2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« プロ野球各球団の歴代ベストナイン | トップページ | 巨人の歴代外国人助っ人の戦績 »

2019年12月 5日 (木)

ザ・最終決戦

 スポーツの世界には勝負がつきもので、白黒つけるというか決着をつけるというのが本筋だ。しかし多くの競技があるが、最後まで優勝争いがもつれにもつれ、最終ゲームで雌雄を決することも少なくない。その場合の歓喜の瞬間はあまりにも劇的で、筋書きのないドラマを実感させるような、ドラマ以上にドラマティックな印象を受ける。まさに「勝負は下駄を履くまでわからない」という言葉たる所以だろう。
 では、私が知り得る限りの「最終決戦」で決着がついた名勝負を紹介したい。

 1 伝説の10.19 近鉄・ロッテのダブルヘッダー

 1988年10月19日に川崎球場でダブルヘッダーにより行われた日本プロ野球のパシフィック・リーグ、ロッテオリオンズ対近鉄バファローズの試合である。
 近鉄が連勝すれば近鉄のパ・リーグ優勝が決定し、近鉄が1つでも敗れるか引き分けるかで西武ライオンズの優勝が決定するという状況のもと、近鉄が第2試合で引き分けて、西武のリーグ優勝となった。川崎球場は超満員となり、第2試合途中から急遽、全国的にテレビ中継が放送され、高視聴率を記録した。


 2 1989年10.12近鉄・西武のダブルヘッダー

 1989年10月12日。西武vs近鉄のダブルヘッダー。西武・オリックス・近鉄による熾烈な優勝争いの行方を決定づけた闘い。西武有利という大方の予想とは裏腹に、ブライアントの4連発が飛び出すなど仰木近鉄の豪快な勝利に終わる。この2日後、藤井寺球場で仰木監督の体が宙に舞う。前年のいわゆる10・19から1年越しの逆転劇。 

 近鉄というチームは優勝する時も敗れる時も劇的な幕切れを迎えたチームだった。かつて西本監督が率いたチームでも、 当時パ・リーグは観客動員数増加をもくろんで、前期・後期65試合制の2期制をとっていた。近鉄は過去、2度、マニエルという超絶最強助っ人を擁し、後期に優勝を遂げて、日本シリーズに2年連続出場しているが、その優勝は二度ともドラマティックだった。

 そしてその近鉄は、昭和54年、55年ともに日本シリーズでセ・リーグ連覇の広島と対戦したが、闘将西本監督の悲願だった日本シリーズ制覇の野望を達成すべく、ぎりぎりまで追い詰めたが、その夢はかなわず敗れている。特に昭和54年の際は、最終回無視満塁のチャンスをつかみながら、優勝請負人の広島のリリーフエースだった「江夏豊」の前にスクイズを巧みに交わされて失敗、そして最後の打者石渡もまた三振に倒れ万事休す。9割方掴みかけた日本一の夢を絶たれた。


 3 2003年 横浜マリノスの3位からアディショナルタイムで逆転優勝

 当時は、日本代表監督を務めた岡田武史が就任していた。アルゼンチンのプレースタイルでトリコロールカラーのユニホームでピッチを闊歩していた。Jリーグ発足時は強豪だったが、その後、安定した強さの鹿島アントラーズ、ベルディ川崎、そして台頭してきたジュビロ磐田の前に、長らく優勝から遠ざかっていた。
 2003年は最終節まで決着がもつれ、なんと最終試合が同時刻に行われることとなった。1位から3位までが優勝の可能性がある中で、当時3位だった横浜が逆転優勝を飾った。それも極めてドラマティックだった。アディショナルタイムになって、不可能に思えた優勝が急に転がりこんだのだ。
 

 4 巨人・中日の1994年10.8決戦

 「10.8決戦」は、1994年10月8日に日本の愛知県名古屋市中川区のナゴヤ球場で行われた、セ・リーグの中日対巨人による第26回戦(シーズン最終戦)を指す。
 日本プロ野球史上初めて「リーグ戦(公式戦・レギュラーシーズン)最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決」という、文字通りの優勝決定戦であり、そこで勝利した巨人がリーグ優勝を果たした。

 長嶋監督はその最終決戦に、先発三本柱(槙原・斎藤・桑田)を惜しみなく繰り出す采配での必勝態勢で栄冠をつかみ取った。スコアは巨人が2回に2点を先制すればすかさずその裏、中日が追いつくという痺れる展開。しかし、自力に勝る巨人が中盤の3~5回に毎回得点で着実に追加点を奪い、6-3で中日を下した。優勝を決めた時のマウンドにはリリーフ緊急登板の桑田真澄がいた。その時のマウンド上で、常に冷静な桑田が、珍しく一回転して見せた歓喜のガッツポーズを今でも鮮明に覚えている。
 その試合のメンバーも凄かった。犠打の名手の川相に加え、松井秀喜、落合、原のクリーンアップに元木、村田までもがいた。一方の中日も立浪、大豊、パウエルのクリーンアップに、エース今中が先発した。

 5 阪神が中日に敗れ、巨人が直接対決で阪神を9-0で破り、V9が決まる!

 私が9歳の時に劇的な逆転優勝で前人未到のV9は達成された。
 1973年、そのシーズンは終盤まで阪神と巨人のペナント争いが熾烈を極めていた。10月31日に阪神がナゴヤ球場での中日との試合に勝っていればそこで優勝が決まっていた。しかし、当時、巨人戦以外はラジオやテレビ放送はなく、私は幼心に試合の行方を案じていた。翌日の新聞で阪神が敗れ、優勝がおあおづけになったことを知り、胸をなでおろした記憶がある。
 そして最終決戦は、文字通り天王山で、阪神ファンで埋まった満員の甲子園球場での阪神・巨人戦に優勝の行方は委ねられた。なんと、その前夜、巨人の選手たちが乗る新幹線が偶然にも試合中のナゴヤ球場のレフトスタンドの後方を走り去っていた。
 その試合では、木俣捕手の活躍があって翌日に優勝決定を持ち越されたが、すでに勢いは巨人にあった。先発は巨人の左腕のエースだった高橋一が投げ、なんと田淵などの強力打線の阪神に2塁を踏ませない完封劇。しかも9-0の大差で阪神を下した巨人が、V9を達成したのだった。
 ゲームセット直後、甲子園での胴上げを阻止しようと阪神ファンがグランドになだれ込み、巨人ベンチに詰め寄るという事態に見舞われ、王選手が襲われるなど暴徒化した。結局、グランドでの胴上げは実施されなかった。

 当時の川上監督はONなど盤石な常勝軍団を築いており日本シリーズでも9年連続完全優勝をはたしていた。それが球界の盟主とながらく呼ばれた所以だし、「巨人・大鵬・目玉焼き」ならぬ流行語まで生み出したほど巨人の強さが際立った時代だった。

 11.1決戦時の両チームのオーダー

 <巨人>1 萩原 2 黒江 3 柴田 4 王 5 柳田 6 森 7 上田 8 土井 9 高橋一三 長嶋は指の骨折で欠場

 <阪神>1 藤田平 2 野田 3 遠井 4 田淵 5 カークランド 6 池田 7 後藤 8 望月 9 上田二朗
 

 さて、ほかにもスポーツ史に残るような劇的な決着があるに違いない。最後の最後まで勝利を諦めず、真剣勝負だからこそ手に汗握る展開になるのだ。よく勝負は時の運というが、最後に勝利の女神がほほ笑むのはまさにその時の運が左右すると思う。それにはどれだけ血のにじむような努力を陰でしてきたか、という点もあるかもしれない。神様は時に残酷で、どちらか一方にしか勝利を与えない。だから優勝しても泣くし、敗れても悔し涙を流すのだろう。そんなひたむきな姿勢にファンは魅かれ、そして応援したくなるのだと思う。

 最後に、いよいよ来年は56年振りに東京でオリンピックが開かれる記念すべき年となる。夏場は、高校野球(甲子園)やインターハイ、そして通常のプロ野球などスポーツが目白押しだが、こうした真剣勝負が世界大会として繰り広げられ、日本中が一体となって選手を応援する、そんな感動ドラマを見られるかと思うとぞくぞくする。ぜひ新たなドラマを生み、私たちに感動を与えてほしい。

   

« プロ野球各球団の歴代ベストナイン | トップページ | 巨人の歴代外国人助っ人の戦績 »

スポーツ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« プロ野球各球団の歴代ベストナイン | トップページ | 巨人の歴代外国人助っ人の戦績 »