2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 自己責任でお願いします。 | トップページ | 人身売買?のプロ野球① »

2019年12月24日 (火)

郡山には昔〇〇があった!

 当ブログでは、郡山の話題を数多く掲載して来たが、今回も昔の郡山について書き綴りたい。それは今では信じられないものが昔の郡山にはいくつかあったという趣旨だ。今でこそ平和な世の中だが、高齢者の方々が幼少期には戦争を体験し、明日をも知れぬ生活を体験した。そんな先輩諸氏の不断の努力で復興が成し遂げられた功績を顧みながら、今ではもう存在しない建物や名所などを紹介したい。

 1 凱旋門

 日露戦争で戦勝した記念に、凱旋する兵隊をお祝いするために郡山駅前に「凱旋門」が建っていたという。駅前にあったのは円形Rのドームアーチ型だった。

Img_3193_rImg_7632

 また、現在の中町、うすい百貨店の南西側の中央通りの入口には、明治末期に共進会記念アーチがあった。こちらはパリの凱旋門を象ったミニチュア版だった。

 2 巨大貯水タンク(高架水槽)

 今はもう廃場になってしまった郡山のど真ん中にあった豊田浄水場。郡山市民のライフラインを長年支えて来た。ここにかつて、巨大な高層水タンクがあった。私が幼少期に、ここを学校で見学に行った時にはそでにそれは取り壊されてあったが、かつては郡山消防署の火の見櫓と並んで、麓山のラウンドマーク的な存在であったようだ。しかし、画像を見ると、郡山市公会堂の西側にあることから、貯水タンク自体は、現在の麓山「さんかくプラザ(旧婦人会館)」あたりにあったと推察される。

Img_9673_r3jpg

 3 競馬場

 これは郡山市民や高齢者の方でも知らないかもしれない。現在の開成山公園には明治37年から昭和31年の半世紀以上に渡って、競馬場があった。特に、競馬場は、五十鈴湖の周囲にあって、一周800m(400mトラック2周分)の距離があった。

Kaiseizan-keiba
Kaiseizan

 4 飛行場

 これは郡山市民でも70代以上の方しか知らないかもしれない。今の日本大学工学部があった場所は、戦時中は旧日本海軍の航空隊があった。もちろん飛行機の格納庫や滑走路、そして兵舎までもが存在していた。矢吹町には特攻隊の訓練場があったようだ。現在田村工業団地付近までかかる南北に広がる広大な敷地にあったという。ここにゼロ戦などの飛行機が置かれてあり、出撃準備を整えていた。

Img_1328_r
Img_1327_r

 5 弥生時代の住居跡

 こちらは取ってつけたような古代の住居跡だが、今は閉鎖されて通行不能だが、かつて三森峠の山頂部にあった茶屋とトンネル。その郡山側のトンネル真上に弥生式住居跡が発見され、それを復元したものがあった。

Img_5380_rImg_7997_r

  残念ながら、現在は新三森トンネル開通によって、旧三森峠は閉鎖されており、通行できなくなった。また先の震災で道路が崩落し、またアスファルトを突き破って雑草が生い茂り、また木立が道路に覆いかぶさってオフロードバイクや徒歩でも入山が困難な状況にある。あの峠の茶屋やトンネルは現在、どうなっているのだろうか?そして肝心のこの古代住居跡はどうなってしまったのか?気にかかる。

 6 駅前に防空壕

 郡山駅周辺は、保土谷化学や日東紡などの軍需工場があったことから、太平洋戦争末期に4回空襲に遭い、多くの方が犠牲になった。何度も工事現場からB29が投下した不発弾が発見されている。当然、駅前にあった寿泉堂病院や大田綜合病院には避難するための防空壕があった。それが下の画像で、戦時中は何度も空襲に備えて訓練をやっていた。

Dvc00219
Img_1329_r

 さて、古の郡山の歴史を回顧するような、昔の面影を彷彿させるような場所を挙げたが、今の50歳以下の方々には、このような建物が実在していたことを知る由もない。しかし、これらは間違いなく存在していたのだ。歴史は繰り返されると言うが、絶対に戦争だけは繰り返されてはならない。こうした今となっては負の遺産かもしればいが、昔の出来事に触れることで当時の生活を偲んだり、町の状況を回顧するのも一興かと思う。

« 自己責任でお願いします。 | トップページ | 人身売買?のプロ野球① »

郡山の話題」カテゴリの記事

コメント

いつも楽しく読んでます。
他県から嫁ぎ数十年、その間に郡山の土地に興味があり徒歩で地図を片手に散策するようになりました。
こちらのブログも大変参考になる情報が沢山あり、勉強になります。

震災後、地名にも興味があり、図書館のデジタルアーカイブなどで
古地図と現代地図を比較したり、古い写真をみたりして楽しんでますが
なぜ、その地名になったのか?由来のわからないものが多いように感じていました。

また、本当に長者が住んでいたのか?とか、昔はあった堂後、幕内町、相生町、水見台(今は桜木)など無くなったり、変更されたり、謎が深まるばかりです。
もうなくなってしまった地名、近世新しくつけられた地名など、何かご存じでしたら
そのうち、テーマにして頂けたら嬉しいです。
自分なりに調べていますが、いまいちポイントを外しているようで
なかなか、詳しいデータに辿りつけずに悶々としております( ^ω^)・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 エミーポンタンさん、初めまして。昔の地名については、私も住んでいる手前、興味がありますので、時間があれば調べてみたいと思います。そしてある程度確証が得られれば、当ブログでその内容について紹介したいと思います。
 また当ブログをよろしくお願いします。(つん)


コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 自己責任でお願いします。 | トップページ | 人身売買?のプロ野球① »