恐怖に晒される芸能人たち
またしてもファンの行き過ぎた行動により、アイドルが傷つけられる事件が起きた。NGK48のメンバーの自宅マンションを突き止め、押し入った末に顔を掴んで暴行するなど本当のファンならばあり得ない行為だった。これは迷惑行為以外の何物でもなく、他のファンもショックだろうし、何より本人の心に深い傷が残る。絶対にこうした行為は、いくら好きでもファンを自称するならば慎むべきだ。ストーカー行為以外の何物でもない。
こうしたファンによるアイドルや芸能人への暴行は昔からあった。それによって、力道山やジョン・レノンのように命を落とす事件に発展したケースもある。
今回は、日本で起こってしまったそうしたファンによる襲撃や暴行事件について取り上げ、行き過ぎた行為への警鐘を促したい。
美空ひばり 塩酸事件
1957年1月13日、東京・浅草の国際劇場で、「花吹雪おしどり絵巻」に出演していた美空ひばり(当時19歳)が、山形県から上京した客席にいたファンの少女A子( 当時19歳)から塩酸をかけられるという事件が発生。
その後、美空ひばりは劇場に近い「浅草寺病院」で治療を受けるが、顔や首、胸や背中などに全治三週間の火傷を負った。
この少女は、彼女のブロマイドを購入して部屋に貼ったり、彼女が出演する映画を必ず観るなどの熱烈なファンだった。しかし、自宅に電話したり、時には押し掛けるなど度の過ぎた公道をとるようになっていったという。
家出をしてこのような末路を辿ったが、「こんなに好きなのに、ひばりさんが憎い」と書置きした少女は「塩酸をかけて、みにくく 顔をみたい」と手帳に書いていた。(「オワリナキアクム」のHPより引用)
鶴田浩二 襲撃事件
任侠シリーズに数多く出演した昭和を代表する名優だった鶴田浩二。1953年(昭和28年)1月6日に日本の俳優・鶴田浩二が暴力団・山口組三代目の組員に襲撃・暴行を受けた事件。
山口組三代目の組員5人は、午後7時すぎ、鶴田浩二の宿泊先・大阪市天王寺区大道町の旅館・備前屋で待ち伏せし、軒先に群がるファンらに「鶴田のサインをもらってきてあげる」と言って上がりこんだ。4人が桔梗の間に入ると、鶴田浩二や水の江滝子・高峰三枝子ら10名以上が夕食をとっていた。山本は彼らの面前で鶴田をウィスキー瓶やレンガで殴りつけた。。それから備前屋を飛び出し、黒塗りの乗用車に乗って逃亡。鶴田は救急車で近くの早石病院に搬送され、頭と手に11針を縫う重傷だった。
この後、芸能界では「山口組・田岡一雄の機嫌を損ねるととんでもないことになる」と恐怖を植え付けられることとなり、山口組が芸能界での勢力拡大と収益を上げていく大きな追い風を果たした。 (Wikipediaより)
岡田奈々監禁事件
とは1977年7月15日、当時、清純派トップアイドルであった岡田奈々がファンに5時間監禁された事件である。
岡田奈々は深夜に仕事を終え、マネージャーに自宅マンションまで送ってもらい、マネージャーは部屋に入ったのを確認して帰った。 部屋に入ると少し暑かったが、エアコン嫌いの岡田はベランダの窓を開けた。その後すぐ入浴する気がせず出演するドラマの台本をベッドで読み窓を開けたまま、ベットで寝入っててしまった。
そして隣の部屋が空室でベランダをつたってファンが岡田の部屋に侵入。犯人のナイフを、起きた岡田がを握ってしまい血だらけになり、犯人が手にシーツを巻きさらにネクタイで手を縛り、足も縛って身動き出来ない状態にした。犯人は、明け方には出て行くからと言って岡田の新曲を振り付けで歌いながら踊ったりしていた。犯人は岡田に「警察には言うなよ」と言葉を残し約束通り明け方出て行き、血のついたシーツなどを持ち帰った。
岡田はすぐ手のシーツをほどき、事務所の社長に連絡し警察が来て保護された。その時の手の怪我は、30針も縫うほどの大怪我であった。犯人は、目だし帽で顔はわからず現在も捕まっていない。
こんな身も毛もよだつ一夜があってトラウマになり思い出すのも嫌な筈なのに、その後、土曜ワイド劇場の「魅せられた美女」で、その場面を再現するかのようなシーンが撮影された。マンションの部屋で、プロダクションの社長の夫人に刃物で追い回され、逃げ惑うシーン。もみ合いとなって弾みで夫人が自分の胸に包丁を刺してしまい、恐怖で岡田は気絶。気づくと社長夫人が心臓を一突きにされ、出血死していたというもの。
あの事件をトラウマにならないように、敢えて挑戦したかのようだった。
私は小学生の頃に、彼女の大ファンで、雑誌の切り抜きを集めていたし、「青春の坂道」のレコードも購入したりしていた。実はこんな大事件があったなど知らなかった。彼女の心情を思うといたたまれない。その後も、「俺たちの旅」や「ゆうひが丘の総理大臣」などの学園ドラマに出演していたかと思うと、彼女のプロ根性に敬意を表したい。
松田聖子 沖縄 ファンによる殴打事件
1983年3月28日。沖縄市市営体育館では松田聖子のスプリングコンサートが開催されていた。スプリングコンサートは沖縄市を皮切りに北上して開催する予定となっていた。 始まって約1時間がたった午後7時40分頃、聖子が「渚のバルコニー」を歌い始めてサビの部分にさしかかったとき、舞台下手から体格の良い男が瞬間的に聖子に駆け寄った。男は持っていた30~40cmのスチール製工具で聖子に殴りかかった。聖子はとっさに頭をかばいながら逃げたが、スチール工具は3回頭に打ち付けられた。男は逃げ回る聖子を追いかけ回した。
「キャーッ、やめてー」という聖子の叫び声が会場に響いた。警備スタッフが数人駆け寄り、男を羽交い締めにした。会場は騒然となった。聖子はほとんど失神状態で顔面蒼白だった。スタッフに抱えられて会場の外へ運び出され、救急車で病院へ向かった。男はそのまま警備の警察官に傷害の現行犯で引き渡された。(現行犯の場合、警察官でなくとも一般人が逮捕可能である)
聖子は右側頭部と右手首に約1週間の裂傷と打撲傷を負った。レントゲンやCT検査の結果、骨折や脳内出血はなかったが、体が震え、涙が止まらず、精神的ショックは計り知れず大きかった。その日はそのまま入院した。(「艱難辛苦と臥薪嘗胆と満身創痍」のブログより)
この事件直後からテレビのワイドショーはこの事件と当時、トップアイドルだった松田聖子の精神状態を心配する記事や報道で大騒ぎとなったことを覚えている。
倉沢淳美 手首切りつけ事件
欽ちゃんの欽どこで鮮烈なデビューを果たした「わらべ」のメンバーで、一番可愛かったことで、歌手としてもソロデビューを果たし、ベストテン番組にも登場するほどの人気を集めていた。
ところが、ソロ・デビューした1984年に、札幌で開いたサイン会で事件は起きた。終了後に会場玄関で、参加していた見知らぬ男に突然、刃物で切りつけられ、右手首を約6センチ切る大怪我を負ったのだ。犯人は26歳の会社員。警察の取り調べに「生意気だから切った」と、平然と不可解な供述をした。
事件後、ファンによるアイドル襲撃事件ということで連日、マスコミ報道は過熱した。
AKB48握手会傷害事件
2014年(平成26年)5月25日、日本の女性アイドルグループ・AKB48が岩手県滝沢市の岩手産業文化センター(アピオ)で開催していた握手会のイベントにおいて、のこぎりを持った男がグループのメンバー2人とスタッフ1人を切りつけ、負傷させた事件である。
グループのメンバーとファンが握手を行う区画(レーン)のひとつに男が入り、のこぎりを取り出してメンバーの川栄李奈と入山杏奈、および2人を守ろうとした男性スタッフを切りつけた。男は周囲にいたスタッフに取り押さえられ、警察に殺人未遂の容疑で現行犯逮捕された。切りつけられた3人は骨折や裂傷を負い、病院へ搬送されてただちに縫合手術を受けた。3人は事件翌日に退院した。
犯人は青森県十和田市に住む、発達障害の診断を受けたことがある、事件当時24歳の男。
2014年1月に仕事を失っており、犯行動機はテレビでAKB48を見て「収入が多い」「自分とは正反対」などと不満に思ったことであった。男は逮捕後、精神鑑定が行われた。その結果責任能力が問えると判断され、傷害罪および銃刀法違反罪で起訴された。
迷惑行為
近藤真彦の実母の遺骨盗難事件
(参考)
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