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2020年5月29日 (金)

福島県民が二度と行けない場所

 「吾輩は福島県人である」「よって想い出は底をつかない」。唐突だが、本日のテーマは「福島県民には懐かしいが、もう取り壊されたりして二度とお目にかかれない貴重な場所」を取り上げたい。

 1 「高子沼グリーンランド」

 福島県の懐かしい映像を8ミリなどで撮り溜めた方がいる。菅野隆夫さんとおっしゃる方で、「YouTube」に数多くの福島市内や周辺の観光地などの映像をアップされている。その中に今となっては幻の貴重な「高子沼グリーンランド」の映像が残されていたので、当時、賑わっていた頃の様子をご覧ください。

 福島市の北東側の阿武隈急行沿線の郊外に、丘陵の傾斜の高低差を利用して建設された「高子沼グリーンランド」。昭和48年の開園から数年間は親子連れで大変賑わっていた。当時は、県内初のジェットコースター、ゴーカート、観覧車などの大規模遊戯施設を有する遊園地として名声を誇りましたが、平成11年(1999年)に、客足の減少、施設の老朽化により廃業されました。
 その後は遊園地廃墟にありがちなオカルトスポット化し、遊具類もそのまま放置された。錆びついたコースターとレール、大観覧車など不気味さが漂う状況だった。しかし、今はもう跡形もない。代わりに無数のソーラー発電のパネルが一面に並んでいるだけ。ここに本当に子どもたちの歓声がこだまするほどの遊園地があったのかと思えるほど、ひっそりと静まり返っている。

 2 旧中山峠

 国道49号線の旧中山峠は、冬場は相当な難所で、積雪によってS字カーブの急こう配を登れずに、途中の坂道でスタックするトラックや車が続出した。そこで平成2年に、中山トンネルが開通し、旧峠道は閉鎖された。磐梯熱海温泉側から猪苗代方面へ車を走らせると、右側に磐越西線の線路が並走し、やがて汽車や電車は小さな入口のトンネルへと吸い込まれるが、国道は左にカーブした後に右に旧カーブし、坂道へ。そして線路の上をまたいで横切り、また左カーブして現在、風車が建つ場所へ繋がる。途中、モーテルを横目に見ながらの走行だった。

 今から30年前までは普通に見られた風景も、今となっては懐かしい。この頃、私は会津若松市に住んでいたため、週末には郡山の実家に1時間半程度かけて帰っていた。その際、必ず通ったのがこの道で、トンネルの工事中から開通までつぶさにその変わりようをしかと見届けたひとりだ。今は旧道には車両では入れない。郡山側のトンネル入口の左右に急こう配のS字ヘアピンカーブの名残りはある。でも雑草が生い茂り、トンネルの北側の山肌の斜面も歩いては坂を登れるが、車両は通行できない。
 逆に風車がある猪苗代側からは、昔、道路沿いにポツンと建っていたモーテルの前の国道のほうが下り坂を歩いて行けるが、工事用の「通行止め」の表示があるので立ち入りを憚りたい。

 3 中山宿スイッチバック

 かつて、磐越西線の中山宿駅の手前にはスイッチバック方式が設けられていた。昭和30年代まではSLが主流で、あまりにも急こう配のために、登れなかったため、スイッチバックを築き、そこに駅を設置した。そして2段階で勢いをつけて山を登って行ったのだ。5年前にその遺構を訪ねた時は、夏場だったせいで、草むらに覆われていたが、昔名残のホーム跡は確認できた。線路も途中までは残っていた。

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 貴重な映像はコチラ

 列車内からの撮影はコチラ ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=abGKZm1vDaA

 4 磐光パラダイス

 かつて「磐梯熱海温泉」に存在した「磐光パラダイス」は、キャバレー・映画館・温水プール・こどもの楽園などがある福島県下一の大型総合レジャー施設でした。しかし、1969年(昭和44年)2月に大火災で32人が焼死し、建物も消失してしまいました。

 その後、再建されて甦り、「フィンガー5」や当時の有名スターたちが多数来訪してショーを繰り広げ、名物は金粉ショーでした。スーパー銭湯を巨大にした和室のような宴会場兼休憩場のようなホールに、ステージを設け、夜な夜なド派手でかつ妖艶なショーを行っていた。1968年(昭和43年)5月にオープンし、郡山市の北西部の奥座敷、磐梯熱海温泉の駅前の広大な敷地にパラダイスと東隣りに巨大ホテルを備え、それは1970年代の華だった。
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 火災の模様を伝えたニュースはコチラ ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=L6xM5Noeb5g

 
 5 会津東山温泉の背あぶり山のロープウェイ&リフト

 私は、祖父母の出身地ということもあって、会津が大好きで、幼少の頃から今は亡き父親が「東山温泉」や「飯盛山など、会津若松市内の観光に連れて行ってくれた。もちろん、「大内宿」や「塔のへつり」にも行った。一番の想い出は東山温泉の古い食事処で、名物の「味噌田楽」を食したことで、その店の真向かいに、ロープウエイの発着所があって、背あぶり山の中腹までそれに乗って行けた。さらにそこから山頂までは一人乗りリフトがあって、子どもの頃に乗った記憶がある。

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 6 旧三森峠(旧三森隧道)

 私は会津に住んだことがあって、国道49号線の中山峠と、旧滝沢峠の山道を走り、強清水から国道294号へ入り、湖南経由で県道の旧三森峠を走って実家の郡山へ帰ることが多かった。20代ではスキーに凝り、1シーズン30回以上、ゲレンデにいたことがあり、その帰り、灯りが無く怖すぎる夜道の三森峠を越えたことも多かった。そしてあの山頂に鎮座する「恐怖のトンネル」も何度も走った。そのトンネルの郡山側の出入口の真上には、「縄文式住居跡」が遺されていた。

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 旧道はすでにガードレールで封鎖されていくことはできないし、バイクや徒歩で登った人の動画を見ても、アスファルト道路だった旧道は草木が行く手を遮っている。極めつけは、2011年の東日本大震災の巨大地震で土砂崩れが相次いで起きたようだ。山頂のトンネルも出入口が工事で塞がれてしまった。山頂にあった茶屋の廃屋も取り壊された。

 実際に旧道を訪ねた人がいるので、その人の撮影した動画をどうぞ!

 7 旧いわき三和トンネル

 国道49号線を郡山からいわき方面に向かい、長沢峠を越え、長い下り坂が続いた後、広々とした見通しの良い直線道路の先に待ち構えていたのが「旧三和トンネル」。2010年8月に新トンネルが開通するまではバリバリ現役だった。旧道は暗くて狭く、大型特殊車両が通行する際には対面通行が出来ないほどだった。新トンネルは南側に迂回するようにトンネル内部が緩やかにカーブしているので、旧道のほうが距離は断然短い。新トンネルは開通直前に作業員が死亡する事故が発生した。 

 8 小名浜ボッコ灯台

 震災前、私が海釣りでよく行った場所。アイナメがメインで、投げるとカレイもかかった。沈み根が多く、仕掛けを随分無駄にした。このボッコ灯台は戦前まで現役だったようで、中は空洞になっていた。しかし、2011年3月11日に発生した震災の大津波で壊れ、流されてしまい、跡形も無くなった。今でも海中に沈んだままだ。釣りの合間に私が撮影した「ボッコ灯台」

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 大津波で流された瞬間の映像はコチラ ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=SwfomdrNJrA

 9 郡山旧国鉄操車場

 現在「ビッグパレットふくしま」がそびえる場所は、昭和時代には広々とした操車場で、東北一の貨物ターミナル駅として、貨車の入れ替えを行う場所だった。49号線の東橋から見ると、貨車の動きが一望でき、結構楽しめる場所だった。

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10 日中ダムに沈んだ村

 日中ダムは喜多方市の北部の熱塩加納村にある、総貯水量2460万㎥の治水、灌漑用水、水道用水、そして発電にも利用されている。
 私はまだこの湖が建設工事の真っ最中に訪れた。ブルドーザーやショベルカーがあちこちで騒音をまき散らし、大型のダンプが掘り起こした土砂を運んでいた光景を目の当たりにした。かつてそこにあったであろう古い家屋や人々の生活がダム建設によって失われ、そこにあった老舗旅館も移転を余儀なくされた。この日中ダムは1983年(昭和58年)、「西部警察」のロケ地で使われ、敵のアジトの建造物が爆破するシーンが撮影された場所だ。なんとその要塞の爆破のために3千万円が費やされた。今ではその面影や形跡すら感じられず、静かな湖面をたたえたダムだけがひっそりと森の中に佇んでいる。

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 ダムの底に沈んで廃村になったのは、福島市梨平・名号=摺上川ダム、会津若松市川渓=東山ダム、会津高田町松坂=新宮川ダム、檜枝岐村大津岐=奥只見ダムがあります(5集落/4ダム)。

 他にも「旧常磐炭鉱」、「原町無線塔」、「高玉金山マインパーク」、「信夫山旧日本軍地下壕」、「田島町八総鉱山」などは無くなってしまい、もう行けない。 

 さて、福島県は47都道府県の中で3番目に面積が広い。東西に長く、北東の新地から南西の只見までは300kmほどもある。こんなにどでかい県なのだから、観光地は過分にある。しかし、一方では消えゆく運命の物もある。国鉄が赤字続きで廃線にしたのと同じように、それまであった風景が消え、名所も無くなった。福島県で一番は常磐炭鉱が廃坑になり、復興として180度方向転換の「常夏の温泉リゾート」開発に舵を切り、「常磐ハワイアンセンター」をオープンさせたことだ。あまりにも劇的なビフォーアフターだったが、それが成功した一例だ。
 昔の想い出に浸るのは死を悟った老人のような気分だが、自分自身の半生が下り坂に入ったことで、昔の出来事を妙に懐かしく感じてしまう。  

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コメント

郡山駅前には、私が昔、小さい頃にいった駅中2階のレストラン(現在の中華料理付近)や旧ヨドバシカメラ店舗(ATIに移転)、たい焼き屋、東北書店(フルーツバーとほぼ同じ場所)、ポルノ映画館(三松会館や肉屋イズミヤの近く)などがありましたが、現在は跡形もありません。

主さん、お久しぶりです。
またまた、懐かしく思って読みました。
三森峠、小さい頃湖南に湖水浴に行く時、通っていました。縄文の建物ありました。その後、20年前に友達と行ってみましたが、通行止め?になっていたけど、旧道に入っていけたんですよね。夏だったので、肝試しもあったかもしれませんが、夜景を見に来ている人たちがたくさんいました。
そして、旧49号。同じく、20年前郡山に勤めていた時に、出張でよくいわきに行きました。当時はまだ三和までしか高速が開通していなくて、たまに49を走って往復してました。でも、トンネルまでは記憶にないです。いわき市内のバイパスもところどころで切れてるみたいになってましたね。
そして、最後になりますが高子沼、小学生の時行きまして、ジェットコースターで軽くむち打ちになり(笑)、ジェットコースターが嫌いになりました(笑)あれから絶対に乗りません。
懐かしい福島、いつも楽しく読ませてもらっています。ありがとうございます。

・・・・・・・
 福島県にはたくさんの想い出がおありのようで、多少でも懐かしく思っていただければ幸いです。ブロガー冥利に尽きますね。私も行ったことが無い場所が多かったり、もう消えてしまって二度と行けなくなった場所に哀愁を感じるようになりました。福島県や郡山市の話題はまだまだ当分続くので、たまにで結構ですねで、また気に入った記事や懐かしくなったらまたコメント頂けたら有り難いです。(つん)

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