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2019年6月19日 (水)

歴史浪漫を感じれる福島県内のスポット

 我が福島県は、北海道、岩手県に続き日本で3番目に面積が広い。はまなか会津と3つの地方に分かれている。それぞれに魅力が詰まっている。
そして、風光明媚なロケーションも自慢だが、あちらこちらに歴史を感じられるスポットやいにしえの浪漫を感じ取れる場所も点在している。
 今日は、私が独断で選んだ、歴史ロマンに満ち溢れたところを取り上げたい。

 1 ここは江戸時代?大内宿

 旧街道の宿場町だった大内宿。日光から会津へ向かう途中に設けられた。おそらく江戸時代の殿様が参勤交代で宿泊したであろうし、旅人や飛脚、籠などが歩いた街道であった。しかし、国道から10km以上も山奥に分け入った山里にあって、よくこんな場所に茅葺屋根が軒を連ねる旧宿場町をつくったものだと感心してしまう。ここの名物は先っちょが曲がった一本ネギを箸代わりにして食べる「高遠そば」。

 2 仁徳天皇陵などの古墳群が世界遺産へ 郡山にもある巨大古墳

     今年、大阪堺市にある仁徳天皇陵を含む大小さまざまな古墳群が「世界遺産」に登録される可能性が高まった。今年はちょっとした古墳ブームに沸きそうだ。古墳と言えば、あまり東北地方に縁が薄い印象だが、我が郡山市にも大規模な「前方後方墳」があるのをご存知だろうか?
 福島県郡山市田村町にある古墳時代前期後半頃の築造と推定される前方後方墳1基、円墳4基からなる古墳群。1号墳は東北地方最大の前方後方墳で、国の史跡に指定され、周辺は大安場史跡公園として整備されている。1991年(平成3年)に発見され、郡山市教育委員会が1996年(平成8年)度から1998年(平成10年)度にかけて発掘調査を行った。
 1号墳は、阿武隈川流域では最大級の古墳であり、また前方後方墳としては東北地方全体で最大規模の古墳である。同じ福島県内でも、会津地方では前方後円墳が卓越しているのに対して、中通り地方に所在する本古墳は前方後方墳であり、前方後方墳をさかんに築造した下野国那須地方との関係がうかがえる。

Ohyasuba

 3 旧道筋に残る芭蕉の足跡

 芭蕉の奥の細道では、弟子曾良を伴い、我が福島県を縦断して旅をしている。特に須賀川市には長く滞在し、地元の方々と深く交流している。そして乙字ヶ滝を通り、守山の田村神社でも句を詠み、そしてかつて宿場町だった郡山で一泊し、そして旧国道の富久山から日和田を通って奥州街道を上って行った。安積山にも彼の句碑が残されている。あの雄大な安達太良山を眺めながら旅を続けたのだろう。そして二本松を通って福島に入り、文知摺観音堂や医王寺にも立ち寄っている。こうした松尾芭蕉の足跡を辿ってみるのも歴史浪漫に触れて一興かと思う。

 4 悲惨な歴史の証人 アウシュビッツ記念館

 まさか日本にもあのポーランドにあるアウシュビッツ関連の施設があるとは予想だにしえなかっただろう。しかもそれが、どんないわれがあるのかは不明だが、よもやの白河市にあろうとは・・・。私も半信半疑だったが、今から6年前のお盆に、実際に訪ねてみて驚いた。ユダヤ人大虐殺のホロコーストで犠牲になった方々の本物の遺品(メガネやバッグなどの所持品)などが展示され、毒ガス兵器や、運搬に使われた貨車などが収蔵されていたのだ。そしてヒトラーによる大量殺戮がどうやって行われたのかなど、超一級品の資料がその資料館に収められていた。

Ausyubitz

 5 世良修蔵暗殺の地

 世良修蔵は幕末の長州藩士、官軍の奥羽鎮撫総督府下参謀として会津藩討伐を強硬に主張したことから、会津の救済嘆願を反故にされた仙台藩士らの怒りを買い、慶應四年戊辰歳(1868年)閏4月20日の未明、福島城下(福島市北町)の旅籠「金澤屋」に宿泊中のところを仙台藩士、福島藩士らにより襲撃され、阿武隈川の河原で斬首されました。行年34歳。(福島稲荷神社のHPより引用)
 しかし、この一件が会津藩による仕業と思った薩長連合の逆鱗に触れ、会津攻めを決定づけた。会津戊辰の役の引き金になった襲撃事件だった。この「金沢屋」だが、4号線と旧奥州街道の北町交差点付近にあったのだが、昭和20年7月、大戦中の建物疎開により、家屋はすべて取り壊された。

Kanazawaya

 6 明治・大正時代の建造物

  ①安積歴史資料館・・・日露戦争を描いたNHKドラマ「坂の上の雲」や「坊っちゃん」のロケ地として使われた。
  ②旧伊達郡役所・・・福島県伊達郡桑折町に残る明治時代初期の洋風庁舎。1977年6月27日に、国の重要文化財に指定される

  ③南会津郡役所跡・・・噴火前の磐梯山周辺の地図や、今では新潟県や宮城県になっているが、広大な福島県の古地図がある。
  ④金透記念館・・・開成館と同じ「擬洋風建築」で建設された小学校。明治9年(1876年)の明治天皇東北御巡幸の際には、休憩所として 
         使用された。随行した木戸孝允が「金透学校」と命名し、 木戸の日記には、開成館や西洋農法が導入された開拓地ととも
         に、驚きをもってその 様子が記されている。現在の建物は、復元されたもの。

  ⑤郡山市旧公会堂・・・大正13年9月の郡山市の市制施行を記念して、オランダデン・ハーグの平和宮および大阪市の大阪市中央公会堂を  
            モデルに建設された。

 7 常磐炭鉱遺構

 今から13年前に封切られて話題になった映画「フラガール」。その前身は「常磐ハワイアンセンター」だった。ここで私は4歳の時に、迷子になり、もう少しでプールで溺れ死ぬ寸前だったという。そのことを私は一切覚えてないのだが・・・。その常磐ハワイアンセンターが発足するまでの経過を描写したのが「フラガール」だったが、昭和の頃にいわきを始めとする北茨城地区は石炭で栄えた街だった。常磐炭鉱だ。福島県内でも湯本や内郷地区に炭鉱があって、それは活気に満ち溢れていた。いわきの地場産業として栄え、多くの鉱夫やその家族が住み着いていて、温泉街を中心に繁華街を形成し、それは賑わいが凄かったと聞く。しかし、昭和31年3月に磐崎炭鉱でガスの自然爆発と落盤のため、作業員14人が窒息死する痛ましい事故が起きた。そんな常磐炭鉱が今や閉山し、その遺構を各地区に見ることが出来る。

 さて、我が福島県内において、歴史的建造物や伝統文化に触れられるスポットを紹介したが、本日掲載した場所はほんの一握りである。福島県は、日本で3番目に広い面積を持つ県だ。したがって、私も知らない未知の場所が数多く存在している。それは、飯野町のUFOの里など得体のしれない珍スポットも含まれており、国宝が僅か1カ所しかない福島県においては、大小さまざまな知られざるスポットが隠されている。まるで「ポツンと一軒家」のように。だからぜひ訪れてあちこち自分の足で歩いて見つけ出して欲しい。


 お知らせ

 6月は土日も休みがないほど仕事が超多忙期のため、明日から当分の間、新たな記事を掲載を停止いたします。また、再開後も、頻繁に記事をアップすることがかないませんので予めご容赦願います。

 

 

 

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