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2019年5月24日 (金)

死を招く逃走劇の連鎖

 最近、違反をしているにもかかわらず、それを取り締まろうと制止を求める警察官を振り切って逃走し、さらなる速度違反や逆走、信号無視を繰り返した挙句に事故を起こし、死亡に至るケースが後を絶たない。
 つい先日も北海道で自称・漁師の男が、覆面パトの追尾を振り切ろうと3kmに渡って主要国道を逆走し、対向してきた100台以上の車を危険に晒した「事件」があった。しかも派手なオレンジ色の軽自動車で・・・。まさに死をも恐れぬ暴挙だ。対向して来たバスと正面衝突しようものなら一巻の終わりだった。そこまでして逃げた理由とは何なのか?

 また、5月11日の夜9時半頃に、茨城県下妻市で55歳の男性が運転する車がパトカーに追われ、対向車線にはみ出して衝突。運転手が死亡するという重大事故も起きてしまった。


 11日夜、茨城県で覆面パトカーに追われていた軽自動車が対向車線の車と衝突し、軽自動車を運転していた男性が死亡しました。 午後9時半ごろ、茨城県八千代町の国道で軽自動車が対向車線にはみ出して乗用車と正面衝突し、運転していた山中〇さん(55)が全身を強く打って死亡しました。
 この事故で思うことは、何も悪いことをしていなければ、逃げる必要などないはずなのに、逃げたからには、飲酒運転だったり、点数が無く、捕まれば免停になってしうまうとか、車内に覚せい剤を隠し持っていたとか、そう疑われてもやむを得ない。それ以外にパトカーを振り切ってまで逃げなければならない理由などあるのだろうか?親が危篤だとか?子供が絡まれて危ない目に遭っていて助けに行くとか?そうだとしても警察から必死に逃げる理由には程遠い。事情を説明し、逆にパトカーに先導してもらったほうが得策だろう。
 さらに、22日には東大阪市でナンバープレートを外した高校生の男女が乗ったバイクが蛇行運転を行っていたところを夜間パトロール中の青バイの警官が発見し、検挙に向けて追跡を開始。そのバイクの男女は逃走し、スピードを出しすぎて民家に突っ込み、運転していた男子高校生が亡くなった。警察は追跡には問題がなかったという見解を示した。

 東大阪市で高校生の男女2人乗りのバイクが警察の追跡中に住宅へ突っ込み、16歳の男子高校生が死亡、女子高校生が重傷です。22日午後11時前、東大阪市三ノ瀬で2人乗りのバイクが電柱などに接触した後、住宅へと突っ込みました。
 みなさんはこの事件に対してどういう感想を持つだろうか?たぶん次の意見に二分されることだろう。
 1 警察の停止命令を振り切るからには捕まったらやばいということを知っているにもかかわらず逃げた。さらに指示に従  わずに違反を繰り返し逃走を図った挙句に死亡事故を招いたのだから自業自得だろうという見方。  
 2 逃走者が高校生ということを確認できなかったとしても、無理な追跡をして相手の動揺を誘い、結果、事故を起こす原  因を作ったのは警察で、前途ある若者のかげがえのない人命を奪い死に追いやったのは責任重大だ。軽微な交通違反にもかかわらず、死に至らしめた事実というのは決して消し去ることはできない。よって警察の追跡方法に問題がある。
 
 さて、あなたはどちらの意見だろうか?警察の立場からすれば、目の前で行われた違反について、目をつぶって見逃すわけにはいかないだろう。そして正当な基準に基づいて取り締まりを行おうと追跡を開始したが、それでも逃亡を図ったのは、やましいことがあってのこと。警察の判断や行動は適正であったとみるか。

 同乗して助かった女子高生や亡くなった男子高校生の遺族は、自分の非を棚上げして、行き過ぎた追跡を非難するだろう。こんなことで愛する我が子を死に追いやった警察を絶対に許せないに違いない。

 もし、私が子を亡くした親の立場であれば、一度奪われた命はゲームのように再びリセットできないという観点から、後者の見方に傾倒するだろうし、深夜に高校生がバイクを乗り回して遊びふけっていることに気を巡らせなかった自分自身の教育力の無さを悔やむだろう。

 しかし、一方では、自分の子の夜遊びを注意もできないような親に限って、責任転嫁し、ことを荒立てて、見当違いのクレームをつけるものだ。そして「私の息子は警察に殺された」と周囲に吹聴しまくるに相違ない。
 
 実際にバイクが盗まれたものか、わざと捕まらないように作為的にナンバーを外したかは不明だが、深夜にバイクを乗り回し、女と連れ立って蛇行運転をした挙句に警察に見つかり、さらなる違反を繰り返した結果が、このような重大事故を招いた今回のケースを鑑みると、私自身は法に触れる行為を3つ以上重ねると、限りなく死に近づくと考えている。これは持論でもあるが、今回のケースでは・・・
                                                         
 ① ナンバーを外したバイクを乗り回した行為(もしかすると盗んだ可能性あり)
 ② 深夜の11時に高校生が少女と共に徘徊していた行為
 ③ 蛇行運転や信号無視を繰り返すなど交通法規を無視した意気がり行為
 ④ 警察の呼び止めを無視し、猛スピードで逃走を図った行為
 
 そこに自制の念や自戒の気持ちはなかったのだろうか?逃げることだけしか頭が回らなくて、何も思い及ばなかったのだろうか?そこに正義や改悛の情らしきものは存在しなかったのだろうか?追ってくる警察をまるで悪魔のように思い、ひたすらスロットルを絞り、何が何でも振り切って逃げてやろうとしか考えが及ばなかったのか?いずれにしても死をもって償うにはあまりにも短絡的で、軽率すぎる行動だ。

 不幸中の幸いは、同乗していた女子生徒が一命をとりとめたことだ。もし2人とも亡くなっていたら、遺族は女子高生に対しても賠償責任を背負うことになっていただろう。

 しかし、一番気の毒で、とばっちりを受けたのは突っ込まれた民家の住人だ。建物の損壊だけで済むはずもなく、いきなり自分の家に突然予期せぬバイクが突っ込み、しかも見ず知らずの高校生が自分の家で死んだことは気味が悪い。死亡事故現場として心霊ポット化しても不思議ではなく、当事者にしてみたら大迷惑の何物でもない。

 それにしても最近は神をも恐れぬ行為が後を絶たない。はたしてこれらのモデルケースは自業自得で片づけられる出来事なのか?警察官自身も「自分の追跡によって、若者を死に追いやった」という事実は消えない。若者のとった行動が無謀であるのは言うまでもないが、果たしてそれが死に値するほどの大罪だったのか?
 自ら死に近づく行動をとった若者に重大な過失があるにせよ、失われて然るべき命だったのだろうか?死を持って償うべき出来事だったのか。人生に終止符を打つほどのことなのか?

 こうした行動は、程度の差はあれ、若気の至りでよくあることだ。大人になって改心し、更生できる機会は山ほどあるし、もし生きていれば大人物へと変貌を遂げたかもしれない。現に暴走族の元総長を謳っている人でも俳優に転身して成功した方もいて、そうした若い時分の過去など微塵も感じない人もいるし、昔、札付きの悪だった少年が、ボクサーとしてチャンピオンにまで上り詰めたという例は五万と聞く。

 私は逆に捕まって社会的制裁を受けていたほうが、長い目で見ればケガが少なくて済んだものと思っている。社会のルールから逸脱すれば、遅かれ早かれこのような裁きを受ける。それを経験できれば、学習と体験を踏んだことで、同じ過ちを繰り返さなくなったに違いない。反省と自戒の念を持つ貴重な機会を得る筈だったのに。死んでしまったら何もならない。
 
 結びに、尊い命が失われた事実を双方(遺族・警察)が重く受け止め、こうした非行に走らないコミュニティ作りを社会全体として考えなければならない。
 

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