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2018年10月29日 (月)

年下になってしまった有名人

 「歳月人を待たず」、「光陰矢のごとし」というが、年齢を重ねれば重ねるほど、時の流れの早さ、儚さを痛切に感じる。今年54歳を迎えた私だが、知らないうちに年上になってしまった著名人が大勢存在する事に気づいた。
 若くして天国へ旅立ったスターたちは、当時10~20代だった私にとっては、親世代の大人で、妙に老けた印象が強かった。彼らと比べて、自分は何と幼稚なのかと情けなくなる。

 では私より年下になってしまった先輩有名人をズラリ紹介したい。

 1 天知 茂

 昭和50年代、私が中高生の頃、夢中になって見ていた「土曜ワイド劇場」の「明智小五郎の美女シリーズ」。その名探偵・明智小五郎役が天知茂さんだった。冷静沈着で理詰めで犯罪者を追い詰める明智探偵は私の憧れだった。
 彼は昭和6年生まれだから、生きていれば今年87歳になられているはずだったが、昭和60年に急逝された。御歳54歳なので全く私と同い年だ。亡くなる前は私の33歳年上だったが、あの頃のニヒルなお姿のまま記憶にある。
 これは5年前まで知らなかったが、学生時代、三軒茶屋に住んでいた私だが、私のアパートからほど近い墓地に彼は眠っていたのだった。彼が亡くなり、その墓所に埋葬された2年後に、私はそのすぐ近所に移り住んだことになる。
 5年前に、そのことを知り、アパートがどうなっているかを見に行った時に、彼の墓前でお参りし、冥福を祈ったのだった。残念ながら、震災で私のアパートは取り壊されて更地となっていた。

 2 石原裕次郎

 彼は日活スターとして一世を風靡した俳優だった。なぜ国民栄誉賞に該当しないのか不思議で仕方ない。彼の出演作品はほとんど見たし、「太陽にほえろ!」や「大都会」「西部警察」シリーズは彼の代名詞となった。彼が大動脈瘤破裂の大病を患い、大手術から奇跡の復活を遂げたときのことは鮮明に覚えているし、福島県内に「西部警察」のロケで「石原軍団」が来たときは要所を訪ね歩いたものだ。
 度重なる重病やケガで闘病生活を余儀なくされたが、その都度、不死鳥のように甦った彼だったが、私の母校である慶應義塾大の附属病院で肝細胞ガンのため52歳の若さでこの世を去った。
 彼の武勇伝は凄まじく、金の使い方や暮らし方も豪快そのものだった。

 3 松尾芭蕉

 松尾芭蕉といえば「奥の細道」で、弟子の曾良を伴い、北日本から北陸を旅しながら綴ったことは有名だが、その姿を絵で見れば、どうみてもおじいちゃんだ。しかし、旅の時点では彼はまだ40代半ばだったことは驚き意外の何物でもない。そして亡くなったのは50歳なのだから、今の私より断然若い。江戸時代は「人生50年」と言われたので、老け込むスピードは相当なものだった。食事や医療が全く異なり、比較にはならないが、彼は小柄で、150cmくらいしかなかったのではないか。
 しかし、その健脚は凄まじく、松尾芭蕉は忍者だったのではないかと疑念を抱くほどのスピードで日本中を歩破した。旅程は六百里(2400キロ)にのぼり、一日十数里もの山谷跋渉もある。これは当時のこの年齢としては大変な健脚でありスピードである。

 4 宇宙戦艦ヤマト 沖田十三艦長

 なんと白髭スタイルのおじいちゃんのような風貌だった沖田艦長だが、当時は52歳という設定だった。つまり今の私より2歳年下。「宇宙戦艦ヤマト」のテレビ放映が私が小6で11歳だったので、41歳年上だった。歳月を感じざるを得ない。

 5 美空ひばり

 石原裕次郎と同じ52歳まで生きたお嬢だが、石原氏と異なるのは、多少でも平成まで生きたことだ。両者ともに「昭和の大スター」であることに変わりないが、病気と闘いながらステージに立ち続け、数多くの名曲をこの世に残した功績は大きい。身内をことごとく失い、天涯孤独の身になるなど波乱万丈な人生だったが、彼女ほど「太く短く生きた」人は少ないだろう。

 こうして人は歳をとっていくのだろう。悲しいかなそれが「業」なのだろう。「世の常」なのだろう。これはどう抗っても逃れられない性(さが)で、死は誰にも等しく訪れる。今日挙げた有名人は、その足跡を今生に残した方々であり、その功績は計り知れないし、後世まで語り継がれる存在だ。

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