この方を覚えていますか?
昭和の時代に「ブラウン管」に登場して名演技や記憶に残る名フレーズを生み出したタレントがいた。今はもう第一線を退いていたり、まずお目にかかれない方々がいる。今日は、そうした見覚えがあったり、記憶の片隅にはあるものの、名前までは思い出せないという方々にスポットを当ててみたい。若い方には雲をつかむような話だが、昭和40年代までに生まれた方には懐かしく感じる記事になると思う。
まずは各見出し部分のフレーズで誰のことか、想像してみてください。
1 70年代に有名CMに出演されていた方
お名前は俳優の「福田豊士」さん。りんごをガブリと齧った後の有名なセリフ「りんごを齧ると歯ぐきから血が出ませんか?」は、流行語というジャンルが無かった時代にあって、一種の流行語みたいになった。1970年代の歯磨き粉の名物CMだった。
残念ながら、今から22年前に1998年2月にお亡くなりになられた。享年64歳だった。
CM動画はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=urgO52x9o48
2 ドラマで先生役が多かった名バイプレーヤー
お名前は俳優の「山内賢」さん。誠実そうな顔立ちと穏やかな性格のためか出演作では「先生役」が多く、またハマリ役だった。私は個人的には「俺はあばれはっちゃく」の先生役が印象に残っている。吉田勇紀扮する「桜間長太郎」に対する愛情も地でやっている感じがあった。
彼もまた2011年9月に67歳でお亡くなりになられた。
3 NHKの連続学園ドラマの先生役
毎週日曜日、のど自慢が終わった直後の13:00から放送していた学園ドラマ「中学生日記」で先生役を務めていた。それは「3年B組金八先生」が始まる前に、思春期の中学生を取り巻く様々な問題を取り上げ、どう考え、どう成長していくかを正面からぶつかり、赤裸々に描いたドラマだった。その先生役を長く務めたのが風間先生こと「湯浅実」さんだった。
最終回をどうぞ→ https://www.youtube.com/watch?v=rev4JV2qPU4 (削除される場合があります)
残念ながら、令和元年8月に、84歳で天寿を全うされた。
4 ウルトラマンに出演していた警備隊の隊員役
ウルトラQの時代からウルトラマンシリーズには登場していた。ずっこけやはちゃめちゃな隊員役として場を盛り上げる役を演じていた。その後は、時代劇にもたびたび出演していた。彼のお名前は「二瓶正也」さんだ。現在もバリバリ現役の俳優さんで御年79歳になられている。当時にしては日本人離れした顔立ちをしていると思ったら、案の定、実父がドイツ人のハーフだった。
5 1970年代に龍角散トローチに出演していた若手俳優
有名なセリフ「・・・・と日記には書いておこう」が一世を風靡した。制服のマドンナ役、村田弘美さんに恋する男子中学生役で出演したこの方は、名前が「進土晴久」さんと言う俳優さんだ。告白が少なかった時代、好きな娘に好きだと言えない「モジモジ君」を見事に演じ切っていた。
CM動画はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=T8jmXVll03A
6 NHK「少年ドラマシリーズ」には欠かせない好青年役
1975年にNHKで放送された「なぞの転校生」の生徒役でブレイクした。成績優秀で性格も良く、正義感と責任感に溢れた好青年役がハマリ役だった。彼の名前は「高野浩幸」さんだ。現在もご健在で、意外にもまだ59歳だ。私が小6の時に放送された時に、中学生役だったので、あまり私と歳が離れていないのも頷ける。
「なぞの転校生」のオープニングはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=mvHzmHdB4wQ
7 水泳番組は欠かせない存在だった
彼女は何を隠そうオリンピアンだ。水泳教室の番組ではコーチ役として何度も出演されていた、その道のエキスパートだ。宝塚にいそうな男性顔負けの水前寺清子さん並みのきりっとした感じや指導も結構辛口で厳しかった印象がある。彼女のお名前は「木原光知子」さんだ。
最近テレビなどで見かけないと思っていたら、なんと13年前の2007年にくも膜下出血で急逝されていた。享年59歳という若さでの他界であった。
8 必殺のダブルアームスプレックス!
彼がフィリピンで肝臓移植手術中に出血多量で急死したニュースは世間をざわつかせ、ファンを落胆させた。彼が逝ってから早、20年が経過し、今年は節目の年を迎えた。彼は全日本プロレスリング所属の名レスラーで、ジャイアント馬場の愛弟子だった。もちろん世界チャンピオンにも輝き、全日の後継者でもあった。彼の名前は「ジャンボ鶴田」さん。若い方は知らないだろうが、当時は、アントニオ猪木や藤浪辰巳率いるワールドプロレスリング(通称:新日)が二大看板で、プロレス中継がゴールデンタイムに放送されていたほどの人気があった。
彼は2000年5月に弱冠40歳という若さで旅立った。
「ジャンボ鶴田」の入場テーマ曲はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=ue4h3mGtPaU
9 女子プロレスの草分け
彼女は日本の女子プロレスの草分け的な存在だった。1970年代にはジャッキー佐藤とマキ上田の大人気ペアの「ビューティーペア」が女性の間で大人気となり、女子プロレスの分野を牽引した功労者だった。そのジャッキー佐藤さんも若くして亡くなられたが、彼女もまた、身長が高く大柄な体型を生かした豪快な技でファンを魅了した。彼女は今、現役でタレント生活を送っており、京都のKBSにて「きらりん!」という番組で中継リポーターとして活躍されている。
10 素っ頓狂な探偵助手
1970年代に絶賛放送していた「土曜ワイド劇場」枠で、天知茂主演で数か月置きに制作・放映されていた「江戸川乱歩の美女シリーズ」において、小林少年役を演じていた当時は若手俳優さんだ。有能な助手の文代くん(五十嵐めぐみ)とは異なり、真面目ではあるだが、どこか抜けている感じを醸しだしていた。彼は「柏原貴」さんと言い、「白線流し」に出演していたイケメン美男子としてならした「柏原崇」とはまったく別人だ。今はもう見かけなくなって久しいので、もしかすると芸能界を引退されたのかもしれない。
ほかにもクイズ形式で取り上げたい方は大勢いた。中島ゆたかさんとか、風祭ゆきさん、烏丸せつこさん、北村優子さん、河合奈保子さんなどもそうだし、昭和の頃にハーフタレントとして活躍していた「キャロライン洋子」さんもいた。今どうしているのか気になる方が大勢いる。
最近は「あの人は今」などというような過去に遡って人探しをする番組は減った。たぶん金曜日放送のTBS系列の「情報!THEフライデー」からいなものだ。引退し、一般人に戻って静かに暮らしている方を追いかけて、昔のことを根掘り葉掘り尋ねるのも失礼にあたると判断してのことかもしれない。
それでも一時期にせよ、かなり昔にせよ、私たち視聴者に鮮烈な印象を与え、ブームを呼んだり、あるいは注目を浴びた日々があったことは忘れられない。そういう素敵な若かりし頃の一ページがあったと、いわゆる「若気の至り」ではなく、「古く佳き日々」として覚えておいてほしいものだ。
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