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2019年6月18日 (火)

福島県の最恐スポット

 この世とあの世の橋渡しをするのが「三途の川」なら、日本各地にミステリーまみれの土地がある。足を踏み入れるのも憚りたくなるような最恐スポットもあるし、大勢の人が亡くなった神聖な場所もある。行くからには祟られないように、心して訪れなければならないような場所のことだ。我が福島県にも、そうした怖い場所がある。有名どころでは「翁島ペンション」や「横向きロッジ」、「弁天山の三角洋館」などはあの怪談話で有名な稲川淳二が訪ねビデオ化したことでも知られている。今日はそんな福島県にある最恐スポットを取り上げる。

 1 黒塚

 ここは安達ケ原の鬼婆伝説が残る場所。二本松安達ケ原ふるさと村の入口に建つ観世寺。そこにある岩屋にかつて人肉を貪る鬼婆が潜んでいた。包丁で旅人の命を奪っていた。しかし、ある時、知らずに自分の娘を手にかけ、それを知った鬼婆が発狂して死んだと言われる。そして鬼婆を葬った場所が一本木が立つ黒塚。物見遊山では決して訪れてはいけない場所だ。

 2 飯盛山

      会津戊辰戦争の悲劇の立役者として描かれている白虎隊士。厚顔無恥の10代後半の隊士が多数であった。子の口原で奮戦し、退却を余儀なくされた白虎隊は、飯盛山まで落ち延びた。そこで会津の城下を望むと、武家屋敷や鶴ヶ城が炎に包まれた落城に絵であった。そこで「會津が負けた」ことを悟り、次々と自刃し、命果てた。しかし、実際はこの時に会津はまだ降伏していなかった。皮肉にも唯一生き残った飯沼貞吉によって、白虎隊士の悲劇が後世に語り継がれることとなった。
 しかし、最近ここを訪れる観光客のマナーの欠如が問題視されている。神社の狛犬の上にふざけて乗って写真を撮ったり、白虎隊士の墓前に足を掛け、「イェーイ」と笑ってピースサインで写メを撮影する輩が後を絶たないという。しかもそれを引率教員に中止すると、「えっダメなんですか?」と逆ギレするという。教師もアホならこんな子供になるのも頷ける。大人教育が必要だという。教育も地に落ちたものだ。ここを訪ねるなら、事前にこの場所で何が起きたのか、そして白虎隊士の悲劇とは何だったのか、ちゃんと学習してから来てもらいたい。

 3 福島の信夫橋(福島藩の処刑場)

  福島市街地を南西から北東に向かって流れる阿武隈川。そこに架かる大小さまざまな橋があるが、県庁に一番近い場所にあるのが信夫橋だった。江戸時代、その河原が刑場であった。犯罪人がそこで首を撥ねられ、三日三晩、首を晒された。処刑は、周辺の河原は、罪人の血で真っ赤に染まったという。

 刑場とは知らずに、ここで野宿した旅人の体験ブログはコチラ ↓

 https://blogs.yahoo.co.jp/realhear2000/59226230.html?__ysp=56aP5bO244Gr44GC44Gj44Gf5Yem5YiR5aC0  

 4 上蓬莱橋と雪割橋

 どちらも秋の紅葉で観光客が多く訪れるが、川面まで高さ50m以上もあることで、自殺の名所として有名になった。現に県南地方にある雪割橋は、県南地方の元町長がこの橋から身を投げ命果てた。上蓬莱橋は福島と飯野町を結ぶ場所にあるが、あまりにも飛び降り自殺をする者が多く、欄干には橋から橋まで内側にアール形状の金網で防止柵を設置した。雪割橋は現在、老朽化によって新しい橋への架け替え工事を行っている。

 5 いわき賽の河原

    ここは美空ひばりの「みだれ髪」のモデルになった薄磯海岸にある「しおやざき灯台」がある場所に至近だ。波の浸食によって岩場が削られ、半トンネル状に抉られた岸壁の前に河原が広がる。そこには不気味にもお地蔵さんが複数体設置され、石積みをした石があちこちに作られている。昼に訪れても薄暗く、この世とあの世の橋渡しをするような雰囲気が漂う。親よりも先に旅立ってしまった子供たちが天国へ向かうためにここ賽の河原を通過すると言われている。遊び気分では絶対に足を踏み入れないで貰いたい。

 6 霞ヶ城周辺

 霞が城周辺はかつて戊辰戦争で二本松藩の兵士が多数犠牲になった。箕輪門周辺にも藩士が戦死したことを示す墓標のような石碑があちこちに建つし、天守台にも墓標がある。菊人形の会場でもあり、桜の名所としても知られること場所だが、かつては多くの戦死者の犠牲の上に成り立っていることを私たちは忘れてはならない。

 7 刑場跡(薬師河原刑場・黒河原刑場・郡山守山藩処刑場・浅川陣屋処刑場)

 別名「あかいつか」と呼ばれる罪人を処刑した場所だ。薬師河原刑場と黒河原刑場は旧会津藩管轄の処刑場。主に、江戸時代に幕府の命によって隠れキリシタンを処罰する刑場として使われた。私は湯川にある薬師河原刑場を訪ねたことがあるが、神聖で決して冷やかしで訪れてはいけない場所だ。
 黒河原では1632年にキリシタンが多数処刑された。その方法は残忍で、51人のうち大人31人は火あぶりの刑で、子どもたち20人が斬首という悲惨な有り様だった。
 郡山守山藩刑場は郡山の東部にある守山にかつてあった刑場だ。あまり詳しい文献がない。
  浅川陣屋処刑場は石川郡浅川町にある弘法山公園にかつてあった越後高田藩直轄の浅川陣屋。現在は浅川小学校が建っている。そこにあった刑場だ。詳しく書くと、国道118号を走り、石川郡浅川町に入ると、社川の流れを見ることができる。この社川にかかる日渡橋の下流に、約四アールの草原がある。ここが、江戸時代幕府直轄の総陣屋、刑場跡である。現在の刑場跡は何の変哲もない河原で、ただ「浅川陣屋刑場跡」の記念碑があるのみ 現在はその形跡を全く残さない河原だ。
 こういう場所を訪ねると、その厳かな雰囲気に神妙になることは間違いない。霊感が弱い私でも、たぶん何か感じ取れるものがあると思う。

薬師河原刑場→ https://www.youtube.com/watch?v=y4nXjwqU1s0

浅川陣屋処刑場→ https://www.youtube.com/watch?v=y4nXjwqU1s0

佐原処刑場→ https://www.youtube.com/watch?v=y4nXjwqU1s0

供中河原処刑場→ https://www.youtube.com/watch?v=y4nXjwqU1s0

 8 小手ノ森城址

      3年前に訪れて酷い目に遭った場所。山城だが、かつてここは、実父を殺された伊達政宗が攻め込み、女子供犬猫を含め800人なで斬りを
 断行した怨念漂う場所。そこを探索し、山道を登り、急な石段を上っている最中に脚の筋を痛めた。それから数年経過してもまだ痛みが残る。志半ばで殺された無念の魂が来るものを拒んでいるかのようだ。祟られたくなければ、絶対に近づいてはならない神聖なスポットだ。本宮や二本松界隈にはこういった古戦場が数多く点在している。

 祟りが怖いので、ここの画像および映像は掲載いたしません。

 9 須賀川女祈祷師による信者殺害事件現場

 ここは触れることも憚りたい最恐スポットだと個人的に考えている。事実、数年前、「うつくしま未来博」の跡地を取材に行った帰りに、何気なく、大東(おおひがし)にある大量殺人事件があったその場所を通った。すると、一度も故障したことが無い、SANDISKの高価なメモリーカードが使用不能に。目に見えない怨念が来るものを拒むかのように、撮影した映像がすべて再生できなくなった。もう二度と訪れたくない。
 女祈祷師とは江藤幸子であり、悪霊祓いと称して複数の信者を暴力で死に至らしめ、殺人罪で死刑となり、数年前に執行された。しかし、その怨念が時空間を飛び越えて、この地に舞い降り、死後も影響力を誇示しているかのようで、怖くて仕方ない。

 殺害現場(閲覧注意)→ https://www.youtube.com/watch?v=8QAoRAVkM6g

 関連動画 → https://www.youtube.com/watch?v=y4nXjwqU1s0

 さて、今日の記事は決して肝試し的な発想や、おふざけや物見遊山では訪れてはいけない神聖な場所だと言える。本日の記事をどう受け取るかは勝手だが、くれぐれも無断で潜入したり、法令違反になるような行為は厳に慎んでいただきたいと思う。  

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