2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のコメント

無料ブログはココログ

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

2018年10月

2018年10月31日 (水)

賢い裏技

 人は困ったときに、どういう手段でそれを解決するだろうか?途方に暮れているだけでは何も状況は変わらない。日常生活の些細な問題を解決してくれるような動画があった。

 1 身の回りのものをなんでも開けちゃう30の賢い方法

   

 中には防犯上、これを暴露して大丈夫なの?と思えるような裏技もあったが、決して犯罪には利用しないでもらいたい。

 2 誰かに教えたくなる生活の裏技!

 知っていると知らないとでは雲泥の差だが、知らないからといって死ぬような大問題に井陥るものではない。

 3 緊急事態に役に立つ!

 4 間違え続けてしてしまっているもの

 5 停電の際、乾電池を使って火を起こす方法

 動画サイトは様々な情報を伝えているが、中にはこのように人や社会の役に立つ情報がある。巧く取捨選択して生活の知恵になればいいと思う。

2018年10月30日 (火)

郡山周辺バーチャル再現映像

 動画サイトを眺めていて、思わず唸る名人芸に出くわした。それは郡山駅周辺をコンピューターの「マインクラフト」でバーチャル的に忠実に再現した映像だ。
 論より証拠、実際に見てほしい。

 マインクラフトとは

 『Minecraft』(マインクラフト)は、Notch(マルクス・ペルソン)と彼が設立した会社・ Mojang ABの社員が開発したサンドボックスゲームである。サバイバル生活を楽しんだり、自由にブロックを配置し建築等を楽しむことができるコンピュータゲームである。
 2018年初頭の時点で、全てのプラットフォームでの販売が累計1億4400万本を突破した。

 地元民である私にとっては嬉しい。もしかして駅東側にあるWIZ系の専門学校生が製作したものなのか?ここまで細かく再現できるとは正直感服してしまった。

 では実際の郡山駅周辺の映像と比較してみよう。

 結構リアルに近い出来だ。細かい描写も完璧だ。では我が街・郡山をもっと深く知ってもらうために、「A列車で行こう」でCG化して再現した映像とテレビ東京で放送された「空から日本を見てみよう」の郡山市内の様子を掲載し、結びとしたい。

 この絵面も結構、良く仕上がっている。

 7年前、あれほどの震災があったとは思えないほど平静な生活を送っている。

2018年10月29日 (月)

年下になってしまった有名人

 「歳月人を待たず」、「光陰矢のごとし」というが、年齢を重ねれば重ねるほど、時の流れの早さ、儚さを痛切に感じる。今年54歳を迎えた私だが、知らないうちに年上になってしまった著名人が大勢存在する事に気づいた。
 若くして天国へ旅立ったスターたちは、当時10~20代だった私にとっては、親世代の大人で、妙に老けた印象が強かった。彼らと比べて、自分は何と幼稚なのかと情けなくなる。

 では私より年下になってしまった先輩有名人をズラリ紹介したい。

 1 天知 茂

 昭和50年代、私が中高生の頃、夢中になって見ていた「土曜ワイド劇場」の「明智小五郎の美女シリーズ」。その名探偵・明智小五郎役が天知茂さんだった。冷静沈着で理詰めで犯罪者を追い詰める明智探偵は私の憧れだった。
 彼は昭和6年生まれだから、生きていれば今年87歳になられているはずだったが、昭和60年に急逝された。御歳54歳なので全く私と同い年だ。亡くなる前は私の33歳年上だったが、あの頃のニヒルなお姿のまま記憶にある。
 これは5年前まで知らなかったが、学生時代、三軒茶屋に住んでいた私だが、私のアパートからほど近い墓地に彼は眠っていたのだった。彼が亡くなり、その墓所に埋葬された2年後に、私はそのすぐ近所に移り住んだことになる。
 5年前に、そのことを知り、アパートがどうなっているかを見に行った時に、彼の墓前でお参りし、冥福を祈ったのだった。残念ながら、震災で私のアパートは取り壊されて更地となっていた。

 2 石原裕次郎

 彼は日活スターとして一世を風靡した俳優だった。なぜ国民栄誉賞に該当しないのか不思議で仕方ない。彼の出演作品はほとんど見たし、「太陽にほえろ!」や「大都会」「西部警察」シリーズは彼の代名詞となった。彼が大動脈瘤破裂の大病を患い、大手術から奇跡の復活を遂げたときのことは鮮明に覚えているし、福島県内に「西部警察」のロケで「石原軍団」が来たときは要所を訪ね歩いたものだ。
 度重なる重病やケガで闘病生活を余儀なくされたが、その都度、不死鳥のように甦った彼だったが、私の母校である慶應義塾大の附属病院で肝細胞ガンのため52歳の若さでこの世を去った。
 彼の武勇伝は凄まじく、金の使い方や暮らし方も豪快そのものだった。

 3 松尾芭蕉

 松尾芭蕉といえば「奥の細道」で、弟子の曾良を伴い、北日本から北陸を旅しながら綴ったことは有名だが、その姿を絵で見れば、どうみてもおじいちゃんだ。しかし、旅の時点では彼はまだ40代半ばだったことは驚き意外の何物でもない。そして亡くなったのは50歳なのだから、今の私より断然若い。江戸時代は「人生50年」と言われたので、老け込むスピードは相当なものだった。食事や医療が全く異なり、比較にはならないが、彼は小柄で、150cmくらいしかなかったのではないか。
 しかし、その健脚は凄まじく、松尾芭蕉は忍者だったのではないかと疑念を抱くほどのスピードで日本中を歩破した。旅程は六百里(2400キロ)にのぼり、一日十数里もの山谷跋渉もある。これは当時のこの年齢としては大変な健脚でありスピードである。

 4 宇宙戦艦ヤマト 沖田十三艦長

 なんと白髭スタイルのおじいちゃんのような風貌だった沖田艦長だが、当時は52歳という設定だった。つまり今の私より2歳年下。「宇宙戦艦ヤマト」のテレビ放映が私が小6で11歳だったので、41歳年上だった。歳月を感じざるを得ない。

 5 美空ひばり

 石原裕次郎と同じ52歳まで生きたお嬢だが、石原氏と異なるのは、多少でも平成まで生きたことだ。両者ともに「昭和の大スター」であることに変わりないが、病気と闘いながらステージに立ち続け、数多くの名曲をこの世に残した功績は大きい。身内をことごとく失い、天涯孤独の身になるなど波乱万丈な人生だったが、彼女ほど「太く短く生きた」人は少ないだろう。

 こうして人は歳をとっていくのだろう。悲しいかなそれが「業」なのだろう。「世の常」なのだろう。これはどう抗っても逃れられない性(さが)で、死は誰にも等しく訪れる。今日挙げた有名人は、その足跡を今生に残した方々であり、その功績は計り知れないし、後世まで語り継がれる存在だ。

2018年10月28日 (日)

東京近辺の歴訪計画

 私は歴史が好きで、特に幕末維新に関する時代小説を読み、当時の人物像を研究し、その時代に思いを馳せることが多い。
 そのきっかけは、私の祖父母が会津出身ということもあり、その祖先が一命を擲って、会津を守ろうと奮戦したことを誇りに思うからだ。そして奇しくも今年、何の因果か、戊辰戦争終結から150年を迎えたメモリアルイヤーであり、しかも、平成という時代の終焉に立ち会うこととなり、年号が江戸から明治に改元されるという不思議な縁をふつふつと実感してやまない。

 そこで私は、2008年に放映されたNHKの大河ドラマ「篤姫」のDVDを10年振りに見て、幕末の混乱期に、武士として最期まで戦い抜いた英霊たちをお参りしたくて、平成が終わる前に、その参拝を計画した。
 有名人の墓参りは、5年前に「天知茂」「坂井泉水」「石原裕次郎」の墓参を実施したが、歴史上の人物の墓参りは、会津ゆかりの墓参りを除けばこれが初めてである。「墓マイラー」ではないのだが、私自身は昔から、尊敬する「乃木大将」や明治時代の文豪、歴代首相などの墓をいつかはお参りしたいと希っていた。仕事が一段落するであろう来春のために、今からその算段をしておこうという腹づもりだ。

 では、私が現時点で考えている幕末期に活躍した歴史上の人物の墓参りと歴史的に重要な出来事があった場所で歴訪したいのは以下の方々だ。

 1 江戸城跡(皇居)

 参考資料 「関東、歴史情報」

http://www.eniguma49.sakura.ne.jp/zyousi/toukyou/edozyou/kinnsei2.html

http://www.eniguma49.sakura.ne.jp/zyousi/toukyou/edozyou/kinnseiedozyousyasinn.html

 いつもは二重橋しか行かないのだが、できれば皇居の内部や桜田門内外の見学をしたい。

 2 土方歳三資料館(日野市)

 参考資料 http://www.hijikata-toshizo.jp/

 新撰組副長であった土方歳三。戊辰戦争では、会津藩とともに戦い、鶴ヶ城にも足を踏み入れている。そして最期まで幕臣として戦い、箱館戦争にも参戦し、戦死した。その墓は不明で、函館山の麓に密かに埋葬されたらしいが、どこにも墓標や墓石はない。

 3 勝海舟の旧邸(港区・赤坂駅近く)

 参考資料 「幕末トラベラーズ」 http://japanserve.com/spt-edo-5-katsu.html

 幕末期に西郷隆盛と会談し、「江戸城無血開城」によって、江戸を戦火から守った。

 4 龍源寺(三鷹・新撰組・近藤勇の墓所)

 参考資料 「東京都文化財めぐり」
 
 http://www.syougai.metro.tokyo.jp/bunkazai/week/hino/hino11.html

 薩長は、池田屋事件や蛤御門の変で同志が多く殺された恨みから、板橋の刑場で首を撥ね、そして京都の河原でもさらし首にした。会津の天寧寺にも彼の墓があり、ここには毛髪が埋葬してあるという。副長の土方歳三がここに墓標を立てたと言われている。

 5 上野寛永寺(13代将軍家定と天璋院篤姫の墓) 特別参拝日(要予約)に

 参考資料 「歴人マガジン」 https://rekijin.com/?p=10292

 特別参拝 http://kaneiji.jp/schedule2

 上様が亡くなり、大奥を後にした篤姫は天璋院となり、上野の寛永寺に居を移した。そこで晩年を過ごした。慶喜公が謹慎した葵の間などがある。

 https://dot.asahi.com/dot/2018012500059.html?page=1

 6 増上寺(14代将軍家茂と和宮の墓)

 参考資料 http://www.zojoji.or.jp/keidai/

 篤姫の子である徳川家茂とその正室だった和宮が眠る。

 7 石田寺(土方歳三の墓所・日野市)

 参考資料 「新撰組のふるさと日野」 

 http://makoto.shinsenhino.com/archives/place/050503195033.php

 8 沖田総司終焉の地(今戸神社・台東区)

 参考資料 http://sakamichi.tokyo/?p=8128

 「はらりはらり桜舞い散るように

 9 沖田総司の墓(専称寺・港区)  立入禁止

 参考資料

 http://www.japanesecastle.biz/shinsengumi-tokyo23ku/okitasouzi-tomb.html

10 近藤勇・新撰組隊士供養塔(北区・板橋駅前)

 参考資料 https://yukarino.jp/articles/7776226

 http://japanserve.com/spt-edo-7-itabashishinsengumi.html

11 外桜田門(大老井伊直弼暗殺)

 参考資料 https://rekishiru.site/archives/437

 http://japanserve.com/spt-edo-1-sakuradamon.html

12 彰義隊の墓(上野公園)

 参考資料 https://bushoojapan.com/tomorrow/2014/05/14/20090

13 西郷隆盛・勝海舟会見の碑(港区芝)

 参考資料 http://edoshiseki.com/bakumatu.html

14 大久保利通終焉の地(紀尾井坂)

 参考資料 http://sakamichi.tokyo/?p=6805

 さて、読み手のことを考えずに、好き放題書いてしまったが、私の歴史好きは今に始まったことではない。歴史を紐解くことで、今まで教科書に載っていなかった裏話や秘話にもたどり着けるし、時代背景はもとよりその人となりを掘り下げて知ることができる。
 特に幕末の混乱期に、幕臣として最期まで武士らしく戦い、戦場に散った方々の勇姿に思いを馳せる時、いにしえの歴史浪漫を存分に感じ取れる。そのためにも、その歴史の表舞台となった場所を訪れ、自分の目で見て感じ、その当時に立ち返って歴史を学びたいと考え、今回の歴訪を計画した次第だ。

 追記

 この幕末のスポット以外にも、戦後、多くの事件が発生した。「三鷹事件」、「下山事件」、「吉展ちゃん事件」など、世間を揺るがした事案などについても歴訪してみたい。

2018年10月27日 (土)

スポーツアスリートと妻の血液型

 血液型別の性格診断や相性診断には賛否両論あるところだが、いろいろ調査することで、何か結論めいたことが判明するのではないかと考え、敢えて今回、このような話題に触れてみたい。
 結婚を機に運勢がガラリ変わることがある。いわゆる女性で上げまんとか下げまんとか言う類だ。それが勝負を生業とするスポーツアスリートの場合、それが顕著に垣間見えるように思える。今日はプロ野球選手を中心にアスリートたちの結婚に関わり、「血液型相性」を探りたい。

 A型ーA型妻の例

 田中将大と里田まい、瀬戸大也と馬淵優佳、 青木宣親と大竹佐知

 江草仁貴と竹下佳江、 緒方孝市と中條かな子、涌井秀章と押切もえ

 松井裕樹と石橋杏奈、内村航平と上谷千穂、細貝萌と中村明花

 横尾要(ゴルフ)とかとうれいこ、篠田歩(バレーボール)と伊藤さおり

 山本大介(ラグビー)と小椋久美子(離婚)、三浦知良と設楽りさ子

 金石昭人と陣内貴美子、河井陽介と広瀬麻知子

 A型とO型妻の例

 新庄剛志と大河内志保(離婚)、ダルビッシュ有と紗栄子(離婚)

 西岡剛と徳澤直子(離婚)、大津祐樹と久冨慶子、深堀圭一郎と進藤晶子

 清水宏保と高垣麗子(離婚)、堂林翔太と枡田絵理奈、四宮洋平と荒木絵里香

 不思議なことにA-O型は離婚率が高い。

 A型とB型妻の例

 ダルビッシュ有と山本聖子、杉内俊哉と上葉えりか、五十嵐圭と本田朋子

 千葉進也と番ことみ

 A型とAB型妻の例

 皆川賢太郎と上村愛子、坂田亘と小池栄子、辻上裕章と澤穂希、井上真弥と四元奈生美

 O型とA型妻の例

 和田毅と仲根かすみ、長谷部誠と佐藤ありさ、井上康生と東原亜希

 稲本潤一と田中美保、松井大輔と加藤ローサ、中山雅史と生田智子

 武豊と佐野量子、秋山成勲とSHIHO、海老沼匡と阿部香菜、斉藤祐也と岩崎恭子

 O型とO型妻の例

 松坂大輔と柴田倫世、魔裟斗と矢沢心、長友佑都と平愛梨

 太田雄貴と笹川友里、佐々木健介と北斗晶、中村俊輔と今井まなみ

 三浦皇成と星野あき、貴乃花と河野景子、黒田哲史と新山千春(離婚)

 細川大輔と寺川綾

 O型とB型妻の例

 佐々木主浩と榎本加奈子、高橋由伸と小野寺麻衣、元木大介と犬神いずみ

 石井一久と木佐彩子、谷佳知と田村亮子、長野久義と下平さやか

 山本貴司と千葉すず

 O型とAB型妻の例

 谷原秀人(ゴルフ)と長手絢香

 B型とA型妻の例

 内川聖一と長野翼、松中信彦と林恵子、増嶋達也と潮田玲子

 宇佐美貴史と宇佐美蘭、小橋建とみずき舞

 超個性的なB型にA型女性が惹かれて結婚した者の、B型夫のマイペースぶりやマニアックな部分にA型妻が我慢している構図が見え隠れする。

 B型とO型妻の例

 イチローと福島弓子、古田敦也と中井美穂、清原和博と木村亜希(離婚)

 井端弘和と河野明子、福永祐一と松尾翠、荻晃太と長井梨紗

 柿谷曜一朗と丸高愛実、西村晃一(ビーチバレー)と菅山かおる

 朝原宣治と奥野史子、弦巻健人と大竹七未、柿谷曜一朗と丸高愛美

 B型のアスリートはO型女性と結婚するケースが多い。おおらかで安心感を与えるからだ。O型女性から見ると、B型の天性の才能に惚れ込みやすい。

 B型とB型妻の例

 城石憲之と大橋未歩(離婚)、笘篠賢治と松本典子、山本尚貴と狩野恵里

 柴崎岳と真野恵里菜、江宏傑と福原愛

 B型とAB型妻の例 

 北島康介と千紗

 AB型とA型妻の例
 
 AB型とO型妻の例

 柏木陽介と佐藤渚、松岡修造と田口恵美子

 AB型とB型妻の例

 アントニオ猪木と倍賞美津子(離婚)

 AB型とAB型妻の例

 AB型は、日本人の約9%しかいない。したがってアスリートの数も希少で、こうしたモデルケースに登場する機会も少ない。

 世の中には「あげまん」「さげまん」なる言葉がある。結婚を契機に運勢が上がったり、下がったりする非科学的事象だ。私は人が生まれたら、或る過渡期に運勢がそこでガラリ変わると考えている。まず誕生時、親が付ける名前、そして就職先、そして結婚だ。特に結婚は生活を共にする伴侶との出逢いであり、そこで大きく運命が変わると考えている。特に女性の場合、多くが姓が変わる。
 結婚してすぐに大病を発症するというのは、その運勢の変化によるものだ。夫が出世するか否かも配偶者との相性が大きく物を言う。そして食事面の管理を含め、「内助の功」がもっとも成績を左右することとなる。

 それがプロのアスリートの場合、顕著に成績に表れる。血液型相性は、万全ではないが、それによって異なる性質を持つのは明らかなので、その組み合わせで成績が伸びる落ちるは十分証明がつくのだ。

 例えば、国際舞台で活躍するトップアスリートやレジェンドと呼ばれるカリスマ選手はB型が圧倒的に多いように。

 長嶋茂雄、青木 功、岡本綾子、山口 香、北島康介、野村忠宏、伊調馨、伊達公子、
杉山 愛、イチロー、福原 愛、田村亮子、萩野公介、大橋悠衣、野茂英雄、大谷翔平、
清原和博、金田正一、野村克也、伊藤みどり、浅田真央、羽生結弦、宇野昌磨

 蛇足だが、アスリート以外にもカリスマと呼ばれるB型は以下の通り

 坂本龍一、矢沢永吉、YOSHIKI、尾崎 豊、明石家さんま

2018年10月26日 (金)

ありがとう藺草英己アナ!

 「福島テレビ」で現在も好評放送中の「サタふく」。昭和の時代の「サタデーふくしま」から続いている土曜お昼のお楽しみ番組だ。高橋雄一アナ、岩田雅人アナを始め、FTVのアナウンサー陣が代わる代わるMCを務めて来た長寿番組で、私も30年以上見続けて来た。

             Satafuku1


 その県民に知らない人は少ないであろう人気番組の中で、名物コーナーが突然に終結するという不可解な出来事が今年3月にあった。それは「自転車でGO!シーズンⅡ」だ。初代「自転車でGO!」では、県内90市町村を自転車で旅し、そこで地元の方々とのふれあいや人情話がウリのドタバタ珍道中に県民は癒されていた。
 旅を通して、県内の知られざる珍名所やその魅力に触れられたし、何より、主役ながら毎回、方向音痴で無計画、行き当たりばったりの珍道中を繰り広げる「藺草英己アナ」の人柄がなんとも言えないほんわかした空気を生み出し、「サタふく」=「自転車でGO!」=「藺草英己」だったのは言うまでも無い。コーナーの中で、謎の覆面(タイガーマスク)プロデューサーとの絶妙なやりとりがあったり、藺草アナ特有の天然ずっこけがより親しみやすさを倍増させ、県民のお茶の間の人気者となっていた。

 藺草英己アナウンサーのプロフ

 1970年生まれの東京都江戸川区出身。早稲田大学を卒業後、1995年に福島テレビに入社し、アナウンサーとして活躍。 血液型はB型
 東日本女子駅伝や競馬中継などスポーツアナとして活躍。一方では「ニュース」や「サタふく」など幅広い番組に出演した。
 その明るく調子外れのキャラでお茶の間の大人気者になった。

             Igusa

 では、動画サイトにアップされている映像をどうぞ!

         

 私も放送を見て、足を運んだ観光地が何箇所もある。そしてこの人気コーナーは日曜日に名場面を特番で放送していたし、福島県内の名所巡りにもかかわらず、CS放送の「インターローカルTV」でも全国に流されていたのだ。

 しかし、2018年3月、県内2周目の途中で、突然にコーナー打ち切りが発表され、視聴者を落胆させた。東京都出身の彼は、そうは見えないが、私学文型トップの「早稲田大学政治経済学部」を卒業した。実はとんでもない高学歴の持ち主で、番組内で魅せた「すっとぼけ感」や天然キャラは、実は彼の計算だったのかもしれない。

 なぜ彼が、超人気コーナーを突然打ち切り、番組から、そして6月末付けでアナウンサー職から退いたのか。もちろん彼が不祥事をしでかした訳ではない。それは福島テレビ社内の人事異動によるものだった。

 現在、彼は福島テレビの重役である制作部の部長に就任した。つまりは配置転換で大出世を果たしたことになる。東京都出身の彼が、福島県を代表するアナウンサーに成長し、あれだけ県民に愛された功績を評価したのだろう。アナウンサーと言えでも地方テレビ局のいち会社員である彼は、社内人事に抗うことも出来ず、社の方針に従い、惜しまれながら画面から去った訳だ。
 おそらくは、視聴者や「自転車でGO!」で出会った人たちがを大事に考える彼のことだから、辞令が出た時は、ご本人一番ショックを受けたに違いない。大人気コーナーで、しかも二周目の途中で旅を打ち切らなければならなくなったことは、本意ではないし、一番彼が悔しかったろうし、視聴者に申し訳ない気持ちで一杯だったことだろう。

 彼をテレビで見れなくなったのは視聴者には残念極まりないが、かつて高橋雄一アナもそうであったように、重要な放送では、代役でニュースやドキュメンタリーに登場することもあるに違いない。それを期待したい。

 では、「自転車でGO!」のコーナーで使われていた名物BGMを紹介したい。

  「男達のメロディー」(SHOGUN) https://www.youtube.com/watch?v=LUtE7MIZoNE

 「さすらい」(奥田民生) https://www.youtube.com/watch?v=pdbSLpBgQ2I

 この曲は今、「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」で使用されている。

  「日曜日よりの使者」(ザ・ハイロウズ)
 https://www.youtube.com/watch?v=1dOBFXVQlko&t=91s

 「福島の人」(今西太一) 

 この曲は、コーナー終結時まで流れていたBGM

 おそらく覆面プロデューサーさんと歳が近いせいか、番組内で流されていたBGMは、私の世代とドンピシャだったし、その選曲力と各要所の場面で流すタイミングが実に効果的で絶妙だった点に私自身はいつも感心していた。

 さて、私は今でもこのコーナー復活を信じているし、「サタふく」ファンもそれを願っているに違いない。それほど「お別れ」は突然すぎるものだった。視聴者を見捨て、一方的に打ち切られた感が強く、ショックを受けた方が大勢いたに違いない。

 そして今では「浜ちゃんぽ」と江戸むらさき「野村」さんの「福島ハッ見伝」が流されている。これらは私も好きで毎週見ているが、藺草英己アナの存在があまりにも大きかっただけに、コーナー打ち切りから7カ月、アナウンサー引退から4か月経過した今でも寂しさが募るばかりだ。

 実は、私、彼とかつて在籍していた名和田アナと新幹線のデッキでバッタリ会ったことがある。「サタふく」放送終わりで移動中だったと思うが、郡山駅で下車した。気さくな人柄が表れていた。場所が場所だけにあまり話かできなかったが、芸能人特有のオーラはなく、普通の人といった印象で、それが彼の親しみやすさの源なのだと実感した。
 名和田アナは、「三春滝桜」からの中継でも偶然出くわした。クルーを引き連れ、中継開始の出番までスタンバっていた彼女を見て、意外にも小柄で驚いた記憶がある。

 とにもかくにも彼はユニークキャラで才能に溢れた方なので、制作部長として、これまでにないような地元密着型の番組を作ってくれること期待したい。
 そして同時に、長年、私たち視聴者を楽しませてくれたことに感謝したい。

 

2018年10月25日 (木)

世界の恐ろし鉄道

 「ところ変われば品変わる」という言葉があるが、ここまで極端だと言葉を失ってしまう。日本ではまずありえない世界の鉄道事情。電車に命がけで乗る人はまずいない筈だが、広い世界にはそれが日常的に行われている国がある。
 今日は、「世界の恐ろし鉄道」と題し、そんな乗るのも憚りたくなる鉄道を取り上げたい。

 インド式電車の乗り方

 インドは世界第2位の国。人、人、人だらけ。インドネシアのジャカルタ鉄道の乗車風景も異常だが、ここインドは乗車も下車も人を押しのけて行かないと乗降出来ない。遠慮などしていたら、埒が明かない。

 パキスタンの屋根の上の乗客

 車両に無理やりしがみついたり、屋根に飛び乗ったり、正気の沙汰ではない。落ちれは命の保証はない。まさに命がけの乗車風景だ。この方たちは無賃乗車なのか?集団心理の極致だ。列車もホーン(汽笛)を鳴らし三昧だ。うるさくて仕方ない。

 川の上を行く列車

 タイは熱帯雨林気候?まるで川の中に線路があるようだ。そこを水をかき分けるかのように進む。一見、タイの列車は水陸両用なのかと目を疑う有り様だ。

 民家すれすれを行く恐怖列車

 江ノ電よりも民家の間すれすれを行く。民家の軒先にバイクがあると、ご丁寧に停止し、バイクをどかすまで発車しない優しさ。しかしこの光景は日本ではありえないし、こんな細い隙間をあんなバカでかい鉄の塊が素通りするなど絶対に見られない。

 露店をどかして進む列車

 

 露店が線路にかぶさって商売している人々も常識外だが、列車が来るギリギリまで広げた商品を片付けない無法ぶりも論外だ。日本人がそんな食料を口に入れたら下痢や嘔吐間違いなさげな不衛生さを漂わせる。

 断崖絶壁を進む一か八か列車

 絶叫マシンよりスリル満点。崖崩れや線路の崩落=即死。こんな一か八かのような線路をよくあんな重量オーバーの列車を走らせようなどと考えたものだ。安全対策はなおざりで、利益優先の結果だろう。一歩間違えれば大惨事。そんな路線だ。

 草むらの中を掻き分けて進むローカル鉄道

 どうもキューバの鉄道らしいのだが、草むらの中を時速20キロくらいでゆっくりと進む貨物列車。まったく路線整備もしていない。日本では考えられないが、異国の地では、こうしたことがよくある。しかも線路上の草をヤギが呑気に草を頬張っていて、列車が接近していてもどこ吹く風。まったく気にしない。汽笛を鳴らされてやっと気づく。なんとも長閑な日常風景だ。

 さて、今日の映像を見れば、世界は広いと言わざるを得ない。日本では信じられないことが現実的に起きている。時刻表通りに電車が来て、ホームの乗り場に寸分たがわず停車し、ドアが開くのは先進国くらいのもので、たいていはてきとうな印象だ。
 私は海外に行く度に「日本人で良かった」と実感する。

2018年10月24日 (水)

怖すぎる話

 本日の記事は、霊感などない人だけ読んで欲しいと思います。この記事を読んで体調を崩したり、呪いや祟りで生命に危険が及んでも当方は一切関知しませんので、自己責任でお願いします。

 1 呪われた土地?

 私が住んでいる場所は郡山市の北部なのだが、そこは21世紀になって、区画整理が進み、一気に住宅街になった新興地だ。喜久田方面に向かう街道はかさ上げして道幅が拡張し、周辺に大手スーパーを主体としたショップタウン、警察署、ホームセンター、各専門の病院、家電量販店、眼鏡店、洋服店などが建った。
 生活には事欠かず、利便性が高いだけでなく、環状道路までもが開通し、昨年にはついにJRの駅まで新設された。特に、私が先見の明があったわけではないが、この20年の間に劇的な変貌を遂げた地域だ。

 しかし、一方で喜んでばかりではいられない。そんな中、私が住んでいる土地は、幼稚園、小学校、中学校まで半径200m以内という、教育環境もすこぶる優れているものの、私の住む界隈では、意味不明の不幸が連続して発生している、それは奇怪な土地柄である。

 専門医の医院が建ち並ぶ一角から急坂を上る。その途中、右側にあるどでかい一軒家では、そこに住んでいたおばあちゃんが磐越西線の電車に飛び込み、亡くなった。
 さらには、我が自宅は5区画が同じ不動産屋が建てた建売住宅なのだが、昔、そこは小高い丘の頂上部にあり、周辺はすべて田んぼであった。田んぼ=湿地であったため、地盤自体も緩いのだが、この5区画すべてで、語るのも恐ろしい忌々しい出来事が相次いで起きた。

 まず、Aさんは電気工事の仕事をしているが、ここに引っ越して1年後に、電柱から落下し、骨盤骨折の大怪我を負い、半年以上も入院・リハビリ生活を余儀なくされた。
 その南隣りに住むBさんは、新居に引っ越して2年後に、奥さんががんを発症し、幼い娘2人を残し、この世を去った。
 その西隣りに住むCさんは、その息子さんが小学に入学した頃に「脳腫瘍」を患い、何度か開頭手術を行い長期間に渡って入院加療。そのお母さんは看病で仕事を長期休むこととなった。
 その北向かいのDさんは、お嬢さんが他県に嫁いだが、出産の際に地元に戻り、自宅で育児中、ノイローゼとなり、自らの命を絶った。
 この4軒はいずれも私道で、行き止まりになっている。

 そして私(E)だが、私の家だけが公道に面しており、引越しの際、わざわざ神主に家に来てもらい、神棚を建て、そして拝んで頂いた。そんなお祓いをしていただいたせいなのか、私は右足の骨折だけで済んだ。朝、出かける際、自宅玄関先の段差で躓き、転倒した際に足を捻り、激痛が走った。人生初の骨折だったが、治療に3ヶ月もかかり、下手糞な整形外科にかかったせいで10年以上経った今でも冬になると痛みが出る。

 また、引っ越してから僅か一週間後、雪道の下り坂で止まらず、2回追突事故を起こした。そして今年、原因不明の発疹が4月から頻繁に出ており、半年以上過ぎた今でも投薬の功なく、全身が痒くて仕方ないし、両脚は赤紫色の痕がいくつも出来ている。

 また、同じく私の家の西隣りだが、高齢のおじいちゃんが入浴中に倒れ、救急車を呼んだが、脳卒中の診断で、病院で死亡が確認された事故もあった。

 これほど一時期に立て続けに不幸が相次いだ土地。開発する際には「地鎮祭」をして、その土地に居座る悪霊などのお祓いをしているのは間違いないが、こうも不幸続きだと、何か目に見えない魔力の仕業という気がする。
 確かに、田んぼを埋め立てて、宅地に変えるのは悪徳行為にあたる。そうした自縛霊や邪気の仕業だと疑いたくなる。

 事前に前の土地の所有者の素性を調べているか?現に、我が街郡山には墓地だった場所に学校を建てた例もあるし、いわき市には墓地の真下を通るトンネルもある。私は霊感は弱くて、一度も怖い目に遭った事はない。真夜中にそのトンネルを30回以上通っているが、怖い思いは一度もない。しかし、見える人には見えるのだ。

////////////////////////////////////////////////////////////////////

 2 あなたの泊まるホテルや借りるアパートは大丈夫か?

 あなたが旅行で泊まっているホテルや旅館は大丈夫だろうか?安いという理由で事前によく調べもしないでネット予約していないか?私は病院でさえ入院したくない。私は生まれる時に大病をして以来、一度も入院した経験がない。たぶん、医師から勧められても入院だけはしたくない性質だ。なぜなら、病院は人が死ぬ場所であり、誰かが目の前のベッドで亡くなったと想像するだけで、そのベッドに寝たくはない。

 まして旅先となるとよほどの注意が必要だ。もしその部屋で首吊り自殺があったと知れば、絶対に眠れない。夜中寝つかれずに酷い寝汗を掻いて目覚めたら丑三つ時だったらなお怖い。
 私はまず、部屋に入った際に、匂い嗅ぐ。妙な(異質な)香りは要注意。また、壁に絵画が掛けてある場合には、必ず額縁の裏を見る。万が一、神社のお札を、いかにも隠すように付けてあれば、それは「悪霊除け」のためであり、その部屋で死者が出たことは一目瞭然。そんな時は、フロントに駆け込み、すぐに部屋をチェンジしてもらう。

 また、アパート探しも同様。前の住人がどういう理由でそこを出たのか、不動産屋を契約前に問い詰めるようにしている。
 自殺や孤独死などの場合、「事故物件」扱いとなる。あるいは「心理的瑕疵物件」として扱われ、次の住人には報告が義務付けられているが、2人目の住人にはその事実を伝えなくて良いことになっている。最近は、都会を中心に自殺者や孤独死が多く、まして殺人事件があった物件などは、絶対に借り手がつかず、よその部屋よりも安い家賃設定になっている。
 気にしない人ならいいが、夜中に目覚めてヤバイものを見たくないなら、そのような物件は予め避けるべきだ。
 私は旅行でホテルを予約する際や賃貸住宅を借りる際には、必ず、「大島てるの事故物件」サイトで調べて安心してから泊まったり、借りることにしている。

Ohshia

 ただ注意が必要なのは、その部屋で人が死んだにもかかわらず事実を明るみにしないまま、何事もなかったように装って家賃もそのまま貸し出す場合があるということだ。

 何を隠そう私の叔父は2年前の1月、東京の旗の台駅近くのアパートで一人暮らしをしていた。しかし、数日間連絡がつかなくなり、心配して警察に届け、大家さんと警察官が様子を見に行ったところ、トイレで倒れていて、そのまま亡くなっていたということだ。死亡推定時刻は新聞が郵便受けに溜まっていたことから、5日ほど前のことで、すぐさま検視が行われて、死亡診断となった。死因は心臓発作ということだった。
 しかし、そんな出来事があったにもかかわらず、「大島てる」のホームページには投稿する者もいなければ記載されておらず、アパートで亡くなった事実は伏せられたままだ。都会にはこういうケースが五万とあるに違いない。

////////////////////////////////////////////////////////////////////

 3 生まれながらにして運命は決まっている?

 先日も18歳の男性が仲間とバイクツーリング中に車と衝突してその短い命を閉じた。その男性はその数秒前まで普通に生きていた。なのに、急に悪霊に見出されたように死神が舞い降り、魂の緒を寸断してしまった。まさか本人はその場所で自分が死ぬなんて予想もしていなかった筈だ。逆に言えば、そこで事故って死ぬために18年という時間を刻んできたことになる。あと3分遅く出ていれば・・・・、あと10秒違っていたら、残された家族はそう後悔することだろう。一体どこで運命が切り替わるのだろう?

 私はよく「そういう星の下に生まれた」とか聞くたびに、姓名判断に基づき、名前がついた時点でそのひとの運命が定まってしまっている気がする。それも考えず、流行名前を無造作に付けたり、昔好きだった彼氏の名前やアイドルの名前を無意識につけると大変な目に遭う。
 たまたまそこに居合わせて事件や事故に巻き込まれて命を落とす人もいる。地震で上から看板が落ちてきてぶつかったり、あるいは飛び降り自殺者に巻き添えで急死する人もいる。踏み切りで立ち往生している車椅子を助けようとして自分も電車に跳ねられて亡くなる人だっている。善をしようとして死ぬねんて神様などこの世にいないとさえ思えてしまう。何一つ落ち度がなくても死に導かれてしまう運命。

 過去にも地下鉄サリン事件や京都福知山線の脱線事故、日航機墜落事故、あるいは秋葉原殺傷事件など、そこにいなければ巻き込まれずに済んで、今でも普通の暮らしを送れた人だっているに違いない。どこでどう切り替わってしまうのか?運が悪かったで片付けられたらたまったもんじゃない。

////////////////////////////////////////////////////////////////////

 4 夢は怖い?

 あなたにはよく見る夢はないでしょうか?夢は直近のあなたの精神状態や心理状態を描くといわれるが、私は昔から空を飛んでいる夢を見る。それは前世が鳥だったことを意味しているのではないか?現在の置かれている現状を打破したくて逃避行して飛び去っているのではなく、人間になる前に、もしかすると鳥だったのではないか?と思えるのだ。睡眠時は記憶がなく、一番死に近い状態だといわれる。そこで見る夢と言うのは、前世と繋がっていて、過去の自分の記憶を呼び起こす役目を果?

 ライオンや鮫に襲われて食べられる夢を見て脂汗を掻いて夜中目を覚ました経験がないか?その前世はシマウマだったり、マグロだったのではないか?
 私は空を飛ぶ夢以外にも、チャンバラシーンで侍に斬られて死ぬ夢をよく見せられる。もしかして前世は武士だったのでは? 

////////////////////////////////////////////////////////////////////

 5 飼っているペットや持ち物でわかるその人の前世?

 信じられないことに、ペットに蛇や毒蜘蛛を飼っているとか、昆虫集めが趣味で標本が自宅にたくさんあるなど、人が聞けばありえないような趣味を持っていることがないだろうか?
 オシャレで鰐皮のハンドバッグ、ヒョウ柄のバッグやストールばかりあるなど、奇妙なものを集めている人がいる。蛙が可愛くて、気づいたら部屋中蛙のグッズばかりあったなど。まして、カメレオンやトカゲなどの爬虫類を平気で触れる、究めつけは蛇を首に巻いても大丈夫など、それは単なる特技ではないように思えるのだ。
 
 私が思うに、それは蛇が自分の前世なのではないか?気づけばヒョウ柄ばかりある言う人はきっと前世がヒョウなのだ。知らず知らず、それに惹かれているのは何かしらの理由があるに違いない。ミンクの毛皮を10着以上集めるように持っている人は、きっと前世はミンクに違いない。家に虎やクマの毛皮のラグがあったり、鹿や猛牛の角を飾りとして飾っている家庭も見かけるが、きっとそれらの動物だったに違いない。象牙ばかりを集めている人は象?不思議だが、そう考えればつじつまが合う。

////////////////////////////////////////////////////////////////////

 6 墓マイラーや様々な神社の御朱印を集めている方々は大丈夫か? 

 御守りをいくつもぶら下げている人をよく見かけるが、神様同士、喧嘩するのでやめたほうがいいという話を耳にしたことがあるはずだ。知らない人の墓参りを行う人たちも大勢いる。好きだったアーティストの墓参りや有名俳優や歌手の墓参りをする人、坂本竜馬や織田信長など、歴史上の人物の墓参りをする人も大勢いる。それらは大丈夫なのか?
 自分の家族だった方の墓参りは当然しているが、会ったこともない人の墓参りをしても愁いや祟りは降りかかってこないのか?
 そして最近の流行として、御朱印帳を片手に、多くの神社にお参りしている方がある。パワースポットとして、パワーをいただこうという算段だが、神様同士、喧嘩することを考えれば、年間に10も20も神社を訪れるのはいかがと思う。ご利益は半減するに違いない。

 そこで或る神社のサイトを見たら、このような回答があった。

 結論を申し上げると、複数持っているからという理由でケンカすることはないでしょう。

 ただし、以下のことに注意しなければお守りの意味がないと思います。

  1. お守りは常に身のそばに持ち歩く
  2. お守りに対して感謝の気持ちもつ
  3. 常に新しいお守りにする
  4. お守りはお土産・記念品でなない!

お守りは身の近くに

そもそもお守りには各神社の神様の力が宿っています。
お守りとは神様のお力やそのご利益を授かるためにお持ちいただくものです。

カバンや財布の中、スーツの内ポケットなど身近に持ち歩いてください。
仮に家の中におかれる場合には神棚同様、目線より高いところで綺麗な場所においてください。

感謝の気持ちを忘れないで

日本の神様は、ある意味善悪の区別がありません。
例えば火の神様や水の神様は、もちろん我々の生活に欠かせない火と水をもたらす大切な神様ですが、
その恩恵を当たり前と感謝する心を失えば、火事火災、洪水水害をもたらす存在へと変わります。

古来日本人はその尋常でない力を畏れ、静めようと日々祈りを捧げてきました。

現代でも同じことはいえます。
「お願い事」を聞いてくれる神様ですが、その前提は我々が「感謝」の気持ちを以てお参りすることです。
人間関係も同じですね。
「お願い」ばかりで「感謝」しない相手に優しく接することができるでしょうか?

そのあたりをしっかり考えると、我々を守ってくれるお守りにもしっかりと感謝の気持ちをもつことが大切です。

 結局は気の持ちようだが、御守りもかばんにぶら下げているだけでは何もご利益はなく、身に付けているのが一番。そして願い事ばかりではなく、健康でいられたことを日々感謝したり、商売が軌道に乗って上手く行っている時には「感謝」を忘れないことだ。

 しかしながら、神に仕える神主はそういうことはないが、仏の道を説く坊さんは危ない人が多い。坊さんでありながら、檀家から巻き上げたお布施で高級外車を乗り回したり、詐欺まがいの行為で摘発された織田無道という方もいた。またバンドを結成し、坊主頭に袈裟を身にまとってハードロックに現を抜かす坊さんは、罰が当る。仏を冒涜しているに過ぎない。こういう坊さんは御免被りたい。絶対にお経をあげてもらっても成仏できそうにない。価値観の相違どころではない。

 

2018年10月23日 (火)

’70年代の青春ソンググループ

 タイトルだけでは何のこっちゃ?と首を傾げる人続出だろう。先輩諸氏にお叱りを受けそうだが、私の小中学校時代は、「70年代フォーク」と天地真理や南沙織、麻丘めぐみ、フィンガー5、中3トリオなどの「アイドル」が同居し、音楽シーンを盛り上げていた。
 私はどちらも好んで聴いていたが、当時は「青春学園ドラマ」が花盛りで、私も「飛び出せ青春」や「われら青春」、「俺たちの旅」、「ゆうひが丘の総理大臣」を毎週欠かさずに観ていた。
 その主題歌や心に残る楽曲を手がけたユニット名にはなぜか「色」が入っていた。今日はそれを取り上げ、当時を懐かしんでみたい。今なお歌い継がれる名曲揃いだ。

 1 赤い鳥 「翼をください」

 赤い鳥

 1969年に結成、1970年代を中心に活動し、1974年解散したフォークグループ。1969年11月、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。
「竹田の子守唄」、「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得した。1971年2月発売の「竹田の子守唄/翼をください」が発売3年で100万枚を突破するヒットになった。

 メンバーは、後藤悦治郎(ギター)、平山泰代(ピアノ、1974年2月後藤と結婚)、山本俊彦(ギター)、新居潤子(1973年4月に山本と結婚し、山本潤子)(ボーカル・ギター)、大川茂(ベース、1969年6月加入、1972年8月アメリカ合衆国カントリーチャーチで結婚)の5名。後期には、大村憲司(ギター、1972年2月から1973年4月)、村上秀一(ドラム、1972年6月から1973年4月、村上“ポンタ”秀一)、渡辺俊幸(ドラム・キーボード、1973年4月から)を加える。
 その後、路線上の食い違いからグループを解散。後藤・平山の夫妻は「紙ふうせん」、山本夫妻と大川は「ハイ・ファイ・セット」、渡辺は「ハミング・バード」を結成した。

 ヴォーカルの山本潤子さん、そしてキーボード担当の平山泰代さんはとてもチャーミングで、いつもテレビの前で見とれていた。ジュリーではないが、年上の女性はなんて美ししいんだろうと小学生ながらときめていた。

 2 青い三角定規 「太陽がくれた季節」

 https://www.youtube.com/watch?v=z8-7zpZ9iJ4

 ご存知、NTV系列で放送されていた村野武範主演の学園ドラマ「飛び出せ青春」の主題歌。1972年2月にリリースされた。100万枚を超える大ヒットとなった。

 青い三角定規

 1971年に結成された日本のフォークグループ。西口久美子、岩久茂、高田真理の3名で構成。作曲家のいずみたくがプロデューサーとして深く関わった。1973年に解散。

 3 いずみたくシンガーズ 「帰らざる日のために」

 日本テレビ系東宝青春学園シリーズの最終作第7弾『われら青春!』(中村雅俊主演)主題歌(1974年4月25発売)
 『われら青春!』~太陽学園に新しく赴任してきた新米教師の沖田俊(中村雅俊)と、落ちこぼれ生徒の交流を描く青春ドラマ。
『飛び出せ!青春』の続編的位置付けの作品で、主要キャストには、校長役に前作から引きつずき有島一郎、その姪役の英語教師に島田陽子、穂積隆信の江川教頭や柳生博の塚本先生。さらに「われら同級生」(第14話)には、村野武範も河野武としてゲスト出演している。(全22話/1974年4月~9月放送)挿入歌の「青春貴族」や「ふれあい」もヒットした。
 「涙は心の汗だ」という名セリフを生み出した。中村雅俊、島田陽子、保積ペペ、千葉裕、清水あきひろ、柳生博&穂積隆信など当時のキャスティングは抜群だった。

 4 ザ・バーズ 「ふり向くな君は美しい」

 高校野球の定番ソングが「あゝ栄冠は君に輝く」だとすれば、高校サッカーの青春ソングはこの曲だった。コマネチブームを巻き起こしたモントリオール五輪が開催されていた1976年10月25日リリースの曲だが、今聴いても古さを感じない。

 全国高等学校サッカー選手権大会の大会歌として第55回大会(1976年)より冬の高校サッカー予選・本大会の会場や、テレビ中継で演奏される。歌唱は「ザ・バーズ」が行っている。かつては全国大会決勝戦の国立競技場において、ハーフタイムショーとして歌と踊りが披露されていた。 「スクールメイツ」ばりに超ミニスカートでパンツ丸出しで踊って歌うため、目のやり場に困った。
 この曲は勝者の陰に隠れやすい戦いに敗れた者の健闘を讃える「敗者の讃歌」で、長年高校サッカーファンに愛されてきた。

 この時代のユニットとして他に思いつくのは、高橋真梨子の「ペドロ&カプリシャス」、「ダ・カーポ」、「トワ・エ・モワ」、「ハイファイセット」、「サーカス」、「チェリッシュ」、「ヒデとロザンナ」などがいる。小学生時代に聴いた楽曲が多いが、記憶に鮮明に残っているし、今聴いても名曲だったと思う。あの多感な時期に、素敵な楽曲を提供してくれたミュージシャンに感謝したいと思う。

 

 

2018年10月22日 (月)

過去のドラフトから

 今年もこの季節がやってきた。これまで幾度となくドラマを呼んできたプロ野球ドラフト制度」。プロ入りしたい者は自分の球団を選べない理不尽さ。そして自分の運命をクジに託さなければならない不合理。

Draft

 しかし、FA制度導入により、ある一定の基準をクリアすれば、国内や海外のFA権を行使し、手を挙げてくれた球団と交渉し、行きたい球団にも行ける道筋が開けているのは周知の事実である。
 1965年に始まったこのドラフト制度、今年(2018年)で54回目を迎えるが、これまで数々のドラマを生んできたドラフト制度を振り返れば、いろいろ気づくことがある。今日はそれを紹介したい。
 結論から言えば、堅実な選手育成の「広島」、強引な「日本ハム」、スカウトが脳なしの「巨人」、そして幸運な「ヤクルト」と言えるだろう。その根拠を示したい。

 1 広島東洋カープ(主な獲得選手)

 1972年 ドラフト1位 池谷公二郎
 1973年 ドラフト1位 木下富雄
 1974年 ドラフト3位 高橋慶彦
 1975年 ドラフト1位 北別府学 2位 山根和夫 3位 長内孝 
 1976年 ドラフト1位 山崎隆造
 1977年 ドラフト4位 達川光男
 1980年 ドラフト1位 川口和久
 1981年 ドラフト1位 津田恒美
 1982年 ドラフト1位 西田真二
 1983年 ドラフト1位 川端 順  2位 小早川毅彦 3位 紀藤真琴
 1984年 ドラフト2位 正田耕三
 1985年 ドラフト1位 長冨浩志
 1986年 ドラフト3位 緒方孝市
 1988年 ドラフト1位 野村謙二郎  5位 江藤 智
 1989年 ドラフト1位 佐々岡真司  4位 前田智徳
 1991年 ドラフト1位 町田公二郎  4位 金本知憲
 1994年 ドラフト2位 嶋 重宣    4位 高橋 建
 1996年 ドラフト1位 沢崎俊和     2位 黒田博樹
 1997年 ドラフト4位 小林幹英
 1998年 ドラフト1位 東出輝裕     6位 新井貴浩
 1999年 ドラフト3位 栗原健太
 2001年 ドラフト1位 大竹 寛
 2002年 ドラフト1位 永川勝浩
 2005年 ドラフト3位 梵 英心 
 2006年 ドラフト1位 前田健太      3位 会澤 翼
 2007年 ドラフト3位 丸 佳浩
 2009年 ドラフト1位 今村 猛     2位 堂林翔太 育成 永川光浩
 2010年 ドラフト1位 福井優也    6位 中崎翔太
 2011年 ドラフト1位 野村祐輔    2位 菊池涼介
 2012年 ドラフト2位 鈴木誠也
 2013年 ドラフト1位 大瀬良大地  3位 田中広輔
 2017年 ドラフト1位 中村奨成
 2018年 ドラフト1位 小園海斗 4球団競合 
 
 記載の通り、スカウトの見る目はピカイチだ。ほとんど上位で指名した選手がレギュラーを獲得し、チームの中心として活躍している。面倒見の良い成長型チームと言えよう。

Carp


 2 「日本ハムファイターズ」

 1978年 ドラフト1位 高代延博
 1979年 ドラフト1位 木田 勇
 1981年 ドラフト1位 田中幸雄(85年3位で入団)
 1983年 ドラフト1位 白井和幸
 1984年 ドラフト1位 河野博文
 1985年 ドラフト1位 広瀬哲朗
 1986年 ドラフト1位 西崎幸広
 1987年 ドラフト1位 武田一浩
 1988年 ドラフト1位 中島輝士
 1989年 ドラフト2位 岩本 勉
 1991年 ドラフト2位 片岡篤史
 1993年 ドラフト3位 金子 誠
 1996年 ドラフト3位 小笠原道大
 1998年 ドラフト2位 建山義紀
 1999年 ドラフト2位 田中賢介
 2003年 ドラフト1位 糸井嘉男
 2004年 ドラフト1位 ダルビッシュ有 4位 マイケル中村
 2005年 ドラフト1位 八木智哉
 2006年 ドラフト1位 吉川光夫        3位 糸数敬作
 2007年 ドラフト1位 中田 翔         3位 宮西尚生
 2008年 ドラフト1位 大野奨太
 2010年 ドラフト1位 斎藤佑樹        2位 西川遥輝
 2011年 ドラフト1位 菅野智之(拒否) 3位 石川慎吾
 2012年 ドラフト1位 大谷翔平
 2014年 ドラフト1位 有原航平
 2017年 ドラフト1位 清宮幸太郎
 2018年 ドラフト1位 吉田輝星 

Nichiham

 ここは昔からオーナーのクジ運が強く、パ・リーグ全体に言えることだが、人気スター選手を根こそぎ持って行った。イチロー・清原和博・松坂大輔・ダルビッシュ有・田中将大・斎藤佑樹などだ。日本ハムは特にその傾向が強い。誰かが引退やFAで抜けても、途切れることなく客を呼べるスター選手が入団している。新庄剛志→ダルビッシュ有→斎藤佑樹→大谷翔平→清宮幸太郎といった具合だ。
 しかし、日本ハムの弱点はドラフト1位は活躍するが、下位の選手はあまり育っていない。そして「強行指名」が多い。2011年には、原監督の甥の菅野選手を強行指名して、拒否され、浪人生活を余儀なくしたし、翌年にはメジャーリーグ入りしか考えていなかった大谷翔平を強行指名。半ば強引に説き伏せ、入団にこぎつけた。いずれも栗山監督だった。

 3 巨人

 巨人のドラフト下手を証明するため、平成元年(1989年)以降のドラフト1位だけを見てみたい。
 1989年 ドラフト1位 大森 剛     2004年 ドラフト1位 野間口貴彦
 1990年 ドラフト1位 元木大介     2005年 ドラフト1位 辻内崇伸
 1991年 ドラフト1位 谷口功一     2006年 ドラフト1位 坂本勇人 
 1992年 ドラフト1位 松井秀喜     2007年 ドラフト1位 藤村大介
 1993年 ドラフト1位 三野勝大     2008年 ドラフト1位 大田泰示
 1994年 ドラフト1位 河原純一    2009年 ドラフト1位 長野久義
 1995年 ドラフト1位 原 俊介     2010年 ドラフト1位 沢村拓一
 1996年 ドラフト1位 入来祐作    2011年 ドラフト1位 松本竜也
 1997年 ドラフト1位 高橋由伸    2012年 ドラフト1位 菅野智之
 1998年 ドラフト1位 上原浩治    2013年 ドラフト1位 小林誠司
 1999年 ドラフト1位 高橋尚成    2014年 ドラフト1位 岡本和真
 2000年 ドラフト1位 阿部慎之助   2015年 ドラフト1位 桜井俊 
 2001年 ドラフト1位 真田裕貴    2016年 ドラフト1位 吉川尚輝
 2002年 ドラフト1位 木佐貫 洋   2017年 ドラフト1位 鍬原拓也
 2003年 ドラフト1位 内海哲也        2018年 ドラフト1位 高橋優貴

  (青字は期待外れだった選手)

Kyojin

 巨人は、ドラフト上位指名選手は育たない。逆指名で高橋由などを獲得したものの、長嶋監督時の松井秀喜や王監督時の桑田強行指名以外はくじ運も悪い。そして何より、スカウト陣がまるでダメ。1位指名した選手が主力で活躍できたのは坂本選手くらいで、常に優勝を義務付けられている巨人はドラフトよりもFA市場や新外人獲得に躍起になっている。しかし、それも全く人を見る目に欠け、巨人に来た途端にダメになるパターンを繰り返してきた。

 4 ヤクルト

 1982年 ドラフト1位 荒木大輔
 1983年 ドラフト1位 高野 光  2位 池山隆寛 3位 橋上秀樹
 1984年 ドラフト1位 広沢克己 2位 秦 真司
 1985年 ドラフト1位 伊東昭光 2位 荒井幸雄 
 1986年 ドラフト1位 西岡 剛(入団せず) 2位 土橋勝征 3位 内藤尚之
            4位 飯田哲也
 1987年 ドラフト1位 長嶋一茂 
 1988年 ドラフト1位 川崎憲次郎 3位 笘篠賢治
 1989年 ドラフト1位 西村龍次 2位 古田敦也
 1990年 ドラフト1位 岡林洋一 3位 高津臣吾
 1991年 ドラフト1位 石井一久
 1992年 ドラフト1位 伊藤智仁 3位 真中 満
 1994年 ドラフト2位 宮本慎也 3位 稲葉篤紀
 1995年 ドラフト4位 石井弘寿
 1996年 ドラフト2位 岩村明憲
 1997年 ドラフト2位 五十嵐亮太
 1999年 ドラフト2位 藤井秀悟
 2001年 ドラフト1位 石川雅規
 2002年 ドラフト1位 高井雄平 3位 館山昌平
 2003年 ドラフト1位 川島 亮 4位 青木宣親
 2004年 ドラフト1位 田中浩康
 2005年 ドラフト1位 村中恭兵 3位 川端慎吾
 2006年 ドラフト1位 増渕竜義
 2007年 ドラフト1位 佐藤由規
 2010年 ドラフト1位 山田哲人
 2012年 ドラフト1位 小川泰弘
 2013年 ドラフト1位 杉浦稔大 2位 西浦直享 3位 秋吉 亮
 2018年 ドラフト1位 清水 昇

Yakurt

 なんと言っても相馬オーナー時の「黄金の左手」で重複した有力選手の獲得に成功して来た。私自身はスカウト陣の目利きは12球団でも1・2位を争うと思っている、競合を避け、独自の調査で隠し玉を備え、毎年一本釣りを行う西武がもっとも優れていると思っているが・・・・。
 しかしヤクルトの選手獲得も見事というほかない。1980年代後半から1990年代前半は野村監督が指揮を執り、黄金期を築いた。おそらく、クジ運だけでなく、本物を見抜く眼力に優れた野村監督の選手選考に関する意向が大きく働いていたことは言うまでもない。

 5 ソフトバンクホークス

 1994年 ドラフト1位 城島健司
 1995年 ドラフト1位 斉藤和巳 
 1996年 ドラフト1位 井口忠仁   2位 松中信彦 3位 柴原 洋 
 1997年 ドラフト2位 篠原貴行
 1999年 ドラフト4位 川崎宗則
 2001年 ドラフト1位 寺原隼人
 2002年 ドラフト1位 和田 毅   2位 新垣 渚
 2003年 ドラフト1位 馬原孝浩
 2005年 ドラフト1位 松田宣浩
 2006年 ドラフト1位 大隣憲司   4位 森福允彦
 2007年 ドラフト1位 大場翔太   3位 中村 晃 
 2008年 ドラフト2位 立岡宗一郎 5位 摂津 正
 2009年 ドラフト1位 今宮健太
 2010年 ドラフト2位 柳田悠岐 
 2011年 ドラフト1位 武田翔太
 2012年 ドラフト1位 東浜 巨  3位 高田知季
 2013年 ドラフト1位 加冶屋蓮  2位 森 唯斗  3位 上林誠知
 2014年 ドラフト5位 島袋洋奨
 2015年 ドラフト1位 高橋純平
 2016年 ドラフト1位 田中正義
 2018年 ドラフト1位 甲斐野 央 3位 野村大樹

Softbank

 ここも選手を見る目は確かだ。ドラフト1位が順当にレギュラーに定着し、結果を残している。亡き根本睦夫管理部長の手腕は凄かった。

 さて、自分の所属チームを選べない不条理な世界。それがNPBの厳しい掟だが、それでも健気にプレーする選手は立派だ。チームが優勝できなくても、自分の役割をベストを尽くして果たそうとしている。チームの成績が不振だからと言って、個々の選手の給料に反映査定するのはおかしいと思う。
 今年3割30本100打点を達成した「岡本和真」選手は、4年目にしてやっと才能が開花した。トリプルスリーを複数回達成している山田哲人選手もしかり。ほかにもコンスタントに好成績を残している西武の秋山翔吾選手やソフトバンクの柳田選手もそうだ。彼らは日本の宝であり、いずれ彼らもメジャーを目指すと思うが、移り気にさせないためにもそれ相応の年俸を渡すべきだ。

 最後に、巨人はダメすぎ。飼い殺しも多いが、打線が振るわず、エース菅野は何度涙をのんだか知れない10勝11敗で終わった2015年シーズンは、防御率が1.91だった。彼が投げると不思議と打線が沈黙した。次のシーズンも9勝止まりだったが、防御率は2.01という成績だった。それでも10勝できなかったからと言って、給料を下げるのは筋が合わない。6年間で76勝(41敗)、結果を残しているエースなのだから、それ相当の報酬を与えないと、いくら叔父の原監督が説得したところでメジャーへのふた心を抱いてもなんら不思議ではない。

 最後に、高校生が大豊作と呼ばれる今年のドラフト会議の交渉権獲得予想をしたい。

 根尾→中日 田尾のようなイメージ(的中)
 藤原→ロッテ 去年獲得の安田といずれは中軸を打つのは間違いない。 (的中)
 小園→広島 相思相愛 地元に近い (的中)
 吉田→楽天 吉田はもしかしてくじ運の強い日本ハムが獲得する可能性あり(的中)
 柿木→ソフトバンク 柿木こそ巨人に来てほしい
 松本→西武 一本釣りの可能性も (的中)
 甲斐野→DeNA どうみても名前からしてDeNA向き
 上茶谷→ヤクルト
 野村大樹→巨人  去年、清宮を外し、原新監督は同じ早実の高校生スラッガーを指名
 渡邉勇太朗→日本ハム 大谷、清宮と人気者を獲得している強運で根尾獲得の可能性
 梅津→オリックス 
 辰己→阪神 外れ1位で指名

 的中率  5/12
 
  

 

2018年10月21日 (日)

もったいないユニット

 「美人薄命」という言葉があるが、人間は太く短く生きるか、細く長く生きるかのどちらかだと思っている。それと同じ現象が芸能界でもあるように思えてならない。息が長い歌手やユニットもあれば、メジャーデビューしてすぐに消えて行った方々もいる。
 今日は、ヒット曲があるのに短命で終わったもったいない、あるいは残念なユニットを紹介したい。

 1 ZONE

 4人組のガールズバンド。2001年にメジャー・デビューし、2005年に解散したが、2011年に再結成された。その後、メンバーの引退やトラブルにより2013年4月に活動終了。
 2005年、人気絶頂の時に解散となった。理由は方向性の違い。そしてメンバーが10代とまだ若かったこともあり、やりたいことが違い過ぎた。マスコミはメンバー同士の不仲説を面白おかしく掻き立てたが、真相は本人にしかわからない。その後、旧メンバー2人で再結成し、活動したが、それも長くは続かなかった。当時、「Secret Base~君がくれたもの~」は若者の青春バイブルとなった。

 2 アイドル夢工場

 夕やけニャンニャンから誕生した「おニャン子クラブ」が全盛だった1987年頃、フジテレビ・お台場開催の夏のイベントを盛り上げるために、秋元康の思いつきで結成し、気まぐれで解散に追い込まれた。おニャン子クラブの妹分で、メルヘンチックな衣裳で、可愛い10代の女の子を集めて誕生させた。デビュー曲「アドベンチャードリーム」で夜ヒットなどにも出演したが、人気が出始めた頃に、特に解散宣言があったわけではないが、2曲目の発売が無かったため自然消滅した。したがって突然消えた印象が強い。
 私は、京都府出身で皆藤愛子さんに似ていた「桜川佳世」さんがお気に入りだった。おっとりした京美人で、ほんわかした感じが良かった。今では47歳になられている筈だ。

 3 Whiteberry

  北海道北見市出身の女子によって1994年に結成された。1999年にメジャーデビュー。2000年9月に発売された「夏祭り」(JITTERIN'JINNのカバー曲)はTBS系「ふしぎな話」の主題歌に起用され、オリコンチャート最高位3位を記録する大ヒットとなり、この楽曲で第51回NHK紅白歌合戦に出場した。
2004年3月31日にメンバーが大学へ進学したことにより、活動が出来なくなったとして、きたみ東急百貨店、北見オニオンスタジオでのラストライヴをもって解散した。活動期間はメジャーデビューから数えて4年7ヶ月27日だった。

 こちらも人気絶頂の時に突如解散になったという印象が強い。

 ほかにはBabe(ベイブ)やMi-ke(宇徳敬子)、ザ・ヴィーナス、アラジン、TOM CAT、C-C-Bなどもそうだ。今でもカラオケで懐かしく歌い継がれている楽曲があるのに、肝心の歌っている人やグループ名が思い出せないなんてことも少なくない。歌は世につれ人に連れというが、それではあまりにも悲しい。したがって、今日はそうした歌っている側にスポットを当ててみた。懐かしく彼らの面影を思い出してくれていたらありがたいと思う。

2018年10月20日 (土)

この世から失くしたほうがいいもの

 私は、この世には無くても困らない物、いや逆に切り捨てたほうが世のためになるとさえ感じている。それは俗世間的に「無用の長物」と呼ばれている。役立たずという観点もあるが、実際はなぜ、このような産物や制度を設けたのか疑問であることが多い。今日は、そうした社会にそぐわないものを取り上げていきたい。

 1 沖縄・北方対策相

 北方領土問題や沖縄の基地移転問題など、毎年、進展が何一つないのに、一体、この担当相は日々、どんな活動をしているのか?税金の無駄であろう。北方領土は旧ソ連に不法に占拠されて以降、まったく歯が立たない。まして、数年前に就任したこの担当相は、「北方4島」の名前すら正確に言えなかった。情けないのにもほどがある。こんな大臣は不要だ。各派閥への気遣いで、派閥順送り内閣を形成しているから、数合わせで大臣を選んでいるからこのような愚直な事態に窮するのだ。

Northern_islandHenoko

 沖縄の基地移転も然り。沖縄県民は、米軍兵士の相次ぐ犯罪に業を煮やし、米軍を沖縄から排除しようとするが、現憲法では、仮に中国や朝鮮国が攻撃をしかけてきたら、米軍なしには防御などできはしない。米軍が駐留しているからこそ、中国や朝鮮族は沖縄に手出しができないのだ。
 米軍を沖縄から完全に追放したかったら、自衛隊を増強し、現在の嘉手納基地、普天間基地など、現在沖縄に駐留している米軍と同等の兵力を配備しなければならない。近隣諸国との兵力の均衡こそが、戦後70年も侵略を許さなかった要因である。
 しかし、アメリカ依存の領海防衛は、その防衛費に年間に巨額の費用を日本側が支払っているのもまた事実で、これを自国の防衛費で賄えないか模索している。そのために、安倍首相は岸元首相時代からの悲願ともいえる「憲法改正」への強い意志を示しているのだ。

  また、失言を繰り返す議員や、議場に子連れで現れたり、飴を舐めながら答弁する非常識議員、さらには不倫議員もまた然り。そして、竹島を日本固有の領土として教科書に掲載しているにもかかわらず、韓国に実効支配を許し、無抵抗な議員など無用だ。こうした無能議員は根こそぎ辞めてもらいたいし、国民が厳しい目で断罪してほしい。

Ogata

 2 教員免許更新制

 これは中学校で数学の教師をしている友人から聞いて唖然としたが、教師になるためには、それぞれの教科について、専門教育を受け、その教科で免許を取得している。しかし、平成21年にスタートした免許更新制では、自らの専門教科を受講しなくても、更新できてしまうという事実をご存知だろうか?「最近の教育事情」という必修科目6単位とか、心理学とか、全くその教科と関係ない科目を30単位履修しただけで、自分の専門科目の免許が更新されてしまうというのだ。
 これは当時、教員の不祥事が後を絶たないことから、教員免許に10年間という有効期限を設け、再教育ともいうべき研修を積ませ、いわるゆ反面教師やダメ教員をシャットアウトしようという、いわば国策で誕生したものだ。
 しかし、友人いわく、教員の世界も「親方日の丸」で、給料が同じなら、楽して何もしないという馬鹿教員が腐るほどいるらしい。部活動もせずに、勤務時間きっかりに帰る教員と、生徒指導に熱心で部活動で土日もなく働く教員とが同じ評価をされている現状があり、やってられないと思うことも多々あるそうだ。つまり、民間ではありえないが、年齢だけ重ね、仕事をしない人間が、休みなく目一杯仕事をしている者よりも給料が高いという逆転現象が起きているという。

Menkyokoushin

 3 80歳以上の運転免許更新

 近年、やたらと高齢者の運転する車が大事故を引き起こし、社会問題化している。逆走、アクセルとブレーキの踏み間違いによる暴走、交差点での安全確認の怠りなど。過信や自分は大丈夫と高を喰って運転を続け、歩行者をはねて死に至らしめ、取り返しのつかない事態を引き起こす。
 私は運転免許は取得年齢が18歳と決まっている以上、高齢者にも返納年齢を設けるべきだと感じている。「人を年寄り扱いして!」と反論する前に、自分の反射神経の衰えを実感した方がいい。

Silver_age_driving 

 車を奪われたら、買い物などの生活に支障を来たすから、やむを得ず運転を継続しているお年寄りが多いが、ひとたび、他人を死傷させたら最後、安定した老後の生活どころではない。交通刑務所で生涯を終える前に、速やかに免許を返納してほしい。それを促進するために、代わりの足となる公共交通機関の整備も必要になる。行政には、お年寄りが外出や遠出しやすい環境作りを同時並行ですすめてもらいたいものだ。

 4 国民栄誉賞

 第1回の受賞者は「王貞治」氏だが、知っている通り、彼の国籍は日本ではなかった。台湾国籍であったため、高校生の頃は国体に出場できなかった。
 また、この授与条件が不文律であるため、その都度、時の首相の気まぐれや内閣の腹ひとつで推挙されている。これまでも不思議な審査基準が露呈しているのは周知のところ。例を挙げよう。

 美空ひばりは受賞しているのに、同じ昭和の大スターの石原裕次郎は貰っていない。
 渥美清は貰っているのに高倉健や三船敏郎などは貰っていない。
 黒澤明は受賞しているのに、子どもに夢を与え続けた円谷英二は貰っていない。
 長谷川町子は貰っているのに、手塚治虫や藤子不二雄、さくらももこは貰っていない。
 吉田沙保里や伊調馨は貰っているのに、北島康介、野村忠宏、内村航平は貰っていない。
 植村直巳は受賞しているのに、日本初の女性エベレスト登頂成功の田部井淳子は貰っていない。
 高橋尚子は受賞したのに、同じ五輪女子金メダリストの野口みずきは貰っていない。
 羽生善治は受賞しているのに、4,000勝の武豊や元世界チャンピオンで13連覇の具志堅用高は貰えない。
 王貞治や長嶋茂雄は受賞しているのに、野村克也や金田正一、野茂英雄は貰っていない。
 また、団体ではミュージカル「CATS」で9,000回もの公演記録を持つ「劇団四季」などが貰ってもなんら不思議ではない。
 W杯女子サッカーチームが貰っているのだから、東洋の魔女のバレーボールチームやオリンピック6連覇を達成した男子体操団チーム、札幌五輪の日の丸飛行隊などが貰ってもいいはずだ。
 また。一時代を築いた「力道山」や「アントニオ猪木」などが貰えてもいいのでは?

Kokumineiyo

 そして2018年の羽生結弦で29人受賞しているが、B型が圧倒的に多く、次いでO型で締めているのをご存知でしょうか?日本人の38%を占めるA型は少ない。

 B型・・・渥美清、長谷川町子、黒澤明、森光子、森繁久彌、長嶋茂雄、伊調馨、羽生結弦、藤山一郎
 O型・・・王貞治、衣笠祥雄、美空ひばり、高橋尚子、 松井秀喜
AB型・・・大鵬、羽生善治
 A型・・・植村直巳、山下泰裕、千代の富士、井山裕太
不明・・・長谷川一夫、服部良一、古賀政男、吉田正、遠藤実

 そのうち私が貰うと予想しているのは、明石家さんま(B型)、イチロー(B型)、YOSHIKI(B型)、萩本欽一(A型)らだ。

 5 二度も犯人の逃亡を許した大失態の警察官

 市民の安全を守るべき警察の不始末が今年、二件もあった。愛媛県警と大阪富田林警察署だ。二件ともに長期間の逃亡生活を許してしまった。特に、強制性交などの重罪犯の樋口容疑者は、あろうことか、大阪から自転車で日本一周を装い、山口県まで逃げ延びた。途中、衣類や食料など盗みを繰り返しながら48日間も捕まえることすらできず、苦肉の策は犯人確保の重要情報者に200万円という高額の懸賞金まで出す醜態。
 48日間、市民を不安に陥れた警察の責任は大きい。本来であれば、厳重な警戒の元、犯人を移送しなければならないのに、やすやすと逃亡を許した管理態勢の甘さ。こうした緩み体質は西日本に特化しているのは単なる偶然だろうか。
 
Hirao_2 Higuchi

 本日の記事の本質は、社会的に不要なものという視点でお送りしたが、日本は太古の昔から災害列島である。むろん、台風、地震、雷、噴火、洪水、土砂崩れなどの自然災害に見舞われてきた。ほかにもガンや脳卒中、心臓病などの三大成人病もそうだ。このような人命を危機に晒すような危険は排除したほうがいいに決まっている。その備えこそが災害を振り払う予防策であることは言うまでもない。

2018年10月19日 (金)

UFOや地球外生物に関する極秘映像

 信じる、信じないは個人の勝手として、動画サイトには信じられないような映像がアップされている。個人がここまでCGで偽物を作り出せるものか?と逆に信じたくなるようなすごいUFO(未確認飛行物体)の映像を特集したい。

 1 UFOを運搬する動画集

 眉唾っぽい飛行中のUFO動画は何度も見たことがあるが、トラックで運ばれていくさなかのUFOはあまり見たことがない。これは本物か?それともフェイク?はたまたどこかの店に飾るために人工的に作られたオブジェ?
 日本ではまずありえないが、もしこんな場面に遭遇したら、あれは何だ?では済まされない。怖いし、ひょっとしてUFOは本当に実在するのか?と信じ込んでしまうかもしれない。一体だれが何の目的で・・・。勘繰りたくなる。

 2 地球で作られた精巧すぎるUFO

 あまりにも至近距離で撮影されているが、どうも胡散臭い。どう見ても合成CGだとしか思えない。こんな小型のUFOはあるのか?これに搭乗できるのは1人で、もし大勢乗るとしたら、宇宙人は小人サイズ?しかもこんな至近距離で無傷で撮影できるわけがない。
 高度な科学技術や知能を持つ、人間がいる以上、地球を超える文明を持った星があっても不思議ではない。これが本物だとしたら、きっと地球に何らかの目的(偵察・侵略)で来ていたとしたら、「インディペンデンス・デイ」のようなことが近い将来に起こり得るかもしれない。

 3 飛行機を追い回す謎の飛行物体

">

 かつてスピルバーグ監督の「未知との遭遇」という映画が公開され、「接近遭遇」という言葉が生まれた。そしてテレビでは、さも実在するかのように「木曜スペシャル」で矢追純一氏監修の「UFO特集」が放送、独特のBGM(ジングル)で視聴者を恐怖とミステリーワールドに陥れた。

 4 ニュース映像にも使われた衝撃のUFO

">

https://www.youtube.com/watch?v=Xx6Hwu9CcKw

 UFOから小さな宇宙人が出てくる映像は、中国テレビ局のニュース映像で流されたものだ。中国人はフェイク映像制作の巣窟だが、ここまで手の込んだCG映像はなかなか作れないだろう。

 5 地球に墜落死した宇宙人をFBIが解剖したニュースを中国が報道

 日本人なら一度は見たことがあるこの映像だが、わざわざ中国のテレビ局がニュース映像として報道するからには、かなり宇宙人の存在を信じ込んでいるといって過言ではない。一見すると、手の込んだ人形にも見えるが、ここまでリアルには作れないだろう。

 6 メキシコで多発するUFO目撃例

 中南米メキシコや南米ペルーは古代文明発祥の地。マヤ文明は高度な宇宙の知識を古代から持っていたし、ペルーもまた「ナスカの地上絵」などで謎と不思議を秘めた土地柄だ。ロシアの隕石落下事故と同様、このメキシコではUFOとの関わりが深く、目撃例や撮影者が後を絶たない。中には金儲けや注目されたいがゆえのフェイク映像も多いが、それでも数多くの目撃者が存在するのも事実だ。 

 さて、今日は説明不可能なUFO映像を特集してみたが、こうした動画は「心霊ビデオ」と同じで、科学で解決困難な事象だけに、謎が謎を呼ぶばかりだ。地球という高度な文明を生み出した生物が現にこうしているのだから、この広い宇宙で、地球外生物がいても何らおかしくはない。

 

2018年10月18日 (木)

今は無き郡山の建造物特集

 「郡山」は私が生まれ、現在まで居を構えている場所だ。大学時代と初任地の計8年を除き、46年間も住んでいるため、その変遷(街の変化)はすべて心得ていると言って過言ではない。しかも市内の中心地にあたるH山小学校、郡山N中出身なので、駅前は遊び場だったし、幼少の頃は、軍用道路(現うねめ通り)は砂利道、朝日町の市役所周辺は田んぼだらけだった。
 そんな昭和の長閑な風景だった頃から知っている。そこで今日は、私と同年代、あるいは先輩諸氏にとって懐かしいであろう昔の写真の中から、今はもう無い建物を一挙紹介したい。ぜひ当時を懐かしみ、コメントなどを頂けたら幸いです。

 1 ここはどこ?

Img_8014_r

 麓山にある、郡山市民なら絶対に知っている風景だ。左に、オランダの世界遺産「ゴルドバ」を模して建てた「公会堂」、その奥には今は無き「市民会館」、その奥にNHK、右側には現在中央図書館がある場所だが、天文台を備えた「児童文化会館」が見える。下の写真が懐かしすぎる「児童文化会館」だ。昔、デパートの屋上や温泉街で見かけた古めかしいゲーム機があったし、渡り通路で繋がれた西側の平屋には図工室のような空間のある教室があった。

Img_7998_r

 2 ここはどこ?

Img_8020_r

 この画像がどこかわかる人は、昭20年代生まれの方に違いない。真ん中の建物は、昭和末期まで存在した「昭和シェル石油」のガソリンスタンドだ。とすればどこか?
 答えは、私が行きつけの酒屋さんの真向かいにかつてあった「朴」(ボーキ)のGSだ。さくら通り沿いの虎丸町と長者の境で、現在はドコモショップやツルハドラッグが立つ場所である。
 「SHELL」と書かれた後方にあるのは、かつて木造だった頃の「郡山二中」だ。
  
 3 これはどこ?

Img_7994_r


 これはわかりやすいと思う。右の白い建物は、「郡山警察署」で、その左奥が「郡山消防署」だ。現在の「郡山署」は高度経済成長に伴い、交通量が増え、事故が多発していた国道4号線と49号線の交差点に移転したが、当時は「善導寺」南隣りの現在の「郡山消防署」に同居していた。新産業都市にあって、この規模ではかなり手狭になった。まして、当時の郡山市は「東北のシカゴ」と称されるほど「やくざ」が多かった。治安維持には移転する必要があったのだ。
 それにしても躍進著しかった広域郡山市をこんなちっぽけな警察署で守っていたのは・・・。

Img_5298_r

 懐かしい旧消防庁舎の火の見櫓。その裏手にある学校は「金透小学校」だ。左端には今ではもう撤去された歩道橋が懐かしい。実はこの歩道橋、市内熱海町の国道49号線沿いにある「らーめん工房味噌屋」の向い側の資材置き場に放置されている。

 4 ここはどこ?

Img_8021_r

 どうみても学校だが、ここがどこだかわかりますか?なんとここは市内中心部・虎丸町のさくら通り沿いにあった「ザベリオ小学校」だ。今はここに「ホテルハマツ」が聳え立っている。
 「ホテルハマツ」の開業が平成3年5月だったから、建設期間を含めれば、昭和末期まであったと思われる。その後、「ザベリオ学園」は市内西部の自衛隊の北側に移転したが、それまではこんな一等地に小学校と中等部、そして南東側には幼稚園まで備えた幼小中の一貫教育の先駆けとなる私学だった。

 5 ここはどこ?

Img_9699_r

 これはわかりやすいだろう。この道路は「さくら通り」で、やはり清水台から虎丸町方面を撮影した絵面。「大友パン」の斜め向かいには、昭和の頃まで巨大な2階建てのスーパー「ヨークベニマルさくら通り店」が立っていた。1階が食料品売り場で、西側にあったエスカレーターを上がった2階では衣料品を販売していた。3階は商品倉庫と事務所があった。何を隠そう、一時期、ここで私がアルバイトをしていたので隠しようのない事実だ。
 この真向かいには知る人ぞ知る「トキワスーパー」があって、その東隣りには、紳士服専門の「赤トリ井」があった。その後、旧トキワスーパーは私の行きつけだった「ブックオフ」となったが、老朽化が激しい建造物だったせいか2011年の震災で崩壊し、取り壊された。

 平成に入った頃に、「ベニマル」は今の郡山二中の南側の、現在のツルハ&ドコモショップがある場所に移転したのだが、旧日東紡第二工場があった場所に「THE MALL郡山」が建設されるのに伴い、約2年ほどで閉店した。売り場が手狭だったことも理由のひとつだ。
 「ベニマルさくら通り店」があった場所は、現在は芳山公園」となっている。それにしても郡山市には市街地にやたら多くの公園がある。荒池、酒蓋、麓山、鐘堂、開成山、21世紀記念公園(旧日東紡第一工場跡)などだ。

 21世紀記念公園がある旧日東紡第一工場跡地は、地上20階建ての国際会議も可能な一大イベントホールを建設する計画があったのだが、それが途中で頓挫し、広大な公園と化した。おそらく老朽化した「合同庁舎」をそこに移転するつもりだったのかもしれない。
 
 また、「さくら通り」とは名ばかりで、昭和までは通り沿いに植えてある街路樹は「柳の木」だった。秋頃まで長い葉が垂れ下がり、視界を妨げ、鬱蒼としていた。

 さて、本日は郡山の中心市街地をメインに、昔あった懐かしい建物を紹介した。なぜなら、私の実家がやはり虎丸町にあって、40年前、どこに何があったまで詳しく知っている。ぜひ懐かしく思い出された方は、コメントをお寄せください。特にH山小、郡山N中出身の方は大歓迎です。
 また、今日紹介した画像は、ほんの一部ですので、機会があればまた当ブログにて紹介できればと思います。

 

 なお、この記事をお読みになり、懐かしいと思った方は、ぜひ昔のエピソードを添えてコメントをお願いします。普段は、当ブログではコメントを受け付けませんが、「郡山の話題」だけはコメントを募集したいと思います。

 

 

2018年10月17日 (水)

公道を走る意外な車両

 日本には道路交通法や車両法など公道を走ることが出来る車両には厳しい規則がある。しかし、公道をこんなものが走っているという驚くべき映像が動画サイトに数多く公開されている。本日はそれを題材にしたい。

 特別なサプライズやどっきり映像なんかではなく、普通にドライブしていて、いきなりこんなのが出てきたら、ビックリするだろうし、偶然居合わせた人の注目度は抜群。

 1 馬が公道を走る!

 札幌や喜多方などは公道を観光用馬車が走っているが、これは乗り手もなく、逃げて逃走中か暴走しているようにしか見えない。

 2 戦車

 交差点でふと隣を見たら戦車・・・。ヤバすぎでしょ。

 https://www.youtube.com/watch?v=jWtHsi9VpRM

 https://www.youtube.com/watch?v=3twMSLO_ZgU

 陸上自衛隊北部方面隊第7師団が28日夜、戦車や装甲戦闘車など16両を公道で走らせる「長距離機動訓練」を実施した。東千歳駐屯地(千歳市)から苫小牧港までの30キロを自走、釧路から矢臼別演習場(別海町など)までの約60キロは一部を除きトレーラーで移動させた。公道で長距離を戦車が移動する訓練は全国的に珍しいという。
 走行したのは90式戦車4両、89式装甲戦闘車10両、戦車回収車2両の計16両と安全誘導のための小型車両約50両。自衛隊員総勢170人が参加した。

 10式戦車はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=C2Ia6kcJpug

 装甲車はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=FC9tXX-I3pI

 3 レーシングカー

 F-3000フォーミュラカーを公道仕様に改造。確かこの名古屋ナンバーのフォーミュラマシン、テレビの企画で首都高を走っているシーンを見たことがある。すれ違う車や交差点で見かけた通行人の反応は半端なかった。

 清涼飲料水メーカーのレッドブルは5日、横浜市中区元町で、同社レーシングチームのF1マシンによる公道デモンストレーション走行を実施した。

 https://www.youtube.com/watch?v=fHOuhX3YIf8

 高速を走るレースカー https://www.youtube.com/watch?v=5EikY5F3OPM

 4 仮面ライダー

 ニュース映像にもなった公道を走るコスプレライダー。サイクロン号だけでなく、全身仮面ライダースタイル。正体不明なのがいい。マスコミもあまり暴かないで欲しい。
 外国ではバッドマンのコスプレとバイクで走行する動画がアップされているが、ヒーローだけに注目度は抜群だ。
 法律には適用しているが、よく警官に呼び止められ、停車を求められることも多いらしい。逆に新幹線のドクターイエローのように、目撃者は幸福になれるといった都市伝説が生まれてもいいような気がする。正義の味方は現代においてもヒーローであってほしい。

 キカイダーはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=3Q7GNYylCcE

 5 マリオカー

 靖国通りを走るマリオ軍団 https://www.youtube.com/watch?v=snf6m7M4A-o

 外国の街を走行するマリオ https://www.youtube.com/watch?v=MytfhzcSF-Y

 マリオやルイージーのコスプレで、カートに乗って東京都心を走ったら、街行く通行人や外国人観光客の反応はいかに?

 6 ポインター

 ウルトラセブンに登場したウルトラ警備隊の車。ベースは車両はクライスラー・インペリアル・クラウン。こんなので公道を走っていたら注目度は抜群。すぐに撮影会となる。

 他には千葉県の公道を走るバッドマンのバッドモービルも投稿されている。

 千葉ットマン https://www.youtube.com/watch?v=zB_CqlTppPE

 さて、中には注目されたい一心で目立とう精神で無理やり走行している映像もあるが、普通に考えて、突然、こうした車両に出くわしたらビックリ仰天するに決まっている。公道ではなかなかお目にかかれないので、遭遇したら撮影したくなる気持ちも理解できる。最近はドライブレコーダーが普及し、誰でもこうした映像を撮影し、動画サイトにアップできるようになった。良識の範囲内であれば、このようなサプライズ映像はどんどんアップして私たちを楽しませてほしいと思う。

2018年10月16日 (火)

朝の情報番組のMCはO型だらけ?!

 東京にキーステーションがある各テレビ局がこぞって毎朝放送している朝の情報番組。日テレは「ZIP!」、テレ朝は「グッドモーニング」、TBSは「あさチャン」、そしてフジテレビは25周年を迎えた「めざましテレビ」だ。平日の忙しい朝、寝起き一発目に見るテレビは、やはり目覚めの良い爽やかな雰囲気で迎えたい。嫌でも暑苦しい出演者は見たくない。そうした作用が顕著なのが、色白が多いO型の面々で、どうしたことか、各局ともに朝の情報番組のMCにはO型の出演者で固める傾向が強い。
 皆さんは、作戦とも思えるようなこの傾向があるのをご存知でしたか?単なる偶然なんかじゃない法則を立証するために、論より証拠。検証してみたい。

 日本テレビ「ZIP!」

 MC・・・桝太一(O型)、川島海荷(O型)、徳島えりか(O型)、山口達也(O型・降板)
     後呂有紗(O型)、田中直樹(O型)
     工藤阿須加(B型)、篠原光(B型)、鈴木杏樹(AB型)

          Zip


 テレビ朝日「グッドモーニング」

 MC・・・松尾由美子(O型)、新井恵理那(O型)、
     角澤照治(B型)、坪井直樹(不明)、飯村真一(不明)、龍崎孝(不明)

 テレ朝は局アナのプロフで血液型を公表していない。

             Good_morning


 東京放送(TBS)「あさチャン!」

 MC・・・夏目三久(O型)、笹川友里(O型)
      山形純菜(B型)、山本里菜(A型)

       Asachan


 フジテレビ「めざましテレビ」

 MC・・・三宅正治(O型)、軽部真一(O型)、加藤綾子(O型・卒業)、生野陽子(O型・卒
     業)、久慈暁子(O型)、宮司愛海(O型・卒業)、山崎夕貴(O型)、
     曽田麻衣子(O型)、堤礼実(O型)、伊藤弘美(O型)
     永島優美(A型)、生田竜聖(A型)、阿部華也子(B型)、鈴木唯(B型)

       Mezamashi

     「めざまし土曜日」
 
 MC・・・佐野瑞樹(O型)、長野美郷(O型・卒業)、宮澤智(O型)、高見侑里(O型)、
      沖田愛加(O型)
      岡副麻希(A型)、木下康太郎(A型)、永尾亜子(AB型)、西山喜久恵(AB型)

       Mezado


 ほかにも、「ズームイン」を長らく務めた西尾由佳理アナもO型だったし、福澤朗もO型だった。「スッキリ!」の加藤浩次もO型。また、「ビビット」の国分太一と真矢ミキもO型。
「とくダネ!」では伊藤利尋と山崎夕貴がともにO型。 

 どうしてこうもO型だらけなのか?冒頭で述べた通り、一日の始まりだけに、朝は爽やかに目覚めたい。鬱陶しい雰囲気ではブルーになる。朝の情報番組のプロデューサーはなんらかの意図があってO型アナをキャスティングしているとしか思えない。
 おそらく、O型が持つ柔らかでおおらかな性格、そして色白で丸顔の人が多いため、とっつきやすさを醸す。国民的に明るくて良い印象を与えるからかもしれない。

 

2018年10月15日 (月)

閲覧注意~歩きスマホ危険映像~

 私は未だにガラケーなので、スマホ中毒に陥り、寝ても覚めてもスマホをいじっている人間の心理がわからない。歩きながら、あるいは運転中のスマホ操作がどれほど危険なものか、それに集中するあまり注意力散漫になり、命を落とした人もいる。こうなるとスマホ心中だ。
 今日は、ポケモンGO!だけでなく、通常のながらスマホがどれほど危険かを検証する意味で、そういう動画映像を集めてみた。中には死亡事故もあるので閲覧は自己責任でお願いします。

 1 中国発、夜中に歩きスマホで川に落ち、溺死(閲覧注意)

 自分が川に寄っていることすら気づかないスマホの魔力。私から言わせれば死を呼ぶ道具だ。ほんの数分前まで、自分が溺死するなど絶対に予想もしていなかった筈。ちょっとした不注意で命を落とす。この女性は、この日ここで死ぬためにずっと生きて来たことになる。なんとも運命は皮肉だ。歩きスマホ操作をしなければ・・・、スマホがこの世になかったら・・・この日、ここを歩かなければ・・・もっと人生を長く生きられたのに。

 2 中国発、歩きスマホで立体駐車場に通い込んだ結果(閲覧注意)

 人はここまで一つのことに夢中になると周囲が見えなくなるのか?自業自得とはいえ、本人はまさかここで、スマホ操作が原因で車の下敷きになってこの世とお別れするなど、想像だにし得なかっただろう。自ら死に近づいて行く行為をしているとは当の本人は知る由もない。

 3 中国発、原チャリ運転中 スマホに夢中で大けが   

 車が走っていないから大丈夫と高をくくっていたら、路駐してあったトラックへ激突。
女性は頭部を30針も縫う羽目に。ヘルメットをかぶっていなかったのもまずかった。それにしても中国は交通マナーがなっていない。

 4 中国のレストラン 従業員の「歩きスマホ」で厨房が爆発

 中国の江西省のレストランで、女性従業員がレストランの厨房で「歩きスマホ」をしていて、プロパンガスのタンクにつまずいてしまい、プロパンガスが倒れてバルブが壊れて、厨房でガスが噴出して爆発するという大参事が起きた。

 5 歩きスマホで事故にあうとこうなる ドラレコ 閲覧注意

">

 閲覧注意 歩きスマホや、ながらスマホで事故にあった人たち 歩きスマホ 運転中のスマホ操作は危険ですので、絶対にやめましょう。

 6 日本で中学生が死亡した歩きスマホ例

 静岡市のJR線の駅で、男子中学生が列車とホームとの間に挟まれ、死亡した。中学生は、スマートフォンを見ながら歩いていたとみられている。

 スマホが原因でひどい死に方をした人5名 
 https://www.youtube.com/watch?v=7ATYa9Jyq5w

 7 歩きスマホやめよってなる動画まとめ

 8 携帯電話を見ながら事故が起こった瞬間TOP20

 9 歩きスマホの危険性!歩きスマホをしているとこんな事故に繋がってしまう。

 冒頭のホームから転落はあわやだろう。たまたま電車が入線しなかったから良かったものの、即死間違いなしの状況。たぶん受け身がとれない状態だったろうから、骨折はしたかもしれない。突然宙に浮く感覚はひやっとしたのは間違いない。

 さて、四六時中スマホ操作をしているそこのあなた、自分には関係ないと思っているかもしれないが、今日紹介した動画の方たちもそう思っていた。歩きスマホは社会の迷惑だ。私は道路交通法で処罰の対象にしてもおかしくないと思っている。それくらい危険行為だ。シートベルト着用違反は、事故って死んでも自己責任だが、歩きスマホは他人を巻き込む大迷惑行為だ。ぜひこれを取り締って欲しい。 

 最後に、こうなってほしくないので、閲覧注意映像を掲載し結びとしたい。

 

 衝撃の映像→ https://www.youtube.com/watch?v=5OKdk3q5URU

 ↓ながらスマホで死亡事故のトラック運転手 1億2千万円の損害賠償 

 https://www.youtube.com/watch?v=lfnApFKs4Jo

 これを見ても改心しないのなら死路へまっしぐらだ。不注意の代償はあまりにも大きい。

2018年10月14日 (日)

今見ると笑っちゃう昔のヒーローたち

 幼少の頃に本気で見に行った映画やヒーロー物のドラマやアニメは、今見ると笑ってしまうものが多い。稚拙な内容だったり、作りが雑だったり、あるいは着ぐるみだとバレバレのコスチュームだったりだ。
 しかし、当時は一世を風靡し、人気があって、少年たちを夢中にさせた力作であったことは疑いようのない事実だ。

 では論より証拠、昔のヒーロー動画を見てみたい。

 1 黄金バット

 ヒーローを呼ぶときの呪文はこの時代の極め付き。「こうもりさん、こうもりさん」と女性が助けを乞う。この手法はモスラ」で双子の「ザ・ピーナッツ」がモスラ降臨を願い「モスラ~や、モスラ~」と唱えた謎の歌を彷彿させる。

 2 宇宙怪獣ガメラ

 歌も昔の軍歌をモチーフにしたのか「月火水木金」という歌詞が出て来る。セリフ回しもhとにかく古くさい。わざとらしい。

 3 SFドラマ「猿の軍団」

 1967年に放映されて一世を風靡した「猿の惑星」の完全パクリと思えるようなテレビドラマが日本で制作された。その名も「猿の軍団」。いかにもとってつけたようなタイトルだし、そのストーリーも「猿の惑星」の完コピのような雑さが顕著。
 オープニング主題歌も投げやりとしか思えない。動物園で猿を撮っただけの映像に加え、時代劇のような曲調と歌詞。この時代の歌詞には横文字はほとんど使われていない。「猿の軍団」を連呼する単調の歌詞。まるで日光猿軍団のPRソングと聞き違えるほどだ。

 「猿の軍団」予告集 https://www.youtube.com/watch?v=zN45mB1U1Os

 猿の支配下から逃亡する泉先生役に、美人女優だった徳永れい子、ユリカ役には当時、NHK少年ドラマシリーズでも人気を博した斉藤浩子が出演していた。

 4 ミラーマン

 「ウルトラマンシリーズ」がちびっこ達の人気と支持を得たことで、便乗とばかりに、多くの巨大ヒーローシリーズが制作・放映された。
 「ミラーマン」「シルバー仮面」「ジャイアントロボ」「アイアンキング」「スペクトルマン」「マグマ大使」「サンダーバード」のパクリの「マイティジャック」などだ。

 5 栄光の特撮ヒーロー大全集

 

 今見ると吹き出しそうな稚拙な着ぐるみ。そしてストーリー展開も古くさい。しかし、当時の子供たちにとっては紛れもなく正義のヒーローだった。

2018年10月13日 (土)

悲しすぎる動画

 皆さんは、かつてびわ湖温泉にあった「ホテル紅葉」をご存知でしょうか?
私は福島県在住者だが、昭和から平成初期まで、県内でもこのホテルのCMを流していた。湖畔にそびえ立つ巨大ホテルという印象で、ジェットコースターがあったり、内部は一大レジャーランドの様相をきたしていた。そんな昭和を代表するようなリゾートホテルだったが、5年前の2013年1月に廃業に追い込まれた。営業開始は私が生まれた年と丸かぶりの昭和39年(東京オリンピックの年)、つまり、半世紀近い49年間の営業期間が流れたことになる。

 では福島県でも何度も流れた懐かしいCMをどうぞ!

 https://www.youtube.com/watch?v=sz_h1qehmwM

 https://www.youtube.com/watch?v=3ZinR3-tFA4

 https://www.youtube.com/watch?v=OAJQdCbaFvU

 「ホテル紅葉 概要」

  •  びわ湖温泉はかつて、ホテル紅葉(1964年(昭和39年)開業)を中心とするレジャーランドだった。周辺には遊園地のびわ湖温泉紅葉パラダイスが隣接していた。1966年(昭和41年)に紅葉パラダイスとして開業し、のちに「びわ湖パラダイス」に変更、1998年(平成10年)12月廃業した。
  • ホテル紅葉のアイドル歌謡調から突然演歌調に変わる歌が流れるテレビCM(歌手:清水京子)があり、近畿地方のほか、ほぼ全国で放送されていた。特にテレビ朝日系列の土曜日夕方〔ビッグスポーツの時〕は必ず放送されていた。
  •  全国的に有名なこのCMを歌っていた歌手はこちら

  •  
  •  では本日の本題の「悲しすぎる動画」をお送りしたい。それは、この一世を風靡したホテルが解体される一部始終を撮影した映像だ。栄枯盛衰を実感できる内容で、当時を知る世代や、実際にここに宿泊した方々は涙ものかもしれない。

     私は郡山市磐梯熱海温泉にあった「磐梯グランドホテル」と「磐光パラダイス」が解体された時と同じ郷愁を感じた。幼少の頃、何度も訪れ、慣れ親しんだ場所が無くなるのはあまりにも寂しい。まして昭和の遺物がどんどん減っていくのは残念至極だ。

    2018年10月12日 (金)

    似すぎのふたり

     テレビを見ていると、双子でもないのに似ていると感じる芸能人同士がいる。世の中には自分に似た人が3人いると言うが、芸能の分野では、その確率が高まるらしい。
     今日はそんな人たちを取り上げたい。

     高橋ひかると唐田えりか

    Takahashihikaru Karataerika

     唐田えりかは今年から来年に向けて大注目の女優さんで、大ブレイク間違いなしの逸材。清純派の代表のような清楚な風貌と、柔らかな印象が男心をくすぐる存在だ。
     一方の高橋ひかるも「チオビタドリンク」のCMなどに出演している新進気鋭の若手女優だ。「こんな子が自分の娘だったらいいのに」と何度思ったことか。ちなみに高橋はO型で、唐田はA型ということだ。
    上の画像を見比べてもわかるように、イメージがダブる。黒髪のロングヘアーで雰囲気まで瓜二つだ。姉妹役で共演したら、違和感はないし、双子役でもイケるかもしれない。

     矢沢心と芦名星

     いずれもO型で黒髪のロングヘアーが良く似合う、落ち着いて大人っぽい印象のふたり。芦名星さんは、何を隠そう私の同郷だ。JUJUの「奇跡を望むなら・・・」のPVで初めて彼女を見た時に、独特な雰囲気に魅せられた。

    Yazawa Ashina

      同じ血液型ということもあるのか、色白で顔の作りから髪型、雰囲気までそっくりだ。細身で長身と外見まで似ている。

     古畑星夏と小芝風花

    Furuhata Koshiba

     最初、この二人は見分けがつかず、同一人物かと思っていた。最近はこの二人に加えて「伊原六花」、「鈴木あきえ」が似ているように思ってしまう。それもそのはず、4人とも血液型がAで、この顔立ちはA型の特徴のように思える。
     加えて鈴木あきえは笑った顔が同じA型の松嶋菜々子にも似ている。

     さて、計6(9)人を挙げたが、最初、私は彼女たちは同一人物だと思っていた。それくらい区別がつかないほど似ていた。不思議なことだが、芸能界という場所を見ても、これほどそっくりな人がいるという事実を認識しなければならない。
     もしかして、私のそっくりさんがこの世にあと2人いるということか・・・。

    2018年10月11日 (木)

    私が好きな女子アナに見える血液型考

     私の大好物なものに「女子アナ」がある。某有名大学を卒業し、知性と上品さ、それに清楚さを兼ね備えており、男から見たら、憧れの存在だし、理想の女性像に近いものが垣間見える。

     私が50年以上、テレビを見続け、また35年以上も血液型別性格診断の研究をしてきた私だが、この女子アナについても向き不向きのジャンルがあることを発見した。今日はそれをカミングアウトしたい。

     A型・・・ニュース報道

     例)安藤優子、椿原慶子、長野翼、三田友梨佳、小川彩佳、水野真裕美、皆川玲奈、
       秋元玲奈、岡村仁美、市来玲奈、久野静香、小林麻央、木村郁美、皆川玲奈

     型にはまりやすく、アドリブが利かない性格なので、ニュース原稿を読んでいるほうが向いている。

     O型・・・朝の情報番組・スポーツ番組

     例)加藤綾子、生野陽子、久慈暁子、宮司愛海、夏目三久、松尾由美子、新井恵理那、
      山崎夕貴、西尾由香里、堤礼実、宮澤智、長野美郷、高見侑里、林美沙希、田中萌、
      伊藤友里、相内優香、伊藤弘美

     明るい性格で癒しの雰囲気があるので、爽やかさが求められる朝の情報バラエティ番組にうってつけ。

     B型・・・バラエティ番組

     例)高島彩、中野美奈子、狩野恵里、豊崎由里絵(プレバト)、鈴木唯、大橋未歩、皆藤愛子、鷲見玲奈、川田裕美

     マイペースでアドリブが利くので、絶対にアミューズメント系のバラエティ番組向き。

     AB型・・・オールラウンダー、名アシスタント

     例)三ト麻美、大江麻理子、江藤愛、福田典子、尾崎里紗、中島芽生、市川寛子、青木裕子

     AB型はそつがない応対が持ち味なので秘書役にうってつけ。アシスタントには最適で、事務処理も巧い。場持ちも優れている。

     いずれにも当てはまらない・・・小林麻耶、田中みな実、岩本乃蒼、弘中綾香(いずれもA型)

     しかし、最近、セントフォースもそうだが、三十路絡まりの女子アナの結婚ラッシュが沸き起こった。山岸舞彩、長野美郷、伊藤友里らだ。いずれも私が好きだった方々だ。
     では出入りが激しい女性アナウンサーの中で、3年前と現在の「私が好きだった女子アナ」の比較をしてみたい。面白い傾向が見られる。

     「3年前に好きだった女子アナ」

     1位 山岸舞彩   O型 日本女子大 「サンデースポーツ」「ニュースZERO」
     2位 長野美郷   O型 上智大 「めざまし土曜日」
     3位 岡村真美子  A型 「NHKニュース7」
     4位 皆藤愛子       B型 早稲田大 「めざまし土曜日」
     5位 曽田麻衣子  O型 立教大 「めざましテレビ」
     6位 高見侑里       O型 立教大 「めざまし土曜日」
     7位 田中みな実  A型 青山学院大 「有吉ジャポン」「ひるキュン!」
     8位 夏目三久   O型 東京外大 「真相報道バンキシャ」「あさチャン!」
     9位 竹内由恵   O型 慶應大 「報道ステーション」
    10位 秋元玲奈   A型 慶應大 産休中 「モーニングサテライト」

     なんと6人がO型で、ついでA型が3人、B型が1人という結果。ほかにも小林麻央(A型)や平井理央(A型)も好きだった。

    Yamagishimai 9rht9vn7_400x400
    Okamura_mamiko14Aiiko



     「現在好きな女子アナ」

     1位 伊藤 友里  O型 立教大 「サンデーモーニング」「TOYOTA ATHLETE BEAT」
     2位 新井恵里那  O型  青山学院大 「グッド!モーニング」「東京らふストーリー」
     3位 久慈 暁子  O型 「めざましテレビ」
     4位 宮司 愛海  O型 早稲田大 「S- PARK」「めざましテレビ(卒業)」
     5位 井上 清華  B型 青山学院大 「プロ野球ニュース」「めざましテレビ」
     6位 田中 萌    O型 明治大 「はい!テレビ朝日です」「AbemaMorning」
     7位 松尾由美子   O型 慶應大 「グッド!モーニング」
     8位 林 美沙希  O型 明治大 「スーパーJチャンネル」「あいつ今何してる」
     9位 宮澤 智    O型 早稲田大 「すぽると」「めざまし土曜日」
    10位 市来玲奈   A型 早稲田大 元乃木坂46 「行列のできる法律相談所」
    11位 伊藤弘美   O型 立教大 「めざましテレビ」

    Photo Arai_erina20160425a002s

    Kuji20180803_14 Inoueseika

     好きなアナウンサーもお年頃で、この3年のうちに結婚ラッシュを迎えた。山岸舞彩アナ、長野美郷アナ、伊藤友里アナ、松尾由美子アナ、そして伊藤弘美アナなどが相次いで結婚した。

     地元アナウンサー

        3年前                         現在

     1位 小野紗由利 A型 成城大       1位 小野紗由利 A型 「ゴジてれSUN」
     2位 名切万里菜 A型 青山学院大    2位 平川沙英 ? 「はまなかあいづtoday」
     3位 梅田澪理   A型 青山学院大    3位 寺本緒麻里 ?「FTVテレポートプラス」
     4位 鈴木沙喜代 B型 明治大       4位 神谷美寿々 O型 「 同上 」
     5位 東 優花   B型 神戸女学院大   5位 菅原咲子 ? 「レディ・オン」 

    Img_3941_r Img_7640_r
    Img_2146_r Yjimage6go252ex

      不思議だが、女子アナには「里」という字が多く使われているし、「玲奈」という名前も多い。血液型別に見るとO型が8人と圧倒している。安心して見ていられる。ついでA型とB型がひとりずつ。新人の井上清華アナは、アニメ声も可愛い。

    2018年10月 9日 (火)

    伝説のCM~グリコチョコレート~

      その時代時代で人気があった若手タレントを起用して売り上げアップに繋げたCMがある。それは「グリコ」の「アーモンド」&「セシルチョコ」のCMだ。なんと1970年代から現在までそのキャンペーンは継続している。

     グリコアーモンドチョコ CM2 森田健作・岡田奈々1974年   

     森田健作は今でこそ現職の千葉県知事だが、当時は元祖「青春スター」として「俺は男だ」などで名声を得た。硬派のイメージが強かった。
     一方の岡田奈々は、清純派、正統派のアイドルだった。私は小学校高学年の時に大ファンで、彼女のブロマイドを集めていたし、「青春の坂道」のレコードを持っていた。

     三浦友和・山口百恵

    ">

     このカップルは当時のドル箱ゴールデンカップルだった。ラブラブショーでふたりは出逢い、TBSの赤いシリーズや映画で共演し、誰もが結婚して欲しいと願っていた。このCMもシリーズ化し、ふたりの共演は既定路線だった。

     田原俊彦・松田聖子 1980年

     お互いに1980年代のトップアイドル同士。ふたりはよくベストテン番組や夜ヒット、レッツゴーヤング、ヤンヤンやバラエティや歌番組でも共演した常連だった。高原のテレフォンボックスでの出逢いやテニスコートでの再会などシリーズ化した。ぶりっこっぽさが今見ても可愛らしい。

     渡辺 徹・小泉今日子 1982・1983年

    ">

     今では信じがたいが、「約束」を歌っていた頃、「歌う青春スター」だった渡辺徹は比べ物にならないくらい痩せていた。ラガー刑事として「太陽にほえろ!」に出演したあたりから激太りした。キョンキョンこと小泉今日子は、当時アイドルで、出す曲出す曲がトップテン入り。色白で丸顔でとがった顎は、桜田淳子や森高千里を彷彿だせる。3人ともO型だ。
     

     石黒 賢・沢口靖子 

     科捜研がすっかり板についた沢口靖子は若手No.1の清楚なイメージで品の良さは群を抜いていた。こう見えて歌手デビューもしていた。私は彼女と同い年だが、化粧品のCMに出演していた彼女美しさに惹かれた。
     石黒賢は「つぶ塩」のCMで爽やか好青年として売り出した。1990年代に「振り返れば奴がいる」「すてきな片想い」などトレンディドラマに数多く主演した。

    2018年10月 8日 (月)

    いちゃいちゃ感がすごいCM

     1990年と言えば、バブル景気の終り頃だが、その名残を惜しむかのように、爽やかでいて、カップルのいちゃいちゃ感が凄まじいCMがあった。
     今でも人気女優の地位を不動の物にしている山口智子が出演した「カリーナ」のCMだ。当時は自家用自動車(マイカー)が飛ぶように売れた時代で、ニューモデルの新車が続々発売され、街角を彩ったものだ。カリーナはトヨタのミドルクラスで、今見るとデザインが古い印象だが、当時はセダンの中でも中年世代を中心に売れ行きはそこそこあった。決して若者向きではなかった。当時、若い世代に売れに売れたスタイリッシュカーと言えば、プレリュード、シルビア、ソアラの御三家に加え、セリカGT-R、180SX、スープラ(セリカXXの後継)、フェアレディーZ、RX-7、流線型スカイライン、MR2、インテグラなどが街を闊歩していた。
     またハイソサェティーカーもバカ売れした。インスパイア、アコード、ローレルメダリスト、ウィンダム、ディアマンテ、ビスタ、カムリ、デボネア、セフィーロ、ギャランVR4、レガシィなどが大ヒットした。

     本題に戻せば、モデルのイケメン男性と山口智子とのいちゃつきMAXは、今見ても照れるほどだ。美しい山口さんだから許せる感じだ。では早速、その今となっては懐かしいCMをご覧ください。

     このCMはもう28年も前なのに、山口智子さんは、今見ても断然美しいし、あまり古くささを感じさせない。やはり小顔でサラサラロングヘアーは、今も健在だし、流行遅れしていない。「お姫様だっこ」でグルグルも、今でも女子の憧れだが、それをさらりと演じてしまう。

     もうひとつ、山口智子さんが出演したCMで、当時、私が大好きだった作品をどうぞ!

     最初の「サントリーダイナミック」で彼女が「それがアナタの、いいところ~」と歌うシーンがお気に入りだった。彼女と松嶋菜々子さんは共にA型だが、姉さん肌で、多少気が強くて男っぽいところなどの共通点があって、私は両者の大ファンだった。

    仮面夫婦と揶揄されながらも、出産、女優休業の後、復活した際の彼女の微笑ましい「おのろけ」会見をどうぞ!

     なんかほんわか癒される印象だ。とげとげしくなく、それでいてしっかり者のイメージ。あのCMから30年近い月日が流れているのに、その時間の経過を感じさせない若々しさ。吉永小百合さんもそうだが、これぞ女優の本当の姿のように思わせてくれる数少ない女性だ。

     最後に、もうひとつ、同じ1990年に放映されたCMを紹介したい。それは「JRA」の「好奇心100%の競馬」と銘打って、柳葉敏郎と賀来千香子がカップル役を演じたCMだ。
     この頃は、若き天才騎手だった武豊の登場もあり、競馬場がデートスポットとして脚光を浴び始めた時代だ。

     この沢田知可子が歌う「オンザターフ」の曲が大好きだった。シンボリルドルフ、ミスターシービー、トウカイテイオー、メジロマックィーン、オグリキャップ、ディープインパクトなどが緑青い芝生の上をサラブレッドたちが疾走する場面に憧れたものだ。

    2018年10月 7日 (日)

    「消えた天才」がレギュラー化決定!

     テレビを見ていて感動することが多くなった。歳のせいではなく、若い世代が見ても間違いなく泣ける内容の番組だと思う。
     それは、以前もこのブログで取り上げた「消えた天才」という番組だ。私はスポーツは筋書きのないドラマで、真剣勝負だからこそ、表舞台に登場するまでの苦労やその裏にある努力があっての嘘偽りのない感動ストーリーが生まれると思っている。そんな人知れず頑張っていた人であっても、成功する一歩手前で姿を消してしまった天才的才能の持ち主が数多く存在していたことをこの番組を通じて思い知らされた。
     もちろん、ライバルと切磋琢磨する過程で、「こいつには敵わない」とユニホームを脱いだ選手もいるし、家庭の事情やケガや故障などで、泣く泣く競技から引退した大物選手も多数いるだろう。

    そんな人たちにもう一度スポットライトを当て、どうして表舞台から消えてしまったのか、その真の理由を探りながら解き明かしていく。過去の栄光や栄華を回顧するという内容に、惹き付けられるし、興味がわく。
     今回私が、イチ押ししたいのが、遠藤拓哉というサッカー選手の生き様だ。遠藤三兄弟の長男で、2人弟は元日本代表として活躍した名選手だ。ではまず、感動VTRを見て欲しい。

     「消えた天才」 遠藤拓哉   
     

     彼はガンバ大阪などで活躍し、A代表として何度も国際試合やW杯に出場したPK職人の遠藤保仁選手の兄にあたる。現役時代は3兄弟の中で一番上手だったが、怪我もしていないのに、プロには行かず、人知れずサッカー界から身を引いたのだった。

     もうひとつ、私が感動したのは「リオオリンピック400mリレー」の銀メダリストである「山縣亮太」と、そのライバルとの感動秘話をぜひ取り上げたい。

     一番感動する実話はこれ「小児ガンを克服した小林咲里さん」↓

      動画をご覧になって感動しませんでしたか?号泣間違いなしのこうした真実のドラマが実際に行われてきたのだ。
     こうした過去を振り返るVTRを見ると、成長期に凄いライバルがいて、そいつに何が何でも勝ちたい一心で血の滲むような練習や努力を重ねたことで、自分も記録が伸び、今の地位を築いていることが見て取れる。それほどライバルの存在は大きいのだ。

     さて、この「消えた天才」という番組が、感動を誘う秀逸していることは理解してもらえると思う。
     ところでこの「消えた天才」だが、なんと10月以降、これまでの単発の2時間番組ではなく、ゴールデンタイムのレギュラー化が決定した。この号泣確実の感動番組が、毎週見られると思うと嬉しい限りだ。ぜひ、偽りのない真実の人間ドキュメントをご覧いただきたいと思います。

    2018年10月 6日 (土)

    夢心地な霞ヶ城

     私の母の実家は二本松にある。しかもかの有名な「智恵子」(高村光太郎の妻)とは共通点がありすぎるほどだ。そんな縁もあって、私は幼少の頃から母方の祖父母の家に年2回は訪れたものだ。そこでの楽しみは、秋に開催される勇壮な「ちょうちん祭り」と華麗かつ艶やかな「菊人形」の二大イベントだった。もちろん両者ともに、現在も行われている。

     そして、私は今でも毎年必ず、祖父母の墓参を兼ねて訪れたついでに、霞ヶ城に登っている。「二本松少年隊」の悲劇や戊辰戦争の際に、幕府方の砦として、最期まで武士らしく立派に戦い、戦場に散っていった二本松藩士の勇猛果敢な物語は、現世においても語り継がれている。

                 Kasumigajyo11

     その「霞ヶ城」だが、今でこそ「箕輪門」をはじめ、山頂の天守台が整備され、美しく甦ったが、私が幼少の頃は、石垣しかない物悲しい風情を残していた。唯一、秋に、その麓で開催される「菊人形」が人を呼ぶ人気催場であり、秋を除けば、それはそれはひっそりした佇まいだった。
     また、小学生の頃には、遠足でこの山に登ったが、昭和40年代の霞ヶ城公園の山頂には、今とは似ても似つかわないほどの建物が建っていたのをご存知だろうか?一見、私はずっとそれが昔から残る「天守閣」だと思っていた。
     しかし、問題のその巨大な天守閣もどきの建物は、今の天守台への急石段付近に聳え立っていたのだが、あろうことか或る宗教団体がその土地を購入し、勝手に建てた三層の瓦屋根を施した城造りの日本建築家屋だった。
     その土地を、平成に入った頃に、二本松市が買い戻し、その違和感漂う建築物を取り壊し、周辺にあったパラボラアンテナも撤去し、現在ある形に再整備したのだ。

    Kasumigajyo7 Kasumigajyo8

      上の画像は「余湖くんのホームページ」より引用させていただきました。

     ところで、二本松市の悲願と思える夢が垣間見えるイベントが数年前にあった。それは、天守台に足場を組み、そこに電飾を施し、夜間にライトアップして、天守閣の形が夜の闇に浮かび上がるというものだ。下がその当時の画像だ。

    Kasumigajyo4 Kasumigajyo3

     さらに、復元した模型はこちら(「お城のジオラマ鍬匠甲冑屋」さんのブログより)

    Kasumigajyo2 Kasumigajyo

      https://blogs.yahoo.co.jp/katuuya2012/28090252.html

      大阪城ばりの天守閣が本当に聳え立っていたかどうかは不明だが、これらの画像を見ただけでも、二本松市民が、我らがシンボルである「霞ヶ城」に賭ける思いが伝わるだろう。財政が許せば、「天守閣」自体の復元を願っていることは言うに及ばない。

     一方、昨年のことだが、或る有名造形家が猫の全身像を近代デザインでオブジェを制作し、それを天守台手前の南側の砲台に、二本松市街を見下ろす形で設置した。設置期間内にマスコミが取材し、「場にそぐわない」との物議を醸した。私自身、「城を守るために命を賭けて奮戦した英霊を冒涜している」と憤慨したし、歴史的背景を知らない者の愚行にしては許しがたい気持ちを抱いた。

    Kasumigajyo6 Kasumigajyo5

     実はこの方、「ヤノベケンジ」さんと言い、つい最近まで福島駅南側の「コムコム」の玄関前に設置されていた「防護服を纏ったふくしまの子ども」をイメージした「サン・チャイルド立像」を造形した造形美術家でもある。

    Fukushima_child

     「福島の子どもが皆、原発の放射性物質に侵され、このような防護服を着ている」との誤解を招くとして、この9月にこの像は撤去され、設置を承認した木幡市長が自ら減給を願い出て一応の決着を見た。何かと福島県でトラブルメーカー的存在となっている。

      この霞ヶ城は、春と秋に訪れるのが素晴らしい。春は霞ヶ城公園一帯が薄桃色の桜の花々でそれは桃源郷のように圧倒する景色となる。また秋は、紅葉も美しい。菊人形の会場からは菊の香りが漂い、五感で楽しませてくれる。

    Kasumigajyo9

                   Kasumigajyo10


     以上、見てきたとおり、私の霞ヶ城への並々ならぬ思いは感じ取って頂けたと思う。それは単に母の実家がある土地柄以上に魅力溢れる街であるということに尽きる。
     しかし、残念なのは、福島県でもそうだが、まして全国的には「二本松市」の存在はどれほど知られているかと言えば、「?」が付く。これはPR不足もあるだろうが、ネットや広告を使っての情報発信をより効果的に行う必要がある。
     私の第二の故郷とも言うべき「二本松」の魅力をひとりでも多くの人に知って欲しいと切に願うものである。

      <参考>

     二本松ちょうちん祭り2018・・・10月4日(木)5日(金)6日(土)
     二本松の菊人形2018・・・・・・・10月10日(水)~11月25日(日)

    2018年10月 5日 (金)

    ’80年代の想い出のシンガー 杉山清貴

     私の半生で強烈に印象に残る時代とは、やはり浪人と大学生の頃だ。当時、受験戦争真っ只中で、「一浪」は「人並み」といって当たり前で、浪人してまでいい大学に入ることを目指す志向が色濃かった。「早稲田」は記念受験する若者で溢れ、毎年10万人を超える受験生が押し寄せた。私は慶應出身だが、当時は早稲田と慶應は学部同士、同じ日程で入試日が設定され、掛け持ち受験、つま併願ができないシステムだった。
     1984年に大学一年生になった私だが、バブル景気の真っ只中にいた。その頃は、洋楽ブームだったが、邦楽も聴かなかったわけではない。世の中、大変なアイドルブームだったが、そんな中、ニューミュージックの後継者と思えるようなオシャレなバンドもいた。それが今日、想い出のシンガーとして取り上げる「杉山清貴&オメガトライブ」だ。

     ヴォーカルの杉山清貴は、カラフルなアロハシャツやジャケットにサングラスといういでたちでステージに立ち、甘い歌声で多くの女性ファンを虜にした。メロディーメーカーで、耳に残る軽快なマリンサウンドが心地よかった。
     私も心酔した訳だが、彼が手がけた楽曲の中から、特に好きだったナンバーを5曲紹介したい。私と同世代または40代以上の方には懐かしいが、今の若い世代にもぜひ聞いてほしい名曲ばかりだ。

     1 風のロンリーウェイ

     1988年1月にリリースされ、「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマソングとして使われ、大ヒットした。私のカラオケの十八番でもあった。

     2 最後のHoly Night

     https://www.youtube.com/watch?v=9iL9FU4ZIi4

     https://www.youtube.com/watch?v=enbIxt2iEes

     この曲だけはクリスマスソングだけに冬に大ヒットした。しかし曲調、歌詞など当時大ヒットしていた「ワム」の「ラストクリスマス」そっくりで、パクッたのではないかとの疑念が付きまとった。1986年11月リリース。

      3 ふたりの夏物語

     TUBEやサザンも夏の代名詞だが、この曲も夏のスタンダードナンバーとして持て囃された。1985年3月リリース。

     4 さよならオーシャン

     1986年5月リリース。

     5 ガラスのPALM TREE

     1985年11月リリース。

     ほかにも「君のハートはマリンブルー」、「SUMMER SUSPICION」、「水のAnswer」、「サイレンスがいっぱい」などの名曲もあるが、いずれも夏に聞くとしっくり来る印象深いナンバーだらけだ。日本語と英語を巧に使い分けた歌詞もトレンディーでオシャレなモダンナンバーを創出した。

     杉山清貴は、その後、独立し、ソロ歌手として再出発した。一方のオメガトライブは、新たなヴォーカルに日系ブラジル人の「カルロス・トシキ」を迎え、「1986オメガトライブ」としてリニューアルした。

     動画を試聴された方はお気づきだと思うが、彼の歌唱力は秀でている。高音域の伸びが素晴らしい。こういうソロでも楽曲に負けない卓越した歌声を響かせてくれる歌手が近年少なくなった。確かにムードで酔わせる雰囲気も兼ね備えていたが、今から33年前の楽曲とは到底思えない新鮮さが漂う。おそらく彼の歌を聴いて、酔いしれ恋に堕ちた方々も多くいるに違いない。多くのファンの人生を魅了したであろう彼のナンバーを今宵も奏でながら、夜を過ごしたいと思う。 

     

    2018年10月 3日 (水)

    私が衝撃を受けた1枚の写真

     世界に衝撃を与えた写真を撮影したカメラマンに与えられる名誉ある賞に「ピューリッツァー賞」があるのは衆知のところだが、半世紀を生き抜いてきた私が、これまでに衝撃を受けた写真というのがある。今日はそんな写真を5枚セレクトし、自分なりに解説および感想をコメントとして添えたい。

     1 水面すれすれを走行する名鉄の電車

    High_tide

     「地図の散歩道」というブログに掲載された画像で、名鉄OB白井昭カメラマンが撮影した価値ある一枚がこれ。解説によれば、1959(昭和34)年9月26日夕刻、台風15号は和歌山県潮岬付近に上陸、勢力を保ったまま伊勢湾奥部を通過したとき満潮と重なり、暴風雨と高潮が沿岸を襲った。知多半島の伊勢湾岸を走る名古屋鉄道 (名鉄) 常滑線では、名古屋市南部の天白川河口付近のデルタ地帯の区間が一夜にして海中に没してしまった。

     逆にこんな状況下で、よくぞ電車を運行したものだ。線路の両側がまるで海。昭和34年では、まだマイカーの普及はなく、専ら庶民の移動手段はバスか電車の時代。庶民の足を奪えないという名鉄の英断。 

     2 御嶽山噴火

    Ontake1
    Ontake2

     命の危険が差し迫っているにもかかわらず、報道記者とか現場リポーターにでもなったつもりか、余裕をこいて噴煙をバックに記念写真撮影のような真似をしている登山者。信じられない。よもやこの数分後、噴石に当って自分が死ぬとは思っていないに違いない。最近、スマホの普及で、Youtubeなどの動画に掲載したり、インスタ映えする画像をアップする人が多くなった。これを「一億総カメラマン時代」と呼ぶのだそうだが、命の危機に晒されていながら、なにゆえこのようなのんべんだらりと行動できるのかがわからない。 

     3 日航機墜落事故遺体安置所

    Jal123

     1985年8月に起きた国内最大の航空機事故。私は大学生で、夏休み帰省中にテレビを見ていたら、いきなり「羽田発大阪行きの日航機がレーダーから消えた」という速報が入り、それを家族で見ていて、騒然となった。それが夜だったため、確認作業がままならず、翌朝から捜索が入り、次々と悲報に変わっていった。そして歌手の坂本九さんの本名が乗客名簿にあったとか、阪神の球団社長が乗っていたとか、情報が錯綜。524人乗りで520人が死亡という類を見ない大惨事となった。そして遺体収容作業で、墜落現場の御巣鷹の尾根に近い上野村の学校に遺体安置所が設けられ、次々と運び込まれる損傷が著しい遺体の数に蒼白となった。
     白い棺に訪れた家族が泣き崩れる映像や体育館に所狭しと並べられた棺桶が想像を絶するほどの衝撃があった。

     あの夏から33年。私の記憶からあの夏の出来事は脳裏から離れることはないと思う。この場所は神聖な場所なので、肝試しとか物見遊山では決して訪れてはならない。

     4 山本美香さん

    Yamamotomika

     国際的なジャーナリストだった山本美香さん。イラク戦争などの紛争地帯に飛び込み独自取材を敢行。爆撃で怪我を負った子どもたちや被爆地の現状を取材し、国際配信し続けた。2012年8月、シリアでの取材中、銃撃により殺害された。45歳という若すぎる死だった。銃創痕が9箇所もあり、狙撃されたものと見られる。死因は頚椎損傷による出血死。
     ジャーナリスト仲間達が 彼女の死を悼み、数多くの哀悼コメントを寄せた。山本の死後、次世代のジャーナリスト育成を目指し一般財団法人山本美香記念財団が設立され、山本のジャーナリスト精神を引き継ぎ、果敢かつ誠実な国際報道につとめた個人に対して「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」が創設された。
    写真は狙撃、殺害された後、成田空港に無言の帰還を果たした時の画像。出迎えた空港職員が「殉死」した彼女を横一列に整列し、彼女のご遺体に向かって深々と一礼した。

     志半ばで、さぞかし無念であったと思う。しかし、ジャーナリストの誇りだと思う。

     5 日本の災害を心底喜ぶバ韓国

    Flag

     何万人もの何の罪もない人々が犠牲になった東日本大震災。各国が義援金などの支援を行っているさなか、この愚劣国家だけは日本の災難を祝福した。それは言わずもがなだが、「韓国」だ。しかもスポーツイベントで「日本の大地震をお祝います」という旗を掲げるという暴挙。こんな無礼で無法国家なのに、何故、日本のおばさん連中は、やれ韓国ドラマだと韓流スターだなどとのぼせ上がっているのかわからない。私などはKポップも耳にするのも汚らわしいし、この世から抹殺したい。完全敵国でである韓国文化を受け入れる気がわからない。韓国人の8割は日本を嫌っているくせに、来日などしないで貰いたい。

     私は罹災証明書を持つ被災者のひとりだが、こういう憎しみしかない韓国とは絶縁したい。慰安婦、靖国、竹島など日本叩きを旗印にできない過去執着愚国民だ。1000年後まで怨みを持ち続けるだろう。

     また、日本に台風が上陸すると韓国人どもは天罰だと大喜びするという。東日本大震災の際も、アジア各国の義援金額はもっとも少なかったし、「熊本地震」や台風21号被害、「北海道胆振大地震」の際も手を叩いて大喜びしたという。
     こんな腐れ国家とは国交断絶でいいし、在日は国外追放して貰いたい。

    2018年10月 1日 (月)

    懐かしすぎる朝の番組

     朝の情報番組と言えば、日テレ系の「ZIP!]派かフジ系の「めざましテレビ」に二分されることが多い。しかし、私が小学生の頃、つまり1970年代に放送していた定番番組で、私が登校寸前まで見ていた物に「カリキュラマシーン」とTBSの看板番組だった「おはよう720」(後に700)、日テレ系の「ズームイン朝」がある。おそらくは50歳以上の人しか知らないと思うが、かつては高視聴率をマークしたお化け番組だった。

     ではその懐かしい番組を映像で振り返りたい。

     1 「カリキュラマシーン」

    https://www.youtube.com/watch?v=Q72GTRUpzrk

    https://www.youtube.com/watch?v=IFwefwzJqLU

    https://youtu.be/S_v

     1974年(昭和49年)~1978年(昭和53年)まで、日本テレビ系列で毎週月曜日から土曜日の早朝に放映されていた子供向け教育番組。
     この歌は難しく「シャバドビ・・・」は11PMの路線だ。

     2 「おはよう720」

     ケンケンこと見城美栄子さんがMCを担当していた。番組のOPに「ビューティフルサンデー」が使われていて、当時大ヒットした。世界中を4WD車で回る「キャラバン隊」が人気コーナーだった。

     また、Le Mistralの「青い地平線」がOPのテーマソングとして使われ、こちらもヒットした。

     どれもこれも40年以上も前だが、このような映像を振り返れるのも「Youtube」サマサマだ。

     3 「ズームイン朝!」

     近年まで放送されていた長寿番組だった。羽鳥アナと西尾アナのコンビが記憶に新しいが、私たちの世代は徳光和夫アナのMCだった。名物コーナーの「ウィッキーさんのワンポイント英会話」などがあった。全国のNTV系列のネット局からの生の情報を配信続けた。ライブ放送のため、毎回予期せぬアクシデントも多かった。

     レポーターが感電 https://www.youtube.com/watch?v=76-v3TsHoso

     ウィッキーさん https://www.youtube.com/watch?v=_Dx9-uuqw-c

     子供の頃は、我が福島県では民放テレビ局と言えば、日テレとテレ朝系の「福島中央テレビ」とTBSとフジ系をネットしていた「福島テレビ」しかなかった。朝の情報番組と言えばもっぱら「ズームイン朝」を見ていた。

    « 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »