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2018年12月20日 (木)

華麗なる転身?それとも・・・

 かつて都会の企業を中心に「転職」が流行った。ヘッドハンティングなる言葉が生まれたり、CMでは「とらば~ゆ」、転職雑誌が花ざかりという時代があった。務めている会社が嫌になったら辞めて別の会社に勤めればいいという安易な発想が蔓延し、家庭を顧みず、あるいは先の人生に見切りをつけるケースも多々あった。そこには昔ながらの忍耐や我慢といったフレーズは頭をもたげ、人生を一回リセットして、ゼロから再スタートという風潮が生まれた。

 私などは田舎に暮らす身なので、一度会社を辞めたら再就職のクチは無く、生活が困窮することは目に見えていたので、ふんぎりがつかず、残り定年まで6年というところまで勤続してしまった。時には清水の舞台から飛び降りる覚悟がなかったと懺悔したい気持ちだ。

 しかし、世の中には多くの人間がいて、価値観も違うし、人生観も異なる人がいるために、スパッと仕事を辞めて、新たな人生を歩み始めた方が大勢いる。今日は、「華麗なる転身」を遂げた方たちにスポットを当てたい。例えば、今年、アイドルユニットの「乃木坂46」のメンバーだった市来が日テレ、モー娘。」だった紺野あさ美がテレ東のアナウンサーになったように。

 1 力道山

 ご存知、力士からプロレスへ転身し、戦後の日本人の心に灯をともした第一人者。ショーマンシップを確立し、打ちひしがれた日本の中で、巨漢の外国人レスラー達を豪快に投げ飛ばし、スカッとさせた。
 しかし、スナックで暴漢に襲われたのが原因で、不慮の死を遂げた。

 タイツスタイルのあの風貌は、その後のラッシャー木村と重なる。

 2 ジャイアント馬場

 力道山亡き後の日本のプロレス界を背負って立った。アントニオ猪木と共に、全日本プロレスの屋台骨だったが、袂を分かち、猪木が独立した。空手チョップや水平チョップ、十六文キックなどの必殺技を繰り出し、ザ・デストロイヤーやブッチャーたちと死闘を繰り広げた。
 そんな彼の前職はなんとあの巨人軍の投手だった。本名は馬場正平。高校時代には当時、珍しいくらいの高身長で190cmもの巨漢になっていた。新潟県の三条実業高校時代、エースとして18奪三振を演じたこともあり、それが当時ドラフト制度が無い時代に、読売ジャイアンツのスカウト源川英治に誘われ、高校を中退し、翌1955年1月にジャイアンツに投手として入団した。背番号は59。 脳腫瘍と闘い、僅か1年で退団。プロの戦績は0勝1敗だった。

 ② https://www.youtube.com/watch?v=N7KqknrqICY

 ③ https://www.youtube.com/watch?v=CAh9aKzv2Oo

 3 尾崎将司

 プロゴルファーの「ジャンボ尾崎」とのイメージが強い彼だが、実はプロゴルファーに転向する前は、プロ野球選手だった。
 1965年に西鉄ライオンズへ入団。1年目から一軍に上がり、9月には初先発を果たす。しかしその後は伸び悩み、同期で入団した池永正明の投球を見て「こんなピッチャーがいたんじゃ、俺なんかピッチャーで飯が食える訳が無い」と1967年に外野手に転向する。二軍で四番打者として活躍、一軍でも8試合に左翼手、六番打者として先発出場するが結果を残せなかった。1967年12月23日に監督の中西太に退団を申し出た。
 プロ通算は20試合に投げ、0勝1敗だった。

 プロゴルファー転向後は、めざましい活躍を見せ、日本ゴルフツアー通算94勝、賞金王12回、メジャー大会20勝(日本プロ6勝、日本マッチプレー1勝、フィランソロフィー1勝、日本オープン5勝、日本シリーズ7勝)は歴代最多記録で、通算優勝回数113回は世界プロツアー最多記録であり、2010年に世界ゴルフ殿堂入りした。

 4 菊間千乃

 フジテレビアナウンサーから弁護士へ華麗な転身を果たした。
 早稲田大学法学部を卒業後、1995年4月、アナウンサーとしてフジテレビに入社。
 2005年4月、ロースクール・大宮法科大学院大学(夜間主)に入学。アナウンサーの仕事と並行し、大宮法科大学院大学にて法律の勉強も進めていたが、弁護士を目指して新司法試験の受験勉強に専念するため、2007年12月31日をもってフジテレビを退社。 2009年3月、大宮法科大学院大学修了。 2010年9月に新司法試験に合格 

  彼女がこのような華麗なる転身を果たした要因は、もともと早稲田大学で法律を勉強していたことで十分な下地があった。早稲田の法学部は政治経済学部と並び、同大学の看板学部。偏差値は70を超え、元からトップエリートだった。 

 5 森田健作

 「俺は男だ」など青春学園ドラマで主役を張った俳優・森田健作だが、政界進出を果たし、千葉県知事になった。これは劇的だった。俳優などの芸能人は、知名度は抜群で、選挙に出れば、無名の政治家よりも人気は得られ、トップ当選を果たすことは決して珍しくは無い。長野県知事には作家だった田中康夫がなったし、弁護士だった橋下徹が大阪府知事・大阪市長になった。また、東京都知事と大阪府知事が芸人出身の青島幸男と横山ノックが同時に就任した時期があったり、訳がわからない。また、東京都知事を長らく務めた石原慎太郎もまた、作家出身で、名優・石原裕次郎の兄という抜群の知名度をアピールし都知事になった人物だ。

 他にも外国では、ポルノ映画等に出演していた大部屋俳優だった「ロナルド・レーガン」がアメリカ大統領に登り詰めたし、シュアちゃんもカリフォルニア州知事という畑違いの分野に首を突っ込み、成功を収めた。
 日本では普通のOLから突然プロゴルファーになった村口史子、人気アイドルグループのSMAPを辞めていきなりオートレーサーになった森且行なども今日のテーマに合致する方々だろう。

 私が好きな番組に「消えた天才」がある。それはトップアスリート達が幼少期に決して勝てなかった、敵わなかった人物がいて、その人がまったく別の道で成功を収めていることに焦点を当て、その人のその後の人生やそこに至るまでのストーリーを紹介している。

 しかし、才能とは恐ろしいもので、一流だった方は、別の道を歩んだとしても、やはり紆余曲折の末に成功を掴み取ることが多いようだ。それだけのファイティングスピリッツもあるし、ガッツや陰の努力を知っているからだろう。

 それにしても最近は求人情報誌は山ほどある。TVCMも毎日流れている。「マイナビ」や
「indeed」、「PASONA」、「BIZREACHなどがそうだ。

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