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2019年3月

2019年3月31日 (日)

お知らせ

 「転勤」に伴う残務処理および準備のため、3月31日(日)から4月6日(土)までの期間、新出記事の掲載を中断させて頂きます。

2019年3月30日 (土)

アラベスク VS バナナラマ

  ディスコミュージックと言えば、60年代の「GOGOダンス」、70年代の「サタデーナイトフィーバー」に代表されるディスコブームが沸き起こった。そして80年代は「マハラジャ」などが隆盛し、いわゆる熟成期であった。ジャズダンスやブレイクダンスも台頭した時期だった。
  90年代は「ジュリアナ東京」のお立ち台で、ボディコンギャルが超ミニスタイルで羽根を手繰らせながら、若い男たちの視線を釘付けにして魅了した時代だった。
 ところでディスコミュージックと言えば、70年代のABBAやビージーズ、アースウィンド&ファイヤーなどもその先駆けだったが、私は80年代のアラベスク、バナナラマ、ノーランズなどの女性ユニットの印象の方が鮮烈で、脚の長いパンツで、金髪を振り乱しながら踊り歌うスタイルが「好物」であった。そこで、今日は、昔を懐かしみ、「アラベスク」と「バナナラマ」の競演を動画でお伝えしたい。
 Arabesque

 

01. Midnight Dancer ( 00:00 )
02. In For A Penny, In For A Pound ( 03:51 )
03. Friday Night ( 06:34 )
04. City Cats ( 10:41 )
05. Once In A Blue Moon ( 13:32 )
06. Love Is Just A Game ( 16:48 )
07. Hello Mr. Monkey ( 21:11 )
08. Rock Me After Midnight ( 24:39 )
09. High Life ( 28:17 )
10. Hit The Jackpot ( 31:15 )
11. Billy's Barbeque ( 34:20 )
12. Parties In A Penthouse ( 37:07 )
13. Peppermint Jack ( 40:19 )
14. Marigot Bay ( 43:14 )
15. Make Love Whenever You Can ( 46:27 )
16. Fly High Little Butterfly ( 50:03 )
17. Tall Story Teller ( 53:18 )
18. Roller Star ( 56:13 )

 

BANANARAMA

 

 1 Venus
 2 I Heard a Rumour
 3 Tempus Fugit Mix
 4 Love in the First Degree
 5 Cruel Summer
 6 Help!
  バナナラマの曲がかかると「お立ち台」が満杯になるという現象が起きた。
 その他の有名なディスコミュージック
1234・ギミー・サム・モア
キャプテンジャック
インザネイビー
ラスプーチン
ジンギスカン
YMCA
ゴー・ウェスト
めざせモスクワ
ハッチ大作戦
アリババ

2019年3月29日 (金)

郡山の豆知識~建物の話~

 いつのまにか変わってしまう故郷の景色。そこにあるのが当たり前だった建物が無くなったり、時代の波に流されて、あの「うすい百貨店」ですら劇的な変貌を遂げた。丸井、西武。ダイエー、丸光が鎬を削っていたのも今では遠い昔の出来事になった。
 今日は、郡山の昔の建物に想いを馳せ、あの建造物はいつ建てられたのかについて焦点を絞って検証したい。

 

 「SUN CITY」はいつから「S-PAL郡山」に?

 「島崎和歌子」がアイドル時代にCMに起用されていた「サンシティ郡山」。駅の中に繋がるショッピングモールだ。それがいつのまにか東北地方に展開する「S-PAL」に変わっていた。「サンシティ」は、1982年7月15日に営業を開始した。
 それが、2004年3月に名前が急に変わってしまった。恥ずかしいことに15年も経っているのに、知らなかった。郊外の住宅街に引っ越して20年以上が経つので、生まれ育った中心市街地の変遷に疎くなってしまったようだ。

Suncity Spal

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 「ザベリオ学園」が大槻町に移転して「ホテルハマツ」になったのはいつだった?

 「ホテルハマツ」は「ホテルオークラ」と資本提携して新築された。それが1991年(平成3年)だった。1999年開業の「うすい百貨店」と同様、郡山市には縁遠い「高級ホテル」志向のコンセプトで、敷居が高かったことで、客足が遠のき、2003年に負債240億円を抱え、民事再生法を申請し適用されるなど、一時期経営が傾き、危機的状況を迎えたが、なんとか持ち直している。
 「さくら通り」沿いの一等地に幼稚園、小学校・中学校が併設されていたことも今考えると恐ろしい感じがする。実家から200mほどしか離れていなかったので、ここで私は何度か校庭で遊んだ記憶がある。私の小学校は市立のH小学校だったし、幼稚園も違う。
 この「ホテルハマツ」だが、意外にも駅前大通りに建つ「ビューホテルアネックス」の開業と同じ年。郡山はもともと奥州街道の宿場町として栄えたが、これで一気にホテル建設に弾みがついた。「東横イン」や「アパホテル」、「α-1」、「ホテルプリシード」、「ホテルロイヤル」、「コンフォートホテル」、郊外には「ルートイン」などが開業したのだ。
 一方では1994年にさくら通りと4号線の角に建っていた「サンルート郡山」が、2000年には熱海町の「磐光グランドホテル」が閉館した。

Xbelio

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 フェスタ大観覧車はいつ設置された?

 郡山市の北部に日和田という地名がある。そこに1996年(平成8年)にジャスコが開店し、富田・八山田地区が区画整理で住宅街へ大変身を遂げた。「JUSCO」は、今では「イオンフェスタ」(2011年)に店名を変えたが、同時に隣接する商業施設がオープンした。「ケーズデンキ」、「スポーツDEPO」、「イエローハット」、「ユニクロ」、「ブックオフ」などだ。その一角にあった、郡山市のラウンドマーク的な存在だった大観覧車が、惜しまれつつ一昨年に解体され、撤去された。
 ではこの観覧車はいつ設置されたのかというと、2002年(平成14年)だ。つまり15年もの長きに渡り、郡山の強風とも戦いながら、市民のオアシスとして君臨し、老朽化のために解体となったのである。

Festa

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 布引高原の風車群はいつできた?

 夏は一面の「ひまわり畑」に埋め尽くされ、そして秋は秋桜畑。眼下には猪苗代湖を一望し、その先には雄大な「宝の山・磐梯山」を見下ろす絶好のロケーション。そして高原に立ち並ぶのが風力発電の風車。その数20基以上。実に雄大な風景がそこにある。
 この布引高原は、2007年(平成19年)にオープンした。つまり12年前。比較的新しい観光名所だ。

Nunobiki_windmill

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 「ビッグアイ」と「ビッグパレットふくしま」はいつできた?

 西口開発は地権者との交渉が折り合わず、難航に難航を重ねた。今の駅前が誕生したのは2001年(平成13年)で、その年に地上24階、高さ133mのビッグアイが竣工した。もう18年も経過しているとは・・・。商業施設だけでなく、県立高校が入っていたり、巨大な球体のプラネタリュウムなど複合施設となっている。
 一方、ビッグパレットは正式には「福島県産業交流館」という名称で、巨大なコンベンションホールとなっている。郊外にあるため、駐車場が広くとれている。一時期、震災の被災者住宅団地と化していた。こちらは1998年10月に開館した。

Bigi2

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 津野百貨店、丸光が閉店したのはいつ?

 かつては郡山のデパートと言えば、「津野」「丸光」「うすい」だった。それが昭和51年頃から大都市圏の資本が入り、ダイエー、丸井、西友(のちの西武)が立て続けに駅前周辺にオープンした。
 私は中学校の富士ヨット学生服は津野デパートで購入したし、丸光では地下の食品売り場でラーメンを食べたり、7Fのおもちゃ売り場、屋上の遊園地で遊んだ記憶がある。またうすいは第一と第二に分かれ、レストランでお子様ランチを食べたし、屋上のイベント広場では、スーパーカーの展示もやっていた。うすいはイベントだらけで、今でも北海道物産展や駅弁祭りなどを催しているが、かつては世界の爬虫類展なども行っていた。
 丸光は仙台に本店があったが、1980年には撤退した。

 

Tsunodepart Marumitsudepart

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 文化の発祥、「市民文化センター」と「ユラックス熱海」はいつできた?

 合唱王国・郡山。安積女子高校の大偉業を讃え、「楽都」としての地位を確立して久しい。かつてはヤクザだらけで駅前で銃撃戦があったり、「東北のシカゴ」と呼ばれた物騒な時代があった。その汚名返上の意味合いもあって、「暴力追放都市」を宣言し、その見返りに「合唱」に力を注いだ。その先人たちの努力が実ったのだ。
 そのきっかけは、今は無き「郡山市民会館」だった。麓山のNHKの西隣りにあった。今では麓山公園や中央図書館利用者の駐車場となっている。私は郡山市民会館には多くの想い出がある。「スター誕生」の公開録画を観に行き、ゲストの西城秀樹が歌った場面も目の当たりにしたし、「NHKのど自慢」では、榊原郁恵の「微笑日記」を聴いたし、高校時代には「谷村新司」のコンサートも観た。幼少の頃はゴジラやガメラの映画も見たし、RFCの公開録音では、くじに当たって記念品を貰ったこともあった。想い出が詰まった会館だった。

 その郡山市民会館が老朽化し、代替地として300mほど東に下った旧専売公社跡地に建ったのが、現在の「郡山市民文化センター」だ。それは1984年(昭和59年)のことだった。姉がそこの職員だった際、浜田省吾の演奏をこっそり録音しテープを貰ったし、おニャン子クラブの高井麻巳子(現・秋元康夫人)のサインも貰ってくれた。

 

 一方、磐梯熱海町の温泉街の一角に、1989年に誕生したのが温泉&温水プール付きのイベントホール「ユラックス熱海」だった。それまではその西隣りにあった1968年開業の「磐光パラダイス」と1971年開業の「磐光グランドホテル」が併設されていたが、営業不振で2000年(平成12年)に約30年の歴史に幕を下ろした。

Yurax

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 「郡山スケートセンター」って?

 かつては郡山駅前に「郡山中央スケートリンク」があった。とても狭い屋内スケート場だった。階段を上がった2階が狭い通路で、そこが観覧席だった。
 そして、その後、東部幹線と国道49号線の交差点の北東側、阿武隈沿いに巨大なスケート場がオープンした。それが1979年だった。私の後輩の本田武史選手がそこで練習し、その後、オリンピック選手となったのは語り草だ。その後、ゲームセンターゴーカート施設「アミューズパーク」やパターゴルフや釣り堀などになった。

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 ほかにも市民のオアシス的な場所が相次いで無くなってしまった。例えば、「セントラルホール」(安積町荒井)、「郡山南ボウル」(長者)、「郡山レジャーセンター」(安積町笹川)、「やまのい」、「少年文化会館」(麓山)、「アーク・アメリカ村(朝日町)」、「BLUE HOUSE」などである。幼少の頃に遊んだ場所が無くなるのは本当に辛いものだ。

 

 

2019年3月28日 (木)

私の好きな福島ゆかりの女子アナたち

 私の女子アナ好きは筋金入りで相当だが、我が福島県の局アナには、実は県内出身者が極端に少なく、関東や関西出身者が、学生時代からアナウンス専門学院に通い、レッスンを積み重ねていたり、有名私大のミスになっていたり、ケーブルテレビなどで、アルバイトとしてローカル番組に出演したり、そのきっかけは十人十色だ。
 そして縁あって福島県のローカル局に採用(正式あるいは契約アナ)になり、お茶の間に登場するようになった彼女たち。私が女子アナに興味を抱くようになったここ30年(平成)で、多種多様な理由で代わる代わるめまぐるしく入れ替わった女子アナたちだが、私が歴代で好きになった方々を12人紹介したい。

 

 1位 青木久美子アナ (FTV)

 動画の7分31秒に登場します。実に懐かしい。昔の女子大生が流行ったロングの黒髪にしている。FTV時代には「FTVテレポート」のメインキャスターや「サタデーふくしま」にもMCとして出演していた。

 

 2位 羽藤淳子アナ (KFB) 

 会津若松市出身で郡山の女子校を卒業された。福島放送の開局間もない頃に活躍された。「あいうえお天気目玉焼きLサイズ」や「ふくしまJチャンネル」のメインパーソナリティやキャスターを務めた。局アナではなかったが、県内では人気が抜群だったし、安定感もあった。医師と結婚し、寿退社。血液型はA



 3位 名切万里菜アナ (FTV)

 2015年4月から2017年3月まで2年間FTVに在籍したニュース専門の報道アナ。長崎県出身で、NHKにも勤務しただけあって、アナウンス技術は相当高い。県内をくまなく訪れ、リポートもしたし、美人アナでもあった。私は虎丸町の美容室や福島市のニトリからの中継や大内宿の「美人専用」ベンチにためらいながら座った絵面が忘れられない。
 青山学院大学卒で血液型はA型。福島テレビを退社後、ライムライトという事務所に入り、深夜から朝方にかけての日テレNEWS24のキャスターとして活躍中だ。そして東京に行かれてすぐにご結婚された。ニュース報道中、左手薬指には結婚指輪が光る。

 

 4位 梅田澪理アナ (TUF)

 彼女は名切アナと共に県内を代表する美人女子アナだった。山瀬まみを思わせるロリっぽい顔立ちで、優しい雰囲気を醸していた。彼女も青山学院大学卒で、血液型はA型だった。「グーテン」で「梅田日和」という県内各地からのリポートや「げっきんチェック」ではメインMCを担当し、お茶の間に癒しを与えてくれた。名切アナと同じ時期に退社となったが、やはり結婚を機に寿退社だった。大阪府箕面市出身。

 

 5位 住友真世アナ (FTV)

 彼女はおそらくは福島県の女子アナの中で最強の美人アナだった。端正な顔立ちと、知性と教養溢れる落ち着いた物腰だった。元フジテレビの長野翼アナを彷彿させる印象だった。1988年から1993年まで5年間勤務した。そして長らく、原國雄アナとコンビを組み、夕方の「FTVテレポート」のキャスターを務めた。
 退社後、その美貌を買われ、BSニュースのキャスターも担当した。
 徳島県出身で血液型はA型

 6~12位はお名前のみを

 6位 立川陽子アナ (KFB)

 7位 坂本洋子アナ (KFB)

 8位 千原礼子アナ (KFB)

 9位 上條麻里奈アナ (TUF)

10位 久保恵佳アナ (FCT)

11位 東 優花アナ (TUF)

12位 唐橋ユミ (TUF)

 

  現在

 1位 平川沙英アナ
 2位 小野紗由利アナ
 3位 寺本緒麻里アナ
 4位 神谷美寿々アナ
 5位 安藤結衣アナ

2019年3月27日 (水)

逆境からの復活V!

 今、競泳の池江璃花子選手が重い病気と懸命に闘っている。今年、高校を卒業したばかりだが、これまで出場する大会で次々日本記録を塗り替え、アジア大会でも6冠を達成するなど、向かうところ敵なしで、来年に迫った「東京五輪2020」では、有力なメダル候補にも挙がっていた彼女が、今年1月、「白血病」であることを告白し、日本中、いや世界中のライバルたちにも衝撃を与えた。
 18歳という若さの天才スイマーに対し、オリンピックまであと1年というタイミングで、神様はなんという試練を与えるのか・・・。
 私は一池江ファンのひとりとして、彼女には闘病生活を克服し、競技会への復帰を心から待ち望んでいる身の上である。よって、彼女には一日も早い復活を願っていることから、これまでスポーツ界で、奇跡の復活劇や逆境からの復活優勝を遂げたアスリートの映像を特集し、病気と闘う彼女へのエールを送りたい。

 1 山下泰裕、ロス五輪で悲願の金メダル!

 その4年前のモスクワ五輪を政治絡みでボイコットを余儀なくされた山下選手。日本の柔道界をリードし、世界選手権でも負けなしの強さで、常にトップの座に君臨していた柔道家だった。その彼が、満を持して出場した1984年のロサンゼルス五輪。その準決勝で、彼は膝に思いがけぬ大怪我を負った。
 決勝ではエジプトの巨漢・ラシュワンとの対戦で、足を引きづって畳に上がった彼だが、決して受け身に回ることなく攻め続け、相手を抑え込み、見事、金メダルを獲得したのだった。

 2 平成の三四郎・古賀稔彦~逆境からの金メダル~バルセロナ五輪

 1992年に開催されたバルセロナオリンピック。そこで金メダル確実と思われていた、日本柔道界の実力No.1だった古賀稔彦。しかし、現地入りした後の、稽古中に悲劇は起きた。組相手だった吉田秀彦の技で、膝を負傷。歩くのもやっとという重い症状だった。しかし、彼は不屈の精神で大会に臨み、終始足を引きづりながら畳に立ち、一本勝ちを連発し、決勝の大舞台へ。
 決勝では、思うように体が動かず、技を出せずに苦しみ、劣勢のまま「旗判定」へ。そこで古賀側に旗2本が上がり、念願の金メダルを奪取したのだった。
 この快挙に一番喜んだのは、誰あろう。段どり練習相手の吉田選手だった。

 ここまで来ると体力よりも精神力の方が大事で、足を痛めだがらも優勝までたどり着いた執念は凄まじいものがある。

 3 羽生結弦、大怪我からの奇跡の復活劇

 記憶に新しい2018年2月に行われた「平昌冬季五輪」。その数か月前に日本のエース羽生結弦選手は練習中、着氷に失敗し、右足に重傷を負った。その後の練習や試合をすべてキャンセルし、負傷の治療と回復に努めていた。ファンはもとより、誰もが羽生のメダル獲得は無いものと心配した。しかし、満身創痍の中、彼は大観衆の見守る大舞台で、数か月の間、氷の上に立てなかったことを想像できぬほど、華麗なステップや4回転猿故―、トリプルアクセルをノーミスで決め、見事オリンピック2連覇を達成したのだった。奇跡の復活劇に日本中が歓喜し、涙したのだった。会場を埋め尽くした大歓声と、投げ込まれたクマのプーさんのぬいぐるみの多さがそのフィーバーぶりを物語っていた。

 この動画を採用したのは、池江選手がこれを見て勇気づけられればと思い、エールを送りたくて選んだ。逆境に強い者ほど真の王者だし、苦難や困難のその先に栄光が待っていると信じている。
 今、命と向き合い、懸命に病と闘っている池江選手。それを克服し、檜舞台に戻って来た時には、一皮もふた皮も向けた彼女が見られることを願ってやまない。

 

 

2019年3月26日 (火)

音楽に国境はない?!

 音楽は心をひとつに繋ぐ不思議な魔力を秘めている。1985年に、アフリカ飢餓を救うべく、スーパースターたちが一堂に会し、一夜限りのレコーディングで全世界に感動を与えた「USA for Africa」の「We Are The World」はその代表格だが、世界の街角でストリートミュージシャンがゲリラライブを展開したり、飛び入りで参加した素人が、思いもよらぬ歌や演奏を披露して、周囲を驚かせたりと、音楽は人の心に影響を与え、そして後世に歌い継がれるものであることは疑う余地がない。
 今回は、そうした映像を紹介したい。

 「81歳の日本人おばあちゃんが飛び入りでジャズドラムを演奏」

 ルイ・アームストロングを愛して止まないおばあちゃん。かつて、若い時分にジャズドラマーだった彼女。バンドのメンバーと結婚したが、夫を30年前に亡くし、以来、ひとりで暮らして来た。本場アメリカでジャズを演奏したいという夢があったことを知った孫娘が、おばあちゃんをアメリカに連れて行くと一念発起。
 そして本場、ニューオリンズでその夢がかなう。ジャズマンたちの心温まる粋な計らいに、その場に居合わせた人たちは、きっと幸せな時間を過ごしたことだろう。亡きおじいちゃんと演奏したジャズのスタンダードナンバー「A列車で行こう」。おばあちゃんの81歳とは思えない華麗なバチ(ステッキ)捌きに、誰もが目を見張り、注目。演奏終了後には拍手が鳴りやまないほどだった。思いがけない素敵な一夜を過ごしたと思う。

 この動画に寄せられたコメント

 当時、女性ジャズドラマーなんて、すごくレアだったでしょう。

何十年たっても、いきなりウォームアップもなく絶妙のリズム感(シンコペーションとかカッケー)で

叩けるのもすごいが、初めて訪れた国でずっと笑顔を絶やさず堂々としていて、故人や孫の事を思いやるのはさすが。

 だれも不幸にならない、みんなハッピーの、素晴らしい話だ

テレビはお涙頂戴するにしても、悲しい話よりは

こういう見終わった後に心が温まる話をやってほしいね

 偶然見つけた動画でしたが、感動で涙がでました。おばあちゃん2009年にお亡くなりになられたとの事。素敵な御家族に囲まれきっと素晴らしい人生を送られた事とお察し致します。

 ジャズメンにとっても、ばあちゃんにとっても音楽人生冥利に尽きる瞬間だっただろうな。

下手な授業より音楽の素晴らしさを教えてくれる動画でした。

UPありがとう!

 泣いた。おばあちゃんの鮮やかなドラムもさることながら、孫娘さんの行動力、ニューオリンズの懐の深さ、これらを番組として放送してくれたテレビ局、YouTubeにアップしてくれた主さん、全てに感謝します!

 なおみさんの涙、観客の拍手、おばあちゃんの笑顔と「好きなようにやんなさい。幸せにね」の言葉。もう本当に感動しました。素敵な動画をありがとうございました。

なおみさんが幸せでありますように。おばあちゃんとおじいちゃんが見守ってるからきっと幸せですね(*^^*)

 それにしても凄いのは、半世紀以上も前に演奏していただけなのに、昔取った杵柄というか、体がリズムを覚えている点だ。
 おばあちゃんが最後に遺した「これからは直美ちゃんの世界なんだから、好きなようにやんなさい。しあわせにね」という言葉が心に沁みる。

 

 この放送があったのは2000年、シドニー五輪が開催された年。その9年後、2009年にこのおばあちゃんは天国へと旅立たれたそうだ。愛する孫に自分の夢をかなえて貰い、どんなに嬉しかったことだろう。最愛のおじいちゃんには先立たれ、人知れぬ苦労があったと思うが、晩年に孫からこんなにも素敵なプレゼントを貰い、きっと幸せな人生だったと思う。

 

 きっと今頃は天国で待ちわびた夫(おじいちゃん)と大好きだったジャズを奏でていることだろう。

 

 完全版(20分)はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=8lXviiPq4as

2019年3月25日 (月)

素晴らしき駅ピアノ

 私は結構サプライズ好きで、「モニタリング」というテレビ番組を観る。かつては「いたずらウォッチング」とかも好きで、若い時分には彼女にハッピーサプライズを仕掛けては楽しむような性癖を持っていた。
 話は変わるが、最近、駅や空港の待合室などに「ピアノ」が設置されている光景を目にする。「誰でも自由にお弾きください」という看板を見て、腕に覚えのあるピアニストや素人はだしの方が、待ち時間の退屈しのぎに弾いては、居合わせた客に拍手喝さいを浴びるといったもので、それはサプライズにも値する芸当だと思う。まさにストリートミュージシャン!
 では、私が感動した「駅ピアノ」の映像を取り上げたい。

 1 ムックが弾く「Lemon」

 最初、わざと下手くそに弾いて、居合わせた人を油断させ、急変し、プロ並みの演奏を披露し、周囲をビックリさせると共に、その妙技に拍手を浴びる。

 2 ロンドンの駅で「剣の舞」を披露

 たぶん日本人の女性たちだと思う。連弾でここまで華麗に、そして一心不乱に弾けたらさぞかし気持ちが良いことだろう。途中でパートを入れ替わる技が素晴らしい。そこで現地の人も思わず拍手。音楽に言葉は不要を地で行っている映像に感動すら覚える。これこそがストリートピアノの醍醐味で、予期せぬ場所、予期せぬタイミングで遭遇した時の驚きは筆舌に尽くしがたいものがあるだろう。

 3 オタクに扮したプロのピアニストが「Let It Go」を華麗に弾く

 「もしもオタクがプロのピアニストだったら」というドッキリ企画。周囲にいる方たちは、まさかこんないでたちのオタクっぽい男が、こんなに巧みな鍵盤使いで演奏するなど予想だにし得なかったに違いない。想定外、予想外だから、その衝撃は大きい。「実に面白い!」

 4 トラの着ぐるみを着て「夢をかなえてドラえもん」「旅立ちの日に」

 視界が遮られ、鍵盤もよく見えないであろう着ぐるみを身にまとい、これだけ弾けるなら立派なもの。途中からなぜかピアニカで参戦。こちらのほうが下手で、ピアノの音色を下げてしまっているのが残念。

 その他の映像

 「威風堂々」 https://www.youtube.com/watch?v=hAdZE0_aj7k

 「トルコ行進曲」 https://www.youtube.com/watch?v=iHB1o2-ks8A

 「夜想曲 嬰ハ短調 遺作  ショパ」ン  https://www.youtube.com/watch?v=jyc02LilH-o

 「ショパン 革命のエチュード」 https://www.youtube.com/watch?v=CfUygH-aPZc

 「スティング 主題歌」 https://www.youtube.com/watch?v=dvNENRZ8Bu4

 神戸にストリートピアノ出現 素敵なメロディー奏でるYOUは何者?   

 さて、こういう思いがけないサプライズの現場にたまたま居合わせたら、癒し効果とともに、ほのぼのした気分になれること請け合いだ。
 最近はこうしたサプライズに目を付けたNHKがBSで「駅ピアノ」を放送している。

 

2019年3月24日 (日)

我が麗しき80年代洋楽ランキング

 かつてFM東京(現:TOKYO-FM)で土曜日の午後にオンエアされていた「コスモポップスベストテン」という番組を覚えていますか?
 1974年から2010年まで実に36年に渡ってリスナーおよび洋楽ファンの耳を他の楽しませてくれた人気長寿番組だった。私は高校時代、浪人時代、そして1984年に大学に入学した身としては、オンタイムの時期で、毎週末の日課のようなもので、その時節に流行っていた洋楽を聴き、英語を覚える一助にしていた。

 その時期は「洋楽」が一大ブームになっていた。スクリーンミュージックも一世を風靡していたが、「マイケル・ジャクソン」、「カルチャークラブ」、「ブルース・スプリングスティーン」、「ジャーニー」、「クィーン」、「ボンジョビ」、「シカゴ」、「ポリス」・「エア・サプライ」などのシンガーやバンドが「ビルボード」のチャートを揺るがし、全世界のミュージックシーンを席巻していた時代だ。
 そして日本ではバブル景気真っ只中で、ボディコンギャルが「マハラジャ」、「ジュリアナ東京」などのディスコのお立ち台で太眉で踊り狂っていた。空前の女子大生ブームが沸き起こり、「ワンレン」、そして女子高校生の間では「ルーズソックス」などが世の中の主流となって、物心両面で、それは豊かな時代だった。
 そんな恵まれた時勢にあって、洋楽は私の心のよりどころだったし、唯一の趣味になっていた。
 では、私が特に好きだった楽曲70曲を、勝手ながらカミングアウトしたい。

 1位 Heal the World
 2位  Even The Nights Better
 3位 Hard to say I'm sorry
 4位 Africa
 5位 Always   by   Atlantic Starr
 6位 I Like Shopin
 7位 Karma Chameleon
 8位 You Can't Hurry Love
 9位 Just The Way You Are
10位 I Don't Want To Miss a Thing


 
11位  We Are The World   by USA for Africa
12位 Stranger 
13位  I Was Born To Be Love You
14位 Last Christmas
15位  Girls Just Want To Hve Fun
16位 Highway to the Danger Zone
17位  Jump
18位  Final Coutdown
19位  Manic Monday
20位  Eye of the tiger

21位  If you hold on together  ダイアナロス
22位 Video killed The Radio Star
23位 We Are Only Lonely
24位 エースワンダー
25位  Can't Fight This Feeling
26位 Without you
27位 I Will Always Love You
28位  We Are The Champions
29位 Time after time
30位 Greatest Love Of All



31位 Woman
32位 Key Largo
33位  Nothing's Gonna Stop Us Now Starship
34位  We're all alone
35位  Up Where We Belong  愛と青春の旅立ち
36位  Beat It
37位 Can't take my eyes off you
38位  Honesty
39位 A Summer Place 夏の日の恋
40位  The Rose



41位 Killing Me Softly  やさしく歌って
42位  DESPERADO
43位  Footloose
44位 NewYork City Serenade
45位  From A Distance
46位  Born To Be Wild
47位  Stayin' Alive
48位  Saturday Night
49位  You raise me up
50位  My Heart Will Go On

51位 Separate Ways
52位 Open Arms
53位 Every Breath You Take
54位 Hotel California
55位  The Boxer
56位 Bridge Over Troubled Water
57位 Your Song
58位  Like a Vergin
59位  Thriller
60位  Sailing



61位 愛のコリーダ
62位 I Just Called To Say I Love You
63位 I Will Rock You
64位 Power of Love
65位  The Reflex
66位  I've Never Been To Me  愛はかげろうのように
67位  Endless Love
68位 Night birds
69位  You Give Love A Bad Name
70位 Dancing Queen

 リンクした映像は、たまたまで、作為的なものは何もない。中には70年代もあったし、他にも優れた楽曲があるのも事実だ。「ザ・ビートルズ」や「オリビア・ニュートンジョン」、「カーペンターズ」、「BeeGees」は大好きだが、彼らは60~70年代という印象が否めないので、今回の順位からは除外した。

2019年3月23日 (土)

お気に入りCM ~藤吉久美子編~

 「YouTube」に私がずっと探していたCMがアップされているのを遂に見つけた。それは1990年頃の「郵便局」のCMで、枯れ葉の中から、当時、私がファンだった藤吉久美子さんが現れる絵づらで、可愛らしい彼女を見てひとめぼれしてしまった。

 彼女は今、レッツゴーヤングのMCや「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」に出演した太川陽介さんの奥様になられている。
 今の彼女は、ややぽっちゃり系だが、20代の若かりし頃は、こんなにも初々しく、清楚で純粋な印象を醸していた。どう見ても育ちの良いお嬢様だ。

 では、1994年におふたりが婚約された時の記者会見の映像が動画サイトにアップされているので、それを紹介したい。

 その後、彼女は名探偵明智小五郎シリーズの文代くん役でも出演した。

 この頃は、私も20代だったので、この頃お気に入りだった鶴田真由さんと並んで、やや年上の彼女の存在が大きかった。
 当時はVHSビデオだったが、このCMをビデオに録画して繰り返し見ていた記憶がある。

 彼女はAB型だが、同じ血液型の「永野芽生」さんに似ている部分がある。

 また、動画サイトにはこのような映像も公開されていたので、場繋ぎの意味合いもあって、これをリンクしておきます。

 藤吉久美子の若い頃と現在を比較してみた!

 おっとり系で品のある雰囲気は今も昔も変わっていないと思う。素敵に歳を召されていると思う。

 

 

 

2019年3月22日 (金)

1990年代の想い出のバラエティ番組

 最近はスマホゲームやLINE、インスタなどに凝って、あまりテレビを見ない若者が多いと聞く。別にそれが良い悪いの問題ではないが、私が20代~30代を過ごした1990年代は、テレビが娯楽の王様だった。
 笑点やサザエさんなど、50年以上も続く長寿番組もあれば、視聴率が得られず、僅か数か月で打ち切りになるものもあった。
 今回は、1990年代に高視聴率で、各局の名物番組になったものの、今では終了した番組を懐かしんで紹介したい。

 1 ウッチャンナンチャンのホントコ

 TBS系列で放送していた、当時超売れっ子だったウッチャンナンチャンの週一レギュラー番組で、初対面同士のズブの素人が、台本通りに行動したら、本当に恋に堕ちるのかを検証するコーナー「未来日記」が大好きだった。
特に第3話に登場した桃子ちゃんを2人の男が奪い合う「3人のクリスマス」がお気に入りだった。当時、VHSビデオに録画していたが、今はもうデッキが無いので見られない。たぶんテープも処分してしまったと思う。

 このコーナーのBGMに使われたサザンの「TSUNAMI」が大ヒットした。

 2 学校へ行こう!

 ご存知、みのもんたが司会し、V6がレギュラー、そして渡辺満里奈や夏帆などが共演していた中高生必見の番組だった。代表的な人気コーナーは「未成年の主張」だったが、私は素人が登場し、芸をするコーナーで「軟式globe」が大好きだった。美人ヴォーカルの「KOIKE」とラップ&ダンス担当の「パークマンサー」が織りなす奇妙な歌とダンス、そして奇抜なオチが最高傑作だった。

 3 ウリナリ!

 ウッチャンナンチャンの冠番組で、日曜日の夜8時から日本テレビ系列で放送していたバラエティ番組。たけしの元気が出るテレビの後継番組だったが、ブラボー内村、ウド鈴木や杉本彩、ビビアン、藤崎奈々子、天野ひろゆき、千秋などがダンスを特訓し、大会に臨む「芸能人社交ダンス部」の企画が大好きだった。
 現在のTBSの金スマで、キンタロウ。&ロペス組がダンス大会に出場する模様を放送しているが、あれは私自身はパクリだと思っている。
 また小室哲哉をパクった「ホワイトビスケッツ」や「ブラックビスケッツ」などのユニットが番組から誕生し、その曲が大ヒットした。私は「タイミング」が好きだった。

 忙しい身の上の芸能人たちが、スケジュールの合間を縫って練習したくらいでも、国際大会で上位に入賞する様子を目の当たりにし、やはり芸能人は凄いと驚いた記憶がある。

 4 投稿!特ホウ王国

 やはりウッチャンナンチャンがMCを務めていた番組で、日曜日の19時からNTV系列で放送していたバラエティ番組。視聴者から送られて来たスクープを基に、NTV各局のアナウンサーがレポーターに扮し、そのスクープを検証する内容。かなりオーバーに驚くリアクションがわざとらしくも滑稽だった。私はリポーターでは「後藤さん」が好きだった。

 5 伊東家の食卓

 1997年に放送開始となり、火曜日の19時からNTV系列で放送されていた情報バラエティ。伊東四朗がお父さん役で、五月みどりがお母さん役。村上里佳子や布施博、V6の三宅健などが共演した。
 「日常で使える『裏ワザ』」を番組のメインへ据え、今まで誰もが知らなかった不思議な現象を紹介し、体験もできる「大発見」などのコーナーによる番組構成に変更された。これらのコーナーは全て視聴者からの情報投稿によって作られていた。リニューアル以降は毎週高視聴率を獲得した。

 https://www.youtube.com/watch?v=DB4UUFSA2Oo

 

2019年3月21日 (木)

高校野球の素晴らしさがわかる動画

 また高校生が輝く季節が訪れた。
「球春」「春はセンバツから」どという形容詞がつくほど、青春が躍動し、ファンを感動させる季節が。
 昨年の夏は「金足旋風」が吹き荒れ、秋田県に102年振りとなる準優勝をもたらしたことは記憶に新しい。
 筋書きのないドラマに魅了されるのが「高校野球」。それは一度でも負ければ終わりの厳しい世界。
 3年生は即引退となる真剣勝負。ひたむきさ、泥だらけになって毎日、白球を追いかけ、真っ黒に日焼けした顔。
 どこを切り取って眩しさが溢れている。
 地元の期待を背負い、そしてレギュラーになれなかった友との約束、亡き人への想い。様々な感情が交錯しやっと
 たどり着いた場所。それが「甲子園」という夢舞台。
 大観衆がプレーを後押しし、巨大なスコアボードが現実を伝え、そしてこの場所でしか吹かない浜風が微笑む。
 そんな最高の檜舞台で繰り広げられる10日間。
 そんな熱き感動を呼び覚まし、「高校野球」の素晴らしさがわかる映像をどうぞ!
                                                                                                                                                                                          
                                                                                                                                                                                      
 さて、今年の春は、どんな名勝負が繰り広げられるのか。そしてどんなヒーローがまた誕生するのか。
 今年も高校野球から目が離せない!
  

2019年3月20日 (水)

日本とは思えぬスポット

 思わず「ここはどこ?」と言いたくなるほど、日本とは思えない風景や建造物が建つ場所がある。しかし、それらは紛れもなく日本国内のどこかにある。例えばオランダをモチーフにしたハウステンボスやかつて帯広にあった「グリュッグ王国」や新潟にあった「ロシア村」などのテーマパークなどもあるが、今も実際に存在しているスポットについて焦点を当てたい。

 1 「太陽公園」

 世界遺産にして国宝でもある「白鷺城」こと姫路城があるのは岡山県。なんと同じ姫路市に実在するのが、ドイツの洋風の古城をイメージした西洋の城「太陽公園」だ。
 ここのコンセプトはバラバラで、山頂に聳え立つのが天守とも言える洋風の城。しかし、入口の門は中国じみた造りで、なんと兵馬俑のような石像が並び建つ。中に入れば、登別クマ牧場のような熊の置物が多数で迎えるし、自由の女神やモアイ像、それに園内になぜかパリの凱旋門を似せた門が建つ。ここは愛知「明治村」なのかあるいは「ワールドスクエア」なのか?東京ディズニーランドのイッツアスモールワールドじみた民族衣装の人形も多数展示されていて、何が言いたいのかまるで疑問のテーマパークだ。
 訪れる観光客も少なく、税金の無駄遣いのようなスポットだ。

 2 「ブリティッシュヒルズ」

 ここは森と湖に囲まれた山の中腹にある施設だ。周辺は英国に足を踏み入れたと錯覚するほどの建造物が立ち並ぶ。しかし、ここはテーマパークなどではない。それは福島県の天栄村にある英語学習施設「ブリティッシュヒルズ」だ。
 ここではスタッフも英国人ばかりで、この敷地に足を踏み入れたら最後。日本語は使用不可で、国内にいながらにしてパスポート不要で海外留学した気分になれる。
 だから福島県内だけでなく、他県の中高生も宿泊しながら学習合宿形式で英会話などの語学研修を楽しみにやって来る。

 学習の様子はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=sGNrD2V1a2c

  3 カナディアンワールド公園

 北海道芦別市黄金町にある「赤毛のアン」の舞台となった19世紀カナダの田園風景を忠実に再現した市営公園。アンの家、ケンジントン駅、アンの教会等の施設がある。

 4 ふなばしアンデルセン公園

 「じゃらん」の解説によれば、1800年代のデンマークの田園風景を再現したメルヘンの丘。つくる楽しさを体験できる子ども美術館。四季折々の里山の自然を体験できる自然体験。小さな子供達が創造と空想の遊びを楽しめる花の城。5つのゾーンからなる公園です。

 5 アジアンオールドバザール(栃木)

 那須高原に佇む、バリ、ベトナム、タイ、ネパール、インドの5カ国をミックスしたようなアジアンミニテーマパーク。それぞれテーマが異なるショップが3店舗、本格的なアジア料理を堪能できるレストランが2店舗あり、時間を忘れて海外旅行気分を味わえる。現地の直接スタッフが仕入れてくるおもしろ雑貨達は、品ぞろえも充実しており、お土産にも最適。

 6 ロックハート城 (群馬)

 吾妻郡高山村と沼田市境にある中山峠の国道145号線沿いにある。10万平方mの敷地に中世スコットランドの本物の古城のロックハート城を移築・復元。敷地内には石造りの教会やギャラリー・ショップ・レストランもあり、石の資料館には隕石や恐竜の化石、珍しい世界各地の鉱物なども展示されている。

 ほかにも東京ドイツ村、北海道と山梨県にあるハイジ牧場とハイジ村、愛知県にある「リトルワールド」、「安城産業文化公園デンパーク」、岐阜県にある福寿の里「モンゴル村」、三重県にある「志摩スペイン村」、兵庫県の「淡路ワールドパークONOKORO」、和歌山県の「ポルトヨーロッパ」、佐賀県には「有田ポーセリンパーク」などもある。

 本日例記したのは、「日本にある外国」で、日本に居ながらにして外国気分を味わえるテーマパークだ。いかに日本がアミューズメントに特化しているかが窺い知れる。今、日本は東京オリンピックに向けて準備が急ピッチで進められている。50年以上前にアジアで初のオリンピックが「東京」で開催された際、「オリンピック景気」に見舞われた。海外から多くの観光客が押し寄せ、日本の観光地を訪れたし、日本文化に触れる機会を得た。
 来年に迫った2回目の「東京五輪」。おそらくは前回の数倍多くの外国人観光客が日本に来ることは目に見えている。その経済効果は計り知れない。

 招致の際に、滝川クリステルさんが発した「お・も・て・な・し」と表現したように、どれだけ多くの方々に競技だけでなく、日本を満喫してもらえるのか、日本人の資質が問われている。
 もしかすると、今日取り上げたアミューズメント系のテーマパークを訪れる母国人も大勢いるかもしれない。経済効果に見合うだけの満足感を与えることができるのか?今こそ日本人の「おもてなし」の心が問われそうだ。

 では最後に、異国のような風景をまとめた画像集をどうぞ!

 今年、10連休のゴールデンウィーク、ぜひこうした穴場スポットに出かけてみませんか?日常では味わえない新発見があるかもしれません。

 

 

 

2019年3月19日 (火)

50代以上には懐かしいCM集

 昭和39年生まれの私にとって、昭和の時分に流れていたCMが無性に懐かしくなることがある。それが今では「Youtube」などの動画サイトで簡単に見られることがただただ嬉しい限りだ。今日は、おそらくは私の同世代、あるいは先輩の方々が泣いて喜びそうなCMを集めてみたい。

 マンダム 男の世界

 「西部劇」などに出演した今は亡き、アメリカの名優「チャールズ・ブロンソン」が出演していた男臭さが漂う男性用化粧品のCM。それまで男に肌のケアなど不要だと思っていたが、このCMでその概念が覆された。最後の「ん~マンダム」という決めゼリフが堪らない。

 このCMに寄せられたコメント

 アゴに何か付いてるよ、ウ~ンマンダム!! の世代の方がココにも何名か居てホッとしました(笑)
 「うーんマンダム」の声って、ブロンソンじゃなくて実は森山周一郎さんの声なんですよ。 森山さんが最近、自身のブログで明かしておられました。 映画ではブロンソンの吹き替えを森山さんがやってますが、 このセリフだけはブロンソン自身の声だと思っていたので意外でしたね。
 小学生の頃、ブロンソンのカレンダー欲しくて親父にトニックとリキッド買わせた。

 サントリーオールド 明日がある

 

 このBGMがただただ懐かしい。古き佳き時代を回顧させてくれる曲調だ。

 このCMに寄せられたコメント

 懐かしいですね。そして今でも、いや、今でこそ通用しそうなほとばしるセンスがありますね。 サントリー、SONY、HONDA、これらの各業界で革新的だった企業CMはいずれも同業他社に比べて群を抜くセンスの塊でした。  

 サントリーは本当にセンスいい。オールドとローヤル。 個人的にはネスカフェも好き

 丸大ハム

 「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい」というセリフが一世を風靡した。強面の父親とひ弱そうな息子。自然の中でたくましく育ってほしいという願いが溢れたCMだった。この作品を回想する時、なぜか「北の国から」の五郎と息子の純くんを思い出す。
 私の今は亡き祖父が講話や演説をする際に、必ずこのセリフを用いて笑いを誘った。

 このCMに寄せられたコメント 

 田中浩さん、主に悪役が多かったですが、中でも豪胆さと男臭さを併せ持つ雰囲気のある印象の強い方でしたね。私は子どもの頃、どーも感性が変わっていたのか、時代劇やドラマを見るのでも、天津敏さんとか汐路章さんだとか、川合伸旺さんだとか御木本伸介さんだとか・・・のほうばかり見ていたので、田中浩さんも気になる役者さんでした。若くして亡くなられたんですよねぇ。60代、70代になられたときのこの方のいろいろな役柄を見たかったです。残念に思います。

 ラッキーストライク

 かつては「専売公社」だったが、民営化されてJT(日本たばこ産業)になった頃から深夜11時を過ぎるとCM解禁時刻となり、各局一斉にたばこのCMを流していた。「LUCKY STRIKE」とか「Parliament」などは外国人を起用し、それはおしゃれな作りになっていた。このCMはアメリカンバイクで荒野を走り、休憩で一服するといったストーリーがかっこよくてこのCMを見たくて夜更かししたものだ。

 このCMに寄せられたコメント

 中学生の頃にラッキーストライク吹かしてから颯爽とバイクに跨がるのに憧れたよ。 それを実現させたのが26才のとき。 霞ヶ浦の湖畔でラッキーストライクをくゆらせてから、当時の愛車だったカワサキのZRXー2を走らせる・・・

 違いのわかる男 ネスカフェゴールドブレンド

 阿川泰子のお父さんの作家・阿川弘之編をお送りしたが、他にも多くの俳優やその道のエキスパートが数多く出演した。珈琲だけに苦み走った玄人たちを出演させた。
 二谷英明、高倉健、宮本亜門、沢井忠夫、石丸寛、山本寛斎、石丸幹二、観世栄夫、遠藤周作、會田雄亮、由良拓也、熊川哲也などが出演した。押坂忍さんや森山周一郎さんがナレーションを担当していた。

 

 他にも樹木希林とエレキバン会長が共演した「ピップエレキバン」や山城新伍&川谷拓三が出演していた「日清どん兵衛」なども懐かしい。1985年にバイクツーリングで私もこの駅(比布)のホームを訪ねた。
 また、「日本船舶振興会」のCMも懐かしい。会長の笹川良一や高見山関や指揮者だった山本直純が出演していた。
 

2019年3月18日 (月)

もう見られない福島県のCM

 テレビCMは、その出演者が亡くなるともう放送されなくなるようだ。我が福島県には全国展開していて、本社を郡山市に置く企業も少なくない。たとえば「ゼビオスポーツ」、「ヨークベニマル」、「幸楽苑」などがそうだ。
 私は最近まで「アルファグループ」が郡山市鶴見坦に本社があるとは知らないでいた。それは「ベルヴィ郡山館」などの結婚式場も運営しているが、メインは「さがみ典礼」などの葬儀をとりしきる企業だ。郡山市だけでも7カ所あり、福島県内には33カ所もある福島県一の規模を誇る。他にも山形県や茨城県内にも葬祭ホールを拡張している。時代が変わっても、人が死なないことはなく、ニーズは多い。まして今は、自宅で葬儀をすることはほとんどなく、こうした葬祭ホールで葬儀告別式を行うことが多くなった。

 その「さがみ典礼」のCMは、小野ヤスシさんを始め、有名な俳優や芸人を起用して来た。しかし、なぜか、葬儀場のCMに起用されると、3年以内に他界するケースが多いのように思える。
 初代の小野ヤスシさんは、三角頭巾を額に巻いて、棺桶に入る絵面があった。槇原寛己さんと浅茅陽子さんは若いため、ご健在だが、その後、名バイプレーヤーとして鳴らした左とん平さんも昨年、80歳で天国へと旅立った。
 では今ではもう放送されないその二人のCMをどうぞ!

 小野ヤスシ 編

 左とん平 編



 今、私が心配しているのは、現在、このCMに出演しているのが福島市出身の芸人、加藤茶さんだ、彼は余命を告げるドクター番組に出演する度に、その不健康ぶりを指摘され、余命宣告まで受けるほど悪いようだった。30歳以上も歳の離れた奥さんを残して、旅立ってしまうのかと危惧している。ドリフターズ時代から、好きな芸人のひとりであり、我が福島県を代表するタレントでもあるため、彼には長生きして活躍している姿を見たいと願ってやまない。

 では最後に、今公開中の加藤茶さんのCMをご覧ください。

 居酒屋編 → https://www.youtube.com/watch?v=mCJOa8H0CXc

 「さようならが温かい・・・」

2019年3月16日 (土)

男がグッと来るウィスキーのCM

 男ならわかってもらえると思うが、女性の服装や何気ないしぐさでぐっと来ることがある。例えば、長い黒髪を掻き上げたり、ラーメンを食べる時に、髪を耳に掛ける仕草、浴衣姿で髪をアップにしている時にチラチラ見えるうなじ、そしてエプロン姿。男には真似できない部分なので、女性らしさがひしひし伝わって男心をくすぐる。
 私はテレビが好きで、暇さえあればお気に入りの番組を観ているが、ほかにもCMも大好きだ。ストーリー仕立てのCMが好きだが、ほかにも女優さんが「女性らしい演出」でアピールするのがたまらない好物だ。それはお酒のCMが多い。

 井川遥の「角ハイボール」

 こんなママさんが実際にバーにいたら、毎日だって通いたくなる。どこか陰があって、謎めいた秘めたる魅力に溢れている。男なら手を差し伸べて守ってあげたくなってしまう。
 このSUNTORY角瓶のCMは大当たりし、ハイボールもこのCMを境に、メジャーなステータスを得たように思う。

 こちらもヤバイです→ https://www.youtube.com/watch?v=W7GiubGLGvs

 恋は遠い日の花火ではない

 昭和のトレンディ女優のひとりだった「田中裕子」さん。切れ長の目で、細身、長い髪がトレードマークだった。今ではあの昭和の大スターの沢田研二さんの奥様だが、そんな彼女が1994年~1996年頃にシリーズCMとして出演したのが「SUNTORY OLD」。
 もう若くはない「ハイミス」の女性が、大人の恋を演じる。今見るとほのぼのだが、当時はドキドキしながら見ていた、いや行く末を見守っていた自分がいた。

 長塚京三

 中間管理職の課長役を演じた長塚京三。中年男性の心を惑わせる若き部下の存在。誘惑と現実の狭間で揺れ動く。「恋は遠い日の花火ではない」という文句も中年男性の心にグサリと突き刺さる。つい目の前にある恋にハマってしまいそうになる。その下心というか、心の隙を抑えながら非日常を楽しむ面がある。
 これ以上足を踏み入れてはいけない危険領域なのだが、ちょっとの火遊びくらい・・・といった誘惑との葛藤があるに違いない。「男と女のラブゲーム」というのがカラオケのデュエットソングにあったが、お酒が入るとそのブレーキも緩くなる。

 大原麗子

 かつてはAB型らしく小悪魔的な存在だった。日本人離れした美形な顔立ちで、先輩諸氏をメロメロにしたことだろう。故渡瀬恒彦氏と一時は結婚生活を送ったが、離婚してからは再婚せず、女優業に専念していた。その亡くなり方は大女優とは似ても似つかぬほど悲惨な「孤独死」だった。
 その彼女が80年代に出演していたのが「SUNTORY RED」のCMだった。家で留守を守る主婦の役で、待ちぼうけを喰らう役。いじらしい役どころで、世の男性はハートを射抜かれたことだろう。

 さて、今は日本酒がちょっとしたブームだが。1980年代から2000年頃まではウィスキーなどの洋酒が売れた時代だった。それは水割りなどがかっこ良く思えたからだ。バーボン、スコッチ、テキーラ、ウォッカなど各国産の洋酒を有り難がっていて、味などよく知らなくても、雰囲気で飲んでいた時代だ。私も20代後半から30代前半まではトレンディドラマを見て、おしゃれなカクテルに凝った時期があった。それはわたせせいぞうの「ハートカクテル」の影響も大きかったが、自分自身がドラマの主人公になった気分や雰囲気を味わいたくてハマっていたのが現状だ。
 これからはカッコ良さだけでなく、本当にそういうお酒が似合う年齢になったので、自分の好みに合った酒選びをしたいと思う。人生の佳きパートナーとなるような心酔できるお酒を。

 

 

2019年3月15日 (金)

国鉄を象徴する楽曲

 平成が間もなく終焉を迎えようとしている。平成30年有余が「災い(災害)」の時代だったとするならば、私がこの世に生を受けた「昭和の時代は「戦(いくさ)」の時代だったと言える。
 1988年(昭和63年)4月に赤字続きだった国鉄が民営化され、JRとして分割運営されることとなった。同年の同月、瀬戸大橋開通、青函トンネル開業もあり、日本が一本のレールで結ばれた記念すべき年になった。

 私が北海道に住んでいた1984年頃の国鉄は、赤字路線を整理するため廃止という暴挙んに出た。かの有名な「愛の国から幸福へ」で一世を風靡し、一大ブームを巻き起こした広尾線を始め、北海道の多数の路線が廃止に追い込まれたのは周知のところだ。
 北海道民は、この相次ぐ鉄道が次々廃線に追い込まれたのを目の当たりにしたわけで、生活の足を奪われ、悲哀に満ち、居た堪れなかったに相違ない。
 そういう世相や時代にあって、昭和の時代には、路線や恋や夢に破れ、逃避行の如く都会を離れ郷里に帰る曲調の歌が相次いで発売された。

 では、どんな歌があったか。国鉄時代の象徴とも言うべき楽曲を4つ取り上げたい。

 津軽海峡冬景色

 石川さゆりが歌い、ヒットした昭和の名曲だ。
 昭和59年4月から61年2月まで、私は北海道に住んでいた。故郷・郡山との往復の移動手段はフェリー1回、バイク1回、飛行機2回はあったが、あとの8回は陸路だった、当時は新幹線は盛岡止まりで、貧乏学生だった私は時間が余りあるほどあったので、上野発の夜行急行「八甲田」または「津軽」で青森まで6時間かけて行き、青函連絡船に乗り換え3時間半、さらに函館駅で室蘭本線回りの「北斗」や「おおとり」などの特急で札幌まで4時間半、さらには普通列車で45分かけてアパートまで帰っていた。つまり、16時間近くかけて1万3千円を費やして行ったり来たりしていた。
 したがって、この歌の情景を体験した。八甲田丸、洋諦丸、大雪丸、十和田丸、摩周丸などに乗船した。夜中の就航が多かったので、暗闇の中、津軽海峡の景色を拝むことはあまりなかったが、船の中では寝られるはずもなく、フロアに寝そべっているだけで、退屈なものだった。内地(本州)を離れ、青森港が遠ざかると、何か疎外感や都落ちのような気分を味わったものだ。

 あずさ2号

 双子のデュオ「狩人」が歌ったこの歌は、時刻表の通りだった。「8時ちょうどのあずさ2号で、私は私はあなたから旅立ちます」と、失恋の傷心から都会を離れ、田舎に戻る類の歌詞だった。「なごり雪」的な要素も満載だった。知らない男と旅するのに、未練たらたらの歌詞に、女心の複雑さが当時、小学生の自分には理解しがたいものだった。

 哀しみ本線日本海

 「ヒュールリー、ヒュルリーララー」という歌詞が印象的で、やはり日本海の荒波や暗いイメージを抱く。自殺志願のような悲哀感や悲壮感漂うこの歌は、やはり電車移動=悲しみを演出するにはうってつけだった。「もしも死んだらあなたあなた泣いてくれますか」。冬の女の一人旅は死を連想させる。日本海ということは、東尋坊にでも向かっているのか・・・やはり逃避行のような歌詞が断然多い。

 いい日旅立ち

 1978年に山口百恵が歌ってヒットした名曲。国鉄のキャンペーンソングになり、鉄仮面スタイルの485系特急列車が走るそのCM映像は、今でも胸に刻み込まれている。クリーム色に赤いラインが入った「JNRマーク」入りの名物特急車両。郡山でも「ひばり」「はつかり」「やまびこ」「つばさ」「やまばと」「あいづ」などの特急列車が走っていたので、見慣れた懐かしい国鉄車両だ。

 

 国鉄は「国、金失う」と記載する通り、赤字だらけで、特に、北海道では、100円の利益を上げるのに5,000円以上ものコストがかかっていた。民営化によって効率化を図るのは、利潤追求が必然の民間企業では、やむを得ない決断だったが、旅の情緒をも奪われ、それがこうした歌に描写する手法に変わって行ったのかもしれない。

2019年3月14日 (木)

人気俳優・女優の血液型

 若手と言っても35歳未満だったり、未婚の方を中心に掲載したい。

 A型 俳優

 竹内涼真・佐藤健・松坂桃李・菅田将暉・山﨑賢人・中村倫也・綾野剛・斎藤工
 山下智久・生田斗真・三浦翔平・櫻井翔・二宮和也・松本潤・溝端淳平・古川雄輝
 高杉真宙・志尊淳・柳楽優弥

 かつては藤木直人、玉木宏、西島秀俊、長谷川博己、大沢たかお、織田裕二、阿部寛、吉田栄作、らが牛耳っていた。
 

 A型 女優

 新垣結衣・石原さとみ・今田美桜・新木優子・上野樹里・のん・桐谷美玲・藤井美菜・
 泉里香・上白石萌歌・芳根京子・葵わかな・長澤まさみ

 かつては竹内結子、仲間由紀恵、鈴木保奈美、石田ゆり子、松嶋菜々子、沢口靖子、
常盤貴子、山口智子、松たか子、吉瀬美智子らがいた。

 B型 俳優

 吉澤亮・大泉洋・瑛太・岩田剛典・山田涼介・新田真剣佑・北村匠海・中川大志・
 窪田正孝・神木隆之介

 かつてはユースケサンタマリア、古尾谷雅人、京本政樹、山本耕史・岡田准一らがいた。

 B型女優

 綾瀬はるか・国仲涼子・吉岡里帆・有村架純・杉崎花・比嘉愛未・柴咲コウ・真野恵里菜
 清野菜名・黒木華・浜辺美波・松岡茉優

 かつては坂井真紀、南野陽子、堀北真希、本上まなみ、稲森いずみ、井川遥、米倉涼子らがいた。

 O型 俳優

 成田凌・田中圭・桐谷健太・福士蒼汰・千葉雄大・平野紫耀・間宮祥太朗・坂口健太郎
 
 かつては、木村拓哉、福山雅治、伊藤英明、竹野内豊、小栗旬、妻夫木聡、向井理、豊川悦司、玉山鉄二、高橋克典、江口洋介などが人気ランキング上位にいて、牛耳っていた。

 O型 女優 

 中条あやみ・土屋太鳳・北川景子・吉高由里子・瀧本美織・橋本愛・剛力彩芽・井上真央
 山本美月・加藤あい・柳ゆり菜・本田翼・深田恭子・桜井日奈子・川栄李奈・波留

 O型女性は北川景子や中條あやみのように小顔で色白、ロングストレートの黒髪がよく似合う。
 ほかにも、かつては広末涼子、深津絵里、優香、上戸彩らがO型を代表する女優だった。

 AB型 俳優

 勝地涼・野村周平・片寄涼太・DAIGO・鈴木伸之・岡田将生

 かつては三浦友和、堤真一、反町隆史らがいた。

 AB型 女優

 高畑充希・永野芽依・橋本環奈・佐々木希・水川あさみ・木村文乃・広瀬すず・
 広瀬アリス 

 かつては松下奈緒、菅野美穂、小西真奈美、鈴木杏樹、戸田恵梨香、酒井美紀らがいた。

 

2019年3月13日 (水)

心に沁みる曲

 人は誰にでも好きな歌があるし、人生の応援歌にしている曲がる。大げさかもしれないが、「Youtube」のコメントを見てみると、この曲のおかげで自殺を思いとどまったとか、苦しい時にこの歌を聴いて頑張れたなど。私は浪人生活を送っていた明日をも知れぬ苦しい時期に、聴いて励まされたのが「夜明けの仲間たち」だった。この歌は、深夜3時から5時までTBSラジオで放送していた「いすゞ歌うヘッドライト」のエンディングで流れていた。夜通しで受験勉強を終え、うっすらと空が明けて来た頃に流れ、また新しい一日が始まると実感できた。朝日が激励してくれているように思え、元気を貰っていた。
 今日は、私が半世紀以上生きて来た中で、5曲取り上げたい。

 1 生きがい by 松山千春

 中学生の頃、ニューミュージックブームにあやかってギターを弾いていた私。唯一の趣味でもあり取柄だった。音楽の授業で、今をときめくクリエイティブディレクターの箭内道彦と一緒にクラスメートの前で弾き語りを披露したこともあった。その時に声を張り上げて歌ったのがこの「生きがい」だった。周囲が私の存在を認めてくれたようで嬉しかった思い出があった。

 2 19のままさ by 浜田省吾

 大学生の頃は「浜田省吾」とバイク一色の生活だった。この曲は私が予備校に通っていた状況と一致して、北海道のアパートの部屋やバイクで走行中にイヤホンでよく聴いてツーリングしていた。あの頃が一番輝いていた時期だったかもしれない。この歌と同じ19歳。浪人が人並み(一浪)と言われていた受験戦争が激化していた時代。本当に、来年の今頃は「大学生になれているのか」と不安に駆られ、未来に怯えながら暮らしていた。

 3 乾杯 by 長渕剛

 社会人になって、何をするにも10人ほどの友人グループで行動していた20代。飲み会、ドライブ、ディズニー、更には山梨の高原でのテニス、プールバーでビリヤード、そしてしょっちゅうアーケード街にある「One Day」という名のカラオケバー。そこで持ち歌(十八番)としていたのが長渕剛の「乾杯」と尾崎豊の「I Love You」、HOUNDDOGの「ラストシーン」だった。

 4 ラストシーン by HOUNDDOG

 この曲は、結婚まで考えた4つ下の当時、女子大生だった彼女と一緒に過ごした日々を回想させてくれる。週末は毎週のように一緒に過ごしたが、いつしか遠距離恋愛はすれ違いが多く、彼女が就職したのを契機に、疎遠になり、別れてしまった。いわば失恋ソングにもなったのがこの曲だ。ほろ苦くも甘酸っぱい元カノとの想い出がたくさん詰まった曲だ。

 サザンオールスターズの「涙のキッス」も私にとっては忘れがたい名曲だ。彼女と別れた時に流行していた曲で、歌と同じ情景を体験した。

 5 家路 by 浜田省吾

 浜田省吾は私が大好きなシンガーで、特に「Sand Castle」というアルバムは、私にとって人生のバイブルと言えるほどの影響を与えてくれた。人生の応援歌といっても過言ではないと思う。
 この「家路」はずっと後にリリースされたが、歌詞の中にある「どんなに遠くても辿り着いて見せる」という部分に、いったいどれだけの人が勇気づけられ、生きる活力を貰ったことかしれない。
 「Youtube」の動画のコメントを見ると、この曲に励まされ、苦難の時代を乗り越えた経験談が多数寄せられている。

 1 トラックに乗って30年目の秋に慢性腎不全になり緊急入院し透析が必要な体に。仕 
  事を失い夢も希望もなくしてた時、この曲を聞いたらこみあげてくるものがあり涙が....思
  い切り泣いた。そして勇気をもらい前向きになれて社会復帰して10年。負けそうな時も
  あるけどこの曲を聞いて頑張れます。

 2 2005年、ミスチルの桜井和寿さんがこの曲の後に泣きながら「HERO」を歌っていたけ
  ど、桜井和寿さんにとって浜田省吾さんがHEROなんだなと確信した。

 3 まだ、この動画見ている方いらっしゃいますか? 母が亡くなってから10年。母がずっ
  と好きだったこの曲当時子供の僕にはこの曲の良さがわからなかった。10年経った今
  ようやくこの曲の良さに気が付いたかもしれない。自分が途方に暮れたり、どこに向
  かっているか分からない時この曲を聴いて天国の母の事を思い出し前に前に進めるこ
  とができています。浜省ありがとう。

 4 今、52歳。この曲を聴くと、18歳のころが鮮やかによみがえる。その頃、偏差値35、
  机にへばりついても、変化なし。いつもつらかった。でも、つらいときにこの曲を聴いて
  いた。夕方になると、夕焼けを見に行った。2年かかったけど、偏差値は30上がった。で
  もMARCH止まりだったけど。この曲のおかげだ、この人生は。

 さて、良い歌は世代を超えて歌い継がれることがよくわかる。生きがいはもう40年以上も前の曲だし、今久し振りに聴いても感動する。歌は人生そのものの代弁者であって、生きる希望なのかもしれない。
 たぶん私自身も、死ぬ寸前までこの曲を歌い愛し続けることだろう。

2019年3月10日 (日)

お知らせ

 3月10日(日)~3月12日(火)3日間は、東日本大震災から8年目にあたるため、追悼期間、および休養期間とし、新出記事のアップをお休みします。ご了承ください。

2019年3月 9日 (土)

今聴いても笑えるコミックソング

 1980年代はいろいろなジャンルの楽曲が世に出た。それはバブル特有の華やかさと共に、何をやってもウケた時代だ。その後の不況を考えると、今の30代以下の方々には俄かに信じられないかもしれないが、アイドル、バンド、ありとあらゆる音楽も、まるでその当時の世間を代弁しているかのように、そんな心も物質的にも豊かな時代にあって、私が目をつけたのは、笑える「コミックソング」で、30年以上も前なのに、今見ても笑えてしまう、そんな曲を紹介したい。

 1 俺ら東京さ行ぐだ   by  吉幾三

 この曲は1984年のヒット曲だが、私が北海道に住んでいた頃に流行った。その翌年に、東京に引っ越したので、まさにこの曲の歌詞と境遇がドンピシャだった。
 私の同じ郷里の友人は、2月の雪まつり時に、札幌テレビ塔のジュークボックスで、この曲をかけてドヒンシュクを買った。周囲はカップルだらけで、カクテル光線に照らされた雪像に見とれ、誰もがその甘い雰囲気に酔いしれていたのに、それを一瞬でブチ壊したからだ。
 それほど吉幾三のこの曲はインパクトが大きかった。さらに笑えたのは、せっかくベストテン入りし、生放送で歌うことになったのに、冒頭部分で歌詞を度忘れして、途中で演奏がストップし、もう一度最初から歌い直した一件だ。共演者はずっこけたが、彼だから許された一幕だった。

 2 ゆけ!ゆけ!川口浩 by 嘉門達夫

 テレビ朝日の水曜スペシャルで放送していた人気番組「川口探検隊」シリーズ。これを思い切り小ばかにしたパロディソングにして歌ったのが嘉門達夫のこの曲。歌詞がイチイチ笑える。
 さぞかし強面の川口浩の怒りを買ったと思いきや、真っ先に嘉門が謝ったら、寛大にも許し、それどころか、彼のお墨付きをもらったという。それくらい昔の大御所俳優は度量が広かった。

 3 さよなら人類 by たま

https://www.youtube.com/watch?v=hw7oAFoddiE

 こちらは1990年代にリリースされた楽曲だが、山下清バリのランニングシャツ一枚に身を包んだメンバーが、悪びれることもなく、この曲を演奏した。
 当時一大ムーヴメントを引き起こし、若手バンドの登竜門ともなったTBS系音楽番組『平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国』の14代目イカ天キングとなったたまのメジャーデビュー作。イカ天では二週目に披露され、たまの音楽性の幅の広さを印象付けた。
 サビのメロディは、ホルストの作曲した組曲「惑星」のなかの第4曲「木星」から着想を得た。歌詞に「今日人類が初めて木星についたよ」と「木星」が出てくるのはこのため。
 オリコンシングルチャートで初登場1位を記録。翌週以降も4週にわたり週間TOP5を維持し、登場6週目で返り咲き1位を記録した。

 4 林檎殺人事件

 TBS系列のアットホームドラマ「ムー一族」から生まれた、郷ひろみと樹木希林の2人組ユニットの曲。このコンビはその前にも「お化けのロック」という曲を出して一世を風靡したが、この曲はベストテン入りするほどの大ヒットとなった。
 郷ひろみは若い女性に大人気の歌手だったが、不思議と樹木希林が相手だと、嫉妬もやっかみも起きなかった。名コンビだったと思う。

 ほかにもこの時代には、今も使われているがアニメ「ちびまる子」ちゃんのオープニング曲の「おどるポンポコリン」(B・Bクィーンズ)があった。

 さて、今日の記事はアラフォー以上の方しかわからないかもしれない。歌は時代を映す鏡というが、まさに、豊かな時代の象徴であり、経済的にも余裕があって、遊び心満載感が漂う曲だらけだ。

2019年3月 8日 (金)

我が愛しき青春時代ユニット

 今日は、ミーハー極まりない記事内容だが、私が高校生、大学生の頃に流行った女性グループで、当時私もお気に入りだったユニットを5組紹介したい。

 1 BaBe

 1980年代後半に活動した日本の女性デュオ、タレントである。1987年に、当時流行だったユーロビートのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。激しいダンスを踊りながら歌うスタイルで人気を得た。1990年3月31日に解散。
 メンバーは近藤智子と二階堂ゆかりで共にO型。

 2 Mi-Ke

https://www.youtube.com/watch?v=2jf5qfZTrrw

 アイドルグループとしては1991年にデビュー。B.B.クィーンズの音楽コーラス隊「B.B.クィーンズシスターズ」として誕生し、後に単独のアイドルグループとしてデビューした。グループ名の由来は当時ヒットした「たま」をもじり、メンバー3名の個性を活かして三毛猫から取っており、白が宇徳敬子、茶色が村上遥、黒が渡辺真美というように色が分けられていた。

 ビーイングのサウンド、アレンジ、パロディを含めたプロデュースが光り、日本レコード大賞、日本有線大賞、全日本有線放送大賞(現・ベストヒット歌謡祭)、日本ゴールドディスク大賞と各音楽賞の最優秀新人賞を総ナメにし、『第42回NHK紅白歌合戦』(「想い出の九十九里浜」)にも出場。

 3 セイントフォー

 

 岩間沙織、浜田範子、鈴木幸恵、板谷裕三子の4人組ユニットで、宇宙服のような奇抜なコスチュームと曲間にバック宙などを取り入れたアクロバティックなパフォーマンスが話題になった。
 1982年「あなたもスターに!」というプロダクションのダイレクトメールに応募して、約3万人の中から選ばれた4人。結成当初は岩間、鈴木、他2名(幻のメンバー)による通称「四人組」としてレッスンをスタートしたが、他2名がグループ活動を辞退したため、浜田、板谷が加入しオリジナルメンバーとしてデビューを果たした。

 彼女たちの成功により、類似グループで「スターボー」というテクノカットの女性ユニットもデビューした。

 4 きゃんきゃん

 1982年から1983年にかけて活動した女性3人組アイドルグループ。 一番人気があった超美形の山本博美(動画の一番右)は、現在、京本政樹夫人だ。「ミントタイム」のMCとしても活動した。ほかに唐沢美香、桜井直美がメンバーだった。
 「キャンディーズ」を意識したかのように「超ミニスカート」によるダンスと歌で、当時の中高生にはやや刺激が強かった。

 5 おかわりシスターズ

 PV= https://www.youtube.com/watch?v=Xy4DxggUFaI

 ご存知、土曜日の深夜、終了時刻未定の女子大生たちがバカ騒ぎする「オールナイトFuji」から生まれた、3人組ユニット。当時、三者三様だったが、この3人が光っていた。山崎美貴(AB型)、松尾羽純(B型)、深谷智子(O型)らのユニットで、CDデビューも果たした。この番組が「女子大生ブーム」の火付け役となった。私は松尾羽純が大好きだった。
 そして「恋をアンコール」、「瞳にキスして」、「虹色のカノン」と立て続けにCDをリリースしたが、私は3作目の「虹色のカノン」が気に入っていた。
 彼女たちのブームで、その後、「夕やけニャンニャン」がスタートし、高校生素人アイドルの「おニャン子クラブ」が誕生し、女子高生ブームへと受け継がれた。

 他にも気が多い私が、好きになったユニットは、アルペンのCMで人気曲となった「あいにきて I・NEED・YOU!」をリリースした「GO-BANG'S 」。

 さて、現在の50代には懐かしかったと思うが、当時は20代。アイドルを本気で好きになっていた時代だ。彼女たちは同世代かやや下の年代なので、同じ50代になっていると思うが、こんな若かりし頃、輝いていた時代があったことを、お互いに懐かしんでみたいと思い、この記事を執筆した次第です。

2019年3月 7日 (木)

郡山は「帰れる場所」

 我が愛する街「郡山」出身の若手タレントに「箭内夢菜」さんがいる。最近も菅田将暉主演のドラマ「3年A組ー今から皆さんは、人質です」に出演している。
 彼女が郡山市の「広告塔」になっているプロモーションビデオを郡山市が制作した。これを見ると、故郷を離れ、都会で頑張っている方々が、帰郷した際には同じ思いになるだろうと察しがつく。そして共感してこのVTRを見ることだろう。
 では早速どうぞ!

 前編(上京編)

後編(帰郷編)

 

 高校卒業後、夢に向かって首都圏に進学する女性を通して、故郷郡山で働く友人との会話や家族の温かみなどをドラマ風に構成した郡山市シティプロモーションビデオ後編。主演:箭内夢菜。出演:白羽ゆり、宮川一朗太、浅野涼ほか

 何か郷愁を誘い、懐かしい気持ちになる。ふるさとは今も変わらない。「帰れる場所がここでよかった」。何かずっしり来る重みのある言葉だ。

 私自身も大学生の頃に郡山を離れ4年間、都会で過ごした。そして社会人になって、会津に1年間住み、その後、いわき市にも4年間住んだが、郡山がどう変わってしまったかが気がかりでならなかった。この30年の間にも、郡山市内は変わった。それまであるのが当たり前だった店が無くなっていたり、そこに住み、暮らしていた人も天国へと旅立って行った。
 一例を挙げると、

 無くなったもの・・・日東紡績第一、第二工場、セントラルホール、ミナミボウル、
            パラマウント硝子、インテリアダイイチ、カラオケヒットスタジオ、
            丸井、東北書店、西友(西武)、丸光、ダイエー(トポス)、角海老、
            電気店(イセヤデンキ・電激倉庫(庄司でんき)・第一家電・そうご電器・
            よつば電機・デンコードー)、ビバホーム安積店・横塚店、かっぱ寿司
            さくら通り店、ブックオフさくら通り&新さくら通り店・津野デパートほか  

 新たにできたもの・・・ビッグアイ・ビッグパレット、ザ・モール郡山、イオンタウン、
             ジャスコ、うすい百貨店、ホテルハマツほか

 

 「ふるさとは遠くにありて思うもの」という言葉があるが、故郷を離れてみて初めてそのありがたみや大切さが身に染みてわかる。たぶん、大都市で過ごしている方も、時々、故郷に帰りたくなるはずだ。やっぱり我が家(実家など)は落ち着くし、変な気兼ねは無用だ。心から安心できる場所、それが故郷なのだと想う。
 まもなく震災から丸8年が経過する。時の流れは早いが、農業・水産業・畜産業・酪農などの第一次産業は未だ発展途上にある。風評被害も甚だしい。これからが福島県民の踏ん張りどころで、名実共に復興が成し遂げられるよう、県民が一丸となって努力を継続しなければならない正念場と言える。

 

 当ブログは、原則的にはコメントを受け付けませんが、この記事について郡山を愛し、共感して頂ける方のコメントをお願いします。

 

 

2019年3月 6日 (水)

全国名字ランキングで思いつく有名人

 日本でもっとも多い苗字は「佐藤」さんなのだそうだ。佐藤という姓は、実は豪商の藤原一族の血筋だとか。だから性格的に明るく社交的な人が多い気がする。
 次に多いのは東日本北日本でもっとも多い姓で、「鈴木」さんだ。こちらは西日本や九州では極端に少なく、元は「神主」なのだそうだ。だから佐藤さんと比べても、鈴木さんは堅物で真面目な人が多いのはそのせいだ。
 しかし、日本全国の姓を見たときに、トップ10に入るものは、意外に大物感は薄い気がする。ではそう思える根拠を示したい。私の個人的見解だが、日本のトップ50の姓で有名な方を5人ずつ挙げて検証してみたい。区分はスポーツ選手と、芸能やタレント・文化芸術などの著名人としたい。

 スポーツアスリート

 1位 「佐藤」 
  ① 栄作 ② 健 ③ 浩市  ④ 義則  ⑤ 栄佐久 

 2位 「鈴木」
  ① イチロー ② 保奈美 ③ 尚典 ④ 杏樹 ⑤ 大地 

 3位 「高橋」 
  ① 尚子 ② 良伸  ③ 英樹 ④ 大輔  ⑤ みなみ

 4位 「田中」
  ① 角栄  ② 将大  ③ 好子  ④ 圭 ⑤ 眞紀子

 5位 「渡辺・渡邊」 
  ① 麻友 ② 徹 ③ 謙  ④ 裕之 ⑤ 満里奈

 6位 「伊藤」
  ① 蘭  ② 英明  ③ さやか  ④ つかさ  ⑤ 智仁

 7位 「山本」
  ① 寛斎 ② 浩二  ③ 五十六 ④ 直純  ⑤ スーザン久美子

 8位 「中村」
  ① 雅俊  ② 勘九郎 ③ 俊輔 ④ 剛也  ⑤ 紀洋

 9位 「小林」
  ① 旭 ② 幸子 ③ 繁  ④ 亜星 ⑤ 麻央

10位 「加藤」
  ① 茶  ② 綾子 ③ ローサ  ④ あい  ⑤ 浩次

11位 「吉田」 ① 茂 ② 栄作 ③ 拓郎 ④ 沙保里 ⑤ 真里子

12位 「山田」 ① 太郎 ② 久志 ③ 哲人 ④ 太一 ⑤ 涼介

13位 「佐々木」 ① 小次郎 ② 希 ③ 健介 ④ 主浩 ⑤ 蔵之介

14位 「山口」 ① 百恵 ② 智子  ③ 高志 ④ 達也 ⑤ 智充

15位 「斎藤」 ① 工 ② トレンディエンジェル ③ 洋介 ④ 佑樹 ⑤ 飛鳥

16位 「松本」 ① 人志 ② 志乃ぶ ③ 哲也 ④ 潤 ⑤ 伊代

17位 「井上」 ① 順 ② 純一 ③ 靖 ④ 陽水 ⑤ 真央

18位 「木村」 ① 拓哉 ② 拓也 ③ 佳乃 ④ 文乃 ⑤ 多江 

19位 「林」 ① 修 ② 寛子 ③ 真理子 ④ 芙美子 ⑤ 隆三

20位 「清水」 ① 宏次朗 ② 富美加 ③ 次郎長 ④ 健太郎 ⑤ 国明

21位 「山崎」 ① 賢人 ②ザキヤマ  ③ 武司 ④ まさよし ⑤ 豊子

22位 「森」 ① 進一 ② 昌子 ③ 光子 ④ 昌彦 ⑤ 公美子

23位 「阿部」 ① 寛 ② サダヲ ③ 慎之助 ④ 詩 ⑤ 祐二

24位 「池田」 ① 勇人 ② エライザ ③ 満寿夫 ④ 貴族 ⑤ ダン

25位 「橋本」 ① 環奈 ② ③ マナミ ④ 龍太郎 ⑤ 真也

 26位以下はくっつけて発表します。

26位 「山下」 ① 達郎 ② 智久 ③ 大輔 ④ 泰裕 ⑤ 真司
27位 「石川」 ① 佳純 ②五右衛門 ③啄木 ④ さゆり ⑤ ひとみ
28位 「中島」 ① みゆき ②美嘉 ③ 知子 ④ 翔哉 ⑤ 美春
29位 「前田」 ① 敦子 ②健太 ③ 利家 ④ 日明 ⑤ 吟
30位 「藤田」 ① 朋子 ② 俊哉 ③ 平 ④ 弓子 ⑤ 元司

31位 「小川」 ① 彩佳 ② 知子③ 法子 ④ 菜摘 ⑤ 直也
32位 「後藤」 ① 久美子 ② 真希 ③ 輝基 ④ 武敏 ⑤ 次利
33位 「岡田」 ① 奈々 ② 准一 ③ 彰布 ④ 真澄 ⑤ 有希子
34位 「長谷川」 ① 博己 ② 町子 ③ 穂積 ④ 一夫 ⑤ 滋利
35位 「村上」 ① 弘明 ② 春樹 ③ 里佳子 ④ 信五 ⑤ ショージ

36位 「近藤」 ① 正臣 ② 真彦 ③ 春菜 ④ 勇 ⑤ サト 
37位 「石井」 ① ラサール ② 竜也 ③ 琢朗 ④ 優希 ⑤ 杏奈
38位 「斉藤」 ① とも子 ② 由貴 ③ マサ ④ 和巳 ⑤ 慶子
39位 「坂本」 ① 龍馬 ② 冬美 ③ 勇人 ④ 龍一 ⑤ 九
40位 「遠藤」 ① 周作 ② 実 ③ 憲一 ④ 保仁 ⑤ 久美子 

41位 「青木」 ① さやか ② 宣親 ③ 功 ④ 裕子 ⑤ 愛
42位 「藤井」 ① フミヤ ② 美菜 ③ 聡太 ④ 隆 ⑤ リナ
43位 「西村」 ① 知美 ② 雅彦 ③ 京太郎 ④ 和彦 ⑤ 晃
44位 「福田」 ① 赳夫 ② 麻由子 ③ 沙紀 ④ 彩乃 ⑤ 典子
45位 「太田」 ① 裕美 ② 光  ③ 雄貴 ④ 緑子 ⑤ 幸司

46位 「三浦」 ① 友和 ② 知良 ③ 大知 ④ 春馬 ⑤ 翔平
47位 「岡本」 ① 太郎 ② 真夜 ③ 玲  ④ 綾  和真 ⑤ 夏生
48位 「松田」 ① 聖子 ② 優作 ③ 翔太 ④ 龍平 ⑤ 悟志
49位 「中川」 ① 昭一 ② 大志  ③ 真理子 ④ 一郎 ⑤ 家
50位 「中野」 ① 浩一 ② 美奈子 ③ サンプラザ ④ 英雄 ⑤ 信子

 思い浮かべる有名人が古くて、今の若い人は知らない人が多かったに違いない。こうしたイメージで年齢がバレバレになってしまう。

 
 

2019年3月 5日 (火)

日本人トッププレーヤーは外国人?

 「人種問題」に関わるため、あまり声を大にして言えないが、世界で活躍する日本人トッププレーヤーには、元を正せば外国人だったり、ハーフだったりすることをご存知でしょうか。
 もちろん、正式に日本国籍を取得し、日本人であることに間違いはないのだが、純粋な日本人とは言い難い部分もなきにしもあらずだ。身体能力が日本人とは異なっており、だから世界を相手に活躍できるものと推察できる。
 では、本日の本題である検証をしていきたい。

 1 王 貞治

 ご存知、「世界のホームラン王」。長嶋茂雄のように天才肌ではなく、荒川コーチと二人三脚で厳しい練習に耐え、努力を積み重ね、「一本足打法」を確立した。そして見事、868本本という前人未到の大記録を樹立したのだった。
 しかし、彼は純粋な日本人ではなかった。父親は中華料理屋を営み、台湾出身であった。したがって、王貞治選手もまた台湾国籍であった。よって、早稲田実業高校1年生でエース。甲子園優勝投手になったが、その後の国体には国籍の関係で出場できなかった。
 だから今でも台湾球界では、王選手をリスペクトして止まないのはそのためだ。

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 2 張本 勲

 日本で初めて3,000本安打を達成し、「安打製造機」の名をほしいままにした。
 今でこそ、野球解説者として好き放題語る論客で、どんなに陰で努力をしても、1位以外は絶対に認めない、結果第一主義の厳格者だ。2位以下は「喝!」を入れまくり、自分以外の功労者を讃えない自己中ぶりは聞くに堪えない。私は彼は、「老害」以外の何物でもないと考えている。
 あの歯に衣を着せぬ強烈なものの言いようは、日本人の謙虚さや慎ましさを著しく欠いていると誰もが思ったことだろう。それもそのはず、彼は在日韓国人だからだ。日本を徹底的に批判し、いちゃもんのオンパレードで、当り構わずケチをつける国民性そのものだ。
 唯我独尊で、自分自身がこの世で一番偉いと思い込んでいる独裁者の類だと思っている。
だから、昔式のスパルタで、選手を罵倒し、チーム内不和の元凶となる恐れが高いため、監督はおろか、コーチ招聘のお呼びすら掛からなかったのはそのためであろう。

Harimotoisao

 3 大阪なおみ

 彼女はアメリカ人(黒人)の父と日本人の母を持つハーフであった。今でも日米両国の二重国籍取得であり、東京五輪代表になるには、どちらか一方の国籍に絞る必要がある。
 昨年の全米、今年の全豪を制し、グランドスラムに最も近いプレーヤーであることに疑う余地はない。事実、彼女は世界ランク1位に君臨した。
 しかし、アメリカ人の父親譲りの強靭なフィジカルの持ち主である反面、精神面が弱い部分があり、これが勝敗を大きく左右する。メンタルは些細なことで思い悩む部分は日本人っぽいところがある。
 これまで精神的な支えであったコーチが彼女の元を離れ、彼女は精神面を立て直すことが出来ず、次戦は初戦敗退となった。実にわかりやすい。
 今後、彼女と対戦する選手は、メンタル面に付け込んだり、焦らし戦法で自滅を待つプレースタイルに変えてくるかもしれない。私は彼女はこれからが真価が問われるし、正念場と見ている。

Ohsakanaomi

 4 張本智和・美和兄妹

 「張本」という名前でもわかる通り、「張(チョー)」さんというのは中国名であることが多い。事実、両親は中国四川省出身の中国国籍であり、2014年に日本へ帰化している。

 しかし、弱冠15歳にして、世界大会で優勝した腕前だし、日本の第一人者の水谷準選手にも4勝1敗と大きく勝ち越している。東京五輪では、メダル候補に挙げられている。

 それ以上に実績が凄いのが実の妹の「美和」で、大会では高校生を倒すほどの腕を持つ。年齢制限で東京五輪は出場できないが、いずれ、日本女子卓球界を背負って立つ存在になることは間違いない。

Harimototomokazu Harimotomiwa

 5 ケンブリッジ飛鳥

  陸上大国ジャマイカ生まれの日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。100mで10秒08、200mで20秒62の自己ベストを持つ。2016年リオデジャネイロオリンピック4×100mリレー銀メダリスト。オリンピックではアンカーを務め、ウサイン・ボルトに次ぐ2位でゴールテープを切り、一躍ヒーローとなった。

Kenbridge

 さて、少しは今日の記事を選んだ意図を汲んで頂けたでしょうか。不思議なことに、今日取り上げた5人(6人)は、大坂なおみは不明だが、いずれも血液型がO型という共通点がある。私は球技はO型に勝てないと思っている。それは欧米や南米は大半がO型で占有しており、陸上や球技(アメフト、メジャーリーグ、NBA)などの一流アスリートの大多数がO型であることで証明がつく。
 O型は動体視力に優れているし、目標達成のためには労苦を厭わない、バイタリティ溢れる性格であることも強みだ。
 他にも卓球では、平野早矢香、伊藤美誠、石川佳純、平野美宇はO型だ。
 陸上では、桐生祥秀や末續慎もO型。

 悲しいかな、彼らも日本を代表するアスリートに相違ないが、体力的に勝る外国の血が入ってこその身体能力だった。

 

2019年3月 4日 (月)

国民的スターと言えば

 「国民栄誉賞」というのがあるが、選定基準がイマイチはっきりしない。オリンピックでマラソン金メダルの高橋尚子は選ばれているのに、五輪2大会連続競泳金メダルの北島康介や柔道3連覇の野村忠宏がもらえない不思議。
 ほかにもある。美空ひばりは国民栄誉賞受賞者だが、渥美清や石原裕次郎は貰えない。どちらも昭和を代表する大スターなのに・・・。
 まだまだあら探しをすれば、森繁久弥や森光子(ともにB型)は受賞したのに、三船敏郎や高倉健は貰えない。
 ほかにも大御所歌手の北島三郎、美人女優として昭和の映画界を支えた吉永小百合、今も伝説となっている山口百恵、ロックの矢沢永吉など、その道のカリスマたちが受賞できていない。

 そこで私が独断と偏見で選ぶ、世代を越える総合的な国民的スターを発表したい。

 1位 明石家さんま B型  お笑い芸人
 2位 イチロー B型     メジャーリーガー
 3位 長嶋茂雄 B型     ミスタープロ野球
 4位 王貞治 O型      世界のホームラン王
 5位 高倉 健 B型     寡黙な名優 
 6位 美空ひばり O型    歌姫(お嬢)
 7位 サザエさん(長谷川町子)B型 (国民的アニメ番組)
 8位 石原裕次郎 A型   日活の大スター
 9位 力道山 AB型     戦後活躍したプロレスラー
10位 浅田真央 B型     フィギュアスケーター

 トップテンはB型が圧倒で6人がランクイン。やはり目立つ。次いでO型2人。A型とAB型は1名ずつに過ぎない。B型の才能はやはり突出している。通り一遍等ではなく、アドリブが利くし、マイペースで個性的な性格が、結果的に周囲には特異な目に映るようだ。

11位 木村拓哉 O型   元SMAPで世代を越えてファンが多い国民的スター
12位 山口百恵 A型   伝説のスター
13位 大谷翔平 B型   二刀流のプロ野球選手
14位 安室奈美恵 O型 沖縄が生んだ大スター
15位 ピンクレディー A型とO型 社会現象にもなったユニット歌手
16位 羽生結弦 B型   オリンピック2連覇のフィギュアスケーター
17位 渥美 清 B型    「男はつらいよ」シリーズ フーテンの寅さん役
18位 吉永小百合 O型  昭和を代表する女優 銀幕のスター
19位 ドラえもん (藤本O型、我孫子B型) 国民的アニメ番組
20位 高橋尚子 O型  シドニーオリンピックで女子マラソン界初の金メダル

 キムタクは日本を代表するスターで、アジアでも大人気だ。ここでもO型とB型ばかりが目立つ。才能が群を抜いている。

21位 アントニオ猪木 AB型  昭和を代表するプロレスラー
22位 手塚治虫 A型       昭和を代表する漫画家
23位 福原 愛 B型               卓球少女として幼少の頃から国民の注目の的
24位 ジャイアント馬場 O型  昭和を代表するプロレスラー
25位 サザンオールスターズ(桑田A型・原B型ほか) ロングランで活動するロックバンド
26位 田中将大 A型    楽天では無傷の24連勝 ヤンキースでもエース級  
27位 北島康介 B型    アテネ・北京オリンピック2連覇 流行語を生んだ 
28位 ビートたけし O型  北野武ネームで映画監督としてカンヌ映画祭受賞
29位 SMAP (木村・稲垣O型、中居・草なぎ、香取A型)  
30位 綾瀬はるか B型   現在、日本を代表する国民的女優 

31位 田中角栄 B型  昭和の名相 金脈政治で人間ブルドーザーと呼ばれた
32位 タモリ O型    笑っていいともを長年続けたエンターティナー
33位 内村航平 A型  19歳から日本の体操界のエースに君臨した。
34位 キャンディーズ(伊藤・藤村O型、田中A型)
35位 沢村 忠 ?型 キックボクサー 真空飛び膝蹴りで相手を瞬殺した「キックの鬼」
36位 渡 哲也 B型  石原軍団の要 西部警察で活躍
37位 千代の富士 A型  ウルフと呼ばれた昭和の大横綱 早くに亡くなった
38位 嵐 (大野・櫻井・松本・二宮A型、相葉AB型) 国民的スター
39位 谷  亮子 B型 YAWARAちゃんとして中学時代から頭角を現した柔道家
40位 野茂英雄 B型 日本人メジャーのパイオニア ドクターK トルネード投法

41位 松任谷由実 O型 ユーミンとして世代を越えて愛されるシンガー
42位 松井秀喜 O型   日本を代表する平成のスラッガー ワールドシリーズMVP
43位 星野仙一 AB型  燃える男としてONに立ち向かった 中日・阪神・楽天で優勝 
44位 安倍晋三 B型   間もなく首相在位日本一に
45位 所ジョージ O型    バラエティのMCでは右に出る者はいない
46位 三浦知良 A型   カズ 50歳を越えた今でも現役バリバリのJリーガー
47位 荒川静香 O型   トリノ五輪で日本人初のフィギュア金メダリスト
48位 松坂大輔 O型    平成の怪物 甲子園決勝でノーヒットノーランを達成
49位 吉田 茂 O型    戦後復興に貢献した総理大臣 バカヤロー解散は有名
50位 AKB48グループ(乃木坂・欅坂ほか) 平成のアイドルグループ

 不思議だが、日本人の38%を占めるA型は際立った活躍をする方は少ない。真面目で勤勉だが個性に欠けるのがネックか。

 以上、独断と偏見で勝手に国民的スターを列挙したが、芸能分野、政治の分野、スポーツの分野など、さまざまな分野で活躍する方々を一堂に集めてみた。しかし、一般的な日本人の感情とさほどの差異は無いものと考えている。
 冒頭で、国民栄誉賞の不可思議な選考基準の話をしたが、このような不可解な選考基準なら無くしてしまったほうがいい。もしやるなら、国民投票で選んだ方が、誰も文句は言わないだろう。野球の殿堂入りのように、候補者を何人かピックアップして、入れ札制にして選んだ方が間違いが起きない。ぜひ、総務省には英断をお願いしたい。

2019年3月 3日 (日)

今は亡き三大歌姫

 平成が間もなく終わりを告げようとしている。20代から50代までを過ごし、昭和の24年を越え、もっとも長い時代を生きた勘定となる。だから思い入れも一入あるこの時代にあって、特に音楽の分野で多大な功績を遺した歌姫がいる。
 私が個人的に大好きで、そして私の今の年齢よりも若くして惜しまれつつ亡くなった歌手だ。それは「美空ひばり」「テレサ・テン」、そして「坂井泉水」だ。今日は彼女たちの存在を偲び、彼女たちがこの世に遺した楽曲で大好きだった歌を映像で振り返りたい。

 1 美空ひばり

 戦後、幼少の頃から銀幕のスターとして活躍した「お嬢」。しかし、華やかなスター街道とは裏腹に、私生活では最愛の家族を次々失う不幸や離婚、そして病魔との闘いを強いられ、浮き沈みの激しい人生だった。52歳没。もし生きていれば今年83歳だった。
 
 私が好きな楽曲ベスト5は
 1位 みだれ髪
 2位 川の流れのように
 3位 愛燦々
 4位 真っ赤な太陽
 5位 悲しい酒

 血液型はO型

 2位 テレサ・テン

 台湾出身の歌姫。ジュディオングと並んで70~80年代に日本でも活躍した。私は彼女の顔も好きだったが、やはり歌声は他のアイドル歌手などとは一線を画していた。それが証拠に、今もなおカラオケで歌い継がれる名曲が数多く存在する。ムード歌謡に特化していた。
 彼女もまた最期は不可解な死に様だった。宿泊先のタイのホテルで死体となって発見された。死因は「気管支喘息」と断定されたが、謎の死と言われている。42歳で没。もし存命ならば今年、66歳になられていた。血液型はO型
 私は死ぬまでには台湾の金宝山にある、彼女の墓所を訪れてお参りをしたいと考えている。

 1位 別れの予感
 2位 時の流れに身をまかせ
 3位 つぐない
 4位 愛人
 5位 空港

 坂井泉水(ZARDのヴォーカル)

 1990年代を代表するユニットで、「名探偵コナン」のテーマソングを歌い上げていたZARDの坂井泉水さん。彼女が40歳という若さで天国へ旅立って早12年が経過しようとしている。もしご存命ならば今年52歳になっていた。血液型はA型

 私は彼女の顔も好きだし、あの美声も大好きだった。今でも発売中の「ZARD CD&DVD COLLECTION」を定期購読している。本来は52号で完結するはずだったが、大好評につき、67号まで延長された。それほど彼女の死を悼み、彼女の遺してくれた楽曲に今でも想いを寄せ居ていることの証明である。

 1位 心ひらいて
 2位 揺れる想い
 3位
 4位 永遠
 5位 負けないで



 私は6年前に、彼女の墓所を探り当て、墓参りを敢行した。そして彼女が不慮の死を遂げた、我が母校でもある慶應義塾大学病院の転落場所も訪れ、合掌して来た。生前にお会いできなかったが、それほど筋金入りのファンだったし、今でも通勤やドライブの車内のBGMはZARD一色だ。

  実は、私には映画関係者に是非制作して欲しい作品がある。それは、昨年、「Queeen」の「ボヘミアンラプソディ」が大ヒットしたが、この日本版は、ぜひZARDの坂井泉水を回顧する作品にして欲しい。ZARD誕生から覆面歌手として売り出した頃、そして絶頂期と謎の死までを一連の作品として描いてほしい。もちろん、坂井泉水役は「吉岡美穂」を起用して欲しい。
 

2019年3月 2日 (土)

私が好きになった歴代シンガー

 人は誰しもお気に入りの歌や人生の応援歌のような曲があると思う。私の半生の中で、歌は生活と直結し、切り離せないものになっている。自宅だけでなく、車内などでも時間があればBGMとして聴いている。それは私に限らず、多くの方がそうであるに違いない。
 今日の記事は、手前勝手ながら、自分自身の備忘録も兼ねて、私がこれまでの人生を振り返った時に、こよなく愛していたシンガーを取り上げたい。

  <中学時代~>

 1 アリス(谷村新司・堀内孝雄・矢沢透) 冬の稲妻・ジョニーの子守唄・チャンピオン
 2 風 (伊勢正三・山田パンダ) 22才の別れ なごり雪  ささやかなこの人生
 3 さだまさし 案山子・主人公・天までとどけ・関白宣言・親父のいちばん長い日
 4 松山千春 季節の中で 恋 長い夜
 5 ゴダイゴ  ガンダーラ モンキーマジック 銀河鉄道999
 6 オフコース 愛をとめないで Yes No 
 7 サザンオールスターズ  真夏の果実 涙のキッス TSUNAMI  蛍 希望の轍
 8 中島みゆき 時代 ひとり上手 悪女 地上の星 ヘッドライト・テールライト 糸
 9 ツイスト  宿無し 銃爪 燃えろいい女
10 八神純子 みずいろの雨 思い出のスクリーン パープルタウン
11 Y.M.O(細野晴臣・坂本龍一・高橋) テクノポリス・ライディーン・君に胸キュン
12 コスミックインベンション(中学生バンド) YAKIMOKI  コンピューターおばあちゃん



 <高校時代> 

13 C-C-B   ロマンチックがとまらない Lucky Chanceをもう一度
14 久保田早紀 異邦人
15 杉山清貴&オメガトライブ ガラスのPalm Tree 

 <大学時代~>

16 浜田省吾 19のままさ America  もうひとつの土曜日 家路

 <社会人 主に20代>


17 山下達郎  Ride on time  クリスマスイブ 
18 HOUND DOG  ff   Only Love  ラストシーン  涙のBirthday
19 松任谷由実  心ほどいて Destiny  Blizzard サーフ天国、スキー天国
20 チャゲ&飛鳥 恋人はワイン色 YHA YHA YHA 
21 稲垣潤一 ドラマチックレイン いちばん近い他人 クリスマスキャロルの頃に
22 大瀧詠一   恋するカレン 君は天然色 幸せな結末 
23 佐野元春 SOME DAY  Young Bloods   約束の橋
24 レベッカ フレンズ Lonely butterfly  Mabe Tomorrow Raspberry Dream
25 杏里 CATS EYE   Summer Candles
26 アン・ルイス  六本木心中 あゝ無情  WOMAN

 <社会人 主に30代>

27 村下孝蔵  初恋 踊り子 ゆう子  ロマンスカー
28 E.L.T 出逢った頃のように Time Goes By   Dear my friend
29 Dreams come true  何度でも 決戦は金曜日 未来予想図Ⅱ  
30 ZONE  Secret base  夢のカケラ・・・ H・A・N・A・B・I
30 WANDS 時の扉 世界が終わるまでは もっと強く抱きしめたなら
31 T-BOLAN 離したくはない サヨナラから始めよう Bye for Now すれ違いの純情
32 trf  EZ DO DANCE   寒い夜だから survival sAnce  BOY MEETS GIRL
33 竹内まりや 駅 告白 ドリーム・オブ・ユー 恋の嵐 September  シングルアゲイン 
34 B'z  Ultla Soul  裸足の女神 いつかのメリークリスマス
35 尾崎 豊  I Love You My Little girl 15の夜 卒業  シェリー
36 大黒摩季 あなただけ見つめてる 夏が来る ら・ら・ら   熱くなれ
37 小比類巻かほる Hold on me  Together   Tonight   Dreamer   City Hunter
38 高橋真梨子  はがゆい唇  for  you    ごめんね・・・  桃色吐息
39 ZARD  ゆれる想い 負けないで 心ひらいて 永遠
 

 <社会人 主に40代~>

40 河島英五 酒と泪と男と女 野風僧 元気ですか
41 椎名 恵 愛は眠らない LOVE IS ALL  今夜はエンジェル 
42 テレサ・テン つぐない 別れの予感 愛人  
43 槇原敬之   どんなときも。 冬がはじまるよ 遠く遠く Love Letter   素直
44 Mr.Children Hanabi  365日 Sign GIFT himawari
45 GReeeeN キセキ 遥か 扉 サクラColor  雪の音
46 Funky Monkey Babys  桜 告白 君がいない 涙 あとひとつ ありがとう
47 
コブクロ  サクラ 蕾  君という名の翼   赤い糸  Million films   YELL
48 ケツメイシ さくら 冬物語 東京 

 ほかにもTUBEも長渕剛、渡辺真知子、Princes princes、 My litte lover も好きなほうだった。

 このように年代と共に、聴く曲の趣向も変化して来た。少年時代、思春期、青春時代、独身時代、社会人時代、新婚時代、やがて親になり、そして子育てを終えて、退職が徐々に近づく年代になり、好きなシンガーも変化した。人生観を歌い上げ、共感できる歌詞やメロディーを好む傾向は否めない。
 まだ、人生を総括する時期ではないが、人生の峠を越え、備忘録としてここにしたためた次第だ。

 

2019年3月 1日 (金)

美しき70年代の若手女優たち

 今は結婚などで第一線を離れてしまったが、1970年代から80年代にかけて活躍していた若手美人女優たちがいた。テレビの連続ドラマや映画にも出演し、そこそこ人気も得ていたのに、突然に芸能界から去った印象がある。今日はそうした昔輝いていた女優さんを取り上げたい。

 1 竹井みどり

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 この時代、悲劇のヒロイン役とか、なぜか悩み多く、運命に翻弄される役柄とかが多かった。脇役の女王的な存在で、刑事ドラマにも多く出演した。また、犯人に襲われる汚れ役とか艶っぽい役も多かった。
 14歳で芸能界入りして、堀越学園在学中の1975年に銀河テレビ小説『ドラマでつづる昭和シリーズ2 青春』(NHK)でデビュー。そのほか、少年ドラマシリーズ『野菊の墓』(NHk)、『熱中時代 刑事編』(日本テレビ)などに出演して清純派女優の道を歩むが、1982年のにっかつロマンポルノ『キャバレー日記』で主演し新境地を開く。
1992年から『ミナミの帝王』(OV版)で演じた探偵・矢吹麻子役が当たり役となり、通算9年間出演した。また、幾度かイメージビデオや写真集がリリースされている。
 長野県諏訪市出身の血液型はA型で、59歳になられた。

 2 竹田かほり

 中学生の時に母親と街を歩いている時にスカウトされ、モデル活動を開始。1977年に東映『ピラニア軍 ダボシャツの天』にて川谷拓三の恋人役でスクリーンデビュー。1978年からにっかつ『桃尻娘シリーズ』で人気を得る。
 以後、明るく悲壮感のないお色気路線で映画・ドラマに出演。レギュラー出演した『探偵物語』では、ナンシー・チェニーと共にマスコット的な役割として画面に華を添えた。
 1982年、ミュージシャンの甲斐よしひろとの結婚・出産を機に芸能界を引退した。
 東京都出身で血液型はB型、昨年還暦を迎えられた。

 3 山本みどり

 東京女子大学短期大学部在学中より劇団夢の遊眠社に参加。
 1978年、ポーラテレビ小説『夫婦ようそろ』で主演デビュー。以後、テレビと舞台を中心に活躍。1986年に放映された東海テレビ制作昼ドラマ『ふれ愛』は台湾でも放映され人気を集めた。
 テレビドラマ『水戸黄門』では、1994年の時点でゲスト出演回数の女優部門で歴代3位にランクインしていた。 血液型はB型

 4 木之内みどり

 北海道小樽市に生まれる。9人兄妹の末っ子。15歳中学3年生のときに、日本テレビの「ミス・ティーン・コンテスト」に応募するが準優勝、望みは叶わず。
 1974年、「めざめ」で歌手としてデビュー、キュートな顔立ちと愛らしい歌声で人気を集めた。本業の歌手としてはレコードの売り上げが伸びないのにもかかわらず、ブロマイドが飛ぶように売れる怪現象を起こした。1976年、ヘアートリートメントのCMに出演し、お茶の間にも知名度を上げたが、歌手としてはなかなか成功できず、映画『野球狂の詩』(1977年)、テレビドラマ『刑事犬カール』(1977年 - 1978年)などに出演、女優として活躍した。またグラビアアイドルとしても人気が高く、篠山紀信撮影で知られる『GORO』の表紙を6回も飾った。

 1977年発売の『刑事犬カール』の主題歌「走れ風のように」や1978年2月発売の「横浜いれぶん」がようやくヒットしたが、1978年1月19日に放送開始した『ザ・ベストテン』にはランクインせず、『夜のヒットスタジオ』にも出演を果たせなかった。
 1978年9月、ベーシスト後藤次利との交際が発覚し、米国ロサンゼルスでレコーディング中の後藤のもとに、すべてのスケジュールをキャンセルして逃避行した。後藤は当時、元シモンズの玉井タエと婚姻関係にあった。同年9月11日、帰国ともに記者会見を開き、木之内は21歳で引退した。「子どものできるようなことはしていません」のセリフを残す。人気絶頂期の突然の引退に、芸能界のみならず一般でも一時期騒然となった。新曲は記者会見の10日後の発売であった。5年後の1983年、木之内は後藤と結婚したが、4年後の1987年に離婚した。
 1990年、俳優の竹中直人と再婚した。竹中との間に2人(1女、1男)の子供がいる。血液型はO型

 5 三浦リカ

Miurarika

 モデルのアルバイトで信用金庫のCMに出演した後、高校在学中の1974年に、キリンビール(後にキリンビバレッジに移る)の商品・キリンレモンの4代目CMイメージガールに選ばれ、芸能界デビュー。1975年から女優として本格的に活動を開始する。

 1976年、上村一夫の劇画を映画化した『サチコの幸』 (日活)では、ヒロインのサチコを演じた。 テレビドラマ『水戸黄門』では、最多出演のゲスト女優である。

 初の大役はよみうりテレビ木曜ドラマ『時雨の記』で、原作にはないわがままなお嬢さん役を演じた。血液型はA型

 6 小林麻美

 1972年、18歳の時、から「初恋のメロディー」で歌手デビュー。同期に麻丘めぐみ。「初恋のメロディー」はオリコン18位を記録したが、当時のアイドルに多く求められた、明るく無邪気に笑顔を見せる天真爛漫さとは対極にあるような、殆ど笑顔を見せずにうつむき加減、猫背で気だるそうに歌う小林の姿は異質にも映り、暗い印象を持たれた。1976年までに年に1枚程度のシングルをリリースするが売り上げは伸びず、アイドル歌手としては不向きとみた事務所の方針で歌手活動は自然消滅となる。

 小林の名が浸透したのは1970年代後半、資生堂、パルコなどのCMに起用されてから。特に1977年のパルコCM「淫靡と退廃」で、細い体や暗さが受け入れられた。
 1984年に8年ぶりに歌手として、海外のカバー曲「雨音はショパンの調べ」をリリースし、大ヒット曲となった。だが当時、歌番組で歌ったことは一度も無かった。
 1991年、所属していた事務所の社長の田邊昭知と結婚、家庭に入るため芸能活動から引退した。 血液型はO型 私は同じO型なの木之内みどりとダブって見えてしまう。

 7 斉藤とも子

 1976年、NHKで放映された『明日への追跡』(少年ドラマシリーズ)でデビュー。
 1978年、『若い広場』(NHK教育テレビ)の中のコーナー「マイブック」で聞き手を務め注目を集めた。『青春ド真中』、『ゆうひが丘の総理大臣』など、学園ドラマでの「優等生の生徒役」を多く演じた。以後、少年向けドラマ番組への出演が多数。東京都立代々木高等学校2年で中退。
 1979年、『車輪の一歩』(『男たちの旅路』第4部)で、身体障害者である主人公を演じた。
初のシングルレコード「風のように」を発売。
 1984年、映画『ひめゆりの塔』に出演。
 1987年、芦屋小雁と結婚(1995年に離婚)。血液型はAB

 8 木村理恵

Kimurarie

 1975年、東宝映画『青い山脈』で本格的にデビュー。その後、ドラマ『太陽にほえろ!』に捜査第一係3代目内勤員(マスコットガール)の矢島明子役として第173話から第322話まで約3年間レギュラー出演した。第284話「正月の家」(1978年1月放送)では主役を務めた。
 デビュー時から清純派として活躍したが、1977年のドラマ『青春の門』では大胆にスカートの中の下着を披露。さらに雑誌『写楽』誌上で篠山紀信撮影による初ヌードを披露、1982年には写真集『激写文庫 いつのまに』を発売して清純派イメージからの脱皮を図った。
 1983年にはにっかつ創立70周年記念のロマンポルノ作品『暗室』でベッドシーンを演じ話題を集めた。
 1980年代後半、一時芸能活動から遠ざかっていたが、1990年代以降テレビを中心に活動を再開している。 血液型はAで現在61歳

 9 石井めぐみ

Ishi

 東京都調布市出身。1977年、東京都立国立高等学校卒業。1979年、早稲田大学教育学部に入学と同時に、少女マンガ研究会『早稲田おとめちっくクラブ』を仲間3人と共に立ち上げた。初代の副会長。さらに在学中に友人の自主製作映画に出演し、8ミリ映画の賞を受賞したことをきっかけに、1979年に松竹映画『夜叉ヶ池』の木の芽峠の山椿(妖精)役で映画デビュー。続けて角川映画『金田一耕助の冒険』に町娘役で出演。テレビドラマには 
 1980年に『噂の刑事トミーとマツ』(第1シリーズ)の18話「花の芸者に恋したトミー」の芸者役でデビューし、同ドラマには21話から森村万里子婦警役でレギュラーで出演、自身の代表作となった。
 一方私生活は波乱万丈だった。25歳の時に1度目の結婚をするも4年で離婚。 1990年(34歳)にテレビ局のディレクターと再婚。2児を儲ける。
 1996年、脳性マヒを患った長男のことを記した『笑ってよ、ゆっぴい』を出版し、同年から1999年までフジテレビ系の単発のスペシャル枠で『ゆっぴいのばんそうこう』としてドキュメンタリーが放送されて話題になった。
 1999年、長男が死去。2000年9月、42歳で離婚。

10 北村優子

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 その当時、学園ドラマが主流だった頃に、生徒役で出演したチャーミングガールだ。「ゆうひが丘の総理大臣」(北川真弓役)と「あさひが丘の大統領」(白石こずえ役)の両方に起用された。血液型はAB型で、この型特有の小悪魔的な印象を醸していた。札幌市出身で、現在59歳になられた。1980年に所属事務所の役員(当時)の息子と結婚し、芸能界を引退。

11 山本ゆか里

Yamamoto

 兵庫県神戸市生まれで、大分県の出身。血液型O型。

 1975年に、放送されたNETの公開オーディション番組『決定版・あなたをスターに!』のグランドチャンピオンに輝いて芸能界入り。
 1975年、『小麦色の想い出』で歌手デビュー。同年に放送のNETテレビ『じゃがいも』に出演し女優としてもデビューしている。キャッチフレーズは"ティーンの恋人"。

 当初はアイドル路線を中心に活動していたが、その後は子供向け特撮ドラマやアクション、時代劇などに活躍の場を求めるようになった。

12 栗田ひろみ 

 東京都豊島区東池袋出身。東京成徳高等学校卒。 中学生時代にNHKのテレビドラマ『さすらい』に出演して芸能活動を開始。1972年、大島渚監督の映画『夏の妹』の主役に抜擢されて注目を集める。その後、テレビや雑誌グラビアへの露出が増えるに連れて人気が高まる。
 翌1973年、映画『放課後』、『ときめき』、テレビドラマ『伊豆の踊り子』に主演して人気が沸騰。少し翳りのある優等生のイメージで多くのCMに出演し、レコードデビューも果たす。
 1974年10月、週刊プレイボーイ特別編集の大判写真誌「プレイガール」の表紙を篠山紀信撮影のヌードで飾った。その後も映画やテレビで活動を続けるが、1980年大晦日で芸能界を引退。翌1981年石油会社に勤めるサラリーマンと結婚した。現在は61歳になられた。

 映像はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=MbmBqLx-9lw

 ほかにも森下愛子さんや大場久美子さん、叶和貴子さん、宇都宮雅代さん、篠ひろ子さんらが該当するが、彼女たちは、以前、当ブログで取り上げたので、ここでは割愛させていただきたい。

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