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2019年10月

2019年10月29日 (火)

お知らせ

 当ブログのタイトルを令和元年10月29日(火)より一部変更いたしました。

 2018年3月に開設しました「気ままにブログ三昧」ですが、主が誰なのかわからず、コメントの際になんと呼んでいいかわからない等のご指摘をいただきましたので、私自身のニックネームを冠に付けさせていただきます。ご了承願います。

2019年10月28日 (月)

二本松菊人形(R元.10/28)

 今年もこの季節がやって来た。週末の度に台風や豪雨で外出できず、また、10月は6回の土日出勤に加え、出張も立て続けにあって、なかなか毎年足を運んでいる「二本松菊人形」に出かけられなかった。前日の日曜日も朝から晩まで通常勤務を強いられ、ようやく青空で文字通り「菊日和」となった10月28日(月)に代休と重なり、訪れることができた。
 ご心配をおかけした右手首骨折の疑いも、仕事の忙しさに病院に行けないままでいたが、やっと5日後の25日(金)に整形外科で診察を受け、レントゲン撮影の結果、幸いにも骨には異常がなかったことが判明した。でも1週間経った今でもかなり痛みがあることに変わりはない。

 では、今回の菊人形見物について、以下の通り経過を掲載したい。

 10月28日(月)快晴

 朝から青空 5:50起床 家の中寒い 喉痛む 悪寒 転倒による右手首強打は、金曜日にレントゲン撮影で骨折無し 打撲と診断 
 9:36発 ドライブレコーダー電源入らず ガス欠心配 R4混む 左手親指痺れトラブル続出   
 9:54本宮big 11.3km 茶、おにぎり2、パン2で420円
 10:08枡記念病院10:18光現寺 22.6km 天井にボールペンで書いてしまう 解氷スプレーで落とす 墓参 そうじ落ち葉片付け
 10:32発 10:37霞が城P 満車で左側へ Pの係員のじいさんダメ不愛想 25.0km
 入場券900円 菊人形見物 千功成の甑峰希少酒  以下、主な画像を掲載(クリックすると大きくなります)

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 見てわかる通り、マネキンの顔はNHK大河ドラマ「義経」に主演した滝沢秀明、それに女性は綾瀬はるか、俳優の故・渡瀬恒彦ばかり。
観光客も「あっ、タッキー」と絶叫していた。

 11:20~登山開始 台湾人ツアーが通路を塞ぎ、モデル撮影ばりに代わる代わる写真撮り過ぎ 
 11:37智恵子抄碑 息切れ、体力減退、 胸苦しい 運動不足
 11:40二本松少年隊敬彰碑ー11:42搦手門
 11:49天守台・本丸 カップル1組 青空綺麗 安達太良山紅葉 下山 自刃の地で老夫婦智恵子抄への道順聞かれる
 12:13るり池 自刃の地や二本松藩士の戦死の地では三か所ともに合掌

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         笠 松             ほんとうの空と安達太良山
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       智恵子抄碑               搦手門跡の城壁
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   天守台跡から望む千貫森        紅葉が美しい安達太良山
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       反り立つ城壁           左側が築城当時の石垣

 12:20 P発ー12:43本宮IC-12:54イオンスーツ受け取り サイズ直しはさらに有料だと ケチすぎる
 13:17某所着 15:32某所発 頸椎ねんざした首痛い 15:36帰宅 48.5km走行

 さて、今年もなんとか毎年恒例の「菊人形」を見学できたが、その後の登山はきつかった。霞池、笠松、智恵子抄碑、二本松少年隊顕彰碑、
天守台&本丸への道のりは相当厳しい。加齢と共に体力が減退し、今回は息切れ、胸が苦しく頭痛もするなどで難しかった。20代の頃、1シーズン30回は訪れたスキーも無理かもしれない。

  追記

 最近、郡山市は全国放送でもあまり良い話題は聞かれず残念だ。台風19号被害、郡山駅前の火災、週末の豪雨被害、そして神明町で起きた高齢夫婦による介護疲れが原因の殺人事件。私が暮らす郡山市だからこそ、こういうニュースは目や耳を塞ぎたくなる。
 そうした喧騒を離れ、穏やかな気持ちを取り戻したく、今回の晴天を機に「命の洗濯」とばかりに行楽地へ出向いた。結局は5.1km歩き、階数では33階の高さまで歩いたことになる。少しでも日頃の運動不足解消に繋がればいいのだが。これも骨折を回避できたことの賜物なのだが・・・。

2019年10月22日 (火)

お知らせ

 いつも「気ままにブログ三昧」をご覧いただき誠にありがとうございます。

 仕事の多忙さを理由に、現在、新出記事の掲載を休止させていただいておりますが、当初、25日(金)を目処に再開する予定でいましたが、
10月21日(月)に、自らの不注意により、滑って転倒した際に、利き腕である右手首をコンクリートタイルに強打して負傷。骨折の疑いに加え、体のあちこちを打撲するアクシデントに見舞われました。

 記事の更新を楽しみにしている方にはお詫びの言葉もありませんが、このような事情ですので、もうしばらくの間、当ブログの記事の更新を延期させていただきたいと存じます。11月初旬には再開できるよう、治療に専念したいと思います。(つん)

2019年10月14日 (月)

緊急掲載 ~郡山の水害ふたたび~

 私は昭和39年に生まれ、以来、大学の4年間と就職後、会津若松市といわき市にあしかけ5年住んだ以外は46年間も郡山市に住んでいる。その間、大規模災害が幾度となく起こった。
 まずは、私が生まれた年に新潟地震があった。もちろん私が覚えている筈もないが。そして高校生の時にクリスマス豪雪があって、郡山市内一円が大停電に見舞われた。文字通りクリスマスキャンドルで一夜を過ごした記憶がある。その後、平成23年の東日本大震災は別格として、昭和の時代と平成に二度、豪雨被害(1986年の8.5水害と2011年の台風15号)に見舞われ、郡山市の東部地区では大変な洪水による水害被害に遭った。特に阿武隈川沿いにある田村中央工業団地は水没し、全滅と言っていいほどの被害を受けた。
 その記憶と教訓から、逢瀬川では名所だった土手に植えられた数百本もの桜並木を伐採し、護岸と川底掘削工事を行ったばかりだったし、また阿武隈川の氾濫に備え、横塚ポンプ場と古町ポンプ場を設営したり、あるいは橋が冠水し、通行止めに陥った時のために、日大の北側を貫く阿武隈川に新たな橋を架けて、ついこの前開通した矢先のことだった。
 915hpという超巨大で猛烈な勢力を誇った今回の台風19号。その接近に備え、郡山市では品川市長の号令の下、早くから対策本部を設け、事前の準備を進めていた。
 しかし、その予測を上回る規模の災害が発生することとなった。

 前日の10月12日(土)朝、私は駅前の職場に通常通り勤務した。その時は小雨程度で風もさほど強くなかった。いつも駐車する立体式コインパーキングの1階のコインゲートの近くに駐車した。
 しかし10時過ぎから風雨が強まり、冠水を心配した私は、傘が裏返るほどの強風と雨の中、靴の中がびしょびしょになりながらもいったんパーキングに戻り、車を1Fから2Fか3Fに移動させようとしたが、あいにく満車で屋上しか空いていなかった。暴風で吹き飛ばされる恐れがあることから、屋根の下の方が安全と、再び1Fのゲート近くに戻った。
 するとJRや福島交通のバスが計画運休を打ち出し、昼過ぎにはほとんどが運休となったことで、駅前は閑散とし、ヨドバシカメラですら、急遽、14時での閉店を決め込んだ。私の上司が15時を過ぎたらいつでも帰っていいとのお触れを出し、16時には職場を後にし、いつも通り逢瀬川の丁字路をクランク状に左折、右折し、旧4号国道を北へ。低くなっている磐越西線のガード下をくぐり、ALSOKの交差点から左折して日吉神社の坂を上がって、奥羽大学の手前に出て、自宅がある八山田方面へと向かい、16:30過ぎには帰宅した。
 私の自宅は高台にあって川からはかなり離れているため、これまで冠水被害などとは無縁だった。

 しかし、この後、よもやあのような災害が郡山市を襲うなどとは予想もしていなかった。市の防災無線で危険が差し迫っていることを何度も放送し、私の携帯の緊急連絡もまた、警戒レベル4~5の避難指示や阿武隈川や逢瀬川の漏水や氾濫危険情報などが何度ももたらされ、3~4回は緊急避難を知らせるアラームがフルボリュームで鳴り響き、その都度、驚いて血圧が上がる思いだった。

 以下、冠水や床上浸水、水没被害が出たところを順不同でお送りし、更には多くのブログやSNSにアップしてある画像をお借りしてここにまとめたい。

 <被害がひどかった地区>

 阿武隈川沿い・・・水門町、阿久津橋、行合橋、横塚、芳賀、小原田、富久山町周辺、富久山クリーンセンター周辺、R288周辺、大善寺橋、田村工業団地周辺、田村町徳定周辺、安積町荒井周辺、星総合病院、郡山駅北側の地下道、石塚町、石渕、谷田川沿いなど
 逢瀬川沿い・・・富久山町梅田、旧国道周辺、うねめ通り、咲田橋、うねめ通り、富久山町久保田、若葉町、赤木周辺

 結局は川沿いと道路よりも低い位置にあるマンション、アパート、家屋、駐車場、工場などに浸水被害が集中した。

 多くの方々が災害状況をアップしたSNSから引用させていただきます。画像をクリックすると大きくなります。

 <水門町付近>

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 行合橋を渡って直進したテクノアカデミー入口付近は下り坂で低くなっている。「ろうきん」も水没した。
 東山霊園に墓参に行く際に必ず通る道で、ここは過去、何回も浸水被害に見舞われた場所だ。

 <田村工業団地周辺>

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 左は旧森永乳業跡地に建ったヨークタウンでダイユーエイトやシミズストアが近くにある。先週この前を通ったばかり。
 右は田村工業団地を南北に貫く道路 アンリツ前から通行不能に 右側はパナソニック、宝来屋などがある

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 この工業団地周辺は、これで3度目の冠水、浸水被害となった。地球温暖化で台風の勢力が強まっている現状で、
阿武隈川沿岸では、いろいろな氾濫防止にために対策を講じてきたが、それを上回る規模の災害が発生してしまった。

 <国道49号線周辺>

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 左上は郡山自動車学校付近の状況で、右上は日大周辺、いずれも道路が川のようになってしまった。
 下の画像は田村町だが、住宅街がまるで池の中にあるかのようになってしまった。

 <ラウンドワン・横塚周辺>

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 左はラウンドワンと星総合病院を上空から見たところ。左右に流れるのは逢瀬川で、その先で合流する一級河川で、本流である阿武隈川が氾濫寸前になったことで、水門を閉じた結果、支流の逢瀬川が氾濫した。
 右は夜に撮影したドン・キホーテの駐車場。全体が冠水してしまっている。水が引いても泥が溜まり、土埃が舞うため、気管支炎や破傷風などの感染症が心配される。

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 ラウンドワンから南側は、下り坂のため、行き場を失くした水流はこの辺に集中し、東北本線の地下を東西に貫く地下トンネルは完全に水没し、通行止めとなった。私は先週、ここを歩いて渡ったばかりだった。星総合病院でも被害は甚大で、1Fの検査機器が浸水し、使用できなくなった。あの辺りは、かつて福交ゴルフガーデンで、周辺の中では一番低く、逢瀬川のすぐ南隣りに位置していることから、洪水になった場合には危険だと思っていた。
 また、ラウンドワンの東向かいの横塚ポンプ場を備える「浄化センター」もまた水没した。かつては「薬師堂火葬場」があった場所で、ここも川沿いで低い場所のために、溢れた川の水が流れ込む結果となった。あの辺にある店舗やアパート、住宅は軒並み床上浸水に見舞われた。

 <288号線周辺>

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 288号線の「サンビックス」と「富久山自動車学校前」。なんとバスが半分以上水没して放置されていた。
 この先の阿武隈川にかかる磐越東線の橋梁ののり面が崩落し、線路が宙ぶらりんとなり、不通に。運行再開まではかなりの時間を要すると思われる。今から20年以上も前に、同じような状況に見舞われたが、その際はバスによる代替輸送が1か月近くも続いた。しかし、そのバスだが、福島交通バスの車庫に駐車してあった車両の半分近くが水没したため、その目途は立たないでいる。

 <逢瀬川・旧国道周辺>

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 ラウンドワンから逢瀬川沿いに星総合病院の北側を抜け、福島交通郡山支社(バス車庫)前を通って、4号線に向かう通りは、東北本線や磐越西線のアンダーパスになっていることから浸水被害が酷く、通行止めに。私が朝夕の通勤で使っている道路だ。
 
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 逢瀬川沿いにある福島交通郡山支社のバスターミナルも水没 路線バスへの影響必至。郡山駅発着の路線バスはしばらく運休の見込み。
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 私が毎日通勤で通る旧国道 前方に磐越西線のガードが見える
 右は上から見た旧国道の磐越西線のガード下周辺 完全に泥水で水没した 左下の画像は深夜の梅田付近の洪水の状況

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 阿武隈川の小原田二丁目付近で漏水情報が流れ、決壊の恐れが出たため、深夜近くに逢瀬川や谷田川、大滝根川が阿武隈川に流れ込むのを阻止する水門が閉鎖されたことで、行き場を失くした支流が軒並みオーバーフロー(氾濫)し、旧国道沿いを始め富久山町、横塚町、芳賀のあちこちで浸水が発生。
  場所によっては1階部分が水没し、それが夜中だったことで、もしかすると寝ている間に浸水し、溺死などで亡くなった方が増える心配も。

 <うねめ通り>

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 「赤木小学校」の前のうねめ通りと右は「Avail」付近。いずれも阿武隈川の阿久津測候所付近の水門を閉じたことで、行き場を失くした逢瀬川が氾濫し、このありさまに。
 店舗などは営業再開まで相当な時間を要する見込み。市内のところどころの道路に冠水のため発進できなくなった車が放置されている。水たまりやひざくらいまで冠水している道路に、「通り抜けられるだろう」と安易に突っ込んだ場合、ラジエーター部分に水が入ると一発でエンジンストップとなり、再始動が出来なくなる。ハイブリッド車は電気系統がダメになり、すぐにストップしてしまう。絶対に無理に冠水した道に突っ込む行為はやめ、面倒でも迂回路を探してほしい。

 youtube動画 https://www.youtube.com/watch?v=LTGfOHaI6_A

 <ドローンによる空撮映像>

 私ごとだが、13日(日)に自宅から喜久田街道を通って奥羽大学前を通り、踏切を渡って久保田変電所まで来たら、ツルハドラッグから先は通行止めになっていた。右折して若葉町方面に向かったら、今度は咲田橋の100m手前でふたたび通行止めに。仕方なく、西部自動車学校まで戻って、内環状線経由で実家まで行った。行きつけの「シミズストア咲田店」も休業状態となってしまった。

 私が訪れた馴染の床屋さんが、実は中心市街地のさくら通りや神明通りを管轄する消防団の団員になっていて、ゆうべはあまり寝ないで、ポンプ車で市内の状況確認に巡回していたという。夜中に市内あちこちで被害状況を撮影した写メ画像を見せてくれた。

 前回の教訓が生かされず、またしても甚大な水害被害に見舞われた。住む家を追われた方々、車が水没し、買い替えを余儀なくされる被災者が大勢いる。保険会社もその対応に苦慮することだろう。しかも郡山市では、大町で30~40代くらいの男性が犠牲になり、また、田村町でも小学生の男の子が川から痛ましい遺体となって発見されるなど、今後、犠牲者が増えるものと思われる。

 気象庁の緊急会見やFTVの齋藤気象予報士、各局の天気予報で、繰り返し命を守る行動を呼びかけていたにもかかわらず、通常では災害が起きないと思われている箇所でも死傷者が数多く出た。阿武隈川も複数個所で氾濫や堤防の決壊が起きた。
 福島県内では、14日時点で全国でもっとも多い24名の死者が出て、行方不明者も5名いる。何が起きるかわからない昨今の気象状況。地球温暖化がその最たる原因だが、気象のせいにするのではなく、自分の命は自分で守らなければならないことを今回、改めて知らされることとなった。
 「ここまでは水は来ないだろう」とか、「避難しなくて大丈夫だろう」という油断や思い込みが命取りになるということを、今回の台風は改めて教えてくれた。ひとつしかない命。それを生かすも殺すもあなたの心がけ、行動ひとつにかかっているのだ。

 私は昔から、川のそばや裏山がある場所、崖の場所には住まないと決めている。加えて今回は、河川よりも低い土地には住まないことを学んだし、住むなら2階以上に住むことを再認識した。
 今回の災害を教訓に、またこのような多数の人命が失われることが無いように自治体や行政はしっかりとした対策を講じてほしい。

 資料「郡山震災アーカイブ」はコチラ

 

 なお、今回の台風19号の被災記事は緊急掲載しましたが、次回の新出記事の掲載は、前回のお知らせ通り、10月下旬となる予定です。

 復旧状況

 10月17日(木)郡山駅発着の路線バスが20系統のみ再開 (154台のうち90台が浸水被害のため復旧せず)
 10月17日(木)午後、郡山駅北側の地下道(東部ガス~ドンキ)の通行止めが解除
 反対に、逢瀬川沿いの道路(ラウンドワンおよび星総合病院北側)が通行止めに

 

 

 

2019年10月 8日 (火)

お知らせ

 10月は出張10回という超多忙月のため、しばらくの間、新しい記事の掲載を中断させていただきます。

 ご了承ください。再開は未定ですが、10月下旬になる見込みです。

2019年10月 7日 (月)

人生歌と呼べる一曲

 竹内まりやさんと言えば、山下達郎の奥様で、長い間、シンガーソングライターとして活動し、「駅」とか「けんかをやめて」など多くの名曲を世に送った方だ。私も社会人になりたての頃、彼女のアルバム「Request」を聴いて、励まされたひとりだ。
 そんな彼女がせつせつと歌い、多くの方に感動を届けている楽曲がある。
 それは命の大切さや生きていることの意味を歌い上げた「いのちの歌」という曲です。
 一回聴いただけで、ジーンと来るものがあり、二度目に聴くと、人生そのものを実感させてくれる。そう感じたのは決して私だけではなく、この曲を聴いた方々のコメントを見ると、過去の出来事の呪縛にとらわれて、前に踏み出せない方への勇気づけであったり、激励ソングとして宝物の存在のように思っている方、そして人生の奥深しさを教えてくれる、そんな悠久の世界を感じる珠玉の一曲だ。

 まずは聴いてみてください。

 では、この曲に寄せられたコメントもどうぞ!

 この歌の素晴らしさを理解できることは、まともな人生を送っている証なのかなって思います。17歳の長男を亡くして、絶望の日々でした。この歌が彼の生前に出ていれば、彼の生き方も変わったと思います。人生は短いです。何のために生きているのか?解っていない人が多くなっていると思います。自分の命に関してもっと考える時代が来ていると思います。まりやさんもそのような気持ちで作った歌だと思います。

 17年前の5月、交通事故で息を引き取った、お付き合いしていた女性を思いだし、涙しました。 当時のわたしは、彼女のいない現世に行き続ける意味を完全に見失い、どうしようもない絶望感にさいなまれ、「自分もあとを追った方がいいのかも。」などと思ったコトも1度や2度ではありません。 でも、ふと思ったんです。「わたしを好きになってくれた彼女の分まで生き続ける義務がわたしにはあるのではないか?」と。(今でもそれが正解なのかは分かりませんが) 彼女に出会えたこと、彼女を育ててくれた両親に、わたしを育ててくれた両親に心から感謝し、これからもわたしなりに一生懸命生きていくつもりです。 この星にさよならする、その日まで。

 79歳で亡くなった母の葬儀の時に、この歌を流しました(T . T) 参列してくれた親族に いい歌やね〜と言ってもらえた。 苦労ばかりの母の人生、酒とバクチと暴力の父に必死に耐え私達姉妹を育ててくれました。父の暴力と借金の酷い家庭環境の中 グレなかったのは お母さん!貴方の愛があったからです。お母さん 私達姉妹を産んでくれて育ててくれて本当にありがとうございました。お母さんにもう一度会いたい、色々なところ連れて行ってあげて、美味しいもんもっと食べさせてあげたかった。孝行したい時に親は無しと よく言ったもので もっと優しい言葉かけをすれば良かった、と 後悔ばかり残ります。親不孝な娘だけど、お母さん、私はお母さんの娘に生まれて良かったよ、本当にありがとう。

 生きてくことがしんどいと思っていることを母に打ち明けたときに、この曲を聴いてみてと言われました。 今になって思い返し、測り知れない程に悲しい思いをさせてしまったと後悔しています。 楽な人生なんて一つもないし、私の人生を歩めるのは私しかいないので、この際、 最高の人生にしてやろうと思っています。

 人生の悲哀だとか、大切な人を亡くして、生きる生きがいを見失っている方など、いろいろな思いをこの歌に重ね合わせて、人生そのものを噛みしめているように思える。

2019年10月 5日 (土)

なぜプリウスはそうなる?

 プリウスはトヨタが誇る低燃費のハイブリッドカーだ。しかし、この車のユーザーは高齢者に多く、そして操作レバーが独特で、
運転ミスをしやすいことから、信じられないような事故を引き起こすことが多いようだ。全国的に「プリウス乗り」の運転マナー
の悪さや操作ミスによる大事故の例が動画サイトでも指摘されている。

 その燃費の良さがかえってドライバーに災いをもたらしている。それは、多少乱暴な運転や飛ばしてもあまり怪我が少ないと思い
込んで油断しているケースがある。確かに、一般道や高速を走っていても、この車種は無駄に飛ばしていることが多い。煽り運転を
するのもアルファードやハイエースに次いで多い。いずれもトヨタに乗っているドライバーが多いという統計がある。
 高速で道をどけないからとモデルガンをぶっ放した覚醒剤男もアルファードだったし、茨城の常磐道で無理やり停止させた男もまた
プリウスだった。気持ちが大きくなって、他人を見下したり、馬鹿にしてイラついて攻撃的になることが多いのかもしれない。

 では実際にどういった事故が多いのか動画サイトにアップされているので紹介したい。

 他車ではまずあり得ないような、まるで曲芸じみた有り様というか惨状だ。どういう運転をすればこうなるのか?
と言った疑問が付きまとう。優秀なトヨタの開発スタッフが悪いのではなく、操作ミスを起こすドライバー側に責任
があるのは言うまでもない。
 私は、近くにプリウスがいたら、なるべく遠ざかるようにしている。まして高齢者ならなおさらだ。いつ、どこで
巻き添えになるかわからない。
 歳をとって収入が減り、年金受給者になれば、できるだけ節制し、ガソリン代がかからない車に乗りたい理由もわ
からずもないが、未熟な運転技術で、高度な運転能力が求められるプリウスの複雑なシフトレバーを使いこなすのは
正直容易ではない。
 これだけプリウスに事故が多発しているのはまぎれない事実なのだから。
 そう言えば、私が縁を切った大嫌いな伯父もプリウス乗りだった。



 

 

 

2019年10月 4日 (金)

昔のアイドルは今見ても可愛い?

  ジェネレーションギャップがあって、今のアイドルは別になんとも思わないが、私が学生の頃のバブル期に活動していた方や社会人になりたての20台前半の頃に人気があったアイドルは懐かしいと思う反面、今でもたぶんA級アイドルとして活躍できそうだと思う方々がいる。
 そう言えば、2年くらい前に、プレイボーイのオリラジの藤森が昔のアイドルのVTRを振り返る番組で、80年代半ばに活躍していた「おニャン子クラブ」の一員だった河合その子を見て、「この子、可愛い~」と呟いていたのを思い出した。
 とりわけ多人数アイドルの先駆けとなった「おニャン子クラブ」から始まり、その走りとなった「モーニング娘。」、そしてそのステータスを不動のものとした「AKB48グループ」はさておき、私が今見ても可愛らしいし、人気が出そうなアイドルを2人取り上げたい。

 断っておくが、今では彼女たちは45歳を過ぎた方々で、しかし、当時は超がつくほど可愛かった。若い方はどうぞ今のアイドルと比べてどういう印象を持つだろうか。若干ミーハーが入った記事だが、どうかお付き合いください。

 1 吉成圭子

 彼女は1992年にデビューした「制服向上委員会」の初代リーダー。ややロリ顔(ベビーフェイス)で、色白。当時の飯島真理や島田奈美、伊藤つかさのような顔立ちをしていた。もっと古くは「やまがたすみこ」さんのようなアンニュイな印象を抱く顔立ち。
 1992年というとバブルが弾けた頃合い。1985年デビューのおニャン子クラブが1987年で解散し、世の中はイカ天から火が付いたバンドブームが隆盛し、多くのガールズバンドユニットや、TRFまMAXなどのダンスユニットも多数登場した時期。しかし、一方では、アイドルが下火になり、逆に多人数ユニットを世間の男子高校生らが欲しがっていた時代に登場した。
 私の記憶では、色白で丸顔、ベビーフェイス系はO型っぽいのだが、確か彼女はA型だった記憶がある。

 彼女のような存在がひとりいたら、その学校やクラスはパニックになっているに違いない。マドンナだと思うし、何人もの男子から告白されるに違いない。この映像は1993年8月22日の「こまばエミナースライブ」の実況生録のもの。よってもう26年も前の映像だが、今でも可愛く見えるし、浴衣を着ているせいか古さを感じない。今でもこのような顔立ちの女の子がいたら、男子学生は熱狂的なファンになるに違いない。けばけばしさや派手さは一切なく、清楚なイメージで、おそらく、年配の世代にも愛されるようなキャラ。
 現在は芸能界を引退している。1997年にアメリカ留学というのが理由だった。

 2 島田奈美

 彼女はTBSドラマ「お坊ちゃまにはわかるまい」でとんねるずの妹役としてドラマデビューした。その可愛らしさから瞬く間に人気に火が付いた。すぐにCDデビューし、ベストテン番組にもランクインするほどだった。彼女は吉成圭子よりも前に歌手デビューしたが、似たような印象。アンニュイでロリフェイス系。血液型はO型。
 彼女はどちらかというと国民的妹という存在で、恋人というよりは守ってあげたくなる存在だった。
 私は恥ずかしながら、彼女がデビューした時には、東京で大学生だったため、すぐにファンになり、確かCDアルバムを持っていた。特に「不思議なキョーピット」とこの「パステルブルーのためいき」は彼女の魅力を余すとこなく醸し出し大好きな楽曲だった。
 そしてCMでは「クレアラシル」シリーズでその可愛さに磨きをかけた。マジでこんな子が、教室の隣りの席にいたら、毎日が楽しくて仕方ないと思う。
 彼女は今、「島田奈央子」という本名の名義で音楽活動を継続している。48歳になられた今もなお、若々しく、そして音楽に情熱を注いでいる。

 さて、古い記憶を手繰り寄せ、何とかここまで記事を書いたが、どうでしょう?今見ても、アイドルとして十分通用するレベルだと思う。こんなに清純で可愛かったアイドルが、今から30年近く前に存在していたことを現代の若者にもわかって欲しい。
 ほかにも菊池桃子、中山忍や吉田真里子、石川ひとみ(ともにB型)も同じ類だったと思う。

 

 

2019年10月 3日 (木)

〇〇だらけの郡山の中心市街地

 今日もまたご当地、郡山に関するネタをお送りします。題して「〇〇だらけの郡山の中心市街地」。
はて、なんのこっちゃと疑問に思うかもしれないが、長年、郡山に居を構えている私が日頃、感じていたことを一気に吐き出すような話だ。私は高校卒業まで、郡山駅から徒歩15分圏内の郡山市の中心市街地で育ったため、この街の半世紀近い変遷を身をもって経験したという自負みたいな感覚がある。
 その市街地において、疑問に感じていることをぶちまけたい。

<池と公園>

 日本遺産に認定された「一本の水路」、郡山市民にはお馴染みの「安積疎水」。明治時代に、あの大久保利通の命によって国営事業として全国から工夫を雇ってオランダ人技師・ファンドールンが陣頭指揮して完成した。
 それ以来、郡山の西部地区は、日本有数の穀倉地帯となった。その功績を讃えるモニュメントや当時の難工事を偲ぶ遺構が市内のあちこちに多数残されている。
 麓山公園にある「麓山の滝」はその最たるものだが、その恩恵なのか、今でも市内には数多の池や公園が点在している。

 池(沼)・・・荒池・酒蓋池・五百渕・鑓ケ池・香久池・麓山池・萬海池・新池
        善宝池・宝沢沼・手良沼・安積町荒池・葉ノ木池・美女池・芳賀池
        見物壇池ほか
     
  今はもうないが、清水台には皿沼があった。もっとも郡山南インター近辺にはさらに湖沼群が点在しているが。

 市街地の公園・・・芳山公園・鐘堂公園・開成山・本町緑地公園・中町緑地公園
          麓山公園・21世紀記念公園・荒池公園・酒蓋公園・西部公園
          香久池公園・五百渕公園・島中央公園・大島公園・逢瀬川緑地
          善宝池公園・芳賀池公園・備前舘公園・西部公園・大槻町緑道
          桑野公園・並木公園(プール)・並木2丁目公園・上赤沼公園
          荒井中央公園・荒井2~4号緑地・日出山公園ほか
          

 郊外の公園・・・待池公園・成山公園・八山田西公園・八山田公園・南向公園
         こどものもり公園・大槻公園・浄土松公園・阿武隈緑地 
         菖蒲池広場緑地・尖の森公園・逢瀬公園・宝沢池公園・新池公園
         大安場史跡公園・カルチャーパーク・熱海ゆけむり緑地
         安積山公園・東部森林公園

 郡山の市街地には「なんでこんなに公園だらけなの?」と疑問に抱くほど多い。一等地の広大な敷地を全面公園にしていて、緑が多いのは確かに良いことだが、多少なりとも、もったいない印象がある。特に麓山公園と21世紀記念公園は隣接して、広大だった日東紡第一工場跡地にあんなに巨大な公園をつくらなくてもいいのではと思ってしまう。旧ベニマルさくら通り店がある場所もそうだ。有効活用できたのではないかと思ってしまう。大体にして、開成山という超巨大なオアシスが郡山にはあるのだから、何も駅から徒歩圏内の一等地に、あんな立派な公園を拵えなくてもと思ってしまう。郡山の郊外には複数のスポーツ広場(グラウンド)はあるが、もっとスポーツ施設の充実に役立ててほしい気がする。 

 

 <セブン圧勝のコンビニ事情>

 これは特段、郡山市に限ったことではなく、一部の都道府県を除いては全国的にコンビニといえば「セブンイレブン」圧勝の気配だ。青森県や四国地方では一店舗もない地域があったが、進出し、徐々に解消しているようだ。北海道は「セイコマート」や「ホクレン」関連の店舗が幅を利かせているし、九州や関西ではローソンがまさっている特異な地区もある。

 郡山市内のコンビニ店舗数比較(令和元年9月末時点)

  セブンイレブン・・・84店舗
  ファミリーマート・・・37店舗
  ローソン・・・22店舗
     ミニストップ・・・11店舗
  デイリーヤマザキ・・・3店舗
  NEW DAYS・・・3店舗(駅構内周辺)

   このように、セブンイレブンは市内を歩いてもどこにでもある印象。なんと他のコンビニを全部足してもまだセブンイレブンの店舗が上回っている。まさに圧勝。郡山市民とセブンの関係は切っても切り離せない愛着のような感情があるようだ。
 郡山から県外に行くとセブイレブンに「酪王カフェオレ」を売っていなくてショックを受ける人も多い。

   意外だったのはローソンよりファミマのほうが多かった点。セブンはヨーカドーグル-プ、ローソンはダイエー、ファミマは西武セゾングループの傘下にある。かつて市内にも結構な数があった「セーブオン」や県南酒販主催の「ハローショップ」は残念ながら無くなってしまった。

  <エリートビル>
  
 こちらは駅前や陣屋を中心に蔓延っている印象。どこを見ても「elite」の文字が看板に踊っている。面白いことに、すべてeliteの後に通し番号らしき表示がついている。
 ネットで調べたら、エリートビルには1から41まであって、更にガーデンキッチンなどの関連施設がある。しかも駅前周辺にすべて集約。ということは、郡山駅前は「elite」が牛耳っていることになる。

 論より証拠 eliteのHP → http://elite-bldg.com/tenant/elite30/

 しかもこのビジネス集団は、駅前の駐車場を大多数持っていて、「エリートパーク」という名のコインパーキングを1~10も展開し、今でも増殖中。しかし、いつからこんな状態になったのか?
 会社概要のHPによれば、設立が1975年10月、つまり44年前。つまり、結構前から郡山に根差した商売を展開していたようだ。役員に金田という姓の方々が名を連ねていることから、金田一族の経営基盤ということが言える。
 

 
 逆に〇〇がないという点で述べると・・・

 旧4号国道から西へ4kmほど行った49号国道までの「さくら通り」には1軒もガソリンスタンドが無い!
 かつては丸善→コスモ石油(北日本石油虎丸給油所)や大協(虎丸)、ボーキ昭和シェル(虎丸)、安積黎明高校の西隣側には日石のカメイのGS、内環状線の南東側の四つ角(長者)にもあったし、ニコニコこども館の隣に出光のスタンド(朝日)、そして49号線の手前の南東側に「モービル石油」のGSがあった。石油販売のミニスタンドまで混ぜるともったあった。
 悲しいことにそのすべてが平成以降、撤退してしまった。

 <持ち帰り箱詰め寿司>

 小僧寿し、小銭ずしもまた一軒も無くなってしまった。

 <家電量販店>

 第一家電は長者と日和田に2点あったがすべて撤退。イセヤデンキも大槻町と内環状線の備前舘(現・トライアル)にあった。庄司デンキから店名が変わった「電激倉庫」も2店舗あったが、今は完全撤退。
 「Yesそうご電器」も、20年程前には桑野のギャオがあったところにオープンしたが、今はイオンフェスタ店に1店舗あるのみ。

 <激減している店>

 家電量販店

 「デンコードー」と「よつば電機」は「カトウデンキ」に吸収統合され、現在のケーズに郡山には前者は、日和田ジャスコ(現イオンフェスタ)の南と安積町の南インター線沿い(現・ハードオフ)にあった。コジマ電気もまた、かつては富田の49号線沿いにあったが郡山警察署の斜め向かいの一店舗に集約。

 家電は、郡山市に2店舗を構える「ケーズ」と関連して3店舗ある「ヤマダ電機」が勝ち組傾向。

 ホームセンター

 こちらも流行り廃りが著しい。カンセキはとうの昔に撤退。ビバホームも縮小傾向。かつては安積店と喜久田店、横塚店があったが、どちらも閉店。今は桑野店と針生店のみ。「ジョイフル山新」は安積町から日和田に移転して頑張っている。「カインズ」も大槻店と富田店を構え、鋭意努力している。かつては「イセヤデンキ」があった、今は「トライアル」になっている備前舘に店舗があった。
 今、県内に拡張しているのは「ダイユーエイト」だ。一番店舗数が多い。


 本屋

 かつては市内のどこにでも書店があった。八幡坂の八幡ビルの1Fの並びには今でもある「松文堂書店」の3軒隣りに「叶屋書店」があった。駅前大通りには、教科書販売も手掛ける「佐藤書店」、そして老舗の東北書店もあった。また本町の旧国道沿いにも複数の書店があった。
堂前町の一心坂にも、今でも「松文堂書店」があるが、昔、日東紡績第一工場の道路を挟んだ南側に「高島書房」があったが、内環状線の久留米に移転してしまった。
 また、希望ヶ丘の「アーデン」内に本屋(佐藤書店)があったのだが、それも無くなった。あと「見聞録」も無くなった。

 今や思いつくのは、「ジュンク堂」、「みどり書房」、「岩瀬書店」、「くまざわ書店」くらいになってしまった。

 

 さて、いろいろと郡山の今昔物語を書き綴ったが、かつて栄華を誇っていた店が無くなるのは本当に寂しい。私が生活しているこの40年でも入れ替わりが激しいし、「以前ここに何があったっけ?」と思い出すのも困難なほどだ。
 特に、飲食店などで贔屓にしていた店が無くなってしまうのは残念で仕方ない。いろいろな事情があって店をたたんだのだろうが、その店にしか出せない味があったし、こだわりの、そこにしかなかったメニューがもう二度と味わえないのは本当に辛いものだ。
 

 

2019年10月 2日 (水)

「郡山市内のあの場所は今・・・」

 商業都市である我が街・郡山は繁栄と衰退が著しい。様々なお店が開店と閉店を繰り返し、現在に至っている。かつて繁盛していた店であっても、不況の波に勝てず、経営を断念した店舗もあれば、後継ぎがいなくて惜しまれつつ閉店を余儀なくされた店もある。特に駅前周辺はその状況が顕著に垣間見れる。
 かつて栄華を誇った老舗であっても空洞化によって空き地や駐車場と化している。日中の郡山駅前は閑散としているのが現状だ。

 今日は、またまたローカルネタで恐縮だが、私が愛してやまず、想い出が染みついている郡山市内において、あそこにあった建物や店は、今どうなっているのかということに視点を置いて語ってみたい。
 あまり間口を広げると収拾がつかなくなるので、100軒に絞りたい。書き足りない場合には続編もあるかもしれないことを前もって告知しておく。 


  日本化学工業第一工場(敷地の一部)・・・・イオンタウン
  日東紡績第一工場・・・21世紀記念公園
  日東紡績第二工場・・・The Mall 郡山(LIVIN)
  第一うすい・・・コインパーク(駐車場)
  丸井・・・ホテルロイネット郡山
  西友(西武)・・・アティ郡山
  サンシティ郡山・・・エスパル郡山
  豊田浄水場・・・更地
  角海老・・・ビューホテルアネックス
  津野デパート・・・ホテルクラウンズ

  ダイエー(トポス)・・・コインパーク(駐車場)
  郡山東宝・・・富士館ビル(飲食店の雑居ビル)
  アルペン・・・アップガレージ
  ビクトリア郡山・・・1階が駐車場で2階が奥に細長い店舗だったのだが、今はもうその建物は無い?
  蟹の店甲羅・・・サーパス朝日
  金美堂朝日店・・・菜々家朝日店
  ビデオフォーラム・・・エヌエーシーショールーム
  ハローマック郡山並木店・・・立体駐車場
  創夢館・・・立体駐車場
  ステーキぽえむハウス・・・びっくりドンキー並木店・・・駐車場

  *コメント情報により「ぽえむハウス」の掲載を訂正いたしました。

  ブックオフさくら通り店・・・更地
  ヨークベニマル虎丸店・・・芳山公園
  福島高等予備校緑町校・・・ネッツトヨタこおりやま本社
  郡山中央スケートリンク(駅前)・・・三共郡山ビル北館  
  保科医院・・・駐車場
  京樽(大文字)・・・大和ハウス工業福島支社
  ユニディ(ジャンボエンチョー)・・・カワチ
  カンセキ・・・ダイソー開成店・・・空き店舗
  ビバホーム横塚店・・・パチンコエヌワン郡山店
  ビバホーム安積店・・・岩瀬書店・・・ツルハドラッグ

  聖マリヤ園・・・サーパス桃見台
  ザべリオ学園小学校・中等部・幼稚園・・・ホテルハマツ
  染本ホテル・・・グリーンウッド郡山
  郡山レジャーセンター・・・郡山パークホテル・・・迎賓館グランプラス
  朴(ボーキ)昭和シェルGSさくら通り店・・・ヨークベニマル虎丸店・・・ドコモショップ・ツルハ
  郡山南ボウル・・・スターホテル立体駐車場
  鈴木外科医院・・・いしだ内科
  味の民芸長者・・・手延べうどんむぎの里長者店
  ロッテリア桑野店・・・東邦銀行
  アーク村(ワンスアポンアタイムインアメリカ・メンズCAPA・五味田・ケンタッキー)
                           ・・・フィットネスルネサンス

  半田屋郡山駅東口店・・・とりの蔵横塚店
  室町寿司(咲田)・・・吉野家・・・十勝そば会・アパート
  コマツ醤油・・・大黒堂紫雲閣郡山咲田ホール・サーパス咲田
  岩瀬書店桑野店・・・ビデオ1
  ケイヨーデーツー亀田店・・・TSUTAYA・みどり書房・エクシオール
  ジョイフル山新(安積町)・・・安積サンシャイン80
  セントラルホール・・・フレスポ郡山(ガスト・ミニストップ)
  郡山中央総合病院・・・ジェイク専門学校・・・こおりやま健康科学専門学校
  イセヤデンキ(大槻店)・・・静斎苑
  アミューズパーク(針生西)・・・ニラク郡山大槻店

  かっぱ寿司さくら通り店・・・更地
  インテリアダイイチ・・・アルスイート長者レジデンスマンションギャラリー
  扇屋家具センター・・・東京インテリア家具
  玉姫殿・・・ベルヴィ郡山
  デンコードー安積町荒井店・・・ハードオフ
  よつば電機亀田店・・・かっぱ寿司亀田店
  本多循環器記念病院・・・サンデュエル並木
  学研・・・福島医療専門学校
  cafe&cake 1024 ・・・auショップ内環状中央
  cafe&レストラン飛行船朝日店・・・レンタルルーム・・・更地

  マックスバリュ・・・ザ・ビッグ
  メガマート・・・おしゃれ館
  バイキングレストランチムニー・・・ロイヤルホスト
  パソコン工房(図景)・・・サンキョウ自動車販売
  イセヤデンキ(富田)・・・バラエティストアトライアル
  元気寿司(富田)・・・クリナップ郡山店
  サンマルク・・・ローソン
  カラオケヒットスタジオ富田店・・・更地
  ラーメン花道・・・富田食堂
  カラオケサントウ・・・富田温泉デイサービスセンター
 
  見聞録・・・空き家(パナソニックホームズ福島の西隣り)
  ベビーマム・・・デイリーヤマザキ
  ドライバーズスタンド・・・酒のやまや
  ワタナベスポーツ並木店・・・ニラク郡山並木店
  女鳥羽そば・・・空き家(磯の蔵の西となり)
  野替ビル・常盤湯・橋本仏具店・・・ファミリーマート
  ビデオボーイ桑野店・・・レジデンシャル開成山公園
  こおりやま会館(ラフィーネ郡山)・・・郡山市こども総合支援センター(ニコニコこども館)
  モービル石油GS開成店・・・セブンイレブン
  ブックオフ郡山新さくら通り店・・・更地

  シルク鳴神店・・・空き店舗
  コジマ電気・・・エコ市場郡山店
  電激倉庫咲田店・・・業務スーパー・・・・トレジャーファクトリー
  上州屋若葉店・・・リサイクルショップトレジヤーハンター・・・空き家(一休さん大黒堂となり) 
  元禄寿司駅前店(郡山の回転ずし1号店)・・・割烹「磯陣」
  ほっかほか亭虎丸店・・・ボローニャのパン・・・空き家
  ほっともっと虎丸店・・・増子輝彦事務所・・・みんなの味方
  サンショー横塚店・・・ペップキッズこおりやま
  カフェレストラン「飛行船」横塚店・・・元気寿司・・・魚べい郡山横塚店
  元気寿司(西の内店)・・・ローソン

  郡山で今、飛ぶ鳥を落とす勢いなのは、コンビニだ。セブンイレブン・ファミマ・ローソンが市内のあちこちに出店している。共倒れが起きないのが不思議で仕方ない。しかも虎丸の一等地にあるファミマやR49線とさくら通りの交差点にできたセブンは、もったいないくらい駐車場が広い。
  またツルハもあちらこちらに増殖している。それでなくても郡山には山口薬局やカメ薬品、カワチ薬品、マツモトキヨシ、ウエルシアなどの薬局が多すぎるのに・・・。

  さて、今日の記事は、長らく郡山に居を構えている方なら、涙ものだったかもしれない。それくらい郡山は栄枯盛衰が激しく、短期間で目まぐるしく屋号が変わる。ただ、残念なのは、店が入れ替わってもあまり私たちの記憶に残っていない点だ。「あれっ、ここ空き地になってるが、前に何があったんだっけ」という具合だ。そうした忘れ去られた記憶を思い起こさせる意味でも、今回の記事が少しはためになってくれていたら嬉しい。

  私自身は、中町通りにあったアメリカ屋や女子中高生に絶大な人気があった雑貨「チロンヌップ」、そして1990年代にキングコングがぶら下がっていた2Fにあった「KUWAN」というプールバーが懐かしい。
  そこの1Fは「♪タタカタカマツ~タカマツのくつ~♪」というメロディが外部スピーカーでエンドレスで流れていた名物靴屋もあった。その向かい側のは関川本店もあったし、しょっちゅう入り浸っていた「やまのい」も今思えば懐かしい。

  加えてビューホテルの東側の2階にあった「BLUE HOUSE」という雑貨店も行きつけだった。今でいう無印良品のような日用雑貨を扱っていた。樽川模型や十字屋楽器にも足しげく通った。前者はプラモデルやNゲージ、後者はギターの弦やピックを買い求めに行った。
 
  少年時代から40年以上が経過し、街並みが大きく変貌を遂げている今、昔の郡山の面影を探してみるのも一興かと思う。

  ぜひ、共感していただける方がいたら、コメントをお願いします。昔の郡山を肴にトークで盛り上がりたいと思います。

   で、さっそく質問

  郡山市堂前にあった「郡映」という映画館の場所を正確に知っている方がいれば教えてください。
 私の記憶では金透小学校の滝の前の丁字路を南に入り、「なるき」というラーメン屋の通り沿いにあったような気がしているのですが、文化センターは専売公社だったと思うので、文化通りまでは行かなかったと思うのですが。1976年の小6の頃、友達と「キングコング」を見に行った記憶があるのですが。

   ・・・・さっそく返信をいただきまして、解決いたしました。コメント欄をご覧ください。

 

2019年10月 1日 (火)

郡山の幻の計画

 郡山は壮大なプロジェクトを計画するが、実現できずに、尻すぼみで終わってしまう傾向がある。 かつては高橋市長の時に、今のビッグアイが建つ場所に「そごう」を誘致する計画があったが、これに反対する「うすい百貨店」などの既存デパートの関係者たちが、県会議員だった青木久氏を担ぎ出し、反対運動を展開し、これをぶち壊した経緯がある。その青木氏はあろうことか、大学卒業資格が得られない「テキサスA&M」を本町に誘致し、数年間で廃校に追いやられる顛末を残した。
 また、東海大学や広島に本校がある立志館大学の誘致にも失敗した。このように、郡山という土地柄はやや閉鎖的で、新参者を受け入れない傾向があってか、大型プロジェクトが計画途中で頓挫することがしばしばあった。

 では私が知る限り、幻となった計画を挙げたい。

 1 旧日東紡第一工場跡地利用計画

 今でこそ21世紀記念公園として市民のオアシス的存在となっている広大な公園。災害の際には避難所や地下に備蓄倉庫まで兼ね備えてあると聞く。しかし、開発当初の計画(青写真)は、壮大なものだった。
 地上96mの高層ビルに加え、商店街も兼ね備えた複合ビルを建設し、さらにその上部には巨大な災害時の情報収集用のアンテナを建造する予定だった。しかも、その隣には国際会議場兼音楽ホールまで備えた一大施設を建設する手はずだった。もちろん現存する三角屋根の建物や公園も残してである。立体式の350台収容可能な駐車場を隣接させ、横断通路で結んだマルチメディアタワーや労働福祉会館まで移転させる計画だった。論より証拠、その計画書を見てほしい。(クリックすれば拡大します)

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 もしこれが実現していたら、郡山市民はこの建設のために、巨額な税を負担させられ、徴収されていたかもしれない。
 一方では、市内の人や車の流れも大きく変わっていたかもしれない。

 2 カルチャーパーク野球場

 はっきり言って、ヨーク開成山球場は、スタンドなどを改築してリニューアルオープンしたとは言え、福島市のあづま球場やいわき市湯本のグリーンスタジアムの美しさとスタンドの広さには遠く及ばない。もともと、カルチャーパークを建設する際に、プールの北側の、現在も広大な駐車場になっている場所に、近代的設備を持つ、ナイター照明完備の野球場を建設する予定だった。それが、オープンから30年以上経過した今でも遊園地とプールは設営されているが、いまだに野球場は未着工のまま取り残されている。皮肉なことに、そこの駐車場は、真夏の花火大会の会場として利用されているにすぎない。
 一方、開成山は、はっきりって駐車場がない。もし巨人戦などを誘致しようものなら、交通の利便性がよくない。プロ野球の公式戦は、福島やいわきに持っていかれっぱなしだ。陸上、野球、水泳の大会が重なる5~7月頃の内環状線の夕方の交通渋滞は激しい。
 では、30年以上前の「カルチャーパーク」建設計画とはどんな内容だったか、その計画デザインを見てほしい。

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 上の予想図と下の計画予想図のどちらも右上に描かれているのが野球場だ。たぶん福島に対抗して巨人戦を呼べるほどの立派なベースボールパークを建設したかったに違いない。しかし、バブルがはじけ、さらにはリーマンショックや震災などで、このプロジェクトもまたとん挫したままとなっている。

 さて、2大失敗プロジェクトを振り返ったが、私が最も今、懸念している2つの再開発計画がある。

 ① 旧豊田浄水場跡地の利用

 ここは郡山市の中心市街地だけに、跡地利用は慎重にやってほしい。しかも水場だっただけに、湿地であり、地盤が緩い。ここを利用するのであれば、広大な駐車場を含めたスポーツ施設の集約を推進してほしい。最近、耐震補強工事を完了してしまった総合体育館を移転させ、駐車場がない郡山市民文化センターを移転させ、一大スポーツ&カルチャーパークとする。そして、現在の総合体育館を全面駐車場として利用すれば、内環状線を挟んで東西にまたがる2大スポーツ施設となり、駐車場問題も解決できる。
 まさか、県庁を郡山に移転させるようなことが起きても対応できるように、ここを建設用地としてこれから先、長年ストックして放置する腹ではないのだろうか?

 いろんな憶測が絶えないが、ここは郡山の中心市街地にある一等地だけに、その広大すぎるほどの土地の有効利用が求められる。

 その後、あの中心市街地の広大な一等地に郡山市内のどこかの進学校を移転させて、中高一貫教育校を新設するという噂が俄かに出て来た。真偽のほどは定かではないが、そうなると郡山市内の受験地図が一気に変わる可能性があるし、人の動きも変わる。安積か黎明、あるいは会津地方で会津でもなく葵(旧会津女子)でもない、若女を中高一貫教育として学鳳となったように、3番手4番手の郡山・郡山東あたりをするのだろうか?だとしたら、大規模改修工事を終えたばかりの黎明があるので、黎明を移転させることは考えにくい。するとほかの3校になるとしたら、受験競争は一気に激化する。逆に中学校に入学する時点でのお受験がまた大変になるだろう。駅から歩いても30分以内の好立地なので、磐越東線や東北本線沿線の生徒も通学至便だ。

 ② 郡山市富田町の旧農業試験場(現・応急仮設住宅)跡地の利用

 農業試験場は10年以上も前に日和田に移転した。北側に富田駅も開業し、交通の利便性が向上し、土地代も値上げ傾向にある。この試験場跡も広さは東京ドーム3~4個は入るほどの大きさだ。この土地の有効利用も大切だ。インター線の拡張工事もストップしたままだが、これがうねめ通りや旧国道4号線まで抜ければ、交通状況が大幅に改善される。奥羽大東側の踏切渋滞も緩和されるだろうし、ツルハ前の右折待ち渋滞もなくなる。
 富田駅の南側には近年、「医療機器開発支援センター」なる白亜の巨大建造物が建設されたが、何をしている施設なのかはあまり知られていない。

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 ③ ベニマル本社移転後の朝日町の再開発

 かつて「ユアファクトリー」という名のホームセンターがあった広大な敷地は、その後、24時間でたった400円という超激安コインパーキングだったが、そこはもともとヨークベニマルが取得していた土地で、今はアスファルトの更地となっている。そこに、来年にも工事を着工し、本社ビルを建設する予定があるという。ベニマル横塚店や方八町店とも至近で、郡山駅東口の一等地であることから連絡がしやすい。絶好の場所といえる。

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 しかし、移転後の現在の郡山朝日町の社屋はどうなるのか?再々開発を郡山市に託すのか?それともベニマルが配送センターのような場所に改築するのか、はたまたライフフーズの工場としてリニューアルするのか?その動向が注目される。

 さて、いろいろな面で再開発に対する見通しや土地の有効活用に関する提案らしきことを書き綴ったが、市民の関心が高いところだと思う。郡山はひとえに税金(住民税・市県民税)が高い地域だ。私などは30年以上税を郡山市に払っているが、その額は相当なものだ。おそらくウン千万円規模だと思う。
 したがって、市長を始め、市の役員には実りある使い方をして貰いたい。間違っても絵空事の一大プロジェクトをぶち上げて、どこかの政党のように実現できないマニフェストを掲げるのではなく、地道に市民の声に耳を傾け、郡山の発展に寄与していって貰いたいものだ。
 

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