2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

« 歴代の大学の不祥事 | トップページ | THE 昭和の歌手対決 »

2018年6月16日 (土)

郡山でアレが無くなったワケ

 我が街・郡山市は不思議やなぞであふれている。昔は当たり前のように行われていたイベントなどが、急に取りやめになったとか、なぜ行政判断でそうしたのか理由がわからないことが多い。今日はそれを話題にしたいと思う。

 1 開成山の大花火大会

 昭和の時代は、夏の風物詩として郡山の花火大会と言えば「開成山の大花火大会」だった。毎年、うねめ祭りの2~3日前の7月31日に行われていた。
 しかし、平成8年頃に、急遽、この市民の楽しみは奪われた。その主な理由は、「住宅街に近い開成山での花火は安全上問題がある」とか、住宅街であるがゆえに「花火の音がうるさいと苦情が多かった」とか、そもそも「不景気で協賛金が集まらないからだ」などと当時は噂されていたものだ。
 たぶん3番目の理由が有力だと思う。そしてそれに替わるかのように、今、郡山の花火大会と言えば、富久山町と安積町のカルチャーパークで行われる花火大会だ。しかし、開成山の時分と比べて、規模は縮小しているし、交通の便も悪い。バイパスを走行中の車窓や新幹線から偶然見れてラッキーという印象でしかない。

 私は幼少の頃、間近で開成山の花火大会の光の輪と爆音の中で育ったので、あれがないと夏が来た気がしない。

Hanabi

 2 鼓笛隊パレード

 今でも福島市と会津若松市で行われているのに、郡山ではとうの昔に無くなった小学生の一大イベントが「鼓笛隊パレード」だ。県合同庁舎を起点とし、そこから演奏を始め、市内の各小学校が隊列を組んで、指揮者、バトン、トランペット隊、太鼓隊、ピアニカ、リコーダーなどを演奏しながらさくら通りを西に練り歩いた。途中、ホテルハマツ(かつてはザベリオ前)と長者(一本松)の資生堂があった地点に審査員席とテレビの中継所を設けた。そして内環状線を渡り、総合体育館前の駐車場まで演奏しながらパレードを行っていた。

Kotekitai


 このイベントも市民の楽しみだった。しかし、いつの間にか終了してしまった。そこでその質問を郡山市に行った時の回答を掲載したい。

 <回答内容>

 鼓笛パレードにつきましては、平成9年度に小学校長会の「鼓笛パレード検討委員会」において、週5日制の導入に向け授業時間の確保が難しくなったこと、さらには交通規制により交通渋滞等のさまざまな問題が生じることなどの理由から、平成11年度より実施を見合わせる決定をし、今日に至っています。
 現在、鼓笛隊を編成している学校では、運動会等において日頃の練習成果を披露したり、各地区の鼓笛パレードにおいて交通安全や防犯等のアピールを行ったりするなど、各学校が工夫しながら地域に根ざした活動を展開しており、子どもたちの活躍の場所を確保しているところです。
また、本市では、小・中学校合唱祭、合奏祭及び音楽学習発表会や各種コンクールの実施、一流の音楽家を招いて指導を受けながら他校と交流する「心のハーモニー学校音楽振興事業」の推進等を通して、子どもたちの音楽性・表現力の向上と発表の場の充実を図ることにより、「楽都郡山」を担う人材育成に努めております。

 私は、小学校の頃、あの頃に流行した「ビューティフルサンデー」と「錨を上げて」をトランペットで吹いて自宅近くを歩いたし、なんと私の演奏している姿が大アップでテレビ画面に映ってしまい、翌日学校で友達に冷やかされたものだ。親も子供の晴れ姿を楽しみにしていた恒例行事だったので、なんとか再開してもらいたいものだ。現に今でも会津若松市や福島市では伝統を守って毎年行っているのだから・・・。

 3 開成山公園にあった競馬場

 現在、市民のオアシスとなっている「開成山公園」。広大な敷地に桜並木の遊歩道や噴水も整備してある五十鈴湖、野外音楽堂、SL広場、ばら園などがあり、とにかく癒されるスポットだ。しかし、昭和30年代まで、ここが競馬場だったことを知る人は少なくなった。広大な湖(実際は池だが)の周囲を馬が走り、実際にレースも行われていたのだ。

 開催時期は1904年(明治37年)から1956年(昭和31年)までで、当時の安積郡桑野村に福島県産馬畜産組合連合会が開成山競馬場を建設した。当時は、1万頭規模の生産を行っていて、福島でも馬券を発売するようになると、数万人を集め、地方競馬としては全国屈指の賑わいを見せた。
 しかし、戦争によって事態は一変した。郡山競馬場と呼ばれたこの馬場も1939年(昭和14年)に軍馬資源保護法により、鍛錬馬競走が行われるようになり、戦後は1949年(昭和24年)には福島市に場所を移したことで、政府の要件を満たさなくなり、公認が得られないまま廃止に至った。

Kaiseizan_keiba

 4 市役所を朝日に移転した理由

 無くなった訳ではないが、市役所を細沼町の現・合同庁舎から朝日の現庁舎に移転した理由を挙げたい。
 今の市内朝日一丁目にある郡山市庁舎は、1968年(昭和43年)に新築された。それまでは細沼町にあった。現在、県の合同庁舎として使われている、石づくりの重厚かつ歴史的建造物だ。なぜ市街地中心部から、当時、田んぼしかなかった場所への移転を決めたのか。それは1965年(昭和40年)に郡山市旧市内と周辺集落とが大合併し、大郡山市が誕生した。マンモス市議会となり、旧庁舎では手狭になったことと、各部署の業務を推進する上で支障が出ると判断されたことによる。

 そして今、映画のロケにも使われた由緒ある造りの「県合同庁舎」が解体取り壊しの危機に見舞われている。なぜなら近く、ビッグパレット周辺への移転が計画されている。文化的価値やぜひ後世まで残してほしい。

Gouchou

 5 なぜ県庁を郡山に持ってこないのか

 福島県や福島市の成立経緯や地理的に県の中間部に位置していることなどから、県庁を郡山に移転しようという動きが近代より現在に至るまで県内に根強く残っている。これは明治18年の県議会において賛成37、反対16の大差でいったんは可決され、当時の県令である三島通庸から上申書が内務省へ提出されたが、不明瞭な経過を経て却下されたことが尾を引いている。県の北端である福島市に県庁及び国立大学、県立図書館、県立美術館、県立医大、附属病院などの公共施設が集中することから不便、不公平感を訴える県民の声が根強くあり、東日本大震災を経て現在でも会津地方及び県南・県中地方の自治体などから請願書が県へ提出されている。

 要は地理的に立地条件や交通アクセスが抜群の郡山市に県庁を移転してしまうと、人口でも県3位の福島市は人口が激減して廃れて何もなくなってしまうという危惧がある。

Fukushimakencho

 6 なぜ国家プロジェクトとして「安積疎水」建設が必要だったのか

 年間雨量が 1,200 mm にも満たない当地は、疏水が引かれる前は、阿武隈川に向かって傾斜して水利が悪い丘陵地帯であったこともあり、荒涼とした安積原野となっていた。安積原野を流れる五百川、藤田川、逢瀬川、笹原川などの河川は流域面積が小さく、安積原野にあるため池群も流入河川がなく干ばつの影響を受けやすく、広大な原野は牛馬の餌となる牧草を取る入会地しか用途がなかった。

 一方、明治維新の最中、各地で士族の反乱が起こり、その対策として安積原野開拓が脚光を浴びるようになる。そこで、1878年(明治11年)にオランダ人技師ファン・ドールンを現地に派遣し、猪苗代湖から安積野原野一帯の調査を行い、その調査の結果、安積疏水の開削を政府に決断させた。1879年(明治12年)、国直轄の農業水利事業第1号地区として着工され、日本海への流量を調整し水位を保持する十六橋水門、安積地方へ取水する山潟水門が建設され、隧道、架樋等、延85万人の労力と総工費40万7千円(現在約400億円)によって130kmに及ぶ水路工事が僅か3年で完成した。灌漑区域面積は約 9,000 ha と広大で、当地を一大穀倉地帯に変えた。 なお、郡山市は、平成の大合併により市域を広げた新潟市が誕生する前は、米穀生産量日本一の市であった。

 1898年(明治31年)には疏水に水力発電所が設置され、その電力を利用した製糸業が発達し、また、1908年(明治41年)からは飲用水としても利用して、当地の人口増加を支えた。

Asakasosui


 さて、郡山市は昭和の時代に新産業都市に制定、平成には中核としてして発展を続けている。人口は32万人を超えた。歴史と伝統に満ちているが、反面、50年近く住んだ私でさえも、なぞ多き街だ。長年、市の役職を歴任した私の祖父や、市の中心地に50年以上居を構えていた父が存命であれば、より詳しいことを聞けたと思うのだが、10年以上前に他界していて、それもかなわない。

Kooriyamasisyo

 詳しい事情を知っている方はコメントなどでお知らせください。

 最後に、私が好きな「郡山市民の歌」をどうぞ!

 郡山市民の歌は、市政30周年を記念し昭和29年に制定されました。歌詞は一般公募により募集し、多くの作品の中から内海久二氏の作品が選ばれ、作曲は福島市出身の作曲家・古関裕而氏に依頼をしました。

1 あけゆく安積野 希望の汽笛 
  あのひと この街 みなぎるちから

  ああ 奮い立つ 故郷は
  あこがれのせる若駒か
  すすめよ我らの 郡山


2 輝くあだたら ささやく瀬音
  あの鳥 この花 幸せ歌う

  ああ うるわしい 故郷は
  やさしい母のまなざしか
  育てよ我らの 郡山 


3 働く喜び 夕べの祈り  
  あの星 この窓 楽しいまどい

  ああ やすらかな 故郷は
  溢れる夢の ゆりかごか
  栄えよ我らの 郡山

« 歴代の大学の不祥事 | トップページ | THE 昭和の歌手対決 »

郡山の話題」カテゴリの記事