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2019年8月28日 (水)

日常の究極の案

 今日の記事は、賛否両論ありそうな強烈な意見も含まれている。反感を持たれる人もいるかもしれないが、イチ個人の妙案だと思って流していただけたら幸いです。

 1 死刑執行のボタンを他の死刑囚に担当させる

 日本人の世論調査では、死刑存続を望む人が88%にも上るという。殺人などの残忍な犯罪には極刑をもって臨むしかないというのが大方の意見だ。しかし、未執行の死刑囚は毎年、100名以上いる。法律では死刑判決確定後、6カ月以内に法務大臣が死刑執行命令書に判を押すことが刑法に明記されている。しかし、冤罪などの場合、死刑執行後に、新事実が明るみになったり、真犯人が自供した場合には取り返しがつかないなどの事由により、実際は、数年経過しても執行されないケースが多々ある。
 そして、死刑執行は、全国にある拘置所内の刑場で死刑が行われている。死刑執行ボタンを押すのは、当該拘置所の刑務官で、複数が同時に押すことで、精神的な苦痛や負担を軽減しているという。しかし、自分の手によって死刑囚と言えども人命を奪ったという焦燥は付きまとうらしい。はたから見れば、希望して刑務官になった以上、職務を遂行するのが当たり前だと思うが、実際は、その苦悩は相当なものらしい。

 そこで、究極の案だが、私は死刑囚にそれを担当させたらどうかと思う。死刑囚というのは、互いに複数の人命の命を奪った重罪のものに下されている。人の死とはどういうものか、いずれは自分の身に降りかかって来るかもしれない執行現場で、死に向かわせる場面があって然るべきではないのか。もちろん被執行者は同じ死刑囚が執行ボタンを押すなどということは告知しない。
 この意見に対しては反対する者が多いに違いない。倫理の問題や、殺人を犯して死刑囚になった者が、二重に人を殺す機会を与えるとは何事かと。されど、刑務官が被る精神的な苦痛を考えれば、同じ立場の人間に、そうした人の死に立ち会うことで、恐怖心を味わうことはもとより人の命を絶つという行為がどういうものかを身をもって味わうことが可能となる。もちろん、死刑執行を担当したからと言って、自らの刑が軽くなることはない。

 2 「24時間テレビ」のマラソンにモノ申す!

 夏休みの風物詩として、42目を迎えた「24時間テレビ」。その中の名物コーナーが24時間マラソンだ。真夏の暑いさなかに、睡眠を奪って、熱中症寸前の人間の体力の限界を超えてまで走らせるマラソン。私は正気の沙汰ではないと思っている。ましてフルマラソンを遥かに超える100キロ超えなど、殺人的だ。今まで死者が出なかったのが不思議なくらいだ。

 中には「負けないで」や「サライ」の大合唱の中で、番組終了ギリギリでゴールに飛び込む姿に感動する日本国民は多い。しかし、冷静に考えると、日本テレビが半強制的に芸人やタレントを走らせるパワハラ以外の何物でもない。断れば芸能界を干されるという恐怖から、嫌々でも走ることを余儀なくされる。そのご褒美は、向こう1年間、優先的に日本テレビの各番組への出演を約束されるというものだ。ブルゾンちえみ、みやぞんなども当時の輝きは失っていても、日本テレビへの出演機会は未だに保証されている。

 しかし、ランナーは時間との闘いだけでなく、満身創痍の状態で無理無理走っている、いや走らされている。100キロを超える道のりを走った後、無事で済むはずがない。現にゴールの瞬間は脚を引きずっている人がほとんどだ。その後、一週間は足腰、膝に相応の痛みが残る筈だ。下手するとまともに歩行すらできないだろう。もしかすると、これが原因で、一生涯の後遺症が残る危険性も高い。

 私はもうこの企画を終了するか、あるいは今年のように、4人のランナーのリレー形式で、ひとり20km程度の走りに留めてもらいたい。そうでなければ、まるで選ばれたランナーが罰ゲーム的で、悲壮感を持って走ることもなくなる。

 3 紅白歌合戦に勝敗は不要

 大晦日名物で国民的行事になったいる「NHK紅白歌合戦」。毎回、その審査方法が物議を醸す。一昨年の暮れも、首を傾げる場面があった。事前の中間発表で圧勝していた。最終審査の会場では、一般会場審査員とテレビ視聴者のデジタル審査員では、白組が圧倒的多数を占めていた。誰もが今年は白組が勝つことを疑わなかった。しかし、ゲスト審査員の票は、13名中、11名が紅組に入れ、大逆転となり、会場は騒然となった。その後、視聴者からのクレームがNHKに多数寄せられたのは記憶にあるに違いない。これは明らかに作為的だ。
 実際は一般会場審査員の票とテレビの視聴者のデジタル審査員の票では白組が共に圧勝だったが、それでたったの2票しか入らない。

 毎回思うのだが、日本人は負けている人間を応援したくなる性分がある。もちろんそれだけが大逆転につながった訳ではない。問題はゲスト審査員の性別だ。毎回女性にほうが、華やかという理由からか、女性審査員のほうが多い。女性と言うのは、実際の歌唱力やショーに関わらず、最初から同性を応援する傾向がある。一般の会場審査員も女性が多いが、これは若い女性を中心に贔屓のジャニーズなど好きなアーティストを応援し、初めから白に入れる傾向が強いからだ。
 しかし、ゲスト審査員はそれがない。端から女性は赤に入れると決めて会場入りしているきらいがある。でなければ最終結果が11対4という大差にはならない。NHKの作為的な操作を感じる。何かとってつけたような勝ち負けは主旨に反するように思えるのだ。</p>

 これほど疑問や疑惑が残る勝ち負けは金輪際辞めて、その年に流行った曲などを平等に鑑賞できる場としたらいい。歌合戦という名称だと白黒つけたがるので、古臭いが「NHK年末歌広場」とか「総決算歌謡ショー」とでもしたほうがいい。

 さて、今回は「究極案」というタイトルをつけたが、内容は「日常の疑問」という印象の記事となった。それくらい思わずモノ申したくなるような事象が最近多い。

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