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2019年2月 6日 (水)

郡山の不思議

  今日は、私の住む街・郡山にスポットを当ててみたい。これまで何度も地元の話題について触れてきたが、50年近く暮らしていながら謎や不思議、神秘のベールに包まれた部分に光を当ててみたい。

 1 なぜ郡山は風が強い

 冬に冬型の気圧配置が強まると、等圧線が混む。すると北西の風が強く吹くが、磐梯山から吹き降ろす風が、いったん中山峠付近にぶつかり、そこに集まって、その峠を越えて一直線に郡山盆地に流れ込む。ホースの先を絞ると勢いが増して一直線になるのと同じ原理で、郡山市街地に突風が吹き下ろすという理屈だ。(H31.1.29の「FTVテレポート+」の斎藤気象予報士より)

 また、冬場は乾燥が酷い。髪の毛はすぐにぱさぱさになり、枝毛や静電気は日常茶飯事。

 参考映像 https://www.youtube.com/watch?v=bk2zg-Upo9M

 2 なぜ郡山の方言は語尾に「ばい」がつく

 これは諸説あって、定説はないのだが、私の見解では、「○○ばい」というのは、九州地方の方言だ。特に福岡県では「ばってん(しかし)」と並んで、語尾に「ばい」を付けることが多い。よく考えてほしい。郡山の五百渕の西側には久留米という地名がある。一説によれば、明治時代、郡山がまだ村だった頃、米不足解消のために、農業用水の整備として「安積疎水」が国家事業として行われた。その際、人手不足を解消するために、九州の旧久留米藩の人々が、働き手として郡山に入植し、その一大事業工事に従事した。
 その人足が日常会話として福岡便を話していたことから、地元の人に伝わり、方言化していったとみている。それが証拠に、会津地方やいわき地方は「~ばい」という人は一切いない。この県中地方に限られた「話し言葉」なのだ。

 参考映像 https://www.youtube.com/watch?v=PGsuB59M1FU

 3 日本の「カッパドキア」はどのようにして誕生したのか

 郡山の郊外、西部に位置する三穂田町。少年自然の家が鎮座するその界隈に、世にも珍しい奇岩群が名勝になっているスポットがある。浄土松公園内にあるそれは、人呼んで「きのこ岩」。トルコの世界遺産「カッパドキア」のミニチュア版だ。にょきにょきと地面が隆起してできたようなその様相は、奇妙としか言いようがない。私は小学生時分に、お泊り学習でのフィールドワークでその山をグループ探検した想い出がある。そのゴール地点がこの「きのこ岩」だった。そこはかくれんぼが出来るほどの奇妙な形の岩の宝庫。
 自然の造形物なのだが、あまりにも神秘的で謎に満ち溢れた隠れ家的な場所だ。

 郡山市の「楽都」というウェブページによれば、松の緑が点在する風景が日本三景の松島に似ていることから「陸の松島」と呼ばれている。 浸食の度合いが異なる地層が、長い年月を経て風化したことにより、さまざまな形をした奇岩になりました。とある。

 しかし、残念ながら平成23年に発生した東日本大震災により、多数が崩壊し、かつての面影は見られなくなった。

 4 市民の守り神「開成山大神宮」とは

 大学時代と社会人になりたての頃、計8年間郡山市を離れたが、かれこれ46年も郡山市内に住んでいる私だが、何度も足を運んでいる筈の「開成山大神宮」のことをあまりにも知らな過ぎた。そこで、勉強のつもりで調べてみた。

 伊勢神宮の分霊が奉納されているため、『東北のお伊勢さま』とも呼ばれる。拝殿にある神号は有栖川宮熾仁親王による書。
 主祭神は天照大御神・豊受大神・神倭伊波禮彦命(神武天皇)

 歴史を紐解けば、安積開拓の開拓民の精神的なよりどころにするため、福島県の典事の中條政恒が伊勢神宮の分霊の奉遷を神宮司庁へ働きかけた結果、1876年(明治9年)に認可がおりて創建。1873年(明治6年)当初は「遥拝所」として計画され、翌1874年(明治7年)10月までに本殿と拝殿が竣工した。
 1875年(明治8年)12月3日、中條は地元から挙がってきた伊勢皇大神宮の御霊代を奉祭する神社建設の願書を教部大輔宛てに送付したが、教部省は神宮司庁へ認可を求めるように通達した。東京や横浜でさえ遥拝所であり、許可が容易に得られないと考えた中條は旧知の仲であった大教正・西涼寺雪辰に働きかけてもらい、神宮司庁から許可を得た。こうして1876年(明治9年)1月29日に太政大臣が認可し、8月4日に「開成山大神宮」の名称が決定した。地元では「岩代大神宮」を希望したが、「伊勢神宮」と同じように旧国名を冠することに政府が難色を示したため、「開成山大神宮」となった。

 猪苗代湖から導水した安積疏水の起業式は1879年(明治12年)12月27日に挙行、通水式は1882年(明治15年)10月1日に岩倉具視右大臣ほか要人を招いて開成山大神宮で執り行われた。
 1975年(昭和50年)には御分霊奉遷100年を奉祝して、伊勢神宮より遷宮の際の御用材の撤下を受けて現在の本殿が造営された。これに合わせて元の本殿は現在の場所へ移され、桑野宮となった。

 5 郡山はなぜ昔「東北のシカゴ」と呼ばれていたのか

 昔から駅前や堂前近辺にヤクザが多い土地で、暴力団の抗争が絶えず起きていた。私が小学生の頃、丸光があったアーケード内で、実際に拳銃の撃ちあい事件が起きたし、平成に入ってからも郡山五中前の雑居ビルに銃弾が撃ち込まれる事件が発生した。

 私は「やくざ」とは無縁なので、詳しくは知らないが、興味のある方は、「汚れた顔の紳士達」というサイトに記事があるので下のURLをクリックしてご覧ください。

 http://blog.livedoor.jp/cordial8317-kyudan110/archives/27634281.html

 私は郡山二中学区だったため、駅前は庭のように闊歩していたが、やはり小学生の頃も、エナメル靴にスーツを着たやくざ風の風貌の人や、人相が悪いチンピラ風の輩を何度も目にした。

 それを打破するために「東北のウィーン」を目指し、音楽都市宣言を行い、イメチェンを図った。

 余 談

 全国区に成長した郡山本社の企業

 1 ヨークベニマル(旧紅丸)
 2 ゼビオスポーツ(旧サンキョウ)
 3 幸楽苑ホールディングス(かつては「会津っぽ」「き伝」「チーファン」などを展開)

 ほかにも全国区とまでは言えないが「ままどおる」や「エキソンパイ」が人気の「三万石」や「檸檬」や「薄皮饅頭」が主力の「柏屋」、そして仕出し弁当や駅弁でお馴染みの「福豆屋」、更には福神漬けや漬物が美味しい「小田原屋」、味噌汁や甘酒で有名な「宝来屋」もまた郡山発祥の企業だ。

 6 競争激化で撤退した有名企業

 ①丸井                     ⑪ユアファクトリー                    
 ②西武                     ⑫庄司デンキ・電激倉庫
 ③丸光                     ⑬カフェレストラン「飛行船」
 ④ダイエー                   ⑭岩瀬書店(安積・桑野・備前舘) 
 ⑤第一家電(日和田・長者)        ⑮見聞録
 ⑥イセヤ電気(備前舘・大槻)       ⑯ビデオフォーラム
 ⑦ビバホーム(安積町・横塚・喜久田)  ⑰ビデオボーイ
 ⑧カンセキ                   ⑱ハローマック 
 ⑨ケイヨーD2(亀田)            ⑲創夢館
 ⑩ジャンボエンチョー(旧ユニデン)    ⑳京樽

 その他 お好み焼き道頓堀(菜根店・八山田店)、元禄寿司・ブックオフ(新さくら通り店・
       虎丸店・日和田店)

 さて、いろいろと書き綴ったが、郡山は今でこそ人口33万人程度の中核都市になったが、足掛け半世紀近く暮らしている私でも、まだまだ未知の部分や謎めいたスポットが数多く存在している。今日はその中で、ほんの一端を紹介したが、これからも疑問点や隠れたスポットなどを折を見て紹介していきたいと考えている。
 

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