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2020年5月28日 (木)

中合福島店閉店で思うこと

  5月26日(火)に福島市民に衝撃が走った。明治創業で146年もの間、市民に愛された老舗百貨店「中合福島店」が8月末日をもって閉店するという一報だった。私は一度も買い物をしたことがないので、その落胆ぶりは知る由もないが、郡山で言えば長年、中心市街地のど真ん中で唯一頑張っている地元発祥の「うすい百貨店」が無くなるくらいの大きな出来事に違いない。
 では「中合」とはどういう百貨店(デパート)だったのか、その歴史を振り返りたい。

 1874年(明治7年)  創業
 1893年(明治26年)「中村合名会社」設立(略して「中合」)
 1935年(昭和10年)「株式会社中合」設立
 1973年(昭和48年) 現在の福島駅前に移転
 1993年(平成5年) 「中合会津店」を統合
 1994年(平成6年)  酒田市の「清水屋」を統合
 2005年(平成17年) 函館市の「榛二森屋店」、八戸市の「三春屋店」、山形市の「十字屋」を統合し、6店となる。
 2010年(平成22年)「中合会津店」閉店
 2013年(平成25年)「中合会津店」営業所を中合サテライトショップ会津として開設
 2017年(平成29年)「中合福島店二番館」閉店
 2020年(令和2年) 「中合福島店」完全閉店予定 

 福島だけでなく、最盛期には県外や北海道などの経営が傾いた百貨店を買収するほど業績が安定していたことがわかる。だから明治時代の創業でありながらこれだけ長く存続できた要因だろう。
 今回の閉店を決めた大きな理由は、昨年の台風被害に加え、今年の新型コロナウイルスの営業自粛で売り上げが極端に落ち込んだため。従業員約350人のうち、アルバイト、パートを除く45人の正社員については、希望があれば同じ傘下のイオングループへの再就職を斡旋するという。

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 それにしても昭和の時代から、駅前のシンボル的存在だった百貨店(デパート)は時代の変遷とともに軒並み統合や撤退衰退、閉店を繰り返してきた。特に、福島県の県庁所在地でもある「福島市」の中心市街地の衰退は著しく、私が知っているだけでも、「エンドーチェーン」(1991年閉店)「バード長崎屋」(1999年9月23日閉店)「さくら野百貨店(旧山田呉服店・福島ビブレ)」(2005年閉店)が市民に惜しまれながら、相次いで閉店した経緯がある。つまり「中合」は、福島駅東口の繁華街における「最後の砦」だった。
 しかも「中合」は3年前に別館(二番館)の閉店で市民の落胆を誘ったばかりなのに、それが全館閉店となると、いよいよ福島市の繁華街は大型デパートが完全に消滅することになる。
 閉店が発表されたこの日、FTVで放送された市民へのインタビューで口々に出るのは「ただただ残念。もう青い紙袋や包装紙が見れなくなると思うといたたまれない」ということだった。

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 実は、我が街「商都・郡山」も同じ状況にある。そこで個人的な印象だが、福島市と郡山市のデパートのイメージを「対照表」で比較してみた。

  福島市       郡山市
 
 中合百貨店     うすい百貨店
 さくら野百貨店   津野百貨店
 エンドーチェーン  丸光百貨店
 バード長崎屋    ダイエー郡山店

 今は無き郡山駅前の「西武」(西友)と「丸井」は首都圏資本のため、福島市のデパートにはどこも合致しないように思う。それにしても福島市の人々は、中央資本の大型デパートが昭和52年頃に相次いで郡山市に進出したことをどう感じていたのか?なぜ県庁がある福島ではなく、郡山にばかり来るのか悔しかったに違いない。もとより、福島の方は買い物で遠出するのは郡山ではなく、仙台を向いているから関係ないと聞いたことがある。逆に、福島市に根差した老舗の百貨店を大事に、こよなく愛していた事実もまた見えてくる。

 「中合」の撤退によって、福島市の大型店は駅西側の「イトーヨーカドー」と西道路の「イオン」(旧SATY)くらいなものになった。いずれもデパートではなく、「ショッピングモール」系の大型スーパーということだ。「中合」は「うすい」と同様、ご贈答品販売に力を入れて来た。夏のお中元や暮れのお歳暮商戦では常にリーダー的立場だった。しかし、虚礼廃止の風潮などでそれも減って来たと聞く。デパート業界にとっては起爆剤となり、巻き返す要因が見当たらなくなっているのも事実だ。

 ここ郡山でも決して対岸の火事ではない。新型コロナウイルスで売り上げが激減し、従業員への給与支払いなどで経営を圧迫するものと思われる。ただでさえ、県内の有力企業が会社更生法適用によって、どうにか事業継続している現状がある。過去に「福島交通」「うすい百貨店」「ホテルハマツ」までが一度、倒産しかけて、法の助けを借りながら何とか持ち直している状態だ。

 郡山でもし「うすい百貨店」が閉店を表明しようものなら、これは一大事だ。昔から親しんだ「♪しゃれたセンスのうすい~私のうすい・・・デートもうすい~夢のデパート~♬」の歌と、アヒルの親子が風船を持ってエスカレーターにてフロアを移動しながら楽し気にショッピングしていたあのCMも幻となってしまう。特に年配の方は、長年通い詰めた生活には欠かせない存在だし、それだけにいろいろな思いが詰まった場所だと思う。

 私もそうだが、駅前のデパートに行く時は「街に行ってくる」とよく言ったものだ。子どもだてらに「わくわく感」があって、何か新しい世界が待っているような感覚になったものだ。「第2うすい」の7階で母親と食べた「お子様ランチ」の味も忘れられないし、エレベーターガールの美しさにみとれたことも。6階のおもちゃ売り場で駄々をこねたり、衣類や地下の食品売り場で試食を食べ歩きした想い出もある。このように庶民の想い出がたくさん染みついている場所こそが地元の百貨店なのだ。

 今回の新型コロナは、老舗企業にとっては一言では言い尽くせないほどの相当な痛手であり、昨夏に廃業した「ホテル辰巳屋」に続く衝撃だったが、福島市民が慣れ親しみ、想い出が染みついた大切な場所がいとも簡単にそぎ落とされてしまう現状に、哀愁や万感の思いを禁じ得ない。
 福島駅前の繁華街が廃れることなく、そして空洞化で閑古鳥が鳴かぬよう、市民不在ではなく、官民一体となった再開発をぜひお願いしたい。今回の「中合福島店」の閉店を無にしないために。

 それでは最後に、昭和63年に撮影された人や車で賑わう福島駅周辺の繁華街の様子を動画でご覧いただきながら、昔の想い出に浸っていただきたいと思います。

 映像を見ると、「ダックシティ山田」の横断看板や「コルニエツタヤ」などの大型店舗も駅前を彩っていたのがわかる。RFCラジオでは「コルニエツタヤからこんにちは」という番組まで放送していたほど、駅前の百貨店業界は潤っていたことを感じ取れる。

 これ以上、県都・福島市の灯を消さないでいただきたいと思います。

 

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