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2019年3月15日 (金)

国鉄を象徴する楽曲

 平成が間もなく終焉を迎えようとしている。平成30年有余が「災い(災害)」の時代だったとするならば、私がこの世に生を受けた「昭和の時代は「戦(いくさ)」の時代だったと言える。
 1988年(昭和63年)4月に赤字続きだった国鉄が民営化され、JRとして分割運営されることとなった。同年の同月、瀬戸大橋開通、青函トンネル開業もあり、日本が一本のレールで結ばれた記念すべき年になった。

 私が北海道に住んでいた1984年頃の国鉄は、赤字路線を整理するため廃止という暴挙んに出た。かの有名な「愛の国から幸福へ」で一世を風靡し、一大ブームを巻き起こした広尾線を始め、北海道の多数の路線が廃止に追い込まれたのは周知のところだ。
 北海道民は、この相次ぐ鉄道が次々廃線に追い込まれたのを目の当たりにしたわけで、生活の足を奪われ、悲哀に満ち、居た堪れなかったに相違ない。
 そういう世相や時代にあって、昭和の時代には、路線や恋や夢に破れ、逃避行の如く都会を離れ郷里に帰る曲調の歌が相次いで発売された。

 では、どんな歌があったか。国鉄時代の象徴とも言うべき楽曲を4つ取り上げたい。

 津軽海峡冬景色

 石川さゆりが歌い、ヒットした昭和の名曲だ。
 昭和59年4月から61年2月まで、私は北海道に住んでいた。故郷・郡山との往復の移動手段はフェリー1回、バイク1回、飛行機2回はあったが、あとの8回は陸路だった、当時は新幹線は盛岡止まりで、貧乏学生だった私は時間が余りあるほどあったので、上野発の夜行急行「八甲田」または「津軽」で青森まで6時間かけて行き、青函連絡船に乗り換え3時間半、さらに函館駅で室蘭本線回りの「北斗」や「おおとり」などの特急で札幌まで4時間半、さらには普通列車で45分かけてアパートまで帰っていた。つまり、16時間近くかけて1万3千円を費やして行ったり来たりしていた。
 したがって、この歌の情景を体験した。八甲田丸、洋諦丸、大雪丸、十和田丸、摩周丸などに乗船した。夜中の就航が多かったので、暗闇の中、津軽海峡の景色を拝むことはあまりなかったが、船の中では寝られるはずもなく、フロアに寝そべっているだけで、退屈なものだった。内地(本州)を離れ、青森港が遠ざかると、何か疎外感や都落ちのような気分を味わったものだ。

 あずさ2号

 双子のデュオ「狩人」が歌ったこの歌は、時刻表の通りだった。「8時ちょうどのあずさ2号で、私は私はあなたから旅立ちます」と、失恋の傷心から都会を離れ、田舎に戻る類の歌詞だった。「なごり雪」的な要素も満載だった。知らない男と旅するのに、未練たらたらの歌詞に、女心の複雑さが当時、小学生の自分には理解しがたいものだった。

 哀しみ本線日本海

 「ヒュールリー、ヒュルリーララー」という歌詞が印象的で、やはり日本海の荒波や暗いイメージを抱く。自殺志願のような悲哀感や悲壮感漂うこの歌は、やはり電車移動=悲しみを演出するにはうってつけだった。「もしも死んだらあなたあなた泣いてくれますか」。冬の女の一人旅は死を連想させる。日本海ということは、東尋坊にでも向かっているのか・・・やはり逃避行のような歌詞が断然多い。

 いい日旅立ち

 1978年に山口百恵が歌ってヒットした名曲。国鉄のキャンペーンソングになり、鉄仮面スタイルの485系特急列車が走るそのCM映像は、今でも胸に刻み込まれている。クリーム色に赤いラインが入った「JNRマーク」入りの名物特急車両。郡山でも「ひばり」「はつかり」「やまびこ」「つばさ」「やまばと」「あいづ」などの特急列車が走っていたので、見慣れた懐かしい国鉄車両だ。

 

 国鉄は「国、金失う」と記載する通り、赤字だらけで、特に、北海道では、100円の利益を上げるのに5,000円以上ものコストがかかっていた。民営化によって効率化を図るのは、利潤追求が必然の民間企業では、やむを得ない決断だったが、旅の情緒をも奪われ、それがこうした歌に描写する手法に変わって行ったのかもしれない。

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