生活があった。しかし、歌のうまさはピカイチで、たどたどしい日本語ながらも精一杯歌うその姿に胸を打たれたファンも多かった。色白で丸顔のO型らしい愛くるしさがチャームポイントだった。
 外国の宿泊先で不可解な死を遂げたが、今でもファンが多くいる。私はいつか彼女が眠る台北の小高い丘にある墓所を訪ねたいと思っている。

 3 欧陽菲菲

 来日後、日本のメディアに登場したばかりの頃は、和田アキ子の台湾版のようで見た目が怖そうな印象だった。1971年に出した「雨の御堂筋」がヒットし、一気にメジャーに。翌年にリリースした「雨のエアポート」も名曲だった。そしてその後、なかなかヒット曲に恵まれず苦労する日々だったが、1979年に「ラヴ・イズ・オーバー」が大ヒットした。声量が豊富で豪快な歌いっぷりで人気を集めた。私は山本リンダとイメージがダブる。

 4 「未来日記Vスケッチブック」に登場したイーロン

 かつてTBSで放送した「ウンナンのホントコ」で「未来日記」というコーナーがあった。初対面の男女が台本通りにドラマを進めていく中で、実際に恋に堕ちるか?をテーマにした恋愛ストーリーだった。その第5弾で、日本人の男子と台湾人の女子が出逢い、一緒の時間を過ごし、恋に堕ちるか実験した。その時のBGMが福山雅治の「桜坂」で、ご本人もドラマ内に警察官のチョイ役で出演し花を添えた。

 その主人公の台湾人女性の「イーロン」が可愛かった。清楚にして一途にひとりの人を想う台湾人の純粋な恋愛事情を知り、ますます台湾に興味を抱いた。

 「未来日記」は1998年から2002年まで、全部でレギュラーで9作、映画まで制作された人気番組だった。この「スケッチブック」は第5作目で全8話。テーマは「言葉の壁」。日本人男性と台湾人女性との、国境を越えた恋の物語。言葉の通じない2人がどのようにして心を通わせていくかが見どころ。スケッチブックを用いてコミュニケーションをとっていく。第二部(最終話を除く)は台湾でロケが行われた。
 未来日記からは「サザンの「TSUNAMI」や福山雅治の「桜坂」、そしてGLAYの「とまどい」がいずれもミリオンセラーを記録する大ヒットとなった。

 5 ビビアン・スー

 かつて日本テレビ系列の「ウリナリ」という番組があった。「芸能人社交ダンス部」などの人気コーナーがあって、内村と南原がそれぞれ異なるパートナーと社交ダンスを通して大会でどこまでいけるかを競うものだった。特に南原と女優の杉本彩(通称アニキ)のペアは抜群でラテンとモダンで1級を取得するほど上達した。そして内村はラテン系のレゲエ風のコスプレで周囲を盛り上げたが、その時にパートナーとなったのがビビアンスーだった。これで人気に火がついた彼女は、その後、番組内で小室哲哉監修の「ホワイトビスケッツ」に対抗して南原と天野と3人で「ブラックビスケッツ」を結成。彼女がヴォーカルを務めたライトポップの曲調の「Timing タイミング」は大ヒットした。
 後で気づいたが、ビビアン・スーは倖田來未の妹のmisonoに似ていると思った。

 どうでしょう?懐かしんで貰えましたか?この「Timing タイミング」も今から考えれば22年前(1998年)の楽曲だ。あまり今聴いても古めかしさは感じないが。

 6 范文雀 

 1970年代から90年代にかけて日本で活躍した演技派女優・范文雀(はんぶんじゃく)もまた台湾出身だ。私が幼少の頃に見た「サインはV」に出演した。故・中山仁が牧監督役を務めたバレーボールチーム「立木大和」で主役の岡田可愛(朝丘ユミ役)と共に、ジュン・サンダース役で共演したのが彼女だった。新技の「X攻撃」は破壊力十分だった。これが出世作となったが、それ以降、「美しきChallenger」や「アテンションプリーズ」などのテレビドラマや映画に数多く出演した。
 1998年に悪性リンパ腫を発症し、闘病生活を続けたが、2002年11月に東京都内で亡くなられた。まだ54歳だった。

 7 プロ野球選手

 呂明賜(巨人野手)、郭源治(中日投手)、郭大源(西武投手)、陽岱鋼(日本ハム・巨人野手)なども日本で活躍した台湾出身選手ということになる。
 
 ほかにも渡辺直美は日本人の父と台湾人の母のハーフだ。

 朝鮮半島を除き、日本から一番近い外国が台湾で、70数年前まではそこは日本の領土だった。だから、今でも台湾には日本風の家屋が多く残されているし、高齢者の中には日本語教育を受けているため、流暢に話す。今でも日本時代は良かったと当時を懐かしむという。
 また。若い方々は日本の文化(J-POPやドラマ、漫画、ファッション、サブカルチャーなど)に傾倒する方が多い。だから若者の中でも日本が一番好きな外国と言う人がごまんといる。
 私たちは両国がますます共存共栄を図り、より近い存在になれることを切に願い、本日の話題を締めたい。

 

 

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