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2019年9月30日 (月)

郡山の懐かしい場所

 郡山市民にとって、懐かしい場所というと、昭和の時代によく通ったり、何気ない街の風景だったのに、いつの間にか無くなってしまったものなどではないでしょうか。
 東京オリンピックの年、つまり55年前にこの世に生を受けた私は、昭和40年代以降の昭和の時代は多くの想い出が溢れる建物が多く存在する。
 しかし、今では残念ながら取り壊されたり、改築されたものが少なくない。おそらく、同年代の方々は同じ思いを抱いているのではないでしょうか。

 そこで今日は、昭和の時代にあって、今は解体されたりして存在しない、郡山市民が泣いて懐かしむような昔の写真(画像)を掲載したいと思います。

 1 開成山周辺

 平成29年に新生「開成山屋内プール」がオープンしたが、かつては噴水付きの広大な幼児プールと、その西側に25mプール、更にはその北隣りにあった50mプールの3点セットだった。東向きにあった事務所の建物も懐かしい。

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 私は小学生の頃、郡山市の体育系の役員を務めていた祖父も影響で、夏には水泳教室に通っていた。だから、ここのプールには一方ならぬ思いが強い。

 2 駅前周辺

 私は郡山市街地にある小中学校を卒業したため、駅前やさくら通り沿いには同級生の家も多かった。その大半は商売を営んでいた。
 叶屋書店、角海老、大沼精肉、菅野花屋、西山生花、阿部ビル、関川時計店、中村酒店、室塚医院、印南歯科、銀座美容室、渡辺文房具、など、いずれも同級生の親が経営していた店だ。また、樽川模型は先輩の家だったし、福内合資会社は同級生の会社だった。
 しかし、一番想い出深いのは、駅前大通り側と中町大通り側の両方に入口があって、店内でL字型に折れ曲がる構造だった「やまのい」だった。その後、カルチャーセンターとなり、カルチャー教室などを運営したが、今はもう無い。
 ここで私は多くの物を購入した。小学生の頃は友達とマンガを描いていたので、Gペン、羽箒、インク高価だったスクリーントーンなどを購入した覚えがある。

 それと閉店して10年以上が経過したが、東北書店は市民のオアシス的な書店だった。間口が狭いが、奥行きがあって、5階建てくらいの細長いビルだった。私は飲み会の時間つぶしにも利用したし、学生の頃は、ここで赤本や大学受験の願書を購入した想い出がある。また、当時、「ラジオ講座(ラ講)」をやっていたので、その雑誌もここで購入していた。

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  3 清水台周辺

 ここら一帯も遊び場だった。現在、勤労センターがある場所には、私が小学生の時分に通っていた道場「武徳殿」があった。手前が剣道場で北側の奥が合気道や柔道を稽古していた。私は剣道を3年間くらい習っていたが、同学年では郡山に敵なしと言われたほど強かった。出場する大会はいつも優勝だった。
 残念ながら、武徳殿の画像は残っていないが、その南向いには「商工会議所」があった「商工会館」があった。今は近代的な綺麗なビルに生まれ変わったが、当時は斬新なデザインのビルで、小学生の頃に、そこで催された「クリスマス会」や「手品ショー」を見に行ったことがある。
 そして昭和40年代から50年代頃は、郡山の一大ホテルと言えば、八幡坂を上がった清水台にあった「染本ホテル」だった。かつては、刑事ドラマのロケにも使われた。下の画像の突き当りのビル。

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 もちろん、4号線沿いには消防署が今でもあるが、当時は火の見櫓が郡山でもっとも高かったのではないかというくらい、高層建物だった。また、私が小学生の頃までは、消防署に隣接して、その東側に、郡山警察署があった。ヤクザが暗躍し、新産業都市としてめざましい発展を遂げていた郡山市では手狭だった。
 そこで交通戦争と呼ばれた事故多発地帯の49号線と4号線の交差点に移転したのだった。

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 4 麓山周辺

 ここには日東紡績第一工場が鎮座していたが、その南側は市民の憩いの場であった「麓山公園」やらNHK郡山放送局などがあった。その一角には、私が想い出がたくさん詰まった「郡山市民会館」があった。そこで「スター誕生」の公開録画が行われ、今は亡き西城秀樹を生で見て興奮したことを覚えている。また、NHKのど自慢では、大好きだった「榊原郁恵」が審査員でやって来て、「微笑日記」を熱唱したのをライブ
で見た。その後、郡山駅で出待ちして、ホームで直接サインを貰った思い出がある。
 また、しょっちゅう入り浸っていたのは、今の中央図書館の駐車場付近にあった「児童文化会館」だった。当時は2階建てで、天文台も備えていた。宇宙をイメージするような卓上式の動く模型もあったし、少年にとっては科学を学べる貴重な学習施設だった。また、棟続きの隣の小体育館のようなホールでは、工作教室をよく開催していた。
 この「児童文化会館」は老朽化のために取り壊され、開成山公園の南東側に移転した。今は楽都ミュージーアム館になっている場所だ。


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 さて、当時を知る方々には懐かしく思えたのではないでしょうか。この40~50年の間に郡山の中心地はガラリ様変わりした印象は否めない。栄枯盛衰を感じるが、それだけ目まぐるしい繁栄を続けている証拠だと思う。
 かつて存在していた建物や店舗が無くなってしまうのは、さすがに寂しいが、これからも発展を続ける郡山の行く末を見守り続けたいと思う。

 ~お知らせ~

 今週は、3日間に渡って「郡山」にちなんだ話題の記事を掲載する予定です。

 
 
 

 

 

 

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コメント

麓山のプールは当時、汚く小便プールと呼ばれていました。味噌田楽がプール上がりの場所で売ってたし、うまかった❗NHKの自販機で売っていたスプライトが子供のころは喉にしめてうまかった。麓山神社は今でもあるのだろうか?東京に住んで40年、しばらく郡山に帰ってないなあ‼️

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