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2020年4月 8日 (水)

私が思うエンターティナー

 もうすでにご存知でしょうが、私が幼少期から大好きで見続けて来た「ザ・ドリフターズ」のメンバーの「志村けん」さんが亡くなられた。しかも、新型コロナウイルスによる肺炎が原因で。彼の死の報は、日本中に衝撃を与え、私などは彼の訃報から一週間経った今でも打ちひしがれた思いのままでいる。

 私が中学生の頃に、長い下積み生活の末にドリフターズの正式メンバーとなり、それ以降は最年少ながら常にドリフターズの中心的役割を果たした。我が福島県の喜多方市を訪れた際に、会津弁をヒントに「だいじょぶだ~」が生まれ、「アイ~ン」や「変なおじさん」「だっふんだ」「ヒゲダンス」「東村山音頭」「カラスの勝手でしょ」など数多くの流行語やギャグを世に放ち、私たち視聴者を笑わせてくれた。当代一のエンターティナーだったと思う。「バカ殿」「志村園長」「ひとみばあさん」「変なおじさん」をもう見られないかと思うといたたまれない気持ちになる。

Shimura
 さて、私は1964年、そう「東京オリンピック」が開催された年に生を受け、数多くのテレビ番組を観て来た。そんな中で、私が思う「芸人」というか「エンターティナー」を取り上げ、勝手にランキングしたい。

 1位 ザ・ドリフターズ

 いかりや長介・・・ザ・ドリフターズリーダー。ゴリラ顔で分厚い唇がトレードマーク。「だめだこりゃ」がオチ。
 荒井 注  ・・・ドリフ最年長。「なんだバカ野郎」「This is a pen.」など一世を風靡した。
 高木ブー ・・・無口だが、音楽的センスは抜群で、ウクレレの名手 雷様などのコントはハマリ役。
 仲本工事 ・・・運動神経抜群で、体操のマット運動がお手の物だった。黒縁メガネがトレードマーク
 加藤 茶 ・・・志村が正式メンバーになるまでは人気No.1 ドラムが上手い。「加トちゃんぺ」「どうもすんずれいしました」
         「イックション」「チョットだけよ」「ヒゲダンス」など多彩なギャグがあった。福島市出身
 志村けん ・・・付き人を7年やった苦労人 メンバーに入り才能が開花 実は三味線の名手である。 

The-drifters

 私は「ザ・ドリフターズ」に「国民栄誉賞」を差し上げてほしい。1970年代に冠番組の「8時だョ!全員集合」は視聴率50%を超えるお化け番組だった。荒井注さん、いかりや長介さんが先に亡くなり、そして予期せぬウイルス感染で志村けんさんが天国へ召された。残ったメンバーは3人。3人が元気なうちに「国民栄誉賞」をあげてほしい。全員が亡くなってからでは遅すぎる。最高峰の勲章を受賞したことを天国の3人に伝えに行くメンバーがいるうちに是非お願いしたい。

 2位 萩本欽一

 ご存知、欽ちゃんでファミリーを形成した。「コント55号の何でそうなるの」に始まり、「スター誕生」、「欽どこ」、「欽ドン」、そして「週刊欽曜日」など、彼が出演する番組は軒並み高視聴率を獲得した。70年代を牛耳っていた一人だ。

Hagimoto

 私の小学生~高校生時代は萩本さんの番組で育ったと言っても過言ではない。ほとんどの番組を観ていた。特に「欽どこ」は大好きで、毎回多彩なゲストが出演した。特に、食事のおかずを食べる順番を推理するクイズは好きで、特に大好きだった竹下景子さんが出た絵を今でも覚えている。「小さい頃、肉屋におつかいに行って、恥ずかしくて合い挽きくださいって言えなかった」というエピソードとシーンは今でも覚えている。その後、妻役の真屋順子さんも亡くなってしまった。やはり知らないうちに確実に時間は経過しているのだ。

 3位 明石家さんま

 語るに及ばずだが、笑福亭松之助に弟子入りし、芸能界へ。私の中学時代は「ヤングOH!OH!」で長髪の細身の大阪弁を操るプレイボーイ兄ちゃんというイメージしかなかったが、あれよあれよという間にレギュラーを増やし、芸人のスターダムにのし上がっていった。特に、毎週土曜日の8時、裏番組の「8時だョ!全員集合」に喧嘩を売るように始まった「オレたちひょうきん族」で大活躍。「あみだババァ」や「ブラックデビル」などで地位を確立した。
 おそらく若い世代は彼が1位だと思っているだろうが、昭和世代の私にしてみれば、やはりドリフや萩本さんには敵わない。

 4位 ビートたけし

 昭和時代には深夜放送のオールナイトニッポンの木曜日を担当。受験勉強の合間に聞いていた。また「オレたちひょうきん族」の「タケchanマン」でブレイク。スーパージョッキーや「風雲たけし城」など軍団と共に時代を席巻。しかし、私は「天才たけしの元気が出るテレビ」が大好きだった。番組で話題になった晴海の「Cafe ド 半魚人」や千葉県大多喜村の「元気村」などにも訪れたことがある。要はミーハーだったわけだが、それくらい好きな番組だった。兵藤ゆきさんや高田純次さん、故・木内みどりさん、故・松方弘樹さんなども出演していた。

 5位 タモリ

 彼も深夜放送の「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを務めていた。当初は福岡から上京し、早稲田大学に通っていたが中退。故赤塚不二夫宅に居候になりながら芸を磨いた。イグアナ芸でデビューした。トランペットを奏で、ジャズの名手だった。やがて「笑っていいとも」の司会に抜擢されからメジャーになって、現在の地位を築いた。「タモリ倶楽部」「ミュージックステーション」など冠番組が数多くあった。

Big3

 6位 所ジョージ

 不思議キャラで登場。当初は「宇崎竜童」の二番煎じのような印象だった。ギターを奏でて歌った曲も風変わりで、昔の「あのねのね」の楽曲に近かった。それが今やレギュラーの冠番組を7つ持つエンターティナーとなった。

 「ポツンと一軒家」「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」「所さんの目がテン」「新説所JAPAN」「所さんお届けものです」「世界丸見え特捜部」「所さんの笑ってコラえて」「志村所の戦うお正月」「トコロBASE」「劇的リフォームビフォーアフター」などいずれも高視聴率の番組だらけ。今や番組MCには欠かせない存在だ。彼が出ていない日はないに等しい。

Tokoro

 昭和時代には何度か「漫才ブーム」が沸き起こった。「ザ・ぼんち」「やすきよ」「コント赤信号」「のりおよしお」「セントルイス」「紳助竜助」「B&B」「ツービート」「春やすこけいこ」「今いくよくるよ」など数多くのお笑いコンビやコントグループがあった。
 もちろん今も「M1」や「R-1」などで漫才は生き残っているが、少し売れると俳優に転向したり、司会業に転身してしまう。私は志村けんさんのように貪欲にかつ誠実に芸を突き詰めてやっていく息の長い芸人こそ、本物だと思っている。そういう意味では46年間の長きに渡り、芸一筋で初心を忘れずに打ち込んできた志村さんの功績は大きいし、他に与えた影響は計り知れない。

 私は未だ現実を受け止められないが、今はただ、志村さんのご冥福を祈るばかりだ。

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コメント

主さん、お元気でしたか⁈
志村けんさんの訃報、ビックリと同時に残念で仕方ありませんでした。私が小さい時はすでに志村けんがドリフターズの一員で、ヒゲダンスしていたのを覚えています。
先日、NHKの番組で2010年に福島に来た志村けんさんの再放送をしていました。お笑いの志村けんさんしか見たことがなかったので、亡くなった後の色々な番組を見る度に、素朴で真面目な方だったのだなぁとイメージの違いに驚きました。
主さんの言う通り、確実に時間が過ぎていますね。国民栄誉賞、亡くなる前にということ私も同意見です!

・・・ひでっちさん、こんにちは。小中時代の私のヒーローだった「ドリフ」。ひとりまたひとりとこの世を去っていくのは居た堪れない気持ちでいっぱいです。未だに毎日打ちひしがれていますよ。私と同じ福島県出身の加藤茶さんが「志村さんがバカ殿や変なおじさんでコントなどを頑張っていたから『ドリフ』が生き続けていられる。」と言ったのはその通りで、その功績は大きいし、「46年間も頑張って来たのに僅か2時間の追悼番組で終わってしまう」のは寂しすぎますね。
 コロナが終息したら、やはり安倍首相は「国民栄誉賞」を検討してほしいです。昭和を明るくし、元気を与えた功労者ですし、「ドリフ」は森光子さんや森繁久彌さん以上の存在ですよね。(つん)

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