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2020年2月22日 (土)

短波放送の想い出

 少し前にBCLに関する記事を掲載したことがある。本日はその続編ともいうべき記事を書きたいと思う。

 1970年代の後期、私が中1の頃にブームとなった趣味のひとつがBCLだった。それはラジオの短波の周波数域を使って、海外から日本人向けの日本語によるラジオ放送のことで、海外旅行が高根の花だった時代に、海外事情を知る手掛かりのひとつだったし、また、Voice of America(VOA)のような英語放送もあって、英語のリスニング対策にも一役買った。もちろん、FEN(現在のAFN)のような駐日米軍の軍人向けの放送もあるにはあったが、私のような地方都市出身の者にとっては、視聴できず、もっぱら短波放送に頼っていた。

 このBCLは正式には「Broadcasting Listening / Listeners」と言い、今は亡き山田耕嗣先生がその先駆者で、世間にその世界を紹介し、広めた第一人者だ。彼の監修した「BCL百科」を購入してバイブルとして使っていた。 

Yamadakouji_20200217190801Bcl

 これが一大ブームを巻き起こしたのは、短波放送を聴くというだけではない。何かしらの番組を視聴し、「受信報告書」に記録し、それを放送局に送ると「ベリカード」が送られてくるという、今でいう双方向性の楽しみがあった。この「ベリカード」は、裏面に各局オリジナルのデザイン画であったり、その地方の有名観光地の写真が印刷された絵葉書のようなもので、それをたくさん集めるために、友人たちと競っては数を自慢していたものだ。

 その「ベリカード」だが、私が熱しやすく冷めやすい性格だったためか、中学校でトップで、100枚以上集めたと思う。しかし、今はもう手元には一枚も残っていない。たぶん母親に全部捨てられたと思う。なぜ母親は勝手な判断で息子の大切なコレクションなどを捨てるのだろうか?本人にすればゴミではなく、大切な宝物なのに。よく鑑定団に出てくる、壺や掛軸を集める夫に対して、その価値を見出せずゴミ扱いする妻と同じ状況だ。

 また、同じようなカードに「QSLカード」があるが、これは携帯電話が普及する前に、スキー場などで仲間同士が居場所を知らせるのに交信するために「アマチュア無線」のブームがった。もちろん私も免許を取得し、今でも毎年300円の受信料を払い、コールサインを更新し続けているが、実際は20年以上、電波を出していないのだが、この見知らぬ(全国や世界中の)無線愛好家と交信をした時に、それを記念して交換するその人独自のカードのことを言う。

 では、1970年代後期に実在し、私も聴いていた短波放送を列挙したい。

 ①「モスクワ放送」 

 出力が強大で、放送が始まると、日本の中波放送にモロ被っていた。1993年に閉局し、その後「ロシアの声」(2014年修了)となったが、現在は「ラジオスプートニク」として放送している。「スプートニク」とは旧ソ連時代に打ち上げられた人工衛星の名前。旧ソ連の国民が生活難で苦しんでいた時期に、人工衛星なんかに巨額の費用をつぎこみ、庶民には「スプートニク」どころではなく「スープと肉」をよこせと揶揄されていた。

 ②「北京放送」

 こちらも社会主義国で、当時は衛星放送も珍しく、あまり中国や朝鮮の情報は入手できなかった。日本語放送だが、喋り方や内容も独特で、やはりレッドチームだなと感じていた。「偉大な毛沢東主席」みたいな言い回しがしょっちゅう流れていた。これらはモスクワ放送もそうだが、24時間放送ではなく、夜など一定の時間にしか放送されていなかった。やはり古臭い印象を持った。こちらは1993年に改称し、現在は「中国国際放送」として続いている。周波数は1044KHz

Belicard3Belicard4

 ③「ラジオ・オーストラリア」

 私はずっと「オーストラリア放送」と認識していたが、「ラジオ・オーストラリア」が正式らしい。こちらも残念ながら1990年に放送を終了し閉局となった。
 海外発の日本語放送の中では、比較的安定して受信できたため、結構頻繁に聴いていた。私が覚えているのは、当時、豪州映画で「マッドマックス」が制作され、その主人公のメル・ギブソンの話題などをDJが話していたのを覚えている。当時はオーストラリア=カンガルー的な印象で、コアラやアボリジニーの存在すら知らなかった。オーストラリアについての見識を深めるのに一役買った。

 ④「アンデスの声」
 
 エクアドルからの日本語放送だった。番組の始めに音楽ではなく、「ワライカワセミ」の鳴き声が流れてからスタートする流れだったと記憶している。内容はあまり覚えていない。というのは地球のほぼ反対側からの出力なので、あまり受信状態が良くなく、時々聞こえる程度のものだった。音楽や曲になると多少は強くなった。
 調べたところ、プロテスタントキリスト教放送団体(HCJB)による海外向け放送だったようだ。開始のBGMが「コンドルは飛んでいく」だった。ゆうたりとした印象がある。 
 現地在住の尾崎一夫・久子[1]夫妻を中心に30分番組(南アメリカ向けには1時間番組)を実施し、キリスト教関係の番組だけでなくリスナーから提供された投書の紹介、スタジオを訪れたリスナーとの対談などが行われた。
  2000年で一旦短波による定時日本語放送は打ち切られた。2000年12月31日の短波による定時による最終放送では、「蛍の光」の合唱の後、尾崎一夫が感涙の余り終了アナウンスコメントを詰まらせながら行ったという。
 現在は月に一度、日曜日に30分間だけ15410KHz、11905KHzで場所を変えて放送されている。

Belicard2Belicard1

 ⑤「その他の日本語放送」

 「BBC放送」(イギリス)、「太平洋の声」(グアム)など。

 私が中学時代、英語の勉強をするのによく聴いていたのは「Voice of America」だったが、何しろ混信が酷く、ほとんど聞こえない状況だったが、その頃、想像を駆使し、自分勝手な判断で意訳し、それでもエアメールで受信報告書を出したら、ちゃんとベリカードが届き、とても感激したことを覚えている。当時の外国を感じる手段はこんなものが関の山だった。それでもコミュニケーションが図れたことは、その後の人生や仕事に大きな影響を与えてくれた。

 「現在も放送されている海外の日本向けの短波放送」 ※周波数が複数あるのは時間帯によって使い分けている。

 ①「中国国際放送」(CRI)1044KHz
 ②「台湾国際放送」 9705KHz 9740KHz
 ③「KBSワールドラジオ」 6155KHz
   ④「ラジオスプートニク」
 ⑤「ラジオタイランド」9940KHz
 ⑥「ベトナムの声放送」9840KHz 12020KHz
 ⑦「朝鮮の声放送」621KHz 3250KHz 7580KHz 9650KHz
 ⑧「モンゴルの声放送」12085KHz
 ⑨「イラン・イスラム共和国放送」
 ⑩「インドネシアの声」3325KHz
 ⑪「RAE」(アルゼンチン) 5950KHz

 これだけ増えたということは海外に暮らす日本人も増えたし、海外の情報を日本にいながらにして知り得る機会が増えたことによる。それだけ国際交流が盛んになったと言えるだろう。

 一方、日本にも短波放送は存在した。それは「日本短波放送」(NSB)で、現在の「ラジオNIKKEI」だ。当時は看板アナの大橋照子さんが大人気で、出待ちファンがいたほどだ。
 清楚な印象の彼女は、慶應義塾大学卒の才女で、声も可愛らしく、今でいうアニメ声のような印象。喋り方も優し気で、守ってあげたい雰囲気を醸していた。ラジオ人気を高めた功労者でもあった。担当した「ヤロウどもメロウども」では、チェリーちゃんの愛称で親しまれた。何が凄いって、当時のラジオパーソナリティーでシングルレコードとLPのアルバムレコードを発売するほどの人気ぶりだった。ラジオ専門誌の表紙を飾ったことも一度や二度ではなかった。女子アナの存在をメジャーにした元祖かもしれない。
 その後、5年間サンフランシスコで過ごし、現在hその英語力を生かしたスピーチ教育とラジオのパーソナリティーとして活躍されている。 

Ohashi1Ohashi2

 これらの短波放送を聴くには短波(SW)を受信できる専用の受信機(ラジオ)が必要だった。ソニーの「スカイセンサー」やナショナルの軍隊で使われていそうなグルグル回転するT字型の外部アンテナを備えた「クーガ」などが売れた。
 しかし、私は東芝の「TRY-X2000」という縦長の受信機を保有していた。当時で3万円程度したと思う。こちらも結構な人気機種だった。

Tryx2000

 深夜に放送が始まる時間帯に手動でダイヤルを合わせ、その放送が流れて来た時には毎回感動的だった。時々混信で音が弱くなったりもしたが、それも海外を意識できたし、外国との接点を保つのに必要不可欠なものだった。

   さて、現代はCS放送などお普及により、アジアはもとより地球の裏側の国であっても、LIVEでニュースや風俗や文化などの外国事情を知ることができる時代となった。
 海外に行かなくても様々な情報を入手できるようになった。当時、眠い目を擦りながら、必死にチューニングダイヤルを合わせていた時代は懐かしいだけになったが、昔、そのような趣味に興じていた若者がたくさんいたことをどこかに残しておきたくてこのような記事を書いた次第だ。


   

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