2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 芸能人・アスリートは芸も才も備えたマルチ人間 | トップページ | 世界の厄介者、悪行三昧の朝鮮族 »

2020年1月15日 (水)

数奇な偶然は五輪金メダルへの試練なのか?

 今年、日本では55年振りに東京でオリンピックが開催され、オリンピックムードに盛り上がる筈だった。それに水を差す悪夢のような大きな心配事がJOCはもちろん、日本中に降りかかった。

 マレーシアオープンで優勝し、凱旋帰国するはずだった帰路の途中、バドミントンの桃田賢斗選手を突然襲った交通事故。幸いにして顔の裂傷と全身打撲で、骨には異常がなかった。しかし、桃田選手の目の前の席でトラックの後部に激突した運転手が亡くなってしまった。むしろその死を間近で目撃することとなった桃田選手の精神状態のほうが心配だ。
 彼は性格的にはおとなしく、人には優しい。それは我が福島県の富岡高校在学中から評判だった。口数が少ない彼は、誰にでも優しく接し、自分が強くなって世界ランキング1位になっても謙虚で、決して驕ることはなかった。4年前のリオの直前、優勝候補に挙げられながらも違法賭博行為で出場停止の憂き目に遭い、オリンピックへの出場が見送られた。おそらく、絶頂期だった彼なら、リオで金メダルは確実視されていた。4年越しの悲願をようやく手にする直前で、またこうした不運に見舞われた。神はどうしてこんなにも彼に試練を与えるのだろうか?
Momota
 しかしながら、冷静に考えると、これまでに超一流アスリトートがオリンピックで金メダルを獲得する際には、いろいろな選手がなぜかこの「産みの苦しみ」を味わされてきた。それを振り返りたい。

 1 山下泰裕の場合

  1980年のモスクワオリンピックで、金メダルを目指していた柔道の山下は、なんと政治的理由で、ボイコットによって五輪出場を逃した。これまで夢舞台で表彰台の真ん中に立つことを思い描いて、苦しい練習に耐えて来たことが水の泡になった。よほど悔しかったに違いない。さらに、その4年後は、ようやく念願かなって出場できたが、そのロサンゼルスオリンピックの2回戦で、西ドイツの相手の技に体勢を悪くし、軸足である」右足のふくらはぎに肉離れを起こしてしまった。巨漢のラシュワン選手との決勝戦では脚を引きずりながら、畳の上に上がり、なんとか対戦し、足技から相手の体勢を崩し、そのまま抑え込んで一本勝ちした。悲願の金メダル獲得に日本中が歓喜した。この優勝で彼は国民栄誉賞を得た。

 2 古賀稔彦の場合 

 小柄ながら豪快な一本背負いを武器に「平成の三四郎」の異名をとった「古賀稔彦」。1992年、彼はバルセロナオリンピックに出場したが、彼は現地入りして、練習していた時に、乱取りの最中に吉田秀彦の投げ技に受け身がとれず左膝を負傷。ひざの痛みに加え、運動できないことにより減量も思うようにならない困難を乗り越え、痛み止めを打ちながら金メダルを獲得した

 3 北島康介の場合

 アテネオリンピックで平泳ぎ2種目で金メダルを獲得した際に「チョー気持ちいい~」という名言を残した彼だったが、4年後の北京では、タイムが思うように伸びず苦しんだ。しかも、その当時、外国製の新型の高速水着「レーザーレーサー」の着用で、外国人選手のタイムが軒並み早くなってしまい、窮地に立たされた彼は、「MIZUNO」とスポンサー契約をしていたことから、その水着を着用しなかった。そして調子が上がらないまま迎えた北京五輪。彼はマスコミを遠ざけ、レースに向けて気持ちを集中させた。「泳ぐのは僕たちだ」と書かれたTシャツで無言のアピールをしたこともあった。そして、本番では、下馬評を覆して200mと100mの2冠を2大会連続で達成し「なんも言えね~」という名言を再び生み出した。

 4 上野由岐子の場合

 2008年8月20日、2008年北京オリンピック準決勝のアメリカ戦、同日夕刻の決勝進出決定戦の豪州戦と2試合続けて登板、いずれも延長戦となり合計318球を投げ完投(準決勝は敗戦、決勝進出決定戦は勝利)した。そして翌21日のアメリカとの決勝戦も先発して7回完投勝利、2日間3試合413球を投げ抜き、球技としてはモントリオールオリンピックの女子バレーボール以来となる日本の金メダルに大きく貢献した。この連戦連投で最終的に勝利を収めたその活躍ぶりは、かつての日本プロ野球の大投手稲尾和久になぞらえて、一部の新聞紙では「神様、仏様、上野様」と言う見出しが出る程になった。またこの年の新語・流行語大賞で「上野の413球」が審査員特別賞を受賞した。

 しかし北京を最後にソフトボールがオリンピックの正式種目から外されるという憂き目に遭い、その後、ロンドン、リオには出場できなかった。

 5 羽生結弦の場合

 ソチオリンピックの男子フィギュアで日本人初の金メダルを獲得し、2連覇がかかった平昌五輪の3か月前のNHK杯に向けた公式練習中、4回転ルッツで転倒した際に負傷。翌日午後に日本スケート連盟が「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった。この時点でグランプリファイナル出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した
 その後、彼はマスコミの前から姿を消し、けがの状況や回復具合がわからないまま、2月の韓国・平昌オリンピックを迎えることとなった。

 2018年2月16日、江陵アイスアリーナでショートプログラムに出場。4回転ループは回避するも、演技後半のトリプルアクセルは、審査員全員からGOE満点の評価を得るなどすべてのジャンプを完璧に決め、ブランクの不安を払拭する圧巻の演技を披露した。自己ベストに肉薄する111.68点をマークし首位発進となる。 「痛み止めなしでは3回転ジャンプすら跳べなかった」という状態の悪さから、翌17日に行われたフリーのジャンプ構成は試合当日の朝に決断したという。冒頭の4回転サルコー、続く4回転トーループでGOE満点を獲得する完璧な滑り出しで序盤のジャンプはすべて成功。長いブランクからスタミナが懸念された演技後半も、4回転サルコー - 3回転トーループの連続ジャンプを成功。しかし続く4回転トーループでミスが出たため、その後のトリプルアクセルを2連続からトリプルアクセル - シングルループ - トリプルサルコーに切り替えリカバリーした。最後の3回転ルッツも、体勢を崩しながらも着氷でこらえた。大きなミスは1つにとどめ、フリーでは演技構成点トップ、技術点との合計206.17点は自己ベストにはおよばないものの、ショートプログラムとの合計317.85点と2位以下を10点以上離し、ソチオリンピックに続き2大会連続で金メダルを獲得。

 さて、これまでのオリンピックを回顧してみたが、金メダルにたどり着くためには、これほどの試練を乗り越えないと獲得できなかった。怪我だったり、今回の桃田選手のような不慮の事故に見舞われる場合がある。どうして神はこのような仕打ちや悪戯をするのか不思議で仕方ない。しかし、こうした試練を乗り越えて獲得するメダルというのは、何倍もの価値があるように思える。

 そう考えると、桃田選手に降りかかった試練は、今年、金メダルを獲得するために神が与えた生みの苦しみなのかもしれない。早く回復し、万全の状態で夢舞台立てることを祈りたい。同じ福島県に縁があるものとして私も精一杯応援したい。 

 

« 芸能人・アスリートは芸も才も備えたマルチ人間 | トップページ | 世界の厄介者、悪行三昧の朝鮮族 »

スポーツ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 芸能人・アスリートは芸も才も備えたマルチ人間 | トップページ | 世界の厄介者、悪行三昧の朝鮮族 »