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2020年2月18日 (火)

郡山の話題 前編 ~大きな出来事~ 

 今日から2日間、我が地元、福島県郡山市の話題をお送りします。
 前編の今日は、私が半世紀近く過ごした「郡山」で起きた出来事を振り返った時に、印象に残る事件や事故、大きな出来事を20傑セレクトしてお送りしたい。

 1 東日本大震災で被災地に 

 2011年3月11日午後2時46分に発生した巨大地震で、郡山市は最大震度6弱を記録。その後、2回に渡って東電福島第一原子力発電所の爆発事故が起き、大きな被害があった。9年経過した今でも風評被害に苛まれている。

 2 郡山空襲

 終戦間近の昭和20年にB29が相次いで襲来し、計4回に渡って郡山駅周辺に爆弾を投下し、多くの死傷者を出した。特に、駅東側の保土谷化学では、白河女子高校や郡山商業高校の学徒工員が多く犠牲になった。他にも日東紡績富久山工場でも多くの犠牲者が出た。
 如宝寺には慰霊碑が建っているが、このことをどれだけの郡山市民が知っているだろう。

 3 8.6水害

 昭和60年に起きた豪雨被害で、特に、田村工業団地を含む阿武隈川沿岸の地域は、川の増水・氾濫によって浸水被害が発生した。工場の多くが水没し、操業停止はもとより、治水対策が悪いことを理由に、郡山から撤退したり、工場を移転する企業が出た。

 4 台風19号被害

 8.6水害の教訓が生かされず、昨年10月に台風19号が襲来し、福島県全域で川が氾濫し、床下・床上浸水、さらには田村町一帯が再び水没した。学校は休校に、工場は停止、そして幹線道路も水没し、多くの被害を出した。阿武隈川の氾濫を回避するため、その周辺の支流、大平川、逢瀬川の水門を閉めたため、その沿岸では川が急激に増水し、オーバーフローや土手ののり面崩落、漏水によって、道路が水没したり、自宅に氾濫した川の水が押し寄せ、大変な被害をもたらした。郡山市富久山界隈や隣りの本宮市では多くの死傷者を出した。また、福島交通の郡山バスターミナルが水没し、路線バスが運行を停止する事態に見舞われた。

 5 クリスマス豪雪による大停電

 昭和55年12月24日に大雪によって市内各地で送電線に積もった雪の重みで高圧鉄塔が折れて崩壊。市内全域で停電となった。寒さの中、ストーブを炊き、ろうそくと懐中電灯の明かりだけで一晩明かしたことをはっきりと覚えている。この時、初めてライフラインのありがたさを思い知った。

 6 合唱王国

 新産業都市宣言以降、郡山は市を挙げて合唱に力を入れた。金透小学校、郡山二中、五中、安積女子高校(現・黎明)などが、全日本合唱コンクールなどで金賞を獲得し、日本一に何度も輝き、その地位を確固たるものとした。特に安積女子高校は1980年以来、2011年まで32年連続金賞受賞という大金字塔を打ち立てた。
 その後、郡山市は「音楽都市宣言」を行い、「東北のウィーン」と呼ばれ、合唱だけでなく、合奏や吹奏楽、管弦楽にも力を注いでいる。イメージキャラクターとして「がくと」くんと「おんぷ」ちゃんを設定した。詳しくはコチラ

 7 新産業都市に指定

 大正時代までは、郡山は村だった。広域郡山の周辺の村が合併し、次第に大きくなり、1924年(大正13年)9月に郡山町が市に昇格した。市の人口は現在の10分の1以下の3万9000人程度だった。その後、さらに富田町、大槻町、岩江、蒲倉、荒井、水門、大平などと合併を繰り返し、昭和39年2月28日に新産業都市となった。この年は大変の節目の年で、東京オリンピックが開催されたり、東海道新幹線開業、新潟地震が発生した。これ以降、日本はオリンピック景気に見舞われ、さらに高度経済成長期もあって、日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期でもあった。同時に、今の中国のように、公害問題も深刻化した。

 8 伝説のワンステップフェスティバル 

 1974年、開成山陸上競技場を会場に、日本中の有名ロックバンドが一堂に会した伝説のロックフェスが開かれた。矢沢永吉や沢田研二、サディスティックミカバンド、あのオノ・ヨーコも参加し、日本全国からロックファンが集結し、5日間で数万人を集めた。

 9 こどもまつり(飛行船)

 確か1974年に行われた「こどもまつり」は過去、郡山で最大規模の催し物となった。飛行船が上空を周遊し、メイン会場の開成山公園には多くのアトラクションが行われた、数週間のフェスティバル期間中、バラ園の西側に、福島県初のジェットコースターが建造された。洞窟を通り抜ける際に、流れていた滝が潜る時だけ止まる仕掛けだった、他にも五十鈴橋の北側の池に軍艦のラジコン競争があった。私はのど自慢大会で同級生3人とステージに上がって「母に捧げるバラード」を歌った思い出があるが、恥ずかしすぎて声があまり出なかった。
 また、今の「ニコニコこども館」あたりは、その当時は砂利の更地で、自衛隊のブースになっていて、そこのテント内に設けられた健康チェックコーナーで、肺活量を計測したら、小4だった私が3600ccもあって驚いた。またそこからヘリコプターが発着し、郡山市内を上空から眺めるイベントもあった。
 そのイベントとジョイントしてなのかは定かではないが、郡山市内の上空を巨大な飛行船が何日もゆっくりと旋回していた。確か船体は銀色で、鯉のような大きな目玉が描かれてあったと思う。

10 大型デパート・スーパーの進出と撤退

 かつてあったのが、丸光百貨店(デパート)、イトーヨーカドー中町店、ダイエー(トポス)、西友(西武)、クレジットデパート丸井、
トミヤ百貨店、津野百貨店(デパート)など。しかし、駅前で現存しているのは老舗の「うすい百貨店」だけとなった。今の時代、車での移動や荷物の運搬は必須で、大型デパートやスーパーは駅前から離れ、郊外へと移った。ジャスコ(現在イオンフェスタ)やイオンタウン、MALL郡山くらいだ。

 以下は説明も簡素化したい。

11 東北新幹線開業・・・昭和57年に大宮駅暫定開業。その後、上野駅、東京駅へと延伸した。在来線特急が姿を消した。
12 ビッグアイ・ビッグパレット完成・・・平成になって続々と箱もの行政の巨大建造物が建った。ビッグアイに高校を入れるとは・・・。
13 巨大3病院が移転・・・寿泉堂(駅前)、太田記念(中町)、星総合(大町)が相次いで移転した。しかし旧病棟は未だに放置状態。
14 ゼロ戦が飛んだ日・・・昭和40年代後半に何かのイベントで上空を飛来した。
15 老舗の閉店(角海老・やまのい・トキワスーパー・津野デパート・東北書店・コマツ醤油・豊田浄水場・富士館東宝)
16 磐光ホテルで火災 33名死亡・・・私が4歳の時に火災現場に向かう消防車のサイレンの音を今でも覚えている。
17 南東北卸センターで「輸入博」が開催される・・・駐車場が無く、路上駐車だらけだった。
18 郡山のデパート屋上で「スーパーカー展」が開催された(1977年頃)ブームが沸き起こり、ガチャガチャの消しゴムがあった。
19 校外に巨大スーパーが進出・・・日和田地区にジャスコ、オリエントパークなどのショッピングエリアが整備された。
20 「鯉の街」で町おこし・・・グリーンカレーがイマイチで、方向転換を図った印象。

 「今のその場所は昔は〇〇だった」

 1 「THE MALL 郡山」は昔、「日東紡第二工場・アサカ電子」だった。
 2 「ビッグパレットふくしま」は昔、国鉄の操作場だった。サンキョウ自動車、セントラルホールもあった。
 3 「21世紀記念公園」は昔、「日東紡第一工場」だった。
 4 「郡山中央図書館」は昔、「児童文化会館」や「テニスコート」だった。
 5 「ホテルハマツ」は昔、「マリア幼稚園」「ザベリオ小学校・中等部」だった。
 6 「芳山公園」は昔、「ヨークベニマルさくら通り店」だった。
 7 「ドコモさくら通り店」「ツルハドラッグ」は昔、「朴の昭和シェルのガソリンスタンド」だった。その後、ベニマルになった。
 8 「真澄院」は「カネボウ」と百軒長屋だった。他にマルニ看板店やマルセイ文房具、松美スタジオ、沢田釣り具、八百板商店があった。
 9  駅前の「三共郡山ビル北館」は昔、「郡山中央スケートリンク」だった。
10 「ほっとあたみ」は昔、「磐光パラダイス」と「磐梯グランドホテル」だった。
11 「TSUTAYA桑野店・みどり書房」は昔、
12 「ビデオ1」は昔、「岩瀬書店」だった。
13 「ケーズデンキ」「ゼビオスポーツ」は昔、「西部自動車学校」だった。
14   田村町のエイトタウン「ベニマル」「ダイユーエイト」は昔、「森永乳業工場」だった。
15   「ラウンドワン」「ドン・キホーテ」「まねきの湯」「星総合病院」は昔、「福交ゴルフガーデン」(ゴルフ場)だった。
16 「社会保険」事務所の裏手には昔、「巨大迷路」があった。
17 「ペップキッズこおりやま」は昔、「サンショー」というスーパーだった。
18  東部幹線沿いの「カワチ薬品」から北側一帯は昔、郡山市の「市場」があった。
19  若宮前の仮設住宅は昔、「農業試験場」だった。
20  内環状線並木の「auショップ内環状中央」は昔、ユニットバスのショールーム、その前は「Cafe&Cake1024」だった。
21  長者の「サイベックスアイランド」は昔、「インテリアダイイチ」と「職業訓練校」があった。
22  清水台の「グリーンウッド郡山」は昔、「染本ホテル」だった。
23  大町の「まめぜん」がある第2増子ビルは昔、「大町屋台村」があった。その前は東映パレスだった。
24 「郡山ビューホテルアネックス」は昔、「角海老」という焼き鳥屋だった。
25 「郡山商工会議所会館」は昔、皿沼プールで、その前は皿沼池だった。
26 「チサンマンション虎丸」は昔、「室塚病院」だった。
27  並木の「サンデュエル並木」は昔、「本多記念循環器病院」だった。
28  うねめ通りの「アップガレージ」は昔、「アルペン」だった。
29  インター線沿いにある「ローソン不動前店」は昔、「サンマルク」という人気パン屋だった。
30  郡山ビューホテルの東向かい側にある「うすい第一駐車場」は昔、「イトーヨーカドー中町店」だった。
31  中町立体駐車場の東隣りは昔、「郡山郵便局(本局)」があった。
32 「郡山文化センター」の南側一帯は昔、「郡山専売公社」だった。
33  内環状線沿い西の内のローソンは昔、「元気寿司(ニコニコ寿司)」だった。
34  うねめ通り沿い並木の「大和ハウス」ビルは昔、「京樽」というレストランだった。その後「大文字」になった。
    その裏手の立体駐車場には昔、ビデオレンタル「創夢館」とおもちゃ屋「ハローマック」があった。 
35 「かっぱ寿司郡山亀田店」は昔、「よつば電機」だった。
36  安積町の「ハードオフ」は昔、「デンコードー」だった。
37  希望ヶ丘の「ツルハドラッグ」は昔、「アーデン」だった。
38  郡山駅東口の「FSGカレッヂリーグ」の校舎がある場所は昔、「打ちっぱなしのゴルフ練習場」だった。

 店舗の入れ替わりが激しい商業都市・郡山では、「この前までここは〇〇だったのに、潰れて違う店になっている」ということがよくある。昔馴染のある店が無くなるのは本当に寂しいものがある。

 

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